デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
16款 総武鉄道株式会社
■綱文

第9巻 p.152-157(DK090017k) ページ画像

明治22年2月8日(1889年)

是ヨリ先、明治二十年末武総並ビニ総州鉄道同時ニ発起サレシガ、是日両鉄道合併シ、総武鉄道会社創立ヲ願出デ、後許可サル。栄一其株主タリ。


■資料

青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第一〇〇二頁 〔明治三三年六月〕(DK090017k-0001)
第9巻 p.152 ページ画像

青淵先生六十年史 (再版)第一巻・第一〇〇二頁〔明治三三年六月〕
    第二十二節 総武鉄道株式会社
総武鉄道株式会社ハ明治二十二年三月ノ創立ニ係リ、其目的ハ東京・千葉・佐倉地方ヲ連絡シ、以テ運輸ノ業ヲ営マントスルモノニシテ、其資本金ハ三百六十万円ナリ、同会社ハ明治二十七年七月二十日開業セリ、青淵先生ハ元同社ノ株主ナリシカ後チ之ヲ止メタリ


日本鉄道史 上篇・第八九六―九〇〇頁〔大正一〇年八月〕(DK090017k-0002)
第9巻 p.152-153 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

日本鉄道史 中篇・第四四五―四五〇頁〔大正一〇年八月〕(DK090017k-0003)
第9巻 p.153-155 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

中外物価新報 第一九六五号〔明治二一年一〇月一四日〕 武総鉄道会社創立の協議(DK090017k-0004)
第9巻 p.155-156 ページ画像

中外物価新報  第一九六五号〔明治二一年一〇月一四日〕
    武総鉄道会社創立の協議
東京府下深川より下総国銚子迄鉄道を布設して運輸の業を営まんとの義ハ是迄度々計画をなせし者ありたれど、兎角其間に色々の故障起りて創立諸般の手続も一向に捗取らざりし処、漸く此程協議も少しく纏り掛けしに付、去る十日千葉町の梅松別荘にて重立たる人々の協議会を開き、元総州鉄道会社の創立規約書を原案として逐条審議を遂げ、社名ハ之を武総鉄道会社と称し、東京府下深川より下総国銚子間を幹線とし、更に八街より勝浦を経て佐原に至るを支線とすること。資本金を二百万円とし、株金ハ一株百円にして之を四十円、三十円、三十円の三回に募集すること。発起人総代を九名、会計委員を三名、協議委員を五名とし、其他都合十五ケ条を議定し、右仮役員選挙のことハ他日に譲ることゝなして散会せし由、今度ハ主唱者中鉄道熱心の人々も随分多く加ハり居れる由なれば、真逆立消となる様のことハなかる
 - 第9巻 p.156 -ページ画像 
べしとの評判なれど如何にや


中外商業新報 第二〇五五号〔明治二二年二月五日〕 総武鉄道会社創立の計画(DK090017k-0005)
第9巻 p.156 ページ画像

中外商業新報  第二〇五五号〔明治二二年二月五日〕
    総武鉄道会社創立の計画
東京府下本所より千葉県下千葉又は銚子迄鉄道を布設せんとのことに就ては是迄度々計画あり、且其発起者も一時数派に岐れ、同一の線路に向て互ひに免許を争ひたれは、其筋にても甲を採て乙を斥くると云ふ訳にも行かさるゆゑ、先頃一旦双方よりの願書を却下し、宜しく示談を遂げ、合同一致して出願すへき様懇々諭旨せられたる趣もありしが、聞く所に拠れば其後屡々有志発起者諸氏の協議会を開き、武総鉄道会社と云ふを設立せんとて略ぼ商議も纏り掛けしに、又々中途にて異議を唱へ出せし者ありて遂に瓦解となりしが、同地方及東京の有志者諸氏は深く之を遺憾に思ひ居りし処、近頃益す同地方へ鉄道を布設するの必要を感したるより、是迄数派に岐れ居たる有志発起者諸氏一同には去月廿八日中洲の采芳亭に参集し、一同団欒互に胸襟を開きて鉄道布設の商議を遂け、初て各自の意見も投合したれは愈よ東京府下本所より千葉県下千葉及佐倉を経て八街に至る凡十六里間に鉄道を布設するものとし、其資本金額を百二十万円と定め、又其社名は総武鉄道会社と称することに決定せしかば、直に創立委員及協議員を選挙せしに、創立委員には牧朴真・安井理民・伊能権之丞・大貫実・池田栄亮の五氏又協議員には谷元道之・丸山作楽・太田実・喜谷市郎右衛門・完戸昌の五氏当選、孰れも承諾の上早速創立諸般の準備に着手する由なれば、想ふに久しく紛議の為めに支障へられて今日まで遅々したる下総鉄道も玆に初て其基礎を確立し、所謂雨降て地固るの諺の如く、創立委員協議員にも夫々有名適当の人々が選挙せられ、又全線路に当れる土地は総て平坦にして格別工事に困難なる場所もあらずと云へは目的通り武総間に鉄道を布設して、旅客貨物の運輸を開始するも蓋し遠きにあらさるべし


東京経済雑誌 第二六巻第六四六号・第六〇一頁〔明治二五年一〇月二二日〕 ○井上伯総武鉄道会社の為めに紹介相談会を催うす(DK090017k-0006)
第9巻 p.156 ページ画像

東京経済雑誌  第二六巻第六四六号・第六〇一頁〔明治二五年一〇月二二日〕
  ○井上伯総武鉄道会社の為めに紹介相談会を催うす
井上伯は陸軍大臣大山伯の熱心賛成せる由を伝ふる総武鉄道の成立を賛成し、去る十七日の夜自ら会主となりて蜂須賀侯爵・原善三郎・茂木保平・北岡文兵衛・川崎八右衛門・西村虎四郎・原六郎・柏村信・渋沢栄一等の諸氏を自邸に招き、其賛成を勧誘するの紹介相談会を開けり、大山伯及ひ松本技師等出席あり、総武鉄道会社よりは坂本則美氏参同し、来会諸氏より其事業上に関し反覆の質問あり、坂本則美氏は一々其説明をなしたる後、来会諸氏は結局本鉄道は会社の営利上に於ても国家の公益上に於ても其成立を望むべきものに付き、其起業を賛成する事に決して散会せりと云ふ


中外商業新報 第三二一六号〔明治二五年一一月二五日〕 大山伯の饗応(DK090017k-0007)
第9巻 p.156-157 ページ画像

中外商業新報  第三二一六号〔明治二五年一一月二五日〕
    大山伯の饗応
前号に記せし如く大山伯は去る二十二日夕井上伯、井上鉄道庁長官
 - 第9巻 p.157 -ページ画像 
松本技師、渋沢、中上川、原六郎、原善三郎、坂本、茂木惣兵衛、北岡文兵衛、川崎の諸氏及毛利、相馬両家々扶家令等を招き、諸氏の尽力にて総武鉄道も布設さるゝことゝなり軍事上大に好都合となりし旨なと述べられ、晩餐の饗応ありしといふ。