デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
7款 北海道炭礦鉄道株式会社
■綱文

第8巻 p.703-721(DK080062k) ページ画像

明治26年2月24日(1893年)

是ヨリ先、九州炭礦業者等同会社ニ対スル政府ノ補助金支給ニ反対シ、之ガ廃止ヲ第四回帝国議会ニ請願ス。栄一同会社ノ為メニ福地源一郎ニ嘱シ反駁書ヲ起草セシメ、之ヲ議員ニ頒布シテ請願書上程ノ阻止ニ努ム。是日、衆議院ニ於テ該請願ノ採択否決サル。


■資料

青淵先生六十年史 第一巻・第九五三―九五四頁 〔明治三三年二月〕(DK080062k-0001)
第8巻 p.703-704 ページ画像

青淵先生六十年史 第一巻・第九五三―九五四頁〔明治三三年二月〕
明治二十五年三月同会社官選社長堀基ノ免セラルヽヤ、世上会社ヲ批難スルモノ多ク随テ会社ノ信用地ニ墜テ頗ル困難ニ及ヘリ、先生素ヨリ同会社ノ当事者ニ非ラスト雖モ、能ク其改善ニ尽力シ、内ハ社業ノ改革ヲ促シ、外ハ会社ノ信用ヲ全カラシメンコトヲ勉メ、懇切周到能ク社業ヲ維持スルヲ得セシメタリ、次テ同年十月夕張支線ヲ開始ス、玆ニ到テ同会社予定ノ線路全ク落成シ、全線二百六哩ノ運輸営業ヲナスニ至レリ、是ヨリ先キ新開ノ炭山亦悉ク採炭ニ従事シ、出炭三十五
 - 第8巻 p.704 -ページ画像 
万噸ニ及ヒ、九州ノ炭田亦採炭巨額ニ達ス、而シテ当時本邦石炭ノ需用未タ少ナク、総額百七十万噸ニシテ、之レニ海外輸出ヲ加ルモ尚三百万噸ニ過キス、為メニ其供給需用ニ超過シ、炭価暴落会社営業ノ困難ナルノミナラス、九州礦業者ハ炭価ノ暴落ヲ以テ炭礦鉄道会社カ乱売シタルニ因ルモノトシ、同年十一月総代ヲ上京セシメ、貴衆両院ニ向テ同会社鉄道ノ保護ヲ廃センコトヲ請願ス、両院亦之レヲ容ルヽノ色アリ、会社々員之ヲ先生ニ計ル、先生曰ク、夫レ石炭ノ時価ハ今日ニ暴落シタリト雖モ、前途ニ恢復ノ望ミナシトセス、開明ノ進歩ニ伴ハレテ東洋ニ石炭ノ需用ヲ増加シ、今日ニ倍蓰スルニ至ランハ期シテ待ツヘキナリ、彼九州礦業者ト我会社ト東西相応シテ各其勉ムヘキヲ勉メハ、何ソ其販路ナキヲ憂ンヤ、只彼者ヲシテ迷想ノ為メニ他ヲ娟嫉スルノ念ヲ去ラシメヨト、玆ニ於テ同社員等其弁明書ヲ草シ、両院議員ニ呈シ、其事ナキヲ得タリ


官報 号外〔明治二六年一月一一日〕 第四回帝国議会衆議院議事速記録第二十三号(DK080062k-0002)
第8巻 p.704 ページ画像

官報 号外〔明治二六年一月一一日〕
    ○第四回帝国議会衆議院議事速記録第二十三号
      明治二十六年一月十日(火曜日)午後一時十六分開議
  九州炭坑業者ヨリ本院ニ提出シタル請願書ヲ請願委員ニ於テ至急審査センコトヲ請求ス
九州炭坑業者ヨリ差出シタル請願書ハ、北海道炭坑鉄道会社補助金ニ対シ重要ノ関係ヲ有スルモノナルニ附キ、請願委員ニ於テ至急審査シテ以テ本院議ニ付センコトヲ請求スルモノ也
右議院規則第百五十三条ニ依リ請求候也
                 請求者 犬養毅
                          外一名
○議長(星亨君)今朗読サレタ請求ニ対シテ決ヲ採リマス、別ニ御異議ガナケレバ請求ヲ可決致シタモノト見マス
    異議ナシト呼ブ者アリ
○議長(星亨君)然ラバ其通リニ致シマス○中略即チ議長ハ一週間内ニ極メテ至急ニ審査スルコトニ致スコトニ致シマス


官報 号外〔明治二六年二月二五日〕 第四回帝国議会衆議院議事速記録第四十三号(DK080062k-0003)
第8巻 p.704-705 ページ画像

官報 号外〔明治二六年二月二五日〕
    ○第四回帝国議会衆議院議事速記録第四十三号
      明治二十六年二月二十四日(金曜日)午後一時開議
○高田早苗君○衆議院請願委員長(二百九十番)○上略ソレカラ次ニ述ベマスノハ院議ニ付スルヲ要セズ、即チ否決ニナリマシタ○中略
  九州炭礦患難救済ノ請願
 是ハ少シ説明ヲシナイト往ケマスマイト思ヒマスガ、是ハ九州ノ炭礦ニ関係ノアルモノガ出シテ居ル請願デゴザイマシテ、北海道ノ炭礦会社ガ種々ノ特権アルニ附イテ、九州ノ炭礦会社ガ困ルト云フノガ大趣意デ、是ハ特ニ早ク調ベテ呉レト云フテ議長ニ請求サレタ議員モアツテ、重大ノ問題デアルカラ、請願委員モ鄭重ニ鄭重ヲ加ヘテ調ベタ、其中特別委員ヲ選ンデ特別委員ガ調ヘタノヲ請願委員会デ本会ニ掛ケマシタガ、畢竟スルニ北海道炭礦会社ニ弊害ガアルト云フコトハ
 - 第8巻 p.705 -ページ画像 
随分耳ニシテ居ル事柄デ、先程田中○正造君ノ質問モアル話デ、弊害ガアルカモ知レマセヌ、又九州ノ炭礦ガ患難ニ陥ツテ居ルコトモ困ツテヰルコトデ、其炭礦ガ患難ニ陥ツテ居ル重ナル原因ガ、北海道ノ炭礦デアルカ、又重ナル原因ガサウデアツテモ九州カラサウ云フコトヲ言ツテ会社ノ組織ヲ変ヘテ呉レト云フ、変換シテト云フノハドウカ、兎モ角モ北海道ノ炭礦会社ニ弊害ガアルコトモ聞イテ居ルシ、炭礦鉄道ノコトモ噂ニ聞イテヰルガ、是ト彼ト混交シテ居ツテハ穏カデナイカラ、之ヲ否決スルガ宜イト云フノデアリマス○下略
   ○北海道炭礦鉄道ニ就イテハ其払下価格、補助金支給等ニ関シ、帝国議会開設以来毎回衆議院ニ於テ質問繰返ヘサレタリ。(官報号外衆議院議事速記録各日ノ条参照)
     第一回議会 明治二十四年二月十六日、議員江橋厚提出、補助金廃止案衆議院ニテ可決セラル。政府不同意ヲ表シ、再議ノ結果削除セザルコトニ決ス。(三月二日)
     第二回議会 明治二十四年十二月二十一日、議員田中正造質問書提出、回答ニ及バズシテ議会解散。
     第三回議会 明治二十五年四月二十三日、田中正造・加藤淳三質問書提出、六月十三日政府答弁書。
     第四回議会 明治二十五年十二月二十一日、工藤行幹外二名ヨリ質問書提出、二十六年一月十二日政府答弁書。明治二十六年二月二十三日、田中正造外十名ヨリ質問書提出。二月二十八日政府答弁書。


