デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
9節 麦酒醸造業
3款 大日本麦酒株式会社
■綱文

第11巻 p.392-407(DK110057k) ページ画像

明治39年3月26日(1906年)

是日、札幌麦酒株式会社・日本麦酒株式会社・大阪麦酒株式会社ノ三社合同シテ大日本麦酒株式会社ヲ設立セントシ、東京銀行集会所ニ創立総会ヲ開ク。栄一議長トシテ議事ヲ宰シ、且ツ取締役ニ推サル。


■資料

(大日本麦酒株式会社)報告書 第一回〔明治三九年七月〕(DK110057k-0001)
第11巻 p.392 ページ画像

(大日本麦酒株式会社)報告書 第一回〔明治三九年七月〕
壱月弐拾日 日本・札幌・大阪ノ参麦酒株式会社ハ各株主定時総会ヲ招集シ、明治参拾八年下半期間ノ営業報告ヲナシ、財産目録・貸借対照表・損益計算書ノ承認ヲ得、利益金ノ分配案ヲ決議シ、日本麦酒株式会社及大阪麦酒株式会社ニ於テハ監査役一同任期満了ニ付改選ノ処、総テ再選重任ニ決ス
 右定時総会ニ引続キ、各会社ハ参会社ヲ合併シ、大日本麦酒株式会社設立ニ関スル臨時総会ヲ開キ、総テ原案ノ通リ可決確定ス
弐月拾四日 札幌麦酒株式会社ハ臨時総会ヲ招集シ、取締役及監査役一同任期満了ニ付改選ノ処、総テ再選重任ニ決ス
参月弐拾六日 東京銀行集会所ニ於テ当会社創立総会ノ性質ヲ有スル総会ヲ開キ、発起人ヨリ創立事務ニ関スル諸般ノ報告ヲナシ、次テ定款及役員ノ報酬額ヲ決議シタル後、役員ノ選挙ヲ為シ、左ノ諸氏当選就任セリ
  取締役 馬越恭平  渋沢栄一  三浦泰輔
      田中市太郎 大橋新太郎 植村澄三郎
      生田秀
  監査役 大倉喜八郎 土居通夫  筧元忠
選任サレタル役員ハ発起人ノ報告シタル事項ノ正確ナルコトヲ報告シタリ


渋沢栄一 日記 明治三八年(DK110057k-0002)
第11巻 p.392 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三八年
十月七日 晴 秋冷
○上略田中市太郎・馬越恭平・植村澄三郎三氏来リテ麦酒会社合同ノコトヲ協議ス○下略
十一月二十日 晴 軽暖
○上略午後二時曾禰大蔵大臣邸ニ抵リ菊花ヲ観ル、来客頗ル多シ、清浦内務大臣ニ麦酒会社合併ニ関スル法律上ノ談話ヲ為ス○下略
十一月二十一日 晴 風寒
○上略午前十時兜町事務所ニ抵リ、馬越恭平氏ノ来訪ニ接シ長時間ノ款談ヲ為ス、麦酒会社合併後ノ処分ヲ談ス○下略
 - 第11巻 p.393 -ページ画像 

渋沢栄一 日記 明治三九年(DK110057k-0003)
第11巻 p.393 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三九年
一月十九日 曇 夜ニ入リテ強風アリ 風ナシ 起床七時就蓐十一時
○上略一時頃第一銀行ニ抵リテ午飧ス、食後事務所ニ抵リ馬越恭平氏来話ス○下略
一月二十日 晴 風ナシ 起床八時就蓐十一時
○上略午後一時札幌麦酒会社重役会ヲ開キ、要務ヲ議決ス○下略
一月二十九日 晴 風ナシ 起床七時
○上略十時向島ニ抵リ札幌麦酒会社ノ株主総会ニ出席ス○下略
二月六日 晴 軽暖 起床七時就蓐十二時
○上略午後○中略三時清浦邸ヲ訪ヒ馬越氏ト共ニ麦酒会社合併ニ付テノ謝辞ヲ述フ○下略
三月二十六日 晴 軽寒 起床七時就蓐十二時
○上略午後一時銀行集会所ニ於テ麦酒会社新設ノ株主総会ヲ開キ議長トナリテ議事ヲ整理ス畢ツテ役員会ヲ開キ規程其他ノ要件ヲ議決ス○下略


東京経済雑誌 第五三巻第一三二〇号・第七九―八〇頁〔明治三九年一月二〇日〕 ○麦酒会社の合併に就て(DK110057k-0004)
第11巻 p.393-394 ページ画像

