デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
4款 大日本紡績聯合会
■綱文

第10巻 p.442-447(DK100040k) ページ画像

明治27年8月(1894年)

第六帝国議会ハ綿糸輸出税免除法律案ヲ可決シ、是年五月二十五日政府ハ法律第四号ヲ以テ之ヲ公布ス。因リテ是月当聯合会委員長佐伯勢一郎ハ栄一ニ謝状ヲ贈リタリ。


■資料

官報 第三二七〇号 〔明治二七年五月二六日〕 ○法律(DK100040k-0001)
第10巻 p.442 ページ画像

官報 第三二七〇号 〔明治二七年五月二六日〕
    ○法律
朕帝国議会ノ協賛ヲ経タル綿糸輸出税免除法律ヲ裁可シ玆ニ之ヲ公布セシム
  御名 御璽
   明治二十七年五月二十五日
            内閣総理大臣 伯爵 伊藤博文
            大蔵大臣      渡辺国武
法律第四号
外国ニ輸出スル綿糸ハ明治二十七年七月一日ヨリ海関税ヲ免除ス


青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第一〇一一頁 〔明治三三年六月〕(DK100040k-0002)
第10巻 p.442-443 ページ画像

青淵先生六十年史(再版) 第一巻・第一〇一一頁 〔明治三三年六月〕
  第十九章 綿糸紡績及織布業
    第一節 緒言
○上略
     謝状
拝啓、綿糸輸出棉花輸入両関税免除ノ儀ハ紡績事業発達上必要ノ急務ト存シ、先年来政府及ヒ帝国議会ヘ請願仕候処、此ノ挙ニ御賛助被成下、始終不一方御尽力ヲ蒙リ、今回終ニ綿糸輸出税免除ニ相成候ハ、全ク兼テ御高慮ヲ煩ハシ候次第ニ是レ由ルト深ク感謝ノ至ニ不堪、我
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カ同業者ニ於テハ永久記臆シテ敢テ忘却スヘカラサル儀ニ御座候、依テ玆ニ臨時聯合会ヲ開キ、満会一致感謝ノ意ヲ表シ候早々頓首
  明治二十七年 月
           大日本綿糸紡績同業聯合会
             委員長 大阪紡績会社代 佐伯勢一郎
    渋沢栄一殿


