デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
1節 海運
2款 共同運輸会社
■綱文

第8巻 p.80-104(DK080003k) ページ画像

明治16年1月1日(1883年)

是日東京風帆船会社・北海道運輸会社・越中風帆船会社ノ三社共同運輸会社ニ合併シ、同社開業ス。栄一常ニ会社背後ニ在リテ之ヲ援助ス。然ルニ翌十七年ニ入ルヤ郵便滊船三菱会社トノ間ニ競争ヲ生ジ、漸次熾烈ヲ加フルニ到ル。


■資料

青淵先生伝初稿 第二五章・第三六―三七頁(DK080003k-0001)
第8巻 p.80-81 ページ画像

青淵先生伝初稿  第二五章・第三六―三七頁
 - 第8巻 p.81 -ページ画像 
    共同運輸会社と三菱会社との競争 其三
先生は共同運輸会社を創立して、三菱会社と対抗の決心を固めたれども、銀行者として公然かゝる事に関係を有するは面白からずとて、運輸会社の重役には就任せず、常に背後にありて之を援助せり続雨夜譚十三ノ一五二
  ○続雨夜譚ハ焼失シテ今日残存セズ。若シ存セバ栄一ノ同会社ニ対スル関係ガヨリ具体的ニ明示サルベキニ、逸シテ惜ムベキナリ。
  ○共同運輸会社ノ実際的指導者ハ栄一ナリキ。然ルニ栄一ハ重役ニ加ハラズ第一国立銀行頭取タルニ鑑ミ敢テ表面ニ出デズ、内部ニ於テ常ニ其経営ニ力ヲ致セリ。カヽル栄一ノ地位ヲ証スベキ資料ニ乏シケレドモ、前掲後掲ノ栄一談話或ハ種々ノ三菱トノ対抗事情ニ於テ之ヲ窺知シ得ベシ。


回議録 第二類諸会社明治一五年十一月・十二月(DK080003k-0002)
第8巻 p.81 ページ画像

回議録 第二類諸会社明治一五年十一月・十二月 (東京府庁所蔵)
    開業御届
当社仮事務所ヲ日本橋区箱崎町三丁目壱番地ニ相設ケ、来明治十六年一月一日ヲ以テ開業仕候ニ付、此段御届申上候也
                  共同運輸会社々長
  明治十五年十二月廿五日       伊藤雋吉
   東京府知事 芳川顕正殿
    旗章御届
本社船舶其他ニ相用候旗章別紙雛形之通リ相定候ニ付、此段御届申上候也
  明治十五年十二月十八日     共同運輸会社々長
                    伊藤雋吉
   東京府知事 芳川顕正殿
(別紙)
曲尺五尺六寸 曲尺八尺四寸 東京府下 京橋区本材木町三丁目拾参番地 共同運輸会社 星章最大直径ハ縦径ノ五分ノ三 藍色縁ハ縦径ノ八分ノ一
        但明治十六年一月一日ヨリ相用候事

回議録 明治一六年ノ一(DK080003k-0003)
第8巻 p.81-82 ページ画像

回議録 明治一六年ノ一          (東京府庁所蔵)
    合併御届
東京風帆船会社・北海道運輸会社・越中風帆船会社之義、農商務卿之認許ヲ得テ本年一月一日ヨリ共同運輸会社ヘ合併致シ、海運之事業経営仕候間、此段連印ヲ以テ御届奉申上候也
  明治十六年二月六日      越中風帆船会社々長
                   宮林彦九郎代
                    原田金之祐
                 北海道運輸会社々長
                    堀基(印)
                 東京風帆船会社々長
                    遠武秀行(印)
 - 第8巻 p.82 -ページ画像 
               東京日本橋区箱崎町壱町目壱番地
                 共同運輸会社副社長
                    遠武秀行(印)
   東京府知事 芳川顕正殿

前書届出ニ付奥印候也
           東京府日本橋区長 中山孝麿


渋沢栄一 書翰 井上馨宛(明治一八年)二月二日(DK080003k-0004)
第8巻 p.82 ページ画像

渋沢栄一 書翰 井上馨宛(明治一八年)二月二日 (井上侯爵家所蔵)
奉啓、然者頃日来毎々懇願仕候運輸会社へ御補助金之義ハ、一昨日伊藤公へ罷出篤と事情申上、且当季株主へ配当金之為金高拾八万円余(年九分之見込を以)御下付之都合奉伺候処、決局之御評議ハ農商務省へ奉呈之願書ニて政府より御下付ハ難被成下候得共、大蔵卿閣下より日本銀行へ御下命被下、同行より御支出相成候御都合之由ニ付、右手順伺定之為、今日伊藤雋吉及「小生」同行、大蔵卿閣下之御邸へ罷出相伺候処ニてハ、日本銀行もしくハ正金銀行へ御声掛りハ可被成下候得共、詰り普通借用金ニて期限も永くハ出来不申、又利足も仕払候様可致との事ニ有之、右ニてハ今日会社之計算上所詮此借用金ニて配当等出来候都合ニいたし兼候理由再応大蔵卿へ申上候得共、何分政府より御下付相成兼候評議ニ相成候次第ニ付、右借用金ニて工夫無之候ハヽ又別ニ評議無之而ハ致方無之との御示命ニ御坐候
右ニ付尚再三熟案もいたし候得共、前陳御示命之如ニてハ、詰り御補助と申訳ニも相成不申、会社株主へ之報道ニも差支、折角是迄御保護被下候義も都而其効を見す、先会社ハ今日を期し瓦解いたし候外無之、如何ニも残念之至心痛無此上義ニ付、実ニ再三御歎願申上候ハ恐悚不少候得共、前書之情実尚閣下へ歎願し、閣下より伊藤公へ篤と御打合被下、直接大蔵省より御下付相成候様御再議之程懇願仕度、只今伊藤雋吉同行尊邸へ罷出候処、政府御会議之御様子ニ拝承仕候間、押而書状を以陳情仕候義ニ御坐候、何卒前後之情状御諒察被成下、寸時も早く右辺之処御打合被下、今一応之御再議相成候様偏ニ奉懇願候、尚明朝両人とも参上仕候心得ニ候得共、会社株主集会も本月十日ニ延期いたし、最早此上延日も仕兼、実ニ進退維谷之場合ニ付、敢而書中申上候次第ニ御坐候、偏ニ御憫諒奉願候 匆々頓首
 二月二日
                       渋沢栄一
   井上外務卿 閣下
  ○後掲同会社第二回実際報告中ノ損益ノ事項ニ、明治十七年度ニ於テハ二万五千四百二円余ノ損失ヲ計上シ、「第一第二ノ積立金ハ勿論株主諸君ニ配当スヘキ利益ナケレハ、其配当ニ充ンコトヲ謀リ、定款第五十八条ニ記セル第三種ノ積立金ヲ為シ得ル場合ニ於テ返納スヘキ予定ヲ以テ相当ノ金額ヲ貸与セラレンコトヲ政府ニ請願セシニ、政府ハ特殊ノ恩典ヲ以テ金十六万円ヲ貸付セラルヽコトヲ聞届ラレタリ」ト記載ス。右栄一書翰ハ此事ト知リ得ベシ。


東京経済雑誌 第一六二号・第五六一―五六四頁〔明治一六年五月五日〕 共同運輸会社総会(DK080003k-0005)
第8巻 p.82-84 ページ画像

東京経済雑誌  第一六二号・第五六一―五六四頁〔明治一六年五月五日〕
    ○共同運輸会社総会
 - 第8巻 p.83 -ページ画像 
同会社ハ四月三十日午後一時頃より旧明治会堂に於て株主総会を開かれ、副社長及ひ創立委員より創業事務に付左の報告あり
  共同運輸会社創業事務要領報告○前掲(本巻第六二―六四頁)ニ付略ス
右報告読み了りて後、取締役の撰挙を行ひしに、高点を得しもの小室信夫(三千七百四十一)益田孝(三千二百三十二)堀基(三千二百二十六)渋沢喜作(二千八百十八)藤井三吉(二千四百十)大倉喜八郎(二千〇十八)園田実徳(千四百三十一)原田金之祐(千三百六十)渋沢栄一(千七十六)川島正蔵《(川崎正蔵)》(千二十五)の十氏にして、諸氏の諾否を聞き、夫より農商務卿の認可を受べしとて一同退散せられたりしハ午後十一時頃なりと、此日株主の一人なる星亨氏ハ創業事務に関し平生の能弁を揮ひ、余程の激論ありしにて○中略其佗取締役の人員に関し株主の説五人と十人との二派に分れ、星氏は十人の説にして、是れも余程議論盛んなりしが、竟に五人説は多数にして之に決せりと
  ○同会社開業当初ニ於テハ多クハ不定期航路ニシテ、定期航路ハ北海道森・室蘭間及ビ国後諸島間ノ二線ヲ算スルノミナリシガ、新船整備スルニ伴ヒ横浜・四日市間、横浜・神戸間、小樽・増毛間、神戸・高知間ノ定期航路ヲ開ケリ。就中横浜・四日市線及ビ横浜・神戸線ハ三菱会社ノ受命航路ト重複シ、北海道方面ニ於テモ並行スルモノアリ。玆ニ両社間ニ激争ヲ惹起スルニ至レリ。
   先ヅ両社ハ競争ノ準備トシテ各々俊英ヲ其部署ニ配置シテ局面ニ当ラシメタリ。特ニ阪神及ビ京浜ノ地ハ両社ニトリテ競争ノ中心地タリシヲ以テ、最モ人選ニ意ヲ用ヒタリ。其配置左ノ如シ。

