デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
12節 煉瓦製造業
2款 日本煉瓦製造株式会社
■綱文

第11巻 p.535-542(DK110076k) ページ画像

明治23年5月10日(1890年)

是ヨリ先、当会社設備不完全ニシテ所期ノ成績ヲ得ズ、且ツ製品ノ帝都ヘノ運輸便ナラザルヲ以テ窮境ニ陥ル。栄一自ラ理事長トナリ、諸井恒平ヲ支配人ニ抜擢シテ改善ニ努メシガ、是日更ニ資本金二万円ヲ増シテ二十二万円トナシ、別ニ社債ヲ募集シテ設備ヲ改良シ回漕部新設ノ資ニ充ツ。


■資料

明治二十三年五月十日臨時総会議案(DK110076k-0001)
第11巻 p.535-537 ページ画像

明治二十三年五月十日臨時総会議案
               (日本煉瓦製造株式会社所蔵)
    株金増募定款更正ノ議
 日本煉瓦製造会社定款
第七条 当会社ノ資本金ハ弐拾万円ト定メ、一株ヲ金百円トシ総計弐千株ヲ内国人民ヨリ募集スベシ
  但営業ノ都合ニヨリ、株主ノ決議ヲ以テ此株高ヲ増減スルヲ得ベシ
(以下四行朱書)
第七条 当会社ノ資本金ハ弐拾弐万円ト定メ、一株ヲ金百円トシ総計弐千弐百株ヲ内国人民ヨリ募集スベシ
  但営業ノ都合ニヨリ、株主ノ決議ヲ以テ此株高ヲ増減スルヲ得ベシ
右朱書ノ如ク改正シ、其株金増募方法ヲ定ムル左ノ如シ
 増募株金ハ現在ノ株主ニ於テ、各其所有株数十分ノ一ニ相当スル増株ヲ引受クルモノトス
  但其引受株金額百円未満ノ端数ヲ生ズルモノハ、現在所有株ノ多数ナル株主ニ於テ引受クベシ
各株主配当株金左ノ如シ
 増募引受株金    現在所有株
 金六千参百円   六百二十五株    渋沢栄一
 金参千円     三百株       蜂須賀茂韶
 金弐千六百円   弐百六拾株     益田孝
 金弐千円     弐百株       池田栄亮
 金千五百円    百五拾株      秋田映季
 金千弐百円    百弐拾五株     藤本文策
 金千四百円    百四拾株      木村正幹
 金千百円     百拾株       隅山尚徳
 金五百円     五拾株       北川俊
 - 第11巻 p.536 -ページ画像 
 金三百円     三拾株       太田資信
 金百円      拾株        松下一良右衛門
  計金弐万円   弐千株
説明 当会社第一工場起業諸費意外ニ増加シ、現ニ拾九万四千弐百五拾余円ノ額ニ達シ、株金全額ハ殆ント此費用ノ為ニ消尽セラルヽニモ拘ハラス、製造上ノ有様ニ至リテハ乾燥室ノ効用予期ノ如クナラザルヨリ、三基ノ機械三個ノ窯既ニ成功ヲ告グルモ、漸ク一個ノ窯ヲ使用シ在ルヲ以テ、製造数少ナク為メニ事務費・機械運転費ノ割合非常ニ増加シ「別表甲号参看」遂ニ昨二十二年ノ下半期ニ於テ金五千弐百弐拾三円弐拾三銭弐厘、本年一月ヨリ三月迄ニ於テ金弐千〇弐拾六円三拾八銭八厘ノ損失ヲ来シ、加之船隻不足ノ為メ製造ノ煉瓦ハ空シク工場ニ在リテ、其金額ハ壱万四千余円ノ多キニ至リ、遂ニ営業資金ノ運用ヲ欠キ、第一国立銀行ヨリ金弐万八千百拾円〇五銭四厘ノ借越ヲナシ、漸ク今日迄経済ヲ支持シ来リタリト雖トモ今ニ於テ株金ノ増募ヲ為シ、営業資金ノ補充ヲ為サズンバ、此ノ先会社ノ経済ヲ維持シ能ハザルコトヽナリタリ
 而シテ今此ノ損失ヲ救ハントスルニハ、予定ノ如クニ三窯ヲ使用シ得ル能ハズトスルモ、責メテハ二窯丈ヲ使用スルコトヲ得バ、事務費・機械運転費等ノ割合ヲ減省シ、損失ナキニ至ルベシ、此目的ヲ違スルニハ適当ノ時季ニ於テ生地ノ一半ヲ大陽乾《太》トシ、二窯ノ需用ニ応ジ得ル丈ヲ貯蓄スルニ在ルヲ以テ、既ニ三月以来之ヲ実施セルニ、其取扱ニ於テハ多少ノ困難アレトモ、乾燥室ニ於テスルヨリモ少数ノ日子ニテ乾燥シ得ルニ至レリ、因テ今后益々之ヲ拡張シ、本月中旬ヨリ二窯ヲ併セ使用セントス、左スレバ乙号調書ノ通リ、得失相償フコトヲ得ベシ、尚又来六月ヨリハ元建築局トノ約定アリテ一ケ月七拾万個ノ煉瓦ヲ上納セザルベカラズ、旁々二窯ヲ併セ焚クハ、今ニ於テ等閑ニ附シ去ル能ハサルモノナリ、而シテ右ノ上納煉瓦代ヲ回収スルニハ、上納ノ日ヨリ凡ソ三ケ月ノ后ニ在ルヲ以テ、其間会社ノ経済ヲ支ユルノ資金ヲ要ス
