デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
1節 海運
4款 浅野回漕部・東洋汽船株式会社
■綱文

第8巻 p.267-284(DK080015k) ページ画像

明治29年6月2日(1896年)

是日、東洋汽船株式会社創業総会開カレ、栄一ソノ議事ヲ宰ス。又監査役ニ選バル。尋イデ七月浅野総一郎渡米送別会ニ於テ挨拶ス。


■資料

第三課文書類別 農商―会社廿五 明治二十九年第一種(DK080015k-0001)
第8巻 p.267-275 ページ画像

第三課文書類別 農商―会社廿五 明治二十九年第一種 (東京府庁所蔵)
明治廿九年六月五日受 日出
 知事
  内務部長 第三課長 農商掛
  東洋汽船株式会社設立認可申請書進達案
(朱書)
内三丙四三八九号ノ二
曩ニ東洋汽船株式会社発起認可相成候処、発起人総代渋沢栄一外二名ヨリ右設立認可申請書進達方願出候ニ付、調査候処不都合ノ廉無之ト被存候条、別紙書類及進達候也
  年 月 日                知事
 - 第8巻 p.268 -ページ画像 
    農商務大臣宛 逓信大臣宛 (両名宛)
(別紙)
内三丙四三八九号
  東洋汽船株式会社設立免許願ニ付書類進達願
拙者共発起ノ東洋汽船株式会社ノ儀、明治二十九年五月二十三日付ヲ以テ御認可相成、其後適法ノ手続ヲ履ミ、創業総会相済候ニ付、設立免許出願仕度候間、別冊東洋汽船株式会社設立免許申請書・同目論見書・同定款並ニ発起認可書及株式申込簿ノ謄本、農商務・逓信両大臣へ御進達被成下度、此段奉願候也
  明治二十九年六月四日
            東京市深川区福住町四番地
             発起人総代  渋沢栄一
            東京市深川区清住町壱番地
             同      浅野惣一郎
            大坂市北区堂島湊通二丁目十五番地
             同      阿部彦太郎
    東京府知事 侯爵 久我通久殿
(別冊)
    東洋汽船株式会社設立免許申請書
明治二十九年五月廿三日附認第八六〇号ヲ以テ発起ノ認可相受候東洋汽船株式会社ノ儀、其後適法ノ手続ヲ履ミ創業総会相済候間、設立ノ御免許被成下度、商法第百六拾六条ニ依リ、別紙目論見書・定款・株式申込簿並ニ発起ノ御認可書謄本相添、此段申請仕候也
  明治二十九年六月四日
           東京市深川区清住町壱番地
     東洋汽船株式会社設立発起人  浅野惣一郎
           大坂市北区堂島湊通弐丁目拾五番地
     同              阿部彦太郎
           東京府荏原郡品川町北品川三百拾五番地
     同              原六郎
                     代 浅野惣一郎
           東京府北豊島郡王子村拾五番地
     同              大川平三郎(印)
           東京市芝区神明町廿四番地
     同              渡辺柳吉(印)
           東京市深川区福住町四番地
     同              渋沢栄一
           岐阜県岐阜市松屋町弐番戸
     同              渡辺甚吉(印)
           富山県新川郡東岩瀬町百七番地
     同              馬場道久(印)
           愛知県知多郡亀崎町千弐百六番戸
     同              天埜伊左衛門(印)
           横浜市南仲通リ三丁目五十番地
 - 第8巻 p.269 -ページ画像 
     同              安部幸兵衛(印)
           東京市芝区三田弐丁目弐番地
     同              福沢桃介
                     代 浅野惣一郎
           横浜市弁天通リ三丁目五十番地
     同              原鉄五郎(印)
           富山県高岡市木舟町三十六番地
     同              菅野伝右衛門
                     代 浅野惣一郎
           富山県射水郡新湊町大字放生津町七百三番地
     同              南島間作
                     代 浅野惣一郎
           横浜市本町弐町目廿七番地
     同              平沼専蔵
                     代 浅野惣一郎
           横浜市老松町壱丁目拾五番地
     同              平沼久三郎
                     代 浅野惣一郎
           横浜市南仲通リ三丁目五十番地
     同              安部幸之助
                     代 浅野惣一郎
           東京市京橋区木挽町九丁目三十番地
     同              森村市左衛門
                     代 浅野惣一郎
           東京市日本橋区小網町四丁目九番地
     同              安田善助
                     代 浅野惣一郎
           東京市本所区横網町弐丁目九番地
     同              太田弥五郎
           東京市日本橋区岩井町弐拾七番地
     同              藤田定次郎
                     代 浅野惣一郎
           東京市京橋区南新堀壱丁目四番地
     同              中沢彦吉(印)
           東京市深川区東大工町六番地
     同              岩出惣兵衛(印)
           東京市深川区材木町拾五番地
     同              中村平次郎(印)
           東京市本石町壱丁目廿四番地
     同              渋谷嘉助
                     代 浅野惣一郎
           横浜市本町四丁目六拾参番地
     同              若尾林平(印)
           横浜市本町四丁目六十八番地
     同              増田増蔵(印)
           横浜市弁天通五丁目九拾七番地
 - 第8巻 p.270 -ページ画像 
     同              木村利右衛門
                     代 浅野惣一郎
           横浜市南仲通リ三丁目四十弐番地
     同              大浜忠三郎
                     代 浅野惣一郎
           横浜市元浜町壱丁目壱番地
     同              渡辺和太郎(印)
           横浜市境町壱丁目四番地
     同              桑原福次郎(印)
           横浜市弁天通リ三丁目四十九番地
     同              原善三郎(印)
           東京市日本橋区本材木町壱丁目七番地
     同              渡辺四郎
                     代 渡辺和太郎(印)
           富山県富山市東四十物町三十五番地
     同              中田清兵衛
                     代 浅野惣一郎
    農商務大臣 子爵 榎本武揚殿
    逓信大臣 白根専一殿
(別紙)
    東洋汽船株式会社設立目論見書
第一 当会社ハ株式組織トス
第二 当会社ハ海運業ヲ営ムヲ以テ目的トス
第三 当会社ハ東洋汽船株式会社ト称ス
第四 当会社ハ本社ヲ東京市ニ設置ス
第五 当会社船舶ノ主トスル航路及其配布ハ左ノ如シ
 第一 日本ヨリ独国漢堡港ヲ経由シ露国バトーム港間
    総噸数凡ソ四千六百噸速力凡ソ十二海里ノ汽船四艘
 第二 日本ヨリ亜米利加合衆国紐育及費府港間
    総噸数凡ソ五千百噸速力凡ソ十四海里ノ汽船四艘
 右二線路共中間諸要港ハ便宜寄港スルモノトス
第六 当会社ノ資本金総額ハ五百万円トシ、之ヲ拾万株ニ分チ、壱株ノ金額ヲ五拾円トス
第七 当会社資本金使用ノ概算左ノ如シ
 一金弐百弐拾四万円也 総噸数凡四千六百噸ノ汽船四艘新造若ハ購入費
 一金弐百五拾弐万円也 総噸数凡五千百噸ノ汽船四艘新造若クハ購入費
 一金四万円也     地所家屋
 一金壱万円也     什器
 一金拾九万円也    流通資金
第八 当会社発起人ノ氏名住所及其引受株数左ノ如シ
  金額    株数    住所                   氏名
 五拾万円  壱万株   東京市深川区清住町一番地         浅野惣一郎
 拾五万円  参千株   大阪市北区堂島湊通二丁目十五番地     阿部彦太郎
 - 第8巻 p.271 -ページ画像 
 拾五万円  参千株   東京府荏原郡品川町北品川三百十五番地   原六郎
 拾五万円  参千株   東京府北豊島郡王子村十五番地       大川平三郎
 拾五万円  参千株   東京市芝区神明町廿四番地         渡辺柳吉
 拾万円   弐千株   東京市深川区福住町四番地         渋沢栄一
 拾万円   弐千株   岐阜県岐阜市松屋町二番戸         渡辺甚吉
 拾万円   弐千株   富山県新川郡東岩瀬町百七番地       馬場道久
 拾万円   弐千株   愛知県知多郡亀崎町千二百六番戸      天埜伊左衛門
 九万円   壱千八百株 横浜市南仲通三丁目五十番地        安部幸兵衛
 六万五千円 壱千参百株 東京市芝区三田二丁目二番地        福沢桃介
 五万五千円 壱千壱百株 横浜市弁天通三丁目五十番地        原鉄五郎
 五万円   壱千株   富山県高岡市木舟町三十番地        菅野伝右衛門
 五万円   壱千株   富山県射水郡新湊町大字放生津町七百三番地 南島間作
 五万円   壱千株   横浜市本町二丁目二十七番地        平沼専蔵
 五万円   壱千株   横浜市老松町一丁目十五番地        平沼久三郎
 五万円   壱千株   横浜市南仲通三丁目五十番地        安部幸之助
 五万円   壱千株   東京市京橋区木挽町九丁目三十番地     森村市左衛門
 五万円   壱千株   東京市日本橋区小網町四丁目九番地     安田善助
 五万円   壱千株   東京市本所区横網町二丁目九番地      太田弥五郎
 五万円   壱千株   東京市日本橋区岩井町二十七番地      藤田定次郎
 五万円   壱千株   東京市京橋区南新堀一丁目四番地      中沢彦吉
 五万円   壱千株   東京市深川区東大工町六番地        岩出惣兵衛
 五万円   壱千株   東京市深川区材木町十五番地        中村平次郎
 五万円   壱千株   東京市日本橋区本石町一丁目二十四番地   渋谷嘉肋
 四万円   八百株   横浜市本町四丁目六十三番地        若尾林平
 四万円   八百株   横浜市本町四丁目六十八番地        増田増蔵
 参万五千円 七百株   横浜市弁天通五丁目九十七番地       木村利右衛門
 参万円   六百株   横浜市南仲通三丁目四十二番地       大浜忠三郎
 参万円   六百株   横浜市元浜町一丁目一番地         渡辺和太郎
 参万円   六百株   横浜市境町一丁目四番地          桑原福次郎
 参万円   六百株   横浜市弁天通三丁目四十九番地       原善三郎
 参万円   六百株   東京市日本橋区本材木町一丁目七番地    渡辺四郎
 参万円   六百株   富山県富山市東四十物町三十五番地     中田清兵衛
右之通発起人共ニ於テ決定仕候、依テ各署名捺印スルモノ也
  明治二十九年六月四日
               東洋汽船株式会社発起人
                         連署捺印