東京経済雑誌 第五三巻第一三二〇号・第七九―八〇頁〔明治三九年一月二〇日〕
    ○麦酒会社の合併に就て
日本・札幌・朝日の三麦酒会社合同談は昨年来屡々噂せられたる所にして、吾人は其速かに成立せんことを希望せしが、近時に至り熟議の結果、愈々合併を見るに至らんとす、三社合併の仮契約書は十三条より成り来る廿九日三社共株主総会を開きて協議する由なるが、新会社は大日本麦酒株式会社と称し、其資本金は金五百六十万円総株式数は十一万二千株一株の金額五十円なりと其の内訳左の如し
 資本金五百六十万円
  此株式数十一万二千株   一株の金額五十円
    内
  五万株全額払込      此払込総額金二百五十万円
  五万二千株卅円払込    此払込総額金百五十六万円
  一万株十二円五十銭払込  此払込総額金十二万五千円
              未払込総額金百四十一万五千円
而して右三会社の株主に対し、新会社の株式を左の如く配分するものとす
    日本麦酒株式会社株主取得
 全額払込株式 一万二千株(甲会社全額払込株式六千株に対し一株に付二株の割)
  此株金六十万円
 三十円払込株式 四万株(甲会社三十円払込株式二万株に対し一株に付二株の割)
  此株金二百万円 内金八十万円 未払込額
 合計株式五万二千株
  此株金二百六十万円
     金百八十万円 払込額
    内
     金八十万円 未払込額
 - 第11巻 p.394 -ページ画像 
    札幌麦酒株式会社株主取得
 全額払込株式 一万八千株(乙会社全額払込株式一万二千株に対し一株に付一株半の割)
  此株金九十万円
 三十円払込株式 一万二千株(乙会社三十円払込株式八千株に対し一株に付一株半の割)
  此株金六十万円 内金二十四万円 未払込額
 合計株式三万株
  此株金百五十万円
     金百二十六万円 払込額
    内
     金二十四万円 未払込額
    大阪麦酒株式会社株主取得
 全額払込株式 二万株(丙会社全額払込株式二万株に対し一株に付一株の割)
  此株金百万円
 十二円五十銭払込株式 一万株(丙会社十二円五十銭払込株式一万株に対し一株に付一株の割)
  此の株金五十万円 内金三十七万五千円 未払込額
 合計株式三万株
  此の株金百五十万円
     金百十二万五千円 払込額
    内
     金三十七万五千円 未払込額
 総計株式十一万二千林
  此の株金五百六十万円
     金四百十八万五千円 払込額
    内
     金百四十一万五千円 未払込額
其他詳細の仮契約は三会社の代表者によりて旧臘十二日記名調印せられたるが、成立後に於て尚ほ詳報すべし


東京経済雑誌 第五三巻第一三二二号・第一七〇頁〔明治三九年二月三日〕 ○三麦酒会社合同成立(DK110057k-0005)
第11巻 p.394 ページ画像

東京経済雑誌 第五三巻第一三二二号・第一七〇頁〔明治三九年二月三日〕
    ○三麦酒会社合同成立
札幌・日本・大阪の三麦酒会社合同のことは、屡々報道する所なりしが、去月二十九日を以て三社同時に臨時総会を開きて本紙前々号に掲載せる合併案を可決し、即時三会社に電報を以て知照し玆に全く合同の成立を見たるが、新会社の成立を見るは三月下旬頃なるべしと云ふ


東京経済雑誌 第五三巻一三三〇号・第五二七頁〔明治三九年三月三一日〕 ○麦酒会社創立総会(DK110057k-0006)
第11巻 p.394-395 ページ画像

東京経済雑誌 第五三巻一三三〇号・第五二七頁〔明治三九年三月三一日〕
    ○麦酒会社創立総会
日本・札幌・大阪の三麦酒会社は、去る一月二十九日同時に総会を開き、合併して大日本麦酒会社なる一大会社創立の件を決定したることは当時の誌上に報ぜしが、去る廿六日銀行集会所に於て新会社の創立総会を開きて渋沢栄一氏を議長に推し、議長より各会社の臨時総会に於る決議事項株式総数の満了、資本金五百六十万円の内払込済金額等の報告をなし、全部之を承認し、次で議事に入り新会社の定款及び取
 - 第11巻 p.395 -ページ画像 
締役・監査役の受くべき報酬(月額千五百円の範囲に於て支給し各自の割合は取締役合議の上之を定む)の二件は原案の通り可決し、最後に取締役及び監査役の選挙に移り満場の希望に依り、議長より指名者一名を指定し之に選挙を一任することとなり、議長は山中隣之助氏を指定し同氏より左の如く指名せり
 取締役 馬越恭平・渋沢栄一・三浦泰輔・田中市太郎・大橋新太郎
  植村澄三郎・生田秀
 監査役 大倉喜八郎・土居通夫・筧元忠
右了て引続き役員会を開き互選の結果、社長には馬越恭平、常務取締には植村澄三郎氏就任せり


竜門雑誌 第四八一号・第八〇―八一頁〔昭和三年一〇月二五日〕 青淵先生と麦酒事業(植村澄三郎)(DK110057k-0007)
第11巻 p.395-396 ページ画像