九州礦業団体総代ノ妄ヲ弁ス(DK080062k-0004)
第8巻 p.705-712 ページ画像

九州礦業団体総代ノ妄ヲ弁ス (帝国図書館所蔵)
九州礦業団体ト云ヘル者アリ、現時其炭礦業ノ漸ク萎靡セントスルヲ恐レ、揚言シテ曰ク「採炭民業ノ一大妨碍物ハ北海道炭礦鉄道会社カ格外ノ保護金ニ依テ石炭界ヲ攪乱スルノ事実是レナリ、其故ハ(一)炭礦鉄道会社ハ元来私恩ニ因テ産出サレ、生命ヲ濫恵ニ繋ク者タルヲ以テ、其成立ハ奇怪至極ノ現象ナリ、(二)炭礦鉄道ノ利子補給ハ不条理ナリ、実際其石炭保護ノ用ニ供スル者ナリ、(三)炭礦鉄道会社ハ保護ヲ恃ンテ濫掘濫売ヲ事トシ、石炭ノ価値ヲ暴落セシムル者ナリ、其利子配当ハ、純益ヨリ出テサル虚偽ノ手段ナリ、此害悪ヲ匡正スルニハ、(一)炭礦鉄道会社ノ夕張並ニ空知両支線ニ対スル保護金ヲ取上ヘシ、(二)炭礦ト鉄道ト会社及ヒ株式ヲ分離セシムヘシ、(三)鉄道乗客及ヒ貨物ノ運賃ヲ内地鉄道ト同額ニ引下ケシムヘシ、(四)之ニ反シテ石炭ノ運搬賃金ヲ筑豊興業鉄道同額ノ標準ニ引上ケシムヘシ」
彼九州礦業団体ハ如何ナル目的ヲ以テ組織シ、如何ナル主趣ヲ以テ是ノ如キ荒唐虚誕ノ説ヲ妄言シ、人ヲ誣ヒ世ヲ欺カント試ル乎、敢テ之ヲ知ルニ由ナシト雖トモ、既ニ其総代ト名クル者ヲ東京ニ出張セシメ其妄言ヲ披揚シテ世間ニ訴ル而已ナラス、貴衆両院ニ対シテ此事ニ就キ其請願ヲ呈シタリト聞ク、夫レ虚ハ以テ実ヲ誣ルニ足ラス、邪ハ以テ真ヲ罔スルヲ得ス、事理ノ存スル所事実ノ在ル所ハ公平ノ審判自ラ之ニ帰スルカ故ニ、彼団体総代ノ妄言敢テ意ニ介スルヲ要セスト雖トモ、唯怕ル世間此事情ヲ知ラサル識者君子、彼ノ虚妄ニ欺カレテ為ニ多少ノ疑惑ヲ其胸中ニ懐クノ恐レアラン事ヲ、仍テ此機ニ於テ事理ヲ詳ニシ、事実ヲ明ニシ、以テ世上ノ周知ニ供セントス、豈ニ彼ノ区々
 - 第8巻 p.706 -ページ画像 
タル妄言ニ向テ弁駁ヲノミ旨トスル者ナランヤ
    炭礦鉄道会社ノ成立
北海道手宮・幌内間鉄道五十六哩六五明治十五年十一月開業幌内太・幾春別間鉄道四哩四九同廿二年二月開業ニシテ北有社ヘ貸下ノ当時ハ工事竣成ニ至ラザリシハ北海道庁所轄ノ官業鉄道タリシカ、事業創設後数年ヲ経過スルモ収支相償ハス、年々七万余円ヲ補充シテ事業ヲ保事スルノ状ヲ呈シタリ、於是乎道庁ハ此鉄道ヲ挙テ寧ロ民業ニ委スルノ得策タルヲ感ジ、北有社ナルモノ新ニ起ルニ及ヒ、一ケ年金五千円宛ノ貸下料ヲ以テ、十五ケ年間該鉄道ヲ使用スルノ許可ヲ与ヘリ、此社ハ、幾春別ノ炭礦ヲ借区シテ採炭ニ従事シ、且ツ此社ト同体ノ如キ情アリケル売炭組ハ、已ニ幌内炭山ノ出炭ヲ一手ニ引受テ販売スルノ約ヲ得タレハ、右両所ノ石炭此鉄道ニ由テ運搬セハ、相俟ツテ倶ニ維持シ得ルノ目的ヲ立テ、此計画ニ及ヘル者ナリト知ラレタリ
其後明治廿二年八月九日侯爵徳川義礼・奈良原繁・渋沢栄一・森岡昌純・原六郎・高島嘉右衛門・小野義真・吉川泰次郎・田中平八・園田実徳・下村広畝・北村英一郎・堀基ノ諸氏発起人ト成リ、「北海道ニ於テ炭礦鉄道会社ヲ創立シ、資本総額金六百五拾万円ノ内、百五拾万円ヲ以テ採炭業ニ従事シ、五百万円ヲ以テ鉄道ヲ布設シ、同道拓地殖民ノ偉業ヲ翼賛スル為メ、先ツ室蘭・空知太間ヲ連絡セシメ、当分幌内・幾春別・空知・夕張等諸炭山ノ運炭ヲ主トシ、兼テ乗客貨物ノ運輸ヲ以テ営業スヘキニ付キ、会社創立並ニ鉄道部資本補給利子等ノ許可」ヲ請願シ、尋テ其許可ヲ得タリ。其許可ニ関スル緊要ノ条件ハ左ノ如シ
 一)政府ハ室蘭ヨリ空知太ニ達スル鉄道、及ヒ同線路ヨリ岐シテ夕張及ヒ空知炭礦ニ達スル両支線鉄道資本ニ対シ、毎工区鉄道敷設工事竣成マテハ其株金払込額ニ対シ、運輸開業後八ケ年間ハ其純益金一ケ年五朱ニ達セサル時ハ、資本額ノ五朱迄ヲ極度トシテ、其不足額ヲ補給スヘシ
 (二)北海道農産物ニシテ製造ヲ加ヘサルモノハ、定額賃金半額ヲ以テ之ヲ搭載シ、又官ノ保証アル北海道移民及ビ其携帯セル日常必要品家具衣類農具ニ限リ、無賃ニテ之ヲ搭載スヘシ
 (三)北海道庁長官臨時須要ト認ムル場合ニ於テハ、一時又ハ期節ヲ定メ、発車ノ度数ヲ増加セシムル事アルヘシ
 (四)凶歳又ハ事変ニ際シ、穀物ノ価非常ニ騰貴スル時ハ、穀物ニ限リ、時日ヲ定メ、其運賃ヲ低下セシムル事アルヘシ
又我カ会社ハ北海道ノ既成鉄道即チ手宮・幌内間及ヒ幌内太・幾春別間ノ官線鉄道並ニ所属物件野幌所在用地ヲ除クヲ金弐拾四万七千九百五拾円ノ価値ニテ其払下ヲ得タリ、而シテ此鉄道ニ関シテモ、緊要ノ条件之ニ附帯スルモノアル、左ノ如シ
 (一)北海道農産物ニシテ製造ヲ加ヘサルモノハ、此命令下附ノ日ヨリ向フ十ケ年間、定額賃金ノ半額ヲ以テ之ヲ搭載シ、又官ノ保証アル北海道移民及ヒ其携帯セル日常必要品家具衣類農具ニ限リ、無賃ニテ搭載スヘシ
 (二)前条年限間、北海道庁長官臨時須要ト認ムル場合ニ於テハ、一時又ハ期節ヲ定メ、発車ノ度数ヲ増加セシムル事アルヘシ
 - 第8巻 p.707 -ページ画像 
 (三)凶歳又ハ事変ニ際シ、穀物ノ価非常ニ騰貴スル時ハ、穀物ニ限リ、時日ヲ定メ、其運賃ヲ低下セシムル事アルヘシ
其他此鉄道事業ニ付テハ、我会社カ当局ノ監督制裁ノ下ニ立ツ個条アリ、而シテ我会社ハ之ヲ承諾シテ鉄道ヲ社有トナスヲ得タリ
又採炭事業ニ就テハ、政府ヨリ幌内炭山所属物件営業資本ヲ別ニシテヲ金拾万四千参百六拾八円ノ価ヲ以テ払下ノ命令ヲ得、北有社ヨリ幾春別炭山ヲ譲受ケ、又空知・夕張ニ炭山ノ試掘権ヲ得タリ、之ヲ我北海道炭礦鉄道会社成立ノ概略ナリトス
    炭礦鉄道会社ハ私恩濫恵ニ与レル者ニ非ス