 以上陳述ノ通リニ付、玆ニ株金弐万円ヲ増募シ、其金額ノ中ヨリ金参千百拾円五銭四厘ヲ第一国立銀行ニ返却シ、其借入金ヲ金弐万五千円トシ、金五千六百円ヲ起業費残額ニ仕払ヒ、残金壱万壱千弐百八拾九円余ヲ以テ運転資金ニ供用スルノ目的ニ有之候
 依テ本議提出候也
      ○
    社債募集ノ議
今般当会社製造品運搬用船舶製作原資金ニ供スルカタメ社債ヲ起スニ付、其手続ヲ定ムル左ノ如シ
     日本煉瓦製造会社々債処理手続
第一条 社債金額ハ金壱万円トシ、当会社株主中ヨリ募集スルモノトス
第二条 社債引受額ハ各自所有株金額ニ対スル百分ノ五ヲ定額トスト雖トモ、若シ不得止事情ノ為ニ応募セザルモノアリ、或ハ定額ノ引受ヲナサヽルモノアリテ、其額壱万円ニ満タサルトキハ、其不足分
 - 第11巻 p.537 -ページ画像 
ヲ更ニ株主中ヨリ募集スルモノトス
第三条 社債ハ如何ナル事故アリト雖トモ、船舶製作原資金ニ供スルノ外、他ニ使用スルヲ得サルモノトス
第四条 社債ハ月賦割済方法ヲ以テ償却スルモノトシ、其期限ハ六拾ケ月間ヲ超過セザルモノトス
第五条 社債ノ利子ハ壱ケ年金百円ニ付金拾弐円トシ、期限中ヲ通算シテ之ヲ月数ニ平分シ、元利共其月分ヲ翌月十日迄ニ払渡スモノトス
第六条 社債証書ノ様式ヲ定ムル左ノ如シ
     日本煉瓦製造会社々債証書
 一金何円也
 右金額当会社船舶製作原資金トシテ借入候処実正也、右償却ノ儀ハ明治何年何日ヨリ同何年何月迄、何拾ケ月間ニ月賦ヲ以テ返償スルモノトシ、即チ壱ケ月元金何円利子金何円(利子ハ一ケ年金百円ニ付金拾弐円トシ期限中ヲ通算シテ之ヲ其月数ニ平分スル事)合計金何円ヲ翌月十日迄ニ支払ヒ、期限迄ニ元利共皆済可仕候、依テ社債証書如件
                  日本煉瓦製造会社
  明治何年何月何日
                      理事員連署
   日本煉瓦製造会社
    株主何某殿
第七条 社債払込ミハ其引受額ヲ当会社ヨリ通知シタル時日ニ於テ、証書引替ニ入金スベシ、而テ其時日ハ必ス十五日以前ニ通知スベシ
     説明
 従来当会社第一工場ニ於ケル煉瓦ノ製造ハ一個ノ窖ヲ使用シ、月々ノ製造高僅ニ四拾万個ニ過キザリシニ、今ヤ二個ノ窖ヲ使用シ、其製造高一倍スルニ付テハ、随テ之カ運搬ニ要スル船隻モ大ニ増加ヲ要スルハ又論ヲ俟タス
 一ケ月八拾万個、即チ弐窖製造ノ煉瓦ヲ運搬セントセバ、大船百隻(壱隻ノ積量凡独逸形五千本)小船百隻(壱隻ノ積量凡ソ独逸形二千本内外)ヲ有サヾルヘカラズ、(小船ハ専上流浅瀬ノ艀出ニ充テ、主トシテ東京ヘ運行スヘキモノハ大船也)然ルニ目下当会社ニ従属スル処ノ船舶ハ大船四拾隻(内二十壱隻当会社所有船)小船四拾隻ニシテ、苛ラクモ壱窖分ノ運搬ヲナスニ過ギズシテ、弐窖ノ製造額ヲ滞リナク運搬センニハ、更ニ大船六拾隻小船六拾隻ヲ増設セサルベカラズ、而テ其費用ハ大約金壱万円ヲ要スベシ、如斯ニシテ船舶ニ放下シタルノ資本ハ、其船舶ノ借受者ヨリ相当ノ利子ヲ附シ別途ニ償却シ来リ、其趣大ニ他ノ通常資本金ト同シカラサルモノアリ、且ツ目下当会社ノ経済ハ頗ル切迫ヲ告ケ、到底力ヲ船舶ニ分ツ能ハズ、之レ今日ニ於テ社債募集ノ不可止所以ニ御座候
 鉄道開設以来利根川々舟事業痛ク衰退シ、随テ其船隻モ年ト共ニ朽癈減少シタルニ、今ヤ当会社ニ於ケル煉瓦ヲ始トシ、佐野川ニ於ケル浅野工場ノ生石及《(マヽ)》ヒ下野煉瓦製造会社ニ於ケル煉瓦等、東京ニ輸入スヘキ貨物日進月歩ノ勢ヲ呈シタレバ、此際大ニ船隻ヲ増殖シ、以テ其需供ノ権衡ヲ計ルハ、利根川水運ヲ利用セントスルモノヽ一日モ忽カセニスベカラサル処ト思考シ、旁々本議提出仕候也

