デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
6節 製紙業
1款 抄紙会社・製紙会社・王子製紙株式会社
■綱文

第11巻 p.5-8(DK110001k) ページ画像

明治5年6月(1872年)

是月栄一、井上馨・上野景範ト連名ニテ、製紙事業ヲ興サンコトヲ正院ニ建議ス。尋イデ三井・小野・島田三組、其他ヲ慫慂シ、渋沢才三郎ヲモ加ヘ、合本組織ヲ以テ抄紙会社ヲ設立センコトヲ計画ス。


■資料

青淵先生伝初稿 第七章五・第六二―六六頁〔大正八―一二年〕(DK110001k-0001)
第11巻 p.5-6 ページ画像

青淵先生伝初稿  第七章五・第六二―六六頁〔大正八―一二年〕
    抄紙会社の創立計画
○上略初め政府が紙幣を発行するや、太政官札・民部省札・大蔵省兌換証券・開拓使兌換証券等は皆内地にて製造したるに、紙質粗悪にして贗造荐に興れり。此を以て新紙幣をば独逸に注文し、銀行紙幣・金札引換公債証書をば米国に注文せり。此他郵便切手・蚕種印税紙を初め各種の切手・印紙類の需用も亦尠からず、然るに其製紙印刷を一々海外に仰ぎては、国家の損失莫大なるが故に、先生等は政府事業として製紙の業を起し、精巧なる印刷機械を海外より購ひ、漸を以て製紙印刷の発達を図れり。乃ち先づ製紙より着手せんとて、開拓使雇米人アンチセルに諮問し、製紙機械買入の見積書を徴したる後、明治五年六月井上○馨及び上野○景範と連署し、製紙事業を起さんことを正院に建議せり。建議の大要は、紙幣・公債・切手・印紙などの製造、日を逐ひて急を要するの際、内地に於て未だ完全なる者を産出する能はざるは遺憾なりといふより説き起して、機械買入の事に及びて曰く、「機械の買入に付きては、一時多額の支出を要すれども、之が為に将来斯業の発達を促し、遂には欧米に比して遜色なき製品を出すを得ば、其国益は極めて大なるものあり」といひ、進みて其方法を論じ、「政府自ら事業を経営するか、或は政府保護の下に民業たらしむるか、両者の中其一を選ぶべし」とて、正院の決を仰ぎ副ふるにアンチセル呈出の見積書を以てせり。かくて正院の評議未だ定まらざるの際、横浜なる亜米一商会に《(て脱カ)》製紙機械の売込を図り、三井・小野・島田等の富豪と交渉せるに、いづれも自己の一手に買入れんとし、やゝ競争の状ありしかば、先生之を聞き、将来の企業は何事も合本組織によらざるべからず、独力事に当らんとするは不可なり、宜しく互に提携して経営すべきのみと、熱心に慫慂せしかば、三井等は遂に先生の言に従ひ、合本会社たらしむるに決したり。此に於て先生は三井次郎右衛門・小野善右衛門・島田八郎左衛門・三野村利左衛《(三野村利左衛門)》・斎藤純造・永田甚七・行
 - 第11巻 p.6 -ページ画像 
岡庄兵衛・三野村利助・古河市兵衛・勝間田誠三郎・藤田藤四郎に妹婿渋沢才三郎後の市郎を加へて、共に其出資者と定めたり。○下略


