デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.2.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
4款 大日本紡績聯合会
■綱文

第10巻 p.207-237(DK100027k) ページ画像

明治21年10月(1888年)

明治十五年十月岡田令高ニヨツテ組織サレタル紡績聯合会ハ、紡績業ノ勃興ニ適応シテ、是年六月改組ノ上大日本紡績同業聯合会ト改称ス。栄一当聯合会ノ事務上ノ相談役トシテ予テ棉花輸入税免除ニツキ大蔵大臣伯爵松方正義等政府要路者ニ斡旋シタリシガ、是月聯合会請願委員難波二郎三郎ヲ大阪ヨリ上京セシメ、共ニ松方正義・外務次官青木梅三郎[青木周三]・農商務大臣伯爵井上馨ニ面謁シ、本邦紡績業発達ノ為棉花輸入税免除ノ急ナルヲ説ク。該請願ハ其調査不完全ノ故ヲ以テ却下セラレタリシガ、コノ会合ニ於テ井上馨ノ慫慂アリ、孟買綿業視察ノ議進ム。後栄一外務大臣伯爵大隈重信ニ面謁シ同様ノ趣旨ヲ述ベ、孟買綿業視察員派遣ノ事ヲ決ス。


■資料

朝野新聞 〔明治二一年一〇月二〇日〕 【全国の紡績業者が其の…】(DK100027k-0001)
第10巻 p.207-208 ページ画像

朝野新聞 〔明治二一年一〇月二〇日〕
 全国の紡績業者が其の原料に供する棉花の輸入を多くするため、輸入税免除のことを其筋に出願せんと奔走し居る由は予て記るせしが、聞くところによれば、目下開業し居る紡績所は二十一ケ所にて、此の錘数八万二千六百本、今後増錘をなさんとするもの、又は新に工場を起し、将さに開業せんとするもの二十ケ所、此の錘数殆んど十八万本、新旧合すれば四十一ケ所にして、錘数二十六万本なりと、今其の会社及錘数は左の如し
   現在開業の紡績所並に錘数
    二千錘    愛知紡績所
    四千錘    川崎紡績所
    六千四百錘  玉島紡績会社
    二千錘    桑原紡績会社
    三万千百錘  大阪紡績会社
    二千錘    三重紡績会社
    ○中略
    錘数合計八万二千六百八十鐘
             廿一ケ所
   新設紡績及増錘紡績所並に錘数
    三万八十錘  大阪紡績会社
    一万千錘   三重紡績会社
    二千錘    広島紡績会社
    三千錘    岡山紡績会社
 - 第10巻 p.208 -ページ画像 
    ○中略
    六千錘    名古屋紡績会社
    三万錘    鐘ケ淵紡績会社
    ○中略
    錘数合計十七万六千百八十錘
              廿ケ所


東京経済雑誌 第一八巻第四四四号・第六一五―六一六頁 〔明治二一年二月一〇日〕 ○外国棉花輸入税免除の嘆願(DK100027k-0002)
第10巻 p.208-209 ページ画像

東京経済雑誌 第一八巻第四四四号・第六一五―六一六頁 〔明治二一年二月一〇日〕
    ○外国棉花輸入税免除の嘆願
玉島紡績会社々長難波二郎三郎氏は先頃渋沢栄一氏と共に松方大蔵大臣及び井上農商務大臣に面会して、我が国木綿紡績事業に於ける現時将来の情況を縷述し、外国棉花輸入税免除の必要なることを具申せし由なるが、是は即ち本年六月大阪に於て開きたる全国木綿紡績同業者聯合会○大日本紡績同業聯合会の決議に基けるものなり、此聯合会に於て山辺丈夫(大坂紡績会社)難波二郎三郎・岡田令高(尾張紡績会社)の諸氏は外国棉花輸入税の免除を其の筋へ請願せんことを発議し同会の一致賛成を求めたることあり、其の要旨左の如し
 輓近本邦紡績業漸次隆盛の気運に向ひ、新旧工場の錘数大に増加し之れを従前に比すれば已に殆んど三倍即ち二十五万錘余の多数に達せり、思ふに本邦綿産物ハ其需用たる頗る広大にして、加ふるに工賃の低廉なる工夫の機敏勉強なる石炭の豊裕なる総て本業発達の萌芽たらざるハなし、今にして其方針を誤らずんば本業の年一年より増加し、早晩外産を制馭し得るに至るは敢て難事にあらさるべし、爰に本業発達の進路に於て一大障礙物たらんとするものハ本業の骨髄たる製糸原料の欠乏之れなり、抑も本邦産綿の数量たる未だ精確なる統計を得る能ハざるも大約五百万貫を過ぎざるべし、此量の如きハ只に本邦綿業産物消費高の半額にだも及ばざるを以て、年々常に五百万貫以上の外産綿物輸入を要する耳ならず、僅々八万錘の紡績所すら十分其供給を得る能ハざるの憾ありき、夫れ八万錘の製糸高ハ大約一ケ年百八十万貫に過ぎず、然るに五百万貫の産綿額を以て未た十分其供給に応ずる能ハざるのみならず、時々価格高進の虞あるを免れず、況んや将来二十五万錘即ち殆んど六百万貫に達するの製糸額あるをや、何処に向て其供給の源を需めん乎、本業将来の困難ハ職として之れにあるべし、是れ外産棉花の輸入ハ勢ひ止むを得ざるに出るものなり、否本業の維持隆盛を期し其増進発達を謀るの基礎を与ふるものなり、此基礎たる外産棉花の輸入を円滑にし内産棉花と相並て沢々たる供給の源を得るには、外産棉花に対する我海関輸入税を廃除するに在り、是れ即ち棉花輸入税免除請願の議の依て起る処なり云々
蓋し我が国に輸入する所の棉花は概ね上海・香港地方よりするものにて、其の額は年毎に増加の傾向あり、而して之に賦課する輸入税は其の種類に依りて異なり、繰綿は従量税にして百斤に付き一分銀二個二分五厘、之を従来施行せる換算法に依りて通貨に換算せは繰綿百斤の輸入税は金七十銭八厘八毛となるべし、之に反して実綿は従価税五分
 - 第10巻 p.209 -ページ画像 
の割合を以て徴収せり、今此の両税の軽重を比較するに便せんが為め繰綿百斤を得る所の実綿に対する五分の税金を算出せんに、実綿より繰綿を製するには綿実及ひ落粉等の割減りあるを以て百斤の綿を得んとするには実綿二百七十斤を要すべし、而して其の代価を先つ十八円九十銭と見積り、之に従価税五分を乗すれば其の税金は九十四銭五厘と為るべし、故に綿を我が国に輸入するに繰綿を以てすると実綿を以てするとの間には、彼是百斤に付きて二十三銭六厘二毛の差ある勘定なり、是を以て右の諸氏は若し政府が都合ありて此の輸入税を全免すること能はされば責めては割高なる実綿の税率を軽減して、更に繰綿同様の割合を以てせられたしと懇請せる由なり
  ○「棉花の輸入については、慶応『関税約書』に依て、実棉は従価五分(仮に従量税に換算して百斤に付三十五銭)、繰棉は従量税、百斤に付三十九銭八厘が賦課されてゐた。それが主として国庫収入を目的とするものであつたにしても、兎に角長年に亘つて国民の衣被の料を自給自足し得て来た内地棉作を保護する意企も含まれてゐたであろうし、滔々たる外棉の輸入に圧倒されてその衰頽の兆候顕著ではあつたにしても尚二十三年には八万町歩、二十七年には六万町歩の作付反別を有し、『工芸作物の首位を示め米穀と共に衣食の二大要因』と見られた内地棉作にとつて棉花輸入関税の存在は『最後の砦』をなしてゐた。然るに今やそれが紡績資本によつて、その発展にとつての重大なる桎梏としてその撤去を、従つて内地棉作そのものを、至上経済教理の祭壇への供物として、要求さるゝに至つたのである。」(名和統一著「日本紡績業と原棉問題研究」第一九九頁〔昭和一二年九月〕)


大日本紡績同業聯合会議事録(明治二十二年三月十五日開会)(DK100027k-0003)
第10巻 p.209-214 ページ画像

大日本紡績同業聯合会議事録
             (明治二十二年三月十五日開会)

