デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
28款 東京鉄道株式会社
■綱文

第9巻 p.505-531(DK090055k) ページ画像

明治42年2月6日(1909年)

是ヨリ先、東京鉄道株式会社乗車料金ヲ引上ゲントシ四十一年十二月二十一日願書ヲ警視庁及ビ東京府ニ提出セシガ却下セラレタルニ因リ、其責ヲ負フテ牟田口社長以下重役連袂辞任ス。是日栄一
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ヲ首メ大倉喜八郎・近藤廉平・福原有信・渡辺福三郎等其後任役員選定ノ依頼ヲ受ケ大イニ尽力ス。栄一等、初メ重役ヲ選定シタルニ事態紛糾セルニヨリ其任ヲ辞シタレドモ中野武営等ノ懇望ニ依リ復任シ、男爵千家尊福ヲ社長ニ推薦シ他ノ役員ハ同氏ノ処理ニ一任スベク決シ、株主之ニ異議ナク三月二十九日ニ至リ同社株主総会ハ役員ヲ選出シ問題落着セリ。


■資料

渋沢栄一 日記 ○明治四一年(DK090055k-0001)
第9巻 p.506 ページ画像

渋沢栄一 日記
 ○明治四一年
十月五日 晴冷
○上略 九時半桂総理大臣ヲ官舎ニ訪ヒ○中略近藤廉平氏ト共ニ東京鉄道ノ件ニ関シ種々内情ヲ陳述シテ電車賃直上ノ已ムヲ得サルヲ説ク○下略

渋沢栄一 日記 ○明治四二年(DK090055k-0002)
第9巻 p.506-507 ページ画像

 ○明治四二年
二月六日 晴寒
○上略 牟田口氏来リテ東鉄重役ノコトヲ談ス○中略夕方、豊原・神谷二氏来リテ東鉄重役推薦ノコトニ関シ有志者会同ノ景況ヲ申告シ、其人撰ノコトヲ依頼セラル○下略
二月七日 晴寒
○上略 十一時、帝国ホテルニ抵リ、近藤・大倉・福原・渡辺ノ諸氏ト共ニ東京鉄道会社撰挙ノコトニ関シテ牟田口・佐竹二氏ニ会見シテ其依頼ヲ受ケ、且株主相談会ノ顛末ヲ聞ク、午飧後五名ノ凝議ニヨリテ仙石氏ニ電話シテ来会ヲ請ヒ、近藤氏ト共ニ東鉄会社々長ニ任セラレンコトヲ内話ス、同氏ハ熟考ノ後回答スベキヲ約シテ去ル○下略
二月八日 晴寒
○上略 仙石貢氏来リ東鉄ノコトヲ談ス、東鉄ノコトニ関シ栗生・織田・半田氏等来話ス、又須永・斎藤二氏来話ス○下略
二月九日 晴寒
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ、近藤・大倉・福原・渡辺ノ諸氏ト東鉄重役推薦ノコトヲ談ス○中略食後貴族院ニ抵リ、桂首相・後藤逓相ニ会シテ東鉄重役ノコトヲ談シ○下略
二月十日 晴寒
○上略 十時半兜町事務所ニ抵リ、大倉・福原二氏ト東鉄重役撰挙ノコトヲ談ス○中略多数ノ新聞紙記者来訪シテ東鉄・日糖二会社ノコトヲ質問セラル○下略
二月十二日 曇寒
○上略 近藤・大倉・福原・渡辺ノ四氏来会シテ東鉄重役推薦ノコトヲ談ス○下略
二月十五日 晴寒
○上略 千家尊福男来リテ東鉄会社ノコトヲ談ス○中略近藤・大倉・渡辺・福原四氏ト東鉄会社ノコトヲ談ス○下略
二月十七日 晴寒
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○上略 兜町事務所ニ電話ヲ通シ東鉄会社ノコトヲ近藤・福原二氏ヘ申シ遣ス、終日褥上ニ於テ読書ス


(八十島親徳)日録 明治四二年(DK090055k-0003)
第9巻 p.507 ページ画像

(八十島親徳)日録 明治四二年  (八十島親義氏所蔵)
一月廿一日 雨
東鉄値上ケ不認可、重役総辞職、又実業界ノ宿老タル我渋沢男爵ノ処ヘ善后策ノ相談ヲ持込マレタリ、青淵男爵実ニ公共ノ為寧日無シ
三月二十七日 晴
朝千家男爵ノ求ニ依リ三田一丁目同男邸ニ至リ面会東鉄重役候補人名ヲ渋沢男爵ニ一応御目ニ懸ケ度トノ依頼也、即飛鳥山邸ニ至ル男爵意外ニ快方昨日以来殆平温也、床上ニテ談話ノ勢平日ノ如シ、去レド此度ハ大熱ノ後ナレハ一同側ニテ注意ヲ重ネ可成当分用談等ハ持込マヌ筈也、但今日ノ東鉄話ハ別也、三時兜町ニ帰リ千家男ニ面会六時帰


東京経済雑誌 第五九巻第一四七五号・第一四〇―一四一頁〔明治四二年一月三〇日〕 電車問題の善後策如何(DK090055k-0004)
第9巻 p.507-508 ページ画像

東京経済雑誌  第五九巻第一四七五号・第一四〇―一四一頁〔明治四二年一月三〇日〕
    電車問題の善後策如何
電車問題の善後策は、分ちて二と為すべし、一は東京市参事会及び市会の改善にして、一は東鉄会社の改善なり、難易の点より此の二者を比較する時は、前者は後者よりも困難なるべし、然るに今や後者の善後策は、世上の問題となりて、盛に論議せらるゝと雖、前者の善後策に就ては、殆ど闃として声なきが如し、然れども此の二者は共に改善の実を挙ぐるにあらざれば、電車問題は解決を得たりと云ふを得ざるべし、蓋し東鉄会社は幸にして改善の実を挙げたりとするも、市参事会及び市会にして、依然電車問題を以て、利益問題と為し利益の有無多少を以て、賛否を決するに於ては、会社は勢ひ市参事会及び市会に向ひて運動せざるべからず、運動の結果は市民の利益を害し、市民の反抗を招かざるべからざるなり、故に会社を改善すると同時に、市参事会及び市会をも改善せざるべからざるなり
東鉄会社は重役一同辞表を提出し、後任重役の人選に就ては、渋沢男爵・近藤廉平・大倉喜八郎・福原有信・渡辺福三郎の五氏に依頼し、五氏は会社の為め善後処分に関して助力することを承諾したれども、会社重役は既に辞表提出の手続ありたる上は、後継者の選定を吾々に請はるべき権能なく、吾々も亦其請に応じて選定する権能もなし、就ては先づ監査役に於て株主総会を開き、後継重役選定の件を吾々に委托することを確定したる上にて、始めて選定を為すべしと答へ、早速株主総会の召集に着手せられたりと云へり、既に後任重役の競争も開始せられたれば、総会の結果は未だ知るべからずと雖、結局渋沢男爵其の他に選定を依頼するの外なかるべし、而して適当なる重役を得れば、玆に会社は改善の端開かるべく、爾後相当の日子さへ経過せば、改善の実を挙ぐること必ずしも難きにあらざるべし、而して余輩は切に之を希望するものなり、若夫れ改善の方法に至りては、会社内部の整理を為すべきは論を俟たず、会社の真相を明にせざるべからず、余輩の聞く所に依れば、電車市有に関する会社の計算は、虚偽にして今回の電車値上げに関する計算は、真実なりと云へり、真実の計算を提
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出して、而して排斥せられたるものは何ぞや、多少政略もあるべく、輿論の斟酌もあるべしと雖、要するに鉄道院と会社との意思疏通せざるが為ならずんばあらず、故に院の技術者と、会社の技術者と相会して意思を疏通し、会社営業の真相を明にするは、改善の実を挙ぐる有力なる方法たらずんばあるべからざるなり
東京市会は、市民輿論の府たらざるべからず、然るに市会が調査をも為さず、即決したる電車値上げ賛成の答申は政府に於て却下せられ、而して市民は市会の答申を却けんことを希望し、其の之を却下したる政府を謳歌するに至りては、市会が市民輿論の府たるの実何れに在りて存するや、是れ市会が会社の運動に依りて支配せられ、市民の意見を代表せざるのみならず、自己の本心にさへも背馳せるが為ならずや、市会の値上げ賛成議員等は曰く、本件は諮問案たるを以て、答申を採用するとせざるとは政府の随意にして、市会の関知する所にあらずと、然れども市民の輿望に反せる意見を答申し、而して其の採用せられざるに及び、平然たるが如きは、決して責任を知れる者の為すべき行動にあらず、極論すれば政府は宜しく市会を解散すべきなり、何となれば当然市民の輿論を代表すべき市会にして、而して輿論を代表せざることを政府は認めたればなり、今や市長も助役も東鉄会社の運動に依りて選挙せられたるものなり、名誉職市参事会員及び市会議員に至りては、東鉄会社の奴隷なり、嗚呼輦轂の下たる東京市政を斯の如き輩に任ずることは、市民の一日も看過すべからざる所ならずや、奮起せよ、市民諸子○下略