我会社ノ成立ハ上文ニ開陳セルカ如シ、然ルニ彼ノ九州礦業団体総代ハ之ヲ目シテ私恩ノ濫恵ニ出ル者トシ、遂ニ「炭礦鉄道会社ハ実ニ格外無類ノ廉価ヲ以テ既成鉄道ヲ偸ムノ手段トシテ起ル者ナリ」ト云ヒ「彼等カ石炭業ノ私利ヲ営ムノ便ニ供スルニ至レリ」ト云ヒ、併テ補給利子ヲ将テ不条理ナリト云フニ至ル者ハ抑モ何ソヤ、我会社ハ鉄道ニ関シテハ啻ニ濫恵ノミナラス、恩恵トモ名クヘキ程ノ特恩ニ預ラサル者ナリ、夫レ事物ノ価値ハ其成績ニ由テ定マルヲ常則トス、其原資ノ如何ハ価値ヲ定ムルノ標準タルニ足ラサルナリ、仮令其原資ニ数百千万ヲ費シタルモ、其成績ニ於テ更ニ取ルヘキノ事物ナクハ、是レ無価値ノ贅物タルニ過キサル耳、手宮・幌内間ノ鉄道ニ政府ハ壱百余万円ヲ支出シタルニ係ハラス、其収入ハ未タ以テ支出ト相償フニ足ラス、年々七万余円ヲ補充シテ事業ヲ保事シタルノ末、遂ニ一ケ年五千円ヲ以テ貸下ル迄ニ及ヒタルハ、是レ成績上ニ定マレルノ価格ニシテ貸者仮者相互ニ適当ナリト見認《(衍)》メタルニ出ルヤ太タ明瞭ナリトス、而シテ我会社カ此鉄道ヲ払下ルニ臨ミ、金弐拾四万七千九百五拾円ヲ出シタルモ、亦成績ニ就テ以テ現時ヲ算シ将来ヲ計シタルニ外ナラサルナリ。夫レ北海道鉄道ニ於テ尤モ将来ニ望ヲ属スルノ運搬貨物ハ農産未製造品タルニ、其搭載ハ半額若クハ無賃タルノ制裁アリ、是レ鉄道収入ノ一半ハ初ヨリ減殺セラルヽノ線路ニ非スヤ、加フルニ此線路ノ鉄軌ハ一碼三十英斤ノ細軌ナリシカ、之ヲ四十五英斤ノ太軌ニ換架スルノ必要ニ迫レリ、若シ我会社ニシテ炭礦ノ営業ナクシテ専ラ鉄道ノミニ止ラシメハ、仮令無代価恵与タリトモ或ハ之ヲ推辞スルノ場合ニテ有リシナラン、幸ニ我社ハ炭礦ニ前途ノ望ヲ繋ケルニ由テ、採炭運搬ノ相俟テ便益アルヲ計リ、且ハ将来移民ヲ増加シ益々人烟ノ繁栄スルヲ慮リ、現時ヲ置テ将来ヲ頼ミ、此巨額ノ価値ヲ以テ此鉄道ヲ払下タルノミ、豈ニ私恩濫恵ト謂フヲ得ンヤ、或ハ既成鉄道現今ノ収益多キヲ見テ払下価格ノ低廉ヲ談スルモノアリト雖トモ、既成鉄道現今ノ収益多キハ我会社カ採炭ノ拡張ト鉄道ノ延長トヲ致セルコト其主因タル結果ニシテ、其払下ノ当時既ニ現今ノ収益アリシニアラサルナリ
又彼九州礦業団体総代カ「幌内炭山所属物件ヲ金拾万四千参百六拾八円ノ価ヲ以テ払下タルハ非常ノ特恩ニ預ル者ナリ」ト云ヒ、三池炭坑四百五拾万円ヲ将テ之ニ比較シタルハ、其妄モ亦甚シト云ハサルヘカラス、三池炭山ハ毎年四拾万噸以上ヲ出シ、且海岸ニ在リ、幌内炭山ハ毎年拾万噸ヲ出スニ過キスシテ、且海港ヲ距ル五十六哩ノ山中ニ在リ、故ニ三池ト幌内トハ其出炭ノ多寡ニ於テ、其運搬ノ便否ニ於テ、
 - 第8巻 p.708 -ページ画像 
其販路ノ広狭ニ於テ、其規模ノ大小ニ於テ、日ヲ同クシテ論ス可カラサルハ、少シク炭礦事情ヲ知ル者カ弁識スル所ナラスヤ、然ルヲ彼カ己レ親ク其実業団体ヲ代表スト云ヒナカラ、直ニ此二礦ヲ当時ニ比較シテ同一ノ観ヲ為シ、以テ非常特恩ト断言シテ憚ラサルハ何ソヤ、己レ其実ヲ識テ之ヲ言ハヽ是レ虚誕ノ讒誣ナリ、識ラスシテ之ヲ言ハヽ是レ迂遠ノ迷妄ナリ、迷妄ト讒誣ノ二者ニ於テ彼其一ニ処ラサルヲ得サル者ナリ、夫レ北海道庁カ幌内炭山ニ於ケル、数年以来着手シタリト雖モ、採掘運搬販路ミナ未タ其便ヲ具セスシテ、明治廿一年ニ至ルモ尚一年七万噸ヲ出スニ過キス、其採炭ノ利益頗ル鮮少ナリシハ、事実ニ於テ出額ノ証明セル所ナリキ、左レハ我会社ニシテ唯一ニ目前ノ事業ニノミ営々スル者タラシメハ、幌内炭山モ亦僅々数万ノ価値視スルニ過キサリシナリ、然レトモ我会社ハ前途ニ望ヲ属スルカ故ニ、資本ト労力トヲ此上ニ投シ大ニ拡張スル所アラハ、利源必大ナリト信シタルカ故ニ、拾万余円ヲ出シテ之ヲ払下タル者ナリ
又彼レハ「村田堤・田中平八諸氏六拾三万余円ヲ以テ既成鉄道ノ払下先願者アルニ拘ハラス、弐拾四万余円ノ低価ヲ以テ、後願者ナル我会社ニ払下ケラレタルハ奇怪ナリト」云フト雖トモ、村田氏等鉄道払下ノ目的ハ唯既成鉄道ノ持続ニ止マリ、唯幌内・幾春別両炭山ノ運炭ニ止マリ、規模狭隘更ニ北海道ニ益スル所アラサリシナリ、我会社ハ更ニ進ンテ室蘭・空知太間延長百四十余哩ノ鉄道ヲ新設セントスル者ナリ、更ニ進ンテ六百五拾万円ノ巨資ヲ北海道ニ投セントスルモノナリ其北海道拓地殖民ノ偉業ニ鴻益アル、固ヨリ前者ノ比ニアラス、道庁ノ彼レヲ措キ此ヲ取ルハ国家永遠ノ大計当サニ然ルヘキモノニシテ、豈ニ奇怪ト云フヲ得ンヤ
    鉄道補給利子ハ不条理ノ保護ニ非ス
北海道ノ拓地殖民ハ鉄道ノ敷設ヨリ善キハナシト雖トモ、同道ノ鉄道ニ於ケルヤ、手宮・幌内間、幌内太・幾春別間ノ六十余哩ニ止マリテ之ヲ延長セントスルモ国資ノ許サヽル亦奈何トモスヘカラサル所ナリシ、幸ニ我会社ハ一方ニ於テ採炭事業アリテ他ノ一方ノ鉄道ニ運搬ノ貨物ヲ与フルノ望ヲ有スルニ由リ、此人烟稀少ノ境ニ向テ、室蘭ヨリ空知太ニ達スルノ鉄道、及ヒ同線路ヨリ岐シテ夕張及ヒ空知炭礦ニ達スル両支線鉄道ヲ架設シタル者ナリ、而シテ此鉄道ヤ、上文ニ開陳シタル如ク、重要ナル貨物乗客ニ対シテハ半額若クハ無賃ノ制裁ヲ加ヘラレタル者アリ、又其他ノ牽制ヲ被ムル所アリテ、五朱ノ補給固ヨリ濫恵特恩ナリトスヘカラスト雖トモ、此補給アリテ始メテ人烟稀少ノ境ニ巨資ヲ投シ、以テ鉄道ヲ敷設シ得タルモノレハ《(ナ脱)》、官私両ナカラ其目的ヲ達シ、以テ相互ノ満円ヲ得タルモノト称スヘキナリ
彼カ第一ニ疑ヲ容レテ公衆ヲ蠱惑セント欲スルノ点ハ「炭礦鉄道会社ハ帳面前ハ兎モ角モ実際ハ鉄道部ノ収入僅少ナル様ニ装ヒ、以テ補給利子ヲ可成多ク取リ、炭坑ノ利益多キカ如ク見セ掛ケ、私利ヲ資スル者ナリ」ト云フニ在リ、是レ我会社ノ営業ハ初ヨリ炭礦ト鉄道ノ両部ニ分チ、啻ニ彼カ所謂帳面前ノミナラス、資本営業計算皆尽ク実際ニ於テ相分ルヽノ事実ヲ識ラサルノ疑惑ナリ、若夫一商店ニシテ主人自カラ店務ヲ一人ニテ管理スルカ如キニ在リテハ、陽ニ二業ニ資本ヲ分
 - 第8巻 p.709 -ページ画像 
チ、陰ニ二業ノ損得ヲ混シテ捏造スルヲ得ルコトモ有ンカ、夫ニテモ捏造ハ整理ニ際シテ為ニ齟齬枝格スルヲ免レサル者タリ、況ンヤ六百五拾万円ノ資本ヲ以テ、炭礦ト鉄道ノ二大業ヲ営ムノ我会社ニ於テヲヤ、仮令当局ヨリ令達シテ之ヲ混同捏造スヘシト命スルトモ、我会社ハ自己ノ利益ヲ保護スルノ要務ニ於テ、猶之ヲ拒否セサル可カラス、是敢テ他ノ世上ニ向テ其必要アルニ非ス、即チ自己ノ為ニ必要ナルカ故ナルノミ、左レハ我会社カ平常執務ノ上ニ於テ此二業ヲ劃別シ、毫モ相互ニ混淆スル所ナキハ、当局ノ監督ヲ初トシ、公衆カ実際ニ明知スル所タリ、試ニ我会社公示ノ実際報告ヲ見テモ、之ヲ証スルニ余アルヘシ、然ルヲ彼レ独リ此疑ヲ掲出シテ其臆測ヲ逞フスル者ハ、西隅ニ僻居シテ未タ此事実ヲ知ラサルノ故乎、将タ為ニスル所アリテノ故乎、胡為ソ他人ノ事ヲ議スルニハ、先ツ其事実ヲ詳ニ知ルコトヲ勉メサル
