デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
1節 海運
2款 共同運輸会社
■綱文

第8巻 p.104-125(DK080004k) ページ画像

明治18年8月15日(1885年)

共同運輸会社ト三菱会社ノ角逐ハ双方多大ノ損失ヲ招キ竟ニ疲斃ノ憂ヲ生ズ。之ガ為メ政府共同運輸会社正副社長ノ更迭ヲ断行シテ局面収拾ヲ策シ、尋デ両社合併ノ外途無キヲ看取スルヤ、之ヲ両社ニ内諭ス。然ルニ三菱会社側之ヲ諒トスルモ、栄一外共同運輸会社側ノ取締役若干名ハ初メ反対ヲ唱ヘシガ、ヤガテ翻意シテ政府ノ勧諭ニ従フ。乃チ是日共同運輸会社臨時株主総会ヲ招集シ、三菱会社ト合併セル新汽船会社ノ設立ヲ決議ス。


■資料

雨夜譚会談話筆記 下巻・第八一四―八一五頁〔昭和二年一一月―昭和五年七月〕(DK080004k-0001)
第8巻 p.104-105 ページ画像

雨夜譚会談話筆記  下巻・第八一四―八一五頁〔昭和二年一一月―昭和五年七月〕
                     (渋沢子爵家所蔵)
    第二十九回雨夜譚会 ○昭和五年五月廿一日於丸ノ内渋沢事務所
○中略
植村○澄三郎「共同運輸会社と三菱の汽船会社との競争の時にも子爵は仲裁にお立ちになつたのでございますか」
先生「イヤ私は仲裁よりも共同運輸の方の一人でした。あの時は益田
 - 第8巻 p.105 -ページ画像 
孝氏等が『如何にも三菱のやり方は日本の実業界を我物にしやうと云つたやうだ』と云つて、最初風帆船会社を創立したが、更に共同運輸会社を造つた。そして三菱に対抗して頻りに争つたため、井上さんと西郷従道さんが『喧嘩させてはいかぬ、それは三菱の方でも少し遠慮するやうに』と云つて落着した、即ち両社が合併して日本郵船会社となつたのである」


実業之世界 第七巻第六号・第二〇頁〔明治四三年三月一五日〕 余の精神上に一新紀元を劃したる故伊藤公の忠言(男爵渋沢栄一)(DK080004k-0002)
第8巻 p.105 ページ画像

実業之世界  第七巻第六号・第二〇頁〔明治四三年三月一五日〕
  余の精神上に一新紀元を劃したる故伊藤公の忠言
                    (男爵渋沢栄一)
他人の非を挙げて自分を証拠だてる
 今猶、思ひ出しても実に慚愧に堪えないのは、此間亡くなられた伊藤公から曾て忠告された言葉である。それは、共同運輸会社と三菱汽船会社とが激烈な競争をして居た頃でもあつたらうか、私は大蔵省を辞してから間もなく共同運輸会社の相談役になつて居た。当時、共同運輸会社の人達は三菱汽船会社の行り方が余りに悪辣を極めて居ると言ふので、非常に憤慨して居た。其結果、当路の大臣に向つて、具に其事情を陳述して、何んとか制裁をして貰うと言ふ事になつた。処が会社の人達の中にはこの役目を果すに適当な人が居ない。幸ひ、私はこれ迄官途に就いて居たから知己も多からうと言ふので、是非ともこの役目を果たして貰ひ度いと言つて来た。其処で私は会社の人達の意嚮を聞いて、伊藤公を其官邸に訪ねた。
 私は伊藤公に会ふと、まづ会社の人達から聞き取つた種々の事柄を並べて、三菱汽船会社の行り方を非難攻撃した。処が、伊藤公は私の話には一言も挿まない。私が言ふ可き事をすつかり言つてしまふと軈て膝を進めて言ひ出した『どうも渋沢君も奇妙な事を言はれる、自分の善い事を言ふのはまづ宜いとしても、それを証拠立てる為めに人の悪い事を挙げると言ふのは、士君子の与しない処である。実に卑怯な行り方である、恁う言ふ事はお互に慎まなければならない。況して君の如きは、事業界から立派な人物だと言はれて居る、恐らく君自身も亦爾う思つて居るに違いない、そう言ふ君からして、恁う言ふ事を言ふやうでは困るじやないか、お互に慎まなくてはならない。』と言はれた時は、実に穴にでも入り度くなつて、殆んど顔をあげる事は出来なかつた、素より私は爾ういふ意味で言つた訳ではないが、恁う言はれて見ると、始めて其非なる事を泌々悟つたのである。それ以来私は自分の言動に少からず注意を払ふやうになつた。伊藤公のこの忠言は私の精神修養上に与つて最も力のある一言である。


竜門雑誌 第四八一号・第六二号〔昭和三年一〇月二五日〕 渋沢子爵と郵船会社(伊藤米治郎)(DK080004k-0003)
第8巻 p.105-106 ページ画像

竜門雑誌  第四八一号・第六二号〔昭和三年一〇月二五日〕
  渋沢子爵と郵船会社  (伊藤米治郎)
    日本郵船会社創立以前の関係
○中略
 共同、三菱合併と子の尽力 それから後は共同運輸会社対三菱汽船会社の競争は不断に行はれ、我国経済史上稀れに見る程度の激烈さを
 - 第8巻 p.106 -ページ画像 
加へ、其の結果両社共損失を重ねて将に倒れんとするの苦境に陥つたが、其の窮極する処遂に合併の機運を促がし、明治十八年十月一日日本郵船会社の創立を見るに至つたのは世人の克く知る所である。
 然しながら、両会社の合併実現までには多くの時日を要し、又た其の経緯も決して簡単なものではなかつた。十八年の夏両社合併の議の初めて起つた時、三菱汽船会社側は、社長岩崎弥之助氏の独断で合併を決したが、共同運輸会社側では、社長の森岡昌純氏一人を除き他は殆んど悉く合併に同意せず、為めに局面は全く行き詰らうとした。
 此の時に際して、渋沢子が其の前長官井上馨氏の意向を諒して極力同僚を説得し、遂に合併を実現せしめた尽力と功績は実に多大なものであつたのである。


廻議録 会社明治一八年自一月至六月(DK080004k-0004)
第8巻 p.106 ページ画像

廻議録 会社明治一八年自一月至六月   (東京府庁所蔵)
    社長交代之儀ニ付御届
本社々長交代之儀ニ付、農商務卿ヨリ別紙ノ通御達相成リ、一昨十三日事務引継相済候間、此段御届申上候
             日本橋区箱崎町三丁目一番地
                   共同運輸会社
                  支配人
                    太田原則孝
   東京府知事 芳川顕正殿
右届出ニ付奥印候也
          東京府日本橋区長 中山孝麿

(別紙)
    御達写
                    共同運輸会社
今般其会社々長伊藤雋吉並副社長遠武秀行義ハ海軍省ニ於テ必要ニ付復職之義照会有之候ニ付、右社長副共差免、更ニ非職農商務少輔森岡昌純ヘ社長申付候条、此旨相達候事
 明治十八年四月十三日
             農商務卿 伯爵 松方正義
  ○同会社伊藤社長並ニ遠武副社長ヲ免ジテ海軍ニ復帰セシメ、明治十八年四月社長ニ森岡昌純ヲ、同年六月副社長ニ加藤正義ヲ就任セシメタルハ、政府テ於テ三菱共同運輸両会社ノ危急ヲ収拾センガ為メニハ両社合併以外ニ途ナキト看取シ、此事ニ当ラシムベキタメノ措置ト信ゼラル。森岡社長ハ両社合併ニ関スル政府ノ内諭ヲ受ケタルニ当会社幹部ニ反対論アリテ決セザリシガ、他面川村海軍卿ノ合併ニ賛成スルアリ、玆ニ森岡社長ハ意ヲ決シ、後掲七月十二日附上申書ヲ西郷農商務卿ニ呈シテ、両社合併スルノ急務ナル所以ヲ開陳セリ。
   他方三菱側ノ川田事務総監ハ、岩崎弥太郎ノ病篤キヲ告グル頃ヨリ私ニ井上外務卿ト接触ヲ保チ、十八年ノ夏夏井上卿ノ内意ニ基キ、偶々西下セル伊藤宮内卿・松方大蔵卿ト大阪ニ会シテ両社合併ノ諒解ヲ得タリ。斯クテ全ク両社合併ノ機運ヲ促スニ至レリ。