竜門雑誌 第四八一号・第八〇―八一頁〔昭和三年一〇月二五日〕
    青淵先生と麦酒事業(植村澄三郎)
  二、三社合同顛末と先生
 明治二十年頃より漸く世人の注意を惹きたる麦酒業も日清戦後事業勃興に依る経済界の好況に促され需要益々増加し、各社共皆拡張に努めたるを以て遂に生産過剰を来し、明治三十六・七年頃には各社の生産高二十五万石に達せるにも拘はらず、日露開戦の議起りて一時不況に傾き、其の需要は僅に十一万石に過ぎざりき。
 翻つて同業各社の状態を見るに、札幌麦酒は北海道を根拠として東北地方を、日本麦酒は東京を中心として関東地方を、大阪麦酒は大阪を中心として関西より満韓を各分有し、虎視耽々として其の虚を窺へり。札幌麦酒先づ吾妻橋々畔に分工場を設立し販路の拡張に努め、日本麦酒も亦出張所を大阪に設け極力販路の侵略に腐心し、東西の麦酒市場は全く混戦状態に陥り、此の商戦にして永続せんか、漸く其の緒に著きたる本邦麦酒業の前途寒心に堪へざるものありき。此処に於て各社は悉く競争の弊に疲れ、内心窃かに合同を欲するの情切なるものありき。
 時は明治三十七年初夏の一日、日本麦酒の社長馬越恭平氏、札幌麦酒会社監査役大倉喜八郎氏と会し、談偶々麦酒業経営の事に及ぶや相互競争の弊を論じ、日露大戦に当り徒に国内競争を為すの秋にあらず之が防止の方法を講ぜざるべからずとの意見一致したり。依つて之を札幌麦酒会社取締役会長青淵先生に諮りしに三社合同を以て最も時宜に適せる策なりと決し、当時上京中の大阪麦酒会社社長鳥井駒吉氏に交渉を開始せるに、合同の一点に於て各社の希望一致せしかば、三社合同の計画は漸次具体的交渉の域に入れり。
 此処に於て各社は資産調査の為、各一名の委員を挙げ、札幌麦酒会社より専務取締役植村澄三郎、日本麦酒会社より支配人小河作郎氏、大阪麦酒会社より取締役生田秀氏之に当る。三名は相伴ひて各社を視察調査し財産の評価を行ひ協力熟議せしが、大阪麦酒は其の後業務多端の故を以て出席せざるのみならず合同そのものに対して異議あるものゝ如く、其の間又感情の衝突ありて合同計画は一時其の決を危惧せらるゝに至れり。
 然るに我が青淵先生の徳望の円満なる、人格の高潔なる、能く難局
 - 第11巻 p.396 -ページ画像 
に処して各社の信を繋ぎ、明治三十八年十月遂に合同内約の成立を見るに至れり。翌三十九年三月三社株主総会に於て合同の議決し、大日本麦酒株式会社と称し、業務は社長馬越恭平氏及び常務取締役たる余に託して、先生及大倉喜八郎氏は取締役として参与せられしが、先生は明治四十二年辞任せらる。当時合同資本金五百六拾万円なりし大日本麦酒会社は其の後数次の拡張増資を経て資本金四千万円、其の販路も遠く支那南洋印度に達し、株主配当も三割を示し我国生産高の六割以上を占むるに至る。今春更に資本金を倍加して金八千万円とし世界有数の一大麦酒会社となれり。我国麦酒業の今日あるは先生に負ふ所蓋大なりと云ふべし。


馬越恭平翁伝 (大塚栄三著) 第一二八―一三七頁〔昭和一〇年四月〕(DK110057k-0008)
第11巻 p.396-399 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

大日本麦酒株式会社三十年史 第六―八頁〔昭和一一年三月〕(DK110057k-0009)
第11巻 p.399-400 ページ画像

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雨夜譚会談話筆記 下・第四二八―四二九頁〔昭和二年一一月―昭和五年七月〕(DK110057k-0010)
第11巻 p.400 ページ画像

雨夜譚会談話筆記 下・第四二八―四二九頁〔昭和二年一一月―昭和五年七月〕
    雨夜譚会(第十五回)
一、大日本麦酒株式会社成立に就て
先生○中略質問要項の注意書中の札幌・日本・大阪の三麦酒会社合併云云と云ふのは、今申した札幌麦酒、それに恵比寿の日本麦酒、大阪のアサヒ麦酒とが別々になつて競争して居つたが之れは損だと云ふので三つ一処になり、大日本麦酒会社を創立する事になつた。其合併の割合は予備調の通り日本麦酒は現在株一株に対し新会社株二株札幌麦酒は現在株一株に新会社株一株、大阪麦酒が現在株一株半に新会社株一株を引受ける事になつたのだから、日本麦酒会社が一番優秀だつた。○下略
   ○第十五回雨夜譚会ハ昭和二年十一月十五日飛鳥山邸ニ開カレ、出席者ハ栄一・同夫人・穂積歌子・武之助夫人・正雄夫人・敬三・増田・渡辺・白石・小畑・高田、係員・岡田・泉。


(大日本麦酒株式会社)挨拶状 明治三九年三月二七日(DK110057k-0011)
第11巻 p.400-401 ページ画像

(大日本麦酒株式会社)挨拶状 明治三九年三月二七日
拝啓、春陽清和の候益々御安康之段奉慶賀候、陳者本麦酒株式会社・札幌麦酒株式会社・大阪麦酒株式会社を合併し、大日本麦酒株式会社設立之儀ハ庶般の法律手続も全く結了し、玆に大日本麦酒株式会社は成立仕候、何卒倍旧御愛顧御引立御用命の程奉希上候、先は会社成立
 - 第11巻 p.401 -ページ画像 
御披露まで申上候 早々拝具
  商号  大日本麦酒株式会社
  資本金 五百六十万円
  商品の種類 エビス サツポロ 其他荷出各種
        朝日 恵比須
  本店   東京府荏原郡目黒村大字三田二四七
  大阪支店 大阪府三 《(島脱)》郡吹由村八〇六 《(番脱)》屋敷
  札幌支店 北海道札幌区北二条東四丁目番外地
            役員
              取締役社長  馬越恭平
              常務取締役  植村澄三郎
              取締役  男爵渋沢栄一
              〃      三浦泰輔
              〃      田中市太郎
              〃      大場新太郎
              〃      生田秀
              監査役    大倉喜八郎
              〃      土居通夫
              〃      筧多忠《(筧元忠)》
  明治三十九年三月二十七日
    各位


