デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
4款 両毛鉄道株式会社
■綱文

第8巻 p.624-634(DK080055k) ページ画像

明治19年11月25日(1886年)

田口卯吉・浅野総一郎外十六名発起人ト為リ、下野国小山ヨリ桐生ヲ経テ上野国前橋ニ至ル間ノ鉄道ヲ敷設セントシ、是日出願ス。栄一背後ニ在リテ之ヲ援助ス。翌二十年五月十七日命令書下附セラル。同会社ハ明治三十年一月一日ニ至リ鉄道・土地・建物其他一切並ニ営業権ヲ日本鉄道株式会社ニ譲渡シ解散ス。


■資料

青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第九七〇―九七一頁 〔明治三三年六月〕(DK080055k-0001)
第8巻 p.624 ページ画像

青淵先生六十年史(再版)  第一巻・第九七〇―九七一頁〔明治三三年六月〕
    第八節 両毛鉄道会社
両毛鉄道ハ野州小山ヨリ上州前橋ニ至ル鉄道ニシテ、其資本金百五十万円ナリ、該鉄道ハ政府ノ保護ヲ仰カス、純然民間ニ於テ経画セラレタル私設鉄道ノ元始ナリ、其起ルヤ明治十九年ニアリ、当時私設鉄道条例未タ制定セラレス、政府ノ認可ニ至ルマテノ手続其他悉トク新例ニ属スルヲ以テ数多ノ困難アリ、而シテ青淵先生其ノ必成ヲ期シ、田口卯吉・小松彰・今村清之助・菊池長四郎・木村半兵衛・伴直之助等ノ発起人ヲ奨励シ、浅野総一郎ヲ発起人中ニ加ヘ、先生ニ代リテ斡施セシメ、遂ニ明治二十年三月、該鉄道会社ノ基礎確立シ、着々工事ヲ進メ、明治二十四年竣成開業シ、二十六年以来収入頓ニ増加シ、廿八年《(マヽ)》ヲ以テ其ノ資本ニ二倍スルノ価格ヲ以テ、全線ヲ日本鉄道会社ニ売却セリ
  ○同会社ノ日本鉄道ヘノ譲渡解散ハ明治三十年一月一日ナリ。後掲「第六課文書類別」参照。
  ○創立ノ事情ヨリミレバ栄一ハ当然株主タル如キモ、今ソノ資料ヲ得ズ。


日本鉄道史 上篇・第七七五―七七七頁〔大正一〇年八月〕(DK080055k-0002)
第8巻 p.624-625 ページ画像

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日本鉄道史 中篇・第三二七―三二八頁〔大正一〇年八月〕(DK080055k-0003)
第8巻 p.625-626 ページ画像

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東京経済雑誌 第一四巻第三四三号・第六九四―六九七頁〔明治一九年一一月二〇日〕 ○両毛鉄道会社(DK080055k-0004)
第8巻 p.626-629 ページ画像