日本郵船会社創設記 第三五―六七丁(DK080004k-0005)
第8巻 p.106-109 ページ画像

日本郵船会社創設記  第三五―六七丁
                 (日本郵船株式会社所蔵)
 - 第8巻 p.107 -ページ画像 
    第四 三菱会社及ヒ共同運輸会社ノ合併
明治十八年共同運輸会社、三菱会社ノ両社営業上ノ競争再ヒ熾ンニシテ、固ヨリ不得已ノ情状如何トモス可ラサレトモ、外ハ政府及ヒ公衆ニ対スル便利ヲ欠キテ外国ノ同業者ヘ侵入ノ機会ヲ与ヘ、内ハ社業会計ニ於テ収支処ヲ異ニシ各々自滅ヲ招クノミ、寔ニ公私ノ為メ傍観ス可キニアラサルヲ以テ、共同運輸会社々長森岡昌純氏ハ大ニ顧省スル所アリ、同年七月意ヲ決シテ左ノ内申書ヲ政府ヘ捧呈シタリ
     内申書
 森岡昌純謹テ内申仕候、抑我共同並ニ三菱両会社近来営業上ノ困難ナル事実ハ政府ノ夙ニ熟知セラルヽ所、今更喋々ノ弁ヲ要セサルナリ、然リ而シテ当社営業上収支ノ概計ヲ考フルニ、本年一月ヨリ五月ニ至ル五ケ月平均収支差引毎月金弐万五千余円ノ損失ニ当レリ、彼ノ競争未タ甚シカラサル以前ニ於テ已ニ此ノ如シ、然ルニ其後競争愈々劇シク、実ニ底止スル所ヲ知ラサルナリ、蓋シ競争ハ業体自然ノ勢ヒニシテ、会社両立スル以上ハ決シテ制止スルコト能ハサルモノトス、故ニ当一周年ノ収支差引上ニ於テハ平均一ケ月尠ナクモ五万円以上ノ損失トナルハ必然ニシテ、即チ一ケ年金六拾余万円ノ損失トス、其他已ニ発行セシ約束手形・船舶買入代払残・船舶修繕費・会社諸経費等本年支払フヘキモノト、其収入スヘキ株金及ヒ現在金等差引金弐拾三万余円ノ不足ヲ生セリ、且又当社ハ全ク人民ニ於テ組織セシ普通ノ民立会社トハ大ニ異ナル所アルヲ以テ、株主ニ対シ凡年八朱内外ノ配当ハ必ラス為サヽルヘカラサルナリ、其金凡弐拾三万余円トス、其外金弐拾万余円ノ準備ハ是亦欠クヘカラサルナリ、以上四項ノ金額ヲ通計スレハ、尠ナクモ本年ノ不足高金壱百〇三四万円ニ下ラサルコト既ニ明カナリ、蓋シ三菱会社ニ於テモ亦莫大ノ損失ヲ醸スコト推シテ知ルヘシ、嗚呼両社ノ本分タル、損失ヲ避ケ利益ヲ謀ルヘキ営利事業ニ在リナカラ、已ニ計算上損益得失ノ境界ヲ超越シ専ラ競争場裏ニ勝敗ヲ事トシ、所謂条理モ兵間ニ黙シ徳義モ計算モ一切措テ顧ミルニ遑ナク、浸々互ニ猖獗ヲ逞フシテ以テ勢ヒ底止スル所ヲ知ラサル目下ノ現状、寔ニ言語道断ノ始末ナリ、左ラハトテ一方ニ於テ自ラ警誡シ、苟クモ一歩ヲ緩フスル所アラハ、他ノ方之ニ乗シ勝敗ノ分忽チ別リ、存廃ノ機随テ定マル、此ヲ以テ互ニ死力ヲ尽シ相争フテ止ムコト能ハサル所ナリ、斯ル場合ニ於テ両社ノ間ニ契約ヲ訂結セシムル等ハ畢竟猛火ノ一滴水ノミ、何ノ効カ之レアラン、否ナ薪上ニ坐シテ其焼毀セサルヲ冀フニ似タリ、到底其望ヲ達シ得ヘキモノニアラサルナリ、之ヲ要スルニ同業会社ヲシテ両立セシメントスル以上ハ競争如此ニ至ルハ固ヨリ理勢ノ当然ニ出ルモノニシテ、決シテ偶発ノ数ニアラサルナリ、故ニ両社ノ両立スル限リハ随テ競争止ムトキナシ、競争止マサレハ損失愈愈多シトス、其結果云フヘカラサルノ惨状ヲ極メ、竟ニ我国運輸ノ盛衰ニ一大関係ヲ及ホシ、或ハ時ニ漁人ノ利ヲ占ムル者ナシトモ予シメ保シ難キノ過慮ヲ惹クニ至ル、豈ニ容易ノ一小事ナランヤ、夫レ本邦ハ環海ノ国、航海運輸ノ全権宜ク政府ニ属スベシ、希クハ政府速ニ一刀両断ノ処置ヲ行ハレ、断然共同・三菱ノ両会社ヲ合併シ
 - 第8巻 p.108 -ページ画像 
以テ適当ノ一会社ヲ確立セシメ、而シテ重立タル役員ノ撰任、運賃ノ定額ヲ始メ、凡テ重要ノ事件ハ悉ク政府ニ於テ裁定スルモノトシ充分干渉保護ノ策ヲ採リ、以テ彼ノ競争互敗ノ病根ヲ断チ、永ク我国運輸拡張ノ基礎ヲ定メラレンコトヲ切望ニ堪ヘサルナリ、蓋シ今日ノ儘ニシテ一日ヲ経過スレハ則一日ノ害ヲ積ム、焦眉ノ急目下ニ迫ル、黙止スルコト能ハス、敢テ威厳ヲ冒シ卑見ノ概略謹テ内申仕候也
   明治十八年七月十二日
                 共同運輸会社々長
                     森岡昌純
    農商務卿 伯爵 西郷従道殿

政府ニ於テハ共同三菱会社ノ終ニ合併セサル可カラサルヲ知リ則チ共同運輸会社ヘ左ノ如ク達シタリ
 乾船第七四号
                    共同運輸会社
 其社業務上重大之件ニ付株主総会ニ諮問可致儀有之候条、至急臨時総会可相開、此旨相達候事
  但開会之日限速ニ可申出事
   明治十八年七月廿八日 農商務卿 伯爵 西郷従道
而シテ三菱会社ヘモ亦合併ノ趣意ヲ伝ヘ勧諭スル所アリシカ、八月一日同会社々長岩崎弥之助氏ハ、政府ノ趣旨ヲ奉体シテ左ノ請書ヲ差出シタリ
 弥之助謹テ按スルニ、海運ハ平時戦時ニ論ナク国家富強ノ大本ニシテ、其盛衰ハ一国ノ盛衰ニモ関スルヲ以テ、洋中ニ屹立シテ邦ヲ為シ万国ト対峙セント欲スルニハ、英国ノ如ク海運ヲ奨励シテ隆盛ナラシメザル可カラザルコトヽ奉存候
 先代弥太郎儀、明治ノ初メニ当リ、此ニ見ル所アリテ専ラ志ヲ海運ニ注キ、同志ト相計リテ我カ海運ヲ隆盛ニシ、内ハ以テ運輸交通ヲ便ニシテ物産ノ繁殖ヲ助ケ、外ハ以テ外船ノ我カ沿海ニ跋扈スルノ害ヲ制シ、進ンテ航権ヲ万里ノ海外ニ争ヒ、旭旗ヲ欧米ノ港湾ニ翻ヘサンコトヲ期望シ、此ニ於テ此ノ事業ヲ創メ、多年刻苦経営仕候処、明治七八年ニ至リテ其微衷貫徹シ、大ニ政府ノ御保護ヲ蒙リ、内ハ以テ各地交通ノ便ヲ開キ、外ハ以テ英米二国ノ郵船ヲ内海ヨリ退クルヲ得候ニ付、漸次進ンテ海外諸港ヘ航シ、以テ宿志ヲ達センコトヲ欲シ、専ラ精神ヲ此ニ注キ、拮据勉励罷在候中、共同運輸会社ノ設立アリテ俄カニ船舶ノ数ヲ増加シ、運輸物産トノ権衡ヲ失ヒ両社ノ収支相償ハサル所ヨリ、遂ニ双方ノ競争ヲ牽キ起シ、損害日ニ益々甚シク、其困難ハ実ニ名状スベカラザルノ極度ニ至シ、本邦海運ノ全体ハ殆ント土崩瓦解ノ勢ニ立チ至リ候、若シ今ニシテ之ヲ救済セス此儘ニ放棄シ置カハ、外船必ス其機ニ乗シテ我カ沿海ニ闖入シ、政府ヨリ巨万ノ大金ヲ費シテ多年御保護有之候沿海ノ航権モ遂ニ外船ノ手ニ帰シ可申カト、悲痛慨歎ノ至ニ堪ヘス候、抑々弥太郎儀、微力ヲ以テ海運ノ事業ヲ創設シ、百難撓マズ、常ニ本邦ノ海
 - 第8巻 p.109 -ページ画像 
運ヲ海ノ内外ニ拡張スルヲ以テ己ガ任トナシ、思ヲ苦メ慮ヲ焦シ、社務ヲ改良シ人員ヲ精選シ実力ヲ養フノ時ニ際シ、共同運輸会社ノ創立アリシヨリ已来追々内地ノ事業ニ困難ヲ来タシ、航路ヲ外ニ延スノ遑ナキノミナラズ、既ニ数十万円ヲ擲チテ多年辛苦経営セシ香港ノ航路スラ一旦中止セサル可カラサルノ厄運ニ立チ至リ候、然レトモ彼レガ此ノ事業ヲ拡張スルヲ以テ自カラ任スルノ宿志ハ寸毫モ淪ラス、始終一ノ如ク常ニ社員ヲ奨励シテ曰ク、我カ海運ノ困難ハ既ニ其ノ極度ニ達シタリト雖トモ、久シカラズシテ時運循環素志ヲ達スルノ時機亦到ルヘシ、一時ノ困難ハ耐忍シ以テ時ノ来ルヲ待ツベシト、然ルニ不幸ニシテ事業未タ目的ノ半ハニ至ラスシテ死去仕リ、弥之助、不肖ノ身ヲ以テ其後任ヲ承ケ、爾来痛ク費用ヲ減シ、着実ヲ旨トシ、社中ト誓ヒ、精神ノアラン限リ資力ノ続カン限リハ政府ノ御趣意ヲ奉体シ、弥太郎ノ遺志ヲ継キ、此ノ海運ヲ負担スルノ光栄ヲ得テ粉骨砕身、誓テ此ノ事業ヲ完成仕度精神ニ有之候得共既ニ本年三月十八日悃願モ仕リ、猶又七月七日御内諭ノ御趣意ニヨリ奉答モ仕リ置キ候如ク、今日我カ邦海運ノ有様ハ、此儘ニ放棄シ置カバ到底廃滅ニ帰スルノ外コレアルベカラズ、今此ノ困難ヲ挽回センニハ、更ニ政府無限ノ御保護ニヨルカ、否ラザレバ止ムコトヲ得ズニ社ヲ合シテ一トナシ、冗費ヲ汰シ遊員ヲ減シ、前途ノ針路ヲ一定シ、全力ヲ合セテ之ニ従事スルノ外他ニ法策アルベカラズ、就テハ政府ニ於テ海運今日ノ困厄ヲ御救済アラセラレ、此ノ事業ヲ御拡張遊ハサルベキ公平ノ御趣意ヲ以テ、両社合併ノ御廟議御決定相成リ候上ハ、タトヒ三菱ノ旗号ハ倒レ、内外人ニ対スル名誉上実ニ忍フヘカラザルノ事情コレアルトモ、国家ノ大計ト公議ノ如何ニヨリテハ、弥之助等此事業ニ従事スルト否トヲ論ゼズ、勉メテ政府ノ御趣意ヲ貫徹セシメ候様可仕、決シテ頑陋執拗私心ヲ主張シ、以テ我カ国海運ノ全体ヲシテ瓦解ニ至ラシメ候様ノ議ハ仕ル間敷候、斯ク決心仕候ハ私情ニ於テ実ニ難忍候得共、畢竟政府従来ノ恩遇ヲ重ジ、併セテ海運事業ノ隆盛ヲ熱望スルノ衷情ヨリ相起リ候儀ニ付、宜敷御垂憐ノ上可然御処分被成下度、此段謹ンテ上申候也
   明治十八年八月一日
                郵船汽船三菱会社々長
                      岩崎弥之助
    農商務卿 伯爵 西郷従道殿
  ○上掲明治十八年七月十二日付社長森岡昌純呈出ノ内申書ハ日本郵船会社所蔵書類第二号函中ニモ同文写アリ。而シテ之ニ左記ノ如キ附箋ヲ附ス。
   (朱書、加藤正義筆)
    此書面ハ、明治十八年七月、三菱・共同両社競争中共同運輸会社々長森岡氏ノ意見ヲ西郷農商務卿ニ内申シタルモノナリ、但該会社役員ノ意見ヲ聴キタルモノニ非ス、畢竟森岡氏一己ノ所見ニ出テタルモノナリ
   即チ後掲同書類ノ政府請願書ニ表ハレタル栄一外三名呈出ノ非合併意見ト森岡社長ノ合併意見トハ対立的ナルヲ知ルベシ。
  ○森岡社長ハ内申書ヲ呈出シテ後、自宅ニ三菱会社々長岩崎弥之助ヲ招ジ、加藤正義之ニ同席シテ両社合併ヲ内約セリト云フ。(大正十五年二月刊「近藤廉平伝並遺稿―第一四〇―一四三頁ニヨル)