(大日本麦酒株式会社)第一回営業報告書(DK110057k-0012)
第11巻 p.401-402 ページ画像

(大日本麦酒株式会社)第一回営業報告書
    明治三十九年六月三十日現在百株以上株主人名

 第壱種株式  第弐種株式 第参種株式    合計  府県  姓名
 四、〇一一  三、四七四     〇 七、四八五  東京  大倉喜八郎
 一、五一〇  一、四七九     〇 二、九八九  同   渋沢栄一
   六七九  一、九七〇     三 二、六五二  同   馬越恭平
     〇  二、六〇〇     〇 二、六〇〇  同   大橋新太郎
   四八〇  一、二六〇     〇 一、七四〇  同   筧元忠
   四〇〇  一、二〇〇     〇 一、六〇〇  独逸  ハナ、エリサベツド、フオン、ハツツフエルド
   五三〇    二四四   五〇七 一、二八一  大阪  竹原友三郎
   八三〇      〇   三五〇 一、一八〇  同   宅徳平
   七七六     四九   三五〇 一、一七五  東京  ジヨージ、アルミツト、ステツド、スコツト
   五四〇    三七〇   一五五 一、〇六五  同   小布施新三郎
   七五〇    三〇〇     〇 一、〇五〇  同   植村澄三郎
   五五〇      〇   四五〇 一、〇〇〇  大阪  外山脩造
   三四〇    六六〇     〇 一、〇〇〇  東京  松平義生
     〇  一、〇〇〇     〇 一、〇〇〇  同   浅野総一郎
   三七五     二〇   五七五   九七〇  大阪  生田耕一
   二二〇    四四〇   二六〇   九二〇  同   西浜安治郎
   六七〇      〇   一八〇   八五〇  同   黒川幸七
 - 第11巻 p.402 -ページ画像 
   二一六    六二八     〇   八四四  神奈川 福原虎介
   四二一    一〇〇   三〇〇   八二一  兵庫  辰馬悦蔵
   一四六    六五四     〇   八〇〇  東京  高木貞幹
   二二〇    五四〇     〇   七六〇  同   日比谷平左衛門
   二〇〇    五二〇     〇   七二〇  同   樋口賢助
   五四〇      〇   一六〇   七〇〇  大阪  大塚和三郎
   二〇〇    四〇〇   一〇〇   七〇〇  長崎  草刈武八郎

   ○株主人名簿ニヨル栄一ノ持株数左ノ如シ。

                  第一種株式 第二種株式 第三種株式   合計
    明治三九年六月三〇日現在  一、五一〇 一、四七九     〇 二、九八九
    明治三九年一二月三一日現在   八一〇 一、四七九     〇 二、二八九
    明治四〇年六月三〇日現在    五一〇 一、四七九     〇 一、九八九
    明治四一年六月三〇日現在    五一〇   九七九     〇 一、四八九
    明治四一年一二月三一日現在                   三、三七六
    明治四二年六月三〇日現在                    三、一七六
    明治四二年一二月三一日現在                   三、一七六
    明治四三年一二月三一日現在                   二、九七六
    大正元年一二月三一日現在                    二、二二六



〔参考〕大日本麦酒株式会社営業報告書 (第一回報告書)(DK110057k-0013)
第11巻 p.402 ページ画像

大日本麦酒株式会社営業報告書
  (第一回報告書)
    営業ノ事
当期間醸造高ハ七万四千七百参拾七石四斗余リニシテ販売高ハ大瓶壱千参百万八千弐百壱本、小瓶六拾壱万参千九百六拾九本、樽詰壱千九百四拾五石八斗参升弐合ナリトス、而シテ販売ノ景況ハ参月迄至テ沈静ナリシモ四月ヨリ好況ヲ呈シ、加フルニ浦塩方面ヨリノ新需用大ニ増加シタルヲ以テ前記数量ニ達スルヲ得タリ
当期間自製麦芽受入高ハ百参拾壱万千百九拾四基余ニシテ製品ハ佳良ナリ
当期間製瓶高ハ参百八拾七万七千参百参拾六本ニシテ、内大瓶参百七拾弐万七千八百拾六本、小瓶拾四万千八百弐拾壱本外雑種瓶七千六百九拾九本ナリ
    役員・社員・職工ノ事
当期末日ニ於ケル当会社現在ノ人員ハ取締役六名、監査役参名、本社員八拾名、大阪支店員六拾四名、札幌支店員弐拾参名ニシテ、労役者ハ目黒工場四百弐拾八名(内女工六拾弐名)吾妻橋工場弐百六名(内女工八拾六名)吹田工場六百弐拾名(内女工九拾壱名)札幌工場四百拾七名(内女工六拾弐名)総計千八百四拾七名ナリ