    会員番号氏名表
  壱番   遠州紡績会社    鶴見新平
  弐番   天満紡績会社    島田覚人
  三番   平野紡績会社    末吉勘四郎
  四番   玉島紡績所     難波次郎三郎
  五番   川崎紡績所     坂上要助
  六番   三重紡績会社    伊藤伝七
  七番   渡辺紡績所     渡辺信
  八番   尾張紡績会社    岡田令高
  九番   下村紡績所     高田年太郎
  十番   宇和紡績会社    兵頭昌隆
  十一番  桑原紡績会社    佐藤剛一郎
  十二番  東京紡績会社    鹿島万兵衛
  十三番  姫路紡績会社    本川仁三郎
  十四番  大和紡績会社    前川廸徳
  十五番  浪華紡績会社    寺田将美
  十六番  大阪紡績会社    山辺丈夫
  十七番  和歌山紡績会社   赤城友次郎
  十八番  愛知紡績所     篠田直方
  十九番  岡山紡績会社    谷川達海
 - 第10巻 p.210 -ページ画像 
  廿番   堂島紡績所     小出益次郎
  廿一番  下野紡績会社    浜野喜太郎
  廿二番  藤井紡績所     田中定次郎
  廿三番  広島紡績会社    藤田勉
  廿四番  埼玉綿糸紡績会社  斎藤勝太郎
  廿五番  名古屋紡績会社   花井八郎左衛門
       島田紡績所代理   天満紡績会社
       八幡紡績会社代理  桑原紡績会社
       欠         長崎紡績所
       広島紡績所代理   大阪紡績会社
       欠         宮城紡績会社
 明治廿二年三月十五日 午後第一時五分開会
  出席会員 十九名
  欠席会員 十八番(篠田)  廿一番(浜野)  廿二番(田中)
       廿三番(藤田)  廿四番(斎藤)  廿五番(花井)
各員抽籤着席ノ上投票ヲ以テ議長ヲ選挙セシニ、八番十六票ノ多数ヲ以テ其選ニ当リ、次キニ副議長ヲ選挙セシニ、十六番十一票ヲ以テ当選シ、各承諾ノ上、八番ハ直ニ議長席ニ着シ、本会ノ定期ハ四月十五日ヨリノ筈ナレトモ、当年ハ一ケ月繰上ケ至急開会セサルヘカラサルノ必要起リシニ依リ斯クハ諸君ノ来会ヲ請ヘリ、偖テ其必要タル幹事ヨリ提出セシ第二回聯合会議事要項中第一及ヒ第二項等ノ如キ即チ是レニシテ、此等ハ成ルヘク速カニ諸君ト協議スル所ナカルヘカラスト認メタルヲ以テナリ、其詳細ハ議事要項配付ノ上、難波君ヨリ報道セラルヘキ旨ヲ述フ
    第二回聯合会議事要項
第一項 第二回聯合会期繰上ケノ主旨ニ付協儀ノ事
  但此協議ハ秘密ヲ要スルコト
第二項 輸入棉花免税並ニ規約公認ノ件ニ付、難波氏上京ノ結果報告ノ事
  但第一第二項ノ聯帯ノ協議ヲ要スルコト
第三項 輸入綿糸増税棉花免税ニ付再願及総代人撰定之事
第四項 本邦綿作奨励之事
第五項 聯合紡績月報改良之事
第六項 去夏請願委員出京費報告之事
第七項 聯合規約公認ヲ得サルニ付、私約ニ止マルハ言ヲ俟ス、然ルトキハ此規約ヲシテ尚一層鞏固ナラシムヘキ方法審議ヲ要スル乎、或ハ従前儘ニテ差支ナキヤ
第八項 前項ノ如ク私約ニ止マルモノトセハ、規約中洋式紡績同業者ハノ以下各所轄府県庁云々ノ廿字ヲ削除スヘキコト
第九項 廿一年中ノ経験ニ徴シ、規約効力ノ厚薄如何、及規約中改正増補ヲ要スル条項アリヤ
第十項 第一項第五項第六項ノ三項可決ノ上ハ、規約第七章第廿八条費用賦課割合ニ付改正ヲ要スルコト
  但第七項以下第十項迄ノ条項ハ規約逐条審議之節聯帯議決ノ事
 - 第10巻 p.211 -ページ画像 
第十一項 信認金保管人指定之事
第十二項 廿一年度会費決算報告之事
第十三項 廿一年度中幹事事務取扱条項報告之事
第十四項 幹事改撰之事
是ニ於テ難波氏ハ起テ左ノ旨趣ヲ演フ、曰ク、自分ハ春年綿花輸入税免除ノ請願一条ヲ担当シ、閉会後直ニ上京スヘキ筈ノ処、元来此事ニ就テハ在東京ナル渋沢氏等ハ予テ種々配慮セラルヽ所アリ、且ツ当時大蔵大臣○松方正義ノ当地ニ出張セラルヽコトアルガ為メニ、暫時之ヲ見合ハスコトヽナリ、而シテ大臣ノ来坂アルニ際シ、山辺君ト共ニ親シク面謁ヲ遂ケ、請願ノ旨趣ヲ縷述セシニ、大臣ノ云ハルヽニハ、其事タル業已ニ東京ニ於テ渋沢氏ヨリモ承リ及ヒシ所ニシテ、事柄ノ如何ニ至テハ自分等モ同意ナレトモ、今日ノ条約面ニテハ到底之ヲ施シ難カルヘシト、依テ自分等ハ尚ホ飽迄目的ヲ達センコトヲ切望スルノ意ヲ述ヘタルニ結果《(マヽ)》、大臣ニハ各会社ヨリ委托ヲ受ケタルノ廉アレハ、是非一度上京セサルヲ得ストノ事情アランニハ、固ヨリ上京スルモ妨ケナカルヘク、但請願ハ今日聞届ケル場合ニ至ラストノ言ナリシ、我我ハ壮士ノ国会開設ヲ望ムガ如キ次第ニモアラサレハ、然ラハ此上ハ御再考ヲ請フノ外ナク、尤モ外務大臣ハ此事ノ行ハルヘキ様ノ談話モアリシト承リタレハ、願書ハ携帯シテ御帰京アランコトヲ望ム旨ヲ述ヘ大臣モ之ヲ承知セラレタリ、然ルニ其後渋沢氏ヨリ願意ノ必スシモ行ハレザルニ限ラサルノ模様モアレハ上京スヘシト申来リタルヨリ、即チ昨年十月ヲ以テ上京シ、先ツ大蔵大臣ニ面謁シタルニ、此事タル別段故障等ハアラサレトモ、重モニ外務大臣ノ関係スル所ナレハ、同大臣ニ就キ詳カニ陳述スヘク、又農商務大臣ニモ同様ノ手続キヲ尽スヘシトノコトナルニ依リ、外務省ニ出頭シタルニ、大臣ニハ折悪シク不在中ニテ面謁スルヲ得サリシガ、次官ニ面陳スルヲ得タリ、殊ニ幸ヒ農商務大臣○井上馨ニハ同席セラレタリキ、而シテ当日外務次官ノ云ハルヽニハ、此事タル敢テ至難ト云フヘキニハアラスシテ、実行セント欲セハ随分実行スヘキモ、元来条約改正ノ事タル、多年計画スル所アレトモ、未タ之ヲ断行スルヲ得ス、併シ政府ニ於テハ充分見ル所モアレハ、此事モ先ツ壱両年待ツ方返テ得策ナルヘク、実ハ政府ニ於テモ他ニ高キ税ヲ課シ、此等ト差引キヲナサントノ見込ミモアル次第ニシテ、且ツ今日強テ之ヲ減セサレハ、紡績業者ノ忽チニ困難スルト云フニモアラサルニアラスヤト、依テソハ実ニゴ尤モナレトモ、行ハルヘキモノナランニハ願クハ之ヲ今日ニ望ム旨ヲ述ヘタルニ、農商務大臣ノ云ハルヽニハ、条約改正ニ就テハ自分ハ敗北シタルモノナルガ、ソハ偖置キ、斯ク同業者ノ請願スルカラニハ、支那・印度等ノ綿作若クハ彼ノボンベー地方製糸場ノ実況ヲ取調ヘタル上ナルカトノコトナリシ故、ソハ海関税等ニ就キ取調ヘタルコトナレトモ固ヨリ外国人ノ取調ヘニ出タルモノニ止マル迄ナリト答ヘタルニ、大臣ニハ結局我敵タルヘキハ差詰メボンベーナレハ、能ク其実査ヲ遂クルコソ必要ナルニアラスヤト云ハレタリ、依テ其必要ハ固ヨリ我々ノ疾クニ感スル所ナレトモ、奈何セン同業者ニ在テハ綿質ノ好悪等ハ能ク之ヲ監定シ得ルモ、其他ノ詳細ナル事項ニ至テハ我々ノ容易ニ実査ヲ遂ケ得ヘキニア
 - 第10巻 p.212 -ページ画像 