図表を画像で表示--

 共同運輸会社                  三菱会社 理事 小室信夫 本店支配人   赤井善平    事務総監    管事      荘田平五郎                 太田原則孝    川田小一郎  会計課支配人  浅田正文         神戸支店支配人 佐々木男也           庶務課支配人  二橋元長 同  堀 基  横浜支店支配人 宮地助三郎           本務課支配人  内田耕作         函館支店支配人 園田実徳            神戸支店支配人 吉川泰二郎                                 横浜支店支配人 近藤廉平                                 函館支店支配人 船本竜之助 



   而シテ当会社ハ明治十七年以降続々横浜ニ回着セル購入新船ヲ主要航路ニ配シ、殊ニ三菱トノ競争線ニハ業務上大ニ力ヲ傾注セリ。両社ノ競争ハ明治十六年一月三菱会社先ヅ運賃一割値下ヲ発表シテ戦端ヲ開ク。当時三菱側ハ就航汽船二十七艘三万六千噸ニ熟達船員ヲ擁シタルニ対シ、共同運輸側ハ英国ヨリ購入セル新鋭船六艘ヲ含ム二十四艘二万六千噸ヲ以テ対抗セリ。之ガ為メ時人ハ「共同」ニハ船アリテ人ナシ、「三菱」ニハ人アリテ船ナシト謂ヘリ。斯クテ両社ハ船客・貨物ノ運賃ニ於テ、航行ノ速力ニ於テ周旋人ノ口銭ニ於テ、船員ノ争奪ニ於テ、顧客ニ対スル接待ニ於テ、凡ユル手段ヲ傾倒シテ貨客ヲ誘致セントス。十七年ニハ全ク白兵戦化シ、両社船ハ神戸・横浜・函館ノ諸港ヲ同時刻ニ出帆シ、速力ヲ競ヒ、運賃亦漸落シテ止ル処ヲ知ラズ。コノ間政府ノ諭旨(明治十八年一月十三日)ニ基キ一旦ハ両社協定(同年三月六日)ヲ結ビタレドモ、実行僅カニ三週間ニシテ破レ、又三菱会社々長岩崎弥太郎ハ競争酣ナル十八年二月七日病歿スルニ及ンデ、弟弥之助其遺志ヲ承ケ弔合戦ヲ呼号スル等、両者ノ悪戦苦闘ハ以前ニ数倍スルノ激甚ヲ極メタリ。即チ其最モ甚シキニ至リテハ、東京・四日市間・米穀百石ノ運賃正味僅ニ九円ヲ唱ヘ、横浜・神戸間ノ普通運賃二十五銭ニ迄低落シ、尚手土産ヲ添ヘルニ至リ、且ツ両社速力ヲ競フガタメ汽缶ヲ虐使シ、煙突ヲ灼熱シテ入港スル状態ヲ現出セリト云フ。(日本郵船株式会社五十年史、近藤廉平伝並遺稿参照)
 - 第8巻 p.84 -ページ画像 
  ○小篠清根編海運史料三巻参照。同書ハ主トシテ三菱会社対共同運輸会社競争時代ノ資料ヲ収ム。


回議録 会社明治一八年自一月至六月(DK080003k-0006)
第8巻 p.84-85 ページ画像

回議録 会社明治一八年自一月至六月     (東京府庁所蔵)
(朱書)
  乾船第一三号
三菱共同運輸両会社ノ義、業務上兎角競争ヲ事トシ、甚シキハ海上ニ於テ競航候等弊害百出、此儘放任候テハ大ニ海運振作ノ元気ヲ沮喪スルノ懸念不無、且当初両社設立ノ主旨ニモ相悖リ、甚タ不都合ノ次第ニ付、競争ノ起因ヲ推究スルニ、第一運賃ノ額、第二出航時限、第三各地周旋営業人、第四海員傭使等ノ事項ハ、両社ニ於テ一定不致候テハ、到底共斃ノ患ヲ不免ニ付、右之事項両社ニ於テ協議相整候趣ヲ以テ、別紙写之通申出候間、自今其定約ヲ実施為致候筈ニ付、各地於テ海運関係之向ヘ夫々及諭達候様可取計、此旨及内達候也
  明治十八年二月十六日
           農商務卿 伯爵 西郷従道
           内務卿 伯爵 山県有朋 
   東京府知事 芳川顕正殿
(別紙)
 本年○一八年一月十三日両社営業上ノ議ニ付御諭達相成候件々、爾後御旨意ヲ奉戴シ再三協議ノ上、熟議仕候大体左上申仕候
 第一運賃ノ額ヲ定ムル事
  右異存ナク申合相整候、其中、現今存在ノ約定荷物運賃ニ限リ、両社共約定期限中ハ其儘履行可仕、又今後ト雖定得意ノ荷主又一時多数ノ積荷ヲ為ス荷主ニ対シテハ、両社トモ同一ノ方法ヲ以テ若干ノ割戻ヲナス事ニ決議仕候、且運賃定額ヲ始トシ、荷物等積斤量石数等同一ノ定メ方、荷物受渡場所ノ定メ、荷物損傷ノ節弁金仕払方、船腹貸切料等ノ儀ハ協議ノ上取極可申筈ニ御座候
 第二諸航路ノ出船時限ヲ定ムル事
  右ハ両社ノ船舶海上ニテ走力ヲ競ヒ候危険予防ノ御趣意ト存候処、船舶出港ノ時刻ヲ定ムルニハ着港ノ時刻ヲ予算シテ相定候事故出港ノ時刻ヲ伸縮致候事ハ両社等シク困難仕候ニ付、海上走力競走ノ弊ヲ予防スルニハ汽船ノ走力ニ限リヲ付ケ候方可然、其走力ヲ定ムル事ハ管船局ノ御裁定ヲ仰キ候事ニ協議仕候
 第三船客貨物周旋営業人ハ両社ノ附属トナス事
  右ハ両者篤ト協議仕候処、両属ト致シ候時ハ却テ弊害可相生懸念有之候ニ付、両社トモ従来ノ関係ヲ解キ、全ク一己独立ノ営業者トシテ、両社ハ一切其自由ヲ掣セス、是ニ付与スル口銭手数料等ハ両社申合、同一ノ額ヲ限リ可申事ニ協議相整申候
 第四船長以下海員傭人ニ関スル事
  右ハ両社トモ異存無之其雇入方法及水火夫給料額等ノ事ハ尚協議ノ上取極候筈ニ候
 右熟議ノ廉々御届仕候、此上細課目ノ儀ハ目今両社協議中ニ御座候ニ付、決議次第御届可申上候
 - 第8巻 p.85 -ページ画像 
           郵便汽船三菱会社々長 岩崎弥太郎
           共同運輸会社々長 伊藤雋吉
 農商務卿 伯爵 西郷従道殿
  ○右答申書ハ十八年二月五日ニ提出サレタリ。又同年一月十三日営業上ニ付両社協定ヲ諭達セル達書ハ、後掲共同運輸会社第二回実際報告雑之部ニモ在リ。
  ○右答申書ハ明治十八年二月一日付官報第四八六号ニモ収録サル。
  ○右協定破レテヨリ三菱社長ハ左ノ上申書ヲ提出シテ違約破綻ノ責「共同」側ニアリト為シ、競争再開ノ已ムナキ所以ヲ開陳セリ。