又彼ハ「補給利子ヲ以テ手宮・幌内及幌内太・幾春別ノ鉄道ニモ向ルカ如ク」ニ誤視スルニ似タリ、幸ニ安ンセヨ、我会社ハ既成鉄道手宮・幌内線及幌内太・幾春別線ノ払下鉄道ト新設鉄道室蘭線及空知線ニテ会社新設ノ鉄道ニ区別シ、補給利子ハ尽ク新設鉄道ノ勘定ニ加ヘ、更ニ毫厘モ既成鉄道ニ向ケサル者ナリ
又彼ハ「追分ヨリ夕張炭山迄二十七哩、砂川ヨリ空知迄九哩、合セテ三十六哩ハ実際運炭ノ一点ヲ目的トシテ布設シナカラ、保護ノ沢ニ浴スルハ不条理ナリ」ト云ヒ、此両支線補給利子ヲ取上ヘシト横議シタリ、是亦尤モ不条理ノ所説ナリトス、夫レ夕張及空知炭礦ニ達スル両支線ニ対シテ利子ヲ補給スルハ、室蘭ヨリ空知太ニ達スル幹線鉄道ト共ニ、当初許可ノ条件タリ、凡ソ鉄道ハ其官設タルト民設タルトヲ問ハス、乗客若クハ貨物ノ往来運搬スルモノアルヲ計リ、而ル後ニ敷設ノ事ヲ定ムルハ其常理タリ、彼両支線ノ如キモ石炭ノ運搬スヘキモノアリテ之ヲ敷設シタルモノニシテ、此採炭事業ハ北海道ノ為ニ直接ニハ石炭産出ノ利アリ、間接ニハ之ニ由テ其土地ヲ開拓スルノ益アルヲ以テ、其鉄道ニ利子ヲ補給スルハ是レ至当ノ事ニ非スヤ、然ルヲ運炭ノ目的タルカ故ニ補給利子ヲ取上ヘシトハ、果シテ是如何ノ理ソ、若シ此両支線ノ炭礦ニシテ我会社ノ採掘ニ係ハラスハ、彼決シテ此言ヲ為サヽルヘシ、若シ此両支線ヨリスルノ貨物ヲシテ石炭ニ非サリセハ彼決シテ此言ヲ為サヽルヘシ、若シ此線路ニシテ他人ノ有タラシメハ彼亦決シテ此言ヲ為サヽル可キナリ、然ハ則チ彼カ言フ所ハ、此両支線ヨリ運搬スル貨物ハ石炭ナルカ故ニ、其石炭ハ我会社ノ石炭タルカ故ニ、其鉄道ハ我会社ノ線路タルカ故ニ、保護スヘカラスト云フ者ナリ、如何ナル事情アリト云フトモ、世間豈斯ル背理紊法ノ言アルヲ容サンヤ、彼カ妄言ノ価値ナキ此ニ至リテ夫レ極レリ
    炭礦鉄道会社ハ濫掘濫売ヲ事トスル者ニ非ス
九州礦業団体総代ハ妄言シテ云ク「炭礦鉄道会社ハ保護ヲ恃ンテ濫掘濫売ヲ事トシ、石炭ノ価値ヲ暴落セシムル者ナリ」ト、頻ニ偽証ヲ作為シテ虚構百出、以テ今日石炭相場ノ下落ヲ将テ我会社ノ為ニ出ルモノトセリ、是亦到底不理ノ誣説ナルノミ、夫レ石炭時価暴落ノ事タル供給過度ノ結果ニシテ、其原動ハ専ラ九州等許多ノ炭坑ニ在ルコト、左ノ事実ニ於テ昭然タリ
 - 第8巻 p.710 -ページ画像 
   年度     全国産出高         九州其他各地産出高 炭礦鉄道会社産出高
  明治二十年  大約一、六〇〇、〇〇〇噸  一、五三〇、〇〇〇噸   七〇、〇〇〇噸
  同 廿一年  同 二、〇〇〇、〇〇〇噸  一、九二〇、〇〇〇噸   八〇、〇〇〇噸
  同 廿二年  同 二、四〇〇、〇〇〇噸  二、三〇〇、〇〇〇噸  一〇〇、〇〇〇噸
  同 廿三年  同 二、六〇〇、〇〇〇噸  二、四五〇、〇〇〇噸  一五〇、〇〇〇噸
  同 廿四年  同 二、八〇〇、〇〇〇噸  二、五五〇、〇〇〇噸  二五〇、〇〇〇噸
  同 廿五年  同 三、〇〇〇、〇〇〇噸  二、七〇〇、〇〇〇噸  三〇〇、〇〇〇噸
   ○備考略ス。
事実ハ正ニ斯ノ如シ、然ルヲ今日石炭時価ノ暴落ヲ見テ、供給過度ノ通理ヲ察セス、其出炭地ト出炭額トヲ問ハス、漫然コレヲ我会社ノ過ニ帰セントスルハ、如何ナル巧言ヲ逞クスルモ、事実カ決シテ許サヽル所ナリ、然レトモ若シ強テ其過ヲ濫掘ニ帰セント欲セハ、其濫掘ハ我会社ノ北海炭ニ在スシテ、彼団体各自所有ノ九州炭ニ在ルコト、事実ノ掩フ可カラサル所ナレハ、宜ク自ラ省ミテ其濫ヲ節スヘキナリ
又「炭礦鉄道会社カ其北海炭ヲ濫費《(売)》シタルニ由テ、時価ヲ暴落セシメタリト云フ」ニ至リテハ、其誣妄ヤ更ニ甚シ、請フ左ノ炭価比較表ヲ以テ、事実ニ於テ其然ラサルヲ明示セン
         塊炭壱万斤ノ時価              粉炭壱万斤ノ時価
      九州炭        北海炭        九州炭         北海炭
若松又ハ門司港  拾弐参円 小樽港 弐拾壱弐円 若松又ハ門司港  七八円 小樽港    拾円
東京       弐拾六円 東京   参拾弐円 東京      拾七八円 東京    拾九円
香港      弐拾五六円 香港  参拾壱弐円 香港      拾八九円 香港  弐拾四五円
右ノ価差ヲ比較シ来リテ濫売ノ責ヲ論セハ、九州炭実ニ其責ヲ負ハサル可カラサルコト明白ニシテモ、毫モ免ル可カラサルヲ奈何セン
○中略
右ノ事実ナルヲ以テ、九州礦業団体総代ナル者カ揚言セル三条ノ眼目ハ、全ク其謬見ト其虚構ニ出テヽ、其意専ラ我会社ノ業務ヲ傷ント欲スルニ在ル乎、否ラサレハ自己カ濫掘濫売シテ炭価ヲ暴落セルノ咎ヲ我会社ニ嫁シテ、自カラ其責ヲ免レント欲スルニ在ルヤ、実ニ炳焉タリ、左レハ彼レカ匡正策ナリト公言セル四項ノ標目モ、亦固ヨリ一トシテ正理ノ存スル者ナク、之ヲ駁折スルノ価直ナシト雖トモ、世間或ハ彼カ巧言如簧ニ迷フノ人アランコトヲ慮リ、簡短ニ之ヲ披陳スヘシ
    炭礦鉄道会社ノ夕張及空知両支線ニ対スル保護金ハ取上ケラルヽモノニ非ス
既ニ前条ニ述タル如ク、此両支線ノ補給利子ハ幹線ト毫モ軒輊ナク、我会社既得ノ条件タリ、苟モ我会社ニシテ北海道庁許可命令ニ背馳スル所ナキ限リハ、政府ハ敢テ其補給ヲ期限内ニ止ム可カラサルナリ、然ハ則チ仮令九州礦業団体総代ノ言ヲシテ一理アラシムルモ、尚中止スルヲ得ス、況ヤ其言ニ毫釐ノ当理ナキ、既ニ上陳ノ如クナルニ於テヲヤ、然レトモ補給ノ存止ハ政府ノ事タリ、我会社ハ彼カ妄言ニ会フ毎ニ、政府ニ代ツテ答弁スルノ責モ無ク、又政府ニ対ツテ予請スルノ要アラサルヲ以テ、別ニ多言スルヲ敢テセサルナリ
