デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
1款 大阪紡績株式会社
■綱文

第10巻 p.30-34(DK100003k) ページ画像

明治14年5月(1881年)

是月栄一大阪紡績会社創立世話掛トシテ大川英太郎・門田顕敏・佐々木豊吉・岡村勝正ノ四人ヲ紡績技術担当ノタメ社員トンテ採用シ、七月以降愛知・広島両県下官立工場ニ就キ紡績扱術ヲ習得セシム。


■資料

紡績懐旧談 (岡村勝正翁口述) 第二―三頁 〔昭和七年四月〕(DK100003k-0001)
第10巻 p.30 ページ画像

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故大川社長追悼録 第三二―三四頁 〔昭和九年一一月一九日〕(DK100003k-0002)
第10巻 p.30-32 ページ画像

故大川社長追悼録 第三二―三四頁 〔昭和九年一一月一九日〕
    故社長の履歴書と保証書
 故大川社長○大川英太郎が大阪紡績会社への入社は明治十四年二月であつ
 - 第10巻 p.31 -ページ画像 
たが、此の時は只紡績会社創立の計画だけで其の実体はまだ現出してゐなかつたのであるから、毎日東京の第一銀行に出頭して紡績事務の練習をせられてゐたのである。
 大阪紡績会社設立の発起者は渋沢栄一氏・藤田伝三郎氏・松本重太郎氏等であつて、東京に紡績組合世話掛があり其の実務と技術方面の担当者は、明治十年十一月から英国に在つて紡績業の研究をなし十三年五月帰朝した山辺丈夫氏であつたのである。
 十四年五月三十一日山辺丈夫氏の請により、同社に提出せられた履書は左記のものであつて、蓋し本履歴書は故社長が認められた唯一の履歴書であらう。
      履歴書
  明治七年七月中上州富岡製糸所ニ入リ自費生徒ト為ツテ製糸ノ業ヲ修メ数月ヲ経テ同所ノ工男ヲ命セラル、同九年上州勢多郡荻原村神山雄一郎ナル者製糸所ヲ設立スルニ当リテ、其ノ場ノ教員タルノ依頼ヲ受ケ旧職ヲ辞シテ荻原村ニ移リ業ニ従ツテ十年二月ニ至リ、此時荻原村製糸所ハ事務漸ク整ヒ営業ノ方向稍立チタルニ際シ富岡駅ノ韮塚直二郎氏亦製糸所設立ノ挙アリ、氏又生ニ其ノ場ノ教員タラレンコトヲ懇請セラレ、依テ再ヒ富岡駅ニ帰リ韮塚氏ノ工場ヲ管シテ十二年七月ニ及ヘリ、当時武州横沼郡手計村尾高幸五郎・渋沢市郎氏等協同シテ生糸繭商売買ノ業ヲ開クニ会ス、生又韮塚ノ工場ヲ去リテ氏等ト業ヲ共ニシ以テ今日ニ至レリ
   右之通履歴書申上候也
    明治十四年六月一日
                東京士族 大川英太郎
                     当廿一年六ケ月
 又当時綿製品の輸入は顕著なるものであつて、一ケ年の輸入額一千万円以上で我国輸入額総の六七割に当り、綿糸の如きも一年の輸入額四百七十万円以上を算し、本邦の輸出入の均衡は殆ど綿製品輸入額の多寡に繋がるの情態であつたから、正貨の流出多きを加へ前途の形勢憂慮すべきものがあるから、政府は之の輸入防遏の為め紡績奨励の必要を認め、曩に勧業局長松方正義氏が英国より齎し来つた紡績機械を明治十一二年頃より大阪・岡山・奈良・愛知・宮城・栃木・広島等の各府県に配布し、極力斯業の保護発展に努め紡績所は各地に十何ケ所創設せられてゐたのであるが、其規模は何れも小さく製品も粗悪であつた。併し内地の紡績の技術を実際的に研究せんとするならば、之等の紡績所で実習する外はなかつたのである。
 されば故社長も明治十四年七月から佐々木豊吉・門多顕敏《(門田顕敏)》・岡村勝正の諸氏と共に其の実習生に派出せらるゝことゝなつた。其の砌提出された保証書は次記のものである。
      保証
   私儀紡績業熱心ニ付、今般御組合ニ於テ御派出相成候該業伝習生徒中ヘ御組入被下、右伝習中同費トシテ金九円宛被下置候ニツイテハ、スベテ御組合ノ御指命ヲ奉ジ品行端正専心
 - 第10巻 p.32 -ページ画像 
研究可仕候、且又右成業ノ上ハ相当ノ給料ヲ以テ御工場ニ奉仕可仕儀モ今日ヨリ御約束申上候、万一修業中怠慢ニシテ成業ノ目途不相立候歟、又ハ身持不宜シテ御組合ノ御差支ニモ相成候ハゞ、何時御放棄被成候トモ彼是苦情申上間敷候、尤モ右様ノ場合ニ於テハ夫迄御支給被下候費額ハ御指図ニ従ヒ保証人ヨリ償弁可仕ハ勿論、都テ本人修業中ノ身事ハ一切保証人ニ於テ引受可申候、仍テ保証如件
   明治十四年七月 日
                    族籍
              本人     大川英太郎
            東京深川福住町四番地
              引受証人   渋沢栄一
    紡績会御組合
        世話掛御中
      ○
    故大川社長略譜
○上略
一、明治十四年大阪紡績会社ノ新設セラレントスルヤ二月社員トシテ入社、其ノ創立ニ参与シ先ヅ東京国立第一銀行内ニ於テ紡績事務ノ実習ヲ為ス
一、明治十四年七月、愛知県岡崎市外大平村紡績所ニ於テ紡績技術ノ実習ヲナス
一、明治十四年九月、大阪府下桑原紡績所ニ転ジ実習ヲナス
一、明治十五年八月、岡山県下玉島紡績所ニ転ジ実習ヲナス
一、明治十五年十月、大阪府下渋谷紡績所ニ転勤ス
一、之ヨリ先キ大阪紡績会社ハ其ノ工場ヲ大阪市三軒家町ニ新設スルニ定マリ、明治十五年四月ヨリ建築ニ着手シ同年十二月ヨリ英国ニテ購入ノ紡績機械神戸到着ニツキ、其ノ受入事務ニ従事ス
一、明治十六年七月、大阪紡績会社三軒家工場操業開始ト共ニ工務係技師トシテ操業ノ実務ニ当リ、具サニ本邦紡績業草創時代ノ苦難ヲ嘗ム
○下略
  ○「故大川社長迫悼録」ハ昭和八年十一月二物故セル、日出紡織株式会社前社長大川英太郎ノ追悼録ナリ。大川ハ栄一ノ甥ニアタリ、大阪紡績会社ノ創業時代、山辺丈夫ノ下ニ技術員トシテ参加シ、明治四十三年大阪紡績取締役トナリ、大正三年コレヲ辞任ス。明治四十五年日出紡織株式会社ヲ創設シ、昭和三年自ラ社長トナリ、専ラ社務ニ尽瘁シ、在任シテ昭和八年逝去ニ及ブ。(第三編第二部、日出紡織株式会社ノ項参照)