 - 第8巻 p.110 -ページ画像 

日本郵船株式会社所蔵書類 第二号函(DK080004k-0006)
第8巻 p.110-111 ページ画像

日本郵船株式会社所蔵書類  第二号函
 (附箋・朱書・加藤正義筆)
 「此書面ハ社長森岡氏ノ合併論ト理事取締役等ノ非合併説ト互ニ意見相協ハサルニヨリ、取締役小室・益田・渋沢・同栄一ノ諸氏ヨリ特ニ農商務卿ニ呈シタルモノナリ、但十八年八月初旬即チ総会前ナリ」

  共同運輸会社ヲ維持シテ船舶廻漕業務ヲ我邦ニ併立セシメント欲セハ、政府ヨリ左ノ数項ノ特典ヲ付与セラルヽヲ要ス
     第一
山城丸御買上ノ事
 現今該会社ノ経済ハ船舶其他不動産ノ買入方其程度ヲ超過シ、加之目下営業上モ損失アルニ付、資金促迫ノ有様ナリ、故ニ此御買上船代金ヲ以テ一切ノ負債償却ニ充テ、且其残余ヲ営業資本ト為スヘシ
     第二
香港迄ノ新航路ヲ許可シ、相当ノ補助金ヲ給与セラルヽ事
 船舶ノ数我邦運送貨物ニ対シテ其権衡ヲ得ルト否トハ措テ論セス、目下両社○共同運輸及ビ三菱競争ノ勢ニ付テ之レヲ観レハ、新タニ航運ノ一路ヲ設クルハ最以テ時宜ニ適スルノ方策トス、況ヤ他ノ一方ニハ上海航路ノ特許アルニ付、運輸会社ヘモ同シク此特典ヲ与ヘ、相当ノ補助金ヲ支給セラルヽハ、所謂一視同仁ノ御処置タルニ於テオヤ
     第三
農商務省ニ於テ特別ノ法制ヲ設置セラレ、両社競争ノ弊竇ヲ防塞セラルヽ事
 両社競争ノ現況ハ決シテ損益上ニ在ルニアラス、恰モ攻伐其斃ルヽヲ俟ツノ姿ナリ、是レ尋常商業上ノ競争ト云フヘカラス、故ニ農商務省ハ先ツ両社ヘ厳正ノ命令書ヲ下付セラレ、両社ヲシテ其趣旨ニ遵テ詳密ナル確約ヲ為サシメ、而シテ管船局ノ事務ヲ拡張シテ京坂其他ノ要港ヘ派出員ヲ駐在シ、両社実務ノ小大ヲ監察検閲シテ本局ニ申報セシメ、且両社及積荷周旋屋ヨリモ報告書ノ体裁ヲ定メ、常時臨時ノ報告ヲ為サシメ、運賃ノ額ニ適当ノ制限ヲ設ケテ、両社ヲシテ之レニ背クヲ得サラシメ、万一隠密ノ行為ヲ以テ更ニ競争ニ類スル事アラハ、命令書ニ拠テ厳重ニ之レヲ責罰シ、恩威並ヒ行ハレテ両社ヲ摂服セシムルニ至ラハ、必ス此競争ヲ防止シ、貨物運賃モ適当ノ割合ニ復シテ、両社共ニ其業ヲ持続スルヲ得ヘシ
以上政府ヨリノ特典ヲ付与セラルヽト同時ニ、該会社ノ事務ヲ改良スヘキ要項ハ左ノ如シ
 第一 船舶廻送ノ業務ハ適当ナル外国人ヲ雇入レテ一切之レヲ委任スヘキ事
 船舶廻送ノ事ハ該会社㝡緊至重ノ務ニシテ、創業以降屡其良法ヲ講究スト雖モ、尚未タ完全ノ整理ヲ得ス、蓋シ勉メサルニアラサルナリ、其人ヲ得サルナリ、故ニ新ニ外国人ヲ雇入レテ専ラ之レニ当ラシメ、職ニ曠員ナクシテ責ニ専帰スル所アルヲ明カニスヘシ
 第二 適当ナル会計主務員ヲ撰任シテ諸勘定及簿記統計等ヲ釐正スヘキ事
 - 第8巻 p.111 -ページ画像 
 会計百般ノ要務ハ皆其整理ヲ要スヘシト雖モ、苟モ会計其宜ヲ得サレハ、百事牴牾シテ円滑ノ運為ヲ得ヘカラス、運輸会社ノ会計ニ於ル、創業已降常ニ此ニ憾アルモノヽ如シ、故ニ今志操端正ニシテ用意周密ナル人ヲ撰任シテ、速ニ会計法規ヲ設ケ、一切ノ出納及諸帳簿記載ノ手続ニ至ルマテ悉ク此規矩ヲ遵守セシムヲ要ス
 第三 人員ヲ淘汰シ内治ヲ整頓シテ、大ニ冗費ヲ節減スル事
 本支店ノ人員中其適任ヲ得サル者少カラス、故ニ其課業経理ノ順序ニ於ルモ未タ整頓セリト云フヘカラス、此際勉メテ人員ヲ淘汰節減シ、且船舶又ハ陸上ニ於テ供用スル諸器物等ノ買入ニ付テ、更ニ精密ナル手続ヲ定メ、飽ク迄濫費ノ弊ヲ防クヘシ
以上三項ノ特典ヲ得テ三項ノ改良ヲ実施スルニ於テハ、運賃収入ノ額ニ於テ壱ケ年概算金弐拾万円ヲ(十八年上半季ノ実額ニ拠リ其壱割五分ヲ増スモノトシテ)増加スルヲ得テ、経費支払ノ額モ金拾六万五千円ヲ(十八年上半季ノ実額ニ拠リ其壱割ヲ減スルモノトシテ)減スルヲ得ヘシ、果シテ然ラハ仮ニ明治十八年ノ営業損益ニ於テ金三拾万円ノ不足アルモノトスルモ、改正ノ後ハ必ス若干ノ利益ヲ期スヲ得ヘシ、而シテ両三年ヲ経過シテ其事務更ニ精巧ナルニ至ラハ、相応ノ利益ヲ生シテ積立金及株主配当金ヲ得ヘキハ信シテ疑ハサル所ナリ
  ○右書類附箋ニ取締役ノ名ヲ記シ其中ニ栄一ノ名ヲ加ヘタリ。モシ正式ノ取締役ニアラズトスルモ重役ニ等シキ地位及参与ノ事実アリタルコトヲ知ルベシ。而シテ右請願書ノ正式ニ提出セル原文ヲ入手セザルタメ、栄一ノ署名アリシヤ否ヤハ詳カニセズ。尚十八年八月初旬ニ提出セリト云ヘルモ、次掲近藤廉平伝ヨリ推セバ七月二十七日以前ト思考サル。