    炭礦ト鉄道ト其会社及ヒ株式ヲ分離ス可カラス
我会社カ採炭ト鉄道ノ二業務ヲ経営スルハ、創立ノ当初ヨリシテ其主眼タリ、如何ソ今遽ニ之ヲ分離セシムルヲ得ンヤ、事理ヨリシテ論スレハ、一言ニシテ之ヲ排斥スルノ容易ナリト雖トモ、暫ク彼ニ余地ヲ
 - 第8巻 p.711 -ページ画像 
仮シテ事理ヲ措キ、単ニ事実ニ就テ之ヲ討究センニ、抑モ北海道ハ地境広廓ニシテ沃土良原ナリト雖トモ、今日ニ於テハ人烟未タ稠密ナラス、物産未タ多額ナラス、往来未タ頻繁ナラス、商情未タ活溌ナラス之ヲ内地ニ比較スレハ、其間許多ノ差異アリト云ハサル可カラス、此地ニ於テ炭礦ノミニ従事シ、若クハ鉄道ヲノミ営業センニハ、其得ル所ハ以テ其費ス所ヲ補フニ足ラサルコト、此二業ノ往跡ニ就テ照然タリ、故ニ炭礦ト鉄道ト相俟チ相伴フテ漸ク事業発達ノ緒ニ就キ、以テ全道ノ開拓ヲ利スルニ至ルハ事実ノ然ル所ニシテ、我会社ハ此事実ニ由テ起レルモノナリ、然レトモ鉄道新設ニハ補給利子ノ約アルヲ以テ若シ我会社ニシテ其補給ヲ将テ之ヲ炭礦事業ニ供スルコトアラハ、或ハ他ノ炭坑業者ノ批難ヲ招クヘシト雖トモ、我会社ハ上来明示セル如ク、鉄道部ト炭礦部トヲ劃然区別シテ各自其業務ヲ執リ、彼補給利子ノ如キハ即チ新設鉄道ニ補給スルヲ以テ、微塵毫末モ彼是ヲ混淆スル所ナシ、事実正ニ是ノ如クナルニ、猶之ヲ分離スヘシト云フ者ハ、是レ炭礦ヲシテ鉄道ト倶ニ衰頽ニ属セシメヨ、ト云フ者ニ異ナラサルノミ、炭礦会社ニシテ其鉄道ヲ有スルモ、鉄道会社ニシテ其炭礦ヲ有スルモ、果シテ何等ノ害アル乎、若シ炭礦ニシテ其鉄道ニ依テ運炭スルカ故ニ害アリト云ハヽ、炭坑主カ滊船帆船ヲ所有スルモ亦、尤モ害アリト云ハサル可カラス、彼九州礦業団体カ我会社ノ陸ニ鉄道アルヲ見テ、却テ他ノ礦業者ノ海ニ船舶アルヲ見サルハ、抑モ偏担ノ見ニ非スヤ、以テ彼カ云フ所ハ徒ニ其口実ヲ仮ルニ過キサルヲ視ルヘキナリ、夫レ兼業ノ事タル、類ニ依テ其必要ニ出ル事アリ、譬ハ出版会社カ其製紙場ヲ有シ、製紙場カ其石鹸製造所ヲ有スルカ如シ、然ルニ他ノ出版・製紙・石鹸ノ専業者カ囂々トシテ其兼業ヲ咎メ、我ニ害アルヲ以テ之ヲ分離セヨ、兼業スルコト莫レト云ハヽ、世間夫レ孰レヲ理アリトシ孰レヲ否ラスト裁断セン乎、彼九州礦業団体総代カ我会社ヲ分離セシムヘシト云フ者ハ即チ此類ナリ、仮令我会社カ鉄道炭礦ノ両部ヲ分劃スル現行ノ如クニ厳正ナラサルモ、経済ノ通理ハ尚彼ヲシテ此言ヲ成サシムルヲ肯セス、況ヤ其二業ノ分劃ハ適度ノ上ニ出ルノ厳正ナルニ於テヲヤ
    鉄道乗客及貨物ノ運賃ヲ内地鉄道ト同額ニ引下ケ、之ニ反シ石炭ノ運搬賃金ハ筑豊興業鉄道同額ノ標準ニ引上ヘシトハ、誤解ヨリ出テタル注文ナリ
彼九州礦業団体総代ハ北海道鉄道ノ乗客及ヒ貨物ノ運賃ニ就キ、単ニ一哩平均賃金ヲ掲ケテ「石炭運賃ノ低価ナルニ拘ハラス、貨物運賃ノ高価ナル実ニ喫驚セスンハアラス」ト放言セリ、其高価ナリト臆断セルハ是亦誣妄ノ見解ナリ、我会社ハ既ニ政府ノ命令ニ依リ、北海道ノ移民及其携帯日常品ヲ無賃搭載シ、次ニ北海道農産未製造品ヲ定額賃金ノ半額搭載スルノ義務ヲ負フコト上陳ニ詳カナルカ如シ、而シテ我会社ハ北海道殖産ノ発達ヲ冀ヒ、此農産物ヲモ当分ハ無賃ニテ搭載スル者ナリ、夫レ鉄道ハ何レノ線路ヲ問ハス、運搬ノ最多量ハ未製品即チ礦属物及農産物ニシテ、其運賃ノ最低廉ナルモ亦未製品即チ礦属物及農産物ナリトス、故ニ此最多量最低廉ノ貨物ト他ノ通常貨物ノ運賃ヲ合算シテ、其一哩平均ノ賃金ヲ求ムル者ナリ、今ヤ北海道ハ則チ然
 - 第8巻 p.712 -ページ画像 
ラス、此最多量最低廉ノ貨物ハ既ニ全ク無賃タルト石炭タルトヲ以テ初ヨリ之ヲ平均賃金ノ内ニ算入セサルカ為メ高価ノ観アリト雖トモ、試ニ之ヲ算入シテ其総平均ヲ求ムル時ハ、敢テ高価ト云フヲ得サルナリ、其乗客ニ於ケルモ亦然リ、北海道ハ内地ニ比スレハ上等中等ノ乗客割合ニ多数ナリ、加フルニ其移民ハ無賃搭載タルヲ以テ、之ヲ乗客賃ノ平均ヨリ扣除スルカ故ニ、随テ高価ノ観アリト雖トモ、其事実ニ於テハ両ナカラ内地ヨリ高価ナリト云フニ非サルナリ
又我会社カ石炭ヲ平均一哩九厘ノ割合ニテ運搬スルヲ見テ、之ヲ格外ニ低廉ナリトシ、其為ニ失フ所アルカ如クニ怪メル者ハ、是亦事実ヲ知ラサルノ皮相ナリ、我会社ハ去年上半季間ニ於テ、石炭運賃金七万六千八百九拾四円拾壱銭ヲ収入シ、其運送実費六万千五円五拾壱銭八厘ヲ扣除スルモ、尚壱万五千八百八拾八円五拾九銭弐厘ノ益ヲ得タリ幌内線ノ計算然ハ則チ石炭運搬ハ北海道鉄道ノ一大利源ニ非スシテ何ソヤ
上来開陳セル如クナルヲ以テ、彼九州礦業団体総代ナル者カ我北海道炭礦鉄道会社ニ向テ放言セル所ハ、概ネ皆虚妄誣罔ニシテ、一モ事実ノ該当スルニ足ルモノ無キヤ是ノ如シ、彼九州礦業者ニ対シテ我会社ハ毫末モ其怨ヲ受クヘキ事由ナキニ、彼突然此奇怪ノ妄言ヲ擅ニシテ我会社ヲ傷ケント欲スル者ハ、果シテ是レ何ノ心ソヤ、然リト雖トモ我会社ハ、此妄言ニ会フカ為ニ憤怒ヲ彼ニ懐キ、反駁却罵以テ自ラ快トスル者ニアラス、彼輩カ現時石炭ノ暴落ニ遭際シ、多少ノ困厄ニ陥ルヲ見テ、為ニ悚然トシテ愁弔ノ意ヲ有スル者ナリ、其暴落ハ畢竟彼輩カ濫掘濫売ニ出ルモノ与リテ力アリト云ヘトモ、其艱難ノ地位ニ彷徨スルヲ知ラハ、悪ソ復タ之ヲ追撃シテ其過ヲ責ルニ忍ヒンヤ、夫レ石炭ノ時価ハ今日ニ暴落シタリト雖トモ前途ニ恢復ノ望ナシトセス、開明ノ進歩ニ伴ハレテ東洋ニ石炭ノ需用ヲ増加シ、今日ニ倍蓰スルニ至ランハ期シテ待ツヲ得ヘキナリ、彼九州礦業諸人ト我会社ト東西相応シテ各々其勉ムヘキヲ勉メハ、何ソ其販路ナキヲ憂ヘンヤ、冀フ所ハ迷想ノ為ニ他ヲ娟嫉スルノ念ヲ去リ、平意快心以テ相倶ニ勇往前進スルニ在ル而已
   ○右ハ明治二十六年二月一日発行ノ冊子ニシテ、著者並発行人トシテ植村澄三郎・木村一是・福沢桃介連名ス。是ヨリ先、一月二十五日「経済界の警鐘」ト題シ、的野半介・佃信夫・鈴木力ノ共著出版セラレ、北海道炭礦鉄道会社ヲ攻撃スル等、帝国議会ニ於ケル論戦ト共ニ彼我応戦ニ努メタリ。