〔参考〕大日本麦酒株式会社営業報告書 (第弐回報告書)(DK110057k-0014)
第11巻 p.402-403 ページ画像

  (第弐回報告書)
    営業ノ事
当期間醸造高ハ五万七千弐百八拾六石五斗参升七合四勺ニシテ、販売高ハ大瓶壱千六百弐拾弐万千七百六拾九本、小瓶七拾六万千四百弐拾
 - 第11巻 p.403 -ページ画像 
本、樽詰壱千八百四拾四石四斗七升四合五勺ナリトス、而シテ販売ノ景況ハ前期ニ引続キ好況ナリ
当期間自製麦芽受入高ハ六拾弐万五千弐百六拾参基ニシテ製品佳良ナリ、当期間製瓶高ハ参百九拾四万四千七百四本ニシテ、内大瓶参百九拾万百六拾参本、小瓶四万参千弐百六拾六本、外雑種瓶壱千弐百七拾五本ナリ
    役員・社員・職工ノ事
当期末日ニ於ケル当会社現在ノ人員ハ取締役七名、監査役参名、本店員八拾参名、大阪支店員六拾六名、札幌支店員弐拾五名ニシテ、労役者ハ目黒工場参百五拾参名(内女工四拾八名)吾妻橋工場百六拾参名(内女工四拾七名)吹田工場六百八拾弐名(内女工百八名)札幌工場参百八拾八名(内女工四拾六名)総計壱千七百七拾名ナリ


〔参考〕大日本麦酒株式会社営業報告書 (第参回報告書)(DK110057k-0015)
第11巻 p.403 ページ画像

  (第参回報告書)
    営業ノ事
当期間醸造高ハ拾万壱千五百五拾九石四斗零四合八夕五才ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレハ、弐万六千八百弐拾弐石零四合零八才ノ増加トス、販売高ハ大瓶壱千七百零五万参千弐百八拾本、小瓶八拾七万七千四百九拾七本、樽詰壱千八百七拾壱石四斗零参合弐夕ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレハ大瓶ニ四百四万五千零七拾九本、小瓶ニ弐拾六万参千五百弐拾八本ヲ増シ、樽詰ニ七拾四石四斗弐升八合八夕ヲ減セリ、而シテ販売ノ景況ハ本期モ亦好況ナリ
当期間自製麦芽受入高ハ百五拾五万七千四百五基余ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレバ弐拾四万六千弐百拾壱基余ノ増加ニシテ製品亦佳良ナリ
当期間製瓶高ハ五百弐拾五万千弐百六拾七本ニシテ、内大瓶四百九拾参万千八百七拾八本、小瓶参拾壱万八干零九拾八本、外雑種瓶干弐百九拾壱本ニシテ之ヲ前年同期ニ此スレバ大瓶ニ百弐拾万四千零六拾弐本、小瓶ニ拾七万六千弐百七拾七本ヲ増シ、雑種瓶ニ六千四百八本ヲ減セリ
    役員・社員・職工ノ事
当期末日ニ於ケル当会社現在ノ人員ハ取締役七名、監査役参名、本店員百四名、大阪支店員七拾六名、札幌支店員参拾五名ニシテ、労役者ハ目黒工場四百参拾九名(内女工六拾四名)吾妻橋工場弐百八拾名(内女工百拾名)保土ケ谷工場六拾七名(内女工弐拾名)吹田工場八百八拾参名(内女工百九名)札幌工場四百拾参名(内女工九拾五名)総計弐千参百七名ナリ


〔参考〕大日本麦酒株式会社営業報告書 (第五回報告書)(DK110057k-0016)
第11巻 p.403-404 ページ画像

  (第五回報告書)
    営業ノ事
当期間醸造高ハ九万参千九百四拾四石四斗参升参合五勺ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレバ、七千六百拾四石九斗七升壱合参勺五才ノ減少トス、販売高ハ大瓶壱千六百五拾七万七千参百五拾五本、小瓶七拾八万五千六百拾本、樽詰壱千四百六拾石六斗九升五合九勺ニシテ之ヲ前年
 - 第11巻 p.404 -ページ画像 
同期ニ比スレバ、大瓶ニ四拾七万五千九百弐拾五本、小瓶ニ九万一千八百八拾本、樽詰ニ四百拾石七斗零七合参勺ヲ減セリ、而シテ販売ノ景況ハ本年参月拾六日麦酒増税法実施セラレ、随テ不得止売値ヲ引上ケタルト、春来天候ノ不順及財界不振ノ影響ヲ受ケタルトニヨリ、予期ノ好果ヲ見サリシハ遺憾トスル処ナリ
当期間自製麦芽受入高ハ百四万五千四百四拾基余ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレバ五拾壱万壱千九百六拾四基余ノ減少ナルモ製品ハ佳良ナリ
当期間製瓶高ハ六百五拾四万弐千八百六拾六本ニシテ、内大瓶六百弐拾弐万参百五拾九本、小瓶参拾壱万九千五百七本ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレバ大瓶ニ百弐拾九万百九拾本、小瓶ニ壱千四百九本ヲ増加セリ
    役員・社員・職工ノ事
当期末日ニ於ケル当会社現在ノ人員ハ取締役七名、監査役参名、本店員百弐拾参名、大阪支店員八拾参名、札幌支店員四拾名ニシテ、労役者ハ目黒工場参百七拾八名(内女工四拾九名)吾妻橋工場弐百九拾壱名(内女工九拾名)保土ケ谷工場百参拾弐名(内女工四拾名)吹田工場七百九拾五名(内女工百参拾六名)札幌工場参百六拾八名(内女工四拾六名)総計弐千弐百弐拾名ナリ