日本郵船株式会社五十年史 第五一―五二頁〔昭和一〇年一二月〕(DK080003k-0007)
第8巻 p.85 ページ画像

日本郵船株式会社五十年史  第五一―五二頁〔昭和一〇年一二月〕
本年○一八年一月二十二日以来数度上申仕置候通リ、共同運輸会社並ニ弊社営業上相互ヒノ不利益ヲ除キ候為メ、運賃其他協議ノ末、約条書モ完結シ、即今実施仕居候、元来此約条ハ、一月十三日農商務省ニ於テ内閣諸公列座ニテ、両社副社長及重立候者共御呼出ニ相成リ、両社営業ノ損失ヲ患ヘサセラレ、忝クモ之レヲ救治セラレントスルノ厚キ思召ヲ以テ御懇諭被成下候御趣意ヲ奉体シ、双方自己ノ利益ヲ保護スルノ点ニ就キ最モ必要ノ儀ニ候間、実地多少行ヒ難キ事情アリシニモ不拘、一意恩命ノ大礎ニ基キ協議ヲ整ヘ結約仕候義ニ有之、爾後弊社ニ於テハ誠実ヲ以テ之レヲ確守仕居候得ドモ、共同運輸会社ニ於テハ、政府ノ恩命且ツ約条上ニ対シ候テモ共ニ確守スベキ運賃ノ定額ヲ大ニ引下ゲ居ルノミナラズ、従前ヨリ特別運賃割引ヲ為スノ約条アル荷主ハ期限中不得止其儘継続シテ、通常ノ荷主ト待遇ヲ異ニスル事ニ協議ヲ整ヘ双方取締リノ為メ人名簿ヲ取換ハセ置キ候処其人名簿中故ラニ人員ヲ増加シ頗ル其実ヲ失フモノ有之、其証ノ二三ヲ挙グレバ、東京府下ニテ重立候荷主ノ内呉服木錦商弐番組七拾名、金物商ニテ九名、其他此等ノ類ハ枚挙ニ遑アラズ、東京本社ノ下ニアリテ猶斯ノ如シ、名地各船ニ於テハ如何ナル違約致シ居候哉実ニ意想ノ外ニ可有之、一時ノ過誤ハ固ヨリ之ヲ寛仮スルモ、斯ク最初ヨリ故意ヲ以テ約条荷主ヲ増加シ置キ、陰然其働キヲ逞スルノ精神有之上ハ、弊社ニ於テモ到底此ノ約定ヲ固守シテ営業ヲ保護シ得ルノ目的無之、就テハ一月十三日御懇諭相成リ候政府ノ恩命ヲ重ンジ、独リ弊社ノミ誠実ニ約束ヲ墨守シ、今日ノ商業社会ニ立チ一日モ安ンジテ此営業ヲ保全スルノ目途無之、若シ勉メテ之ヲ守ランカ為メニ旧来ノ得意ヲ失シ、終ニ大ナル不利益ヲ来スベク、同社ノ取扱ヒニ習ハンカ、営業上更ニ又競争ニ傾キ、困難ニ陥リ候半哉モ難量ト深ク憂慮仕候得共、此ノ上万々不得止次第ニ付今後ハ弊社ニ於テモ、共同運輸会社ノ取扱ニ対シ運賃其他共渾テ臨機ノ処置ニ出デ候外無之候間、此ニ予メ実際ノ事情ヲ上告仕置候、宜敷御聞置被下度、今回ノ如キ事件ヲ具陳仕候義ハ実ニ恐懼ノ至ニ存奉候得共、一日ヲ猶予スレバ営業上数千金ノ損耗ヲ累ネ候訳ニテ実地不得止次第幾重ニモ御諒察被成下度、此段謹デ上申仕候也
  明治十八年四月六日
                 郵便汽船三菱会社長
                      岩崎弥之助
   農商務卿 伯爵 松方正義殿

 - 第8巻 p.86 -ページ画像 

近藤廉平伝並遺稿 (末広一雄著) 第一三七―一三八頁〔大正一五年二月〕(DK080003k-0008)
第8巻 p.86 ページ画像

近藤廉平伝並遺稿 (末広一雄著) 第一三七―一三八頁〔大正一五年二月〕
 是より先き、弥太郎の病重きを報ずる頃、事件の発頭人品川弥次郎《(品川弥二郎)》は、農商務卿西郷従道の旨を承け、「共同」「三菱」両社の仲裁を試みた。容易の事で納まるまいといふので、十八年の一月十三日、農商務省に於て従道と外務卿井上馨が列席の上、三菱側より岩崎弥之助・川田小一郎・荘田平五郎の三名、共同側よりは遠武秀行・小室信夫の両名を呼出し、運賃率・出帆時刻・取次人及海員の四項に関して協定を遂ぐべく勧告があつた。因て「三菱」からは荘田平五郎・内田耕作・岡崎惟素の三名を、「共同」からは遠武秀行・小室信夫・宮地助三郎・徳見淳三郎の四名を挙げて相談を遂げさせた。さうして練りに練つて三十箇条の協定を為したのは三月六日であつた。
然るに協定を実行すること、僅に三週間にして再び破れて了つた。