青淵先生演説及談話 【植村澄三郎氏の渋沢子爵招待会 昭和二年十月十三日夜丸の内常盤屋に於て】(DK080062k-0005)
第8巻 p.712-713 ページ画像

青淵先生演説及談話 (竜門社所蔵)
    植村澄三郎氏の渋沢子爵招待会
          昭和二年十月十三日夜丸の内常盤屋に於て
○中略
有島○健助『基督教の方の古い人に植村正久と云ふ人がありましたが、植村さんの御親戚ですか』
植村『同姓でありますが、近い親戚ではありません。ズツト遡ると関係があるかも知れません。それは兎に角として、植村君とは懇意にして居りましたが、一つ面白い話があります。子爵は御忘れになつたかも知れませんが、北海道炭礦鉄道の時分に、九州の礦業団体が、炭礦
 - 第8巻 p.713 -ページ画像 
鉄道への補助金は怪しからぬ、と云ふので其廃止を猛烈に運動したことがあります。そこで炭礦鉄道では之に対抗する為め、政府へ陳情することになり、其書面を私が立案することになりました。愈出来上つて子爵に御覧に入れたところ「此様な文章では目的を達することは出来ぬから、誰か文章のうまい人に直して貰はねばいかぬ。それには福地がよからう」と云はれて、早速手札を書いて下さつた。築地の何と云ふ所ですか、露地を入つた所でしたが、門の所に「筆耕を以て生計を立てゝ居るから用談の外面会御断」と云ふ意味の札が出て居りまして、妙な人だなと思ひました。それから、愈会ひますと「何の用ですか」と聞きますから「文章の添削を願ひたい」と答へますと「それならよろしい。然し料金は高いがいゝか」と云ひます。之には驚きました。それから「高くても仕方がありませんが、いくらですか」と尋ねたところ「一枚十銭だ」と云ふ。持つて行つた原稿は罫紙で三四枚のものであつたから、馬鹿に廉い。至極結構と考へ、修正を頼んで来ました。ところが修正して寄越したのはこんな(手で約二寸四方位の形をする)小い紙で七十枚ありました』(一同大笑)
植村『それでも七円位の計算でしたが、子爵に御相談して百円かを贈りました。福地さんの修正したのは誠に名文で、其為めでもありますまいが此事件はうまく片付きました。前置が長くなりましたが、其後一ケ月程経て植村正久君に会ふたところ「彼の文章は実に名文だが、誰が書いたのか」と聞きますから「僕が書いたのだ」と答へましたら「串戯を云ふてはいかん。君にあんな名文が書けるもんか」と云つて聞きません。私も二十代のことで鼻息が荒く「何、僕だつて頑張れば此位の文章は書くことが出来る」とやりますと「串戯を云ふてはいかん。此程の文章を書くことの出来る人は二人しかない。それは福地と徳富(猪一郎)だ。然し徳富では書けまいと思はれる箇所があるから福地だらう」と星を指されたので、内心驚きましたが「そんなにゑら相に云ふなら、僕に書け相もない所を指摘して見たまへ」と云ひますと、直に三四ケ所に印をつけましたので、帰て原稿と比べて見ますと全部福地さんの直した所だつたので驚きました。植村君は実に文章の出来る人でありましたが、生前左程に思はれず、歿してから其価値を知られました』
   ○雨夜譚会談話筆記(下巻・第七八八―七九一頁)ニモ「北海道炭礦鉄道会社及び東京市の水道鉄管事件に就いて」植村澄三郎ノ談話アリ、略々上掲ニ等シ。