大日本紡績聯合会月報 第一三一号・第一二―一四頁 〔明治三六年七月〕 ◎大日本紡績聯合会沿革史(八)(DK100040k-0003)
第10巻 p.443-444 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第一三一号・第一二―一四頁 〔明治三六年七月〕
    ◎大日本紡績聯合会沿革史(八)
○上略
外国に輸出する棉糸は明治廿七年七月一日より海関税を免除すとは、同年法律第四号に掲けられたる文字なり、是れ夫の輸入棉花免税案の若く聯合会の全力を傾注したる所にあらすと雖も、亦実に我製糸販路の通塞に関する重大件にし《(て欠)》、同業者の体戚は繋りて玆に在たれは、廿四年十一月以来委員は辛苦斡旋寝食を忘れ奔走懈たらす、漸く五次の議会を閲して其夙望を達するを得たり、今其公布に至りし順序を略記せんに、此年○二七年五月第六議会の開会せらるゝや、之に先ちて委員は東上し夫々部署を定めて運動に着手せしか、幸に棉糸輸出税免除法律案は政府より衆議院に提出せられたり、時恰も上奏案に対する各党間の紛争あり通過の望み幾んと絶へたりしに、忽然廿二日の議事日程に上り即時議了し、貴族院に回付せらるや亦一気通過し了り、終に二十五日を以て公布せられたるなり、政界擾々会期僅に三週日にして議案山積の間に斯る索然たる実業的法律案の通過したるは、寧ろ異数とすへきなり、是れ全く委員諸氏の尽力に由ることゝして之に慰労する所あらんとし、又夫々幇助賛翼したる諸氏に感謝することゝなし、朝野政事家、貴衆両院議員、商業会議所、新聞記者其他実業家等壱千余名へ謝状を送りたり、然るに棉花輸入免除法案は空しく亦衆議院特別委員の卓上に横はりて、遂に議事に上るを聞かさりしは遺憾なり
該法律の公布は聯合会をして臨時総会を開き規約を改正増補せしめたり、即ち輸出棉糸は製品を精良にし量目及荷造を一定し、商標を貼し更らに聯合会より交付する中札荷印を用ひしめ、且其撿査を厳密にし常務委員の顧問として評議員及予備員を置ひて傍ら其撿非に当らしむることゝなしたり、是れ日本棉糸の声価を昂け少なくも之を保護せんか為めにして、其俵装の如きも従来の莚包を廃して麻布又は棉布を用ゆることゝせり、是れ実に明治廿七年六月なりとす、加之ならす聯合会は此年八月奥田正香・俣野景孝・野田吉兵衛の三氏をして上京せしめ、日支間の棉糸運賃を孟香間の同運賃に準して低減せんことを日本郵船会社へ交渉する所あり、又孟買に於ける棉業事情を知悉し以て戦備を整へんと欲し、同地に於ける棉花の市況其他棉糸紡織の状況、其他棉作の豊凶等時々の報告を時の領事呉大五郎氏に懇嘱し、爾来陸続其報を獲て大に其真相を識るを得たり
棉糸輸出税免除の結果として表現したるものは其輸出額の激増したるに在り、従来孟買棉糸は清国朝鮮等市場の大勢を左右し、取引慣習一に彼れの為に傚はさるへからさる等全然その専有に帰したれは、我の
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此間に驀進する勢は乃ち猛なりと雖も、恰も浮蝣の樹を憾かさんとするに似て何等の刺撃も与ふるを得さりしなり、即ち廿五年に於て三万斤を輸出し廿六年に至り三十余万斤に上りしも、畢竟支那織布局の火災に罹りたるの不幸に乗したるに過きすして、其糸号は皆十六手にして専ら上海附近の消費する所に係り、未た品質の優劣嗜好の如何を窮査して此事実を孕胎したるにあらす、去れは孟買糸の清国に向け百有余万担を販売せる一大得意場に輪贏を決する如き勢力を有せさりしなり、然るに廿七年に至りては忽然其額を増して三百五十六万八千八百六十八斤に達し、其原価も九十五万五千五百三十円に及ひ前年に比しては、数量に於て百一割九分九厘を増し原価に於て百五十一割四分七厘を増加せり、亦驚くへきにあらすや
蓋し本邦糸は糸質純白にして且光沢を有し、其外観美麗なるか為め自然需要者の好評を博したるを首とし、孟買より上海に輸入する運賃と本邦よりする運賃、孟上間一俵一円九十銭に対し神上間は七十銭内外なりしを比すれは本邦の方低廉なるを以て、需要者の購収に便なること及ひ印度に於て貨幣制度を改定せし以来、為替相場に変動を惹起し偶然にも彼は不利益の位地に立ち、我は却て好都合たりし事(孟上間は元と二百二十留比内外のもの凡百八十九留となり、又我々は神上間に墨銀と円銀との差益ありたり)等諸多の因由ありて此の結果を来したるは疑なしと雖も、其主因は輸出税の免除により其価格低廉となりしによるは争ふへからす、試に輸出免除法律実施日即ち七月一日以後下半季と其前上半季とを比較すれは、約三百万斤の差額あるを見る、今上下半季別比較表を取り前年に比して其実況を表すれは左の如し
  ○統計表略ス。
即ち我棉糸は関税免除の為め、一梱に就き十六手棉糸は殆んと四円の低価に当りたれは、孟買糸と同格乃至低廉となり競争上販路の拡張を促かすに至りたり、今当時(廿七年五月)某実業家か上海に於て調査したる日孟両糸十六手の原価を比較したものを掲くれは左の如し
  ○統計表略ス。
是に因りて之を観れは本邦糸は孟買糸に比し、一梱に就き四円六十二銭九厘の低廉に当る算当なれとも、実地混棉の巧拙製糸の良否時価の昂低等に因り異動あるを免れす、之を約四円の低廉と見て大差なかるへし、於是従来価格上の弱点は全然之を脱却したりと云ふも不可なかるへし