東京経済雑誌  第一四巻第三四三号・第六九四―六九七頁〔明治一九年一一月二〇日〕
    ○両毛鉄道会社
兼て本誌に掲載せし、栃木県下小山より足利を経て群馬県下前橋に至る、凡そ五十哩間鉄道の布設を計画する同会社は、既に諸事整頓して愈々政府へ請願の手続に運びし趣にて、同発起人なる田口卯吉・伴直之助・木村半兵衛・小松彰の四氏より株主一同へ通知書を送り、去十七日府下京橋区木挽町の商工会を借受けて会議を開かれ、当日議事に付したる条件は左の如し
 (第一)定款協議の事(第二)東京に於て発起人総代八名を選挙し地方総代人と共に、其名義を以て政府に請願する事(第三)右八名の内互選を以て委員二名を選挙し、之をして請願の手続を取扱はしめ、且諸務の準備を為さしむる事(第四)請願許可の後直に株主総会を開き、取締役を選挙すべき事(第五)創業入費支弁の為め、申込高五千円に付き金二十五円の割合を以て出金する事
同日会する者吉田丹左衛門・吉田丹治郎・吉田丹治兵衛・安田善次郎代理・石黒忠悳代理・宏虎童・丸山平助・菊地長四郎《(菊池長四郎)》・浅野総一郎・渡辺洪基・木村半兵衛・田口卯吉・伴直之助・山田央・西村喜三郎・左右田金作・大野虎雄・諸葛嘉七・園川鉦之助・青木貞三・村道太代理・青木茂代理・宮部久代理・山中隣之助・三枝久兵衛代理・会田源七・今村清之助・山県保兵衛・西脇寛蔵・梅浦精一・小林彰・川崎八右衛門代理・岡本善七・諸葛小弥太・井上兵蔵・小林宗三郎・小林祐之助・小林源三郎・蒲義質代理の三十九名にして、其株数過半数以上なるを以て、直ちに会議を開き、渡辺洪基氏を議長席に挙けて、先つ逐条定款を議了し、夫より発起人総代を選挙せしに、小松彰・田口卯吉・山中隣之助・青木貞三・安田善次郎・吉田幸作・菊地長四郎《(菊池長四郎)》・浅野総一郎の八名当選せり、次て他の議案を議了し、午後八時退散したり、猶は同会社発起人諸氏には、不日地方部の発起人を会するの後ち直ちに出願すると云ふ、又同会社創立の趣意書は左の如くなり
    両毛鉄道会社創立趣意書
 物産ヲ興シ人智ヲ進メテ以テ国家文明ノ基本ヲ立テント欲セバ則チ運輸交通ヲ便ニセザルベカラズ、運輸交通ヲ便ニスルハ則チ鉄道ヲ布設スルニ若クハナシ」我政府玆ニ見ルアリ、夙ニ鉄道布設ノ計ヲ定メ、明治五年始メテ東京横浜間ニ一線ヲ起シ、又タ同年神戸大阪間ノ鉄道開ケテヨリ、爾来西京ヨリ大津ニ通シ、尋デ敦賀・長浜・関ケ原ノ線亦成レリ、是レ皆ナ創業始設ニ係ルト雖モ、容易ニ至難ノ工事ヲ了シテ以テ鉄道ノ利益ヲ実際ニ示サレシカバ、民間ノ資本家ヲシテ亦タ之ヲ計画セントスルノ念ヲ起サシメタリ、則チ明治十四年ニ当リ、日本鉄道会社ハ資本金弐千万円ヲ以テ起リ、一線ハ東京ヨリ高崎ヲ経テ前橋ニ通シ、一線ハ北行シテ陸羽青森ニ至ルノ長
 - 第8巻 p.627 -ページ画像 
