デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
5款 水戸鉄道会社
■綱文

第8巻 p.635-638(DK080056k) ページ画像

明治20年1月19日(1887年)

川崎八右衛門等、常陸国水戸ヨリ笠間・結城ヲ経テ下野国小山ニ至ル間ニ鉄道ヲ敷設セントシ、是日出願ス。明治二十二年一月十六日開業シ、二十五年三月一日ニ至リ日本鉄道会社ニ合併解散ス。栄一株主タリ。


■資料

青淵先生六十年史 第一巻・第九七一頁 〔明治三三年二月〕(DK080056k-0001)
第8巻 p.635 ページ画像

青淵先生六十年史  第一巻・第九七一頁〔明治三三年二月〕
水戸鉄道株式会社ハ、明治二十年ノ交、徳川篤敬・奈良原繁・川崎八右衛門・天野仙輔・塙載・飯村丈三郎・山中隣之助・長谷川清・菊地永等ノ発起ニ係ル、其目的ハ常陸国水戸ヨリ同国笠間・下館・下総国結城ヲ経テ下野国小山ニ至ル鉄道ヲ布設シ、旅客貨物ノ運輸ノ業ヲ営ムニアリ、其資本金百二十万円ニシテ、本店常陸国水戸ニアリ、青淵先生ハ同社ノ株主ナリ
同社ハ後チ日本鉄道会社ニ合併セリ


山口俊作翁 (弓野国之介著) 第二五五―二五七頁〔昭和五年一二月〕(DK080056k-0002)
第8巻 p.635-636 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

日本鉄道史 上篇・第七八〇―七八二頁 〔大正一〇年八月〕(DK080056k-0003)
第8巻 p.636-637 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

東京経済雑誌 第一五巻第三七二号・第七九五頁〔明治二〇年六月一八日〕 ○水戸鉄道会社の命令書(DK080056k-0004)
第8巻 p.637 ページ画像

東京経済雑誌  第一五巻第三七二号・第七九五頁〔明治二〇年六月一八日〕
    ○水戸鉄道会社の命令書
兼て許可せられたる水戸鉄道会社は愈々命令書を下付せられたるが、其の条文は大躰私設鉄道条例に同しければ殊に同社に命令せられたる特別の条項のみを摘出するに、即ち左の如し
 第一条 水戸鉄道会社ニ於テ常陸国水戸ヨリ笠間・下館・結城ヲ経テ日本鉄道会社線路下野国小山停車場ニ至リテ連結スル鉄道ヲ布設シ、公衆ノ運輸ヲ営業スルコトヲ許可ス○第二条 官有ノ土地ニシテ鉄道ノ線路ニ当ル地所及ヒ鉄道ニ必要ナル停車場倉庫建築ノ用ニ供スヘキ地所ハ無賃ニテ之ヲ会社ニ貸付スヘシ、同上ノ用ニ供シ或ハ取除クヘキ官有ノ家屋ハ、政府ノ都合ニヨリ或ハ無賃ニテ之ヲ貸付シ或ハ相当代価ヲ以テ払下クヘシ○第三条 民有ノ土地家屋ニシテ前条ノ用ニ供スヘキモノハ公用土地買上規則ニ拠リ会社ニ購入スルコトヲ許スヘシ○第四条 前二条ニ拠リ会社ノ所有トナリタル土地ハ国税ヲ免除スヘシ○第五条 第一条ニ掲グル線路ハ此命令書下付ノ日ヨリ満二ケ年内ニ布設スヘシ○第六条 鉄道布設ノ為メ旧来ノ道路・橋梁・溝渠・運河等変換又ハ一時移設ヲ要スルトキハ、会社ハ所管地方庁ノ許可ヲ経テ之ニ着手シ、其費用ハ会社之ヲ支弁スベシ、但シ此変換移設ニ関スル土地家屋ハ第二条第三条ノ例ニ拠ルヲ得ベシ○第二十三条 水戸鉄道会社営業期限ハ此命令書下付ノ日ヨリ満二十ケ年トス、依テ満二十ケ年ノ後ハ何時ニテモ政府ニテ之ヲ買上ルノ権アルベシ、此場合ニ於テ其価格ヲ定ムルノ方法ハ第二十七条ニ掲ル免許状ニ拠ルベシ○第二十六条 水戸鉄道会社ニ於テ此命令書ニ違背スルカ若クハ之ヲ遵守スルヲ怠リ、鉄道ノ公益ヲ防害スルトキハ、政府ハ其営業ヲ停止シ、鉄道及ビ一切ノ附属物件ヲ鉄道局長官ヲシテ直接ニ管轄所理セシメ、又ハ他人ヲシテ運輸ノ業ヲ継続セシムベシ、但シ此場合ニ於テ其営業損益ハ猶会社ノ負担タルベシ○第二十七条 此命令書ハ他日鉄道局長官ヨリ水戸鉄道会社免許状ト交換ヲ命スベシ