(福地源一郎)書翰 木村一是・植村澄三郎宛(明治二六年)一月一八日(DK080062k-0006)
第8巻 p.713-714 ページ画像

(福地源一郎)書翰 木村一是・植村澄三郎宛(明治二六年)一月一八日
                    (木村一是氏所蔵)
炭礦会社創立ノ時ニ村田堤氏より引受たる事情
 幌内其外の炭礦ハ当時村田氏の所有なりしや如何
 過日申上候通、会社創立之事情を相述候為ニ必要ニ候間御呈示奉願候
次ニ会社之新設鉄道の予算書及ヒ株主其外への報告書右御送付奉願候
                            早々
 - 第8巻 p.714 -ページ画像 
  一月十八日              福地源一郎
 木村様
 植村様



〔参考〕東京経済雑誌 第二七巻第六六六号・第三九一―三九三頁〔明治二六年三月一八日〕 ○北海道炭礦鉄道会社に関する答弁(DK080062k-0007)
第8巻 p.714-716 ページ画像

東京経済雑誌  第二七巻第六六六号・第三九一―三九三頁〔明治二六年三月一八日〕
    ○北海道炭礦鉄道会社に関する答弁
  北海道炭礦鉄道会社に関する質問中第六項及第八項中運賃に関する件に対する答弁書
第六、北海道炭礦鉄道会社鉄道線路変更の件は、明治二十五年二月二十九日を以て、同会社長より認許願出てたるを以て、調査を遂げたる処、空知炭山は当初空知川の南岸に於て炭脈を発見したるに依り、其部分より掘採するの計画を以て線路を定めしと雖も、爾後数回の炭脈実測に依り、当初発見の炭脈は空知全炭山の北隅に偏したるものなることを撿出したるを以て、炭山の一隅より採掘するよりも其中央より八方に採掘する方将来永遠の得策たることを認知し、之れか為め該支線の分岐点を変更するの必要を生し、則ち之を砂川に変更したるものにして、該線路は採炭数量の増加及其運搬の利便、鉄道経済の利等前計画に勝るの実あるを認めたり、夕張炭山に達する支線は、当初馬追を以て分岐点と為すの計画なりしと雖も、此線路に依れば炭山接近の地に於て一大山脈を貫き、凡そ一哩余の隧道を穿ち、且つ非常の急勾配を用ひさるを得さるを以て、運搬上及鉄道経済上に於て永く其不利を蒙らさるを得す、追分線路は夕張川の沿岸を迂回するものなるに依り、多少線路の延長を来すを免れすと雖も、運搬上及経済上に於て馬追線に勝るの実あるを認めたり
其会社か、以上の線路変更に関し、予め政府の認可を受けす、工事竣成後又は工事着手後に於て之を願出たるは、懈怠の所為なるを以て、政府は該会社々長解免の処分を為し、而して該線路変更の事実は前述の如く実際止むことを得さる適当の変更なるを以て、明治二十五年九月二十八日之れか追認可を与へたり
質問書中、明治二十二年八月二十一日附該社長堀基の名を以て差出したる書面に依り工費予算を掲けしと雖も、該書面は妥当ならさる廉ありしを以て、当時之を却下せり、而して室蘭築港費を転用して線路敷設費に使用したるは、抑も室蘭築港の計画たる、埠頭を築出し軌道を敷設し、船舶に向て直ちに荷物の積卸を為すの目的なれば、素より鉄道建設一部分の事業にして、当初の計画を遂行し能はさるの関係を生し、其設計を変更したるに依り、其予算内の工費を移し、之を新設線路の工費に流用したるなり、然れとも元来同一利子補給の範囲内に在て、甲乙科目の流用に過きざれは、之れか為め国庫の負担を増加するの事実之なきものとす
政府は、前述線路の変更に依り決して補給利子に関する権義に関係を及ほすへき筋に非すと認む、抑も該炭礦鉄道敷設の目的たる、命令書に明記するか如く、室蘭より空知太に達する鉄道並同線路より岐して夕張及ひ空知炭礦に達する両支線鉄道云々と云ふに在りて、支線分岐
 - 第8巻 p.715 -ページ画像 
点の多少移動を生ずるか如きは、畢竟工事上の便宜に依るべきものにして、鉄道敷設の目的に変動を及ほすものに非さるを以て、決して補給利子に関する権利義務を消長せしむへき筋合に非さるなり
第八、本項中貨物運賃に関する質問の要旨は、該会社は炭礦部の石炭運賃を不当に低廉ならしめ、以て鉄道部の補給利子を多額ならしむるの結果を来せり、と云ふに在りと雖も、石炭の運賃は該社の定額を以て不当に低廉なりと断定し難きものあり、日本鉄道会社は一哩一噸に付一銭乃至二銭五厘を課すと雖も、同社に在ては石炭を運送する場合甚た稀にして、其数量も亦甚た僅少なれは、勢ひ其運賃を高からしむへきは営業上自然の数なり、之に反し九州鉄道会社の如きは、其運賃は百哩以内一哩一噸に付金八厘、百哩以上同金五厘五毛と定め、北海道炭礦会社の運賃に比すれは尚ほ遥かに低廉なりとす、北海道炭礦会社は最も多量の石炭を輸送し、而かも概ね間断なく出荷するものなるを以て、日本鉄道会社の運賃より低廉なるへきは決して怪しむに足らす、以上の理由に依り、政府は炭礦鉄道会社の運賃額は決して不当に非らすと認めたり
              逓信大臣 伯爵黒田清隆
  衆議院議員田中正造外十名提出北海道炭礦鉄道会社の件質問に対する答弁
第一、幌内・幾春別鉄道及炭礦を村田堤に貸下くるに方りては、該鉄道の軌道保存の為め一ケ年金六万円を修繕費に充へき旨命令したり、故に従前該鉄道及炭礦の修繕費金六万円を充用することを命令し、之を決行せしめたり、故に決して鉄道の破壊を顧みさる如き処分をなしたるにあらす
第二、幌内炭山所属物件及幌内・幾春別鉄道及所属物件を払下たる価格を以て、該起業費に対比すれは頗る低廉なるか如し、然りと雖も、元来営利を目的とせす拓殖興産の必要より巨費を投し官庁自ら経営したる事業なれは、起業費の夥多なるは理勢止を得さる者あり、何となれは、該事業の施設は明治十一年以降数年に亘り、鉄道材料の如きは海外より購入したるもの居多なり、猶且其当時銀紙の差頗る甚し、又未開の地に於て斯の如き新規の事業を施設するに方りては、技術官工夫の如きも遠く外国又は内地より之を傭聘せさるへからす、是を以て材料費・運送費・給料・賃銀の如き高貴なること知るへきなり、而して之を払下たるは、官設事業に《(を)》民業を《(に)》移し、以て官営当初の目的を達し、拓殖興産の公益をも補助せしむるに在り、他の不用物件払下の類にあらす、故に払下代価を定むるには起業費の多寡を標準とせす、事業の得失を審査し、得益を基礎として、適実の価格を定めたるなり、但し人民相互間の約束に係る権利譲受料・所属物件譲受料の如きは、払下物件及価格に関係を有せさるものとす
第三、拓地殖民上鉄道の必要なるは、幌内・幾春別の二区域に止まらす、然るに前願者の事業は、右の二区域に止まり、規模極めて狭隘なり、後願者の経営は前願者に異なり、既成鉄道の改良及延大の鉄道を新設し、拓殖興産を補助せしむるに於ても適当のものと認め、払可《(下)》を許可せり、但払可価格《(下)》の如きは出願者の定むべきものならさるを以て
 - 第8巻 p.716 -ページ画像 
両者ともに代価を明記して出願せしにあらす
第四、幾春別鉄道補足工事其他の費用六万四千余円は、北海道炭礦鉄道会社と村田堤との約定書中に、該金員は北海道庁に納め、村田堤は道庁より之を受取るへしと明記せり、故に質問書に云ふ所は事実と相違せり、又本項に付前回に於て議員田中正造より質問を受けたる事項に付ては、答弁せさるものなし
第五、幾春別鉄道払下に際し、村田堤に下付したる金員五万三千四百円は、官設軌道の修補に、其他一切の補足工事に係る費用なり、官設工費は包含せす、又本件に付前回に於て議員田中正造より質問を受けたる事項に付ては、答弁せさるものなし
第七、北海道炭礦鉄道会社が北海道庁に差出したる勘定書中に記載したる仮収入金二十八万円二銭は、営業上の都合に依り約束手形を授受し一時の運転を計りしものにして、現金の借入をなしたるにあらす
第八の内、新設鉄道は開業日尚浅く、此鉄道を以て運出せる石炭は総出炭高中の少数にして、随て利益僅少なるは固より言を俟たす、且既往の実践に照すに、石炭運賃は其運送実費を仕払て尚相当の収益あり故に新設鉄道の利益を損することなし
命令書第七条は補給利子の濫給を防制するに在り、故に政府は会社が炭礦鉄道両部の合計《(会)》を劃然区別して、補給利子濫給の弊なきを認め、且該事業に支障なき場合に於て、其資金の幾分を同一の事業なる既定鉄道部に繰替、会社事業の利達を図る如きは、新設鉄道部と炭礦部との会計混同のものと認めす
               内務大臣 伯爵井上馨