ラスト答ヘリ、大臣ハ其実査ヲ遂ケ得ヘキ人物ハ随分貸付スヘケレトモ、其費用ニ至テハ同業者ヨリ支弁スルカト問ヘリ、依テ果シテ其人物ヲ貸付セラレンニハ、其費用ハ敢テ辞セサルヘキ旨ヲ答ヘリ、然ルニ当時ノ請願書タル此等ノ調査ニ就テハ甚タ不完全ニシテ、大蔵省ノ調査トハ相違アル趣ヲ以テ、付箋ノ上一先ツ却下セラレタリ、就テハ今一応精覈ナル調査ヲ遂ケ、再願ノ手続キヲナサント欲シ、渋沢氏ニ其事ヲ依頼セシニ、此書面ニ対シテハ今少シ考案ヲナシ度コトモアリ何分滞京中完全ニ至ラサレハ、一先ツ帰坂セラレ、追テ此方ヨリ報告セントノ事ナルニ依リ、直ニ帰坂セリ、概略ハ右ノ次第ニテ、活動上未タ佳境ニ入ルノ場合ニ至ラス、云ハヽ門戸ニテ談判ヲ試ミタル迄ナリ、尚ホ詳細ノ事柄ニ至テハ質問モアラハ従テ答フヘシ、○三番然ラハ再応取調ヘヲナスノ見込ミナルヘク、果シテ然ラハ帰坂後ハ如何ナル手続キトナリ居ルニヤ、○四番ボンベー取調ノ事ニ就テハ、其後或人物ヲ貸付スルトノコトナリシモ、此レニ対シテハ少シク異議アリテ山辺君ヨリ其趣キヲ渋沢氏ニ迄申送レリ、又今一ツ報告スヘキハ彼ノ規約ノ一条ニシテ、コハ昨年公認ヲ請フノ見込ミナリシニ依リ、其手続トヲナシタルニ到底準則ニハ適当スヘキニアラサレハ、公認ハ出来ヌトノ事ナリシ、依テ然ラハ只保護ヲ加ヘラレンコトヲ望ム旨ヲ述ヘタルニ、彼ノ蚕業者ナリ塩田ノ紛紜ナリ、今日共ニ其結果如何ヲ予知スヘカラサル場合ナレハ、工務局ニ於テハ充分保護ヲ加ヘ度モ、此等ノ関係モアレハ紡績業者ヲ限リ然ルヘキ訳ニ至ラストノコトナリ、依テ書面ハ其儘預ケ置キタルガ、此上此方ヨリ何分ノ再申ヲナサヽル以上ハ、指令ハセヌ筈ニナリ居レリ、尤モ私約ニテハ鞏固ナラサルノ恐レアル等種々陳述セシ所アリタレトモ、要スルニ農商務省ニ於テハ彼ノ準則タル斯ル大業者ノ為メニ設ケタルニアラサレハ、我々ニ対シテハ只之ヲ私約ニ止メ、而シテ鞏固ナルヲ務ムヘシト云ハルヽニ外ナラサリシ、○七番我々ノ規約タル到底彼ノ準則ニハ適合スルヲ得サルヘク、全体公認ヲ仰キタルモ、云ハヽ旧来ノ風習ニ依リタルニ外ナラス左レハ自今我々ハ後来会社ノ起ルニ逢ハヽ、必ス此同盟ニ加ハラサルヘカラサル様ニナセハ妨ケナキナリ、○四番其後大蔵大臣ノ来坂セルヤ、秘書官ヨリ書面ヲ贈リ来レリ、其主意タル前ノ時トハ打テ変ハリ減税ノ必要アリ至当ナリト認メナハ新聞ナリ演説ナリ充分ニ論談スヘシトノ意味ナリシ、併シコハ或ハゴ挨拶ナルヘキカ、其事ハ暫ク措キボンベー取調ノ人物モ已ニ定マリ、本会ハ復タ来月ヲ俟ツヘキニアラスシテ実ハ一月ニモ繰上ケ之ヲ開カント思惟シタル程ナレトモ、其人物ノ如何ヲ調ヘタル等ノ為メ終ニ本月トナリタル次第ナリ、○十六番報告ハ已ニ終リタルガ如シ、然ラハ是レヨリ議事ニ取掛ルヘク就テハ先ツ細則ヨリ議定センコトヲ望ム、○議長然ラハ何事ヲ議スルニモ議則ヲ要スル次第ニシテ、議場整理上ノ都合モアレハ取敢ヘス先ツ細則ヲ議定スヘシ、尤モ旧来ノ細則ヲ原案トシテ逐条審議スルコトヲナサン(是レヨリ細則ノ逐条議ニ取掛リタルニ第一条ハ原案ニ可決シタレトモ、第二条ニ至リ会員半数以上云々、其会員トハ同盟聯合会ノ全体ヲ指スカ又委任状ヲ受ケタルモノハ其レニ相当スルノ権利、即チ三会社ノ委任ヲ受ケ居レハ三名ノ権利ヲ有スルカニ就キ十番ヨリ質疑アリ
 - 第10巻 p.213 -ページ画像 
之レニ対シ各員ヨリ種々意見ヲ述ヘタル末、一応休憩ヲナスコトヽナリ、再ヒ開議スルニ方リ此細則タル先ツ原案ヲ仮用シ置キ、他日能ク審議ノ上完全ナルモノヲ設ケントノコトニテ、是レヨリハ又小会議ヲ開キタリ、而シテ其決議ノ摘要ハ即チ左ノ如シ
製糸競争ノ端緒ヲ開キタル今日ニ方リテハ異日如何ナル困難ノ場合ニ遭遇センモ実ニ測ルヘカラス、殊ニ棉花税ノ一条タル苟モ請願スルカラニハ充分ナル材料ヲ取調ヘ、之レガ基礎ヲ鞏固ナラシメサルヘカラサル折柄ナレハ、ボンベー製糸場実査等ノ為メ故ラニ官吏ヲ派遣セシメラレンニハ其経費ハ我同業者ニ於テ負担スヘク、但若シ幸ニシテ官費ヨリ其経費ヲ支弁セラルヽガ如キコトアラハ、同業者中ヨリ更ニ壱名ヲ選ヒ同行セシムヘシ、尤モ同業者ノ同行スルニ至ラハ之レニ支給スル金額ハ其同行官吏ト同一ニナスヘク、又其同行派遣員ヲ定ムルニハ撰定委員ヲ設ケ、派遣ノ上実査スヘキ事項取調ヘヲ合セ之レニ一任スヘキ事
 但此議決ニ対シ二番ハ明日迄考案ノ猶予ヲ与ヘラレンコトヲ望ム旨ヲ述ヘ、当日可否ノ数ニ入ラス、他ハ一ツノ異議者アラサルモノトス、尤モ選定委員ヲ設クルハ之ヲ他日ニ譲ルコトヽナリ、本日ハ是レニテ散会セリ
散会五時十五分
○中略
 ○同十九日午前第十時二十分開議
  出席会員  廿四名
  欠席会員  廿二番(田中)
○中略
次キニ印度行ノ費用賦課法ニ付協議セシニ、満場一致ヲ以テ錘数ニ割リ課出スルコトニ決シタリ
次キニ十六番ヨリ難波氏上京ニ係ル旅費ハ、実費払ヒトノコトニ決シ居ルモ其報酬ハ追テ協議スルコトヽナリ居レリ、依テ協議員ナル自分ト岡田氏トノ間ニ於テ種々談スルコトアリタレトモ、何分是レト云フノ考案モ出サルヨリ、実ハ難波氏ニ就テ私カニ其意見ヲ叩キタルニ、難波氏ニ於テハ事ノ成リタル上ナランニハ又格別ナレトモ、今ヤ然ラサルニ報酬等ハ決シテ受納セストノコトニテ堅ク執テ動カサルニ依リ然ラハ旅費日当ノミヲ差出スヘシト約シ置キタリ、就テハ往復旅費トシテ上等滊船賃並ニ滞在日当トシテ壱五日円ノ割ヲ以テ贈与セハ如何アルヘキ歟、各員意見アラハ伏臓ナク述ヘラレ度旨ヲ陳述シタルニ、二番ハ其レニテハ余リ些少ナルガ如ク幾分ノ報酬ハ是非ナサヽルヘカラサルヘシト云ヒ、四番即チ難波氏ハ折角各員ノ総代トシテ出京シタルニモ拘ハラス一事ノ効ヲ奏セサリシハ深ク慚愧スル所ナリ、左レハ報酬ヲ受クル抔ハ実ニ想ヒモ寄ラヌ次第ニシテ往復旅費等スラ之ヲ受クルハ敢テ快シトセサル所ナレトモ、其レニテハ余リ諸君ノ厚意ヲ無ニスルニ至ル故、只判任官相当位ヒノ旅費ヲ給セラレナハ足ル旨ヲ述ヘ、十九番ハ単ニ十六番ヨリ述ヘラレル所ニ同意ヲ表シ、十二番モ亦同様ニシテ但難波氏ノ報酬ヲ受ケラレサルハ最モ感謝スル所ナレハ、之ヲ議事録ニ特書シ紀念トナスヘシト云ヒ、結局十六番ノ述ヘタル通
 - 第10巻 p.214 -ページ画像 
リノ割リヲ以テ贈与シ、且ツ之ヲ議事録ニ掲クルトノ事ニ満場一致ヲ以テ決定セリ
次キニ前段ノ請願ハ再願委員ヲ置クコト、並ニ之ヲ置クニ付テハ従前ノ通リ難波氏ニ委嘱スルコト及ヒ難波氏ノ発言ニ係ル再願スルカラニハ、若シ免税ノ目的ヲ達スルヲ得サルトキハ責メテ戻リ税即チ外国綿ヲ内国ニ於テ繰綿トシ、輸出スル場合ニハ輸入ノ戻リ税ヲ願出ツルコトモ亦満場一致ニテ決定シ、尚ホ難波氏ニ贈与スル金員ハ通常経費トシテ支出スルコトヽナレリ
次キニ印度地方綿業取調要件調査五名ヲ公選シタルニ、其結果ハ左ノ如シ
             廿四票  玉島紡績会社
             廿三票  大坂紡績会社
             十五票  尾張紡績会社
             十二票  天満紡績会社
             十票   渡辺紡績所
             十票   岡山紡績会社
             九票   浪華紡績会社
             七票   大和紡績会社
             六票   宇和紡績会社
             五票   三重紡績会社
             二票   平野紡績会社
右ノ如ク渡辺紡績所ト岡山紡績会社トハ同数ナルニ依リ、抽籤ヲ以テ右ヲ定メタルニ渡辺紡績所当選セリ、是レニテ全ク議事ヲ終ヘタレハ一同敬礼ノ上直ニ閉会セリ、○時ニ六時廿五分
 ○議事録畢