本邦綿糸紡績史 (絹川太一編) 第二巻・第三八三―三八四頁 〔昭和一二年九月〕(DK100003k-0003)
第10巻 p.32-33 ページ画像

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紡績生徒修業心得書(DK100003k-0004)
第10巻 p.33-34 ページ画像

紡績生徒修業心得書 (岡村勝正氏所蔵)
    紡績生徒修業心得書
一伝習ノ目的ハ紡績器械組立方及紡糸一切ノ工業ヲ習熟スル事ト心得ヘシ
一伝習ノ場処ハ愛知・広島両県下ノ官立工場トス、而シテ愛知工場ニ於テハ紡糸ノコトヲ研究シ、広島工場ニ於テハ器械組立ノコトヲ習熟スヘシ
一伝習ノ順序ハ予メ一定ト《(ママ)》難シト雖ドモ、先ツ左ノ科目ニ従テ各員中申合セ分科研究ヲ遂クル様心掛クヘシ
   第一科 打綿部梳線部《(綿)》ノ諸器械組立及其用法其他両部ニ属スル一切ノ工事
   第二科 紡繰部装綿部ノ諸器械組立及其用法其他両部ニ属スル一切ノ工事
一各部ノ研究ハ各其専一ヲ要スルニ付、各科二人宛ノ受持ヲ定ムヘシ、而シテ其習熟ノ後相交替シテ各員全部ニ通暁スルヲ勉ムヘシ、且右研究ノ外ニ水車組立及其使用法、又ハ水理ノ大意ヲモ了知スル様ニ心掛クヘシ
一伝習中ハ其工場ノ法則ヲ恪守シ、当任者ノ指令等ハ聊モ違背スルコトアルヘカラス、若シ其指令研究ニ益ナキコトアラハ、其趣旨ヲ世話掛ヘ書通シテ伝令ヲ待ツヘシ
一伝習中百事節倹ヲ主トシ、且常ニ謹勉其事ヲ処スヘシ、苟モ傲慢奢侈又ハ怠懣等ノ挙動アルヘカラス
一伝習ノ景況ハ毎月両次位ニ簡略ナル報告書ヲ以テ世話掛迄通報スヘシ、尤モ該工場全体ノ景況及工業損益ノ模様ヲモ(探知スルコトヲ得ハ)、並テ報道スル様ニ心掛クヘシ
一伝習中月費支給ハ毎三ケ月位ニ逓送スヘキニ付、前以テ其送達手順
 - 第10巻 p.34 -ページ画像 
ヲ来報スヘシ、尤モ必要ノ荷物等逓送ヲ望マハ、均シク其順序ヲ明記シテ来請アルヘシ
右ノ通御心得御勉励可被成候也
  明治十四年七月十一日
                 紡績会社創立世話掛
                    渋沢栄一   
    大川英太郎殿
    門田顕敏殿
    佐々木豊吉殿
    岡村勝正殿


(芝崎確次郎) 日記 明治一四年(DK100003k-0005)
第10巻 p.34 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記 明治一四年 (芝崎猪根吉氏所蔵)
    七月八日
主君○栄一御帰館紡績所修行人出立ニ付招キニ相成候