(別紙)
    東洋汽船株式会社定款
   第一章 総則
第一条 当会社ハ株式組織トス
第二条 当会社ハ海運業ヲ営ムヲ以テ目的トス
第三条 当会社ハ東洋汽船株式会社ト称ス
第四条 当会社ハ本社ヲ東京市ニ設置ス
   第二章 株式及株主
 - 第8巻 p.272 -ページ画像 
第五条 本社ノ資本金ハ五百万円トシ、之ヲ拾万株ニ分チ、壱株ヲ金五拾円トス
第六条 本社ノ株主ハ大日本帝国臣民ニシテ、本社ノ定款ヲ遵守シ、株式ヲ引受ケ、株主名簿ニ登録ヲ受ケタルモノトス
 但無能力者ハ適法ノ代理人又ハ後見人ニ依リ、法人及団体ハ代表者ニ依リ、株主タルコトヲ得
第七条 本社ノ株券ハ左ノ三種トス
  壱株券  拾株券  百株券
第八条 本社ノ株券ニハ其金額、発行ノ年月日、番号、社名、社印、社長ノ氏名印及其株主ノ氏名ヲ載ス
第九条 本社ハ株金全額払込済迄ハ仮株券ヲ発行シ、全額入金ノ上ニテ本株券ト引換フベシ
第十条 株券ヲ毀損紛失シ、或ハ分割併合シ、或ハ名義変換等ノ為メ新株券ノ引換又ハ交付ヲ申出ツル者ハ、本社ニ於テ定ムル所ノ手続ヲ履行シ、且其費用ヲ支払フベシ
第十一条 株式ノ売買・譲与ハ、本社ニ於テ定ムル所ノ手続ニ従ヒ、其旨ヲ株券及株主名簿へ記載シ、且其株券ニ社長ノ氏名・印影ヲ押捺スルニ非ザレバ、本社ニ対シテ譲渡ノ効力無キモノトス
第十二条 本社ノ株式ヲ新ニ取得シタルモノハ、株主名簿ニ記載ノ日付以前ニ於テ本社ヨリ前株式《(主)》へ通告シタル総テノ事項ヲ知了シタルモノト見做スベシ
第十三条 株主其氏名・族籍・住所並ニ印鑑ヲ変更シタル時ハ、本社ヘ届出テ其名簿ノ更正ヲ請求スベシ
第十四条 本社ハ各事業年度閉鎖ノ際予メ公告ヲ為シ、日数三十日以内株式譲渡ニ係ル株券ノ記名書換ヲ停止ス
   第三章 株金払込
第十五条 本社ノ株金ハ設立免許ノ日ヨリ十ケ月以内ニ金拾弐円五拾銭ヲ払込マシメ、残額ハ明治三十二年七月三十日迄ニ払込マシム、其払込ノ期日及金額ハ取締役会ニ於テ之ヲ定メ、少クトモ払込期日二週日以前ニ株主ヘ通知スベシ
第十六条 株主ニ於テ株金払込期日ヲ遅延シタル時ハ、本社ハ、其払込ムベキ金額ニ対シ百円ニ付日歩四銭ノ割合ヲ以テ遅延利子ヲ添ヘ日数三週日以内ニ払込ムベキ旨ヲ催告スベシ、而テ其期日ヲ過クルモ尚ホ払込ヲ為サヽルトキハ、本社ハ其株主ニ通知シ其株券ヲ公売スベシ
第十七条 本社ハ前条ノ公売代金ヲ以テ払込金遅延利子及公売諸入費ニ充テ、過剰アレバ之ヲ返附シ、不足アレバ更ニ之ヲ徴収スベシ
 公売ニ際シ株券ヲ差出サヾル時ハ、其株券ハ無効タルベキ旨ヲ新聞紙ヲ以テ公告シ、後ニ新株券ヲ売得者○七月十四日発起人総代渋沢栄一ヨリ「買得者」ト訂正屈出ニ交附スベシ
   第四章 役員
第十八条 本社ハ取締役五名乃至七名、監査役二名乃至三名ヲ置ク
第十九条 取締役及監査役ハ総会ニ於テ記名投票ヲ以テ、百株以上ヲ所有スル株主ヨリ、之ヲ選挙ス
 - 第8巻 p.273 -ページ画像 
 取締役ノ任期ハ三ケ年トシ、監査役ノ任期ハ二ケ年トス
  但満期ニ至リ再選セラルヽコトヲ得
第二十条 取締役ハ無記名投票ヲ以テ正副社長各一名ヲ互選ス
第二十一条 社長ハ取締役会ノ決議ニ従ヒ本社全体ノ業務ヲ統理執行シ、株主総会ノ議長トナリ、且社外ニ対シテ本社ヲ代表スルモノトス
第二十二条 副社長ハ社長ヲ輔佐シ、社長事故アルトキハ之ヲ代理ス
第二十三条 監査役ハ取締役ノ業務ノ施行ヲ監視シ、取締役会ニ立会ヒ、及会計ヲ撿査スルヲ以テ任トス
第二十四条 取締役及監査役ハ在任中其所有ニ係ル本社株券百株ヲ本社ヘ預ケ置クベシ、本社ハ之ニ対シ禁授受ノ三字ヲ附シタル預リ証書ヲ交付スベシ
第二十五条 役員ノ満期改選若ハ其補欠選挙ハ、通常総会ト同日ニ臨時総会ヲ開キ之ヲ行フベシ、然レトモ役員法定ノ員数以下ニ減シタル場合ニ於テハ、特ニ臨時総会ヲ招集シ、補欠選挙ヲ為スベシ
  但補欠選挙ニ当選シタル者ノ任期ハ前任者ノ任期ヲ継承スルモノトス
第二十六条 取締役及監査役ハ満期改選又ハ臨時退職スルモ、新任者ヘ職務ノ引継ヲ終了セサル間ハ、其責任ヲ免カルヽコトヲ得ス