線ヲ布設セントシ、之レヲ政府ニ請願スルニ及ビ、政府ハ特例恩典ヲ附シ、利益八分ノ保証ヲ与ヱテ大ニ此事業ノ成功ヲ助ケラレタリ、以テ政府ガ鉄道事業ヲ保護スルノ厚キヲ知ルベシ、次テ明治十六年ニ至リ、政府ハ公債金壱千七百万円ヲ募集シ、更ラニ鉄道増設ノ議ヲ定ム、将来東海道鉄道ノ布設費ニ充テラルベキ中仙道鉄道公債是レナリ、此他北海道ノ小樽鉄道先キニ成リ、越後ノ直江津鉄道亦タ本年ヲ以テ工ヲ竣フルニ至レリ、然リ而シテ、阪堺鉄道会社ノ如キハ純乎タル民立ヲ以テ起リ、官府ノ保護ニ頼ラズシテ能ク其事業ヲ経営シ、愈々其業務ヲ拡進セリ、知ルベシ、今ヤ鉄道事業ノ広ク公衆ヲ益スルト其興起スベキ機運ニ達シタルコトヲ
 抑々我ガ両毛ノ地タル、工業ノ中心ニシテ物産ノ以テ称スベキモノ一ニシテ足ラズ、足利、桐生ノ織物ハ永ク関東第一ノ物産トシテ声誉頗ル高キハ世ノ普ク知ル所ナリ、又県下全躰ノ上ヨリ之ヲ察スルニ、織物ノ元品タル生糸・木綿ノ如キ、或ハ銅・米・麦・麻・茶・煙草・種油ノ類ニ至ル迄、其産出交易ノ額実ニ万ヲ以テ数フベシ、夫レ産出ノ品類数額巨多ナルガ故ニ、其消費スル所亦タ決シテ少小ニアラザルナリ、殊ニ我カ特有ノ物産タル織物ノ如キ、多クハ之ヲ海外ヘ輸出シ、或ハ之ヲ内地諸県ノ消費ニ供スベキモノナルカ故ニ運送ノ頻繁ナル、殆ント他県ニ比類ヲ見ザル所ナリ、然ルニ今日ニ至ルマデ、此等ノ物品ヲ輸送スルノ具ハ僅カニ人肩馬背、若クハ荷車ノ類ニ過ギザルヲ以テ、運賃高価ニシテ、而シテ発着ニ多日ヲ費サヾルベカラズ、夫レ運送ノ遅緩ナルト賃銭ノ高貴ナルトハ、倶ニ製産入費ノ一部トナルヲ以テ、勢ヒ物品ノ高貴ヲ致サヾルヲ得ザルナリ
 倩々物産ノ隆替興廃スル所以ヲ察スルニ、其主因タルモノハ蓋シ品質ノ精粗、価格ノ高廉如何ニアリトス、則チ我ガ物産ヲ興起セント欲セバ、其品質ヲ精良ニシ、其価格ヲ低廉ニセザルベカラズ、其価格ヲ低廉ニシ其品質ヲ精良ニセント欲セバ、運賃ヲ低下シ、其運搬ヲ便利ニシテ、以テ製産入費ヲ減ゼザルベカラズ、然ルニ計コヽニ出デズ、徒ラニ今日ノ如キ遅緩ニシテ多費ヲ要スル運送法ニ甘ンズルトキハ、焉ンゾ将来物産ノ隆興ヲ期スベケンヤ」日本鉄道会社ノ第一区線ハ熊ケ谷ヲ経テ高崎前橋ニ通シ、第二区線ハ古河ヲ経テ小山、宇都宮ニ達セリ、是ニ於テ両毛南北ノ両端ハ鉄道ノ便ヲ得ルニ至リシト雖トモ、其間ニ在ル所ノ町駅ノ如キハ、依然旧来ノ迂遠ナル運送ニ依頼セザルヲ得ザルナリ、而シテ此二十里間ノ町駅タル、商工業上枢要ノ地ニシテ、殊ニ伊勢崎・大間々・桐生・足利・佐野栃木ノ如キハ、実ニ両毛ノ骨子タリ、然リ而シテ、鉄道ノ便未ダ玆ニ開ケザルハ、豈ニ両毛物産ノ進路ヲ遮キルモノニアラズヤ」彼ノ日本鉄道会社第一区及ヒ第二区ノ線路タル、間接ニ我カ地方ニ利益ヲ与ヘザルニアラズト雖トモ、未ダ直接ニ我ガ産業ヲ鼓舞スルニ足ラザルナリ、是ニ於テ我々同志者一同申合セ、玆ニ一会社ヲ興シ、端ヲ栃木県下都賀郡小山ヨリ発シ、群馬県前橋ニ至ル二十里許ノ鉄道ヲ布設シ、之ヲ日本鉄道会社ノ支線トナシ、其第一区線ト第二区線トヲシテ相聯絡セシメント欲スルナリ、蓋シ此支線ハ地形ニ於テ