竜門雑誌 第二四九号・第三六頁〔明治四二年二月二五日〕 ○青淵先生と東京鉄道会社(DK090055k-0005)
第9巻 p.508-509 ページ画像

竜門雑誌  第二四九号・第三六頁〔明治四二年二月二五日〕
    ○青淵先生と東京鉄道会社
   東京鉄道会社にては賃金引上請願不認可となりて一月二十一日牟田口社長以下重役総辞職となり、後任者の選定を青淵先生を始め大倉・渡辺・福原・近藤四氏に懇嘱するに至り、目下其進行中に係れり、本問題に関し先生が二三新聞記者に語られし所左の如し
    △東京朝日新聞(一月二十七日)
東京鉄道は三社合同以来各種の人々相集まりて今日まで経営し来れるも予定の利益を収むる能はず、去ればとて再三乗車賃値上を請願したるに今回復もや却下せられ、内には株主の信用を失ひ外に於ては社会の同情を失へり、此に於てか重役は之畢竟自己の不徳の然らしむる所なるべきを感じ辞職に決したり、東鉄会社は六千万円の資金、百二十万株の法人なれば株主中には固より種々なる異分子を含有し居るに相違なし、此際後任重役を自派より選出せんと欲して各派徒らに争鬩を是事とせば、市唯一の交通機関其発達を妨害さるゝのみにて何等の利益もなかるべし、就ては相当の重役候補者を定め併せて善後の組織を確立せられたしとは現重役の嘆願なり、然れども現任重役は後任重役を選定する資格なきものなれば、吾々は現任重役の依頼には応じ難きも、若し重役を選定すべき権能ある株主総会の決議とあらば、快よく其依頼に応ずるやも知れず、云々。
    △時事新報(二月六日)
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未だ東鉄大株主会の様子も聞かず、又一方に於て別に重役選定の運動ある事をも確めざれど、要するに現重役が辞職することとなりて後任者の選定を我等五人に依頼し来りたるは、現重役一同が専心東鉄の経営に当るべき適才を挙げられたしとの誠意より出でたるものと認めたるを以て、更に株主一同に於て何等の異議なきに於ては其の依頼を引受けざるにもあらず、即ち現重役の意見が臨時総会を果して通過し得るの見込確実なるに於ては、東京市交通機関の為め、何派とか何党とか、例へば議会の委員会に於て進歩党より何人、政友会より何人と云ふが如き事なく、東鉄経営に対する適才を現重役等に何等の関係なき人々より挙ぐる事を我等に一任し、他に野心家等のありて此間に種々なる運動等を試むるものなき事明確なるに至らば、我等五人の者も後任者選定を引受く可きも、自分等が後任者選定後に再び紛擾を起すが如き模様あらば右等の世話は為さゞる積なり、殊に自分に右の事を依頼するは合併当時口を開きたる縁故あるが為めにて、自分は株券も有せざれば、また第一銀行が東鉄に貸附を為し居るにもあらず、只株主一致して後任者選定を依頼するといふに於ては東京市交通機関の為めに適才を得ん事に尽力するといふの外なきなり、云々。
    △国民新聞(二月十三日)
今日は万事秘密を保つの必要あり、何事も語る能はず、但自分一個の考より見れば新重役中に旧重役若しくは五名の委員の或者を加ふるが如きは断じてなし、元来東鉄の事業を発達せしめ其経営を完全ならしめんと欲せば、先在来同社の経営を困難ならしめたる最大原因の刈除即ち各異分子の淘汰、換言すれば社員の統一を計る事にして、各種の方面より或数宛の重役を選み来りて聯立内閣を作れば作れざるに非らざる可きも、そは唯だ程度を軽減し得る事に於て相違ある外、旧重役時代と同一の弊を遺すものにして、何時かは再び整理せざる可からざるに至るや明白なり、斯かる姑息の策は決して賛する能はず、又た一度立派に全権を委任しながら今となつて種々注文がましき事を申出づる株主あるは誠に不条理千万なる次第にして、吾々には自己の責任を知る間決して斯かる不条理の抗議に動かされず、飽く迄所信を断行する考へなり、而して若し此所信の断行が全々不可能なるに至らば、其時は自分方より手を引くの外なきのみ。


竜門雑誌 第二四九号・第六二―六三頁〔明治四二年二月二五日〕 ○東京鉄道会社重役選定の依頼(DK090055k-0006)
第9巻 p.509 ページ画像

竜門雑誌  第二四九号・第六二―六三頁〔明治四二年二月二五日〕
○東京鉄道会社重役選定の依頼 東京鉄道会社にては賃金引上不認可の結果一月二十一日牟田口社長以下一同総辞職を為し、後任の選定を青淵先生及大倉・渡辺・福原・近藤四氏に懇嘱することゝなり、本月六日大株主会議を開き其事を決議し、同日小株主も日本橋倶楽部に会合を催ふして同一の決議を為し、其結果牟田口・佐竹両氏は青淵先生等に向て懇々依頼する所あり、本月七日帝国ホテルに於ける会合に於て先生も他の四氏と協議の上之を承諾せられしが、其後任は未だ之を発表せられしに至らず。


竜門雑誌 第二五〇号・第六三―六四頁〔明治四二年三月二五日〕 ○東京鉄道会社重役選定に就て(DK090055k-0007)
第9巻 p.509-510 ページ画像

竜門雑誌  第二五〇号・第六三―六四頁〔明治四二年三月二五日〕
 - 第9巻 p.510 -ページ画像 
○東京鉄道会社重役選定に就て 東京鉄道会社重役選定の依頼に就ては前号に記せしが、青淵先生等四名の詮衡委員は審議討究の末其後の形勢事志と違ひ、十分其責を全ふし難きものあるより一同挙て委員を辞退することに決し、牟田口・中野・佐竹三氏を招きて連袂辞職の已むを得ざる旨を通告したり、先生が某新聞記者に語りたる所に依るに連袂辞職の真相左の如し。
 最初吾々が東鉄大株主及有志株主会の決議に依りて東鉄会社善後の為め後任者選定の依托を受くるや、現重役は勿論当時株主会を代表して吾々を訪問せし佐竹氏を始め有志株主会の代表者も全然白紙委任状付の依頼を為し、何等注文がましきことを為さず自由意志に一任する事を誓ひたり、是を以て吾々も此重大なる責任を帯び後任者選定の大任に当れり、然るに其後の形勢を見るに曩に満場一致を以て無条件白紙委任状付依頼の決議を為せし大株主及有志株主は勿論重役の一部にありても種々なる牽制運動を試み、中には干渉がましき注文をさへなすありて殆んど混乱の状を呈せり、斯る中間に立つて虚心坦懐公明正大の重役を選定せんことの望み絶えたるのみならず又紛擾混乱の中に投ずるが如きは吾々の素志に反するを以て選定委員一同は袖を列ねて依頼を辞任することゝなれり。
然るに東京鉄道会社重役等は其後中野氏を以て強て人選の労を執らんことを懇願して已まざるより、青淵先生外四氏は本月八日再び協議会を開き、協議の末委員に於て全部の人選を行ふも徒らに紛擾を招くのみにして其通過は到底不可能たるべく、去りとて当初より主張せる人選の方針を変更し不本意の人選を行ふは委員等の体面を傷くることゝなるべければ、此際辞任の外途なけれども強ての希望もあり、又総会に於て投票を以て愈々決する事となれば、自称候補者の蜂起を促し、会社をして更に不信用の地位に陥らしむることゝなるべきを以て、委員等に於ては一般の株主に歓迎せられ居る千家男を社長に推薦し、其他の顔振に就ては千家男に一任するとも其他何れの方法に依るとも一切委員等は関係せず、只単に千家男の就任に就きては委員として充分の尽力をなす事に決し、即ち条件付にて中野氏の懇請を承諾することとなり、其結果千家男は本月十三日微恙引籠中なりし先生を王子邸に訪問せし由なれば、遠からず本問題も解決することゝなるべし。


東京日日新聞 第一一五三四号〔明治四二年一月二三日〕 東鉄善後処置 重役の泣付主義;東鉄と渋沢男 大株主連の活動(DK090055k-0008)
第9巻 p.510-511 ページ画像

東京日日新聞  第一一五三四号〔明治四二年一月二三日〕
    東鉄善後処置 △重役の泣付主義
東鉄重役等総辞職善後処理を託するため福原有信・渡辺福三郎・益田孝・大倉喜八郎・近藤廉平の諸氏及び渋沢男に斡旋を請ふことゝなりたるも、辞表は受領すべき人なきを以て後任の定まるまで差出さず、事務引継等の手続もなし能はざれば是亦後任決定まで現重役に於て執務すべしとの事なるが、重役等は特に渋沢男に向ひ今後の始末を依頼すると同時に予て種々の風評ありし如く、会社内部の事情は頗る錯綜せるにより普通会社の如く単純に後継者へ引継ぐ能はざる内情を具さに物語り、第一帝国商業銀行に対する百卅余万円の預金、第二貯蔵物品、第三三社合併より生ぜし情実等を十分酌量せられたしと云ふ条件
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と称せんよりも寧ろ哀願的の言辞を以て総辞職に対する一の附ものとなし、且つ重役さへ更迭すれば政府に於ても値上を認容すべき形勢なるにより新重役の手に於て更に賃金引上げの出願を希望する旨をも陳述したりと云ふ
    東鉄と渋沢男 △大株主連の活動
東鉄重役が愈々総辞職を断行して後事の一切を挙げて渋沢男其他の五氏へ委嘱するに至りたるは別項の如くなるが、右に関し福原有信氏は渋沢男を訪問して種々之に関する打合せを為したる結果、明二十四日更に大株主と共に善後策に関する協議会を開く事に決定し、渋沢男は二十二日午後より大磯に赴きたれど同大株主会には無論帰京の上出席して尽力する筈なりと


東京日日新聞 第一一五三六号〔明治四二年一月二五日〕 東鉄の相談会 重役は全然改選?(DK090055k-0009)
第9巻 p.511 ページ画像

東京日日新聞  第一一五三六号〔明治四二年一月二五日〕
    東鉄の相談会 △重役は全然改選?
既報の如く東京鉄道会社の善後協議会は昨二十四日正午より帝国ホテルに催され一同午餐を共にしたる後種々協議する所ありて午後四時近くに散会したり、今其の協議の模様を聞に元来同問題は渋沢男・大倉喜八郎・近藤廉平・益田孝・福原有信・渡辺福三郎の六氏に夫れ夫れ依頼せられたるも、益田氏は三井其他の関係上之に参与し難き事情ありて謝絶せしにより、其人員五名となりたるに渋沢男は未だ大磯より帰来せず、渡辺氏又病気にて欠席せしを以て当日実際出席せしは大倉・近藤・福原の三氏にして、会社側よりは牟田口社長及中野武営・小野金六・吉田幸作の三取締役出席し、都合七氏の会合に過ぎずして最初牟田口社長は市有問題以来重役の取りし方針より遂に今回の値上出願却下に至りし経過を述べ、最早到底吾々の不徳を以てしては同会社を経営する能はざるを以て玆に全く総辞職を決するものなれば諸君に於て適当なる後任重役を人選せられんことを希ふと陳べ、他の重役も亦夫れ夫れ現重役にては前途望みなきにより全然新たなる人々を以て重役全員の選定あらんことを希望する旨相談に及びたり、然るに出席の面々何れも重大なる問題なれば即座に返答する能はず、特に当日は渋沢男欠席の為め別段今後のことにも及ぶを得ず、故に同男の帰京を待て更に協議決定の上重役側に通知することゝして散会せりと、而して次回の会合は本日帝国ホテルの重役会にて渋沢・大倉の二氏同所に会合の筈なれば其際日時を定めて他の三氏に通知することゝなれる由、因に後任重役は全然別派の人を以て組織せらるべき形勢にして中野氏の如きは否らされば総辞職の実を挙ぐる能はずと語り居れりといふ