第二十七条 取締役及監査役ニハ給料又ハ報酬ヲ給与ス、其額ハ株主総会ノ決議ヲ以テ之ヲ定ム
第二十八条 支配人以下重要ナル雇員ノ任免黜陟ハ取締役会ニ於テ之ヲ定ム
   第五章 取締役会
第二十九条 取締役会ハ本社ノ方針ヲ規画シ、業務施行ノ方法・順序ヲ定メ、諸規則ヲ制定シ、重要ナル事項ヲ審按議決シ、社務全体ヲ統督ス
第三十条 取締役会ハ社長ノ意見又ハ取締役三名以上ノ請求ニ依リ之ヲ開ク
第三十一条 取締役会ハ取締役三名以上出席スルニ非サレバ開会スルコトヲ許サズ
第三十二条 取締役会ノ決議ハ出席者ノ過半数ニ依ル、可否同数ナルトキハ会長之ヲ決ス
第三十三条 取締役会ノ会長ハ社長之ニ任ス
  但取締役会ノ協議ニ依リ別ニ他ノ取締役中ヨリ之ヲ互選スルコトアルベシ
第三十四条 取締役会長ハ取締役会ヲ統理ス
   第六章 株主総会
第三十五条 本社ノ株主総会ハ通常総会及臨時総会ノ二種トス
第三十六条 通常総会ハ毎年一回十二月ニ之ヲ開ク、但開会ノ目的・事項・日時及場所ハ取締役会ニ於テ之ヲ定メ、少クトモ開会二週日前ニ其通知ヲ為スベシ
第三十七条 通常総会ノ議事ハ前事業年度ノ計算書・財産目録・貸借対照表・事業報告書・及配当金・積立金・役員賞与金ノ分配案トシ
 - 第8巻 p.274 -ページ画像 
他議ニ渉ルコトヲ得ス
第三十八条 臨時総会ハ臨時ノ事項ヲ議スル為メ、取締役会ノ決議ヲ以テ何時ニテモ之ヲ招集スルコトヲ得
  但開会ノ目的・事項・日時及場所ハ取締役会ニ於テ之ヲ定メ、少クトモ開会二週日前ニ其通知ヲ為スベシ
第三十九条 総株金ノ五分ノ一以上ニ当ル株主ヨリ会議ノ目的ヲ示シ臨時総会ノ開会ヲ請求スルトキハ、前条ノ例ニ依リ何時ニテモ臨時総会ヲ招集スヘシ
第四十条 総会ノ議事ハ予メ通知シタル議題以外ニ渉ルコトヲ得ス
第四十一条 定款各条ニ規定アルモノヽ外、左ニ掲クル事項ハ臨時総会ノ決議ヲ要ス
 第一 任意解散ノ件
 第二 定款変更ノ件
 第三 債券ヲ発行シテ負債ヲ起スノ件
第四十二条 総会ノ決議ハ前条第一・第二ノ事項ヲ除クノ外、総株金四分ノ一ニ当ル株主出席シ、其議決権ノ過半数ニ依リテ之ヲ定ム、可否同数ナルトキハ議長之ヲ裁決ス
  但委任状ヲ以テ他ノ出席株主ニ議決権ノ行使ヲ委任シタルモノハ出席数ニ加算ス
第四十三条 総会ニ於テ出席株主ノ議決権定数ニ満タザル時ハ、仮決議ヲ為シ、其旨ヲ通告シ、再ヒ総会ヲ招集スベシ、其通知ニハ若シ第二ノ総会ニ於テ議決権ノ定数未満ニ拘ハラズ、其仮決議ヲ承認シタル時ハ有効ト為スベキ旨ヲ明告スベシ
第四十四条 株主ノ議決権ハ其所有株数一株ニ付一個トス
第四十五条 総会議事ノ要領ハ総会議事録ニ記載シ、議長之ニ署名捺印シ本社ニ保存スベシ
   第七章 会計
第四十六条 本社ノ事業年度ハ毎年十月一日ニ始マリ、翌年九月三十日ニ終ル、而シテ毎事業年度ノ終ニ計算ヲ閉鎖シ、計算書・財産目録・貸借対照表・事業報告書、及配当金・積立金・役員賞与金ノ分配案ヲ作リ之ヲ通常総会ニ提出スルモノトス
第四十七条 本社ハ各年度毎ニ少クトモ純益金ノ二十分ノ一ヲ準備金トシテ積立ツベシ
第四十八条 準備金及其他ノ積立金ハ取締役会ノ決議ニ依リ、公債証書、確実ナル会社ノ株券又ハ債券ヲ以テ積立テ置クコトヲ得
第四十九条 本社ノ配当金ハ株金払込ヲ為シタル翌月ヨリ起算シテ之ヲ割賦スルモノトス
第五十条 各年度ノ配当金ハ其年度末日現在ノ株主ニ割賦スルモノトス
第五十一条 本社ノ社印ハ左ノ如シ
       東洋汽船株式会社印
第五十二条 社印ハ官庁ニ宛テタル書類及報告書・株券手形・其他本会社ノ権利義務ニ関スル一切ノ書類ニ之ヲ使用ス
 - 第8巻 p.275 -ページ画像 
右之通明治二十九年六月二日創業総会ニ於テ確定仕候、依テ之ヲ証スル為メ発起人各自署名捺印仕候也
  明治二十九年六月四日
               東洋汽船株式会社発起人
                         連署捺印