〔参考〕大日本綿糸紡績同業聯合会月報 第一二二号・第九―一五頁 〔明治三五年一一月〕 ◎大日本紡績聯合会沿革史(一)(DK100027k-0004)
第10巻 p.214-219 ページ画像

大日本綿糸紡績同業聯合会月報 第一二二号・第九―一五頁 〔明治三五年一一月〕
    ◎大日本紡績聯合会沿革史(一)
大日本紡績聯合会は其初、紡績聯合会と称し尋て大日本棉糸紡績同業聯合会と改め、近頃又其称を更て現名を唱ふるに至りしか、今其濫觴を尋ぬるに明治十五年農商務省所轄に係る愛知紡績所主唱となり、同志数会社の賛成を得て、同年八月大阪に於て開会したるを以て発端とし、遠近の諸会社を糾合するか為め時日を要し漸く十月に至り一団体を形成せり、爾来毎歳一回会同するを例としたるも、斯業に関する術技を研究し同業者間の懇親を敦ふするを旨としたるか如く、未た大に時務を協議したるの跡なく又其約束に至りても倶に斯業の発展を図るか為め職工貸借の便宜に一致したるに過きす、其管疎なる法三章に超ゆるものありと謂ふへし、当時の紡績工場即同盟者は大阪紡績会社の錘数壱万五百本を大工場とし、他は二千本又は三千本の小工場にして其数十四、錘数総計参万本内外に過きす、而も各工場は其利益の饒なるに饗き未た深く相依り相謀るの要を感せす、此間十六年の会合に於て製品の販路を軍需に求め、陸軍省に契約せんとして其調査を為したるか如き、尋て又鹿児島紡績所の琉球に発售するものを除き、十九年
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を期し洋綛画一法を施行せんことを議決したるか如き、見るへきものの一二なりとす
斯くて器械糸の名都鄙一般に遍ねく、手挽糸の圧倒は日を期して卜すへく、即ち我紡績業の試験時代は漸次過去に属するの状あり、明治十九・二十年の交に曁ひては其気運全く一新し、大に発達の色を示し来り工場の新設を計画するもの少なからす、又旧工場は概ね相競ふて増錘を為し新旧共に千位の錘数を以て甘んするものなく、多くは壱万本以上を据付くるに至りたり、此現象は忽ち同業者間の競争を惹起し未加盟者の如き、特に随意の挙動を為して憚らす、或は事業上職工の争奪となり或は販売上斤量の増加となり、之を新旧に通しては同業者聯絡の相通せさるか為め、毎に糸屋等に左右せられ内部外間事端漸く滋からんとせり、此時に当り印度糸は旌旗堂々八洲の地を風靡せんとする状ありしかは、我同業者は蕭牆の間に紛争すへきにあらす、応さに協戮して之に衝るか為め同業者の前後に纏綿せる情弊を打破し、且工技上及商務上相互利恵同浴の道に出つるの趣旨を以て、大阪玉島及尾張の三紡績会社は進んて唱首となり、新旧各紡績所に移檄して更らに聯合会を催ふすることゝし、明治二十一年六月大阪に於て開会したり此会同たるや当初より正に第六次に属すといへとも、聯合会史上にては実にその第一回と目せさるを得す、蓋し同盟者の観想並に会同の趣旨は爰に一変したれはなり、此会に於て旧来の組織を革め其目的を明にし制裁を設け、且幹事を置きて庶務を掌理せしむることゝなし、大阪紡績会社の山辺丈夫氏は重望を以て推されて幹事の任に膺れり、而して聯合会の憲章たる規約は聯合規約の称を以て此際議定発表せられたり、即ち左の如し
    聯合規約
洋式紡績同業者は同業の公益を図るか為め、一致団結し協議の上、聯合規約を設くること左の如し
 第一条 洋式綿糸紡績同業者は互に懇親を結ひ、相協戮して紡績業の隆盛を図るへし
 第二条 当聯合同業者は専ら製糸の品位を進むることを務め、決して粗製濫造を為し需用者の信を失し器械糸の声価を墜す等、総て同業者の障害を起すへきの所為あるへからす
   但綛糸造り方は各自異同あるへしと雖とも増し目は定量より八分の一を過くへからす、万一右に超過するものあるときは発見者より当任幹事に報告し、幹事は其工場に注意矯正せしむへし
 第三条 職工傭入中終始正直勤勉せるものにて解傭したる者には、是迄無故障勉強せし旨の保証状を付与すへし
 第四条 職工傭入中規則を犯すか或は懶惰等にて放免し、他の紡績所に害ありと認むる者は其旨同盟中に報告すへし、同盟者は其報告を得たる後其職工を傭入るゝを得す
 第五条 職工傭入を請ふときは其履歴を取調へ、試験の上適宜傭入れを得ると雖とも、其者従前他紡績所に従事し其保証状を所持せさるときは、必らす前傭紡績所に照会し其承諾を得へし、若し職工事実を隠蔽し傭入れの後、前紡績所に於て停傭の照会をなすと
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きは其儘続傭するを得す
   但謂れなく其傭入を拒むを得す
 第六条 甲紡績所に於て乙紡績所の職工を傭入れんとするときは、乙紡績所の承諾を得て之をなすへし
   但紡績所と職工と直接の予約を結ひ、甲乙へ転せしむるを得す
 第七条 当聯合紡績所は其工場使役職工の一部又は全部の者結合して罷工をなす等の場合に於ては速に其職工の姓名を同盟中に通知すへし、同盟者は其報告を得たる後其職工を傭入るゝを得す
 第八条 第七条の場合に於て職工欠乏の為め営業上差支を生するときは、其状情を当任幹事に申出つへし、幹事は其状情を審案し適宜各紡績所に協議し、其欠乏に対する職工の貸与方を請求するを得へし
 第九条 第八条の場合に於ては当任幹事より職工貸与の請求を受けたる紡績所は其請求を、承諾すへきの義務あるものとす
 第十条 当聯合紡績所は第一条第二条の趣旨に従ひ同盟紡績所より当任幹事を経て、業務伝習の依頼を受くるときは承諾すへきの義務あるものとす
   但其工場の都合により熟練の職工を貸与するに止まることあるへし、尤も最寄工場にて借入れ又は伝習の便を得たるときは本文の手続を要せす、単に其旨を幹事に届出つへし
 第十一条 製糸の販路は各地異同あるへしと雖、若し需用者結合して同業一般或は一地方の販路に妨害を生するときは協議の上、適宜其妨害を制することを務むへし
 第十二条 定期集会の節自製棉糸洋十六番(十綛)を持参し審査委員を選定し、左の要点に照し糸質甲乙の点数を審査報告せしむへし
  審査要点は重量、撚度、強力、糸力、均一、装糸とす
   但洋十六番有合せさるときは其番号に近き製糸を持参すへし、若し不参する者は其製糸を当任幹事に宛便宜送達すへし
 第十三条 当聯合紡績所は其製糸定価改正の節、互に報告すへし
 第十四条 当聯合紡績所は毎月の実況を別紙の表式に準し翌月五日迄に郵送、当任幹事に報告し幹事は其十二日を以て締切の時期とすへし
 第十五条 当聯合会は紡績事業に関する内外の工商況会報及各紡績所より郵送したる毎月の商業実況其他要件を蒐集し、一の月報を編輯し弐通つゝ各紡績所並に農商務省に郵送すへし
 第十六条 第十五条の月報編輯は其主任を置き発刊せしむへし、尤も時宜に依り主任を置かす本会の議決を以て当任幹事に委嘱することあるへし
   但月報発刊費は予算に拠り実費払ひとなし、主任報酬は次期の定期総会に於て議定すへし
第十七条 当聯合会は同盟中より幹事及ひ其候補者各壱名を公選すへし
第十八条 幹事は信認金の保管及其他の庶務を整理斡旋するものと
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   但当任幹事の事務費は実費払となし、報酬は次期の定期会に於て議定すへし
 第十九条 幹事の任期は一ケ年とし毎年定期集会に於て選挙すへし尤も任期中事故ありて退任することあるときは候補者之に代るものとす
 第二十条 当聯合会は毎年四月十五日を以て東京と大阪とに於て隔年に開くへし、尤も第十一条及ひ其他の場合に於て同盟三ケ所以上の同意に出つるときは発議者となり、当任幹事を経て幹事指定の地に於て臨時集会を開くを得へし
 第二十一条 当聯合会には同盟者必らす出席すへし、尤も開会前出席者の姓名を当任幹事に通知すへし
   但不参者は必らす同盟中に委任状を付し代理せしむへし
約二十二条 当聯合会に於て議決したる条件は同盟一般遵守すへし
 第二十三条 新に同盟に加入を請ふ者あるときは、当任幹事に於て第二十七条に定むる信認金及ひ増殖の金高を合算出金せしめたる上、之を承認し其旨同盟中に報告すへし
 第二十四条 同盟中錘数を増加するときは其信認金相当の増殖方法に拠り、第二十七条の割合を以て出金すへし
 第二十五条 同盟中事故ありて廃業し除盟を請ふときは信認金元子共返戻し、其旨同盟中に報告すへし
   但同盟中錘数を減し届出つるときも本文に拠るへし
 第二十六条 当聯合に関する経費は毎年四月十五日左の割合を以て予算となし、同盟中より醵集支弁すへし、尤も臨時増費を要する節は左の標準に照し醵出すへし、其収支決算は毎期開会の節当任幹事より報告すへし
   但不参者は本文醵集金を開会前迄に、当任幹事に宛便宜送達すへし
    五万錘以上     金七拾円
    二万五千錘以上   金五拾円
    一万錘以上     金三拾円
    七千五百錘以上   金弐拾五円
    五千錘以上     金弐拾円
    弐千五百錘以上   金拾五円
    千錘以上      金拾円
    百錘以上      金五円
 第二十七条 当聯合は其規約遵守を鞏固にする為め同盟中より信認金として左の割合を以て醵出し共同積立金となすへし
   但此共同積立金は公債証書を購入し利倍増殖の法を図るへし、而して其公債証書は確実なる銀行に預込み、其預り書は本会に於て指定したる同業者に於て保管すへし
    五万錘以上     金七百円
    二万五千錘以上   金五百円
    壱万錘以上     金三百円
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    七千五百錘以上   金弐百五拾円
    五千錘以上     金弐百円
    二千五百錘以上   金百五拾円
    千錘以上      金壱百円
    百錘以上      金五拾円
 第二十八条 信認金は公債証書を購入するの外本会の決議を経るにあらされは、一切他に使用すへからさるものとす
 第二十九条 第廿三、第廿四、第廿六及第廿七条の醵集金に対する領収証は当任幹事より交付すへし
   但其計算は毎年定期集会の節詳細に報告すへし
 第三十条 聯合会の議決に依り同盟を解散することあるときは、現在の公債証書を売却し現金となし醵集金高に割合せ各自に返戻すへし
 第三十一条 聯合金規約の旨趣に背き同業者の不利を醸すものあるときは、発覚者より之を当任幹事に申起すへし、幹事は之れか事実を審案し同盟中に通牒し、其半数以上の同意を得るに於ては其事由を新聞紙に広告し並に信認金元子の幾分又は其金額《(マヽ)》を没収することあるへし、此場合に於て壱ケ月以内に其信認金不足額を補充せしむるものとす
 第三十二条 第三十一条の場合に於て双方意見を異にするときは双方より同盟中にて二名宛の仲裁人を選抜し、其決議を以て終局とし之を他に公訴するを得す
    雑則
 第三十三条 当聯合ハ各紡績所重役支配人の姓名を改選の都度幹事に通知すへし
 第三十四条 当聯合会の議決は之を印刷に付し、当任幹事より各紡績所へ三通宛配付すへし
 第三十五条 此聯合契約は聯合会の議決を経て改正増補することを得へし
 第三十六条 此聯合契約は明治廿二年四月一日より実施すへし
   以上
自是観之当時の契約は各紡績工場の和親を保ち援護を力め、兼て職工に係る事項を規定するを以て要となしたるを知るへし、又月報の編纂は本規約第十五条に定めたるか如く此時に於て始めて起りしを見るといへとも、従来各紡績所は毎月其営業実況を農商務省へ報告し、同省は類集の上公報として之を発布したりしなり、而も明治十九年に至り之を廃したるに及ひ同業者は太く失望したりしか、於是自から進んて之か纂輯に従事し差や其憾を償ふを得たり、而して是等の諸事務は幹事之を綜弁し、局を其社内に設けたり
本規約の議定を終ふるや其鞏固を期するか為め公認を経んと欲し、一旦府吏に詢りたる上之を章款に分ち玉島紡績会社の難波二郎三郎氏携へて農商務省に出頭し稟請に及ひたるも、元来組合準則は地方小作業の発達を図るか為め設けたるものに過きす、紡績業の如き巨資にして且各地に散在するものに対しては、該準則の下に立たしむるの謂なし
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との理由を以て公認を許さゞりしかは、更らに保護を加へんことを望みたるも既に蚕業者の謷々あり、又塩田の紛紜あり、是等の関係よりして又独り紡績業者に私庇するを得すとて斥けられたりしかは、依然之を私的に止め相互一層の規励を以て、聯合の基礎を鞏固にするとの方針を取るに至り、自然の結果として聯合の精神即規約はその結合力如何を考衡するの主材となり、議事細則と共に爾後数年毎会の議案となり必らす各条を審議するの習例を襲ふたり、蓋し二十一年の総会に於て規定したる規約は暗に其試行の料たるを示し、二十二年に至り大に之を修正加除したるもの、之が俑を作りたるは明かなれとも、世人か這般金科玉条たるへき規約を随時軽々に修正するの非を論するは、聯合会の由来を解せさるに対するものにして、斯る営利上共同に至難なる団体の結果を完ふするに於て、此鍛冶を為し洗練を為すは実に已むを得さるなり


〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第一二三号・第三―一〇頁 〔明治三五年一二月〕 ◎大日本紡績聯合会沿革史(二)(DK100027k-0005)
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大日本紡績聯合会月報 第一二三号・第三―一〇頁 〔明治三五年一二月〕
    ◎大日本紡績聯合会沿革史(二)
上記の如く明治廿一年の総会は聯合会の一新紀元をつくりたるものにして、其活動の態勢よりみればむしろ之を創立と云はざるへからす、而してひとり規約を議定し一個の有力なる団体を形成したるのみならす、従来衝突勝なりし同業者をして相提携して其休戚を倶にするの感念を勃発せしめたり、有志の計るところ洵に好く当りたるは固より論なしと雖も時勢は既に実に之を促したるなり、去れは其一般の挙動として目すへきもの一二之なしとせんや、試に此年取扱ひたる事務として翌廿二年総会○三月一五日第二回総会に於て報告せられたるものをみるに、云く
 此年賦課経費は五百五円にして内三百円は幹事の報酬金なり、曰く鐘淵紡績会社及倉敷紡績所は未だ同盟に加入せす追て事務整理の上加盟すへしと云へり、云く規約は職工輩に示すへからす故に其旨を各社に通知せり、曰く「ボンベイ」糸の跋扈したるに際し各会社注意の為め報導したる事あり曰く棉花輸入税免除は難波氏報告の通と
実に棉花輸入税免除は明治廿一年の総会に於て唱導せられ、全会一致を以て迎へられ、玉島紡績所の難波二郎三郎氏之か請願委員として挙けられたり、此事や後年聯合会の心血を濺ひて之に当りたる大問題にして、其成否は幾多紡績工場の休戚と盛衰に繋るものとして、其消息に就ては終始万目益々之に属し、其記事は恐らく聯合会沿革の半面を形成せるものと言ふて不可なかるへし、而も此現象は偶然にも孟買視察員派遣の大事を胚胎したるものなれば、玆に難波氏の報告を載するのは決して無用の業にあらさるへし、云く
 予は昨年此請願一条を担当したれば、理応さに閉会後直ちに上京すへきなれとも、元来此事に就ては、渋沢栄一氏(聯合会事務上の相談役たり)東京に在りて種々配慮せらるゝところあり、且当時大蔵大臣○松方正義の当地(大阪)に出張せらるへきを聞きたれは、予は暫らく東上を見合はせ、大臣の来阪に際し山辺君と共に親しく面謁を遂け、請願の旨趣を縷述したり、大臣は東京にて既に渋沢氏より巨細聴取したる事を述へ、且曰く、事は素より同意なれとも条約上到
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底之を施し難ければ仮令上京するも益なかるへしと、乃ち再考を乞ふて請願書を手呈したり、後渋沢氏の簡招に応し廿一年十月東上し渋沢氏を介添人として、先つ大蔵大臣の屋敷に抵り大臣に謁し、輸入原棉に課税するは我国工業の発達を阻害し経済上不得策なること及紡績業者の困難なる事情等を詳述したり、大臣は其理あるを諒し自分は之を聞届くるの精神なるも、事外交に渉れば外務大臣に説き又農商務大臣に稟請するを要すと、乃ち大隈外務大臣の邸を訪ふ、大臣在らす、次官(青木子)に面したり、偶々井上農商務大臣既に来りて邸にあり、乃ち同席を請ひ、本邦紡績業の漸く進歩するに際し、外間《(マヽ)》あり競争を生し既に其端を開きたるの今日に方り、目下の困難を救済するにあらされは前途寔に測るへからさるものあるを恐る云々請願の趣旨を述へたるに、大臣曰く、此事や決して成らさるにあらすと雖とも、元来条約改正は政府の宿志にして、既に交渉着着として進捗すれは卿等の望を達せしむるの暁も亦遠きにあらさるへし、只最《(せ)》めて一両年を寛ふせよ。而して斯く同業者の公々然請願するに至りたるに就ては、支那・印度等の棉作乃至孟買地方製糸場の実況は已に調査を了したるや、現在我邦紡績業の対敵は孟買なり其実査を遂くるは焼眉の急務にあらさる耶と、予は之に答へて曰く棉花輸入税免除の請願に関してハ海関につき取調へたる事あるのみにて、夫の孟買及支那視察の事の如き疾くその必要を感したるも奈如せん同業者は能く棉質の好意《(悪)》を鑑定するを得るも、爾余の細項は容易に我々の実査を遂け得る所にあらすと、大臣乃ち告けて曰く、此任に当るへき人物ハ之を簡貸すへし、但其費用は卿等同業者に於て之を弁せよと、予は敢て其費を辞せさる旨を述ふ、大臣曰く猶ほ大隈伯に詢る所あるへしと
 斯くて該請願旨は請査《(調)》の甚た不完全なるの故を以て、付箋の上一先却下せられたり、就ては今一応精竅なる調査を遂け再願の手続を為さんと欲し、渋沢氏へ其事を依頼せしに、書辞に付聊か考案を要するものあれは数日にして事弁すへからすと、竟に他日の報を待つこととして一先帰阪せり、云々
蓋し本邦の産棉は其額極めて寡く、且其多分は農家か世間の需用如何と市価の高低とに拘はらす、単に自家の使用に供せしか為め耕植せるものにして、之を市場に鬻売するは僅に摂・播・尾・参等の数州に過す、故に我紡績業の甚た幼穉にして僅に五万錘内外を運転せる時代に於ても、内国の供給充分ならすして清国産棉の輸入を仰き補充したりしか、漸く其盛なるに従ひ内地棉を挙て之を徴用するも猶不足を感せんとせしを以て、当時既に多く支那棉を使用せり、然るに該棉は輸入税(繰棉百斤に付従量税卅九銭八厘、実綿従価約卅五銭)の為めに其価貴く、之を使用するもの多きに従ひ、紡績業者は倍々操業に困難を加へたり、左れは、免税せらるゝか若しくは減税せらるゝか、二者其一に出てられんことを其筋へ請願したるなり、然るに条約の制裁ありて容易に通過を得す、且強敵の虚実を窺知するの緊要なるを諭され、反りて孟買視察の件を衆議に諮ることゝなりしなり
後渋沢氏は大隈外務大臣に面謁し、縷々紡績業者困難の情況を陳述せ
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られたるに、大臣は曰く、昨年三軒屋紡績会社の如き巨額の利益もありたれは、思ふに今日強ひて之を減免せされは忽ち紡績業の基礎を危ふすると云ふにもあらさるへしと、氏曰く固より之あるか為め目下に於て営業を廃絶せさるへからすと云ふにあらす、偏に将来を予察して此請願を為したるものなれは、幸に支那及孟買等に於ける棉業界の調査に適当なる人物を借り得て派遣し、彼此の長短を参較せは以て我運命を定むるに難からさるへしと、大臣曰く、已むを得すんは戻し税の特典を付与すへしと雖とも、事前の要として派遣員を貸すへけれは卿等は斯業の商搉上に習熟したる者一名を撰み、倶に差遣すへしと
此の如くして明治二十二年の春農商務書記官佐野常樹氏簡抜せられて孟買派遣の命を拝するに至りたり、聯合会は此際臨時総会を開き決議して云く
 製糸競争の端を開きたる今日に方りては異日如何なる困難の場合に遭遇せんも実に測るへからす、殊に棉花税の一条たる苟も請願するからには充分なる材料を取調へ、之か基礎を鞏固ならしめさるへからさる折柄なれは、孟買製糸場実査等の為め故らに官吏を派遣せしめられんには其経費は我同業者に於て負担すへく、但幸にして官費支弁せらるゝが如きことあらは同業者中より更に一名を撰み同行せしむへし、尤も同業者の同行は其支給金額官吏と同一になすへく、又其同行派遣員を定むるには撰定委員を設け、派遣の上実査すへき事項の取調をも合せて之に一任すへきこと
と、因て印度地方棉業取調要件調査委員なる者五名を挙け、視察要項を調査せしめたり、此時視察の員に選ハれたる者は大阪紡績会社副支配人川村利兵衛氏にして、氏は夙に外遊の望を抱きたれは奮躍して之に応し、同年七月発程佐野書記官と共に視察の途に上りたり、聞く三重紡績会社々員杉村某又此行に連なり、佐野氏は玉木某を随へて之に趨きたりと、而して本件は終始秘密を以て処理せられたり
先是、大蔵大臣秘書官より、紡績業者にして棉花輸入税に就き減税の必要あり、又其減税を以て至当なりと思議せは、或は新聞に或は演説に之を主張し之を論談して憚るなかれとの忠言を了せり、然れとも聯合会は実業の団体なり、徒らに世を驚かして其雷同を估ふを屑とせさりしを以て、只臨時総会に於て再願委員を置くことゝし、重ねて之を難波氏に委嘱したり
第二回定時聯合会総会○二二年三月一五日の総会に於ては輸入棉関税免除の其議に上りたりしのみならす、猶ほ進んて輸入棉糸増税をも請願せんことを提議したりしと雖とも、未た隴を得すして蜀を望むの嫌あれは、故らに表面の請願を避くることゝなしたり
月報は此会に於て改良を加へ、雑誌体となすことを決し、幹事を以て主任となし、別に人を傭ひて其編輯に従事せしめ、又部門を会報・工報・商報・寄書・論説・問答及雑報の七に分つことゝしたり、蓋し当時紡績業者幼穉なる、原棉の豊歉、市場の虚実等内外の事情に通せさるのみならす職工の技術、器械の使用法等工務上の智識に関し闕如せるもの多々なりしかは、之か報告を得、之か鼓吹に接するは空谷の跫音啻ならさる所なりしなり、如此して生出したるものは即ち聯合紡織《(績)》
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月報にして、斯業の進歩発達に資したること鮮少ならさりしなり