大日本紡績聯合会月報 第一三二号・第九―一二頁 〔明治三六年八月〕 ◎大日本紡績聯合会沿革史(九)(DK100040k-0004)
第10巻 p.444-447 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第一三二号・第九―一二頁 〔明治三六年八月〕
    ◎大日本紡績聯合会沿革史(九)
明治廿三年十一月の臨時総会に於て准会員の加盟を承認したりしより玆に数年、只本会と共に或事に対し運動を一にせんとの主意に出て其来盟迎へたるものなれは、規約上の制裁も本会員に比しては自から寛厳の度を異にし、曩に経費の賦課に就き其率を更めたることあるのみにて、信認金の如き依然徴収する所なかりしか孟買棉花回漕以来は准会員も漸次増加し、規約に対する関係も漸く密となりたるに方り、夫の特約同盟者に対しては既に弐千円の信認金を徴し、背規の場合に
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は之を没収し又経費不納の時は之を控除する等の規定あるに反し、准会員に此事なきは頗る権衡を失ふの処置たるを免かれさりしかは、是に於て賦課率会社組織のものは五千錘、一己人のものは二千五百錘の割に準して経費を課し、又信認金を徴することゝなしたり
棉花輸出税《(糸)》は既に免除せられて一難関を通過するを得、此勢を以て推せは輸入棉花税も亦甚た遠からすして免除を得るの望なきにあらす、為めに紡績業者の経営に利便を与ふること大なるへきを想ふと雖も、是等の免除に由りて得る所の恩恵は畢竟需要者に帰し、紡績業者は纔に其停滞品を薄くすると言ふに過きすして直接に利益する所あるにあらす、然るに孟買航路の如き一朝故ありて郵船会社の之を辞するあらは、其影響する所関税免除の比にあらすして同業者は正に砭骨削肉の苦痛を免れさるへく、政府たるものは当にその国家的事業たるの本面目に顧みて相当の保護を加へ、其航運を保続せしむるのみならす之を拡張し、以て欧西にも其航路を延長せしめさるへからす、況んや郵船会社は毎航多少の損失を忍ひて勉強怠らさるおや、我同業者の警敏にして且仁恕なる之に向ひて策する所あり、発して航路拡張の請願となり其運動方法其他は凡て新請願委員に付托することゝなしたり、此際新請願委員として当撰したるものは、金巾・東京・倉敷・三池・浪華・鐘淵・尼崎・大阪の八紡績会社と三井物産及日本棉花の両准会員にして其代表者は、田村正寛・田村利七・小松原慶太郎・俣野景孝、野田卯太郎・朝吹英二・亀岡徳太郎・佐伯勢一郎・端善二郎・佐野常樹の諸氏なりとす
東京出張所は前年十一月十六日京橋区采女町に移したりしか、廿七年五月之を廃し別に書記壱名を常置し、仮りに其事務を執らしめたり、之と同時に神戸市栄町通二丁目に出張事務所を設置し、孟買棉花の回漕に関する事務を取扱はしめ又長崎港に於ける三井物産会社支店及松尾巳代治の両准会員に其取締を托し、横浜港の輸入棉花に対しては井上・松下の両回漕店に嘱付して之を監せしめ、一面孟買港に於ては准会員の派出者及取引先棉商をして回漕事務所を設置せしめ、棉花の積出及輸入に就き内外相応して調査を厳にし以て反対者の侵害を防遏したり