 - 第8巻 p.628 -ページ画像 
自ラ異同アルヲ以テ、分テ二区トナシ、小山ヨリ栃木・佐野・足利ヲ経テ桐生ニ至ル十三里許(三拾弐哩)ヲ第一区トシ、桐生ヨリ大間々、伊勢崎ヲ経テ前橋ニ至ル七里許(拾八哩)ヲ第二区トシ、先ツ工ヲ第一区ヨリ起シ、漸ヲ以テ第二区ニ及ボサンコトヲ期ス」則チ今マ先ツ着手セントスル第一区線路(桐生・足利・佐野・栃木・小山間)ノ貨物人員ノ出入ヲ調査セシニ、貨物ノ年々此地ヘ出入スル高合セテ壱百九拾八万三千六百三拾駄、此金額大約金三千四百二拾九万八千六百三拾三円ニシテ、旅客ノ此四町ヘ出入セシ人員ハ九拾三万八千九百拾人ナリトス、今マ此賃金ヲ算スルニ、旅客ハ金十四万三千九百七拾五円四拾七銭四厘、貨物ハ金弐拾弐万五千六百拾四円三拾五銭弐厘ナリトス
 右ハ則チ明治十六年以来同十八年ニ至ル三ケ年ノ平均ニシテ、空漠タル計算ニアラズ、然レトモ素ト是レ四方ヨリ各町ニ輻輳スル所ノ貨物人員ノ高ナルカ故ニ、之ヲ以テ直チニ鉄道ニ載ルベキ貨物ト為スハ甚ダ過大ニ失スルノ恐ナキニアラズ、是故ニ尚ホ更ラニ実地鉄道ノ利益タルベキ計算ヲ得ント欲シ、本年八月盛夏ノ候、貨物旅客ノ往復最モ少ナキ時季ヲ選ビ、実際ノ人員及ビ貨物ノ員数ヲ調査シ、之ヲ一ケ年ニ通算セシニ、栃木・佐野・足利・桐生ノ四町ヲ合シ、貨物ハ九拾万三千七百六駄ニシテ、旅客ハ八拾九万五千三百四拾七人ナリ、今マ試ミニ鉄道ノ開設後従前ノ運賃ニ比シテ三割ヲ減価スベキモノト見做シ(則チ小山・栃木凡四里間ノ賃金旅客一名ヲ金七銭トシ、貨物壱駄ヲ金九銭トシ、栃木・佐野凡五里間ノ賃金ハ旅客一名ヲ金拾銭トシ、貨物壱駄ヲ金拾弐銭トシ、佐野・足利凡三里間ノ賃金ハ旅客一名ヲ金七銭五厘トシ、貨物壱駄ヲ金九銭トシ、足利・桐生凡四里間ノ賃金ハ旅客一名ヲ金拾銭トシ貨物壱駄ヲ金拾弐銭トセリ。)計算セシニ、此賃金ノ高、貨物ハ金九万二千八百三十三円八十九銭、旅客ハ金七万七千四百拾壱円二十八銭ニシテ、此賃金総計ハ金十七万零二百四十五円拾七銭トナレリ、是レ則チ最少ノ員数及ヒ運賃ナリ
 大凡此類ノ計算ハ、実際ヨリ過小ト云フベキモ、寧ロ過大ニ失セザルノ安全ナルニ若カザルナリ、依リテ以上ノ調査ヲ為スニ当リ、足尾ノ鉱銅ノ如キハ玆ニ算入セザリキ、蓋其産出セル数量年々壱百廿八万貫目ナリ、而シテ大間々ヨリ猿田川岸ニ出デ東京ニ着スルモノ金壱万六千円、同所ヨリ古戸ヲ経テ東京ヘ入ル者金壱万四千七百弐拾円ナリ、今仮リニ前同様ノ賃銭ヲ以テ運送スルトキハ本線ニ属スベキ賃金蓋シ三千余円ニ下ラザルベシ、又水運ニ由レル貨物モ一切此計算ノ外ニ置ケリ、今マ其員数ヲ挙ケンニ壱ケ年大凡十六万六千八百八十八駄ニシテ、其東京ヘ出入ノ運賃壱ケ年金三万七千零七拾六円六拾五銭ナリ(南北猿田・馬門・越名・栃木ノ五河岸出入ノ高)而シテ若シ荷主ニシテ鉄道ノ便利ト安全トヲ知ルニ至ラバ、則チ此貨物ハ鉄道ニ載スベキモノタルコト、猶ホ今日ノ日本鉄道会社ノ如クナルベシ