近藤廉平伝並遺稿 (末広一雄著) 第一四三―一四四頁〔大正一五年二月〕(DK080004k-0007)
第8巻 p.111 ページ画像

近藤廉平伝並遺稿 (末広一雄著)  第一四三―一四四頁〔大正一五年二月〕
○上略
昌純○森岡は手もなく三菱を納得させたが、果然として「共同」の重役を説得するのに大汗をかいた。昌純は直に重役会議を開き、合同案を附議して見ると、重役は全部反対であつた。其時の重役は渋沢栄一・益田孝・小室信夫・堀基・藤井三吉・渋沢喜作の六名であつた。昌純が「共同」の滅亡旦夕に逼る所以を数字に現はして力説するにも拘らず、極度に感情の昂奮せる彼等は、打算を超越して三菱を疎み、何としても合同を肯んじなかつた。彼等は七月の二十七日、井上外務卿の官邸へ呼び出され、西郷農商務卿立会の上、一名づつ面前へ呼び込まれて『諸君が不承知を唱へるから森岡が辞職するといふ。就ては足下に於て跡を引受けるか』と問ひ詰められたので、余儀なく合同を承知した。
  ○栄一モ亦外務卿官邸ニ於ケル会合ニ出席セリトイフ右記事ハ加藤正義談話ニ拠ルト。(同書著者末広一雄談話、昭和一〇年一二月五日)


中外物価新報 第九九一号〔明治一八年七月二九日〕 【共同運輸会社の社長・…】(DK080004k-0008)
第8巻 p.111 ページ画像

中外物価新報  第九九一号〔明治一八年七月二九日〕
共同運輸会社の社長・取締役及び渋沢栄一の諸氏は農商務卿の召に応じて一昨廿七日午後四時頃より卿の邸に参候せられたるが、同邸には他の参議もおはせし由にて、同社と三菱との競争は双方の不為めなれば寧ろ合併するこそよからしめ《(衍)》云々の御説諭ありしなど噂する者あり其実如何のものにや

 - 第8巻 p.112 -ページ画像 

塚原夢舟翁(編纂代表者山崎米三郎)〔大正一四年五月〕 ○第七七頁(DK080004k-0009)
第8巻 p.112 ページ画像

塚原夢舟翁(編纂代表者山崎米三郎)〔大正一四年五月〕
 ○第七七頁
 伊藤共同社長は明治十七年英国から帰り、翌十八年に海軍へ復帰したので、更に兵庫県知事森岡昌純氏が其の後を襲ふことゝなり、政府の方面に於ても品川農商務大輔が他に転じ、吉田清成氏が代つて大輔となつた。
 明治十八年の秋に至つて両社合併の機運漸く熟し、農商務大臣は両社の幹部を私邸に招き、三菱からは川田小一郎・荘田平五郎の両氏、共同からは小室・堀の両氏が出頭し、政府の提示した合併条件(両社の資産調、資産額に対する政府の保証)を異議なく承認して各受諾書を差出し、玆に両社の合併が成立したのであつた。

塚原夢舟翁(編纂代表者山崎米三郎)〔大正一四年五月〕 ○第七八頁(DK080004k-0010)
第8巻 p.112 ページ画像

 ○第七八頁
昨日品川大輔より伝承候得者、三菱ハ合併之儀ニ付願書ヲ奉呈スルヲ嫌ヒ候趣、尤川田事弥之助と相談之上返答致候筈之由、是ハ是非とも不差出候ては不相済、自然相拒ミ候場合ニ至リ候ハヽ、伊藤又は小官より直ニ説諭候ても可然候間、如何形行候哉御一報被下度、且又今夕より鳥渡富岡江参リ度候ニ付、運輸会社之船価陸上之不動産価借財之高等過日益田ト御同席にて御示し被下候書類不残一揃此者江御渡し被下度候、尚亦昨日已代治参リ候故、ブラウンニモ面会候て篤と相談の上三菱協同之現況《(共)》ニ因リ取調候様申付置候間、参リ候ハヽ申合セ候様御伝置、且賢兄にも万事御相談被下度候、為其匆々拝白
  八月二十二日○明治十八年 馨
    周造殿