    御請書
 東洋汽船株式会社免許書 壱通 ○七月八日附ヲ以テ免許
右正ニ受領仕候也
  明治廿九年七月十五日
               東洋汽船株式会社
                 発起人総代 渋沢栄一
                   代 野津金之助(印)
    東京府知事 侯爵 久我久通殿


中外商業新報 第四二八四号 〔明治二九年六月三日〕 東洋汽船会社の創業総会(DK080015k-0002)
第8巻 p.275 ページ画像

中外商業新報 第四二八四号 〔明治二九年六月三日〕
    東洋汽船会社の創業総会
東洋汽船会社にては予記の如く昨二日午後二時より神田美土代町の青年会館に於て創業総会を開けり
創立委員長渋沢栄一氏会長席に着き、創業諸般の報告を為し、それより定款を議定し、創業費支出の承認を求めたる後、更に正副社長・取締役及び監査役等の俸級《(マ丶)》を議したるに、社長年俸三千六百円、副社長年俸三千円、取締役及び監査役年俸四百円に決し、終て役員の選挙を行ふ筈なりしも、多数は委員長の指名に任ずべき旨を望み、則ち委員長は左の諸氏等を指名す。
取締役 浅野総一郎・阿部彦太郎・塚原周造・奥三郎兵衛・天野伊左衛門・原六郎・原善三郎
監査役 渋沢栄一・若尾林平・前島密
役員の指名を了るや須藤時一郎氏の発議により、資本金を更に増加して大に航路を開かんとするの議は、重役に於て充分調査を受けたる後二百万円を増加して七百万円に改むるか、将又五百万円を増加して千万円に改むるかは、全然之を重役に任ずる事に決し、同四時退散したり。


東京経済雑誌 第三三巻第八二八号・第一〇〇一―一〇〇二頁〔明治二九年六月六日〕 ○東洋汽船株式会社創業総会(DK080015k-0003)
第8巻 p.275-276 ページ画像

東京経済雑誌 第三三巻第八二八号・第一〇〇一―一〇〇二頁〔明治二九年六月六日〕
    ○東洋汽船株式会社創業総会
東洋汽船株式会社の創業総会は去る四日神田区美土代町青年会館《(二)》に於て開けり、出席株主二百八十二名、此株数八万七千百二十九株にして渋沢栄一氏創立委員総代として、先づ会社創立発起以来の成行を報告し、終て創業総会に移り、満場の推撰により会長となり、創業費一千四百四十八円五十三銭九厘は異議なく之を認定し、定款改正条項も原案に決し、重役は取締役七名監査役三名とし、報酬は社長三千五百円副社長三千円、取締役四百円、監査役四百円にして、何れも年俸とすることに決し、各重役の撰挙は監査役一名に渋沢栄一氏を推す外、尽
 - 第8巻 p.276 -ページ画像 
く会長の指名に任せ、其推撰の結果左の如し
 取締役 浅野惣一郎・天野伊左衛門・原六郎・原善三郎・塚原周造・奥三郎兵衛・森村市左衛門
 監査役 渋沢栄一・前島密・若尾林平
而て浅野氏社長に、塚原周造氏副社長となれり、以上の議事終て株主の一人唐崎氏の発議に係る増資の内相談に移り、須藤・大刀川氏等の間に多少の説ありしも、結局左の如く決議して散会せり
 本社の航路を尚ほ拡張して資本金を都合七百五十万円乃至一千万円迄増資する事、右に就ての諸調査は之を創立委員諸氏に一任し、其調査結了を待て臨時株主総会を開く事
   ○創業当時事務所ハ日本橋区北新堀町十八番地浅野総一郎氏邸内ニ置キ、事務員ハ支配人以下十九名ナリキ。(東洋汽船株式会社第一期事業報告書ニヨル)


第三課文書類別 会社十四明治二十九年(DK080015k-0004)
第8巻 p.276-277 ページ画像

第三課文書類別 会社十四明治二十九年 (東京府庁所蔵)
  進達願
明治二十九年六月十七日当会社臨時総会ニ於テ、定款第五条修正致候事ニ議決仕候ニ付、別紙定款修正認可申請書農商務・逓信両大臣へ御進達被成下度、此段奉願候也
  明治二十九年七月廿四日
                 東洋汽船株式会社 社印
                副社長 塚原周造(印)
    東京府知事 侯爵 久我通久殿
(別紙)
  定款修正認可申請書
明治二十九年六月十七日当会社臨時総会ニ於テ定款第五条左記之通修正致候事ニ議決仕候間、御認可相成度、此段申請仕候也
 定款第五条  本社ノ資本金ハ七百五拾万円トシ、之ヲ拾五万株ニ分チ、壱株ヲ金五拾円トス
 理由     当会社初メ紐育・費府線及漢堡・バトーム線弐航路ヲ開始スル為メ資本金ヲ五百万円トナセシモ、太平洋ヲ横截シテ新ニ米洲西岸ニ達スル一航路ヲ開クコトトシ、之ニ充ツルガ為メ更ニ弐百五拾万円ヲ増加シ、資本金ヲ総計七百五拾万円トナシ、随テ従来ノ株数拾万株ヲ改メテ拾五万株トナセリ
 参照旧第五条 本社ノ資本金ハ五百万円トシ、之ヲ拾万株ニ分チ、壱株ヲ金五拾円トス
  明治二十九年七月廿四日
                 東洋汽船株式会社 社印
                副社長 塚原周造(印)
    農商務大臣 子爵 榎本武揚殿
    逓信大臣 白根専一殿
  ○八月二十一日其認可ヲ得タリ。
 - 第8巻 p.277 -ページ画像 
  定款修正認可申請書
明治三十年六月十日当会社臨時総会ニ於テ、定款第五条左記ノ通修正致候事ニ議決仕候間、御認可被成下度、此段申請仕候也
 定款第五条  本社ノ資本金ハ六百五拾万円トシ、之ヲ拾参万株ニ分チ、壱株ヲ金五拾円トス
 理由     当会社ハ当初紐育、バトーム及桑港ノ三大海外航路ヲ開始スルノ創意ナリシモ、業務上ノ都合ニ依リ其一航路ヲ減ジ、随テ既定ノ資本ヲ要セザルニ由ル
 参照旧第五条 本社ノ資本金ハ七百五拾万円トシ、之ヲ拾五万株ニ分チ、壱株ヲ金五拾円トス
  明治三十年六月十一日
                東洋汽船株式会社
                 社長 浅野総一郎(印)
    農商務大臣 伯爵 大隈重信殿
    逓信大臣 子爵 野村靖殿
農商務省指令商第九八八六号
             東京府東京市
                東洋汽船株式会社々長
                      浅野総一郎
明治三十年六月十一日付申請其社定款変更ノ件聞置ク
  明治三十年六月廿一日
           農商務大臣 伯爵 大隈重信


