デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
12節 煉瓦製造業
1款 品川白煉瓦株式会社
■綱文

第11巻 p.511-513(DK110074k) ページ画像

明治42年6月6日(1909年)

是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社相談役ヲ辞ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四二年(DK110074k-0001)
第11巻 p.511-512 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四二年
六月六日 雨 冷
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ、諸関係会社ノ業務担当者ヲ会シテ、
 - 第11巻 p.512 -ページ画像 
都テ其職務辞退ノコトヲ懇話ス、来会中種々《(者脱カ)》ノ論説アリシモ、切ニ之ヲ慰諭シ、一同ト共ニ午飧シ、後更ニ談話ヲ継続セシモ、一同ハ尚各会社将来ノコトヲ懸念シテ止マサリキ○下略


竜門雑誌 第二五三号・第四七―四九頁 〔明治四二年六月〕 青淵先生の各種関係事業引退(DK110074k-0002)
第11巻 p.512 ページ画像

竜門雑誌  第二五三号・第四七―四九頁 〔明治四二年六月〕
    青淵先生の各種関係事業引退
我青淵先生○中略本月六日従来関係の深かりし左の諸会社の諸氏を兜町の事務所に招き、其旨○辞任を発表して懇ろに趣旨の在る所を説明せられ、尋いで同日附を以て左記の如き辞任書及書状を発送せられたり
○中略
            品川白煉瓦株式会社
                 専務取締役 郷隆三郎君
○中略
    辞任書
拙者儀頽齢に及び事務節約致度と存候間、貴社「何何役」辞任仕候、此段申上候也
  明治四十二年六月六日          渋沢栄一
    書状
拝啓、時下向暑の候益々御清泰奉賀候、陳は小生儀追々老年に及ひ候に付ては関係事務を減省致度と存じ、今回愈々第一銀行及東京貯蓄銀行を除くの外一切の職任を辞退致候事に取極候に付、別紙辞任書差出候間事情御了察の上可然御取計被下度候、尤も右様役名は相辞し候へ共向後とて従来の御交誼上、必要に臨み御相談に与り候事は敢て辞する処に無之候間、其辺御承知置被下度候、此段申添候 敬具
  明治四十二年六月六日          渋沢栄一
辞任せられたる各種事業の名称及び職任は左の如し
○中略
  品川白煉瓦株式会社同上○相談役
○下略


品川白煉瓦株式会社報告 第一三回 明治四二年九月(DK110074k-0003)
第11巻 p.512 ページ画像

品川白煉瓦株式会社報告  第一三回 明治四二年九月
    株主総会ノ事
一相談役男爵渋沢栄一氏、明治四十二年六月六日辞任セラレタリ


(八十島親徳) 日録 明治四二年(DK110074k-0004)
第11巻 p.512 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四二年  (八十島親義氏所蔵)
六月八日 晴
藤村氏方ニ品川白煉瓦ノ重役会ニ臨ム、男爵ガ相談役辞任サレシニツイテノ相談也、致方モ無キコトナルニツキ結局向後不相変、陰ニ陽ニ御眷願ヲ乞フノ外ナシトノコトニ決ス


実業之世界 第六巻第七号 〔明治四二年七月〕 余が今回辞任したる六十会社の運命観(男爵渋沢栄一)(DK110074k-0005)
第11巻 p.512-513 ページ画像

実業之世界  第六号第七号 〔明治四二年七月〕
  余が今回辞任したる六十会社の運命観(男爵渋沢栄一)
    ◎品川白煉瓦株式会社
         (明治三十六年六月設立払込資本六十二万五千円配当年一割渋沢男は当会社の相談役)
 - 第11巻 p.513 -ページ画像 
是は故西村勝三が骨を折つて創立した会社で、私は従来何の関係もなかつた。所が西村が死ぬ時に、私に世話をして貰ひたいと遺言して死んだそうで、私は明治初年からの交情でもあり、其遺言を重んじて世話をして居つた。それで郷隆三郎(専務取締役)などをも周旋して入れたやうな訳である。是も私が辞職した所で大した変化がない。