 - 第11巻 p.538 -ページ画像 

渋沢栄一 書翰 斎藤峰三郎宛(明治二三年)四月一七日(DK110076k-0002)
第11巻 p.538 ページ画像

渋沢栄一 書翰  斎藤峰三郎宛(明治二三年)四月一七日
                   (斎藤峰三郎氏所蔵)
出立後無異十四日ハ西京一泊、十五日大坂へ下り今日迄ニて此度出張之主務ハ相済候ニ付、明日ハ神戸ヘ罷越、支店之事務一覧後、熟皮会社を見廻り廿日大坂へ帰り、廿二日頃ニ西京へ罷越、廿七日迄同地滞留(但廿七日ニ織物会社開業式有之故ニ候)、廿八日頃ニ四日市へ罷越三十日ニハ帰京之積ニ御坐候
出立前諸井ニ面会不致候処、煉瓦会社現下之事務如何之摸様なる哉、建築局へ相願候、海軍省造営用之煉瓦引受之事、其他工場ニ於て日光乾燥之事、又ハ川舟運送之景況爾後如何ニ候哉、早々当方迄申越候様致度、且此際別而勉力いたし候様呉々御伝声被下度候○下略
  四月十七日               渋沢栄一
    斎藤峰三郎殿


青淵先生六十年史 (再版) 第二巻・第二三三―二四三頁 〔明治三三年六月〕 【○第四十二章第二節日本煉瓦製造会社 青淵先生ト我社トノ関係(諸井恒平述)】(DK110076k-0003)
第11巻 p.538-540 ページ画像