〔参考〕北海道炭礦汽船株式会社五十年史 第三三―四四頁〔大正一四年[昭和一四年]六月〕(DK080062k-0008)
第8巻 p.716-721 ページ画像

北海道炭礦汽船株式会社五十年史  第三三―四四頁〔大正一四年[昭和一四年]六月〕
 本章に叙するは創業以降明治二十六年に至る事業の大要にして、此間僅々四箇年を経過したるに過ぎざるも、新設鉄道室蘭本支線の開通並に空知・夕張両礦の開発を遂げ、洋々たる前途を望見せる折柄、炭況の不振に際会して社務の整理改革を余儀なくせられ、且つ又鉄道線路の変更に端を発して堀社長辞任問題を惹起し、其後高島嘉右衛門・西村捨三と三度び社長の更迭あり、更に新商法の実施に因り定款を改正して社名を北海道炭礦鉄道株式会社と改むる等、諸事多端且つ忽忙裡に推移せり。
 然れども此第一期こそは、当社五十年に亘る飛躍的進展の素地を鍛錬すると共に、北海道開拓の促進に、将又我国鉄道及び石炭鉱業の発達に動かすべからざる地歩を確保したる点に於て、極めて注目すべき時代性を具象するものと謂ふべし。
    第一節 営業開始
一、既成及び新設各線の運輸状況
 開業に当り手宮・幌内間及び幌内太・幾春別間の鉄道運輸に使用したる車輛は、機関車モーガル型十輛、客車十四輛、貨車二百四十二輛にして、機関車には弁慶・義経・静・光圀・比羅夫等、総て本道に由緒ある人名を附したり。而して運輸規程は一時北有社時代のものを踏襲する一方、日本鉄道会社に社員を派遣して其範を採り、輸送は石炭
 - 第8巻 p.717 -ページ画像 
及び貨物を主とし、旅客を従としたることは従来と同様なりしも、当社は本道拓殖の進展に伴ふ行旅の頻繁に鑑み、運輸業務の根本的改革を期し、先づ客車の増加を計ると共に、明治二十三年四月以降其等級を内地と同じく上・中・並の三等級に区別し、運賃を低下して全線の往復回数を増加し、殊に従来冬季積雪中は札幌以東の運輸を休止したるを、四時無休の運転に改めたる結果、同年上期に於ける運賃収入は北有社時代に比し、早くも八割強の増加を見るに至れり。
 尚又線路の改良には一段の留意を致し、旧軌条を漸次二十二瓩に敷換へ、木橋を鉄橋に改架し、其他隧道の改修、各停車場の増改築等諸般の工事を施行して、客貨輸送の円滑を期する処ありたり。
 此間新設鉄道は明治二十五年二月空知本支線、同年八月室蘭本線、同十一月夕張支線夫々開通し、玆に当社鉄道営業線は既成線を合せ総延長三百二十九粁二に達し、運輸業態逐日繁盛に赴き、二十六年下期には室蘭・函館・青森間の日本郵船会社定期航路の開設と共に、旅客及び貨物の移動益々活況を呈し、当社線に依る輸送数量の増加極めて顕著なるものありたり。
二、幌内及び幾春別両礦の経営
 幌内礦に於ける鉱夫は、官業当時より使役せる空知監獄署の囚人を借用することに許可を得、一千名を之に充てたるが、明治二十三年より更に二百名を増員し、且つ従来は良民鉱夫と共に使役せるを囚人のみに改め、爾余の良民鉱夫は新規開坑中の空知及び夕張両礦に転稼せしめたり。然れども当時政府に於ては囚人の坑内労働は二重科役として之を避くるの方針に出で、当社に在りても因人鉱夫の能率不良なるを覚り、漸次之を減少して二十七年二月限り其全部を官に返上せり。
 当時幌内礦の採炭区域は、第一区本坑沢、第二区滝の沢、第三区本沢の三方面に跨り、坑道は総計二十五箇所を数へ、開業以来新規開鑿又は既成坑道の延長を進捗して出炭に努め、又幾春別礦に於ては、北有社時代の坑道六箇所に対し良民鉱夫四百八十名を就業せしめ、極力坑道の掘進を計りて採炭を進行し、明治二十三年度には両者を合せ十六万瓲を産出し、官業時代に比し四万四千瓲を増加せり。
 尚炭礦部事業に対しては、多年道内の炭鉱業に従事し且つ学術経験に富める北海道庁技師大島六郎の指導監督を受くることゝし、其拝借方を出願して許可を得、其後同人を技師長として招聘し、右両礦の経営並に空知・夕張両礦の開発に従事せしめたり。
三、石炭販売
 幌内及び幾春別両礦より小樽・札幌方面に搬出せる石炭は、当社と直接特約ありし大口取引先を除き、嘗て下村広畝及び池上仲三郎両名が北有社の後身として組織せる北海道売炭組と契約を結び、之に小売炭の一手販売を委託し、販売価格を指定して、所定の取扱手数料を支払ひ、明治二十五年十二月当社直轄制の実施を見る迄本契約を続行せり。
 当時会社の直接販売に係る大口取引先は、日本郵船会社・日本鉄道会社・函館共同商会・鉄道庁等にして是等に対する受渡は別に販売契約を結び、小樽及び手宮に設置せる炭礦課所管の売炭所をして取扱
 - 第8巻 p.718 -ページ画像 
をなさしめたる外、東京・横浜其他都合七箇所の貯炭場を設け、東京支社売炭係管轄の下に各消費先に配給をなしたり。是等販売先に対する年間供給高は、日本郵船会社の五万瓲を最高とし、其他は概ね一万瓲内外にして、明治二十三年中に於ける売炭組委託高は合計二万七千瓲に上れり。
 由来幌内炭は官業時代より市場に名声を博したるが、北海道拓殖の進展に基く新興会社の簇出、小樽港出入船舶の殷賑に伴ひ、当社炭の需要は頓に増加し、遠く上海、香港方面に販路を拡張したる結果、明治二十六年度には道内販売二十万瓲、内地販売十万瓲、外国輸出五万瓲、合計三十五万瓲の多きを算したり。
    第二節 起業概要
一、室蘭本線及び夕張・空知両支線の建設
 当社新設鉄道工事の指導監督は、官許を得て一切之を北海道庁技師工学博士松本荘一郎に委嘱し、嚮に当社鉄道敷設願書に添附進達したる予測調査に基き、明治二十二年十二月二十日室蘭方面より線路の踏査を開始せり、敷設工事は全線を二区に分ち、室蘭・岩見沢間本線及び夕張炭山支線を第一区(室蘭線)とし、岩見沢・空知太間本線及び空知炭山支線を第二区(空知線)とし、工事の順序は炭礦の開発計画に従ひ第二区を先にし、明治二十三年五月十日美唄方面より工を起したるが、翌二十四年七月五日を以て岩見沢・砂川・歌志内間、次で二十五年二月一日を以て砂川・空知太間夫々開通し、玆に第二区線総延長五十四粁三の全通を告げたり。停車場としては起終点たる岩見沢・空知太及び歌志内の外、峰延・美唄・奈井江・砂川の四箇所を設け、其他機関庫・倉庫・休泊所を竣工し、且つ全区に亘り電話線を架設せり。
 一方第一区室蘭線は、明治二十三年十月二十日土工に著手し、二十五年初より順次軌道を敷設し、室蘭・幌別・白老・安平・苫小牧・追分・栗山の各停車場を建築し、同年八月一日を以て第一区線百三十四粁、又同年十一月一日追分・紅葉山・夕張間四十三粁の全竣工を告げ玆に空知・室蘭両新設線総延長二百三十一粁三の開通を遂げたり。
 然る処、夕張支線は馬追に起り栗山を経て夕張炭山に終る予定なりしが、工事の難易、経費の関係、夕張礦開発の計画上、之を変更して安平村(現在の追分)を起点とし、夕張・室蘭を結ぶを以て将来の利益となしたり。依て当社は明治二十五年二月二十五日附本線路の変更願を提出したる処、北海道庁は予め認可を経ずして自儘に線路を変更したるものと推断し、其理由を詰問し来りしに対し、当社は総て道庁より派遣せられたる松本技師の指揮に依り工事を進め、事後承認の形式を採りたる旨を答申せるも容れられず、時の長官渡辺千秋は当社堀社長の専断行為を難じ、政府に命令違反として上申する処あり、之が為め遂に松本技師は進退を伺ひ出で、又堀社長は同年三月二十四日を以て引責辞任の止むなきに至れり。
 右上申に接し、政府は明治二十五年七月二十二日鉄道庁長官井上勝に渡道を命じ、具さに其実情を調査せしめたる結果、井上長官は九月六日逓信大臣に対し、会社が線路の変更に就き予め認可を請はざりし
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は手続上の懈怠なりしも、事実適当の変更なりし旨を具申せり。依て同月二十八日、逓信大臣は当社の線路位置変更願に対し正式許可の指令を下付し、之を以て一時喧しかりし当社鉄道線路変更問題も漸く落著を告げたり。
二、空知及び夕張両礦の開坑
 明治二十三年四月十一日融雪を待ちて空知郡歌志内に空知採炭所を設置し、同所より空知礦に至る十六粁余の道路を敷設して開坑に著手すると同時に、社宅及び事務所外諸建物を建築し、翌二十四年上期迄に二十二箇所の坑道を開き、漸次鉱夫を増募して坑道の延長を計りたり。工事中主なるものは、歌志内炭層に沿ふ神威大坑道及び上歌志内疏水坑の掘鑿にして、何れも水準以上を採炭する計画なりしを以て、排水・運搬等に特殊設備を要することなく、工事順調に進捗して早くも二十四年七月より出炭輸送を開始せり。
 一方夕張礦は明治二十三年四月以降岩見沢より角田を経由する一条の道路を開通し、馬車により工事材料及び食糧品運搬の便を開き、同年六月二十七日夕張郡字志幌加別に夕張採炭所を設置し、募集鉱夫百三十余名を就業せしめ、爾後掘進を急ぎつつ二十四年上期迄に社宅・事務所等を建設せり。主要坑口の位置は現在の千歳坑乃至天竜坑附近にして、水準上に在りては炭層の露面に沿ひ、水準下に在りては二条の斜坑を設け、工程の進捗に伴ひ蒸汽々缶・喞筒・捲揚機の据付を行ひ、採掘炭は一時山元に貯蔵し置き、二十五年十一月夕張線の開通と共に輸送を行へり。
 斯くて出炭額は開坑の各翌年度に於て空知礦十万九千瓲、夕張礦七万八千瓲を算し、従て明治二十六年度の当社総出炭高は、二十三年度に比し約倍増を見るに至れり。
三、手宮及び室蘭港々頭設備の改良
 鉄道工事に要する軌条其他材料の陸揚並に石炭積卸の為め、鉄道改良及び新設工事と並行して、手宮海岸の埋立並に室蘭港桟橋の建設を志し、先づ北有社出願に係る小樽区手宮町番外地先海面約五千坪の埋立工事を明治二十三年上期中に竣成し、更に二十五年十二月手宮停車場構内地続きの海面約三千六百坪の新規埋立工事を竣成し、同時に旧桟橋の修築を了したり。爾来輸送石炭の増加並に貨物集散の活況に伴ひ、貯炭場増設、船入場の一部埋立を行ひ、漸次設備の充実を計りし結果、同港出入の内外船舶に対する荷役作業は多大の利便を受くるに至り、更に二十八年十二月手宮町三十四番地々先に新桟橋を架設すべく、公有水面使用並に埋立工事を出願して許可を得、小樽港の修築をして公共事業たらしむるの端緒を開けり。
 又室蘭港字エトスケレツプ地先に於て、鉄道建築材料陸揚の為め明治二十四年二月仮桟橋を竣工し、後ち室蘭幹線の開通と共に本桟橋を建築する計画なりしが、其予定位置は海軍鎮守府軍港と定められたる為め、本桟橋を見合せて仮桟橋の増築を行ひ、翌二十五年上期を以て竣工せり。
    第三節 社務の整理改革
 明治二十四年下期に萌したる炭況の不振は、翌二十五年に入り其極
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点に達し社炭の売行一層の難渋を告げ、加ふるに道内一般の不景気、札幌及び小樽の大火等悪材料続出して当社業績は次第に低下するに至りしを以て、玆に二十六年五月社務全般に亘る一大改革を断行せり。
 即ち先づ事務能率の向上を期し、明治二十六年四月三十日を以て職制の全般的改正を行ひ、重役をして業務一般を直接処理し得るが如き機構となし、且つ事務及び技術の分界を明にすると共に、専ら官庁流の繁文縟礼を排除し、次で重役一同其俸給報酬の一部を辞退し、更に支配人以下の俸給並に鉱夫賃金を引締め、新設鉄道工事の竣工並に炭礦開発の一段落に依り、各課共定員制を敷きて冗員の整理を行ひ、以て人事の刷新、経費の節減を計れり。
 続いて北海道売炭組との契約を解除して、石炭小売業務の一切を当社直轄制に改め、明治二十六年十二月新に下村広畝・浅野総一郎両人を販売取扱人に指定すると共に、之が監督取締を厳にし、売炭業務の面目を一新したる外、創業当時より特殊の存在をなせる鉱夫組長制の弊害漸く顕著なるに鑑み、二十五年十一月七日鉱夫の保護救済を計る為め「鉱夫使役規則」及び「鉱夫救恤規則」を制定実施すると共に、二十六年八月二十六日を以て右組長制を廃止して、鉱夫全部を会社直轄に改め、更に同年九月一日「鉱夫共済会規則」を制定実施し、業務上に起因せざる死傷病者の扶助救済を行ひ、又二十六年六月三十日、「各炭山物品取扱手続」を制定して、日用品の実費販売を実施したる結果、従業員一般より多大の歓迎を受け、爾来事業経営上必要欠くべからざる施設として其利用度を高めたり。
    第四節 社長公選制の適用及び社名の変更
 創業以来正副社長及び理事の任免は勿論、業務の監督及び会計の監査等に関しては、鉄道運輸に関する限り政府利子補給命令に遵由し、為に業務の進行上甚しき不便と痛痒を感じつゝありし折柄、明治二十六年三月六日を以て「商法」並に「商法施行条例」の公布を見るに及び、之を機会に政府は当社の要望せる重役公選制の適用を考慮し、同年三月二十九日附を以て、利子補給命令第二条に「正副社長及理事ノ任免ハ利子補給ノ年限間ハ北海道庁長官ノ認可ヲ請フヘシ」と改正を許可する処あり、従て正副社長及び理事の任免は株主公選制に拠ることとなりたるを以て、同年五月十五日株主総会を開き、創立定款中重役の定員及選任方法に関し改正を決議し、且つ同日社長及び理事の選任を行ひ、高島嘉右衛門を社長に、園田実徳・井上角五郎・北村英一郎の三名を夫々理事に互選し、同年五月二十三日附北海道庁長官の認可を得たり。
 超えて明治二十六年七月一日商法中「会社法」の実施を見るや、同法の定むる処に準拠し、十一月十五日定款の全般的改正に就き株主総会を開催して之を決議し、翌二十七年十二月二十八日漸く其認可を得たり。玆に於て当社の業務機構は商法施行以前に比し著しく面目を一新し、実質的に会社自治制の基礎を確立するに至り、同時に二十六年十一月一日を以て、当社々名を北海道炭礦鉄道株式会社と改正し、次で十二月二十七日商法中「登記規定」の追加実施に因り、営業目的、商号及び営業所、資本総額、株式総数及び金額、取締役の氏名住所、
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設立免許及び開業の年月日等に就き登記手続を了せり。