東京経済雑誌 第三三巻八三〇号・第一〇九三頁〔明治二九年六月二〇日〕 東洋汽船会社の臨時総会(DK080015k-0005)
第8巻 p.277 ページ画像

東京経済雑誌 第三三巻八三〇号・第一〇九三頁〔明治二九年六月二〇日〕
    東洋汽船会社の臨時総会
東京汽船会社《(洋)》にては去十七日午後二時より神田美土代町青年会館に於て臨時総会を開けり、出席株主二百三十五名、此株数七万三千五十七にして、社長浅野惣一郎氏病気欠席に付、副社長塚原周造氏会長席に付、左の諸項を議決して散会せり
 一従来の資本金五百万円を七百五十万円に増資する事
 一従来決定の航路の外、更に米国サンデゴー及び墨国テワンテペツク間の航路を開始し、其航海に充る汽船三艘乃至四艘を購入し、一箇月一回航通する事
   (其噸数及び速力は調査の上確定すべきも速力は先づ十四五海里とするよし)
 一増株の分配方は重役に一任する事
 一増株は旧株同様一株に付五十銭の証拠金を払込む事、其分配方及び証拠金払込み期日は追て重役より通知する事
 一増資に付定款の改正


中外商業新報 第四三一五号・〔明治二九年七月九日〕 浅野・大川両氏の送別会(DK080015k-0006)
第8巻 p.277-278 ページ画像

中外商業新報 第四三一五号・〔明治二九年七月九日〕
    浅野・大川両氏の送別会
浅野総一郎氏は東洋汽船会社用を帯び米国を経て欧洲へ、又王子製
 - 第8巻 p.278 -ページ画像 
紙会社専務取締役なる大川平三郎氏は機械買入として米国へ、何も明十日出発せらるることとなりしを以て、府下紳商六七十名は一昨夜両国亀清楼に送別会を開き、席上渋沢栄一氏の送別の辞及両氏の答辞等あり、頗る盛況を極めたりと。


東洋汽船株式会社 第一期事業報告書 自明治二十九年六月至明治三十年九月(DK080015k-0007)
第8巻 p.278-279 ページ画像

東洋汽船株式会社 第一期事業報告書 自明治二十九年六月至明治三十年九月
                 (東洋汽船株式会社所蔵)
一創業総会
明治二十九年六月二日、東京市神田区美土代町三丁目青年会館ニ於テ創業総会ヲ開キタリ、開会ニ先チ創立委員長渋沢栄一氏ヨリ創立事務ノ報告ヲ為シ、了テ総会ニ遷リ、渋沢栄一氏会長席ニ着キ先ヅ創業費ノ承認、仮定款ノ修正ヲ議定シ、役員ノ報酬額ハ取締役社長ニハ年俸金参千六百円、取締役副社長ニハ年俸金参千円、他ノ取締役及監査役ニハ均ク年俸金四百円ヲ給与スルコトニ決議シ、次ニ取締役七名、監査役三名ヲ選挙シ、取締役ニ浅野総一郎・塚原周造・原六郎・原善三郎・奥三郎兵衛・阿部彦太郎・天埜伊左衛門ノ七氏、監査役ニハ若尾林平・前島密・渋沢栄一ノ三氏当選シ、皆其就任ヲ承諾シタリ
一正副社長ノ選定
明治二十九年六月三日、定款第二十条ニ依リ正副社長ヲ選挙シ、社長ニ浅野総一郎氏、副社長ニ塚原周造氏当選就任シタリ
一会社設立ノ免許
明治二十九年六月四日、当会社ノ設立免許ヲ農商務・逓信両省ヘ申請シ、同年七月八日ヲ以テ其免許ヲ得タリ
一創立事務ノ引継
明治二十九年七月九日、創立委員ヨリ取締役ヘ創立事務ノ引継ヲ為セリ
一資本金額及株数
当会社ハ初メ紐育、及「バトーム」二航路ヲ開クノ目的ヲ以テ、資本金五百万円、株数拾万個ト定メタリシガ、爾後更ニ太平洋上ニ一航路ヲ開クノ要アルヲ認メ、明治二十九年六月十七日、臨時総会ヲ東京市神田区美土代町三丁目青年会館ニ開キ、航路ヲ増加スルタメ資本金ニ弐百五拾万円ヲ加ヘ、総額ヲ七百五拾万円、株数拾五万個ト為スコト、従テ定款第五条ヲ修正スルコトヲ決議シ、右決議ノ事項ヲ農商務・逓信両省ヘ届ケ出デ、同年八月廿一日其認可ヲ得タリ、然ルニ同年下半期ヨリ経済界ノ状況大ニ萎靡シ、株金募集上困難ヲ感スルコト少ナカラズ、由テ予定ノ三航路中最モ不幸ナルモノ一航路ヲ減ジ、以テ金融ノ恢復ヲ待ツコトトシ、明治三十年六月十日、東京市日本橋区浜町一丁目日本橋倶楽部ニ於テ臨時総会ヲ開キ、資本金ノ内ヨリ壱百万円ヲ減ジ、総額ヲ六百五拾万円、株数拾参万個ト定ムルコト、従テ定款第五条ヲ修正スルコトヲ可決シ、右決議ノ事項ヲ農商務・逓信両省ヘ届ケ出デ、同月二十一日其認可ヲ得タリ、是ニ於テ当会社ノ資本金ハ六百五拾万円、株数拾参万個ニ確定セリ
   ○株金払込、会社ノ登記、仮株券発行等略ス。
一航路撰定及造船注文
 - 第8巻 p.279 -ページ画像 
当会社航路ノ選定ト汽船製造注文ノ為メ取締役一名ヲ海外ニ派遣スルコトニ決シ、取締役社長浅野総一郎氏其任ニ当リ、明治二十九年七月九日社員二名ヲ随ヘ海外渡航ノ途ニ上レリ、初メ英領加拿太ナル「バンクバー」ニ到リ、南下シテ北米合衆国太平洋沿岸諸港ヲ巡視シ、同社予定航路ノ終点トナスベキモノヲ調査シタルニ、其港湾ノ良港ナル、交通機関ノ整備セル、貨物集散ノ盛ナル、桑港ニ若クモノ莫シ、而シテ同港ニハ太平洋郵船会社及西東汽船会社ナルモノアリテ東洋ニ至ルノ航権ヲ占有スルノミナラズ、太平洋郵船会社ハ彼ノ有名ナル南太平洋鉄道会社ノ大鉄路ヲ掌握シテ海陸運輸ノ利ヲ支配セリ、依テ同社ニ向ヒテ聯合営業ノ申込ヲ為シ、数回交渉ノ末、其契約ノ大要ヲ定メタリ、是ニ於テ太平洋航路ヲ以テ、同社ノ第一航路トシ、之ニ充ツヘキ汽船三隻ヲ製造スルコト丶セリ
同年九月浅野社長ハ英国ニ渡航シ、当会社汽船ノ設計ヲ同国弐拾弐箇所ノ大造船所ニ示シ、受負入札書ヲ帝国領事館ヘ向ケ差出ダスベキコトヲ通知シ置キ、航路ノ実況ヲ視察スルタメ、欧洲大陸諸国ヲ巡歴シ、再ビ英国ニ出デ、受負入札書ヲ調査シタルニ、就中「サンダーラント」ナル「ゼームス、レーング」造船所及「ニユーカツスル、オン、タイン」ナル「スワン、ハンター」会社ハ資力確実、技倆秀逸、且ツ比較的廉価ニ応ジタルヲ以テ、乃チ前者ニハ二隻、後者ニ一隻ヲ注文スルコトヽシ、右造船者ト仕様書ヲ議シタルニ、我社船ノ設計タル、優等ノ客船タルニ於テ遺憾無ク、且英国商務院規程及「ロイド」規則一等船ニ合格セシムルハ勿論、右二規程ヨリ更ニ厳粛ナル我政府ノ造船規程ニ照シテ、寸毫モ欠クル所ナキヲ期シタルモノナルヲ以テ、仕様書細目数百箇条ニ亘リ、三十年二月下旬ニ至リ漸ク之ヲ議了スルヲ得タリ、乃チ同二月二十三日「ゼームス、レーング」造船所ト、同二十五日「スワン、ハンター」会社ト造船本契約ニ調印セリ
右ノ汽船三隻ハ各同形ノ鋼製汽船ニシテ、長サ四百拾弐呎、幅五拾呎六吋、深サ参拾弐呎六吋、総噸数凡六千噸、実馬力七千五百、速力十七海里、全部二重底ニシテ、推進器弐個ヲ有ス、汽機汽鑵ハ最モ新式完整ノモノヲ備フ、客室ハ上等六十四、中等四十、下等室ハ千人ヲ容レテ余アリ、船内総テ電灯ヲ点ズ、郵便物及貴重品貯蔵室ノ堅牢精緻ナル、船客ノ待遇ニ関スル設備ノ周到ナル、優ニ大客船タルノ体裁ヲ完備セルモノナリ
船価ハ装飾品ヲ除キ、英貨九万八千百弐拾四磅ニシテ、凡我九十八万余円ニ当レリ、但構造変更、摸様替等ノ為メ多少ノ増減ヲ来タスヲ免レサルモノトス、社長ハ造船契約ヲ了リ、造船監督ヲ斯道ニ名声アル倫敦ノ「フランネリー」組合ニ委托シ、随行員中ノ一名富岡俊次郎ヲ彼地ニ留メテ監督者ト協議セシメ、且造船ニ関スル諸般ノ事務ヲ処理セシムルコトヽシ、明治三十年三月、北米合衆国ニ帰着シ、同年三月三十一日、桑港ニ於テ太平洋郵船会社及南太平洋鉄道会社ト聯合営業ニ関スル大要ヲ締結シ、同年四月十九日ヲ以テ帰朝セリ
「ゼームス、レーング」造船所製造ノ第一号船ヲ日本丸、同第二号船ヲ香港丸、「スワン、ハンター」会社製造船ヲ亜米利加丸ト命名シタリ
○下略