東京日日新聞 第一一五三八号 〔明治四二年一月二七日〕 東鉄重役会(臨時総会開催難)(DK090055k-0010)
第9巻 p.511-512 ページ画像

東京日日新聞  第一一五三八号 〔明治四二年一月二七日〕
    東鉄重役会(臨時総会開催難)
廿六日帝国ホテルに於ける渋沢男並に大株主等会合の結果東鉄会社旧重役等は二七日午後一時より同社楼上に重役会を開き、取締役浜政弘氏を除く外牟田口社長を始め各監査役共出席して渋沢男等の要求に係る臨時総会開催の件に付き種々協議を重ねたるが、此際臨時総会を開催して
 - 第9巻 p.512 -ページ画像 
 一株主多数の意見に依り、仮りに渋沢男其他の四氏を後任重役選定委員に挙ぐるとするも、右の諸氏は即席選定するにあらずして、其人選に関しては多少の時間を要するに依り、此の間に於て法律上果して有効なりや
 二株主にあらざる渋沢男は法律上重役選定の資格を有するや
 三後任重役選定委員を挙るは甚だ重大問題なるに依り、普通の決議事項の如く多数決の法文に依るを得るや
 四選定委員が挙げたる新重役が若し従来株主にあらざる人にして本総会後に就任の必要上株主となりたる場合、果して重役たるべき資格ありや
等法律上の疑義頗る多く、又一面には次に後任重役の候補者として激烈なる競争を為しつゝあるに当り、是等を全然無視して選挙を行はんとするは他日の軋轢を醸生する所以なるのみならず為に或は総会に於て不測の紛擾を惹起するやも計られざる惧あるを以て、大に考慮を要すると共に、総会の開催に付ては相当の準備なかるべからざる等にて議容易に決するに至らず、結局法律上の質疑は専門家に託して十分の調査をなすと同時に総ての準備完成したる上にて再び重役会議を開き総会期日其他を決定するとして午後四時半散会したり


東京日日新聞 第一一五四一号〔明治四二年一月三〇日〕 東鉄重役会議(大株主会開催に決す)(DK090055k-0011)
第9巻 p.512 ページ画像

東京日日新聞  第一一五四一号〔明治四二年一月三〇日〕
    東鉄重役会議(大株主会開催に決す)
東京鉄道会社にては廿九日午後一時より引続き重役会を開きて後継重役選定に関する協議を凝したるが、法律上の疑義に就ては夫れ夫れ専門家の調査を得、又た某々等の野心家に対しては努めて対抗準備を整へることゝなしたるものゝ如く、又臨時総会開催は従来の行掛りとして到底平穏に目的を達し難きのみならず、選定委員選挙に関し法律上完全の手続きとしては是非とも二回の総会を招集せざるべからず、而も第一回総会に於て決議すとも問題の性質上出席株主の移動に依りて第二回総会に否認せらるゝ惧あるにより、寧ろ大株主会を以て之を決することゝし此趣を渋沢男其他に諮りたる処何れも異議なきを以て、愈々来月五日午後二時東京商業会議所に一千株以上の大株主会を開催する事に決定したり、尚ほ渋沢男は株主にあらざるも後継者選定委員たることは法律上有効なるに依り之を候補者となす事、及び社長以下取締役一同辞職後は監査役に於て業務を担当する筈なりしも、取締役の業務は頗る繁雑にして多忙なるに現任監査役は何れも他の業務に従事せる為め其任に堪へずとの事なれば、後継者の決定する迄は全部留任する事と決したりと云ふ、因に大株主総会招集の通知は二月一日若くは二日附を以て其の当日一千株以上の株主へ発する由なるが、現今一千株以上の大株主は約二百名内外なりと


東京日日新聞 第一一五五一号〔明治四二年二月九日〕 東鉄重役選定事情 渋沢仙石両氏の交渉 仙石氏遂に承諾す(DK090055k-0012)
第9巻 p.512-513 ページ画像

東京日日新聞  第一一五五一号〔明治四二年二月九日〕
    東鉄重役選定事情 △渋沢仙石両氏の交渉
             △仙石氏遂に承諾す
東京鉄道の後継重役選定に関し、渋沢男其他の関係者が七日帝国ホ
 - 第9巻 p.513 -ページ画像 
テルに会合したる結果、社長には仙石貢氏を推薦するに内定したるは昨報の如くなるが、右に至りたる交渉の顛末を聞くに、渋沢男等が仙石氏に対し社長として就職し会社の為め又東洋市《(京)》の為めに鋭意同社の改善を図られん事を要請したるに、仙石氏は従来同会社の宿望たる乗車賃上問題に付いて質問を試み、若し余の就任に付き斯の如き条件を附せらるゝに於ては遺憾ながら之れを謝絶するの外なく、殊に以下各取締役並に監査役等の選挙に就ては現に如何なる事情の存するやは知らざるも、万一諸種の情実の為めに所謂聯立内閣的の組織を見るが如きに於ては将来事業の経営上多大の不都合を生ずべきに依り、若し諸氏にして一切の情実を全然排斥するの意志之れなきに於ては絶対に就職を諾する能はずと主張し、之れに対して渋沢男等は現に多数の株主等が全然無条件にて我々選定を託したる次第なるに依り、固より条件を附せんとするにはあらず、又他の重役選定に関して情実に拘泥するは此際最も戒むべきは至極同感なるを以て、寧ろ全部の選定を一任すべし云々の希望を述べたるより、玆に漸くにして同氏の承諾する所となりたるやに伝へらる、之が為にや選定委員諸氏は八日は終日更に会合の模様なきに拘はらず、仙石氏は議会を欠席して東西に奔走しつゝありたるが、聞く処に依れば仙石氏は九日正午より帝国ホテルに於て渋沢男其他の関係者と再び会合する筈なりと云ふ、尚ほ仙石氏が同社社長就任の報あるに対し各方面の批評を綜合するに、仙石氏が鉄道事業に於ける経験と手腕とは世間既に定評あり、快刀乱麻を断つ果断を以て東鉄会社の積弊を矯正すると同時に、諸般社務の刷新を図りて完全なる整理を行ひ、漸時世上の信用を回復して市民の同情を博するに至るべきは期して待つを得べければ、同氏果して就任せんには東京市内の面目も亦一新するを見んといふに在るが如し


東京日日新聞 第一一五五二号〔明治四二年二月一〇日〕 東鉄重役問題形勢一変 仙石氏突然決心を翻す 渋沢男暴漢に脅迫さる(DK090055k-0013)
第9巻 p.513-514 ページ画像

東京日日新聞  第一一五五二号〔明治四二年二月一〇日〕
    東鉄重役問題形勢一変 △仙石氏突然決心を翻す
               △渋沢男暴漢に脅迫さる
渋沢男の懇望に依り仙石貢氏が社長就任を承諾したる成行は昨報の如くなるが、其後に至り彼の佞悪なる利光一派並に之に属する市会議員連は、仙石氏が社長となるに於ては今後自家の慾望を擅にする能はざるのみならず、仙石氏の果断を以て内部の整理を断行するに於ては己が旧悪暴露して図るべからざる災害を惹起すべしとの惧あるより、前日来有ゆる手段奸計を廻らし極力妨害に努めつゝありと云ふ、形勢斯の如くなるより、予定の仙石貢氏並に五選定委員の帝国ホテルに於ける会合は俄に中止せるのみならず、仙石氏は九日夕方に至り突然就任の決意を翻すに至りたるが、一方所謂反対側の作戦を聞くに
△千家尊福男を推す 利光鶴松・井上繁次郎の一派並に之れに属する市会議員等は、千家尊福男を社長に、久米良作氏を首席取締役に就任の承諾を得、之を以て渋沢男に迫り、若し男にして之を容れず他に後任者を選ぶに於ては極力妨害すべしと脅迫したる由
△株式一派の妨害運動 又株式仲買山栗某等の一味は昨夕自働車に壮士を同乗せしめて渋沢男を訪問し、同じく脅迫を試み、尚ほ曩に無条
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件にて選定を委任したるに拘はらず、今後後任者の決定したる時は臨時総会に提出前一応我々に発表すべし、若し然らざるに於ては断じて承認を与へざるのみならず、極力妨害の運動を開始すべしと申込みたりと
△選定委員辞任か 選定委員諸氏は、既報の如く後継者も略々決する処ありたるを以て、臨時総会期日までも略測定し、来月一日頃東京商業会議所に開会せん筈なりしも、事態斯の如きを以て頗る当惑を感じつゝある由なれば、今後の成行如何に依りては或は断然選定委員を辞任するやも知るべからずと云ふ


東京日日新聞 第一一五五三号 〔明治四二年二月一一日〕 東鉄重役選定未了 選定は一切秘密 渋沢男爵の強硬(DK090055k-0014)
第9巻 p.514 ページ画像

東京日日新聞  第一一五五三号 〔明治四二年二月一一日〕
    東鉄重役選定未了 △選定は一切秘密
             △渋沢男爵の強硬
渋沢男其他の選定委員諸氏は、十日も引続き午前十時より兜町渋沢事務所に於て重役の人選並に今後の選定方法等に付き種々協議を凝らしたるも、何等要領を得ずして正午頃散会したるが、適任者と認めて推薦したる仙石氏の辞退には頗る当惑したるものゝ如く、今後は臨時総会開会まで選定に関して一切秘密を厳守することゝしたる由、尚ほ選定委員の意見として渋沢男の語る処に依れば、大多数の株主等が全然無条件にて選定を依頼したるに拘はらず、今日となりて種々の干渉をなすは甚だ不条理にして、殆んど児戯に類すと云はざるべからず、勿論斯の如き不条理の註文に耳を藉すの価値なきを信ずると共に、今後如何なる妨害若くは脅迫を受くるとも頓着なく断乎として所信を決行せんのみ、要するに多数株主の集合団体たる以上其全員に満足を与ふるは殆んど不可能にして、殊に東鉄重役選挙の場合には縦ひ完全無欠の適材を列挙すとも議論の必無は到底期すべからずと声言し、頗る強硬の態に見受けられたり


東京日日新聞 第一一五六〇号 〔明治四二年二月一八日〕 東鉄後継重役 社長は略々千家男に決定(DK090055k-0015)
第9巻 p.514 ページ画像

東京日日新聞  第一一五六〇号 〔明治四二年二月一八日〕
    東鉄後継重役 △社長は略々千家男に決定
渋沢男以下の後継重役選定委員は種々協議の結果社長には千家男を推薦することゝなり、渋沢男より桂首相・後藤逓相の内意を窺ひたる上略々之に決定し、専務取締役の選定に関しては大倉喜八郎氏より早川鉄治氏を推薦したれども、同委員中に不同意者多き為め更に大倉氏は専務二名説を提出し、早川氏及び久米良作氏を以て之れに擬するに至りたれども、此二名説には反対者多く、結局久米氏に決定すべき模様なるが如し、然るに久米氏は東京瓦斯との関係上容易に承諾すべき模様なきのみか、氏の友人中にも反対者多ければ到底就任を肯んぜざるべしと云ふ、又他の取締役候補者は略々決定し居たれども専務者の容易に決定せざる為め未だ本人に対して交渉の運びに至らざる由○下略


東京日日新聞 第一一五六七号 〔明治四二年二月二五日〕 東鉄新重役 三常務は大倉氏の乾児(DK090055k-0016)
第9巻 p.514-516 ページ画像

東京日日新聞  第一一五六七号 〔明治四二年二月二五日〕
    東鉄新重役 △三常務は大倉氏の乾児
渋沢男以下の東鉄新重役選定委員は先頃中より種々協議の結果、漸く
 - 第9巻 p.515 -ページ画像 
去る十九日に至り、千家男の社長の下に三常務取締役、三取締役、三監査役の候補者夫々決定せしを以て、右委員等は二十日兜町なる渋沢事務所に参集し、牟田口社長及び佐竹作太郎氏を招きて、改めて渋沢男より
△千家男を社長に 推薦したる次第を告げ、且つ此事に関しては予め桂首相・後藤逓相の内意を窺ひたるに両相とも異議なき旨を言明せりと附言し、尚ほ他の新重役の顔触れは決定し居れども、是は臨時総会開会の際まで姑く秘密に附するの必要を認め、今日明言するを憚れど、唯々現在の重役は一人たりとも含まれざること丈は明言し置くとの趣意を伝へたり、之れに対し佐竹氏先づ口を開きて、余は唯々株主たるの外更に何等の関係をも有するものにあらず、唯々先日は大株主総協議会に於て座長に推され、其の結果を齎らして閣下等を訪問し、新重役推薦の事を懇嘱したる迄にて、素より或る仲間を代表するなど云ふ次第にもあらざれば、帰りて御話の趣きを伝達すべき人もなく、実は今日此席に推参するさへ自分は殆んど其意味を解するに苦みたる次第なることを御承知あり度し、併し乍ら株主一個の考として多年此事業に従事し幾多の経験を有する
△現重役を悉皆排斥 するが如きは営利会社経営上決して得策なりとは認め難し云々と、暗に選定委員の無謀を攻撃するが如き語気を漏らしたりとも伝へらる、次で牟田口氏も我々当任者は今日まで未だ何等の過失ありとも覚へず、唯々会社の利益を防護するに当り事多く志と違ひ屡々失敗せしは、畢竟我々不徳の至す所なれば、適当の後継者を得て辞職せんと決心したる次第なるに、後継者の何者たるやも内示なきは恰も
△現重役に目隠 を為して山嶺より突落さんとするものにして惨酷も亦甚だしからずやと多少愚痴をこぼしたれど、渋沢男等は当初無条件を以て選定を委嘱されし廉を楯に取りて両氏の言に耳を仮さず、一説に、同席の大倉喜八郎氏は、後継者発表の暁、万一反対者ありて或は血を見るが如き場合ありとも、我々は毫も躊躇逡巡するものにあらずとて、意気頗る昂りて見へたりとも伝へらる、斯くて是日の会見は云はゞ一種の宣言的申渡に終り、両氏は旨を領して辞し去りたるが、一方委員側に於ては社長たるべき千家男に対して他重役の顔触れを披露したるに、同男よりは現重役の内川田鷹氏は外国資本家との関係上是非とも新重役に加へられ度く、又吉田幸作氏は或る一派の大株主との関係上会社将来の円満を期する為め是亦新重役に加へられたき希望を申出で其れが為め廿三日夜形勢種々混沌たる模様あり、一説に、渋沢男に対して将来の紛擾を予言し、余り深入りして飛沫を蒙むるの愚を学ばざる様忠告するものありて流石の男も多小厭気を生じたりとも伝へらる、其は兎に角選定委員の掌中に今猶ほ秘密として扱はれ居る
△新重役の顔触れ  は次の通り
            社長        千家尊福男
            常務取締役(庶務) 小林源蔵
            同(運転営業)   西野恵之助
            同(経理)     関宗喜
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にして渡辺治右衛門氏及び仲買派を代表する渡辺六蔵、大倉氏一派を代表する高島小金治、大株主にして甲州派を代表する若尾幾造の三氏取締役たるべく、監査役は渡辺福三郎・大倉喜八郎・福原有信の三氏なりと云ふ、而して
△常務三氏は大倉氏の推薦 にかゝるものなるが如く、即ち小林源蔵氏は平井鉄道院副総裁と最も密接の関係あるに拘はらず新官制の管理局長に落第して近頃頗る失意の地にあるを以て、平井氏より大倉氏に委嘱する処あり、同氏は初め氏を北海道の木林会社専務に推薦せん下心なりしに、恰も好し今回の更迭に際して常務に推薦したる次第なりとか其他関氏は逓信省経理局長時代より大倉氏とは懇親の間柄にて西野氏も彼の帝国劇場会社の関係上大倉氏と密接するに至りしものにて、三氏とも全く同氏の乾児たる姿なれば、果して此等の人々就任するに至らば東鉄の全権全く大倉氏の掌中に帰したるものと云ふを得べきか


東京日日新聞 第一一五七〇号 〔明治四二年二月二八日〕 両々対峙 東鉄重役選定の困難(DK090055k-0017)
第9巻 p.516 ページ画像

東京日日新聞  第一一五七〇号 〔明治四二年二月二八日〕
    両々対峙 △東鉄重役選定の困難
東京鉄道後継重役選定に就ては事情益々紛糾して、不平株主等は渋沢男等選定委員の選定する重役の顔触れに対しては其人物の如何に拘はらず絶対に之れを排斥せんとする傾向あり、尤も渋沢男其の他の選定委員諸氏は曩に多数株主の決議に依りて選定の委任を受けたる以上、正式に此決議取消の通告を受くるまでは依然義務を帯ぶると共に権能を有するに依り、反対者の主張如何に関係なく任務の遂行に努力する決心なる由、而も反対株主等は未だ公然旗幟を挙げて運動するに至らざれど、何れも盛んに運動を続けつゝ、一方に於ては有ゆる手段を講じて委任状の蒐集に奔走しつゝある由なれば、今後縦ひ選定委員に於て後任者を決定し臨時総会に提出するとも、到底円満の承諾を得る能はずして、結局最後の手段に依り投票選挙を行ふに至るべき形勢なり


東京日日新聞 第一一五七九号 〔明治四二年三月九日〕 東鉄重役問題展開 渋沢男爵等の条件附復任承諾(DK090055k-0018)
第9巻 p.516-517 ページ画像

東京日日新聞  第一一五七九号 〔明治四二年三月九日〕
    東鉄重役問題展開 △渋沢男爵等の条件附復任承諾
東鉄重役問題に就いて中野武営氏が渋沢男に対し曩日の辞表を翻へさしめんと頻りに運動する処ありしは既報の如くなるが、右に関し去る六日会合の筈なりし渋沢男其他の前選定委員諸氏は都合に依り遅れて八日午後二時より兜町渋沢事務所に集会したり、出席者は福原・渡辺の二氏欠席したる為め渋沢男・近藤廉平・大倉喜八郎の三氏のみなりしが、種々協議の結果選定委員の任務が社長たるべき千家男一人を挙げる事の条件附きならば復任するを承諾する事と決して直ちに此旨渋沢男より中野武営氏へ通告し、之れに対し中野氏より挨拶あり次第渋沢男より千家男に交渉を開く筈なりしと云ふ、渋沢男等が斯く容易に承認するに至りたるは、全く各派株主等の争奪運動今日の如くなるに於ては東鉄の前途憂惧に堪へざれば、玆に前来の関係を顧みず再び斡旋の労を取るに決したるものなるが、而かも今回前記の如く特に条件付となしたるは、中野氏より新重役の顔触れに就て或る註文を附し来
 - 第9巻 p.517 -ページ画像 
りたるに依るものにして、右註文の顔触れに対しては渋沢男等が兎角首肯し兼ねる者あるのみならず、斯かる人物を推挙せんか、又々他日物議を生ずる因縁となる虞ある等にて、此際単に衆望最も多き千家男を挙げ以て其の任務を安全に了すると共に、此難問題を円滑に解決せしめんとの方寸に出でたる者の如しと


東京日日新聞 第一一五八五号 〔明治四二年三月一五日〕 東鉄問題近状 両男爵会合の結果(DK090055k-0019)
第9巻 p.517 ページ画像

東京日日新聞  第一一五八五号 〔明治四二年三月一五日〕
    東鉄問題近状 △両男爵会合の結果
東鉄後継重役選定に関し過日中野武営氏が渋沢男を訪問し種々懇請したる結果、渋沢男・近藤・大倉三氏の会合となり、其の結果中野氏の請ひを容れて一旦辞退したる選定委員を条件附きにし復任する事となりたるは既報の如くなるも、爾来渋沢男病気の為め一時中絶の姿にありし処、千家男は曩に渋沢男より訪問を受けたる答礼旁々一昨十三日王子なる飛鳥山渋沢邸を訪問して重役問題に付き種々談話を試みたるも、渋沢男病中の事とて十分に協議を遂ぐる能はざりしも、結局千家男より社長就任を承諾し、他の重役の人選は千家男に一任する事、及び臨時総会開催期日決定の事等大体の取極めを為して千家男は引取りたりと云へば、常務以下取締役並に監査役の人選千家男の腹案として臨時総会に提出(其実現重役及び各派株主間に妥協成て現に夫れ夫れ内定せるは既報の如し)せらるべき順序なるべし、其顔触に就ては千家男其他の選定委員に内協議を遂る筈なるも若し選定委員にして後難を憂ひ此協議に与るを避くるに於て千家男は余義なく臨機の処置として直ちに総会に提出する意向なる由、尤も渋沢男の病状は余程軽快の方にて玆両三日を経過せば全快すべき模様なるに依、右全快を俟て再び両男会見の上諸般の事項を解決する由なれば、何れにするも東鉄問題は数日中には決定すべき形勢となれるが如し、尚右臨時総会期日は両男会合の結果、来る二十九日午後一時東京商業会議所に開会する事となり、十四日付けを以て各株主に夫れ夫れ通知状を発したりと