 又鉄道布設ノ後ハ多少貨物ノ増加スベキハ明カナリト雖トモ、此増加ノ度ニ至リテハ幾分カ確実分明ナラザルモノアルカ故ニ、敢テ之ヲ見込中ニ入レザリキ、然レトモ日本鉄道会社営業ノ景況ニ拠リテ推察スルニ、本社鉄道布設ノ後ハ、少ナクトモ二割乃至三割ヲ増加スルコト疑ヒヲ容ルベカラス(日本鉄道会社上野新町間ノ線路ハ、
 - 第8巻 p.629 -ページ画像 
明治十六年下半季ノ初メニ運転ヲ開始セリ、今仮リニ同一ノ線路、同一ノ里程ニ就テ其収入ヲ算スルニ、十六年下半季ノ収入金ハ十二万一千四百余円ナリシカ、翌十七年上半季ニハ増加シテ金二十四万二千七百余円トナリ、同年下半季ハ少シク減ジテ金十六万四千七百余円トナリ、十八年上半季ハ又減シテ十四万九百余円トナリシガ、同年下半季ハ増シテ十七万四千五百余円トナリ、結局五割ニ近キ増加ナリ)又タ建築工事ノ景況ヲ見ルニ、線面ノ高低全ク之ナキニアラズト雖モ、概シテ平坦ノ線路ナリトス、唯々数流ノ河川アリテ多少費用ヲ要スベシト雖トモ、其大ナル河川ヲ挙グルモ思川(五十五間)桐生川(二十五間)佐野川(二十壱間四尺)旗川(十三間二尺)松田川(十壱間)長野川(十間)巴川(六間四尺)ノ七川ニ過ギズ故ニ先ツ着手スベキ第一区線路即チ小山ヨリ栃木・佐野・足利ヲ経テ桐生ニ至ル三十二哩余ノ建築費、停車場及ビ諸車等一切ノ費用ヲ合セテ、金八拾四万壱千七百余円(壱哩金弐万六千七百余円)ヲ越エズ、即チ工事ノ点ニ於テハ敢テ天然ノ障害ナキヲ知ルベシ
 工事ノ景況斯ノ如クニシテ(興業費金八十四万壱千七百余円)而シテ賃金ノ上リ高彼レガ如クンバ(出入調ニ拠レバ壱ケ年賃金三十六万九千五百余円ニシテ、本年ノ実際調ニ拠ルトキハ金十七万二百余円)即チ此ニ支線鉄道ノ営業ヲ起スモ相当ノ利益アルベキハ明カナリ、今マ仮リニ実際調ノ賃金高ニ拠リテ其利益ノ割合ヲ算スルニ、一ケ年ノ利益凡ソ壱割ニ当ル、蓋シ実際調ニ拠レバ、一ケ年賃金ハ金十七万余円ナリ、而シテ其半額金八万五千円ヲ一ケ年ノ経費トシテ引去リ、残益金八万五千円ヲ以テ興業費金八十五万円ニ対照スルトキハ、即チ年壱割ノ利益ヲ生スベキナリ、既ニ相当ノ利益アルトキハ則チ一ノ民立会社ヲ起シ、此ニ鉄道ノ業ヲ開キテ、以テ二州ノ物産ヲ興起スルコト亦タ甚ダ容易ナルノミ、是レ生等一同協議シテ玆ニ両毛鉄道会社ヲ創立スル所以ナリ、猶ホ計算ノ詳細ニ至リテハ別ニ収支予算調其他参考書類ヲ作リシヲ以テ、玆ニ之ヲ略ス
  ○出願ハ明治十九年十一月二十五日ナリ。後掲東京経済雑誌第三六六号ヲ参照。