此頃韓国東学党の乱は一変して日清の交戦となり、我兵馬の嚮ふ所草木風靡して八道を掃蕩したりと雖も、遼東は旺に戦塵を揚け黄海波最も穏ならす、北清の人心恟々として貿易更に振はす棉糸需要の漸減は上海に影響し、同地の商況日を逐ふて不振に陥りたり、元来我国棉糸は輸販決議以来上海市場に輸出せるもの少なきにあらすと雖も、兎角断続して在荷空乏を告くること多く孟買糸の常に幾万俵を積むものと同日の論にあらす、而して其太手物は支那糸と相距る遠からす、又二十手は其価格孟買糸に劣らすして地位決して不可なるにあらすと雖も従来区々たる値違ひに拘泥し限りある需要を争ふに止まりしは事実なり、然るに支那紡績所の設立漸く其多きを加ふるや、其製糸保護のため上海南市を通過する外国棉糸に対しては落地税と称し、四十玉入壱俵に付庫平銀一両二匁五分を徴収せるを以て、此等内地需要を専とせる日本糸は最も其影響を蒙り、本来右撚にして売先の広からさる纔に
 - 第10巻 p.446 -ページ画像 
得たる販路も亦支那紡績所製糸の為めに掠めらるゝを免れす、真に汲汲乎として危かりしなり
抑も支那糸の我製品の上に位する既に切歯に堪へたり、況んや孟買糸の山積に対し、我の蟻蛭然たる其貌視を受けて心中快からさるものあり、只た諸般の障害の為め輸出意の如くならさりしも、到底我製糸は孟買糸と此処に接戦するの運命を逭るゝ能はさるを以て、印度糸同価迄の覚悟を以て堂々相争ふにあらすんは免税の恵を没却するに近く、且つ当時内地の不況俄然として臻り糸価低落して製品停滞し、再ひ明治廿三年に等しき困難に逢着せんとするの状ありたれは、同業者は固より姑息苟安以て逐日沈淪を深ふ《(す脱カ)》へきにあらすとなし、之に加ふるに日清戦争は正に酣なりと雖も、輸出の途は全く閉塞せるにあらされは当面の救治策は寧ろ海外輸出にあるを想ひ、委員長は香港輸出計算書を添へ各社に移檄慫惥する所ありたり
而して又当時金融は非常に逼迫し工業の前途憂慮に禁へさるものあるを以て、八月十七日常務委員及孟買委員は相会して救急の方策を商議し、陳情委員として浪華・天織及尾張の三社長を挙け財界逼迫の状況より工業上に蒙る因弊を其筋に陳疏し、金融潤沢の途を開かんことを請願せしめ、当路の同情を以て日本銀行の貸出に渋滞せさるの幸を得て、纔に難関を通過したり
抑も清国輸販の策は夙に画定する所ありしも、同業者の挙動一斉に出つるを得すして箇々に送荷せしのみならす、往々時価に制せられて趨舎に惑ひ対岸の好市場も閑却して我か旋舞の地たらす、且我内地棉糸の需用は多年の経験により其大約の数量を算定し得たるに加へ、経済上の変動究りなく棉業者の進退は製額の増減により、往々柄鑿を免れすして窮通且夕に変し経営容易ならす、蓋し此の局縮せる天地に大工業の形骸を托す、固より其所にあらす、況んや産業奨励の為め画せられたる金利の低下は、復ひ資本家を駆りて、紡績業に投資せしめたれは、増錘の額は既に数十万に上りたるをや、滞糸は是より益々多額ならんとすれは.必す他方に大溝渠を索めて之に灌漑せさるへからす、乃ち委員長の移檄は同業者一般の同感を惹き、天満外五会社より棉糸特別輸出手続を提案し、臨時総会を請求せられたるを以て竟に十一月一日を以て大阪商業会議所に開会し、該提案は修正委員を撰みて其標準を按定せしめ、首尾四条の決議をなし同業者は撚糸及自家織布用を除くの外、各自毎日の製出高百分の五以上の棉糸を輸出するものとなし、又其決議執行の為め規約第四十九条に但書を追加し、常務委員は或期間場所又は物品を限り本条の執行を停止することを得るの権限を規定したり