鷹村言行録 下巻・第五八―六四頁〔大正一二年七月〕(DK090055k-0020)
第9巻 p.517-519 ページ画像

鷹村言行録  下巻・第五八―六四頁〔大正一二年七月〕
    牟田口社長霊前に於て
      当年回顧漫録 (安藤保太郎)
    四
 ソコで暗中飛躍の一場がある。
 第一 街鉄合併成らんとして、遂に敗れたり。
 明治三十四年、根津氏の画策提案に由つて、街鉄合併問題が現はれ双方の株主は歓迎した、ただ雨宮・立川両君カブリを振つて居る。大多数でこれを圧せんとした。雨宮一派猛然として起つ、戦は目覚しかつた。而して此のヲサマリ、憫むべし、衆遂に寡に敵せずミゴトに敗れました。
 是時敵の旗ジルシであつた、三銭均一といふものが、後に、東京市内交通機関を悲惨なる運命に陥るべき呪咀でありました。
 此の時分まだ、市内交通方面の思想は、相変らず幼稚であつて、「馬車鉄道は、目ヌキの線路だから繁昌するが、其他の方面に、電車
 - 第9巻 p.518 -ページ画像 
を引張込んでも、迚も物になるまい、街鉄の無茶な線路が、実地に出来るのは、イツの世の事か、」これが識者先輩の名論であつた。街鉄合併の算盤も此のアタマから割出されている。故に雨宮先生・立川先生「いかにも情けない、もう少し何とかなるまいか」といふ。何ともならなかつた、ソレからあの修羅場となつたのだ、馬鹿気た話でありました。
 第二 外濠線併合策また成らず。
 これも根津案で、社長・中野・佐竹・根津氏の間に、密議は凝らされた。
 社長此の時分「根津君の頭も肝玉も尋常でない」と、切りに感歎したものです。其の頃の根津邸は、麻布山元町五十六番地、その庭園は所謂根津の頭と肝玉を窺ふに足るものだとレクチユアされた。其れからの私共は、いささか巨木大石趣味にかぶれた気分がありました。
 根津氏画策の手は、大に伸びたりと雖も、郵船の近藤さんが特に熱烈な反対であつたといふことで、闇から闇で、お仕舞になつた。
 第三 街鉄線路の割譲を要求せんとするの魂胆。
 明治三十五六年の交此の問題を政府筋に持出した。其の要旨は「御覧なさい、街鉄の線路は街鉄にやれないで居るではありませんか。我我は二兎を逐うてはならぬといふので、拡張普及の計画をば後ト廻しにして置いて、正正堂堂たる順序を守つて居たのです。一体東京の交通機関の問題に於て、全市普及の規模を以て生れて居る我が馬車鉄道を無視するといふ法はない。動力変更はモハヤ御覧の通出来上りました。然れば是から予ての順序を以て拡張普及に尽すべきであります。其の我我のやらねばならぬ処をまで、皆な街鉄に特許して仕舞つて御座るが、其のどれだけかを我我の方に分けてヨコして下さい。電車に変更の許可の延引したオカゲで、馬車鉄道の馬や車を増して、交通の任務を尽して居た、其の資本が夥しくなつて居る、それが皆廃たつて仕舞ふのです、おわかりでせう、此埋合の意味からしても、新線路を我我に与ふべき義理がありませう。街鉄には、街鉄の力相応の線路をやらせて置けば、其れでよいではありませんか」と、いふのです。
 若尾翁大賛成で、まだ鉄道が笹子までであつた頃、甲府から、老齢九十に近き身を提げて、猶予なく出動に及んで、先づ伊藤公を大磯に訪ひ、之を動かした。翁は曾て上院議員として、地租増徴問題に対し誰よりかも先きに賛成を表して「モウ是迄の日本とは違ふ、国費の膨張負担を辞すべきでない、土地が第一番に、その御用を勤むべきである」といふ意見を発表したので、その時伊藤さんが「大地主でもある所の若尾の、此の意外の態度は見上げたものだ、是れはタダのオヤヂでない」と窃に敬意を払つて居ると聞いて、ソコで翁を特に煩はしたのです。
 其れから芳川内相官邸で、三電の重役を会して、東京市内交通機関速成協議といふことが持上つた。その後私は或る処で利光君から「君等が魂胆はチヤンと分つて居る、憚りながらやれるものなら、やつて見玉へ」と一喝されましたこともあつた。
 第四 三電共同に由る賃銭値上の運動。
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 馬車鉄道の動力変更は、最初品川だけ出来上り、是時の電車賃は仮に旧のままで、段段本線が出来上る、全線開通の賃銭は、三銭均一でなければならぬといふ形勢になつて居た。ソコで我社は余儀なく三銭均一実行の魁をした、その後街鉄も、外濠も、また三銭均一を余儀なくされた。
 そもそも是は人気取りの為にした、当時の場当り案で、実際に無理な算盤なのだから、当の雨宮先生も、立川先生も、表面は格別、内心頗る閉口するに至つたと、街鉄筋からの煩悶談を承つた。
 是が前提となつて、明治三十八九年の交、三社筋の密議熟し、五銭均一に改定の目的で、共同の運動を始めた。此の中堅は利光君であつた。段段進んで、いよいよ願書を出すといふ刹那、雨宮・立川両君は遂に街鉄を退いた。
 政府は此の出願を東京市会に諮問する、市会に於ては、値上は余儀なしと認む、但四銭にて可ならん、との決議にまで漕付けた。是は森久保氏等の一方ならぬ尽力であつた。市民反対の火の手が上つて、政府は一応願書を却下した。
 第五 三社合同して東京鉄道会社となる。
 大詰は如此でありました。東京鉄道社長牟田口元学の下に、三常務が出来る。旧外濠の児玉先生が技師長にきまる。一課に両人の課長も出来た。三電の俊秀は皆残つた、目出たし目出たしでありました。
 合併条件は、旧会社の一株に対する、新会社株割り当、電車一株二分、街鉄一株、外濠八分といふ割合で、電車の方にあつた百万円の積立金は、電車の株主に分配せられたのであります。三方主動者の腹は此辺の処にきまつて居たのですが、各各我ホトケ尊しの主張は、中中やかましかつた。渋沢さんと、馬越さんとが産婆役に選まれて、兜町の渋沢事務所で、此両先輩は、先づ一応三方代表者の主張を聴取り、而して其の主張のマン中に、筆を取つて一を引いた、といふ所の裁断が即ち此の合同条件であつた。渋沢さんが「是は昔し源頼家が境界論の訴を裁断した故智に倣ふ」と、申添へがあつたのを覚えて居ます。
 合同成らんとするに際し、私は甲府へ使に参りました。若尾翁は合同不賛成なのです。其の夜私は翁の側に寝せてもらつて、寝込みの談判をやつた。翁翌朝「兎に角常に信任せる我が社長が折角さういふなれば、異議はいはぬといたしませう、不賛成だけれども」といふことで私は帰つた。是時翁は、合同は不成立とタカを括つて居たと思ふ。然るに案外スラスラ成立したので、チヨイと文句が出かかりました。
 東鉄重役の数は思切つて多かつた、けれども旧重役中、ドレだけか退かねばならぬ、殊に電車の方は、安藤といふ新顔が、一枚出るといふだけ苦しい。それでも社長は、何とかして若尾だけは取留めて置きたかつたのだが、遺憾に終つた。此頃若尾筋の持株全部は売放たれてさうして、其れが東電株になつたのだといふ。
 将に東京鉄道会社社長たらんとする牟田口社長は、今や心中大に期する所がある。特に緊張した、純然たる牟田口内閣を組織せんとするのである、「名のみの社長なら、吾輩は御免蒙むる」と、私共叱かられた。○下略

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東京経済雑誌 第五九巻・第一四八四号〔明治四二年四月三日〕 ○第五八七頁 東鉄重役の決定(DK090055k-0021)
第9巻 p.520 ページ画像

東京経済雑誌  第五九巻・第一四八四号〔明治四二年四月三日〕
 ○第五八七頁
    ○東鉄重役の決定
東京鉄道会社重役総辞職に対する後任重役に就ては久しく之が決定を見ざりしが、渋沢男以下五名の詮衡委員に於て千家尊福男を社長候補者に推薦し、其他の重役は千家男に一任することに相談一決し、愈よ去る廿九日東京商業会議所に於て臨時株主総会を開き、満場一致を以て千家男を取締役に推し、其他の重役に就ては左の通り当選を見たり
     取締役 根津嘉一郎        取締役 安藤保太郎
     同   渡辺六造《(渡辺六蔵)》  同   松元剛古
     同   川田鷹          同   井上敬次郎
     同   磯部保次         同   渡辺嘉一
     監査役 神谷伝兵衛        監査役 小野金六
     同   吉田幸作
右の如く当選何れも就職を承認したるを以て、翌三十日第一回新重役会議を開き、社長並に常務取締役を互選したる結果、千家男を社長に井上・安藤・川田の三氏を常務取締役に挙げたり

東京経済雑誌 第五九巻・第一四八四号〔明治四二年四月三日〕 ○第五五五―五五六頁 東鉄の新重役(DK090055k-0022)
第9巻 p.520-521 ページ画像

 ○第五五五―五五六頁
    東鉄の新重役
電鉄市営の失敗に次ぐに、賃銭値上の不認可を以てし、玆に連袂辞職を決し、爾後新重役の選定に関して久しく行悩みたる東鉄会社が、去月廿九日の臨時総会に於て、役員選挙を行ひ、新重役の就職を見るに至りたるは、余輩が東鉄及び市民の為に賀する所なり
先に旧重役より東鉄大株主の同意を得て、新重役の選定を渋沢男外四名に托するや、余輩は其の相当の処置たることを思ひ、選定の結果如何と注視したるに、選定せられたる新重役候補者は全部東鉄以外の人人にして、従来の株主にあらず、新に株主となりて就職せんとするものなり、是に於て余輩は其の重役の全然改まるを悦ぶと同時に、私に其の行はるべきや否やを懸念したるに、果して株主中に異議を唱ふるものあり、結局渋沢男外四名に於ては、社長として千家男爵一名を選定し、爾余の重役は千家男の選定に任することゝなり、此結果を以て臨時総会に付せられ、而して総会に於ては千家男以外の重役をば選挙を以て決定したりと雖、其の当選者は何れも男爵の選定せる人々なるを以て、事実は渋沢男外四名に於ては千家男を社長に選定し、千家男は爾余の重役を選定したるものにして、其の重役中井上敬次郎・川田鷹・安藤保太郎・小野金六・吉田幸作の五氏は旧重役にして、磯部保次氏は以前同社の庶務課長たりしことあり、旧重役派の人物として中野・牟田口両氏の推薦によるものなるべく、渡辺嘉一氏は大倉派より渡辺六蔵氏は大株主側にて渡辺家を代表して出で、松元剛吉氏は千家男の股肱として男自ら選定し、神谷伝兵衛氏は同志会派より出でたるものなりと云ふ、蓋し東鉄の如き歴史を有するものにありては、其の重役の各派より出るは已むべからざることなるべし
社長千家男爵は如何なる方針を以て、電鉄を経営せんとするか、男爵
 - 第9巻 p.521 -ページ画像 
曰く、予は今回株主多数の推薦する所となり、東京鉄道株式会社の社長の椅子に就くことゝなれり、従来東鉄経営の方針に就ては世間の批評取り取りなるが、予の見地を以てすれば、旧重役の施設必ずしも悪しきにあらず、市民の利益と会社多数株主の利益との調和を得むことは、事頗る困難にして、為めに思はぬ非難を招くに至りし点も尠なからざるべしと信ず、玆に於て予は襲職早々課長以下の顔も姓名も知らざれば、先づ社内の事情に通じ、而して整理すべきものは整理したる上ならでは、具躰的の経営方針を発表する能はず、然れども会社の経営は市有と賃銭値上の外何物をも有せずと観測するは不詮索の話にして、予は此二問題以外に於て、市民の利益と会社の生存に融通接近する材料研究に向て、鋭意調査を懈らざる決心を有するものなり、願くは本社の施設に関しては事の大小軽重を問はず、将来忌憚なく議論をも拝聴すべく、又忠告をも受けむことを望むと、蓋し男爵は此種の事業に何等の経験を有する者にあらずと雖、其の円満滑達なる手腕は、必ずや内は各部の調和を維持し、外は政府及び東京府市との間に意思の疏通を見るべきに付、仮すに歳月を以てせば、市民の利益と会社の利益とを調和して、交通機関の発達を見るに至るべし、是れ余輩の予想する所にして、又希望する処なり


