デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
1款 大阪紡績株式会社
■綱文

第10巻 p.101-106(DK100010k) ページ画像

明治26年2月(1893年)

明治二十五年十二月二十日、第一・第二号両工場焼失シ、ソノ損害金約四拾万円ニ及ブヤ、是月栄一大阪ニ至リ工場復旧ノ議ニ与ル。即チ四月社債二十六万円ヲ募集シテ復旧工事ニ着手シ、最新改良ノ紡機二万四千本及附属機械ヲ英国ヨリ購入シテ、二十七年其工ヲ竣ル。


■資料

大阪紡績会社第一九回半季考課状 自明治二五年七月 至同年一二月(DK100010k-0001)
第10巻 p.101 ページ画像

大阪紡績会社第一九回半季考課状 自明治二五年七月 至同年一二月
    ○火災被害之事
一十二月三日織布分工場精紡部室内ヨリ失火シ、場屋五拾坪ヲ焼失セシカ、織布器械ニ関係ナキヲ以テ其翌日ヨリ就業セリ
一同二十日本社第二号工場ヨリ《(脱アルカ)》第一号第二号工場焼失セシカ、幸ニ第三号工場並倉庫・事務所等無難ナリシヲ以テ、其二十六日ヨリ就業セリ


大阪紡績会社第二〇回半季実際考課状 自明治二六年一月 至同年六月(DK100010k-0002)
第10巻 p.101-102 ページ画像

大阪紡績会社第二〇回半季実際考課状 自明治二六年一月 至同年六月
    ○株主総会決議之事
一一月十三日大阪ニ同十七日東京ニ株主総会ヲ開キ、前季純益金配当方法ヲ決議セリ
一同会ニ於テ取締役・相談役ノ撰挙ヲ行ヒ、伊達宗徳氏ヲ新撰シ、其
 - 第10巻 p.102 -ページ画像 
他ハ旧員ヲ再撰シテ皆上任セリ
一同時臨時総会ヲ開キ、株式一個百円ヲ五拾円ニ分割スヘキ事ヲ決議セリ
一二月十三日大阪及東京ニ株主臨時総会ヲ開キ、復旧工事ノ件、社債募集ノ件、定款改正ノ件、焼失器械家屋代償却ノ件ヲ決議セリ
○中略
    ○諸達願伺届之事
一一月十三日大阪府知事ヨリ、客年十二月廿日火災ノ為メ職工死傷セシ趣憫然ニ被 思召
聖上
皇后両陛下ヨリ御救恤トシテ金参百五拾円下賜セラルヘキ旨ヲ達セラレタリ
  ○火災ノ善後策ニ就テハ考課状ニハ詳細ノ記載ナキモ、第二十一回考課状ニ金弐拾五万円ノ社債ヲ計上シ、第十九回考課状ニ金四拾九万千弐百円、第二十一回考課状ニハ金拾万七千百円ノ積立金ヲ計上セリ。


(大阪紡績株式会社)創業二十五年沿革略史 〔明治四一年一〇月〕(DK100010k-0003)
第10巻 p.102 ページ画像

(大阪紡績株式会社)創業二十五年沿革略史 〔明治四一年一〇月〕
○明治二十五年十二月本社ハ図ラズモ創業以来ノ一大厄禍ニ遭遇セリ他ナシ本社第一号(明治拾六年設立)及第二号(明治拾八年設立)工場トモ祝融ノ災ニ罹リ、錘数合計三万本建築物ト共ニ悉皆烏有ニ帰シタリシコト是ナリ是レ本社営業上ノ一大打撃ニシテ当時未ダ本邦火災保険ノ設アラザリシヲ以テ、其損害金額四拾万円余ハ積立金ヲ以テ償却スルノ已ムヲ得ザルニ至リ、社運ニ一頓挫ヲ来タシタリ
此際罹災者御救恤トシテ
宮内省ヨリ金参百五拾円恩賜ノ命ヲ拝シタリ、寔ニ恐懼感激ニ堪ヘザル所ナリ
○明治二十六年四月社債弐拾六万円ヲ募集シ復旧工事ニ着手シ、輓近改良ノ紡機弐万四千本及附属器械ヲ購入シ二十七年ニ至リ其工ヲ竣ハリタリ、此時錘数五万五千参百四拾四錘ニ達セリ


東京日日新聞 第六三七九号 〔明治二六年一月二八日〕 渋沢栄一氏と大阪紡績会社(DK100010k-0004)
第10巻 p.102 ページ画像

東京日日新聞 第六三七九号 〔明治二六年一月二八日〕
    渋沢栄一氏と大阪紡績会社
○渋沢氏は第一銀行大阪支店事務監査の為昨日午前十一時四十分新橋発の汽車にて同地に赴きたるが、元来同氏は大阪紡績会社の発起人にして同会社創立の当時は鹿児島を除くの外一の紡績工場とてなかりしかば、同氏は非常の苦心を以て創立せしものにて、今日に至るまで第一の大株主なりといへり、殊に昨冬火災に罹りたる工場は殆んど同氏の手にてなれりと謂ふべき程のものなる由、夫れ是れにて今度の工事復旧工事も一応同氏の意見を叩くこと然るべしとて、同会社にては同氏の着阪を待ち居ると云ふ。
  ○「青淵先生は去月二十七日午前十一時四十五分新橋発にて京都・大阪・神戸・四日市・名古屋の各地に在る第一国立銀行支店事務巡覧並に所在の各会社総会に出席と要議に預る為、直行京都に赴き順路巡回して本月八日午後九時四十五分無事帰京せられたり。」(「竜門雑誌」第五七号・第三八頁〔明治二六年二月二五日〕)