東京経済雑誌 第一五巻第三五九号・第三五八頁〔明治二〇年三月一九日〕 ○両毛鉄道会社株主総会(DK080055k-0005)
第8巻 p.629 ページ画像

東京経済雑誌  第一五巻第三五九号・第三五八頁〔明治二〇年三月一九日〕
    ○両毛鉄道会社株主総会
兼て出願中なる両毛鉄道会社は愈々許可の沙汰も近きに在る由にて、右創立委員仲田信亮・伴直之助・小松彰・木村半兵衛・田口卯吉の諸氏は、来る廿八日を卜して株主総会を府下木挽町の東京商工会に開き株金払込、役員仮選挙、レール買入等の事を協議し、実際工事着手の準備をなす筈なりと云ふ


東京経済雑誌 第一五巻第三六一号・第四二六―四二七頁〔明治二〇年四月二日〕 ○両毛鉄道会社株主総会(DK080055k-0006)
第8巻 p.629-630 ページ画像

東京経済雑誌  第一五巻第三六一号・第四二六―四二七頁〔明治二〇年四月二日〕
    ○両毛鉄道会社株主総会
前号の本誌に記せしか如く、両毛鉄道会社にては去月廿八日株主総会を東京商工会の議事堂に開き、仮定款、株金払込、役員選挙等のことを議決せり、今ま玆に定款の重なる項目を挙くれば同会社は有限責任
 - 第8巻 p.630 -ページ画像 
にして、株主の負担すべき義務は株金に止まり、其の営業期限は五十ケ年にして、資本金は百五十万円、又た、線路は(第一区)日本鉄道会社第二区線路小山より栃木、足利及び佐野を経て桐生に達す、(第二区)桐生市中より大間々、伊勢崎を経て前橋に達す」等なり、株金払込は一株百円の四分の一即ち廿五円を、来る五日より同十三日を限り栃木第四十一国立銀行の本支店に向け払込むへきことに決し、役員には木村半兵衛・田口卯吉・小松彰・菊池長四郎・浅野総一郎・佐羽吉太郎の六氏仮取締役に当選し、而して右取締役の互選にて、仮社長には田口氏、仮副社長には木村氏当選せり、又た仮撿査役には安田善兵衛・今村清之助・正田章次郎の三氏当選し、又た仮支配人は伴直之助氏、仮副支配人は仲田信亮氏に定まれり、而して同会社は未だ政府の許可を得さるを以て、定款及ひ役員等も皆な仮定の由なれと、許可の後は直ちに之を以て本定款、本役員と為すべき都合なりと云ふ
  ○明治二十年三月二十八日開カレタル株主総会ハ同会社最初ノ総会ニシテ、設立許可下附以前ニ、創立ニ関スル諸要項ヲ議定シ、許可アレバ之ヲ正式ノモノト為セルガ故ニ、之ヲ以テ創立総会ニ同ジキモノト云フヲ得ベシ。


東京経済雑誌 第一五巻第三六六号・第五九六頁〔明治二〇年五月七日〕 ○両毛鉄道会社許可せらる(DK080055k-0007)
第8巻 p.630 ページ画像

東京経済雑誌  第一五巻第三六六号・第五九六頁〔明治二〇年五月七日〕
    ○両毛鉄道会社許可せらる
昨年十一月二十五日請願書を其の筋へ差出したる同社の鉄道事業は、去る五日許可の命令書を鉄道局まで下附せられしと云ふ、尚其条件等の委細は次号に記すべし


東京経済雑誌 第一五巻第三六八号・第六五四―六五五頁〔明治二〇年五月二一日〕 ○両毛鉄道会社創立許可の命令書(DK080055k-0008)
第8巻 p.630-631 ページ画像