当時孟買綿糸は遂次其輸入額《(逐)》を加へ、我紡績業者は勢之に頡頏して市場に其勝敗を争はさるを得さるに至りたれは、各自製糸の優劣を比較審査し互に奨励し以て優良の品を製するの資となさんと欲し、大阪紡績会社に於て各所より洋十六手和十番を蒐め、一々之を審査し其成績を公表したり、事は実に明治二十一年の秋に属す、然れとも是等製糸の優劣は各自其見る所を異にせるか為め、更に審査委員を設け之に委托するにあらさるよりは容易に判定すへきにあらさるを以て、翌二十二年五月新に糸質審査委員四名(大阪・浪華・天満・玉島)を置き、後又試験規則を設け二十二紡績所の製糸を徴し、重量・靱度・弾力・撚度・均一・装糸等に付之を審査したれとも、竪斜両針に係る製糸の差あり、且各社同番手を提出せさりしを以て採点するに至らすして止みたり
職工の争奪を防き又其罷工を制するは同業者聯合会団結の要旨なりしか、大阪紡績会社の職工両三名相拉して東京に奔り、鐘淵紡績会社に投するや、渠等は旧知の職工を誘惑し遂に両社疾視の端を作りたり、蓋し当時鐘淵会社は同盟外に在りたるを以て自在の運動を為し、能く大阪紡績会社を擾擯することを得たりしなり、尋て廿二年春に及ひ大阪紡績会社に一部職工の同盟罷工するあり、或は去りて他社に就き傭使を望みたるものありしと雖とも各社拒んて之を容れす、終に屈して皆な復還し来り無事なるを得たりと云、於是愈々職工に対する制裁の効を感したると共に、新設工場に向ひ同盟外に在るの不利を自覚せしめんと欲し、将来は同盟外の工場より職工の斡旋若くは伝習の依嘱あるも一切之に応せさることゝし、若し之に応するものあるときは犯則者と見做し相当の処分を行ひ、又到底同盟に加入せさる工場に対しては同業者として交際を絶つことに決議し、先つ勧誘状を発し最寄工場の会員をして之を齎らし且勧説せしむることゝし、鐘淵紡績会社に向ては東京紡績会社、倉敷紡績所に対しては下村紡績所之を担当せり、而して鐘淵紡績会社は此年六月を以て加盟し、随て大阪紡績会社との係争事件も平定するを得たり
棉作の奨励は、独り農商務省及大日本農会の苦慮する所たるのみならす、我聯合会に於ても深く之に注意し或は碩学に聴き、或は老農に詢り、終に試作の挙に出て、又志賀雷山氏に請て、其取調に係る棉作改良要点を頒ち実施を希望したるか如き以て証すへきなり、而も此次の総会に於て諸般の調査を遂け、兼て関係会社に対する協議委員五名を撰み、三月十八日を期し内外棉会社の斎藤美徳氏、日東棉繰会社の小池平九郎・益田友雄両氏名及大阪硫曹会社の寺村富栄・雑賀良三郎・志賀雷山三氏と相会し、問答幾則終に本会は三社と共に之か奨励方法を考究し、協戳以て実績を挙けんこと約したり、殊に大阪紡績会社の如きは心を之に留むること既に久しく、本会の施設を俟たすして支那及朝鮮より好良なる棉種十数種を徴し、府庁を経て府下各郡の農家に分与し試作せしめたると云ふ
従来本会の経費として幾んと単に幹事の報酬に止まり、其額至りて寡なかりしを以て各社を通し等分賦課したりしか、二十二年第二会総会《(回)》
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に於て之を変更し、規模の大小(錘数の多少)に比例して醵集することとし、且此の会に於て規約遵守の証として信認金を各社より徴収することゝし、後鉄道補充公債証書を購入し第一銀行へ保護願《(預)》とし、天満紡績会社をして其預証を保管せしめたり
十日会は聯合会の枝流なり、傍系なり、或点に於ては襁褓裏の聯合会と称するを得へし、而して其設立後聯合会に貢献したること少なからす、時としては原案の此処に発したるものなきにあらす、今其設立趣旨目的を掲けて其濫觴を明にするは蓋し亦無用の業にあらさるへし
 一同業者に於て事業上有益或は有害と認むる事件は、互に相忠告し懇話胸襟を尽すを主要とす
 一諸職工取扱上に付きて協議することあるへし
 一本会会話中有益の件と認むるものあるときは、聯合会に建議することあるへし
 一紡糸事業上に就き意見を有するものは、幹事の賛成を得て席上演舌するも妨なし
 一定会員臨時会員は勿論会員外の士と雖とも、紡糸事業上に経練熟達せるものあるときは幹事より臨席演舌を乞ふことあるへし
而してその第一回集会は二十二年八月十日を卜し、土佐堀新生楼に開かれ、府下の各会社役員十二名参集せり、此際地方の各社に送致せし書面に云く
 営業上の儀に付ては一ケ年に一回同業聯合会の設け有之、百般御決議に相成候得共、一地方にして甚疎遠に渉り且事業上懇談するの時機を失し候処も有之、仍て私共申合せ一ケ月一回参集可致事に決定仕候に附ては、貴社の如く遠隔にては夫而已御出阪を煩はす訳に至り兼候得共、自然御用の次第にて御出阪の運ひに御繰合相成候はゝ該日御臨席被下候様奉希望候、云々
於是月番幹事を撰み其事務を取扱はしめ、地方の各社も随時之に臨み営業上各般の商議をなしたり、殊に第四回銀水楼会合の如きは大阪硫酸会社員を招き、棉作改良人造肥料等に関して聴取する所あり、猶ほ本邦紡績業の現況及将来の方嚮を論し、又は工技商況等に付き互に質疑をなし、甚た其益を現はしたりと云ふ
当時紡績事業の勃興は世の耳目を駭かすに足るものありて、工場の簇生せること恰も雨後の筍の如く到る処に設立せられ企画せられ、又既設のものは相争ふて増築増錘したりしを以て、厚棉の欠乏に窮困を表すへきは眼前之を卜するを得へく、且競奪争取の弊は到底之を免かるるを得さるへきを恐れ、設立制限論は大阪府知事の建議に発し政府部内亦当時企業熱の他の一焦点たる鉄道布設と同しく之を制限せんとの内議あり、世人亦之を議するもの少なからす、且日本銀行は株券担保に対し資金貸出を拒むの情ありて、或は之れか発達に一頓挫を与ふるの虞なきにあらさりしか、幸に創立に属するものは多くは其建設を全ふし、又旧工場は増錘の工を竣ゆるを得たり、然れとも運転の前後一日を争ふの情勢は果然各競争の態度を取り相克の気風を激したり、未た表面規約を無視するか若き現象なかりしと雖とも、裏面に於ては約束に背くもの相踵き、定価割引の外綛糸の分量を増し丈尺を加へ以て
 - 第10巻 p.224 -ページ画像 
窃に需用者の甘心を買ふことに力めたり、恰も往年窖蔵に貯へ或は水に濡して其量目を増したると正反対なり、蓋し当時原棉は高値に糸価は低廉にして、工費を厳節し製額を増加するも猶ほ収支相償はさる厄運に際会し、新進を以て旧会社製糸の販域に闖入せんとする事実に容易にあらさるなり、而も又一面他に比して価格を低下する能はさるの事情ありて、終に敢然此挙に出てたるは甚た議すへきものありと雖とも亦私に諒すへきの情なしとせす、而して之を革正するは各社合同して量目を一定し以て同しく進むに在り、況んや外糸駆逐の重任を帯ふる斯業者に於てをや、此年十二月十日会員は大に憤りて此弊を矯めんと欲し、臨時総会の開会を請求したりしかは、聯合会は同月二十日を以て臨時会を静観楼に開き、七項の附則を協定し綛造り方を洋綛壱玉に付十封度、和綛一玉に付十三封度四分の一と定め、此定量は増減を得さるものとし、且天然の増減は定量の洋綛一玉に付一封度の三分の一(凡四十匁)、和綛一玉に付壱封度の十五分の七(凡五十六匁)を以て極度となすことゝせり、而して二十二年度の製糸売残品にして二十三年三月三十一日迄に売捌き得さるときは其重目《(量)》を改正し、同年四月以後は旧新共に改正品の外発売するを得さることとなし、其表包紙には必す「聯合改正量目」の印を捺すことゝせり、加之ならす此日席上協議を尽し棉糸一梱に付金参円の値上を為し、翌二十一日午前より実施することゝ定めたり、是れ棉貴糸賤の勢を挽回し且積日工営の失を償はんか為めに外ならすと雖も、惜ひかな大勢既に非なりしを以て、這箇の協約も製糸家の道心を喚起せしむる能はす、且査察厳ならさりしか故に私に又流弊を趁ふて之に趨りたるものなきにあらす、中流の砥柱たるは幾干もなかりしなり、殊に此頃某々両紡績会社の如き同盟外に立ちて自在に行動し、同盟者を悩ましたること少なからす、然るに聯合会の結合力微弱にして大に之を制するを得さりしのみならず、会員に対しその反省を強ゆること尚且能はさりしの実あり、於是規約の有名無実は或部分に於て屡々叫号せられたり、然れとも聯合会は固より未た特箇の事務所を設けす、又局外より幹事を迎へたるにあらす便宜上同業者を挙けて其職に就かしめたるものなれは、此際に当り法を正して之に臨ましめんと欲するも痛痒を一にし進退を共にすへき幹事の位置として、躰忍情察《(マヽ)》の其間に行はるゝは蓋し免かるゝへきにあらす、故に事往々仮借に傾き馴致の極弊根漸く深きに至りしのみ、而も又之を止を得さるに委すへからす、乃ち会員の利己心を抑へ団結を鞏ふし、併せて盟外に在る者を掣肘せんか為め規約を修正せんと欲し二十三年五月定期総会を東京に開設したるの日、委員五名を撰みて大に修正を施し、幹事の制度を廃し、委員組織となし、常任委員三名を置き、諸般の要務商量の上、法を按して之を励行せしむることゝなし又事務所を大阪紡績会社より東区今橋壱丁目に移したり、而して委員には大阪・尾張・天満の三社当撰し、更に三社互撰の結果に大阪紡績会社委員長となりたり