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渋沢栄一 書翰 斎藤峰三郎宛(明治二六年)二月二日(DK100010k-0005)
第10巻 p.103 ページ画像

渋沢栄一 書翰 斎藤峰三郎宛 (明治二六年)二月二日 (斎藤峰三郎氏所蔵)
一月三十一日附書状今朝大坂支店ニて一覧仕候、西京大坂とも寒気ハ時節柄凛烈ニ候得共降雪ハ軽少ニ御坐候、拙生爾来健全頃日尾高迄書通せし如く昨夕大坂着今朝銀行支店事務検査いたし、夫より紡績会社へ立越増設之評議も概略相談相済申候、乍去同社ハ兎角工商務之間不折合ニ付此際右等之協和を謀候義専一ニ付、尚明日一同ヘ充分之説諭相試候為終日出張之都合ニ御坐候、明夕迄ニて右等之用向取片付、四日朝神戸へ罷越即夜西京一泊、五日ニハ四日市紡績会社臨時会へ出席、其翌日名古屋へ廻り、七日又ハ八日帰京之積ニ御坐候
○中略
  二月二日                渋沢栄一
    斎藤峰三郎殿


竜門雑誌 第三一八号・第三三―三四頁 〔大正三年一一月二五日〕 大阪紡績株式会社沿革史(二)(DK100010k-0006)
第10巻 p.103 ページ画像

竜門雑誌 第三一八号・第三三―三四頁 〔大正三年一一月二五日〕
  大阪紡績株式会社沿革史(二)
    不慮の厄災
好事魔多し、本社の基礎既に甚だ鞏く、其声誉既に高く、一意発展の途上に驀進せむとしつゝありし時に方り、不慮の厄災は突如として本社を見舞へり。明治二十五年十二月本社の一工場より火を失し、第一号(明治十六年設立)及び第二号(明治十八年設立)工場ともに祝融の災に罹り、錘数三万本は建築物と与に悉皆烏有に帰しぬ。是本社が曾て蒙りたる最大の厄禍にして、営業上の一大打撃なりき。且当時に於ては本邦火災保険の設け無く其損害金額四十余万円は積立金を以て償却するの已むを得ざりしに於て殊に然り。意外なる厄災の為に蒙りし意外なる打撃が、進むあるを知りて退くあるを知らざりし社運に一頓挫を来さしめたるは言ふ迄も為《(無)》し。此際罹災者御救恤の 思召を以て金三百五十円を下賜せられぬ。 聖恩優渥寔に恐懼感激に堪えず。火災に依りて蒙りし打撃は大なりしも、幸にして亦起つ能はざる致命的のものには非ざりき。当面の急務は復旧工事に在り。因て本社は明治二十六年四月社債二十六万円を募集し、復旧工事に着手し、最新改良の紡機二万四千本及び附属機械を購入し、二十七年を以て工を竢り総錘数は五万三百四十四錘に達したり。 ○下略


本邦綿糸紡績史 (絹川太一編) 第二巻・第四二四―四二八頁 〔昭和一二年九月〕(DK100010k-0007)
第10巻 p.103-105 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕朝野新聞 第五七八三号 〔明治二五年一二月二二日〕 大阪紡績会社火災と株式(DK100010k-0008)
第10巻 p.105-106 ページ画像

朝野新聞 第五七八三号 〔明治二五年一二月二二日〕
    大阪紡績会社火災と株式
○一昨朝第二工場を焼失し職工八十余名を焼死せしめたる大阪紡績会社は、俗に三軒家紡績会社と唱へ、明治十五年三月設立以来社運益々隆昌を極め、既に紡績会社中の巨擘と称せらるゝに至りたるが、今其現状を聞くに、其錘数は竪針横針を合せて四万三百九十二本にして全国三十七紡績会社の総錘数四十四万三百七十九本に比すれば実にその十分の一を占め、織機三百三十三台と別に附属染器を備具せる分工場を有し、管糸一ケ月間の出来高は凡そ十四万九千九百六十余貫目にして、各会社紡績総数九十万九千余貫目に比すれば、其の七分の一を紡績する割合にて、使用せる職工も男工千三百八十余人女工二千六百九十余人合計四千余人にして、紡績職工総数二万二千人の五分の一に相当し、其積立金は既に五拾余万円に達せり。而して今回焼失せる第二工場は幾何の職工を使用し幾何の錘数を有し、其の損失額の幾何なるやは未だ知り難けれど、兎に角莫大の損失たるは疑ひなきが如し。同会社は前述の如き盛況にて其信用も厚かりしため株式市場に於ける同
 - 第10巻 p.106 -ページ画像 
会社株券の相場は払込額百円に対し百参拾円以上にありたりしが、此驚報に接した一昨日の大阪株式市場にては大下落をなし、三四十円方の下た値を叩きたりと噂さする程なれば其下落も一方ならざりしものの如しと云ふ。


〔参考〕郵便報知新聞 第六二五五号 (明治二六年八月三〇日) 【大阪紡績会社は是迄…】(DK100010k-0009)
第10巻 p.106 ページ画像

郵便報知新聞 第六二五五号 (明治二六年八月三〇日)
大阪紡績会社は是迄六万錘を運転し来り、内地に於ては他に類なき大会社なりしが、不幸客臘二十日を以て火災に罹り、其半数烏有に帰したれば、爾後復旧工事を起して漸く落成を告げ、明年一月迄には全然六万錘を運転するに至るべしと。聞くところによれば、同会社は本年の議会に於て彼の輸入棉花輸出綿糸関税免除案の通過するを待ち、同時に支那地方輸出の途を拡張せんとの下心より、更に四万錘を増加して、都合十万錘を運転するの一大会社と為すことに略ぼ内決したる由なり