日本郵船会社創設記(DK080004k-0011)
第8巻 p.112-114 ページ画像

日本郵船会社創設記        (日本郵船株式会社所蔵)
共同運輸会社ニ於テハ七月廿八日附達書ノ旨ヲ承ケテ、翌八月十五日臨時総会ヲ開キ、社長森岡昌純ハ株主ニ向テ左ノ如ク説明シタリ
 今日株主諸君ヲ招集シテ臨時総会ヲ開クニ当リ、玆ニ其要領ヲ説明スヘシ
 抑旧冬以来営業上競争ノ勢ヒヲ起シテヨリ計算上頗ル困難ノ次第ハ既ニ諸君ノ推知セラルヽ所、今更喋々ノ弁ヲ要セサルヘシ、随テ役員ニ在テハ非常ノ苦心ヲ極メ、政府ニ於テモ深ク之ヲ憂慮セラレ、即チ今般農商務卿始メ内閣諸公御列席ニテ、本社々長始メ重立タル役員ヲ召喚シ、本社前途ノ計画ニ就テ懇篤ナル訓諭ヲ下タサレタリ、而シテ其御趣旨タルヤ、政府特別ノ保護ヲ与ヘテ共同運輸会社ヲ設立セシメタルハ、我邦海運ノ拡張ヲ謀ランカ為メナリ、嘗テ三菱会社ニ保護ヲ与ヘタルモ亦タ等シク此旨意ニ外ナラス、然ルニ旧冬以来両社営業上互ニ競争ヲ事トシ、政府カ両社ヲ並立セシムルノ趣旨ニ背馳スルノミナラス、両社ノ為メニモ深ク警戒スヘキ事柄ナルヲ以テ、本年一月中両者ニ命シテ競争ヲ止ムヘキ結約ヲ為サシメタリ、依テ両社ハ確ク之ヲ遵守シ、親睦ヲ旨トシ、互ニ並ヒ進ムノ方策ヲ執ルヘキ筈ナルニ、左ナキノミナラス、却テ競争ノ勢ヲ増シ遂ニ底止スル所ヲ知ラサルニ至レリ、是ニ由テ之ヲ観レハ、両社並立並ヒ進ムノ冀図ハ到底実行シ得ヘカラサルモノト知ルヘシ、若シ
 - 第8巻 p.113 -ページ画像 
如此ニシテ営業上損失アルニモ拘ハラス、仍ホ並立セントシテ其保護ヲ政府ニ仰カントスルカ、両社無限ノ求メヲ待ツハ素ヨリ政府ノ為スヘキ所ニアラサルナリ、然ラハ両者各自立スルヲ得ヘキカ、限リ有ルノ資本ヲ以テ窮リ無キノ損失ニ当ル、如何ソ永ク継続スルヲ得ンヤ、是レ実ニ焦眉ノ急、政府ノ傍観坐視スヘキ所ニアラサルナリ、宜シク適当ノ方法ヲ以テ三菱共同ノ両社ヲ併セ、新ニ一大会社ヲ起シ、以テ永ク競争ノ弊害ヲ絶チ、運賃ノ昂低ヲ適度ニ制シテ、大ニ海運ノ拡張ヲ謀ルニ如カサルヘシ、否ナ之ヲ措テ他ニ求ムヘキノ途ナキナリ、依テ三菱会社ヘモ前陳ノ趣旨ヲ訓示セリ、就テハ其会社ニ於テ速ニ株主臨時総会ヲ開キ、何分ノ申出ヲ為スヘシト、是則政府訓諭ノ御趣旨ナリ、是ヲ以テ本社定款第六十二条ノ手続ヲ尽スニ遑ナク、急ニ株主諸君ヲ招集シテ爰ニ臨時総会ヲ開ク所以ナリ偖政府御趣旨ノ在ル所ハ前項已ニ之ヲ陳ヘタリ、是ヨリ本任役員ノ意見ヲ提出シテ之ヲ本会ノ議題ト為サン、抑本社ハ創立ノ趣旨ニ基キ、飽マテ維持継続セサルヘカラサルハ言ヲ竣タサル所ニシテ、拙者始メ本社役員ノ精神固リ然リ、然リト雖トモ、如何セン今日ノ現象創立当時ノ予想ト異リ、其営業ニ於テモ事創匆ニ際スルヲ以テ、常ニ其経費収益ニ超ユルノ傾アリ、加之此競争ノ一難事ヲ惹起セシカ為メニ、計算上益損失ヲ被フルノ不幸ヲ来セリ、然レトモ役員ハ飽マテ之ヲ維持センコトヲ欲スルノ念慮ヨリシテ種々ノ計画ヲ為セリ、今マ其一二ヲ挙レハ、内ハ以テ非常ノ節倹ヲ行ハントシ、外ハ以テ政府深ク干渉シテ両社運賃ノ競争ヲ制止セラルヽ事、船路ヲ海外ニ伸長シテ其補助ヲ受クル事、資本ノ補給ヲ求ムル為メニ相当ノ船舶ヲ政府ヘ買上ケラルヽ事等、数項ノ請願○後掲ヲ政府ニ致シタルコトアリ、然レトモ政府ニ於テハ本社ノ願意ヲ許可スルトキハ、他ノ請願モ亦タ許サヽルヘカラス、畢竟無限ノ求メニ帰スルヲ以テ、竟ニ允可ヲ得ルコト能ハサリシナリ、既ニ前陳数者ノ願請ヲ聴容セラレサル上ハ、実ニ如何トモ為スヘキ途ヲ失スルニ至レリ、而シテ現今ノ状勢ハ競争止ムルニ術ナク、競争止マサレハ損失愈々多シ、損失ニ損失ヲ累ネテ会社ノ立チ行クヘキモノニアラス、現ニ本年一月ヨリ六月ニ至ル迄ノ本社損益ノ概況ハ毎月若千円《(マヽ)》ノ損失ヲ見ルニ至レリ、故ニ今日ヲ以テ之レヲ見レハ、現ニ一日延ハセハ即チ一日ノ損アリ、速ニ何分ノ処置ヲ為サヽルヘカラサルナリ、依テ前途ノ方法ヲ審案スルニ、其要点只左ノ二項ニ帰着セサルヘカラス、第一本社創立ノ趣旨ニ基キ飽マテ之ヲ継続スル事、第二政府ノ訓諭ニ随ヒ新立会社ヘ合併ノ処分ヲ政府ニ請願スル事、以上ノ二項ヲ二段ニ区分シテ以テ株主諸君ノ評決ヲ請ハントス
 第一項、本社創立ノ趣旨ニ基キ飽マテ之ヲ継続スル事、是ハ素ヨリ本意トスル所ナリ、然レトモ前ニモ陳ヘタル如ク、既ニ其営業ニ利益ナキノミナラス、更ニ目下競争ノ一大難事ヲ生シテ、為メニ損失ニ損失ヲ累ネ、到底其止マル所ヲ知ルヘカラサレハ、今日ノ有様ニテ強テ創立ノ趣旨ヲ固執シ、依然継続ヲ謀ラントスルハ実ニ其方策ナキヲ如何セン
 第二項、政府ノ訓諭ニ随ヒ新立会社ヘ合併ノ処分ヲ政府ヘ請願スル
 - 第8巻 p.114 -ページ画像 
事、第一項ニ於テ其方策ナシトセハ、畢竟唯此項ニ拠ラサルヲ得サルヘシ、蓋シ此ノ如ク論シ来レハ、諸君ニ於テ或ハ新立会社ノ組織方法ハ如何、之レニ合併スヘキ財産処分ノ方法ハ如何等ノ質疑ヲ起サルヽナラン乎、請フ之ヲ略陳セン、抑新立スヘキ会社ノ組織方法合併スヘキ財産処分ノ方法等ハ、先ツ本会ニ於テハ単ニ政府ノ御趣旨ニ随テ相当ノ御処分ヲ受クルモノト議定スルコトヲ要スト雖トモ諸君参考ノ為メニ拙者ノ見ル所ヲ以テ将来ノ成行ヲ一言セハ、新立会社ノ組織ハ、之ヲ例セハ蓋シ彼ノ日本銀行ノ如ク、有限責任ニシテ特ニ条例ヲ発布セラルヽカ、又ハ別段ノ命令書ヲ以テセラルヽカ、政府ノ及フヘキ限リ之レヲ管理シ之レヲ保護シ、社則井然トシテ整ヒ、職権確乎トシテ立チ、運賃ニ相当ノ限度ヲ制シテ、其昂低ノ為メニ農商工業者カ迷惑スルノ弊ナク、利益ニ政府ノ保証ヲ与ヘテ営業上盛衰波瀾ノ為メニ株主カ損失ヲ蒙ルノ憂ナク、所謂中正安全ノ会社タルヲ得ルコトハ確ク信シテ疑ハサル所ナリ、又合併スヘキ財産処分ノ方法等ニ至テハ、決シテ他人ノ干渉ヲ容レス、只政府ニ於テ審案熟慮セラレ、至公至正ノ趣旨ヲ損セス、又当初本社ノ創設ヲ愛護セラレタル要旨ヲモ失ハスシテ、穏当中正ノ御処置ニ出テラルヽコトハ、拙者始現任役員等ハ勉テ之レヲ政府ニ請願シ、本社株主諸君ノ為メ可及的其力ヲ尽サント欲スル覚悟ナリ
 今日諸君ニ議カル所ノ要領ハ以上陳述スル通リノ次第ナリ、諸君篤ト熟考シテ以テ適当ノ評決アランコトヲ希望ス
  明治十八年八月十五日
                  共同運輸会社々長
                      森岡昌純
○中略
臨時総会ニ於テハ幸ニ社長ノ説明ヲ酌ミ○中略多数一決シ、原案第二項ノ通リ三菱会社ト合併スヘキ事ヲ農商務省ヘ申出テ、合併ニ関スル処置方法等ハ総テ同省ノ指揮ニ従フヘキコトニ決シタリ
  ○以下、第三款日本郵船会社明治十八年十月一日ノ項(本巻第一二六頁)所引ニ続ク。


中外物価新報 第一〇〇八号〔明治一八年八月一八日〕 【共同運輸会社総会議余…】(DK080004k-0012)
第8巻 p.114-115 ページ画像

中外物価新報  第一〇〇八号〔明治一八年八月一八日〕
共同運輸会社総会議余聞 此の総会議の荒増は已に前号の紙上にも記し置きたるが、尚又聞くに、当日の議題は誰れも知れるが如く共同運輸会社を維持独立せしむる歟(第一項)、但しは又一旦解散して農商務卿の内諭に従ひ更に新設の滊船会社に加入し、即ち三菱会社と合併する歟(第二項)、と云ふに在りて、議長森岡昌純君其原案趣意書を朗読せられ、又之を簡単に説明せらる、是に於て株主の中にても議論二派に分れ、高梨哲四郎・細川瀏・岩谷松平氏の如きは合併の容易に為すべからざるを主張し、或は合併の外に良策あらば之を討究すべく、或は良策もなくして寧ろ合併策を取るものとせんも、三菱会社の資本と看做すべき船舶・倉庫等の品査鑑定をも遂げずして、闇雲に合併々々と呼はり、只管に政府の処置に任するは不親切の至にて大早計の極なり、先つ為めに委員を撰ひ充分の取調を為し、而後合併の是非得失を
 - 第8巻 p.115 -ページ画像 
議するこそ順序なれと云ひ、又馬場辰猪・大石正巳氏等は固く合併論を執り、彼此を参案するに共同運輸会社の維持独立は迚も覚束なき事にて、該社の重役も自から之を証し、政府も亦之を認定して内諭を垂れらるゝに迄至りし訳なれば、三菱と共に新設の滊船会社に加入し、外は政府の保護を仰き、内は株主の安全を図るに如かずと云ひ、前者後者孰れも揃ひし弁士と弁士との舌戦にて、一時は宛ながら三菱・共同両会社の合併は是耶非耶てふの問題でも討論する討論会に於ける如き有様なりしが、既にして其可否を投票に決せんとするの前に当り、渋沢栄一氏の演説ありて、同氏は合併の已を得ざるに出る所以を演べられ、次で各株主に投票を為さしめたるに、前者には千二百七十三票後者には三千三百六十九票ありて、多数を後者に制せられたれば、終に共同運輸会社を一旦解散して更に新滊船会社に加入の請願を為すべしと決し、一同会を散じたるが、論鉾を折られて投票少数の為めに敗を取りし方は勿論黙然として、其勝敗如何を窺ひ居りし人々の中にも面に怏々の色を見はせしもの尠なきにあらざりしとぞ、唯此の上は公平至当なる政府の処置方法に依り怏々の色は忽ち変じて欣々の声とならん事を吾々の冀ふ所になん
  ○三菱会社トノ合併ニ反対ナル高梨哲四郎ハ、八月十五日開催セル臨時総会ハ不法ナルニヨリ因リ其決議無効ナル旨、九月ニ至リテ株主ニ宛テ広告ス。而シテ其論旨トナス所ハ、一、此会議ハ定款第六十二条ニ背反シタルコト即チ臨時総会ハ三十日前案ヲ付シテ招集ノ報告ヲナスベキ筈ナルニ、今回ノ会議ハ議案ヲ付セズ三十日ノ猶予ヲ与ヘザル故不法ナリトス。二、此会議ハ定款第六十三条ニ背反シタルコト、即チ総会議ハ株数総額十分ノ五以上出席シタルニ非ザレバ何事モ決定スルコト能ハザルニ、今回ノ会議ハ総出席株十分ノ五ニ満ザルニヨリ決議無ナリトス。三、此会議ハ定款第五十一条ニ背反シタリトスルコト、即チ同条ノ制限ニ随ヒ投票ハ出席一人ニシテ百個ヲ極度トシ其以上ハ投票ノ権ナキモノナリ、然ルニ今回ノ会議ニハ当日出席シタル人員二百四十人ニシテ他ノ四百十一人ハ皆代理投票ヲ為シタルモノナリ、元来代理投票ヲ許シタルハ不法ノ所為ニシテ、而モ代理投票ハ出席人員ノ殆ド二倍ニ当ルコト。四、議長ガ原案第二項ニ賛成ノ説トイフ議決方法ヲトリシハ不法ナルコト。五、右ノ議決ヲ以テ仮ニ不法ニ非ストスルモ、其議決シタル事柄ハ本社ノ株主総会ニ於テ議スベキ事項ニ非ザルコト。カクノ如キ数項ノ理由ニ依リ此総会ハ専断不法ニシテ其議決ハ無効力ナリ。其責皆議長ノ処置宜シキヲ得サルニ因ルコト勿論ナレバ定款第五十条・第六十四条ニ照シ、社長ノ行為ヲ以テ不適当ト見做シ、併セテ総会ノ議決ヲ取消サンカ為メ再ビ臨時総会ヲ開カントスルニ在リ。
   之ニ対ハ社長森岡昌純ハ高梨哲四郎ノ論旨成立スルニ至ラバ之ニ当ランガ為メ弁明書ヲ内定シタリ。然レドモ高梨ノ論旨終ニ成立セザリシヲ以テ、弁明書ハ之ヲ公ニセズシテ已ミタリ。而シテ政府ハ八月十五日ノ臨時総会ヲ適法有効ノモノト認メタリ。詳細ハ日本郵船会社創設記(第四七―五四丁)ニ載ス。