〔参考〕大日本紡績同業聯合会議事録 第一二七―一四六頁 (明治二十二年三月十五日開会)(DK100027k-0006)
第10巻 p.224-229 ページ画像

大日本紡績同業聯合会議事録 第一二七―一四六頁 (明治二十二年三月十五日開会)
 - 第10巻 p.225 -ページ画像 
    附録
○四月十八日午後ハ議事要項第四項即チ本邦綿作奨励ノ事ニ付、内外綿会社日本綿繰会社及ヒ大阪硫酸製造会社ニ照会シ、其社員ノ出席センコトヲ望ミタルニ、内外綿会社ヨリハ斎藤善徳氏、日本綿繰会社ヨリハ小野平九郎・益田友雄ノ両氏、硫酸製造会社ヨリハ寺村富栄・雑賀良三郎ノ両氏、及ヒ技師志賀雷山氏出会シタルヲ以テ、綿作ノ如何ニ付種々問答等アリ、且ツ志賀ハ肥料ノ事ニ対スル一ツノ談話アリシ末、本会ハ右三社ト一致シ之ガ奨励方法ヲ取調へ、相協戮シテ充分ノ尽力ヲナサンコトヲ熟議契約セリ、志賀氏談話ノ要領ハ左ノ如シ
志賀雷山氏談話ノ要領
本邦ニ於テ従来使用セシ所ノ肥料ハ、干鰯或ハ大小便其他積肥等惣テ天然製ノ肥料ノミナリシガ、是レ杜撰ノ甚シキモノニシテ経済上ナリ収穫上ナリ共ニ大イナル不利益デアル、今日ハ化学ノ作用ニ依テ諸種ノ作物ヲ分析シテ其性質ヲ知リ得ル故ニ、各種ノ作物其物ニ依テ特功肥料ヲ作ルコトハ容易ノ事デアル
彼ノ綿ノ如キハ本邦ノ産物中ニ於テモ随分重要ノ品ニシテ、之レガ培養ノ方法ノ良否ハ啻ニ農家ノ損益ノミナラスシテ、実ニ工業上ニ一大関係ヲ及ボスモノデアル、然ルニ今日ノ綿作者ハ之ヲ培養スルニ於テ最大必要ナル肥料ハ依然トシテ旧来ノ天然肥料ノミヲ用ヒテ、更ニ之ニ適合スル特功肥料ヲ用フルモノナキハ、予ノ深ク遺憾トスル所デアル
試ニ旧来ノ肥料ニ就テ一言センニ、種綿七十貫ヲ得ントスルニハ干鰯五十貫ヲ要ス、而シテ此五十貫ノ肥料ハ悉ク其養ヒノ働キヲ為サスシテ其内二三分ハ日光雨露ノ為メニ消失セラレ、又其余ノ分モ其年中ニ悉ク養ヒノ働キヲ為サスシテ今年七分ノ働キヲ為シ、四分ハ翌年若クハ翌々年ニ至テ始メテ其働キヲ為ス等ノ如キ事モアリマス、農家ニ於テ各肥《(冬カ)》ヲ為スハ甚タ不経済ノ事ナリ、冬ニ於テノ作物ナレハ肥料ヲ施スモ必要ナル事ナルヘケレトモ、冬ハ作物ノ時季ニアラサレハ其時季ニ於テ肥料ヲ施スハ無益ノ事デアル、而シテ従来各肥ヲ為シ来リシ訳ハ如何ト云フニ、冬季ニ施シタル肥料ガ春ニ至テ作物ノ芽ヲ出ス頃ニ土地ノ為メ日光雨露ノ為メ変化セラレテ、始メテ其効ヲ為スガ故ニ前以テ即チ冬期ニ於テ肥料ヲ施シ置ク事デアルガ、是レハ真ニ無益ノ事ニシテ不経済ノ極デアル
今特功肥料ハ是等ノ不経済ヲ去リ、其特種ノ産物ニ適合スル養ヒヲ与フルモノナリ、凡ソ肥料ニハ窒素ト燐素ト「ポツタース」ガ必要デアルガ、其産物々々ニ依テ其レ其レ其要スル原素ノ分量ニ多寡ガアルナリ、然ルニ彼ノ干鰯ノ如キハ窒素ハアルモ燐素ハ少ナク、「ポツタース」ノ如キハ殆ント皆無トモ云フベキモノナレハ、若シ綿ニシテ「ポツタース」ヲ要スル事多ケレハ窒素ヤ燐素ハ左程必要デモナキニ、多クノ干鰯ヲ与ヘテ始メテ其効ヲ為スカ如クニシテ、他ノ二素ニ価スル部分ハ全ク無益ノ事ニ費消スル道理ナリ
特功肥料ハ之ニ反シテ窒素ナリ燐素ナリ「ポツタース」ナリ其要スル部分ニ応シテ適宜ニ配分シテ無益ノ費用ヲ省ク事ヲ得、尚ホ其作物ノ性質ニ恰当スルガ故ニ随テ収穫モ多ク得ラルヽノ益アリ
 - 第10巻 p.226 -ページ画像 
右ノ如ク特功肥料ハ農家ニ利益アルモノナルモ、因襲ノ久シキ未タ全ク之ヲ用フルニ至ラス、之ヲ使用スル方法ニ付テハ親シク農家ニ就テ説明スルヲ要ス、故ニ今日諸君ヘノお話ハ大抵之ニテ止メ置カン、尚特功肥料ノ説明書印刷ニ付シタルモノアリ、之ヲ諸君ニ呈スベケレハ就テ一覧セラレンコトヲ望ムナリ
      ○
同十九日農商務省工務局長前田正名氏臨場セラレタリ
 但コハ開会ノ当日議事要項第一及ヒ第二項ヲ協議スルニ方リ、右前田工務局長ノ京坂地方ニ漫遊セルヲ聞キ得タレハ、ボンベー地方綿業視察派遣官吏ノ経費ハ成ルヘク官費ヲ以テ保支セラレ度、左スレハ同業者ヨリ更ニ壱名ヲ同行セシムヘク、又聯合会規約ハ全国中ノ同業者中悉ク一致団結スルニアラサレハ、其実効ノ大ナラサルヲ以テ此等ノ事情ヲ縷述シ、且ツハ当聯合会ノ実況ヲモ一見セラレンコトヲ希望スルノ精神ヲ以テ其来場ヲ請求シタルニ依ル、而シテ其対話ノ要領ハ左ノ如シ
前田正名氏対話略記
(前田氏)自分ハ此程病気保養ノ為メ京阪地方ヘ遊歴シ来リシガ、今日幸ニ諸君ニ面語スルヲ得タルハ、自分ノ満足スル所ナル旨ヲ陳ブ、(岡田氏)本会ハ全国紡績所三十ケ所ノ内二十五ケ所来会シ居リテ目下聯合会ノ開会中ナリ、昨年同業者総代トシテ難波氏上京シ、本会規約公認ノ儀ヲ農商務省ニ出願セシモ其運ヒニ至ラス、其儘預リトナリ居ルモ今日ニテハ全体公認セラルレハ甚タ便宜ヲ覚ユルナリ、段々此業モ発達ノ望ミアレハ政府ニ向ヒ稟請スヘキコト等モアルベケレバ、貴官ニ於テモ其御含ヲ願ヒタシ、(難波氏)綿花減税並ニ規約公認請願ノ手続概略ヲ陳ヘン、紡績事業ノ盛大ナルニ随ヒ内地ニ産スル綿ノミニテハ不足ヲ感スルヲ以テ、今日ニテハ多ク支那綿ヲ使用スルナリ、然ルニ支那綿ハ輸入税ノ為メニ其価高クナリテ紡績業ニ従事スル者ハ甚タ困雑ナリ、故ニ輸入税ヲ免セラルヽカ将タ減税セラルヽカノ儀ヲ農商務省ニ出願セシニ、同省ニ於テモ種々協議アリシモ何分今日ノ条約ニテハ急ニ其運ビニ至ラザル故暫ク見合スヘキ旨ヲ諭サレ、尚ホ此業ノ強敵タルハ東洋ニテハ印度ノ「ボンベイ」ナレハ、同所ヘ人ヲ派出シテ充分ニ其事情ヲ探ルコト肝腎ナレハ、政府ヨリモ派遣スルニ付同業者ヨリモ一人派遣スルコトトスレハ大ニ都合宜シカルべク、免税ナリ減税ノコトモ其辺ヲ調ヘテ其上ニ協議スヘシトノ御諭アリタルヲ以テ、本会ノ定期ハ全体四月ナルヲ本年ハ之ヲ引上ケテ本月開会スルコトト相成リ、即チ「ボンベイ」ニ派遣スル人ヲ撰定シ又其費用等ノ協議モ致ス次第ナリ、而シテ政府ヨリ派遣セラルヽ人ノ費用ニ付テハ可相成官費支払ノ儀ヲ願ヒ置キシカ、貴官ニモ其辺御含下サレ可然御尽力ヲ願ヒタシ、又規約ノコトモ十四年ヨリ昨年迄ハ私約ニ依テ成リ立チ居ルモ、追々同業者ノ増加スルニ従テ、加盟スルモノトセザルモノトアリテ万事不都合ノ事モ有之ニ付、組合準則ニ従テ本会ノ規約ヲ公認セラレンコトヲ願ヒ出テシモ、組合準則ハ地方々々ニ依テ異ナル所モアレバ今日直ニ採用スル訳ニハ行カズ、併シ願書ハ兎ニ角政府ヘ預リ置クトノコトナリシカ、今日ニテハ公認セラルレハ誠ニ都合宜敷事
 - 第10巻 p.227 -ページ画像 
ナリ、本会カ今日規約ヲ為ス精神ハ職工ノ同盟罷工ヲ防ガンガ為メナレハ、同業者中ニテ加盟セサルモノアリテハ其取締方等ニ頗ル不便ヲ感スル故、可相成同業組合準則ニ依テ公認セラルレハ便利ニ思フ次第ナリ、(岡田氏)内地綿作奨励ノ為メ昨日モ日本綿繰会社・内外綿会社並ニ肥料ヲ製造販売スル大阪硫酸会社ト協議シ、聯合シテ奨励スルコトニ決セシカ、農商務省ニ於テモ綿作ノ事ニ付テハ随分御尽力ノコトヲ願ヒ度、尚又目今聯合ニ加入セサルモノハ東京鐘ケ淵・備中倉敷ノ二紡績会社ナリ、先キニ難波氏ヨリモ申セシ如ク、我々ノ憂フル所ハ職工ノ同盟罷工ニ在ルコトナルガ旧工場ニテハ可成職工ヲ新工場ニ取ラレマジト思ヒ、又新工場ハ職工ガ是非必要故ニ自然利ヲ以テ誘フ等ノ風アリテ、動モスレハ、職工ノ取リ合ヒニ競争ノ端緒ヲ開クコトアリ、同盟ニ加入スレハ職工ノ入用ナルトキハ其レ々々其方法モ付ケアル故、利ヲ以テ誘フ抔ノ事モナク至極平和ニ都合相付クコトナリ、然ルニ目今右ノ二会社ハ本会ヨリ加入ヲ勧告セシニモ拘ハラス今日迄加入セズ、時ニ職工ノ事ニ付テ彼是迷惑ノ事モアリ、殊ニ今日ハ印度等ノ大敵モアリテ本邦ノ同業者中紛議抔アリテハ由々敷事故、可相成一統ニ同盟スル方得策ト思フニ付右二会社モ速カニ入会スル様御尽力ヲ願ヒタシ、(前田氏)委細承知セリ、(山辺氏)御参考迄ニ申上置カン、工事モ追々盛大ナルニ随テ器鑵ノ使用モ増加スルコトトナリ、随テ危険モ亦大ナレハ取締規則ヲ制定セラルヽ様相成タシ、去年大山次長来坂ノ節モ此事ヲ申上ケシニ大ニ賛成セラレ政府ニテモ其事ハ目下取調中ナル赴ヲ話サレタリ、又昨冬「ワグネル」氏来坂ノ節ニモ右ノ赴ヲ申セシニ、同氏モ自分ノ其役人ニハアラサルモ当路者ニ申立ヘシト、是又大ニ賛成セラレタリ、何分滊鑵ノ使用増加スルニ随テ此ノ使用ニ充分ノ注意ヲ為サヽレハ非常ノ危害ヲ被ムルコトアリテ、現ニ此程モ金沢ニテハ之レガ破裂ノ為メ若干ノ死人モアリシ由ナレハ、可相成速ニ取締ノ規則ヲ発布セラレンコトヲ望ム旨ヲ述ブ