共同運輸会社創立規約及報告書(DK080003k-0009)
第8巻 p.86-93 ページ画像

共同運輸会社創立規約及報告書      (渋沢子爵家所蔵)
  共同運輸会社創立事務概況別報
    共同運輸会社第一回実際報告
本社創業事務ノ景況ハ本年○明治一六年四月三十日例式総会ニ於テ其要領ヲ報道セリ、而シテ其総会ニ於テ本年前半季ニ係ル事務計算等ノ報告総会ヲ延期シ、一週年ヲ取纏メ報道スベキニ議決セシニ依リ、今此報道ヲ以テ本社実際報告ノ第一回トス
  株式
 資本金六百万円
  此株数拾弐万株
    内
   金弐百六拾万円        政府所有
    此株数五万弐千株
   金三百四拾万円        人民所有
    此株数六万八千株
    此人員六千六拾七人
  船舶
本社営業ノ基根タル船舶ハ旧三会社ヨリ承継セルモノアリ、開業以来内地ニ於テ購入セシモノアリ、英国ニ於テ購入又ハ新造セルアリ、又官ヨリ貸下アリ、人民ヨリ借入船アリ、今其区別ヲ摘録スル左ノ如シ
 但シ船体ノ大小噸数馬力長短等ハ別表ニ詳記スレハ玆ニハ唯船名ノミヲ以テス
帆船 神倉丸 義経丸 謙信丸 信玄丸
   秀郷丸 為朝丸 正成丸 湊川丸
 是ハ旧東京風帆船会社ヨリ承継セルモノナリ
帆船 第一回漕丸 第二回漕丸
 是ハ前同社ニ於テ海軍省ヨリ拝借ノ儘本社ニ承継シ、既ニ返還セルモノナリ
帆船 全進丸 飛鶴丸 青竜丸
 是ハ前同社ニ於テ府下築地川崎正蔵氏ヨリ借用船ニシテ、其儘本社
 - 第8巻 p.87 -ページ画像 
ニ承継セシモノナリ
滊船 玄武丸 函館丸 矯竜丸 沖鷹丸
帆船 乗風丸 清風丸 西別丸 千島丸 第一石狩丸
   第二石狩丸 第三石狩丸 第四石狩丸 単冠丸
 是ハ旧北海道運輸会社ニ於テ農商務省ヨリノ拝借船ニシテ、同社ヨリ引続キ本社ヘ貸下ケラレシモノナリ
 此内乗風丸、単冠丸ノ二隻ハ既ニ返還シ、滊船玄武丸・沖鷹丸ノ二隻ハ其後本社ヘ下付セラレタリ
滊船 宿禰丸
帆船 加越丸
 是ハ旧越中風帆船会社ヨリ引受ケタルモノナリ
滊船 岩内丸
 是ハ本社ニ於テ農商務省ヨリ貸下ヲ受ケシモノナリ
滊船 小菅丸
 是ハ長崎造船局ノ製造ニ係リ、曾テ本社資本増額ノ請願ヲ採納セラレシ政府御加入株金百三拾万円(明治十八年以後ニ下付セラルヘキモノ)ノ内ヨリ船価拾七万円繰上ケ御支出ノ特典ヲ以テ、本社ヘ下付セラレシモノナリ
滊船 志摩丸
 是ハ兵庫造船局ノ製造ニ係リ、農商務卿ノ許可ヲ得テ、船価七万円ノ内弐万五千円ハ即納シ、残四万五千円ハ明治十七年ヨリ向フ六ケ年賦上納ノ約定ヲ以テ、本社ニ購入セリ
滊船 壱岐丸
 是ハ長崎造船局ノ製造ニ係リ、前同様船価三万五千弗ノ内五千弗ハ即納シ、残三万弗ハ明治十七年ヨリ向フ六ケ年賦上納ノ約定ヲ以テ本社ニ購入セリ
滊船 青森丸
 是ハ越後国北蒲原郡葛塚村斎藤七郎治氏所有ノ処、本社ノ成規ニ合格セルヲ以テ、農商務省ノ許可ヲ得テ本社ニ購入セリ
滊船 越後丸
 是ハ英国「ブラシール」滊船会社所有「ペトリシオー」ト称セシモノニシテ、嘗テ売却ノ報知アリ、最モ適当ノ良船ニ付農商務省ノ許可ヲ得テ本社ニ購入セリ
滊船 凌風丸
 是ハ大坂府下偕行社ノ所有ニ係リ嘗テ売船ノ報アリ、差シ向キ函館青森間ノ定期航海ニ必用ナルヲ以ツテ、船体機関ノ撿査ヲ受ケ、農商務省ノ許可ヲ得テ本社ニ購入セリ
滊船 越中丸
 是ハ三井物産会社ニ於テ英国倫敦ニテ買入レシ新造船ニシテ、我国ヘ回航中本社ヘ買受ノ義ヲ同社ニ照会セシニ承諾アリタレバ、農商務省ノ許可ヲ得テ本社ニ購入セリ
滊船 遠江丸 伊勢丸 尾張丸
 是ハ去ル四月例式総会ニ於テ報道セル社長伊藤雋吉英国ニ於テ購入ノ上改造ヲ加ヘシモノニシテ、遠江丸ハ十月十七日、伊勢丸ハ同月二十日、尾張丸ハ十二月廿九日横浜ヘ到着セリ
 - 第8巻 p.88 -ページ画像 
滊船 駿河丸
 是ハ前同様英国ニ於テ新規製造ヲ托シタルモノニシテ、該地ヨリノ報道ニ依レバ、来ル十七年一月中ニハ進水式ヲ了ルベシト、遠カラズ解纜ノ報アルベシ
滊船 山城丸 近江丸
 是ハ政府ニ於テ御製造ノ上下付セラルベキモノニシテ、嘗テ社長伊藤雋吉ヘ其注文方ヲ命ゼラレ、英国ニ於テ目下製造中ニシテ、山城丸ハ三月ニハ竣功シ、近江丸ハ五月ニ竣功スルトノ報知アリ
滊船 薩摩丸 長門丸 肥後丸 美濃丸 播磨丸 相摸丸
   陸奥丸 紀伊丸 出雲丸
 是ハ去ル四月報道ノ後チ、在英社長伊藤雋吉ニ托シテ製造方ヲ注文セルモノニシテ、早キハ十七年三月、遅キモ同九月迄ニハ功ヲ竣ルヘシトノ報知アリ
帆船 経基丸 満仲丸 頼光丸 頼信丸
 是ハ政府御加入株金ノ内ヲ以テ製造ノ上、下付セラルヘキモノニ係リ、此内経基丸ハ既ニ竣功下付セラレ、他三隻ノ内満仲丸、頼信丸ハ既ニ進水式モ済ミタレバ、遠カラズシテ航運ノ期ニ至ルベシ
右ノ外拝借買入又タハ新造セシ小蒸気船艀船等ハ左ノ如シ
小滊船 金ケ崎丸 第一箱崎丸 第二箱崎丸 第三箱崎丸
 此内金ケ崎丸、第一箱崎丸、第三箱崎丸ハ本社ノ買収ニ係リ、第二箱崎丸ハ農商務省ヨリ拝借スルモノナリ
達摩船六隻
 是ハ新規製造セシモノニシテ、品海荷物積卸又ハ石炭運搬ノ用ニ供セリ
艀船拾四隻
 是ハ勢州四日市港荷物積卸シノ為メ買収シ、該所ノ用ニ充テタリ
  本支店出張所代理店荷扱所
    本店
東京府下日本橋区箱崎町三丁目一番地
    支店
大坂府下土佐堀一丁目二番地
函館県下函館東浜町十五番地
札幌県下小樽色内町十五番地
根室県下根室本町二丁目
富山県下伏木港八十三番地
三重県下四日市納屋町通リ
宮城県下石ノ巻元町三十三番地
神奈川県下横浜海岸通リ四丁目十九番地
    出張所
新潟県下新潟上大川前通リ一番町十番地
兵庫県下神戸海岸通リ三丁目廿九番地
    伏木支店出張所
富山県下高岡通リ町一番地
    代理店
 - 第8巻 p.89 -ページ画像 
陸前石浜  運漕社    陸中釜石  新沼嘉藤治
陸中鍬ケ崎 横坂権七   青森港   高柳利助
秋田土崎港 菅礼治    陸奥八ノ戸 清水甚太郎
羽後酒田  大泉長次郎  越前敦賀  中村宗七
尾州亀崎  吉田弥八   長州下ノ関 小松昌平
摂州昧泥村 若井源左衛門 越後新潟  鍵富三作
神戸栄町  光村弥平衛  兵庫    北風荘右衛門
摂州西ノ宮 辰馬吉右衛門
    荷扱所
青森県下青森港
東京府下日本橋区小網町三丁目廿六番地
東京府下日本橋区新材木町東万川岸第三十六号地
東京府下日本橋区小網町一丁日末広川岸第十一号地
  不動産
本社営業ニ必要ナル地所・家屋・倉庫等ハ旧三会社ヨリ引受タルアリ、官舎・官庫ノ拝借ニ係ルモノアリ、又開業後買収或ハ新築シタルアリ、今之ヲ左ニ記ス
 但シ見出シ符号ハ左ノ如ク区別ス
  ○印 旧三会社ヨリ引受ノ分
  △印 官ヨリ拝借ノ分
  □印 買収ノ分
  ×印 新築ノ分
東京府下日本橋区箱崎町三丁目一番地
  △建家 三棟
  ×同  壱棟
  △土蔵 拾戸前
同府下同区小網町三丁目廿六番地
  ○建家 弐棟
  ○土蔵 壱棟