〔参考〕大日本麦酒株式会社営業報告書 (第六回報告書)(DK110057k-0017)
第11巻 p.404-405 ページ画像

  (第六回報告書)
    営業ノ事
当期間醸造高ハ四万五千七百七拾五石壱斗七升参合壱勺ニシテ之ヲ前年同期ニ比スレハ、弐万七千七百八拾八石六升九合四勺八才ノ減少トス、販売高ハ大瓶壱千六百五拾九万四千七百九拾六本、小瓶八拾六万弐千六百八拾本、樽詰壱千九百参拾参石壱斗八合五勺ニシテ之ヲ前年同期ニ比スレバ、大瓶ニ五百六万壱千参百九拾八本、小瓶ニ拾弐万千百四拾六本、樽詰ニ参百九拾八石弐斗五合六勺ヲ減少セリ
之レ全ク麦酒季節ニ入リ天候ノ不順ナリシト、前期以来引続キ商況不振ノ程度一層甚ダシカリシハ売行ノ減少ヲ来シタル主因ニシテ、予期ノ数量ニ達セサルハ深ク遺憾トスル所ナリ
当期間自製麦芽受入高ハ六拾七万八百九拾壱基ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレハ参万参千八百参拾参基ノ増加ニシテ製品佳良ナリ
当期間製瓶高ハ五百五拾七万壱千六百六拾壱本ニシテ、内大瓶四百九拾九万七千九百四拾六本、小瓶五拾七万壱千七百六拾四本、外雑種瓶壱千九百五拾壱本ニシテ之ヲ前年同期ニ比スレハ、大瓶ニ六拾四万四千四百五拾参本ヲ減ジ、小瓶ニ弐拾七万四千九百六拾八本ヲ増加シ、雑種瓶ニ弐千六百参拾四本ノ減少トス
    役員・社員・職工ノ事
当期末日ニ於ケル当会社現在ノ人員ハ取締役六名、監査役参名、本店員百拾五名、大阪支店員七拾四名、札幌支店員参拾六名ニシテ、労役者ハ営業部六拾九名、目黒工場弐百八拾四名(内女工四拾壱名)吾妻橋工場弐百拾九名(内女工六拾参名)保土ケ谷工場弐拾参名(内女工参名)吹田工場六百四名(内女工六拾五名)札幌工場参百四拾六名(内
 - 第11巻 p.405 -ページ画像 
女工四拾名)総計壱千七百七拾九名ナリ


〔参考〕大日本麦酒株式会社営業報告書 (第七回報告)(DK110057k-0018)
第11巻 p.405 ページ画像

  (第七回報告)
    営業ノ事
当期間麦酒醸造高ハ八万壱千参百弐拾五石九斗七升五合七勺ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレバ壱万弐千六百拾八石四斗五升七合八勺ノ減少トス、販売高ハ大瓶壱千弐百五拾七万九百六拾参本、小瓶七拾弐万参千六百九拾八本、樽詰壱千参百六拾四石六斗壱升壱合七勺五才ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレハ大瓶四百万六千参百九拾弐本、小瓶六万壱千九百拾弐本、樽詰九拾六石八升四合壱勺五才ノ減少トス、而シテ販売ノ景況ハ本期モ亦一般商況ノ不振ナル影響ヲ受ケタルト、天候不良ニシテ雨天多カリシ為メ、遺憾ナカラ売上高ノ減少ヲ来セリ
当期間自製麦芽受入高ハ百拾九万四千四百九拾壱基ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレバ拾四万九千五拾基余ノ増加ニシテ製品ハ佳良ナリ
当期間製瓶高ハ四百四拾九万五千九百四拾六本ニシテ、内大瓶四百五万七千四拾六本、小瓶弐拾七万九千五百参拾五本、「シトロン」瓶拾五万九千参百六拾五本ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレバ大瓶弐百拾六万六千参百拾参本、小瓶参万九千九百七拾弐本ノ減少ナリ
清涼飲料「シトロン」ハ発売後日尚ホ浅ク、本期ニ於テハ売行状況ノ確タル報告ヲナスヲ得ス。然レトモ品質ニ於テハ幸ヒニシテ好評ヲ博セリ
    役員・社員・職工ノ事
当期末日ニ於ケル当会社現在ノ人員ハ取締役六名、監査役参名、本店員百拾四名、大阪支店員七拾参名、札幌支店員参拾四名ニシテ、労役者ハ営業部六拾壱名、工務部弐名、目黒工場弐百四拾名(内女工参拾五名)、吾妻橋工場弐百八拾壱名(内女工八拾名)、保土ケ谷工場弐拾名(内女工壱名)、吹田工場六百六拾壱名(内女工八拾四名)、札幌工場参百五拾弐名(内女工七拾名)総計壱千八百四拾七名ナリ


