デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
2款 三重紡績株式会社
■綱文

第10巻 p.179-180(DK100024k) ページ画像

明治42年6月6日(1909年)

是年栄一古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当社取締役ヲ辞任ス。翌四十三年二月二十七日斎藤恒三栄一ヲ訪ヒ、感謝状及退職慰労金ヲ寄贈ス。


■資料

竜門雑誌 第二五三号・第四八―四九頁 〔明治四二年六月二五日〕 辞任書(DK100024k-0001)
第10巻 p.179 ページ画像

竜門雑誌 第二五三号・第四八―四九頁 〔明治四二年六月二五日〕
    辞任書
拙者儀頽齢に及び事務節約致度と存候間、貴社「何々役」辞任仕候、此段申上候也
  明治四十二年六月六日
                      渋沢栄一
    書状
拝啓時下同暑の候益々御清泰奉賀候、陳は小生儀追々老年に及ひ候に付ては関係事務を減省致度と存し、今回愈々第一銀行及東京貯蓄銀行を除くの外一切の職任を辞退致候事に取極候に付、別紙辞任書差出候間事情御了察の上可然御取計被下度候、尤も右様役名は相辞し候へ共向後とて従来の御交誼上必要に臨み御相談に与り候事は敢て辞する処に無之候間、其辺御承知置被下度候、此段申添候 敬具
  明治四十二年六月六日
                      渋沢栄一
辞任せられたる各種事業の名称及職任は左の如し
○中略
 三重紡績株式会社同上 ○取締役会長
○下略


実業之世界 第七号 〔明治四二年七月〕 余が今回辞任したる六十会社の運命観(男爵渋沢栄一)(DK100024k-0002)
第10巻 p.179-180 ページ画像

実業之世界 第七号 〔明治四二年七月〕
  余が今回辞任したる六十会社の運命観(男爵渋沢栄一)
○中略
    ○三重紡績株式会社
     (明治十九年十一月設立、払込資本五百八十七万七千六百七十五円、配当年一割二分、渋沢男は当会社の取締役会長)
是は大阪紡績と相駢んで私が世話して立てた会社で、専務取締役には
 - 第10巻 p.180 -ページ画像 
伊藤伝七、常務取締役には斎藤恒三、其の他重役には九鬼紋七・奥田正香など云ふ人々が居る。伊藤は名古屋の徳望家で、資産もあり能力もある立派な人物、斎藤は大学出身の技術家で、且つ経営的能力をも具有して居る好人物である。即ち経営者其の人を得て居るのみならず資金も亦潤沢で、加ふるに、金融に就ては第一銀行が相談に関つて居るから、事業の前途は確かなものである。只、私が退いたら聊か其の統轄に困る事だらうと思はぬでもないが、是は名古屋での人物たる奥田などが代つてやつて行つたらやれるであらうと思ふ。


渋沢栄一 日記 ○明治四二年(DK100024k-0003)
第10巻 p.180 ページ画像

渋沢栄一 日記
 ○明治四二年
二月十四日 晴 寒
○上略 午前九時三重紡績会社名古屋事務所ニ抵リ、社員ニ面会シテ一場ノ訓示ヲ為ス○下略
  ○十三日名古屋ニ赴ク。
六月十五日 晴 風強シ冷
○上略 三時頃三重伊藤氏来リ、三重紡績会社ノコトヲ談ス。○下略

渋沢栄一 日記 ○明治四三年(DK100024k-0004)
第10巻 p.180 ページ画像

 ○明治四三年
二月二十七日
○上略 三重紡績会社斎藤恒三氏来ル、辞職ニ付感謝状及慰労金ヲ寄贈セラル○下略
四月十一日
○上略 三重紡績会社営業所ニ抵リ、同シク店員ニ一場ノ訓諭ヲ為ス○下略
  ○四月九日東京発関西旅行中ニシテ此日名古屋ニ在リ。