同府下同区小網町一丁目末広川岸十一号地
  □建家 壱棟
  □土蔵 四棟
  △地所 九拾壱坪七合
同府下南品川洲崎砲台
  △地所 弐千弐百六拾九坪
同府下品川第四砲台
  △地所 五千八百拾五坪九合三夕
  ×建家 壱棟
  ×板倉 壱棟
函館県下函館東浜町十五番地
  ○建家 壱棟
同県下函館真砂町三番地
  ○地所 千九百弐拾四坪八合九夕
同県下函館船場町九番地
 - 第8巻 p.90 -ページ画像 
  △地所 千弐百八拾三坪七合八才
  ○建家 壱棟
  ○板倉 壱棟
  ×建家 壱棟
札幌県下小樽色内町十五番地
  □地所 百弐拾六坪七合三夕
  □建家 弐棟
同県下小樽手宮町百三十七八番地
  □地所 千弐百六拾五坪
  ×埋立地所 八百七拾坪
  ×板倉 壱棟
  ×建家 壱棟
  ×桟橋 壱ケ所
青森県下青森港
  ×建家 壱棟
富山県下越中高岡通リ町一番地
  ○地所 八拾三坪
  ○建家 壱棟
同県下越中伏木字狐島
  ○土蔵 壱棟
大坂府下大坂土佐堀一丁目二番地
  □地所 四百五拾六坪六合
  □建家 七棟
  □土蔵 六棟
  ×建家 壱棟
兵庫県下神戸海岸通リ三丁目廿九三十番地
  □廿九番地所 百四拾八坪八合四勺
  □三十番地所 弐拾七坪
  □建家 壱棟
  □土蔵 三棟
大坂神戸鉄道構内地所
  △大坂地所 八百八拾弐坪
  △神戸地所 弐百五拾八坪
宮城県下陸前石ノ巻村三十三、三十四、三十六番地
  □地所 九畝拾三歩
  □土蔵 壱棟
  □建家 六棟
同県下同村字中瀬囲壱番地
  □地所 四反四畝拾歩
  □建家 三棟
  □土蔵 六棟
三重県下四日市納屋町通リ
  □建家 壱棟
  □土蔵 八棟
 - 第8巻 p.91 -ページ画像 
福井県下敦賀泉村字下川南
  □地所 三反廿四歩
  ×埋立地所 三拾坪
  ×石垣 五拾九坪五合
  営業
本社当一週年ノ営業ハ、前半季ニ於テハ船舶甚タ僅少ナレハ営業モ亦随テ微々タル景状ニシテ、後半季ニ到リ漸ク船舶ノ数ヲ加ヘ、稍営業ト称スルニ足ルモノアリト雖トモ、要スルニ尚ホ幼稚タルヲ免レス、然レトモ其計画スル所ハ唯目前ノ為体ニ止ラズ、専ラ今後ノ旺盛ヲ企図シ、年限ヲ定ムルト無期限若クハ一時限トヲ問ハス、上ハ諸官衙ノ命令ヲ奉承シテ御用物ノ運搬ヲ約スルアリ、下ハ一般諸商家ト交互約定シテ諸荷物金銀紙幣等ノ運転ヲ契約スルアリテ、一々臚列センモ繁雑冗長ニ渉ルヲ以テ玆ニ略シ、唯本年中ニ船客貨物ヲ搬運セシ航路ヲ示ス、左ノ如シ
 東京ヨリ函館小樽根室間
 東京ヨリ函館鰺ケ沢舟川酒田新潟間
 東京ヨリ大坂神戸間
 東京ヨリ大坂馬関伏木間
 東京ヨリ石ノ巻折ケ浜宮古釜石八ノ戸間
 東京ヨリ四日市間
 東京ヨリ尾州亀崎熱田間
 東京ヨリ唐津間
 東京ヨリ常州磯原間
 東京ヨリ紀州大崎間
 東京ヨリ沖縄間
 東京ヨリ薩摩口ノ江良部間
 東京ヨリ朝鮮釜山浦仁川魯領浦塩斯徳間
 東京ヨリ小笠原島間
 東京ヨリ朝鮮蔚陵島間
 大坂ヨリ馬関伏木間
 大坂ヨリ大島間
 大坂ヨリ紀州大崎間
 函館ヨリ小樽根室択捉間
 函館ヨリ青森間
 北海道森室蘭間(定期)
 国後諸島(定期)
 北海道沿海諸港ノ間
  ○船舶被難・雑・総会決議略ス。
  計算
本社創業即チ明治十五年八月ヨリ同十六年十二月三十一日ニ至ル創立及営業ノ総勘定並ニ損益計算ノ撮要左ノ如シ
    総勘定ノ事
     会社ノ資産ニ属スル部 借方
一金八拾弐万八千六百五拾弐円拾六銭七厘  滊船元価
 - 第8巻 p.92 -ページ画像 
一金弐拾九万四百八拾三円九拾七銭七厘   風帆船元価
一金四拾九万千六百円六拾壱銭三厘     船舶購入内金
一金五万七百八拾円七拾五銭四厘      船舶購入費
一金壱万四千五百四拾四円五拾五銭八厘   艀船元価
一金九万弐千六百九円四拾銭九厘      不動産
一金弐万三千三百九拾四円四拾七銭五厘   公債証書
一金弐万三千五百九拾円拾六銭四厘     船舶用貯品
一金六千弐百七拾四円弐拾三銭三厘     什器
一金五百三拾四円九拾壱銭         運賃未収入
一金壱万九千八百六拾四円拾壱銭      航海費引当渡
一金四万六千四百七拾五円六拾銭三厘    大修繕費
一金拾万三千五円九銭壱厘         銀行当坐預ケ金
一金弐千弐百六拾壱円九銭八厘       各代理店
一金九万五千八百拾五円四銭六厘      未決算勘定
一金壱万三百円              借用船舶敷金
一金三万千弐百七円九拾銭六厘       雑勘定
一金弐百三拾円壱銭五厘          通貨有高
一金七万九千拾九円六拾三銭三厘      創業入費
  総計金弐百弐拾壱万六百四拾三円七拾六銭二厘也
     会社ノ負債ニ属スル部  貸方
一金拾七万円               政府株金
一金百三拾四万九千三百弐拾五円      人民株金
一金四拾七万円              当坐支払手形
一金弐千八百八拾弐円三拾弐銭弐厘     扱船勘定
一金七万三千百三拾四円拾九銭八厘     未決算預金勘定
一金百五拾円               周旋問屋保証金
一金拾四万五千百五拾弐円弐拾四銭弐厘   総利益金
  総計金弐百弐拾壱万六百四拾三円七拾六銭弐厘也
    損益計算ノ事
     利益金ノ部 貸方
一金四拾三万七千弐百八拾七円弐拾六銭九厘 各船舶運賃
一金四百五拾八円七拾弐銭         扱船手数料
一金八百七拾四円五拾四銭七厘       貸船料
一金弐万八千百九拾九円三拾六銭六厘    雑収入金
一金八千三百五拾弐円五拾六銭五厘     利息
一金百五拾八円拾六銭三厘         庫敷料
  総計金四拾七万五千三百三拾円六拾三銭壱厘也
     損失金ノ部 借方
一金弐拾六万千百九拾五円三拾五銭六厘   各船舶諸経費
一金五千三百八拾四円五拾九銭六厘     割戻運賃及弁償金
一金六万三千五百九拾八円四拾三銭六厘   本支店費
一金拾四万五千百五拾弐円弐拾四銭弐厘   利益金
 総計金四拾七万五千三百三拾円六拾三銭壱厘也
   利益金計算ノ事
 - 第8巻 p.93 -ページ画像 
一金拾四万五千百五拾弐円弐拾四銭弐厘   利益金
  〆
一金四万百三拾四円五拾壱銭壱厘      各船舶第一種積立金
一金弐万七千四百三拾五円四拾銭      同第二種同
一金七万七千五百八拾弐円三拾三銭壱厘   純利益金
  〆金拾四万五千百五拾弐円弐拾四銭弐厘也
    株主配当金ノ事
一金七万七千五百八拾弐円卅三銭壱厘    純利益金
  〆
一金七万六千三百五拾弐円廿八銭八厘    株主配当金
  株金(人民)三百四拾万円ノ内払込既済株金百三拾四万九千三百弐拾五円ノ積数千拾八万三百五円ニ対シ、年九分ノ割ヲ以テ如此
一金千弐百三拾円四銭三厘         後季繰越金
  〆金七万七千五百八拾弐円三拾三銭壱厘
共同運輸会社船舶表○次頁