〔参考〕大日本麦酒株式会社営業報告書 (第八回報告書)(DK110057k-0019)
第11巻 p.405-406 ページ画像

  (第八回報告書)
    営業ノ事
当期間麦酒醸造高ハ弐万九千九百弐拾石七斗弐升九合ニシテ之ヲ前年同期ニ比スレバ壱万五千八百五拾四石四斗四升四合壱勺ノ減少トス、販売高ハ大瓶壱千四百五拾九万弐百参拾七本、小瓶九拾参万壱千四百参拾九本、樽詰弐千百弐拾九石五斗壱升七合八勺ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレバ大瓶弐百万四千五百五拾九本ヲ減ジ、小瓶六万八千七百五拾九本ヲ増シ、樽詰ハ百九拾六石四斗九合参勺ノ増加トス、而シテ販売ノ景況ハ一般商況不振ノ影響ヲ受ケ、売上高ノ減少ヲ来セリ、之レ深ク遺憾トスル所ナリ
当期間自製麦芽受入高ハ九拾弐万四千四百四拾九基ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレバ弐拾五万参千五百五拾八基ノ増加ニシテ製品ハ佳良ナリ
当期間製瓶高ハ四百拾参万壱千百六拾弐本ニシテ、内大瓶参百弐拾八万参千七百五拾参本、小瓶五拾参万七千七百七本、雑種瓶壱千参百拾
 - 第11巻 p.406 -ページ画像 
壱本、「シトロン」瓶参拾万八千参百九拾壱本ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレハ大瓶百七拾壱万四千百九拾参本、小瓶参万四千五拾七本、雑種瓶六百四拾本ノ減少ナルモ、同期ハ「シトロン」瓶ナカリシ故、結局合計ニ於テ百四拾四万四百九拾九本ノ減少ナリ
清涼飲料「シトロン」ハ本年初メテノ発売ニシテ未タ予定ノ成績ヲ見ルニ至ラス
    役員・社員・職工ノ事
当期末日ニ於ケル当会社現在ノ人員ハ取締役六名、監査役弐名、本店員百八名、大阪支店員七拾壱名、札幌支店員参拾参名ニシテ、労役者ハ営業部五拾参名、工務部五名、目黒工場弐百八名(内女工弐拾五名)、吾妻橋工場弐百参拾七名(内女工五拾七名)、保土ケ谷工場参拾七名(内女工壱名)、吹田工場五百拾七名(内女工五拾八名)、札幌工場弐百九拾八名(内女工弐拾八名)総計千五百七拾五名ナリ


〔参考〕大日本麦酒株式会社営業報告書 (第九回報告書)(DK110057k-0020)
第11巻 p.406 ページ画像

  (第九回報告書)
    営業ノ事
当期間麦酒醸造高ハ九万弐拾石八斗九升六合ニシテ之ヲ前年同期ニ比スレハ八千六百九拾四石九斗弐升参勺ノ増加トス、販売高ハ大瓶壱千弐百九拾六万弐千六百弐拾八本、中瓶参千弐拾四本、小瓶百六拾九万七千六百六拾九本、樽詰壱千六百参拾六石七升弐合四勺ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレハ大瓶参拾九万壱千六百六拾五本、中瓶参千弐拾四本、小瓶九拾七万参千九百七拾壱本、樽詰弐百七拾壱石四斗六升六勺五才ノ増加トス、販売ノ景況ハ此年商況不振ナリシモ当期ニ入リ多少回復ノ徴アリ、幸ニシテ前年同期ニ比シ幾分ノ増加ヲ見ルニ至レリ、特ニ本年売出ノ「ミユンヘンビール」ハ発売後非常ノ好評ヲ博セリ
当期間自製麦芽受入高ハ百六拾四万壱千六百六拾基ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレハ四拾四万七千百六拾九基ノ増加ニシテ製品ハ佳良ナリ
当期間製瓶高ハ参百六拾弐万七千九百八拾九本ニシテ、内大瓶参百参拾万八千五百八拾四本、小瓶参拾壱万九千四百五本ニシテ、之ヲ前年同期ニ比スレハ大瓶ニ於テ七拾四万八千四百六拾弐本ヲ減シ、小瓶ニ於テ参万九千八百七拾本ヲ増加セリ
清涼飲料「シトロン」ハ昨年初メテノ発売ニシテ、遺憾ナカラ未タ充分ノ成績ヲ見ルニ至ラサレトモ漸次好況ニ向ヘリ
    役員・社員・職工ノ事
当期末日ニ於ケル当会社現在ノ人員ハ取締役七名、監査役参名、本店員百弐拾五名(内工場員五拾九名)大阪支店員六拾七名(内工場弐拾六名)札幌支店員参拾四名(内工場員弐拾参名)ニシテ労役者ハ営業部五拾八名、工務部四名、目黒工場百八拾参名(内女工七拾参名)吾妻橋工場参百壱名(内女工八拾名)保土ケ谷工場参拾七名(内女工壱名)吹田工場五百七拾名(内女工七拾八名)札幌工場弐百五拾七名(内女工五拾五名)総計千七百四拾六名ナリ