竜門雑誌 第二五一号・第五一頁〔明治四二年四月二五日〕 ○東京鉄道株式会社重役の決定(DK090055k-0023)
第9巻 p.521 ページ画像

竜門雑誌  第二五一号・第五一頁〔明治四二年四月二五日〕
○東京鉄道株式会社重役の決定 東京鉄道会社重役の選定は青淵先生等四名の詮衡委員に於て千家男爵を推薦し、其他の重役に就ては詮衡委員は一切関係せざることゝなりしが、千家男爵の就任に就ては株主中一人の異議なく、其他の重役に就ては結局去月廿九日の株主総会に於て千家男推選の候補者を投票の上選挙したり、其結果取締役は千家男の外旧重役より井上敬次郎・川田鷹・安藤保太郎三氏及新に磯部保次・渡辺嘉一・渡辺六蔵・根津嘉一郎・松元剛吉五氏を、監査役は旧重役より小野金六・吉田幸作二氏及新に神谷伝兵衛氏を挙げ、翌三十日の重役会に於て千家男爵社長に、井上・川田・安藤三氏常務取締役に当選し、爰に久しく未決の間にありし重役問題も一決したり


東京経済雑誌 第六〇巻第一五一三号・第七六五―七六八頁〔明治四二年一〇月二三日〕 鼎軒田口先生伝(鶴城塩島仁吉編)(DK090055k-0024)
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東京経済雑誌  第六〇巻第一五一三号・第七六五―七六八頁〔明治四二年一〇月二三日〕
   鼎軒田口先生伝 (鶴城塩島仁吉編)
    東京市会議員市参事会員及び街鉄問題
東京市が始めて特別市制(府知事に於て市長を兼ね、府高等官に於て助役を兼ね、府吏員に於て市の事務を執行するの制度)を実施したるは、明治二十二年五月一日にして、其の特別市制廃止せられ、普通市制を施行したるは、明治三十一年十月一日なり、而して鼎軒先生は、特別市制の下に於て市会議員、市参事会員たりしこと一ケ年、普通市制の下に於て市参事会員たりしこと五ケ月、市会議員たりしこと三ケ年に及べり、即ち左の如し
 市会議員(本郷区三級選出) 自廿二年六月至廿三年五月
 同             自卅五年六月至卅八年四月
 市参事会員         自廿二年六月至廿三年五月
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 同             自卅二年六月至同年十一月
明治二十二年五月特別市制の実施せらるゝや、当時鼎軒先生は府会議員として府政に参与し、多年府市の利益を増進することに尽力せられたりしかば、更に市会議員にも選挙せられたるものなり、而して先生は渋沢栄一・渡辺洪基・子爵長岡護美・安田善次郎・何礼之・須藤時一郎・芳野世経・関直彦・宇川盛三郎・松南宏雅・黒田綱彦の諸氏と共に名誉職市参事会員に挙げられ、市政の執行に参与せり、先生及び須藤・芳野・安田・関・宇川・松南の六氏は市会議員より、渋沢・渡辺・長岡・何・黒田の五氏は公民より撰出せられたるものなり、当時先生等は参事会員たることを好まずして、予め当選を避けんことを勉めたりしか、当日の選挙中如何にも不可思議なる姓名の投票中に顕はれたりしかば、若し自ら任ぜざるに於ては折角自治制の下に握り得たる東京市政の自治も、名なく実なき人々の手に帰することもやあらんとて、断然意を決して其の当選を承諾したるものなり、而して既に当選を承諾せる以上は、勤勉以て其職責を尽すは、先生の性質たるを以て、百忙を排して市政の執行に参与し、孜々として公務に鞅掌せられたりしか、翌二十三年五月南洋に渡航するに及び、市参事会員・市会議員共に之を辞せられたり
越えて明治三十二年六月に至り、再び市参事会員に当選したるは、公民より出でたるものなり、当時星亨氏郡市派の牛耳を執り、男爵渋沢栄一・芳野世経・鈴木信仁の三氏と同時に鼎軒先生をも市参事会員に選挙することに決し、予め之を先生に通告して其の承諾を求め、先生は其の厚意を謝し、而して其の選挙を辞したるに、郡市派は尚先生を候補者に加へ、以て進歩派其の他に交渉し、各派の候補者は悉く当選したり、故に其の当選は先生の求めたるにあらずと雖、既に選挙せられたる以上は、就職するは公民の義務たるを以て、先生は其の当選を承諾し、先づ市参事会に属する事務中重要ならざるものは、一切之を市長に委任して処理せしめ、毎日の集会を改めて一週一二回と為すにあらざれば、到底其の任務に堪へざる旨を提議し、参事会の議決を経て其の事務の概目五十八件を市長に委任し、二十七件を存して市参事会の議決を要することと為し、従前毎日開きたる市参事会をば一週二回と改め、以て市政刷新の端を開きたり
当時東京市には、市街鉄道敷設の特許を内務省に出願せるもの自動鉄道(圧搾空気鉄道)(野中万助、吉田幸作諸氏の発起)あり、東京電気鉄道(雨宮敬次郎、藤岡市助諸氏の発起)あり、東京電車鉄道(福沢捨次郎、藤山雷太諸氏の発起)あり、東京市参事会の出願に係る市有鉄道あり、互に特許を得んことを競争せり、是より先明治三十年中松隈内閣は、東京市街鉄道に関する閣議を決定し、前記私設三派及び東京馬車鉄道株式会社に対し、敷設の区域を分ちて特許を与ふべき内意を伝へたることありしが、爾後内閣の交迭頻繁にして、之を実行するに至らざりしかば、星氏は私設三派の間に周旋して之を合同せしめ、其結果雨宮敬次郎氏外十四名の者発起人と為り、明治三十二年八月十四日を以て東京市街電気鉄道敷設特許に関する願書を内務省へ呈出し、之と同時に右の鉄道特許せられたる上は、先に呈出せる電気鉄道・電車鉄道及
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び自動鉄道の特許願は取下ぐべきこと、及び東京市に対し、会社営業利益金中より相当の特別納金を為すべきこと、東京市より相当の監督を受くること、軌道内及び軌道外内側一尺五寸宛道路の修繕及び掃除を会社に於て負担することの義務を負ふべき旨を上申せり、尚発起人等は東京市街鉄道の敷設を彼等へ特許せられんことを市参事会より内務大臣へ上申せられたしとの請願書を市参事会に提出し、而して内務大臣は市街鉄道敷設特許に関し、東京市会の意見を徴せられたり、是に於て街鉄問題は東京市に於ける大事件と為り、民有論者と市有論者と両々相対して争ひ、遂に非常なる紛乱を極めたり
松田市長(秀雄)は市吏員をして調査せしめたる特許条件を以て、明治三十二年十月六日の市参事会に附議し、市参事会は先づ街鉄の市有民有に就て討議したるに、採決の結果は左の如くなりき
    市有説を賛成せし者
 鈴木信仁・長谷川深造・高山権次郎・立田彰信・芳野世経・安川繁成(以上名誉職市参事会員)佐藤正興(助役)
    民有説を賛成せし者
 渋沢男爵・田口卯吉・星亨・鳩山和夫・稲田政吉・石垣元七(以上名誉職市参事会員)朝倉外茂鉄、浦田治平(以上助役)
即ち民有説は一名の多数を以て可決せられたりしかば、更に特許条件に就て討議し、之を修正可決せり、今其の市公納金に対する修正と原案とを示せば左の如し
    市に対する公納金
修正 資本金に対し年六分以上の利益ある時は、積立金準備金を控除したる純利益を折半し、其の一部を市への公納金とす
原案 会社は六ケ月間を通算して、平均一日一哩四十円以上の収入の場合に至り、総収入金の割合により其の収入金百分の一以上、百分の八以内の納金を為すこと、其の割合は左の如し
    一日一哩平均収入     営業総収入に対する割合
  一金四十円以上五十円未満       百分の一
  一金五十円以上七十五円未満      百分の二
  一金七十五円以上百円未満       百分の三
  一金百円以上百廿五円未満       百分の四
  一金百廿五円以上百五十円未満     百分の五
  一金百五十円以上百七十五円未満    百分の六
  一金百七十五以上二百円未満      百分の七
  一金二百円以上            百分の八
 一日一哩の収入四十円未満の場合と雖、一ケ年純益金一割以上の割合なるときは、尚四十円以上五十円未満の率により納金を為すべし又純益金の多額なる場合は、本項の公納金率を変更することあるべし
此の市公納金に関する修正は、鼎軒先生の発議に基けるものなり、三派合同の出願人等は発起人総会を開きて、市参事会の決議に服従することに決したれども、独り市公納金に関しては、年六分の定例配当を年八分に引上げ、又剰余の純益中より法廷の積立金其の他を控除し、
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尚残額ある時は之を折半して其の一部を市に納付すべしとの修正を改めて、十分の一を市に納付することと為さんことを請願し、松田市長は同年十月十三日其の旨を市参事会に報告し、更に審議を開きたるに鼎軒先生は依然として年六分折半説を主張し、高山権次郎氏は年七分十分の四説を提出し、星亨氏は年七分、三分の一説を提出したり、是に於て当局者をして原案を作成せしめたるに、松田市長は助役と協議し、星案を採りて原案と為したりしかば、先づ田口案に就て採決したるに、少数にして消滅せしかば、更に高山案に就て採決したり、此の時鼎軒先生等は一歩を譲りて之に賛成を表したれども、是亦少数にて消滅し、終に星案たる原案に決定し、市長は之を市会に提出したり、然るに十月十九日の東京市会には、街鉄の発起人等極力運動せしかば人をして東京市会か将た三派の株主会議かを疑はしむるの奇観を呈し市会は多数を以て、当時市参事会の原案たりし収入案に復活し、之に多少の修正を加へたものと為せり、今市会の決議と内務省の命令とを対照すれば左の如し
    東京市会決議
 会社は六ケ月間を通算し、平均一日一哩四十円以上収入の場合に至り、左の割合に依り市に納金を為すべし
    一日一哩平均収入      営業収入に対する割合
  一金四十円以上五十円未満        一百分一
  一金五十円以上七十五円未満       一百分二
  一金七十五円以上百円未満        一百分三
  一金百円以上百廿五円未満        一百分四
  一金百廿五円以上百五十円未満      一百分五
  一金百五十円以上百七十五円未満     一百分六
  一金百七十五円以上二百円未満      一百分七
  一金二百円以上二百廿五円未満      一百分八
  一金二百廿五円以上二百五十円未満    一百分九
  一金二百五十円以上           一百分十
    内務省命令
 会社は毎年純益金の内より積立金として其の十分の一に相当する金額を控除し、且其の払込株金に対し年率七分の配当を為すものとし尚剰余あるときは其の剰余額の三分一に相当する金額を東京市に納付すべし、但東京市に於ける金利年率に著しき変更を来したる時は内務大臣は本条の年率を変更することあるべし
此の内務省の命令は翌明治三十三年六月に至り街鉄会社に下付せられたるものなり、其市公納金は収益法にして、且其の割合は星氏が布参事会《(市)》に提出し、市理事者が原案として採択せしものと同一なり、然るに星氏は市会に於て市参事会の議決を経たる原案を維持せざりしのみならず、市会の修正説に賛成したり、以て星氏が街鉄の利益を謀りて市民の利益を念頭に置かざりしことを知るべし(本章未完)