共同運輸会社創立規約及報告書(DK080003k-0010)
第8巻 p.93-101 ページ画像

共同運輸会社創立規約及報告書       (渋沢子爵家所蔵)
  共同運輸会社第二回実際報告
    共同運輸会社第二回実際報告
明治十七年一月一日ヨリ十二月三十一日迄一週年間本社ニ於テ実際施行シタル業務ノ顛末及諸勘定ヲ整頓シ株主諸君ニ報道スル事左ノ如シ
  ○株式之事
 一資本金六百万円
   此株数十二万株
    内
   金二百六十万円   政府所有
    此株数五万二千株
   金三百四十万円   人民所有
    此株数六万八千株
    此人員五千五百九人
右資本ノ内本年度ニ於テ人民ノ株金ヲ募集スルコト二回(第三回第四回)ニシテ、最初ヨリ年末迄ニ本社ニ領収シテ運用スル資本ノ実額ハ左ノ如シ
    金三百九十万四千三百八十二円
     内
    金百四十七万円    政府ヨリ船舶ヲ以テ下付分
    金二百四十三万四千三百八十二円   人民ヨリ募集ノ分
  ○船舶之事
第一回実際報告ニ於テ明示セル所ノ外国注文ノ滊船ハ過半回着シタルモ、大約皆其期ヲ遅延シタリ、今其回着ノ日ヲ挙レバ
  山城丸 十七年七月九日横浜着
  駿河丸 十七年八月十七日同上
  近江丸 同  九月二十日同上
  陸奥丸 同  九月廿一日同上
  紀伊丸 同  九月廿九日同上
 - 第8巻 p.94 -ページ画像 

図表を画像で表示共同連輸会社船舶表 ×印落成約定年月

                               共同運輸会社船舶表  ×印落成約定年月 所有滊船    現在  船名    船材   船体        寸尺        檣数  登簿噸数        馬力    製造地名         製造年月             遠江丸   鉄製   長二百六十尺    巾三十六尺五五   二本  千百九十七噸四二    百八十   英国ソンデルランド    千八百八十三年                                  深二十三尺三             小菅丸   木製   長二百三十九尺七五 巾三十三尺〇四   三本  七百七十五噸五八    百七五   肥前国西彼杵郡小菅    明治十六年三月                                  深二十二尺〇五             伊勢丸   鉄製   長二百十八尺九一  巾三十一尺七    二本  六百七十一噸八四    百三十   英国スコットランド    千八百八十三年                                  深二十二尺三             尾張丸   鉄製   長二百十六尺四   巾三十一尺五    二本  六百八十四噸〇二    百廿五   英国スコットランド    千八百八十三年                                  深二十尺             越後丸   鉄製   長二百三十九尺五  巾三十尺八三    二本  五百五十一噸一六    百三十   英国ランアルク      千八百八十三年                                  深十七尺             越中丸   鉄製   長二百九尺     巾二十九尺八三   二本  四百九十四噸四七    九十八   英国ソンデルランド    千八百八十一年                                  深十八尺五八             宿禰丸   鉄製   長百九十二尺八三  巾二十四尺九三   二本  三百二十八噸九六    九十    英国グラスゴー      千八百七十八年                                  深十七尺九九             玄武丸   木製   長百九十四尺三三  巾二十六尺七    二本  二百八十六噸八一    七十八   米国ニューヨルク     千八百七十二年                                  深十六尺九             志摩丸   木製   長百四十一尺七九  巾二十尺七九    二本  三百三十七噸七一    六十    摂津国兵庫        明治十六年九月                                  深十四尺二五             壱岐丸   木製   長百十八尺六    巾十九尺一     二本   百三十一噸〇四    八十    肥前国西彼杵郡立神    明治十六年九月                                  深十一尺五             凌風丸   木製   長百三十五尺    巾十九尺四     二本   百六十九噸      五十    肥前国西彼杵郡立神    明治十四年                                  深十二尺二             青森丸   木製   長百十二尺四    巾十四尺五六    二本    九十七噸四二    二十五   摂津国小野浜       明治十五年六月                                  深九尺八             金ケ崎丸  木製   長百十七尺五    巾十六尺一五    二本    二十九噸九六九七  三十    摂津国小野浜       明治十四年三月                                  深六尺七             冲鷹丸   木製   長九十四尺     巾十三尺四     二本    三十七噸七二    二十二   東京石川島        明治九年三月                                  深七尺二五         製造中 山城丸   鉄製   長三百尺      巾三十七尺     二本                    英国ニューカッスル   ×千八百八十四年三月一日                                  深三十尺九             近江丸   鉄製   長三百尺      巾三十七尺     二本                    英国ニューカッスル   ×千八百八十四年五月一日                                  深三十尺九             駿河丸   鉄製   長百七十三尺    巾二十六尺三    二本                    英国ペースレー     ×千八百八十四年三月                                  深十三尺             薩摩丸   鋼鉄製   長二百六十五尺  巾三十五尺六    二本                    英国ヨーカル      ×千八百八十四年                                  深二十七尺三             長門丸   鋼鉄製   長二百六十五尺  巾三十五尺六    二本                    英国ヨーカル      ×千八百八十四年                                  深二十七尺三             相模丸   鉄製   長二百七十尺    巾三十六尺六    二本                    英国ニューカッスル   ×千八百八十四年                                  深二十四尺六             紀伊丸   鉄製   長二百三十五尺   巾三十三尺     二本                    英国グラスゴー     ×千八百八十四年                                  深十五尺六             肥後丸   鋼鉄製   長二百三十五尺  巾三十三尺     二本                    英国グラスゴー     ×千八百八十四年                                  深十五尺六             陸奥丸   鉄製   長百九十尺     巾二十九尺六    二本                    英国ダンバートン    ×千八百八十四年                                  深十三尺六             美濃丸   鉄製   長百九十尺     巾二十九尺六    二本                    英国ダンバートン    ×千八百八十四年                                  深十三尺六             出雲丸   鉄製   長百七十三尺    巾二十六尺三    二本                    英国ペースレー     ×千八百八十四年五月                                  深十三尺  以下p.95 ページ画像              播摩丸   鉄製   長百七十三尺    巾二十六尺三    二本                    英国ペースレー      千八百八十四年                                  深十三尺 所有帆船    現在  経基丸   木製   長百二十六尺    巾二十七尺五    三本   四百〇六噸            東京川崎製船所      明治十六年十二月                                  深十六尺             義家丸   木製   長百三十三尺六六  巾二十五尺六二   三本  三百四十八噸一八          独乙国ハンボルグ     千八百七十六年                                  深十三尺九一             義経丸   木製   長百二十七尺五   巾二十六尺一六   三本  三百二十二噸八五          英国タンテー       千八百六十九年                                  深十三尺二五             為朝丸   木製   長百二十九尺二五  巾二十四尺七五   三本   三百十七噸九六          英国ロンドン       千八百七十五年                                  深十四尺             信玄丸   木製   長百〇七尺五四   巾二十四尺七五   二本    三百十噸五八          英国ソンデルランド    千八百五十八年                                  深十五尺九六             謙信丸   木製   長百三十尺一六   巾二十五尺     三本   三百〇四噸〇六          丁抺国コーペンハーゲン  千八百七十三年                                  深十二尺八             正成丸   木製   長百十一尺六六   巾二十五尺九一   二本  二百九十九噸四八          東京川崎製船所      明治十五年四月                                  深十四尺三三             秀郷丸   木製   長百十七尺九    巾二十四尺三    三本  二百九十三噸八           仏国ナント        千八百七十二年                                  深十四尺             湊川丸   木製   長八十六尺一六   巾二十一尺     二本   百三十五噸一九          兵庫東出町        明治十五年五月                                  深十尺二             加越丸   木製   長八十尺      巾十八尺三八    二本     九十噸            神奈川白峯造船所     明治十四年四月                                  深七尺六         製造中 満仲丸   木製   長百二十六尺    巾二十七尺五    三本    百〇六噸            東京川崎造船所     ×明治十七年一月                                  深十六尺             頼信丸   木製   長         巾         三本                    兵庫川崎造船所     ×明治十七年三月                                  深             頼光丸   木製   長         巾         三本                    兵庫川崎造船所     ×明治十七年二月                                  深 拝借及ビ借用舶 滊船  函館丸   木製   長百六十一尺七   巾二十三尺一    二本    百〇四噸      六十五   横須賀造船所       明治八年三月                                  深九尺四六             矯竜丸   木製   長百二十尺     巾二十二尺二    二本   百三十六噸      百     米国ニューヨルク     千八百七十二年                                  深十一尺             岩内丸   木製   長七十六尺八    巾十五尺六     二本              二十二   横須賀造船所       明治十三年十一月                                  深七尺         帆船  清風丸   木製   長百尺五      巾二十二尺五    二本    二百五噸七二          東京川崎造船所      明治十三年十一月                                  深十二尺四五             西別丸   木製   長百尺五      巾二十尺五     二本   百四十四噸            東京川崎造船所      明治十四年六月                                  深九尺六             千島丸   木製   長四十四尺     巾十一尺二     二本    二十一噸            胆振国室蘭港       明治八年八月                                  深五尺九             第一石狩丸 木製   長五十四尺     巾十三尺五     二本    三十四噸            東京川崎造船所      明治十二年六月                                  深六尺             第二石狩丸 木製   長五十四尺     巾十三尺五     二本    三十四噸            東京川崎造船所      明治十二年六月                                  深六尺            第三石狩丸 木製   長四十七尺     巾十一尺      二本     十三噸            東京川崎造船所      明治十三年十二月                                  深五尺六             第四石狩丸 木製   長四十七尺     巾十一尺      二本     十三噸            東京川崎造船所      明治十二年十二月                                  深五尺六             飛鶴丸   木製   長九十一尺一    巾二十尺      二本    九十六噸            東京川崎造船所      明治十三年三月                                  深九尺             青竜丸   木製   長八十六尺一三   巾十八尺七四          八十四噸            東京川崎造船所      明治十一年九月                                  深七尺一六 