中外物価新報 第二〇四一号〔明治二二年一月一八日〕 水戸鉄道開業式(DK080056k-0005)
第8巻 p.637-638 ページ画像

中外物価新報  第二〇四一号〔明治二二年一月一八日〕
    水戸鉄道開業式
 - 第8巻 p.638 -ページ画像 
一昨十六日は水戸鉄道開業の当日なるを以て、兼て該鉄道会社より招待を受けたる東京の紳士紳商新聞記者達は、生憎の降雨にも屈せず暁を冒して上野停車場に集まり、六時三十分の汽車にて同所を発し、王子辺より北の方には夜半の夢にも見ざりける雪を詠めつゝ、十時半頃野州小山に着し、此地より始めて水戸鉄道線路に移り、結城・伊佐山・下館・岩瀬・笠間・太田町・内原の七ケ所に停車し、最後に水戸停車場に着したるは正午十二時頃にてありたり、此間各停車場にては汽車の来るを見て煙火を打揚げ、酒樽、炭、米等を山の如くに積み重ねて開業の祝意を表したるも目覚しかりしが、汽車の水戸停車場に近寄るや、見物の老若男女は路の泥濘なるをも構はず、堵の如くに集まり来りたるも御苦労千万、仙波沼の鴨の滊笛の声に驚いて忽ち四方に散乱したるも気の毒なりし、又滊笛の声歇むや否や一道の煙火忽焉として空中に閃き、楽隊の奏楽洋々として起る間に、乗客は一同導かれて停車場の傍に仮設したる設けの場所に入りたるに、やがて安田茨木知事《(城)》は小高き板台の上に登て祝文を朗読し、次で副社長川崎八右衛門氏の祝文朗読あり、終て一同を会社雇入の人力車に乗せ、一の公園なる弘道館に案内し、麦酒並びに折詰の饗応あり、斯くて又停車場傍なる設けの場所へ帰りたる頃は、雨も暫らく歇みたるを以て、山車の笛太鼓の音も囲ひの外に鳴り渡り、時々楽隊の奏楽さへあり、煙火の饗も打続きしかば、集まり来る見物人は次第に多く、雑沓謂はん方なかりき、斯くて来賓は午後三時十分の臨時汽車にて水戸停車場を発し帰途に就きたるに、夜に入ては各停車場に無数の紅灯を点じ以て祝意を表したり、斯くて一同は往復とも無事に小山に着し、夫より日本鉄道会社線路に移りて東京に帰りたるは、早や午後八時半にてありたり、抑此水戸鉄道は去廿年六月始て工事に着手し、爾来一年半を経て成就したるものにて、其費用は最初百万円と見積りしに工事意外に容易く、八十万にて悉皆落成せし由なり、又同鉄道会社の見込にては、乗客は余りに多からざる可きも磯浜・大洗・湊・平磯等の浜々より積み出す魚類を始めとして、沿道の村々より出る薪・炭・蒟蒻・雑穀・寒水石・斑石・煙草・紙・茶・陶器等の産物の東京に輸送す可きに付ては、之が為めに会社の利益も十分見らるべしとの事なり、又当日水戸の市民は申すに及ばず、沿道の人民は何れも喜色面に現はれて当日の開業を祝したるが、此日同会社より請待を受けて水戸へ集りたる紳士縉商は都合二千人もありし由