東京経済雑誌 第六〇巻第一五一四号・第八一六―八一九頁〔明治四二年一〇月三〇日〕 鼎軒田口先生伝(鶴城塩島仁吉編)(DK090055k-0025)
第9巻 p.524-528 ページ画像

東京経済雑誌  第六〇巻第一五一四号・第八一六―八一九頁〔明治四二年一〇月三〇日〕
   鼎軒田口先生伝 (鶴城塩島仁吉編)
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    東京市会議員市参事会員及び街鉄問題(続)
市会の修正が市参事会の原案よりも大に市公納金を減少すべきことは当時一哩一日の収入二十円及至三十円ある蒸気鉄道は、何れも年一割以上の配当を為せるの事実に徴しても知らるべし、即ち市会修正の如く一日一哩四十円以上収入の場合に至りて、公納金を市に納むるものとする時は、街鉄は年一割以上の配当を為せるにも拘らず、市は一文半銭の公納金を得ること能はざるが如き奇観を呈せずんばあらざるなり、是に於て同年十月廿四日の市参事会に於て、鼎軒先生は市会の決議は永く累を市民に遺すものなり、且市会の決議は決して市民の意見に合するものと認むるを得ず、故に若し市参事会に於て市会を解散するの権能あらば、宜しく之を行ふべきことなれども、市参事会には此権能なきを以て、宜しく市会をして再議せしむべしと主張せしかば、議論紛然として起り、星氏は鼎軒先生の説を駁し、先生は反覆主張して屈せざりしかば、市参事会の決議額と市会の決議額とは公納金に於て幾何の相違を生ずるや、委員を挙げて調査することと為り、先生は星・高山・安川・長谷川の四氏と共に之が委員たり、委員は先づ調査の材料を理事者に求めたるに、理事者は大に従前の計算を改め、市会の決議額と市参事会の決議額と大差なきことを示せしかば、玆に一場の波瀾を生じ、結局鼎軒先生に於て充分に調査を遂げ、報告書を作りて之に市参事会員諸氏の同意を求むることに決し、鼎軒先生は理事者が東京市二百哩の市街鉄道に於て、一日一哩七十五円の収入ある場合に於て、其の営業費を六割と改算したるの不当なること、及び其の積立金を年々巨額に積立て、以て純益を少額と為したるの不当なること等を指摘して、理事者計算の誤謬なるを明かにし、一日一哩の収入四十円以上七十五円までは経費の割合五割五分、同七十五円以上は五割として計算を立て、其の結果を対照するに左の如し

  一哩平均収入     市参事会決議額      市会決議額 差引一ケ年市の損失額
                   円          円        円
 四十円以上の時      八八、〇〇〇     二九、二〇〇   五八、八〇〇
 五十円以上の時     二六四、一六六     七三、〇〇〇  一九一、一六六
 七十五円以上の時    五六二、五〇〇    一六四、二五〇  三九八、二五〇
 百円以上の時      八六六、六六六    二九二、〇〇〇  五七四、六六六
 百廿五円以上の時  一、一七〇、八三三    四五六、二五〇  七一四、五八三
 百五拾円以上の時  一、四七五、〇〇〇    六五九、〇〇〇  八一六、〇〇〇
 百七十五円以上の時 一、七七九、一六六    八九四、二五〇  八八四、九一六
 二百円以上の時   二、〇八三、三三三  一、一六八、〇〇〇  九一五、三三三
是に於て委員多数は先生の調査を是認し、大躰に於て市会の決議は東京市に損失あることを認むと云ふに決したれども、星氏は高山氏の賛成を得て、市会の決議は市参事会の決議と大差なきことを認むと云ふに決し、少数意見として鼎軒先生の報告書と共に之を市参事会に提出したり、而て調査委員の報告即ち先生の意見は市参事会に於ても多数を得たりしが、再議の問題に移るに及び、一名の少数にて否決せられたり、是れ市制第六十四条に所謂公衆の利益を害すとは、斯の如き場合を示すものにあらずとの意見に基けるものなり
斯くて鼎軒先生の再議説は成立せず、市参事会は市会の決議を内務省
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に進達することとなりしかば、鼎軒先生・渋沢男爵・立田彰信・鈴木信仁の四氏は翌十一月十五日市参事会員を辞せり、当時鼎軒先生は鈴木氏と連名を以てし、拙者共儀本年十月十九日東京市会の市街鉄道に関する決議は、大に本市の利益を殺ぎ之を会社に与へ候ものと認め候に付、市参事会員として其の事に従ふに忍ひず候間辞職仕候、依りて此段御届申上候と云へり、是に於て星氏の意見に基きて、市会は辞職の理由を不当と認むることに決したれども、何等の制裁をも加へざりき、爾後鼎軒先生は各区の有志者と共に東京市公民会を組織し、星氏の引率せる郡市派の市政を監視し、其の非違専横を攻撃して市政の刷新を企図したる顛末は別章に之を記述すべし、而して鼎軒先生未だ市政刷新の目的を達するに至らず、明治三十四年六月廿一日星氏は刺客の為に刺されて死せり、鼎軒先生は文を草して其の横死を悼み、葬儀にも会せられたり、其の弔文の一節に曰く
 東京市民は流石に正義の声に聾ならざりき、市会議員の補闕選挙は市公民会派の全勝を表彰せり、故に余は明年市会議員半数改選の時を以て全勝を議場に占め、一たび星氏の一派が市政を紊乱したるの罪を糺し、其の上にて一大団円を講ぜんことを期したり、余固より彼に於て一点の私怨なし、故に媾和は固より望む所なり、然りと雖彼の挙動は直に無罪放免と為すべきものにあらざるを以て、一たび其の勢力を押へたる上にて、之を講ぜんと期したるなり、余は明年の半数改選に於ては、全勝を得んことを期し、市公民会諸友と共に其の準備に着手しつゝありしに、図らざりき彼は忽焉として他界の人とならんとは、玆に至りて余が彼の頂を撫して其の罪を責め、其の改悟を促すべき時機は永遠に消去したるのみならず、彼も亦将来の善行を以て、前科を償ふべきの機会を得る能はざるに至れり、思ふに氏が其の最終の日に於て、石山買入の事に関し原案撤回を当局者に迫りたるが如きは、実に輿論の攻撃激甚なるを以て、已むを得ざるに出でしなりとは云へ、以て彼の本心を見るに足るべし、若し彼に仮すに数年を以てし、彼をして其の本心の指示する所に従ひ、市政を料理せしめば、余は必ずしも彼と同行すべからざるにあらざるを知るなり
蓋し鼎軒先生の東京市公民会幹事長として、市政の刷新を企図せらるるや、筆研を投じて日夜奔走し、星氏一派を攻撃するに於て、頗る猛烈を極めたりと雖、先生が其の罪を悪みて其の人を悪まざることは、右の文を見ても知るに足るべき也、動力を馬より電気に変更したる東京電車鉄道と、東京電気鉄道(所謂濠端線)とに対する内務省の命令条項は、東京市街鉄道への命令条項に遵拠せられたり、而して東京市街と東京電車との間には、早くも合併の議起りしが、明治三十六年六月に至り、千家男爵(尊福)及び渋沢男爵の斡旋を以て両会社の重役は合併に関する仮契約を締結したり、然るに東京市街の取締役雨宮敬次郎同立川勇次郎の両氏は合併に反対し、合併の損失を痛論して、株主の注意を喚起すると同時に、市民に訴へ、而して此両氏は盛に乗車賃に関し三銭均一説を吹聴したるを以て、新聞記者及び市民の賛成を得たり、是より先電鉄合併問題の起るや、尾崎市長は児玉内務大臣(源太
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郎)を訪問して予め合併の許否を市会に諮詢せられんことを要求し、合併非合併両派の代表者を召喚して其の意見を質し、又東京市会に於ては、議員の決議にて電鉄の合併は東京市の収入にも大関係あるを以て、委員を設け合併の得失に就て調査を遂ぐることと為り、鼎軒先生も市会議員として、其の調査委員に挙げられたり、委員会は先生の発議にて、東京市会は合併問題に容喙すべき権利なきを以て、其利害を調査するの必要なしと決定し、之を市会に報告したるに、両派の論争方に酣なるの時なりしかば、世人は往々にして委員会の報告に怪疑の念を懐き、委員会は合併派の請托を受けたる者にあらずやと云ふものあるに至りしかば、鼎軒先生は東京経済雑誌第一千九十九号(明治三十六年九月五日発行)に東京市会と街鉄問題と題する一文を掲載し、市会議員の本分を明にして、世人の疑惑を解かれたり、曰く、
 尾崎市長は内務大臣に向ひて如何なる要求を為したりしかは、余の知る所にあらずと雖、東京市会としては内務大臣に向ひて合併の利害を諮詢せんことを請願せるは、余は軽佻の挙措なりとして之を排斥せざるを得ず、余の見る所を以てするに、此の合併請願は若し適当の手続を経て内務省に来らば、内務大臣と雖、許可せざるべからざる所のものなり、命令条件は既に発布せられたり、両社は此の命令条件に従ひて合併を請願したるものなり、内務大臣は如何ぞ合併其のものを否認するを得んや、若し内務大臣にして合併其のものを否認せんと欲せば、予め法律を設けて之を制限せざるべからず、然るに今や其の法律なし、両社は其の許可せられたる線路を一社にて営業せんと請願せるものなり、内務大臣たる者焉ぞ之を拒むことを得んや、恰も男女の結婚の如し、予め法律に於て禁ずる所の血縁あるに非ざる以上は、政府は其夫婦たることを禁止し得べきものにあらざるなり、東京市会にして合併を否認せば、内務大臣は願之趣難聴届と指令するを得るや、是れ不可能の事ならずや、堂々たる東京市会を以て斯く分切たる事に関して内務大臣に請願するは殆ど児女の泣言に類するものなり、余は与みする能はざるなり、余は敢て斯の如き軽佻の意見を相手として議論を為さんと欲するものにあらず思ふに市会議員中之に惑ふ者あらざるべし、然れども今や街鉄株主間の紛争は益々激烈を加へ、市会議員を誘惑するの傾向あり、或は市会をして児女の泣言に類する事を言はしめんとすることなしとせず、是れ余の弁明せざるを得ざる所以なり
児玉内務大臣は当初認可の方針を以て、必要なる調査を属僚に命じたる由伝へられしが、両派の紛争容易に収まるべくも見えず、而して市民は非合併を歓ぶの形勢見えたりしかば、同年九月廿六日を以て合併を否認したり、鼎軒先生は之に対し児玉内務大臣は強硬にして自信に厚き人と思はれたるに、近時の挙措に就て観察するに往々御上手もの若くは人気取の小才子にあらざるかとの疑念を吾人に抱かしむるもの実に少しとせず、街鉄電車の合併を否認したる事の如きは実に其の最たるものなりとて之を非難せられたり、斯くて明治三十九年に至り、東京電車・東京市街・東京電気三会社の合併は再び計画せられ、渋沢男爵・馬越恭平両氏の仲裁を以て、同年六月十一日合併仮契約書に調
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印し、同月廿八日三会社は各別に株主総会を開きて之を決議し、翌七月内務省の認可を経たり、故に鼎軒先生の意見は先生逝去の翌年に至りて行はれたるものなり