 - 第8巻 p.96 -ページ画像 
  出雲丸 同  十月十一日同上
  相摸丸 同  十月十三日同上
  薩摩丸 同  十月廿五日同上
  美濃丸 同  十二月廿四日同上
右之外当年度中ニ於テ増加シタル船舶類左ノ如シ
  滊船  栄丸
  同   根室丸
  小滊船 室蘭丸
  同   岩内丸
  同   第一横須賀丸
  同   芝丸
  同   深川丸
  同   第四箱崎丸
  達摩船 二十二隻
貨物積卸石炭貯蓄等ノ為メ風帆船ヲ庫船ニ改造セシモノ左ノ如シ
  義経丸
  信玄丸
  加越丸
   ○本分支店出張所代理店荷扱所ノ事、不動産之事略ス。
  ○営業ノ事
当一週年ノ営業ハ之レヲ前年度ニ比スレバ、頗ル面目ヲ改メ大ニ営業ノ体ヲ得タリト謂フヘシ、然レトモ前項ニ記セル如ク新滊船ノ竣功概シテ以《(マヽ)》テ前半季ニ在テハ船舶ノ数依然トシテ前年ニ異ナラズ、依テ業務モ著シキ進歩ヲ見ル能ハサリシガ、後半季ニ到リ山城丸ヲ第一ノ着港トシ、次テ駿河丸・近江丸・陸奥丸・紀伊丸到着シ又次テ出雲丸・相摸丸・薩摩丸、最後ニ美濃丸ノ回着アリ、俄カニ数隻ノ滊船ヲ増加シタレハ大ニ各地ノ気配ヲ惹起シタレトモ、其実際ハ是等ノ各船回着後外国ヨリ運送ノ貨物陸揚ヲ為シ、又一時入渠シテ船底ノ塗替多少ノ修補等ヲ要シ、内地沿海ノ航海ニ適スルノ準備ヲ成ス為メ、少キモ一ケ月余ノ日子ヲ空費スルヲ以テ、其運転ヲ円滑ナラシムルヲ得ス、毎ニ船舶ノ不足ニ苦ミタリ、今玆ニ計画実施シタルモノヽ大要ヲ挙レバ
 横浜四日市間ニ定期航ヲ開ク              (三月)
 酒田土崎両所ヘ出張所ヲ置ク              (同上)
 横浜支店ヲ分店トシ滊船ノ発着ヲ同所ニテ取扱フ事ニ定ム (同上)
 新潟出張所ヲ廃シ更ニ支店ヲ置ク            (五月)
 横浜神戸間ニ定期航ヲ開ク               (七月)
 小樽増毛間ニ定期航ヲ開ク               (同上)
 神戸高知間ニ定期航ヲ開ク               (十二月)
歳晩ニ至リ朝鮮事件ノ起ルニ当リ、本社ノ滊船外務省・海軍省・陸軍省ノ御用ヲ蒙リ、該地ヘ航海セシモノ左ノ如シ
  近江丸
  薩摩丸
  相摸丸
  小菅丸
 - 第8巻 p.97 -ページ画像 
是レ本社設立ノ御命令書中ニ明示セラルヽ兵商二途ノ用ニ供セルモノニシテ、以テ本社営業ノ拡張セル一斑ヲ証スルニ足ラン
当一週年中運搬セシ所ノ航路ノ数及搭載貨物船客ノ数ヲ示ス左ノ如シ
 横浜ヨリ 函館小樽根室間
 同    神戸馬関伏木間
 同    神戸長崎間
 同    亀崎半田間
 同    折ノ浜八ノ戸宮古久慈釜石山田間
 同    石浜間
 同    常州礒原間
 同    函館青森舟川土崎新潟間
 同    神戸馬関伏木新潟間
 同    唐津間
 同    肥前住ノ江間
 同    下田清水間
 同    小笠原島間
 同    函館小樽舟川酒田間
 同    函館寿都小樽間
 同    二見新潟土崎間
 同    神戸岩国間
 同    下田(土州)大坂間
 同    北海道紋鼈間
 同    神戸馬関加露(伯州)函館根室間
 同    函館根室千島間
 同    小名浜間
 同    熱田箕ノ島間
 同    八丈島間
 同    朝鮮仁川上海間
 神戸ヨリ 馬関伏木間
 同    唐津住ノ江間
 函館青森間
 北海道森室蘭間 (定期)
 国後諸島    (同上)
 函館根室間
 北海道沿海諸港ノ間
各航路
 運搬貨物 二十八万六千五百三十九噸
 船客員数 六万七千四百九十九人
  ○船舶被難ノ事略ス。
  ○雑
一御命令書第二条ニ拠レハ、曾テ政府株金中ニ充テ御下付ノ滊帆船原価ニ対スル年二歩ノ利益金、並御貸下船四隻ノ利益ノ百分ノ三ヲ上納スヘキ筈ナレトモ、本年ノ計算ハ収支相支ヘサルヲ以テ、破格ノ御詮議ヲ農商務省ヘ仰キシニ幸ニ免除ヲ蒙リタリ
 - 第8巻 p.98 -ページ画像 
一本年度例式総会ハ一月廿五日ニ於テ開クヘキ旨ヲ報道シ、更ニ本日ニ延期セシハ、既ニ郵書ヲ以テ農商務卿ノ命令ニ依ル旨ヲ株主諸君ヘ通報シタレトモ、今玆ニ所以ヲ報道スヘシ
 去ル一月十三日、農商務卿ハ本社及三菱会社ノ重立タル役員ヲ招喚シ、内閣諸公列席ニテ、両社ニ対スル政府御趣旨ノ有ル所ヲ懇切ニ訓示セラレタリ、其要旨ハ、当初共同運輸会社ヲ設立セシメシハ我カ沿海運輸ノ道ヲ益拡張セシメン為メナルコトハ両社トモ能ク知ル所ナラン、果シテ然ラハ、両社ハ各此ノ趣旨ヲ服膺シテ造次ノ間モ之レニ悖ラサランコトヲ務メ、共ニ与ニ並ヒ進ンテ政府ノ冀図ニ副フヘキ事言ヲ竢タサル所ナリ、然ルニ近時両社ノ状況ヲ視ルニ、営業上動モスレハ競争ヲ事トシテ底止スル所ヲ知ラス、海運ノ元気ヲ阻喪スルノ傾向アリ、是レ実ニ政府カ両社ヲ並立セシムルノ趣旨ニ背馳スルノミナラス、両社ノ為メニモ深ク警戒スヘキ事ナリ、自今以後厚ク注意シ、相互ニ親睦シテ着実ニ営業シ、上ミ政府ノ趣旨ヲ貫キ下モ各自ノ幸福ヲ図ルヘシ
爰ニ於テ農商務卿ハ更ニ左ノ御達ヲ下付セラレタリ
                    共同運輸会社
  其会社及三菱会社業務上互ニ競争ヲ事トシ、海運ノ元気ノ阻喪スルノ懸念不少、当初設立之主旨ニ相戻リ甚タ不都合之至ニ候条、速ニ両社ノ熟議ヲ以テ左ノ件々結約之上、何分之儀可申出、此旨相達候事
   明治十八年一月十三日   農商務卿 伯爵 西郷従道
  一運賃ノ額ヲ定ムル事
  一諸航路ノ出船時限ヲ定ムル事
  一船客貨物周旋営業人ハ両社三菱会社共同運輸会社ノ附属トナスベキ事
  一船長以下海員傭入ニ関スル事
両社ハ各御達ノ御趣旨ヲ遵奉シ、競争防止ノ各条ヲ挙ケ再三商議セシニ、其大体ハ敢テ異議ナキモ、細目ニ於テ両社ノ協議完結セサリシモノアリテ、未タ答申シ能ハサリシカハ、農商務卿ハ左ノ御達ヲ以テ本社ノ株主総会延期ヲ命セラレタリ
                    共同運輸会社
  其会社ニ於テ来廿五日株主総会相開候趣届出候処、右ハ去ル十三日附ヲ以テ相達候件々三菱会社ト熟議未定ニ付、来月十日迄延引可致、此旨相達候事
   明治十八年一月廿一日  農商務卿 伯爵 西郷従道
爾後再三商議ヲ尽シ、二月五日両社々長連署ヲ以テ答申書捧呈セリ、是レ総会延期ノ由縁ナリ
   ○総会決議略ス。
  ○計算之事
    損益
本年度ノ計算ハ、既ニ前述ノ如ク新製ノ滊船概ネ予期ニ後レテ回着シ充分ノ運転ヲ為シ能ハサルノミナラス、運賃ハ秋季以来日一日ト低落シ、之レヲ先年ノ高度ニ比較スレハ殆ント四分ノ一ニ過キサルモノアルニ至ル、是ヲ以テ一周年間全ク運転セシ船舶ニ在テハ其利益ヲ見ル
 - 第8巻 p.99 -ページ画像 
ト雖トモ、後レテ着シタル船舶ニ至テハ収支相償フ能ハス、殊ニ冬季歳晩ニ回着セシモノハ唯支出ノミニシテ未タ収入ヲ得ルナシト云フモ可ナルモノアリ、又陸上ノ経費ニ至テハ船舶ノ遅回ニ拘ラス順次計画ヲ拡張セサルヲ得サルモノアリ、竟ニ全体ノ計算上二万五千四百二円卅八銭四厘ノ損失トナリ、第一・第二ノ積立金ハ勿論、株主諸君ニ配当スヘキ利益ナケレハ、其配当ニ充ンコトヲ謀リ、定款第五十八条ニ記セル第三種ノ積立金ヲ為シ得ル場合ニ於テ返納スヘキ予定ヲ以テ相当ノ金額ヲ貸与セラレンコトヲ政府ニ請願セシニ、政府ハ特殊ノ恩典ヲ以テ金十六万円ヲ貸付セラルヽコトヲ聞届ラレタリ、依テ前述ノ二万五千四百二円卅八銭四厘ノ損失ハ明治十八年ニ於テ之レヲ償却スヘキモノトシテ、貸与ノ金額ヲ以テ株主諸君ノ配当ニ充ントス
    積立金
明治十六年度ニ於テ、定款第五十六条ニ従ヒ第一種ニ四万百三十四円五十一銭一厘ヲ積立タレトモ、同年度ニハ帆船神倉丸ノ沈没アリテ、其船価三万四千百二十九円五十四銭七厘ヲ第一種積立金ニテ償却シ、残六千四百円九十六銭四厘ヲ以テ本年度ニ越ル第一種ノ積立金トス
又定款第五十七条ニ従ヒ第二種ニ二万七千四百三十五円四十銭ヲ積立タレトモ、同年度中大修繕ニ四万六千四百七十五円六十銭三厘ヲ費シタレハ、該積立金ハ悉皆此内ヘ償却シ尽シタレハ、本年度ニ於テハ第二種ノ積立金ナシ
本年度ニ於テハ前述ノ如ク営業上利益ヲ得サレハ積立金ヲ成ス能ハス
    勘定
     会社ノ資産ニ属スル部  借方
一金八拾八万弐千百八拾弐円拾銭四厘   滊船元価
一金参拾九万弐百八円七拾壱銭弐厘    帆船元価
一金弐百廿七万弐千参百六拾八円廿銭六厘 船舶購入内金
一金六万七千七百弐拾六円弐厘      小蒸気船元価
一金五万七千七百六拾壱円八拾八銭八厘  艀船元価
一金六万六千四百八拾弐円四拾参銭参厘  庫船元価
一金拾弐万参千八百参拾四円参拾銭四厘  不動産
一金弐万千九拾四円四拾七銭五厘     公債証書
一金七万六百七拾弐円七拾参銭弐厘    船舶用貯品
一金壱万弐千四百五拾壱円六拾五銭    什器
一金四万千九百参拾弐円八拾壱銭参厘   運賃未収入
一金壱万弐百六拾八円四銭弐厘      航海費引当渡金
一金七万六千六百九拾壱円七拾八銭弐厘  大修繕費
一金壱万五千百弐拾六円廿六銭九厘    銀行当座預ケ金
一金六万八千七百八拾九円九拾壱銭七厘  各支店及代理店
一金八万九千六百四円拾銭七厘      未決算勘定
一金九千円               払下ケ船証拠金
一金壱万六千八百八拾七円五拾銭     雑勘定
一金六百参円弐拾壱銭九厘        通貨有高
一金九万五百四拾五円六拾参銭四厘    創業入費
一金弐万五千四百弐円卅八銭四厘     損失金
 - 第8巻 p.100 -ページ画像 
  総計金四百四拾万九千六百参拾四円拾七銭九厘
     会社ノ負債ニ属スル部  貸方
一金百四拾七万円           政府株金
一金弐百四拾参万四千参百八拾弐円   人民株金
一金六千四円九拾六銭四厘       第一種積立金
一金四拾五万五千円          当座仕払手形
一金四万参千参百四拾七円弐拾壱銭五厘 未決算預リ金勘定
一金九百円              周旋問屋保証金
  総計金四百四拾万九千六百卅四円拾七銭九厘
    損益計算ノ部
     利益金  貸方
一金百万四千六拾六円参拾壱銭八厘   各船舶運賃
一金壱万参千七百五拾円        御補助金
一金千参百九拾円九拾九銭四厘     扱船手数料
一金参万九百拾四円五拾九銭七厘    雑益金
一金千九百八拾四円参拾九銭八厘    利足
一金六百七拾八円七拾銭参厘      庫敷料
一金千弐百参拾円四銭参厘       前季繰越金
一金弐万五千四百弐円参拾八銭四厘   損失金
  総計金百七万九千四百拾七円四拾参銭七厘
     損失金  借方
一金八拾四万七千九百拾九円参拾参銭七厘 各船舶諸経費
一金五万九百八拾九円六拾五銭七厘    割戻運賃及弁償金
一金拾八万五百八円四拾四銭参厘     本支店費
  総計金百七万九千四百拾七円四拾参銭七厘
一金拾六万円      御貸下金
  募集株金ニ割合壱ケ年八分壱厘六毛
右昨明治十七年一月一日ヨリ十二月三十一日迄実際報告農商務卿ノ御認可ヲ蒙リ候間、此段御通知申上候也
                 共同運輸会社
  明治十八年三月三日         社長
                      伊藤雋吉
                    副社長
                      遠武秀行
                    取締役兼理事
                      小室信夫
                    同同
                      堀基
                    取締役
                      益田孝
                    同
                      渋沢喜作
                    同
                      藤井三吉
 - 第8巻 p.101 -ページ画像 
  ○三菱会社モ共同運輸会社トノ競争ニ於テ次記ノ如キ欠損ヲ生ゼリ。(単位千円)
         十四年度   十五年度   十六年度   十七年度   十八年度
   △収入合計 五、八八一  四、八八九  三、七三五  三、〇二六  二、〇一九
   △支出合計 五、〇八五  四、三二九  三、七八一  三、二四三  二、二二六
         (昭和七年七月刊「荘田平五郎」第四三五頁ニヨル)