東京経済雑誌  第一五巻第三六八号・第六五四―六五五頁〔明治二〇年五月二一日〕
    ○両毛鉄道会社創立許可の命令書
同社創立の許可の命令書は、去る五日鉄道局まで下附せられたる由を前々号の雑誌に記載せしが、愈々去る十七日を以て、同局より同会社へ下附せられたり、今之れを見るに、大躰今度発布せられたる私設鉄道条例に同じきものなりと雖も、殊に同社に対して命令せられたる特別の条項を摘載すれば、左の如くなり
     命令書
 第一条 両毛鉄道会社ニ於テ日本鉄道会社線路下野国小山停車場ヨリ栃木・佐野・足利・桐生・大間々・伊勢崎ヲ経テ上野国前橋ニ達スル鉄道ヲ布設シ、公衆ノ運輸ヲ営業スルコトヲ許可ス○第二条 会社ハ日本鉄道会社ニ協議シ、前橋又ハ其近傍ニ於テ同社ノ線路ト其線路ヲ連絡セシムベシ○第三条 官有ノ土地ニシテ鉄道線路ニ当ル地所及ヒ鉄道ニ必要ナル停車場倉庫建築ノ用ニ供スベキ地所ハ、無賃ニテ之ヲ会社ニ貸付スヘシ、同上ノ用ニ供シ或ハ取除クヘキ官有ノ家屋ハ、政府ノ都合ニ因リ或ハ無賃ニテ之ヲ貸付シ、或ハ相当代価ヲ以テ払下クヘシ○第四条 民有ノ土地家屋ニシテ前条ノ用ニ供スヘキモノハ、公用土地買上規則ニ拠リ、会社ニ購入スルコトヲ許スヘシ○第五条 前二条ニ拠リ会社ノ所有トナリタル土地ハ、国税ヲ免除スヘシ○第六条 第一条ニ掲クル線路ノ内、小山ヨリ桐生マテハ此命令書下付ノ日ヨリ二ケ年、桐生ヨリ前橋マテハ三ケ年内
 - 第8巻 p.631 -ページ画像 
ニ布設スヘシ○第廿四条 両毛鉄道会社営業期限ハ此命令書下付ノ日ヨリ満廿ケ年トス、依テ満廿ケ年ノ後ハ何時ニテモ政府ニテ之ヲ買上クルノ権アルヘシ、此場合ニ於テ其価格ヲ定ムルノ方法ハ、第廿八条ニ掲クル免許状ニ拠ルヘシ○第廿八条 此命令書ハ他日鉄道局長官ヨリ両毛鉄道会社免許状ト交換ヲ命スヘシ


東京経済雑誌 第一五巻第三六八号・第三六九号表紙広告〔明治二〇年五月二一・二八日〕 有限責任 両毛鉄道会社広告(DK080055k-0009)
第8巻 p.631 ページ画像

東京経済雑誌  第一五巻第三六八号・第三六九号表紙広告〔明治二〇年五月二一・二八日〕
    有限責任 両毛鉄道会社広告
一本社ハ下野国小山ヨリ栃木・佐野・足利・桐生・大間々・伊勢崎ヲ経テ上野国前橋ニ至ル鉄道ヲ布設スルモノトス
一本社ノ公許資本総額ハ金一百五十万円ニシテ現在ノ募集額ハ金一百万円也但一株ヲ金一百円トス
一本社ノ責任ハ有限ニシテ負債弁償ノ義務ハ株金額ニ止ルモノトス
一本社ノ期限ハ二十ケ年トス
一本社一切ノ事務ハ当分ノ内東京々橋区出雲町一番地事務所ニ於テ取扱フモノトス
一本社ノ役員ハ左ノ如シ
  社長  田口卯吉   取締役  浅野総一郎
  副社長 木村半兵衛  同    佐羽吉太郎
  取締役 小松彰    支配人  伴直之助
  同   菊池長四郎  副支配人 仲田信亮
 右広告候也
   明治二十年五月十七日       有限責任 両毛鉄道会社


東京経済雑誌 第一七巻第四二〇号・第六九四頁〔明治二一年五月二六日〕 ○両毛鉄道の仮開業式(DK080055k-0010)
第8巻 p.631-633 ページ画像

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第六課文書類別 農商鉄道ニ関スル書類十一 明治三十年(DK080055k-0011)
第8巻 p.633-634 ページ画像

第六課文書類別 農商鉄道ニ関スル書類十一 明治三十年  (東京府庁所蔵)
    解散登記済届書進達願
当社儀、本年一月一日ヲ以テ解散仕、同月六日京橋区裁判所ニ登記相受申候間、別紙其筋ヘ御進達被成下度奉願候也
               両毛鉄道株式会社
  明治三十年一月六日
                清算人 渡辺洪基(印)
    東京府知事 侯爵 久我通久殿
(別紙)
当社鉄道儀今般日本鉄道株式会社ヘ譲渡候ニ付、去明治二十九年十月二十六日臨時株主総会ノ決議ニ基キ、本年一月一日ヲ以テ、当社解散並清算人選定ノ決議ヲ執行シ、同月六日京橋区裁判所ニ於テ制規ノ手続ヲ経登記相受申候、依テ解散登記事項並株主総会ノ決議書相添ヘ、此段御届仕候也
               両毛鉄道株式会社
                 清算人 渡辺洪基(印)
  明治三十年一月六日      同   菊池長四郎
                 同   西脇寛蔵(印)
                 同   樺山喜平次(印)
    逓信大臣 子爵 野村靖殿