 - 第8巻 p.280 -ページ画像 

東洋汽船株式会社 第二回 事業報告書 自明治三十年十月至明治三十一年九月(DK080015k-0008)
第8巻 p.280 ページ画像

東洋汽船株式会社 第二回 事業報告書 自明治三十年十月至明治三十一年九月
                 (東洋汽船株式会社所蔵)
一新造汽船
当社汽船三隻英国ニ於テ製造中、明治三十年七月以来、同国ニ於テ機械職工ノ大同盟罷工起リシヲ以テ、為メニ工事ノ遅滞ヲ来タセシガ、本年二月ニ至リ漸ク落着シタルヲ以テ、当会社出張員及造船監督者ヲ督励シ、頻リニ工事ヲ急カシメタルヲ以テ、第一船日本丸ハ明治三十一年四月二十三日ヲ以テ進水シ、八月二十二日試運転ヲ了リ、九月八日本邦ヘ向英国ヲ出帆セリ、第二船亜米利加丸ハ三月九日ヲ以テ進水シ、九月二十四日試運転ヲ了リ、第三船ハ七月七日進水セリ、日本丸ハ十月、亜米利加丸ハ十一月、香港丸ハ十二月ヲ以テ本邦ニ到着ノ予定ナリ
○中略
一太平洋郵船及西東汽船両会社トノ契約
明治三十年十二月、太平洋郵船会社副社長兼総支配人「アール・ピー・シユウエリン」氏、同社及西東汽船両社ヲ代表シテ来朝シタルニ付、当会社ハ右両会社ト鼎立営業ニ関シ本契約ヲ締結シ、之ニ調印セリ


東洋汽船株式会社 第三回前半期 事業報告書 自明治三十一年十月至明治三十二年六月(DK080015k-0009)
第8巻 p.280-281 ページ画像

東洋汽船株式会社 第三回前半期 事業報告書 自明治三十一年十月至明治三十二年六月
                 (東洋汽船株式会社所蔵)
当会社カ英国ニ注文シタル新造船ハ、昨年ノ末ヨリ今年ノ初ニカケテ悉ク落成ノ上、本邦ニ廻航シ、航海奨励法ノ検査ヲ受ケ、良好ノ成績ヲ得テ、同法規定ノ最高額奨励金ヲ受領スヘキ認許証書ヲ受領シタレハ、玆ニ諸般ノ設備全ク調ヒ、愈々日本丸ハ昨年十二月十五日ヨリ、亜米利加丸ハ本年一月十五日ヨリ、香港丸ハ同二月八日ヨリ英領香港ニ於テ初メテ定期航海ニ加ハリ、当会社営業ノ端緒ヲ開クニ至レリ
当会社ノ米国航路ハ、太平洋郵船及東西洋汽船《(西東)》ノ二会社ニ於テ、数十年来定期ノ航海ヲ持続シ、今日ニ在リテハ鞏固ナル信用ト確実ナル収益トヲ有スルノ線路ナルガ、一昨年三月社長浅野総一郎氏米国桑港ニ於テ前記二会社ト鼎立シテ、該線路ニ営業スルノ協定ヲ遂ケ、是ト同時ニ、米国ノ要地ニ跨リテ最大延長ヲ有スル南太平洋鉄道ト聯絡ノ契約ヲ締結シタルヲ以テ、其結果ハ従来前記二会社ニ於テ占有セシ利益ヲ我ニ分割セシムルコトヽナリ、従テ業務開始ニ先チテ、営業ノ基礎ヲ確立スルコトヲ得タリシハ当会社ノ最モ喜フ所ナリ
○中略
当会社ノ米国航路ハ、本邦ヲ中心トシテ東亜及米大陸ヲ連絡スル最要ノ航路ナレハ、国家カ之ヲ特定航路トシテ一定ノ補助金ヲ下附スルコトノ極メテ必要ナルヲ認メ、昨年九月之ヲ逓信大臣ニ出願シ、爾来成効ニ努メタルノ結果、逓信大臣ヨリ本月十日附ヲ以テ命令書ヲ下附セラレ、国家ニ対シ此重任ヲ荷フノ光栄ヲ得タリ、該命令書ニ拠レバ、明年一月ヨリ向フ十ケ年間、毎年金百〇壱万参千八百八拾円以内ノ補助金ヲ受ケ得ルコトニシテ、当会社航路ノ基礎ハ弥々鞏固ヲ加ヘタリト謂フヘシ、然レトモ一方ニ於テ是ニ伴フタル重大ノ責任アルヲ以テ
 - 第8巻 p.281 -ページ画像 
当会社ハ将来ニ於テ充分ノ覚悟ト慎重ノ用意トヲ以テ其事ニ当リ、飽クマテ国家ノ嘱望ニ酬ユルコトヲ期セサルヘカラス
当期末日即チ明治三十二年六月三十日ニ於ル当会社ノ船舶ハ左ノ如シ
           噸         数
   船名     総噸数      登簿噸数    公称馬力    速力
  日本丸   六、〇四七、九八 三、三〇二、〇七 五六九、二七 十七海里五三
  亜米利加丸 六、二一〇、二五 三、五三八、七九 五六九、二七 十七海里七〇
  香港丸   六、〇六三、七七 三、三八五、三九 五六九、二七 十七海里一一
当期中当会社船カ其航路ニ於ル起終点発航度数左ノ如シ
   船名   横浜発 香港発 桑港発   航海哩数
  日本丸    六回  三回  二回  三九、二八九
  亜米利加丸  五〃  三〃  二〃  三三、八九六
  香港丸    三〃  三〃  一〃  一九、九三六
   合計   一三〃  九〃  五〃  九三、一二一