渋沢栄一 書翰 塚原周造宛(明治一九年)五月二四日(DK080004k-0013)
第8巻 p.115-116 ページ画像

渋沢栄一 書翰  塚原周造宛(明治一九年)五月二四日
                    (渋沢子爵家所蔵)
拝読仕候、然者旧共同運輸会社長其外へ御手当金分配之件野村次官殿ニも御打合之上小生へ愚案御推問之趣拝承仕候、普通之順序ニ拠り候ハヽ、社長理事取締役と順次等級を付し候筈ニ候得共、旧会社之事ハ
 - 第8巻 p.116 -ページ画像 
創業より従事し且苦配多き人と中途より相任し候人との差別も有之候而可然歟、其上旧社合併後身上之方向相立候人と其都合ニ至らさる者とハ情実上聊差等も相付申度、然時ハ小室氏第一ニ居り、社長と堀と之ニ次き、其他之取締役両名ハ又之ニ次き候分割法ニて可然歟と奉存候、尤も取締役之名前より論し候ハヽ、藤井と申人も少々ニても御加へ被成候方可然歟とも奉存候、依而仮ニ総高九千円を分割すへきものとせハ
 一金三千円     小室
 一金千七百円    社長
 一金千五百円    堀
 一金弐千五百円   取締役両人
 一金三百円     外壱人
右等之割合ニてハ如何御坐候哉、詰り小生之見込ハ、其勤労ニ重くして名儀ニ拘泥せざる割付方ニ付、今日之体裁上不都合と被思召候ハヽ如何様とも御取極可被下候
右者奉復まで如此御坐候 匆々頓首
  五月廿四日
                      渋沢栄一
    塚原老台
  尚々小生出立ハ明後廿六日之積ニ付、品ニ寄明日一寸御局○管船局へ罷出、尚愚案之詳細を口頭申上候様ニも可仕奉存候、且例之船渠会社一条ニ付而も一寸御含迄申上度件有之、旁以是非明日罷出度相考候得共、本文御推問之件ハ不取敢復陳仕候 匆々


法規分類大全 第一編 運輸門十 船舶 郵船商船 第九七―一〇四頁(DK080004k-0014)
第8巻 p.116-122 ページ画像

法規分類大全  第一編 運輸門十 船舶 郵船商船 第九七―一〇四頁
 逓信省報告 二十年八月二日
旧共同運輸会社ニ属スル権利義務等、総テ残務ハ委員ヲ命シ整理為致候処、今般甲号別紙ノ通申出候ニ付、乙号ノ通及処分候条、此段報告ス

 (別紙)
   甲号
   旧共同運輸会社決算報告ノ儀ニ付上申
  旧共同運輸会社残務ノ儀、陸奥丸衝突訴訟事件ヲ除クノ外悉皆結了ニ至リ候間、別紙報告案ノ通株主ヘ報道可仕奉存候、尤別紙付箋ニ記載ノ残金ハ、右訴訟事件落著相成候迄ハ第一国立銀行ヘ保護預ケニ致シ置、落著ノ上尚御指揮ヲ蒙リ処分可仕、此段併テ上陳仕候也
                 旧共同運輸会社
                   残務委員心得
                    小室信夫印
                   残務委員
                    渋沢喜作印
                   同
                    益田孝
 - 第8巻 p.117 -ページ画像 
                        洋行不在ニ付欠印
  逓信大臣 榎本武揚殿