    解散登記事項
一解散ノ原因  任意ノ解散
一解散ノ時日  明治三十年一月一日
一清算人ノ氏名
         東京市芝区南佐久間町二丁目五番地
                     渡辺洪基
         東京市下谷区竹町二十九番地
                     菊池長四郎
         新潟県北魚沼郡小千谷町二百十二番戸
                     西脇寛蔵
         東京市芝区西ノ久保桜川町十六番地
                     樺山喜平次
 - 第8巻 p.634 -ページ画像 
    明治二十九年十月廿六日株主臨時総会決議書
一両毛鉄道株式会社解散ノ事
一解散ニ付清算人左ノ通リ選定ノ事
   渡辺洪基 菊池長四郎
   西脇寛蔵 樺山喜平次
一本社解散ニ付、総テ株主総会ノ承認ヲ受クヘキ事項ハ、重役ニ一任スル事
一前諸項ノ決議ハ、日本鉄道株式会社ニ於テ両毛線延長ノ認可ヲ受ケ契約履行ノ後ヲ以テ施行ノ事
     以上



〔参考〕田口鼎軒略伝 (塩島仁吉著) 第一四―一五頁〔昭和五年五月〕(DK080055k-0012)
第8巻 p.634 ページ画像

田口鼎軒略伝(塩島仁吉著) 第一四―一五頁〔昭和五年五月〕
十四年以来不換紙弊の整理に随つて、物価下落し、金融緩和して、公債株式の相場騰貴し、而して十九年以後我が財界は兌換制度の下に立ち、物価は復紙幣相場の為に下落せざるに至りしかば、鼎軒は新事業を企つるの時機到来せることを論じて、世の企業者資本家の注意を喚起し、而して鼎軒自らも十九年の春より木村半兵衛其の他と相謀つて両毛鉄道の敷設を計画し、独立経営を以て其の目的を達した、両毛鉄道の興業費は八十四万余円で、賃金収入は年額約十七万円の予算であるから、利益の割合は一割余に当り、一割の配当を目的として創立したものであった、然るに其の開通せし二十三年は、我が邦の金融逼迫を告げて金利騰貴したるに、鉄道は開通の初年より充分なる利益を挙ぐること六ケ敷、而して株主中には創立の当時五十銭払込《(円)》みの権利株を四拾円内外にて買つた者もあつて、鉄道放資を後悔するもの少なからず、而して其の利益の挙らざるは、鼎軒が学者で鉄道経営に不慣の為めと為し、日銀社長《(鉄)》の兼任と為すに如かずとの説を以て株主中を遊説し、遂に株式の過半数を占めて、臨時総会を請求し、而して奈良原日鉄社長(繁)は其の兼任を承諾したので、鼎軒は潔く退職の意を決し、鼎軒の採用せし社員は一切免黜せざるを条件として社長の椅子を日鉄社長に譲つた、然るに両毛鉄道の利益は社長交送の為に増加せなかつたので、更に日鉄へ売却の説が起つたが、鼎軒其他の意見にて、売却は二十四年より二十九年に延期し、其間に鉄道の利益は年と共に増加し、五十円払込の株式を九十七円五十銭にて日鉄会社に売却し、株主は殆ど二倍の利益を得て、玆に鼎軒の発起せる両毛鉄道は好成績を以て終結を告げた。
  ○田口卯吉ヲ中心トセル両毛鉄道ニツイテハ尚ホ右ノ外ニ経済雑誌社刊「鼎軒田口先生伝」(第四二―四五頁)ニ詳細ナル記述アリ。
  ○尚両毛鉄道ニ関シ明治三十九年九月刊「今村清之助君事歴」(第一四八―一七〇頁)参照。