東洋汽船株式会社 第三回後半季 営業報告書 自明治三十二年七月至明治三十二年十二月(DK080015k-0010)
第8巻 p.281 ページ画像

東洋汽船株式会社 第三回後半季 営業報告書 自明治三十二年七月至明治三十二年十二月
                 (東洋汽船株式会社所蔵)
  第一 業務ノ概況
米国・東洋ノ貿易ハ近時著ク膨脹シ、従来太平洋上ニ浮ヘル船舶ヲシテ漸ク運搬力ノ不足ヲ訴ヘシメントス、当会社開業以来、桑・香・起終両点ヨリ、貨物ハ毎船必ズ之ヲ満載シテ尚ホ剰リアル所以ノモノ、職トシテ之ニ由ラズンバアラズ、殊ニ当期後半ニ於ル荷客営業ノ如キハ、実ニ非常ノ好況ヲ呈シタルモノト謂フベシ、是或ハ「マニラ」戦役ノ為メ、曩ニ北米合衆国政府ガ太平洋ノ貿易ニ従事セル汽船数隻ヲ挙ケテ一時其用船トナシタルニ多少原由スルナルヘシト雖トモ、米国ヨリ東洋行ノ貨物ハ漸次増加シ、当期後半ニ於ル運賃率ハ、前半期ニ比シ平均凡二割方ノ騰貴ヲ示シ、将来貨物ノ愈増加スルト共ニ、多少運賃ノ昇騰セントスル傾向アルハ蓋シ疑フベカラザルノ事実トス、東洋ヨリ米国行ノ貨物モ亦頗ル夥多ニシテ、往々其積入レヲ謝絶スルノ已ムヲ得ザルコトアリタリ、而シテ其運賃率ハ曾テ反対船ノ競争ニヨリ一時非常ニ低落セシガ、当期ノ後半ニ至リ殆ド其原状ニ復スルヲ得タリ、固ヨリ米国ヨリ東洋行ノモノニ比シ大ニ遜色アリト雖トモ、運賃率ノ協定ハ早晩諸線間ニ商量セラルヽニ至ラン、従テ東洋ヨリ米国行貨物運賃ハ、少ナクトモ当分目下ノ状態ヲ維持スルナラント信ス
旅客営業ニ就テハ、開業以来日尚浅ク、一方ニハ船内諸般ノ施設未タ完備セザルモノアリ、一方ニハ社船ノ名声未タ一般ニ浹洽セズ、故ヲ以テ当期ニ於ケル旅客営業ハ素ヨリ十分ノ好績ヲ得タリト云フ能ハザルモ、之ヲ前半期ニ比シ大ニ此営業ノ進捗セルコトヲ示セルノミナラズ、次期ニ於テハ一層有望ニ赴クノ傾アルガ如シ


東京経済雑誌 第三八巻第九五六号・第一二四四―一二四五頁〔明治三一年一二月三日〕 ○東洋汽船株式会社の航業開始を祝す(鶴城居士)(DK080015k-0011)
第8巻 p.281-283 ページ画像