王子製紙株式会社回顧談(男爵渋沢栄一)第一―四丁(DK110001k-0002)
第11巻 p.6-7 ページ画像

王子製紙株式会社回顧談(男爵 渋沢栄一)第一―四丁
    一、会社創立の動機
想起せば明治三年のことであつた。三井組が銀行創立を大蔵省に向つて出願した。三井組は即ち今日の三井家で、其の頃何かの仕事をする団体の名称に組といふ字を付けることは一種の流行の様な有様であつたが、此は英語のコンパニーの訳語で、組合といふのも変であるから単に組と云つたのであつた。そこで銀行創立に関する発頭人は、其の頃三井家の手腕家と目せられた三野村利左衛門氏であつたが、何しろ銀行といふ名目さへもどう付けてよいか、バンクといふ原語を訳するに苦心した頃のことであるから、銀行創立の出願者はあるにせよ、卒爾に許可する訳にはゆかない。大蔵省も、充分調査した上のことにする筈で、其の方法を講究して居る矢先き、故伊藤博文公が米国へ派遣されることになつたから、同時に銀行の調査をも同公に依頼して、外国の施設を斟酌したる上で日本にも其の設立を許可すべきことゝして三井組からの出願に対しては当分其の許可を見合せることにした。
銀行の計画が講究中となると同時に、一方それに代る可く製紙事業の話が頭を擡げ出した。其の頃自分は大蔵省に職を奉じて居たので、三井組の出願した銀行設立の件に関しても親しく其の取扱を為したのであつたが、それが当分見合せと決すると共に、自分は三井組に向つて製紙事業を起して見ては如何であらうといふ勧誘をした。当時自分が製紙事業に気付いた動機は、多分外国人から話を聞いたことに原因した様に記憶するが、起業を三井組其の他の人々に勧めたのは自分の発案に相違ない。其の頃自分の想ふには、徳川三百年の幕府が一朝崩壊して明治維新の大業は樹立され、専ら泰西の文明を輸入して世界的に国是を定めなければならぬといふ世の中となつて来たが、それに就いて第一に進むべきものは文運である。此の文運が進歩しなければ、一般社会の智識を発達させる訳にはゆかぬ。智識が発達しなければ、従つて総ての事業も隆盛を致すことは出来まい。西洋各国が万事に大なる発達を遂げて居るのは、要するに此の文運の発達に専心意を注ぐからである。而して其の文運の発達に資すべき事柄は種々あるであらうが、先づ印刷事業を盛にして書物なり新聞紙なりを便利に多く出すことが必要である。然らば新聞なり書籍なりの原料は何か。紙である。遡つて考へれば製紙及び印刷事業は文明の原泉とも謂へる。併し紙も従来有り来りの日本紙では迚もいかぬ。書籍でも新聞紙でも印刷が簡易で価が廉でなければそれ等の要求を満足させられない。それには西洋紙を造り西洋流の印刷方法に拠るのが一番近道である。これは何より先に西洋紙の製造をやらなければなるまい。当時自分の考は大略以上の如きもので、亦左様の趣旨を以て紙漉き事業の発企を勧説したのであつた。
    二、発起人と出願許可
其の頃三井組・小野組・島田組といふ三組が御為替方と称して金融社
 - 第11巻 p.7 -ページ画像 
会の優勢者であつたが、自分は前陳の趣意を此の人々に説き勧め、不馴れの新事業であるから、諸君の如き有力者が率先して、始めなければ、他に恐らくやり手はあるまい。同じ商売でも有り触れた米屋や魚屋とは違うて、西洋学問でやらなければならぬことだから、目前の利益は少なからう。其の上十分な資力も伴はなければならぬし、亦勇気も見識もなければならぬ。故に諸君の如き人々が資本を集めて本気にかゝり、国家社会の為に此の事業を起す様にして貰ひたいと云つた。而して自分は此の事業は最初から大きいものに企てようと云ふ計画であつて、即ち資本も凡そ百万円位には組立てたいとの予想であつた。併し再び実地に当つて考へて見ると、西洋紙の需要高は果して如何程位あるものであらうか。それさへ十分なる見積りのつかぬ中に、左様な巨大なる企をして、それが必ずしも好結果を見るであらうか。気遣ひとなるは此の点であると考へ直して、更に計画を縮少し遂に金額拾五万円の事業で先づ組織して見ようといふことに決定した。
其の頃、故後藤象次郎伯《(後藤象二郎)》が島田組の島田八郎左衛門といふ人と懇意であつた為に、島田組の人々は自然後藤家に出入したのであつたが、後に聞けば、後藤伯も島田組に製紙事業の企業を勧めたとのことで、当時社会一般の機運は既に自分等の注目した様な辺に向つて居たものと見える。而して其の為であつたかどうか知らぬが、明治四年頃のことと記憶するが、島田組だけで窃かに横浜の商館「亜米一」と諸設備に就いての契約を取結んだ。然るに一方には三井組・小野組が既に島田組とも提携して新たに製紙業を開始しようといふ計画最中であつたから其の儘には納まらない。三井・小野の両組は同時に島田組の不協和を鳴らし、御為替組とも脱退致したいと大蔵省に申出でをした。此の申立ては理由あることで、此の三組は何処までも合同で行かねばならぬ筈であり、亦大蔵省も一視同仁で、一方に偏することは出来ぬから三井・小野の憤慨を当然の事となし、島田組の番頭を呼び出して、其の仕方の不穏当なることを咎めた。所が島田組も前非を後悔して謝罪の意を表し、「亜米一」と取結んだ契約をも取消すことにしたが、「亜米一」もそれを承諾して無事に此の悶着は解決することを得たのであつた。
○下略
  ○「王子製紙株式会社回顧談」ハ栄一ノ談話ニシテ、大正三年井口正之筆記シ、栄一ノ校閲ヲ経タルモノナリ。


竜門雑誌 第二五四号・第一八頁〔明治四二年七月二五日〕 告別の辞(DK110001k-0003)
第11巻 p.7-8 ページ画像

竜門雑誌  第二五四号・第一八頁〔明治四二年七月二五日〕
    告別の辞
 本篇は青淵先生が関係会社の責任の地位を辞するに付きて、六月六日兜町の自邸に於て其会社の重役諸氏に対し、心事を披瀝したる告別演説なり
○上略
其頃から王子の製紙会社に――確か銀行に従事した翌年に関係をし始めた、是は外国人から聴いたか自分で考へたのか、紙といふものは文明と離れないものだ、真正の文明を進めやうとするには日本の紙を改
 - 第11巻 p.8 -ページ画像 
良しなければいけない、少し突飛な立論のやうではあるけれども、此紙の事業といふものが文明を進める一大要素である、新聞紙にしても書籍にしても総て学問といふことに付ては紙が必要である、続いては印刷法といふものが簡便に且緻密に出来なければならぬから、印刷事業に力を入れるが宜からうといふことであつた、けれどもそれらの事は人文の進歩といふ方で、物質的事業の進歩といふ考でなかつたのですから、深く力も入れませなんだが、海陸運送――即ち鉄道・船舶といふものに付ては、特に力を入れざるを得ぬやうに考へた
○下略