〔参考〕明治史第五編交通発達史(「太陽」臨時増刊) 第二一九―二二〇頁〔明治三九年一一月〕(DK080003k-0011)
第8巻 p.101-102 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕東京日日新聞 第三四一三号〔明治一六年五月一日〕 共同運輸会社(DK080003k-0012)
第8巻 p.102-104 ページ画像

東京日日新聞  第三四一三号〔明治一六年五月一日〕
    共同運輸会社
共同運輸会社ハ昨日(四月三十日)ヲ以テ株主総会ヲ木挽町ナル旧ノ明治会堂ニ開キテ其取締役ヲ撰定シタリ、此総会ニ於テ其社長伊藤雋吉(欧洲出張)・副社長遠武秀行・創立委員益田孝・小室信夫・渋沢喜作・堀基・藤井三吉・原田金之祐ノ諸君ガ公ニ株主ニ報告セラレタル所ヲ以テスレバ大ニ世上ノ望ニ副フベキ者アルハ吾曹ガ疑ハザル所ナリ、此ノ共同運輸会社ハ去年七月廿六日、農商務卿ヨリ下付セラレタル命令書ニ遵ヒテ各地ノ発起人総代ハ同年十月ヲ以テ東京ニ集合シテ定款ヲ議決シ、創立ノ規約ヲ定メ、創立委員六名ヲ選挙シテ之ニ付スルニ権ニ取締役ノ権限ヲ以テシ、又政府ハ命令書第十一条ニ拠リ伊
 - 第8巻 p.103 -ページ画像 
藤雋吉・遠武秀行ノ二君ガ海軍非職ノ将校ニシテ尤モ航運ノ業ニ通暁ナ《(セ)》ルヲ以テ之ヲ特選シテ正副社長ニ命ゼラレタリ、然ルニ此ノ会社ノ創立ニ関シテハ、我国ノ航海事業ニハ最モ勢力アリテ時メキタル三菱会社ハ、此ノ創立ノ計画アルヲ聴クヤ否ヤ大ニ之ヲ不可ナリトシ、特ニ岩崎弥之助君ヲ以テ一篇ノ意見書ヲ作リテ当路ニ差出シ、攻撃ヲ試ルノ状ヲ示シタリ、之ニ次テ都鄙ノ人心ヲ影響スルニ足ルベキ新聞紙中ニテ、就中其改進党ノ論紙ナリト認メラルヽノ新聞ハ概ネ三菱ノ意見ニ同意ヲ表シ、政談弁士ノ如キモ亦公ナル演説ニ於テ之ヲ助クルノ余勢ハ、遂ニ共同運輸会社ヲシテ隠々ノ間ニ於テ幾分カ其創立ノ進路ニ障碍アラシメントスルニ至レリ、然レトモ如是ノ伎倆ハ素ヨリ公利公益ノ為ニスルノ事業ヲ遏止セシムルコト能ハザル而已ナラズ、偶々却テ強盛ナル駁撃ヲ喚起シ、所謂毛ヲ吹テ疵ヲ求メタルニ異ナラザリケレバ、共同運輸会社ノ創立ハ今日ニ必要ナリト云フコト世上ニ於テハ復タ争フ可カラザルノ公論トナリテ、其ノ会社ノ役員ハ絶エズ反対ノ攻撃ニ会フニ係ラズ、又特ニ商情衰縮シテ株金ヲ募集スルニハ尤モ適当ナラザルノ時ニ際セルニ係ラズ、今日ニ於テハ将ニ其創立ノ功ヲ全クスルニ及ベリ、是レ其役員諸君ノ非常ノ勉強ト政府ノ特別ノ保護トニ由リテ然ルナリト雖モ、抑亦世上ノ公論コレヲ補賛スル与リテ力アルガ故ニ非ズヤ
共同運輸会社ノ資本金額ハ初メ之ヲ三百万円ト定メ、政府ヨリ百三十万円ヲ出シ、他ノ株主ヨリ百七十万円ヲ募ルベキ見込ナリシガ、会社ニ於テハ三百万円ニテハトテモ目的ヲ達スルニ足ラザルナリトシテ、更ニ資本増加ノ議ヲ興シテ之ヲ六百万円トナシ、政府ヨリ二百六十万円ヲ出シ、他ノ株主ヨリ三百四十万円ヲ募ルベシト議決シテ其旨ヲ出願シタルニ、政府ニテ之ヲ許可セラレタリ、依テ政府ノ持株二百六十万円ノ内ニテ初定ノ百三十万円ハ、既ニ政府ニ於テ戦時海軍ニ適用ノ速力十三里ヲ駛ルベキ堅牢ノ大滊船二隻ノ製造ニ着手シ、其剰余ヲ以テ滊船風帆船ヲ製造シテ下付スベシトテ疾ニ着手セラレ、又増加ノ百三十万円ハ来ル明治十八年ヨリ下付スベシト指令セラレタリ、而シテ今般下付ノ長崎工作分局製造滊船ノ小菅丸ノ如キハ、右ノ増加額百三十万円中ヨリ支出ナルト云ヘバ、政府ヨリ下付ノ株金ハ人民株主ノ出金ニ比スレバ大ニ其払込期限ヲ早クシテ此ノ会社ニ便利ヲ与ヘラレタリ、偖テ人民株主ヨリ募集ノ株金ハ総高三百四十万円ノ内ニテ、本年四月下旬マデニ僅ニ半年ナラザルニ已ニ二百十万七千五十円ノ申込ヲ得タリト云ヘリ(此内ニテ六十七万三千四百八十五円ハ既ニ払込金高ナリ)或ハ此ノ募集ノ十分ノ六強ニ充ルヲ見テ之ヲ皮相シテ稍々不振ノ状勢アリト云者アラン乎、是レ太ダ実際ヲ知ラザルノ妄評ナルノミ社長・委員ノ報告ニ拠レバ、昨今尚ホ募集中ニテ、加盟ノ承諾アリテ株高ノ申込ナキ者アリ、又株高ノ申シ込アルモ尚ホ各地ニ於テ取纏メ中ノモノアリ、現ニ府下ノ如キモ未ダ帳簿ニ謄録スルノ場合ニ至ラザル者アリテ、是等ハ皆此ノ報道ノ外ナリト云ヘバ、啻ニ不振ノ状勢ナキ而已ナラズ、株主満員ノ日ハ蓋シ太ダ近キニ在ルベシ、是ノ商業衰縮シ金融停滞ノ今日ニ於テ、斯クモ巨額ノ株金ヲ募集シ得ラルヽノ一事ヲ以テ、明ニ此ノ共同運輸会社ノ設立ハ輿論ノ挙テ補賛スルヲ証ス
 - 第8巻 p.104 -ページ画像 
ルニ足ル者ナリ
偖コノ会社ノ事業ニ必要ナル船舶ハ如何ト観ルニ、其報告ニ拠レバ、東京風帆船会社・北海道運輸会社・越中風帆船会社ノ三社ヲ合併シテ其所有船ノ中ニテ船体ノ検査ヲ受ケ定款ニ照シテ合格スルモノヲ引受ケタルニ、其船数ハ滊船一隻・風帆船十五隻ナリト云ヘリ、此外ニ曾テ開拓使所轄ノ玄武丸ヲ初トシテ、滊船四隻・風帆船七隻ハ農商務卿之ヲ貸シテ現ニ共同運輸会社ノ用ニ供セシメラル、然バ則チ現時此ノ会社ノ旗章ニテ航運スル船舶ハ、所有船ト拝借船トヲ併セテ僅々滊船五隻・風帆船廿二隻ニ過ギザレバ、今日ニテハ中々ニ三菱ニ対立スルコト能ハザルコト勿論ナリト雖モ、此会社ハ近日ニ滊船小菅丸ヲ得ベシ、此ノ小菅丸ハ良材堅牢ノ新造滊船タルコト世人ノ能ク知ル所ナリ、又伊藤雋吉君ハ既ニ英国ニ赴キテ新造滊船四隻ヲ買入レタリト云ヘバ、此ノ四隻ハ今ヨリ三四ケ月ノ後ニハ我国ニ来着スベシ、又新製ノ大滊船二隻ハ共ニ凡一ケ年ニシテ落成スレバ、是モ二隻ナガラ来年春夏ノ交ニハ来着スベシト云ヘリ、左レバ此会社ハ恰モ其創立ノ一週年期ニハ滊船十隻・帆船廿二隻ヲ運使シ、又一年ニシテ大滊船二隻ヲ増加シ、又年々ニ増加スベキヲ以テ、吾曹ハ今ヨリ其数年ナラズシテ儼然三菱ト相対シテ倶ニ我沿海ノ運航ヲ盛大ナラシメ、大ニ公衆ヲシテ其便ニ依ラシメ其利ヲ得セシムルノ実効ヲ見ルベシト信ズルナリ、今ヤ吾曹ハ其報告ヲ得テ社長・委員ノ尽力ニ満足ヲ表スルノ叙ヲ以テ併セテ其社長・取締役ノ諸君ニ告グ、政府ノ斯ノ如ク共同運輸会社ニ特例ヲ与ルハ公衆ヲ利セシメンガ為ナリ、一会社ニ私スルガ為ニ非ザルナリ、諸君、請フ、深ク此意ヲ体シテ公利公益ノ為ニ始終スルノ義ヲ忽ニスルコト勿レ