  (別紙) 共同運輸会社第三回実際報告
明治十八年一月一日ヨリ同九月三十日ニ至ル本社ノ事業及日本郵船会社ヘ資産引継ノ顛末諸勘定等左ノ如シ
  株式ノ事
一資本金六百万円
 此株数十二万株
   内
 金二百六十万円           政府所有
 此株数五万二千株
金三百四十万円            人民所有
 此株数六万八千株
 此人員四千六百十四人
右資本ノ内当期中人民ノ株金ヲ募集セシ事二回(第五回・第六回)ニシテ株金全額ヲ充タシメタリ
  役員ノ事
明治十八年四月十三日農商務卿ヨリ左ノ通御達アリ
                   共同運輸会社
 今般其会社々長伊藤雋吉並副社長遠武秀行儀ハ、海軍省ニ於テ必要ニ付復職ノ儀照会有之候ニ付、右社長副トモ差免、更ニ非職農商務少輔森岡昌純ヘ社長申付候条、此旨相達候事
  明治十八年四月十三日 農商務卿 伯爵 松方正義
於此前正副社長ハ海軍省ヘ復職シ、森岡昌純氏本社社長ニ上任セリ然ルニ命令書第十一条ニ、正副社長ニ限リ創立第一期(創立ノ日ヨリ三箇年ヲ以テ一期トス)中ハ政府ニ於テ特撰スルモノトス明記セルヲ以テ、社長官撰ノ期ハ同年九月限ナレトモ、会社営業ノ都合ニ依リ尚暫ク官撰社長ヲ置クコト必要ナレハ、同年七月十日株主臨時総会ニ於テ尚ホ一期(三年)間官撰ニ据置ノ儀ヲ政府ヘ上願スヘキヤヲ議題トシテ議リシニ、衆議無異論原案ニ可決セシヲ以テ、之レヲ農商務省ニ上願シ、左ノ通御指令ヲ得タリ
 出願ノ趣聞届候事
  明治十八年七月二十七日 農商務卿 伯爵 松方正義
  計算ノ事
定款第五十五条ニ明記セル如ク、本社ノ損益計算ハ毎年一月・七月両度ノ定ナレトモ、既ニ前両年度ニ於テモ衆議ノ上一期ノ計算ニセシ如ク、営業上上下両半期ニ分ツハ甚平均ヲ得サルヲ以テ、尚ホ本年モ平期ノ計算ヲ延ヘ、一周年ヲ通シテ計算センコトヲ欲シ、七月十日ノ株主臨時総会ニ於テ之ヲ議リシニ、衆議無異論原案ニ可決セシヲ以テ、左ニ掲クル所ノ計算ハ明治十八年一月一日ヨリ同九月三十日廃業迄ヲ通算シタルモノナリ
  ○船舶被難ノ事、陸奥丸衝突ノ事略ス。
  損害勘定ノ事
 - 第8巻 p.118 -ページ画像 
 当期(明治十八年一月一日ヨリ同年九月三十日迄)ノ営業ハ前年ニ引続キ同業ノ競争一層劇烈ニ至リ、為メニ運賃非常ニ低落セリ、加フルニ競争ノ為直接間接ニ意外ノ失費ヲ生セシヲ以テ、利益ヲ視ル能ハサルノミナラス大ニ損失ヲ蒙リタリ、其計算左ノ如シ
     収入部
 金一万二千二百五十円          航海御補助金
 金百十九万二千九百六十五円八十九銭八釐  滊船運賃
 金五万九千三百八円四十二銭三釐     風帆船運賃
 金一万八十九円九十二銭九釐       艀船運賃
 金五百二十八円四十五銭七釐       他船扱手数料
 金一万五千四百七十六円十八銭七釐    雑収入
 金七百四十七円三十三銭九釐       貸庫料
合金百二十九万千三百六十六円二十三銭三釐
     支出部
 金百三十万三千二百八十七円三銭九釐   滊船諸掛リ
 金六万四百三十三円五釐         風帆船諸掛リ
 金七千四百二十三円三銭七釐       艀船諸掛リ
 金二万六百七十七円五十五銭四釐     曳船小蒸滊船諸掛リ
 金二千七百十九円十銭          庫船諸掛リ
 金九千六百九十三円三十銭一釐      利足
 金二千三百七十八円十一銭八釐      雑支出
 金十万八百三十二円七十六銭二釐     本社費
 金十一万六千九百三円九十五銭一釐    各支店費
 合金百六十二万四千三百四十七円八十六銭七釐
   差引
 金三十三万二千九百八十一円六十三銭四釐  損失
   会社ノ営業ヲ日本郵船会社ヘ譲渡ノ事
  前年以来同業ノ競争日ニ月ニ倍劇烈ニ到リシヲ以テ、政府ハ両社ノ終ニ相共ニ支持ス可カラサルノミナラス、或ハ鷸蚌漁夫ノ観アランコトヲ憂ヘラレ、更ラニ一ノ滊船会社ヲ創立シ、之レヲ保護シテ以テ特立独行ノ営業トスルノ得策ナルニ如カサル旨内訓アリ、即チ当任者ハ八月十五日株主臨時総会ヲ開キ、政府内訓ノ主旨ヲ報シ、会社ノ営業ヲ新滊船会社ニ合併ノ如何ヲ論究シ、竟ヒニ株主所有ノ株金ニ損失ヲ蒙ラサル様政府ニ請願シ、合併資産ノ裁定方法等総テ政府ノ取捨ニ任スヘシトノ決議ニ依リ、当任者ハ六月三十日ノ現在資産ヲ基礎トシテ、之ニ加フルニ営業継続スレハ漸次償却スヘキ筈ノ創業入費、各船大修繕費、沈没船代価、十七年配当ノ為大蔵省拝借金、及明治十七年中ノ営業損失、明治十八年中ノ営業損失概算ヲ算入シ、又営業継続スレハ他日ノ隆昌ヲ企図スルヲ以テ一時利益ノ配当ヲ為ササルモ忍フ所アリト雖モ、今ヤ創立ノ冀図ニ反シ本社ノ営業ヲ廃止スルノ場合ニ臨ミ、此一期間株主諸君ニ対シ幾分ノ配当モ為シ能ハサルハ甚タ忍ヒサル所ナレハ、良シヤ充分ナラサルモ年八朱ニ当ル迄ノ配当金ヲ成シ得ンコトヲ希望シ、其概計ヲ加算シ、乃チ左ノ資産勘定書ヲ調整シ、総会ノ顛末実際ノ事情ヲ具陳シテ、資
 - 第8巻 p.119 -ページ画像 
産ノ裁定ヲ政府ニ上願セリ
 金五百五十六万七百四十六円九十三銭七釐 資産有高
 金九十六万五千五百九十五円五十一銭二釐 創業費及営業上損失
合金六百五十二万六千三百四十二円四十四銭九釐
 (此九十余万円ハ前記創業入費以下配当金迄ヲ計算シタル予算ナリ)
於此政府ハ深ク会社全体ノ事情ヲ洞察セラレ、会社ノ請願ヲ聴容シ資本金六百万円ハ全額新会社ノ株式ニ加入シ、残五十二万余円ハ新会社ニ於テ現金ヲ仕払フ可キ様ナキヲ以テ、同社ノ負債トシテ引受ク可シトテ、左ノ通裁定セラル
 金六百五十二万六千三百四十円      共同運輸会社総額
    内
  金六百万円             新会社株金
   政府ハ此株金ニ対シ十五箇年間八朱ノ利益ヲ保証スヘシ
  残金五十二万六千三百四十円     新会社ノ負債
   新会社ハ此負債ニ対シ年七朱ノ利ヲ付シ、五箇年間ニ元利ヲ償還スヘシ、但新会社ハ総収入金ノ内ヨリ通常海陸ノ経費及ヒ成規ノ積立金ヲ為シタル上、純益金ノ内ヨリ第一ニ此負債償還ノ額ヲ仕払、然ル後株式配当ヲ計算スヘシ
尋テ九月二十六日ヲ以テ農商務卿ヨリ左ノ御達アリ
                   共同運輸会社
 今般、其会社及郵便滊船三菱会社ノ資産ヲ以テ新ニ日本郵船会社ノ設立許可相成候ニ付テハ、同会社創立委員ヘ協議ノ上資産引渡方可取計、此旨相達候事
  明治十八年九月二十六日 農商務卿 伯爵 西郷従道
依之日本郵船会社創立委員ト協議ノ末、本社ノ営業ハ同年九月三十日ニ止メ、翌一日其営業ヲ同会社ニ引渡シタリ
政府ハ嘗テ会社ノ請願ヲ容レ、引継上一切ノ事ヲ農商務省ニ於テ管理セラレ(後逓信省ニ移ル)資産引渡シ及会社ノ残務整理ノ為メ、十月一日ヲ以テ特ニ委員ヲ命セラル、即チ左ノ如シ
 共同運輸会社残務委員申付候事      益田孝
 同上                  渋沢喜作
 共同運輸会社残務委員心得申付候事    小室信夫
 同上                  堀基
於此残務委員等ハ旧会社ノ残務ニ従事シ、諸般ノ事務ヲ整理シ、資産ノ勘定ヲ詳査セシニ、其総勘定ハ左ノ如シ
    借方  本社負債義務ニ属スル分
 金二百六十万円            政府株金
 金三百四十万円            人民株金
 金三十三万二千八百円五十九銭六釐   拝借金
 金九万九千四百三十七円九十銭五釐   船舶及地所代価年賦上納未済
 金五万円               本社仕払手形
合計金六百四十八万二千二百三十八円五十銭一釐
    貸方  本社資産権利ニ属スル分
 金五百十九万七百七十円七十九銭四釐  船舶代価
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 金四千三百十六円二十八銭三釐     艀標代価
 金十七万千八百二十一円二十六銭五釐  不動産
 金九千六百八十七円五十八銭六釐    本支店什器
 金二万九千百二十円          公債証書
 金十八万六千四百六十四円十四銭二釐  諸貯品代
 金四万七千九百六十二円十五銭     諸貸金
 金九万四千六百五十一円九銭七釐    創業入費
 金十三万八千二百二十九円五十銭三釐  各船大修繕費
 金五万二千八百五十三円九十一銭四釐  沈没船頼光丸代価
 金一万六千四十三円十二銭五釐     同福山丸代価
 金二百九十二円九十五銭四釐      十六年度配当金同年度決算後仕払タル分
 金十五万九千七百五十九円六十一銭六釐 十七年度配当金
 金二万五千四百二円三十八銭四釐    十七年度繰越損金
 金三十三万二千九百八十一円六十三銭四釐 十八年度営業損金
 金二万千八百八十二円五銭四釐     各銀行当坐預金及残金
合計金六百四十八万二千二百三十八円五十銭一釐
爾後資産引渡ニ付、郵船会社ト数回引合ヲ為セリ、然ルニ旧会社ニ於テハ同年七月以後新設ノ不動産及買入品等之レアリ、加フルニ新会社ニ於テ引受ケサル損金即チ沈没船福山丸代価ノ如キモノ等アリテ、当初差出セシ予算ニ比シ大ニ相違スル所アルノミナラス、自来残務整理中ノ経費及陸海役員解雇手当金施給(旧会社ハ営業日浅キニ拠リ、是迄賞与等ヲ給与セシコトナキノミナラス、今回解雇ニ際シ一時世計ノ道ヲ離ルルモノ等アリテ、情誼上忍ヒ難キモノアリ)等ノ費用ヲ要シ、為メニ数万円ノ不足ヲ生スルニ至レリ、爰ニ於テ委員等ハ大ニ苦慮シ、以テ該補助ノ途ヲ共議シ、遂ニ政府ヘ返納スヘキ御払下船舶不動産代価年賦残額九万九千四百余円ヲ以テ之レニ充ツルノ考案ヲ起シ、則チ右上納金棄捐ノ儀ヲ政府ヘ上願セシニ、幸ニモ特殊ノ恩典ヲ以テ願意ノ聴容ヲ得タリ、最モ此外ニ負債証書売却益金等ヲ右上願金ニ併シ、前記ノ不足ヲ償ヒ、以テ陸海役員ノ手当金及残務整理中ノ経費ヲ支払ヒ、此後陸奥丸衝突訴訟ノ結了ヲ得ルニ至レハ、更ニ政府ノ裁定ヲ仰キ之ヲ処分スル者トス、依テ残務委員カ整理シタル決算ハ左ノ如シ
 金六百万円              株金
 金五十二万六千円           郵船会社負債証券
 金七万九千七百三十七円七十三銭二釐  現金
 小計金六百六十万五千七百三十七円七十三銭二釐
                  以上日本郵船会社ヨリ受取
    △此内訳(△ハ朱)
△金五百十九万七百七十円七十九銭四釐 △船舶代価
△金四千三百十六円二十八銭三釐    △浮標代価
△金十七万千八百二十一円二十六銭五釐 △不動産
△金九千六百八十七円五十八銭六釐   △本支店什器
△金二万九千百二十円         △公債証書
△金十八万六千四百六十四円十四銭二釐 △諸貯品代
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△金四万七千九百六十二円十五銭    △諸貸金
△金九万四千六百五十一円九銭七釐   △創業入費
△金十三万八千二百二十九円五十銭三釐 △各船大修繕費
△金五万二千八百五十三円九十一銭四釐 △沈没船頼光丸代価
△金十五万四千四百五十八円六十一銭四釐△十八年自一月至六月損失金
△金十六万円             △十七年配当ノ為拝借
△金二万五千四百二円三十八銭四釐   △同年繰越損金
△金十八万円             △十八年度配当金見込高
△金十五万円             △十八年自七月至九月損失同上
△金一万円              △各船修繕費
 金二万千八百八十二円五銭四釐     各銀行当坐預金及残金
 金一万五百二十円           負債証券売却益金
総計金六百六十三万八千百三十九円七十八銭六釐
    右仕払
 金六百万円              株券日本郵船会社株券トシテ同社ニテ交付ス
 金三十三万二千八百円五十九銭六釐   政府拝借金上納
 金五万円               仕払手形償却
 金三万七千七百九十円二十五銭八釐   会社陸海員慰労手当
 金十七万六千八百七円三十九銭     十八年度配当金
 金                  残務経費
 金                  残金
付箋△明治二十年三月二十六日調
 金一万二千七百二十七円十一銭九釐   残務経費
 金二万八千十四円四十二銭三釐     残金
総計金六百六十三万八千百三十九円七十八銭六釐
  残務ノ事
明治十八年十月一日本社ノ営業ヲ日本郵船会社ニ引渡シタル以後ノ顛末即チ残務ノ概略ヲ叙セシニ、当初ヨリ成ル可ク速ニ完結ノ心算ナリシモ、事実ニ於テ運賃ノ取立ヲ始メ諸般ノ事項意外ニ時日ヲ費シ、殊ニ株式ノ処分ニ就テハ終ニ昨年十月ニ至リ殊ニ各地ヘ数名ヲ派出セシメ漸クニシテ結了ヲ告ケ、又当時英国ニ航行セシ遠江丸ハ四月初旬ニ帰港セシモ其収支計算負担方ニ付郵船会社トノ議協ハス、為メニ資産引継ノ総勘定決算ニ至ラスシテ株主配当金支払方ニモ著手スル能ハス、漸次遷延スルノミナレハ、遠江丸航海勘定及資産引継勘定中両社ノ議協ハサルモノ一二項ヲ併テ逓信省ノ裁定ヲ仰キ、漸ク資産引継ノ勘定ヲ結了スルニ至ル、而シテ配当金支払ノ如キモ同年五月十日ヨリ其渡方ヲ執行セシニ、株主中株式ノ転売等アリテ其受取方意外ニ遷延シ、年末ニ至リ漸ク悉皆払渡シヲ了ルヲ得タリ、爰ニ至リ通常ノ残務ハ既ニ結了スルヲ得タレトモ前ニ記スル陸奥丸ノ訴訟事件ハ未タ何等ノ裁判モナク、此後幾許ノ日子ヲ消スルヤ思ヒ測ルヘカラス、其レカ為メ総決算ノ報道ヲ遷延スルハ甚以遺憾トスル所ニシテ、仮令該訴訟ノ勝敗ニ依テ残余金額ニ増減ヲ生スルモ、時ニ臨ミ逓信省ノ御差図ヲ仰キテ処理ス可レハ、最早株主ニ関係ヲ有スルモノナキニ付、残務委員ハ爰ニ此決算勘定ト残務ノ
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顛末トヲ逓信大臣ヘ上申シ、帳簿ノ撿閲ヲ請ヒ、以テ残務ヲ結了ス此報告ノ頗ル遷延セシハ前陳已ムヲ得サルニ出テシモノナリ、冀クハ株主諸君之ヲ諒セラレンコトヲ
右報告候也
              共同運輸会社
                 残務委員
 明治二十年 月           益田孝
                    洋行不在ニ付欠印
                 同
                   渋沢喜作印
                 同心得
                   小室信夫印
乙号
                 旧共同運輸会社残務委員
旧共同運輸会社残務整理ノ趣報告ニヨリ委員解任候条、左ノ通心得ヘシ
 一陸奥丸衝突訴件ハ不都合無之様、委員中担当者ヲ定メ、尚届出置ヘシ
 一現在ノ帳簿ハ自今以後二箇年間相当ノ手続ヲ以テ保存シ置ヘシ
 一本年四月以降残務解散ニ至ル迄ノ費用ヲ精算シ、報告ノ追申ヲ為シ、残金ノ儀ハ更ニ当省ノ指揮ヲ請フヘシ
 明治二十年六月九日
               逓信大臣 子爵 榎本武揚