〔参考〕大日本麦酒株式会社営業報告書 (第十回報告書)(DK110057k-0021)
第11巻 p.406-407 ページ画像

  (第十回報告書)
    営業ノ事
 - 第11巻 p.407 -ページ画像 
当期間販売ノ状況ハ麦酒ノ季節タル七・八両月ニ捗リ降雨甚タ多ク気候適順ナラス、加フルニ東京市其他各地方ニ於ケル未曾有ノ水害ハ一般ノ商況ヲ沈衰セシメ、著シク需用ヲ減退セリ、然ルニ拾月以降一般商況稍々回復ノ兆ヲ現シ、随テ売行ヲ増進シタルト海外輸出ノ漸次好況ニ向ヒタルトニヨリ、総計ニ於テ幾分ノ増加ヲ見ルニ至レリ
清涼飲料「シトロン」ハ漸次声価ヲ昂メ、売行増加セシモ気候不順等ノタメ予期ノ販売数ニ達スルコトヲ得サリシハ遺憾トスル処ナリ
当期間ノ醸造・製麦及製瓶ハ予期ノ如ク進行シ其製品何レモ佳良ナリ
    役員・社員・職工ノ事
当期末日ニ於ケル当会社現在ノ人員ハ取締役七名、監査役参名、本店員百弐拾七名(内工場員五拾八名)大阪支店員七拾壱名(内工場員弐拾八名)札幌支店員参拾参名(内工場員弐拾弐名)ニシテ、労役者ハ営業部六拾壱名、工務部四名、目黒工場弐百弐名(内女工四拾五名)吾妻橋工場弐百参拾八名(内女工五拾四名)保土ケ谷工場参拾四名、吹田工場四百七拾六名(内女工五拾五名)札幌工場弐百拾五名(内女工弐拾壱名)総計千四百九拾壱名ナリ
   ○大日本麦酒株式会社ハ札幌麦酒株式会社、日本麦酒株式会社及ビ大阪麦酒株式会社ノ合同シテ成立セルモノニシテ、公称資本金五百六十万円(内四百十八万五千円払込済)ナリシガ、明治四十年中全額払込済トナリ、四十一年金一千二百万円(内七千二百万円払込済)ニ増資シ、明治四十一年迄ハ毎期年一割五分、四十二年ニハ一割二分ノ利益配当ヲナシタリ、醸造高ハ明治三十九年ニ十三万二千二百三石余ニシテ四十一年ニハ十一万千二百四十六石余ナリ
   ○合併三社中日本・大阪ノ各麦酒会社ノ沿革ヲ略述セン。
    日本麦酒株式会社 本社ノ前身ナル日本麦酒醸造会社ハ明治二十年九月、資本金十五万円ヲ以テ創立セラレタリ。而シテ仮事務所ヲ京橋区銀座二丁目十四番地ニ設ケ、社長桂二郎、理事益森英亮、理事兼支配人江夏泰輔、取締役木村正幹、堀基、仙波太郎左衛門ノ諸氏役員ニ就任セリ。工場ハ府下荏原郡三田村二百四拾七番地現在ノ大日本ビール目黒工場所在地ニ建設セラレ、二十二年十二月十三日ヨリ本醸造ニ着手セリ。二十二年四月事業ノ進展ニツレ二十五万円ヲ増資シ合計四十万円トナシ、恵比須麦酒ハ好評ヲ博セリ。サレド未ダ一ケ年一万石ノ販売予定ニ達セズ、二十三年下半期ニ於テハ一万一千円以上ノ損失ヲ来シテ社業ノ前途ニ不安ヲ醸セリ。其後種々整理ヲ試ミタ揚句、二十四年十月ニ至ツテ三井物産ノ馬越恭平氏ニ整理ヲ一任スルニ及ビ、二十五年下半期ニハ早クモ整理ノ功ヲ奏セリ。二十六年二月四日ノ総会ニテ社名ヲ日本麦酒株式会社ト改メ、同時ニ専務取締役社長馬越恭平、取締役三浦泰輔・仙波太郎左衛門、監査役橋口兼三・田村英二・加藤泰秋ノ諸氏役員ニ就任セリ。
   ○大阪麦酒株式会社明治二十二年十一月、資本金十五万円ヲ以テ会社創立シ、取締役社長鳥井駒吉、取締役宅徳平・石崎喜兵衛、相談役外山修造・松本重太郎ノ諸氏役員ニ就任ス。二十五年一月ヨリ製造ニ着手シ、同年五月ニ旭ビールノ商号ヲ以テ始メテ其製品ヲ販売セリ。二十六年二月ニ十万円ヲ増資シ、更ニ二十八年一月十五万円ヲ増資シテ合計四十万円トナシ、同年七月社債十万円ヲ募集シテ第三工事ヲ起シ、更ニ日清戦役ニヨリ需要増大シ、資本金ヲ百万円ト為ス。三十八年ニ至ツテ五十万円ヲ増資、百五十万円ト為シ、外ニ社債七十万円ヲ加ヘ充実セル資力ヲ擁シタリシナリ。(「大日本麦酒株式会社三十年史」ニヨル)