是ヨリ前田氏ハ本年ノ集会ハ何回目ナルヤ、同盟者ノ増減及ヒ出会スルハ各社共ニ進ンテ出会スルカ、将タ所謂付合ニテ出会スルヤ抔ノ質問アリ、岡田氏ハ之ニ答ヘテ本年ハ第七回目ニシテ同盟者モ追々増加シ、各社共ニ進ンテ出会スル旨ヲ述ベリ
(前田氏)本日ハ前ニモ申セシ如ク職務上此地方ヘ来リシニアラス、随テ本会ヘ臨シモ職務上ニテハナク、前田正名ト云フ一己人ノ資格ナレハ別ニ彼是ノ談話致サス、只諸君ニ一言致シ置クコトアリ、今ヲ去ル四十年程以前、或ル君侯カ洋書三冊ヲ出シテ日本ノ生血ヲ吸フモノハ此モノナリ、何レモ之レニ充分ノ注意ヲ為スヘシト言ハレタルコトアリシ、此君侯ハ口ニアべセモ唱フル能ハサル処ノ人ナリシ、而シテ後ニ至リ其書ヲ見タリシニ、紡績器械ノ事ヲ書キシ処ノ書物ニアリシナリ、諸君紡績事業ニハ綿ハ最モ必要ナル原料ナリ、而シテ日本ニ於テハ殊ニ綿作ニハ注意ヲナサヽル可ラス、二十五年前ニ薩摩ノ船カ下ノ関ニ於テ綿舟ヲ砲撃セシコトアリシカ、当時ニ在テハ日本ノ綿ハ外国ヘ輸出セシナリ、然ルニ今日ハ如何、実ニ諸君ノ如キ紡績事業ニ従事スル人ハ幾重ニモ注意ヲ為サヽレハ意外ノ結果ヲ見ルコトモアルヘシ、彼ノマンチヱスターノ今日ノ有様ハ実ニ同地ノ人々ノ心配スル所
 - 第10巻 p.228 -ページ画像 
ナリ、綿作ノ事等ニ就テモ惣テ諸君カ熱心ニ骨ヲ折リ農商務省ノ指図ヲスルガ如クセサレハナラヌナリ、先刻山辺氏カ滊鑵ノ事ニ就テ述ヘラレシガ如キハ自分ハ最モ喜ンテ聞ク所ナリ、従来ハ何ニテモ政府ヨリ種ヲ蒔カサレハ民間ニテハ何モ為サヽル様ノ姿ナリシモ、今日トナリテハ民間ヨリ政府ニ向テアレハ斯クスヘシ、コレハ爾カ為スヘヘ《(衍)》シト云フ風ニセサレハナラヌナリ、故ニ諸君ニ於テモ充分此辺ニ注意セラレタシ、本日ハ諸君ニ面晤シテ種々ノ談話ヲ承リタレハ帰京後ハ逐一大臣ニモ上申スヘシ、此後トテモ遠慮ナク申述ヘルコトトセラレタシ、本日ハ他ニ赴クノ約束モアレハ此ニテ失礼セン、尚ホ明日午前ハ旅宿ニ居ル故談話アレハ勝手ニ訪問セラレタシ
右ニテ前田氏ハ帰寓セラレ引続キ議事ニ取掛レリ
      ○
同日三井物産会社倫敦支配人渡辺専次郎氏来場セリ、同氏ハ十年前ヨリ同社英国支店ヘ勤務シ紡績器械等購求方ニ従事シ、今般帰朝ノ途次印度ボンベー地方綿業視察ヲ遂ケ昨日神戸ニ来着セラレタル由ノ報ヲ得タルニ付、之レガ来場ヲ請フタリ、而シテ同氏ハ左ノ談話ヲナセリ
渡辺専次郎氏ノ談話
諸君余ハ長ク英国ニ在リ今般帰朝ノ途次、今朝神戸ヘ着セシニ会長副会長ヨリ本会通常会開会ノ為メ集合セラレシ諸君ヘ「ボンベイ」紡績事業ノ有様ヲ語レトノ厚意ニ接シ、即チ今夕此処ニ於テ諸君ト面会ノ栄ヲ得タルハ余ノ深ク感謝スル処ナリ、而シテ今夕ハ匆卒ノ際故別ニ腹案モナク又日誌ヲ携ヘサル故充分諸君ノ満足ヲ買フノ談話ハ為シ得ラレスシテ只其概略ヲ陳ヘテ諸君ノ清聴ヲ汚サントス、幸ニ諸君之ヲ諒セラレヨ
余ハ実業家ニアラスシテ一商人ナリ、而シテ余ハ英国ニ在リテ紡績器械ノ買入注文ヲ受ケ、又諸君ヨリ派遣セラルヽ技師等ニ交際シテ紡績事業ノコトヲ聞キタレハ多少素人ヨリハ詳シクナリタル様ナリ、而シテ余ハ何トナク紡績事業カ可愛ユクナリタリ、即チ紡績事業ハ日本工業ノ一大部分ヲ占メ将来拡張シテ国ヲ富マスノ財原タルコトヲ信シタリ、其レ故今般帰朝スルニ付テモ東洋ニ於テ紡績事業ノ盛大ナル「ボンベイ」地方ヲ経テ帰国スルノ念慮ヲ発シタルナリ
近来太糸ハ主トシテ「ボンベイ」ニテ作リ、英国モ之ニ一歩ヲ譲ルコトトハナレリ、是ヨリ先キ英国ニ於テハ何故ニ「ボンベイ」ガ太糸製造ニ於テ英国ヲ凌駕スルカトノ問題起リ、「マンチヱシター」ノ商法会議所ニ於テハ委員ヲ設ケ、同地ノ紡績諸会社及ヒ印度ノ紡績会社ニ関係ノ人々ヲ集メ之ヲ取調ヘタルニ、其取調書ハ遂ニ一大冊子ヲ為スニ至レリ、而シテ其取調ノ結果英国ハ十八乃至二十手ノ綿糸ニ於テハ遂ニ印度ニ及ハサルコトヲ発見セリ、其ハ第一原料タルノ印度ニ多キコトナリ、即チ「マンチヱシター」ノ十八乃至二十手ノ原料ハ主トシテ印度ノ綿ナルヲ以テ印度ヨリ英国ニ綿ヲ積送ル運賃ト製糸ヲ英国ヨリ東洋ニ舶載スル運賃ニ於テ大ナル差異アルヲ以テナリ、此ノ如ク英国ハ太糸ニ於テハ印度ニ敗ヲ取リタリ、然ルニ今日日本ニ於テ一大強敵タルモノハ印度ニシテ印度ニ打勝テハ無論仮令打勝タサルマデモ之ト相拮抗シテ行ケハ、日本ノ為メニハ大ナル利益ナルヲ以テ印度ノ
 - 第10巻 p.229 -ページ画像 
紡績事業ヲ視察スルハ極メテ必要ナルヘシト思考シ、即チ印度ヲ廻覧スルコトトハナシタリ
日本ト印度トノ比較上取調フベキ要点ハ大概ニ左ノ四項ニ外ナラスト思フナリ、第一原料即綿花ノ事、第二石炭ノ事、第三工場家屋土地ノ価格、第四職工ナリ、此等ノ取調ニ付テハ今充分ノ記臆ナキ故御所望ナレハ詳細ニ取調ヘテ後日御話致スモ可ナリ
サテ余ハ印度ヲ廻覧シテ第一ニ驚キタルハ工場ノ大ナルコトナリ、印度ニ在テハ小ナルモノモ一万錘以下ノモノハナシ、余ハ或ル工場ノ持主ニ向テ(此持主ハ一人ニテ七個ノ工場ヲ惣括シ居リ随分盛ニ営業シ居ル人ナリ)錘数大抵幾何位ニテ引合フカヲ尋ネシニ、其人ハ答ヘテ少クトモ三万錘以上ニアラサレハ、輸出ノ競争ハ出来サルヘシト言ヘリ、余モ熟ラ思フニ錘数ハ仮令二千三千ナルモ又一万乃至三万ナルモ為メニ役員ヲ別段ニ沢山入ルコトモナク、又機関ニシテモ二千馬力モ五千馬力モ左迄監督ニ差異ノアルヘシトモ思ハレサレハ、日本ニ於テモ可成大工場ヲ設ケテ充分ニ骨ヲ折ラサレハ迚モ印度ト対等ニ争フコトハ出来マシト思フナリ、「ボンベイ」ニアル諸工場ノ錘数ヲ総合スレハ大約五百万錘ニモ及ブトノコトナリ、利益ハ「ボンベイ」ハ二割位ニシテ日本ニ比シテ割合少ナキカ如クナルモ其実三割位ニ相当スル由ナリ、其ハ機械原価消却ノ為メ平均七分五厘乃至八分ヲ引キ去リテ積立トナスカ故ナリト云フ、故ニ例ヘハ五ケ所ノ工場アリトセハ其工場ヨリ積立ツル金ニテ別ニ資本ヲ要セス、新ニ一ノ工場ヲ建築スルヲ得ルガ如キ仕組トナシ居ルナリ
機械ノ寿命ハ英国ハ大抵十二年印度ハ十年位ナリ
資本ハ重モニ株式ナリ
職工ノ給料ハ英国ト印度ト比較シテ一ト三トノ如ク、即チ英国ハ高クシテ印度ハ廉ナリ
職工手間ハ英印共ニ大抵同一ナリ
工費ハ英国ト印度ヲ比較スルニ先ツ二十手ヲ標準トシテ、英ハ二片三分五厘印度ハ二片六分三厘位ノ割合ナリ
又印度ニ於テ製糸ノ高ハ十一時間ニ二十手三十一匁ナリ、印度ニ於テ石炭ノ価ハ一頓三十二志位ニシテ綿ハ一斤五片位ナリ
右ハ誠ニ雑駁ノ談話ニシテ諸君ノ清聴ヲ煩ハシタルノ罪甚タ深シ、幸ニ宥恕セラレンコトヲ希望ス


〔参考〕本邦綿糸紡績史 (絹川太一編) 第二巻・第一〇一―一〇三頁 〔昭和一二年九月〕(DK100027k-0007)
第10巻 p.229-230 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕本邦綿糸紡績史 (絹川太一編) 第三巻・第一九三―一九八頁 〔昭和一三年四月〕(DK100027k-0008)
第10巻 p.230-232 ページ画像

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〔参考〕本邦綿糸紡績史 (絹川太一編) 第四巻・第三七九―三九一頁 〔昭和一四年二月〕(DK100027k-0009)
第10巻 p.232-237 ページ画像

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