東京経済雑誌 第三八巻第九五六号・第一二四四―一二四五頁〔明治三一年一二月三日〕
    ○東洋汽船株式会社の航業開始を祝す (鶴城居士)
東洋汽船株式会社は一昨年四月中当市の浅野総一郎・馬場道久の二氏が、渋沢栄一・原六郎・安田善次郎・大倉喜八郎・原善三郎・今村清
 - 第8巻 p.282 -ページ画像 
之助・渡辺治右衛門・森村市左衛門・渡辺甚吉諸氏の賛成を得て、其の筋に出願したる所にして、当時の計画に拠れば資本金は三百七十万円なりしが、翌五月に至り横浜に大東汽船会社の計画あり、之と合併するに及びて資本金を七百五十万円に増加し、社長浅野氏は欧米に航して汽船を英国の造船所に注文したりしが、愈々日本丸・亜米利加丸及び香港丸の三艘出来し、日本丸は去月下旬を以て横浜港に到着せしかば、廿六七の両日朝野の貴顕紳士及び株主を招待し、横浜港の西波止場に横付して観覧に供し、余も亦浅野社長の案内に依りて観覧の栄を荷へり
前記の三艘は姉妹船にして、其船躰の概要は左の如し
  船資格  造船規定合格ロイド船籍00HI  船質    鋼
  全長   四百四十一咫         巾     五十呎七吋
  深    三十二呎六吋         甲板    四層
  総噸数  六千四十七噸         登簿噸数  三千三百二噸
  載貨重量 四千四百十六噸半       実馬力   七千五百
  最強速力 十七海里五三         推進器   双螺旋
  汽缶   両端汽缶四個単端汽缶一個   汽機    三聯成表面冷汽滊機
  乗組定員 船長及運転士五、機関長及機関士十、事務長監督及事務員七、船医一、水火夫七十一、船匠師類他数名
  端艇   十双(鋼製救命艇)      檣     三本スクーナ形
  船躰全部二重底
廿五日東京海湾に於て公試運転を行ひたるに、十七「ノツト」五三にして、首尾能く検査に合格し、従来航海奨励金を下付せる船舶中最高の速力を呈したりと云ふ
余輩は斯くの如き良船の我が帝国の船籍に上りたるを悦ばざるべからず、何となれば平時に於て我が海運を裨益すること大なるのみならず戦時に於ても甚だ必要なればなり、又余輩は一昨年創業以来経済社会の変動に際し新設事業は困難を極めたるにも拘はらず、当初の計画を固守して、愈々本月より日本丸外二艘を以て横浜・香港間及び横浜・桑港間の航路を開始するに至りたるを祝せざるべからず、当初の予算に拠れば、一ケ年一割五分一厘七毛余の利益あるべき計算なりしが、斯の如き利益は未だ容易に得べからずとするも、歳月を経過するに随て増加すべきや決して疑なかるべき也、而して余輩が最も愉快に感ずるは、現行航海奨励法の存立に対し、一保障を得たること是なり。夫れ該法は東洋汽船会社其の他普通の汽船会社が拠りて以て営業を維持し、国家の恩沢に報ひんことを期する所のものなり、然るに日本郵船会社は海外航路を挙げて特定航路となし、以て特別助成金を請願し、東洋汽船会社其の他の航業を撲滅し、以て独占の利益を得ることを期し、曾て之を計画したるのみならず、頃日開きたる株主総会に於ても左の如き言を為せり
 欧米航路特定助成の一事は、当会社積年の素志にして、昨年臨時総会の趣旨を貫徹せむ為め専ら尽す所あり、未だ其結果を報告する時機に至らずと雖も、元来此事たる一会社の私事にあらず、国運の進張に伴ひ欠く可らざる設備なるを以て、国家亦必らず之を忽にせざるべく、当会社は益々進んで其成功を努むべし
蓋し日本郵船会社が特別助成金を得る時は、一般の汽船会社は撲滅せ
 - 第8巻 p.283 -ページ画像 
ざるべからず、故に東洋汽船会社が愈々航業を開始するに至りたるは即ち日本郵船会社の非望を杜絶して、現行航海奨励法を保護するものにして、而して余輩が従来筆を禿して攻撃せし非特定航路特別助成金問題に千鈞の力を加へたるものと謂ふべきなり、余輩豈之を悦ばざるを得んや
   ○同会社ノ桑港線ハ上掲資料ノ如ク、三十一年十二月十五日香港発ノ日本丸ヲ第一船トシテ開設シタルガ、三十三年一月以降特定助成航路ニ指定セラレ、四十三年一月以降遠洋航路補助法ニ基ク補助航路トナレリ。本線開設当初ハ新造船日本丸(六、〇四八総噸)・亜米利加丸(六、二一〇総噸)・香港丸(六、〇六四総噸)ヲ配シ、次デ明治四十一年天洋丸(一三、四〇二総噸)地洋丸(一三、四二六総噸)ヲ、四十四年春洋丸(一三、三七七総噸)ヲ三菱長崎造船所ニ於テ建造配船セリ。後大正五年これや丸(一一、八一〇総噸)・さいべりや丸(一一、七九〇総噸・波斯丸(四、三八〇総噸)ノ三艘ヲ太平洋郵船会社ヨリ買収シ、更ニ同十年大蔵省ヨリ大洋丸(旧独逸船カブ・フイニスター号、一四、四五八総噸)ノ運航委託ヲ受ケテ本航路ニ使用セリ。
    尚亦当会社ハ東亜ト南米諸国トノ貿易ノ有望性ニ著眼シ、明治三十四年及ビ三十七年南米ニ人ヲ派遣シテ各地実情ヲ調査シタル結果、英国船グレンフアーグ号(三、六四七総噸)ヲ傭船シテ三十八年十二月南米西岸線ヲ開設セリ。是レ本邦南米航路ノ創始ナリ。其後本線ハ四十一年七月一時中止セシモ翌年四月再開シ、四十三年一月以降遠洋航路補助法ニ基ク政府補助航路ヲ受命セリ。本線ノ使用船ヲ挙クレバ前記グレンフアーグ号ニ続キテ海軍省委託船笠戸丸(六、一六七総噸)・英国船カザリンパーク号(四、八三七総噸)・満洲丸(五、二四八総噸)及ビ桑港線ヨリ転用セル亜米利加丸・香港丸等ナリシガ、四十四年新船紀洋丸(九、二八七総噸)ヲ大正二年ニ安洋丸(九、二五七総噸)・静洋丸(六、七二四総噸)ヲ、降テ同十年楽洋丸(九、四一九総噸)・銀洋丸(八、六〇〇総噸)ノ二新船ヲ、同十三年ニ新船墨洋丸(八、六一九総噸)ヲ配セリ。



〔参考〕逓信事業史 第六巻・第九四九頁 〔昭和一六年二月〕(DK080015k-0012)
第8巻 p.283-284 ページ画像

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〔参考〕原六郎翁伝 中巻・第三八七―三八九頁 〔昭和一二年一一月〕(DK080015k-0013)
第8巻 p.284 ページ画像

原六郎翁伝 中巻・第三八七―三八九頁 〔昭和一二年一一月〕
 愈々会社が成立するや、取締役会の決議により、社長浅野総一郎氏を海外に派遣して、航路の選定並に汽船の製造註文に当らしめることになつた。かくして社長浅野氏は明治二十九年七月十日海外渡航の途に上り、社長留守中の事務統轄は主として翁に委託せられた。しかるに明治二十九年の下半季から三十年へかけて、我が財界は深刻なる不況に見舞はれ、新事業を興すには全く不適当な時期に際会した。そこで明治二十九年十二月二十五日に開かれた東洋汽船会社重役会においては、さきに計画せられた露油運搬のためのタンク船四隻の建造は当分之を見合せ、米国紐育線を中止し、たゞ桑港線に就航する汽船三隻だけを外国へ註文するに止めることゝなり、この旨直ちに滞米中の浅野氏宛打電せられた。(同日日記)
 そこで浅野氏は先づ米国太平洋郵船会社と聯合営業の契約を結んで桑港航路を獲得し、これを以て東洋汽船会社の第一航路と定め、更に英国に渡り、太平洋航路に充つべき汽船三隻を同国のゼームス・レーング造船所に一隻及《(二)》びスワン・ハンター会社に二隻《(一)》を註文し、明治三十年二《(四)》月二十一《(十九)》日に帰朝した。しかし明治三十《(一)》年十《(一)》月新艤装の日本丸がその麗しい容姿を横浜埠頭に浮べる頃は、この会社の前途に対する悲観論は絶頂に達した。ともすると意気沮喪しようとする重役連を、翁は浅野氏と共に絶えず鼓舞激励しつゝ、二番船香港丸・三番船亜米利加丸の竣功を待つた。
 やがてこれらの巨船が愈々就航して見ると、恰かも海外移民熱勃興の潮に乗つて、各船は毎回出帆毎に四、五百名の移民を絶えずホノルルに送り、この会社の客主貨従主義、巨船主義の成功は美事実証せられた。併し太平洋上に君臨する米船と覇を争ふためには、是非ともこの桑港航路を定期航路にしなければならぬ。しかるに未だ営業の基礎の確立してゐないこの会社としては、到底自力を以て定期航海を決行することは不可能である。そこで翁は浅野氏と共に、屡々政府当局を訪問して郵船の濠洲航路同様、桑港航路を特定航路に指定して毎年相当額の特別助成金を下附せられんことを願ひ出た。明治三十一年十二月十九日の日記に云ふ。
 「浅野氏来訪。特定航路の件に付同道、松方大蔵大臣へ同行。桑港特定航路の件を願ひ、郵船濠洲航路同様出願せり。大臣は彼の件も容易ならずなどと云へり。」
翁等のこの努力は酬いられて、翌明治三十二年度から政府と桑港航路定期航海の契約を結び、一箇年特別助成金壱百万三千八百八拾円以内を受けることになつた。