東京市電気局十年略史 第一六―二三頁〔大正一〇年八月〕(DK090055k-0026)
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東京市電気局十年略史  第一六―二三頁〔大正一〇年八月〕
 三社合併し東京鉄道会社成立してより間も無く電車市有論復た又擡頭し来り、十月二十五日○明治三九年各区会議員の聯合秋季総会にては電車の市有速成を期する事、及び電灯瓦斯を市有となす事但其実行期日は宿題となす等の決議をなし、又東京市会に於ける電車市有に関する調査委員は、十一月二十二日、市営を決定して市参事会に報告する等、市有説漸次旺盛となり、市理事者間にも亦電車市営の議熟し、時の尾崎市長及び参事会委員と東京鉄道株式会社重役との会見数回の後、東京市軌道公債の券面金六千七百五十万円を以て、会社所属の営業及び資産の全部を買収する協定成り、四十年十二月十五日、仮契約を締結し、十八日、市会の可決、株主総会の決議を得て、四十一年一月六日、其認可を内務大臣に申請し、同時に右契約に伴ふ事業譲渡願書を逓信大臣に提出せしに、七月六日『詮議難相成』旨の主務大臣の通牒に接せしかば、市参事会は七月七日、更に市営再願の決議をなし、東京鉄道会社に交渉せしも、同社より不同意の回答ありしかば、同月十三日市長・助役・市参事会員等は全部引責辞表を提出せしが再選せられ、九月三十日尾崎市長は裁可を得て就任、助役も十月二日亦就職せり、内務省却下の理由として伝ふる所によれば、第一、戦後内外の国債激増せる今日、巨額の市債を発行するは、前者の価格に少からざる影響を及ぼすべきこと、第二、現在払込資本三千七百余万円に対してすら満足の利益配当をなし得ざるものを、殆ど其の倍額六千七百五十万円にて買収するに於ては、到底収支相償はずして、東京市の財政に累を及ぼすべく、殊に東京市に於ては今後下水道・大博覧会・築港等種々の必要事業ありて、将来市債を起すべき場合多ければ、電車買収の為めに此の際巨額の市債を発行するは市の財政の為めに不利益にして、加ふるに其の管理・経営も困難なるべしといふにありたるが如し。
 市営に蹉跌せる東京鉄道会社は、更に電車賃値上問題を研究し、従来特許命令書第三十六条による純益金一割の積立金のみにては、減損塡補金と、営業満期に至る期間内に資本金全部を償却すべき積立金とを得るに足るざるを以て、毎年少くも一百万円の積立をなさゞるべからざるに、現在の賃率を以て此の積立金をなすとせば、今後の配当は年約四朱に減ずべくして、株主の苦痛は勿論、新線の延長、及び諸般設備の改良にも影響すべきを理由として、四十一年十二月二十一日、乗車賃銭を左の如く改定せられんことの願書を警視庁及び東京府に提出せり。
 普通乗車賃                 片道一回五銭
 軍人(将校を除く)・学生・労働者割引    同   三銭
 乗換手数料                 毎一回 一銭
  但し将校を除きたる制服着用の軍人、在学の証明ある学生、工場出勤の証明ある労働者は、使用時間を限らず、又工場へ出勤せざ
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るも、印半纏股引着用(男女共)のものに限り、割引時間中、割引をなすの制度となすを得ば、乗替毎に一銭を徴するの外、現在の賃率の儘二銭均一として引上げざること。
 右に就き東京府知事の諮問に応じたる東京市会は、同十二月二十四日緊急市会を開き、討議の上、乗換料一銭を削除し、軍人割引を将校に及ばずとして値上案を可決せしが、市民の之に反対する声四方に起り、演説会の開催、当局の歴訪、値上賛成市会議員の辞職勧告、値上申請書却下の請願等、値上反対の運動激甚を極め、政府も亦審議の結果、翌四十一年一月二十日《(二)》、「詮議に及び難し」として願書を却下するに至り、東京鉄道会社の重役は、此の問題失敗の為め、責を負ふて総辞職をなし、三月二十九日、臨時株主総会を開きて其の選挙を行ひ社長には千家男爵を推し三常務取締役は共に前取締役より選定することゝなれり。
 同年十月十六日、後藤逓信大臣は尾崎市長に左の覚書を交付し、市にして該覚書に適合すべく経営するを得れば、市営を認可すべしとの言明ありしにより、市営問題は又再燃せり。
 一、 市営により市民の負担を増加し、又は市民交通の便利を減損せざる事。
 一、 買収及び未成線建設の為めに起したる公債は、市街鉄道の収益を以て元利支払を完了する事。
 一、 市有後の組織並に経営に付き、具体的草案を以て綱領を定め提出する事。
 尾崎市長は同日市参事会を開いて此の旨を報告し、尚ほ市吏員に買収価格並に電気局組織に関する機関の調査を命じ、又東京鉄道の重役と交渉せしに、会社は買収価格五千八百万円(一株当り十六円余)にては応じ難き旨の決議をなして不調に終れり。
 然るに同年十二月、東京鉄道会社が、未成線の工事施行遅延し、為に特許喪失せんとするものに対し其の延期の出願をなすや、内務・逓信の両大臣は其の許否に付き精細の調査を遂げたる結果、未成線の完成及び車輛の修理、改善は、到底営利会社の能くすべき所にあらざるを察し、翌四十四年六月二十七日《(マヽ)》、尾崎市長を内務大臣官邸に招き、電車市営の意嚮を確めたる後、東京鉄道会社に命ずべき総ての改良及び未成線の速成を条件として、左の諸件を示せり。
 一、買収価格は明治四十二年五月三十一日に於ける買収価格を市公債五分利付若干と仮定し、之に爾後買収の日に至るまでの建設費並に貯蔵品の価格を加へたる額を最高限度とする事。
 二、会社所有の現金は引継がざる事。
 三、買収代価は相当の換算により現金を以て支払ふものとし、現金交付の時期は買収の日より一年以内とす、但買収の日より現金交付の日迄は、買収金額に年五朱の利子を付するものとす。
 四、電気及之に関聯する事業経営の為め、市一般の会計と分離して特別会計を設置すべき事。
 五、市有後の組織並に経営に付、具体的草案を以て綱領を定め提出する事。
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 市長は翌二十八、及び二十九日の両日間、政府当局と数回往復の結果、右個条中の貯蔵物品は、明治四十二年五月三十一日以降増加したるものは之を加算し、減少したるものは之を控除すべき事、(二)建設費は実費支弁とし、加工費として割増をなさゞる事、(三)買収価格の公債換算率は九十八円迄とする事等の趣意なることを確めたり。
 六月三十日、市長は臨時市参事会を召集して上述の結果を報告し、協議の末、市長・助役の外五名の市有調査兼交渉委員を置くことに決し、七月一日より市の交渉委員と東京鉄道会社との間に公式の買収交渉を開始し、折衝談話ありたる後、総額六千四百十六万五千五百十八円を以て買収することに決し、同月五日、両者の間に仮契約を締結せり、該契約は同月八日の市会に提出して委員附託となり、委員は審議の末、総額より二十五万円を減額する事に決し、会社の承諾を得、翌九日市会を開きて之を可決したり。
○中略
 同年七月十二日、市参事会は引継準備及び外債募集の件等に付きて協議し、市営準備委員を選任し、東京鉄道株式会社にては同月二十四日、臨時株主総会を開きて、明治四十四年七月三十日限り会社を解散すること、会社譲渡の仮契約を承認する事、及び清算人の選任等を議決して、其の総会承認の旨を届出で、市参事会は即日之を承認し、市長と会社社長との連署を以て、府知事並に警視庁を経由し、内閣総理大臣・逓信大臣・内務大臣に向つて買収認可の申請をなし、政府は三十一日付を以て、運輸事業に就きては内閣総理大臣及び内務大臣より又電気事業に就きては逓信大臣より許可の指令を交付せられたり、内務省の特許命令の大要左の如し。
 一、未成線の完成期限を明治四十九年七月三十一日とする事
 一、特許線路は東京鉄道株式会社に特許せるものと同一なる事
 一、軌道に関しては従来内務大臣の認可を経たるを鉄道院の認可を経ることに変更されたる事
 一、本年十一月迄に未成線布設の順序方法を定めて主務大臣の認可を乞ふ事
 一、将来定むる法令の結果として命令の変更を生ずる場合は、市に於て拒む能はざる事
 一、総理大臣及び内務大臣の認可を経るにあらざれば、特許より生ずる権利義務を他に移転するを得ざる事
 東京鉄道株式会社の株主たる万朝報社員山田某外一名は、其の株主総会のなしたる売却決議を以て違法行為とし、株主総会決議無効確認の訴訟を東京地方裁判所に提出したり○中略明治四十四年十二月十九日東京地方裁判所民事部に於て「原告の請求は之を棄却す、訴訟費用は原告の負担とす」との判決言渡ありて、被告の勝訴となりしかば、原告は其の判決を不当として控訴せしも棄却せられ、更に大審院に上告せしも、又原告の敗訴となれり。
 是の如くして多年の懸案たりし電車の市営は実行せられたるを以て東京鉄道株式会社は先の臨時株主総会の決議に従ひ、同年七月三十日、解散をなし、翌月一日、清算人就職の上東京市参事会東京市長と
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清算人との間に買収契約に基き、会社の事業及び財産全部の引継きを完了し、十二月二十六日株主総会を開き、役員・使用人及び特別功労者に対して慰労金百万円贈与の件を附議し、内七十万円は社員・技師以下の手当慰労金に充て、残額三十万円は、同社創立以来功労ありし人々、其の他同社合併の三社に従事し退社したる課長始め高級職員に贈与することに決し、同月二十九日、明治四十四年七月三十日現在の車掌・運転手・工夫・職工・雑役夫等に慰労金の配当をなせり