東京日日新聞 第一一二三二号〔明治四一年三月二七日〕 故岩崎○弥之助男爵(男爵渋沢栄一談)(DK080004k-0015)
第8巻 p.122-123 ページ画像

東京日日新聞  第一一二三二号〔明治四一年三月二七日〕
    故岩崎○弥之助男爵(男爵渋沢栄一談)
「余が見たる岩崎男は用意周密意志堅固、事を処するや公平にして、善く人を識り又他をして己を知らしむるの才あり、常識非常に発達し学理的に事業を為し居たる人なりき、左れば三菱の事業は令兄弥太郎氏の劃策宜しきを得たるものありて今日の隆盛を見るに至りたるには相違なきも、内に弥之助男の在るありて、之を補ひ之を輔けたるなくんば、成功或は必ず可ならざるもの有りしが如く、男は実に穏健なる思想と周到なる用意とを以て拮据経営、常に令兄の事業に対して常に内助の地に立たれしなり、余は岩崎兄弟とは久しく主義の衝突ありき、其は予が明治六年官を辞するの前、西洋の事情を視察し帰り、国富を致さんには第一金融機関、第二運輸機関、第三保険事業等の設備を要とすと信じ、先づ銀行の設立を見たれば、次に運輸機関の設備に尽力せんとの念を起し、同志と共に郵便汽船会社を起せり、然に成績挙らず幾許もなく九十九商会○三菱会社なる同業者と合併するに至り、余は暫く遠ざかり居たりしが、其頃岩崎家は三菱会社を起して盛に運輸事業を営み殆ど海運事業を一手に収めたる観あり、例の弥太郎氏の烈しき営業振なれば世間にも非難起り、余も亦其非難者の一人たる地位に立ちたり、是より先、余は海運橋際第一銀行の背後現在の地に事務所を設け居り、同家は弥太郎氏所有の家屋なりしを以て、氏は時々来訪して時事を談じたる事あり、入懇なりしも、其は私交のみ、主義の
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上には意見の背馳する処も多かりき、其後故品川子爵の後援を得て、益田(孝)・渋沢(喜作)・小室(信夫)等と計り共同運輸会社を起したるも、実は三菱に対抗する為めなりき、是よりは全然弥太郎氏と相背馳するに至り、双方の意志未だ融解するに至らず、如斯して反目の間に明治十八年弥太郎氏は逝去されたり、翌十九年故日本銀行総裁川田氏は岩崎家との確執を調停せんとて懇諭せらるゝ処あり、余等も素より国富の為にこそ競争はすれ他意あるに非ざれば、早速牛込なる川田氏邸にて弥之助男に会し、盃盤の間に閑談数刻胸襟を披き、其後余も岩崎邸を訪ひ、又男をも招待して毫も隔意なきに至れり、二十六年、一日川田氏来訪して余に三菱に入らん事を勧誘せられ、翌日弥之助男亦親しく来りて曰く、余は運輸事業は一家的事業に非ずして公共事業たらしむべきものなるを覚えり、然るに三菱の現状は恰も岩崎一家の事業の如く、重役は皆岩崎恩顧の者のみ、卿は夙く運輸事業に着目して多大の抱負も有る筈なれば、此際我が三菱に入りて、三菱は一家の事業に非ず、公共の事業を営むものなることを天下に知らしめられたしとの事なれば、余も喜んで諾し、爾来今日に至るまで重役の席班を汚せり○日本郵船会社取締役就任



〔参考〕明治史第五編交通発達史(「太陽」臨時増刊) 第二二一―二二二頁〔明治三九年一一月〕(DK080004k-0016)
第8巻 p.123-125 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕財界太平記 (白柳秀湖著) 第九七―九八頁〔昭和四年一月〕(DK080004k-0017)
第8巻 p.125 ページ画像

財界太平記 (白柳秀湖著)  第九七―九八頁〔昭和四年一月〕
 共同運輸会社を起したのが三井の顧問で、渋沢氏と関係の深かつた長閥の井上馨であり、之を三菱に合併させたのが、大久保の歿後薩閥の中心勢力として農商務卿の任に在つた西郷従道であることは既に述べた。西郷従道は大隈と共に大久保の征蕃論を支持し、長閥の巨頭木戸が怫然袂を払つて政府を去るのを顧みず、自ら都督として台湾に出征した。征蕃の役に於る大隈の三菱会社に対する思切つた補助は、大久保・西郷の賛成がなくして行はれる筈のものでなく、薩閥から云へば、北海道開拓使官有物払下の秘密を訐発して、一世の公憤を激揚したことは、大隈の許し難き背信の行為であり、其薩閥に対する卑劣極まる欺し討とも思はれたに相違ない。其処で大隈を政府から駆逐し、再び容易に起ち難き窮地に陥れるまでは、薩閥も長閥と提携して之を行ひ、大隈を援けて北海道開拓使官有物払下事件の問責運動に、軍資を供給した三菱を或る程度まで膺懲することは、これ亦薩閥の大に痛快とする所であつたに相違ない。但しその結果、長閥と最も親密の関係を有する三井の勢力を絶対的のものとし、共同運輸をして、全然三菱征服の目的を達せしむることは、軈て長閥の勢力に翼をかして、九天の高きに翺翔せしむるものであつて、之は何とか考へなければならぬ。それに井上が外務卿の地位から品川弥次郎《(品川弥二郎)》を我部下の如く頤使して、農商務卿たる西郷の存在を無視するが如く立振舞ふことも、薩派の間には追々問題となりつゝあつたに相違なく、其処へ策士岡本健三郎を通じて三菱の手が伸びて来たから、薩派を中心とする反品川熱は玆に一転して、両社合同の機運を促進させてゆくこととなつた。