従来清国商館より貨物の買入を為すときは総て看貫料として五厘金を徴せらるを常とせり、是れ謂れなき料金にして素より手数料として之を視る能はす、実に不正不法の弊習なりしかは我棉花商は首として之を廃除せんことを企て、聯合会に稟告する所ありたり、聯合会は之を容れ此次の総会に於て「五厘金排除に関する規則」として提案し、畢竟向後直接間接を問はす清国人より棉花を買入るときは之を支払ふへからす、若し之に違ふときは百斤に付金七十五銭の科料を本会に納付
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すへきことを議決し、尋て支那貿易に関係ある団体及開港地商業会議所に通牒して之か排除を誘導したり、而して之に応するもの頻々遂に此陋弊を各般商事より斥くるを得たり
既に韓国は暴清の藩属を脱して独立の実を収め、維新中興旧慣一切に廃滅し百度並に釐革し朝野心を我に傾く、乃ち我国威の振ふ所商権亦扶植せられ、多年の宿望たる東洋の商権把握の一端は将に此半島国より啓かれんとし、我棉糸棉布の販路も此際一変するの景象なきにあらす、然るに我国織布の業未た甚た盛ならす、随て製糸の大部分は之に加工せすして売捌かさるを得さる有様にして、正に販路の壅塞に困頓したる際なれは、現下に於て先つ之か開通を計らさるへからさるに加へ、将来の状勢を察せは之に対して施設を仰くへきもの少なからす、因て之を当路に疏情し場合により輿論を喚起するの要あり、殊に販路拡張を標榜となしたる両税免除中猶ほ一案を剰すあれは、必らす自から進んて視察を遂け来頭の方針を決定せさるへからす、固より漫に世の聵々者流に聴きて前途を誤るへきにあらされは、此会に於て棉物貿易取調委員を朝鮮に派遣するの議を決し、常務委員は取調委員若干名を撰定したり
又征清の役は破竹の勢を以て進み遼東の地時に衛軍郷勇の出没して我軍を遮るものありと雖も、固より振枯拉朽啻ならす旅順の堅塁既に破れて山海の要関亦摧けんとし、城下の盟蓋し遠にあらす、於是列強瞠若心私に我を怖る、此時に方り邦人の意気は大に昇り必らす夙昔の志を遂けすんは已まさらんとす、而して独り我同業者のみ呉下の旧阿蒙を以て自から居らんや、乃ち全勝後に於ては棉業上の実権を制せんことを期し此目的を達するか為め、政府議院及全国各商業会議所に向て運動することを決議し、其方法は又併せて免税請願委員に付托したり然るに我国商工業界の鬱屈は交外の退嬰と相並んて多年外人間に軽視せられ、邦人の企画に属する凡百の事業中対外競争の質を帯ふるものは、多くは妬風嫉雨の為め其場面を破壊せられ、発達往々にして遅緩を免れさりしか、頑清膺懲の師一たひ動ひてより生気一時に奮ひ、勢冉々として順風下流に似たるものあり、大詔喚発大纛《(渙)》を広陵に進めらるゝに及ひて進取の気日に益々旺熾あり、我同業者が此盛時に会して事業緊張の栄を荷ひ、感激発奮すると同時に
陛下の外営に駐駅し軍旅に宵肝し給ふを恐懼して已ます、当会に於て劈頭第一に天機奉伺の事を決議し、大阪紡績会社取締役佐伯勢一郎氏をして親しく営前に趨き宮内大臣に捧状せしめたり
  ○本資料第二編第一部所収「東京商業会議所」明治二十六年十一月二十八日ノ項参照。