青淵先生六十年史(再版)  第二巻・第二三三―二四三頁〔明治三三年六月〕
 ○第四十二章第二節日本煉瓦製造会社
    青淵先生ト我社トノ関係(諸井恒平述)
○上略
抑モ当時吾上敷免工場ノ設備ハ独逸国最新式煉瓦型抜器械三台ヲ据付ケ、孰レモ八十馬力ノ汽機ニ運転セラレテ、一日計六万個ノ生煉瓦ヲ抽出シ、同コール式乾燥室三棟ハ(一棟凡ソ一千坪)此ノ抽出セル素地ノ水分ヲ換気作用ニ依テ除去シ、而シテ同ホフマン式焼窯三個ハ石炭ヲ燃料トシテ一日五万個ノ煉瓦ヲ焼成スヘキ仕組ナリ、則チ我国従来ノ製造法ト大ニ異ナル要点ハ、手工ニ代ユルニ機械力ヲ以テシ、天日乾燥ニ代ユルニ室内乾燥ヲ以テシ、松薪ニ代ユルニ石炭ヲ以テスル等ニシテ就中コール式乾燥法ニ依リ、天日ヲ籍ラス秩序的ニ室内乾燥ヲ行フ一事ハ、斯業上ノ一大進歩トシテ最モ深ク望ヲ嘱セル所ナリキ、然ルニ工場ノ成功スルヤ、第一着手トシテ試製ヲ為シタルニ、型抜器械及ヒ焼窯ハ果シテ能ク予期ノ成績ヲ修メ得タリト雖モ、独リ乾燥室ハ意外ニモ非常ノ不結果ヲ呈シ、生煉瓦ノ棚上ニ置カルヽコト数十日、毫モ水分ヲ去ラス、遂ニ白キ黴ヲ生スルニ至ル、吾々ノ失望果シテ如何ソヤ、技師チーゼ氏ハ此ノ不結果ノ原因ヲ以テ、全ク独逸ト我邦ト気象上ノ大差異アルニ気付カス、独逸ニ行ハルヽ雛形ヲ其儘採用シタルカ故ナリト陳弁シ、而カモ其救治策ニ就テハ殆ント成算ヲ示ス能ハス、荏苒経過ヲルコト数月、遂ニ雇期限満チ空シク我邦ヲ去ルニ至レリ、之レ明治二十二年十二月ノコトナリ、先是吾社ノ支配人トシテ内外諸般ノ実務ニ当リシ隅山尚徳氏モ亦去レルアリ、其去リシ原因ニ付テハ今明言セサルモ、兎ニ角吾社ハ氏ノ為メニ容易ナラサル創痍ヲ被リシコト事実ナリ、此ノ時ニ当リ資本金ハ工場建設費ノ為メニ已ニ全部ヲ消費シ去ラレ、尚ホ若干ノ負債ヲ生セル等、僅ニ生レ出テタル吾社ノ前途ハ転タ寒心ニ堪ヘサル有様ヲ呈シ居タリキ、然レトモ此ノ暗雲惨憺ノ間ヨリ一点ノ光明ヲ認ムルノ想アリシハ、吾社ノ製品カ乾燥室ノ不結果等製法頗ル未熟ナリシニモ拘ハラス、他ノ製品ニ比シ、優ニ一
 - 第11巻 p.539 -ページ画像 
頭地ヲ抜キ、上敷免煉瓦ノ好評到ル処ニ喧伝セラレ、早ク既ニ販路ノ好望ヲ示セルノ一事ニシテ、最一唯一ノ販路ト恃ミタル建築局ハ政府ノ方針一変ノ為メ非常ニ其規画ヲ縮小セラレタルモ、既ニ着手中ニアリシ裁判所・司法省・海軍省等ノ改築工事ハ予定通リ進行セラレシヲ以テ、随テ従来有セシ特殊ノ縁故ト品質ノ精良トニ由リ、該建築用煉瓦石ヲ一手ニ吾社ヘ引受クルコトヽナレリ、爰ニ於テカ乾燥室ハ不結果ナルモ、製造ハ寸時モ猶予スヘカラス、一面ニハ乾燥室改修問題ヲ考究スルト共ニ、他面ニハ大ニ天日乾燥法ヲ拡張シテ、着々製造ヲ進行セシムルノ必要アリ、而シテ資本金益々窮迫ヲ告ケ、此ノ間ノ困難実ニ名状スヘカラス、乃チ隅山支配人退社後、青淵先生指揮ノ下ニ専ラ此ノ難局ニ当リシ予ト北川俊氏トハ、具サニ此ノ実情ヲ先生ニ訴ヘタルニ、先生再思ノ後、増資ノ到底不得已所以ヲ洞観セラレ、爰ニ従来ノ弐拾万円ノ外更ニ弐万円ノ増資案ハ二十三年五月ヲ以テ株主総会ニ提出セラレ、直チニ可決セラレタリ、創立後僅々三星霜、前跌後疐将来ノ運命亦タ不可測ノ場合ニ当リ、此ノ重大ノ難問題カ無事総会ヲ通過スルコトヲ得タルハ、全ク先生蓋生ノ徳望信用ノ然ラシムル所ニ外ナラスト謂フヘシ
斯クテ焦眉ノ急ニ迫リシ刻下ノ経済問題ハ僅カニ救治セラルヽコトヲ得タリ、爾来二三箇月間小康ヲ得テ、漸ク胸撫下ロサントセル間モナク、玆ニ不幸ノ天外ヨリ落チ来リシコソ是非ナケレ、ソハ他ナシ、此ノ年九月大洪水アリ、利根、小山ノ諸川大ニ氾濫シ、為メニ工場全部浸水シテ、焼窯火ヲ止ムルコ下数十日ニ及ヒタル一珍事、即チ是レナリ、此ノ時吾社ニテハ乾燥室不結果ノ為メ、代ユルニ天日乾燥ヲ以テシ、場内ノ全面殆ント生煉瓦ヲ以テ覆ハレタル際ナリシカハ、其災害ノ惨状殊ニ甚シク、今ヨリ之ヲ憶フモ尚ホ悚然タルモノアリ、嗚呼天道果シテ是歟非歟、吾社ニ災厄ヲ下スノ甚シキ一ニ何ソ玆ニ至ルヤ
元来天日乾燥法タル、我邦ノ如キ雨量多キ国柄ニ在リテハ、極メテ不適当ノ方法ナルノミナラス、吾社ハ初メヨリ室内乾燥ノ方法ヲ執リ、天日乾燥ニ対スル設備ハ殆ント皆無ナリシヲ以テ、当初ノ方針ヲ変更セントスルニハ、殊ニ支障甚シク、到底永久ノ策ト謂フ可カラス、故ニ乾燥室改修問題ハ久シク当事者間ノ宿題トシテ考究セラレ、其ノ結果略ホ一定ノ成算ヲ立ツルニ至リシヲ以テ、乃チ之ヲ先生ニ稟申シ、其ノ決裁ヲ仰キタルニ、先生ハ特ニ工場ニ臨ミ、実地ヲ視察シテ遂ニ予等ノ建策ヲ採納セラレタリ、然レトモ此ノ改修工事ハ巨額ノ経費ヲ要シ、急速ニ成功スルカ如キハ、到底経済ノ許サヽル所ナルヲ以テ、徐々其歩ヲ進メツヽアリタル折柄、突然這回ノ大水害ニ遇ヒ、最早一日モ猶予ス可キニアラス、亦タ経済ノ如何ヲ顧ミルノ遑ナシ、輙チ鋭意督励シテ廿四年ノ春初遂ニ全ク其工ヲ竣リヌ、幸ニシテ此ノ改修事業ハ予期ノ目的ヲ達スルヲ得タルヲ以テ、爾来乾燥ノ主力ヲ室内ニ注キ、補フニ天日乾燥ヲ以テシ、爰ニ始メテ規律的執業ヲナスヲ得、製造上ノ一大進歩ヲ見ルニ至レリ、然レトモ之レカ為メ資本ヲ固定スルコト甚シク、加フルニ昨秋ノ水災ニ関スル損害及ヒ利根水運ノ不如意ヨリ生スル失費(後段詳述)等、其他種々ノ事情ヨリシテ折角昨年増募セシ資金モ、早ヤ殆ント消尽シ終リテ、再ヒ資本空乏ノ窮境ニ陥リシソ
 - 第11巻 p.540 -ページ画像 
憐レナル
○中略
請フ少シク溯テ吾運輸機関ノ来歴ヲ語ラシメヨ、吾社創立ノ際工場所在地ヨリ其ノ製品ヲ最大消費地タル東京ヘ輸送スル唯一ノ機関ハ実ニ利根川ノ水運ナリキ、当初ハ某川舟問屋ニ契約シテ、之ニ当ラシメシカ、意外ニモ非常ノ輸送渋滞ヲ来タシ、僅カニ数万個ノ煉瓦ヲ送ルニ数十日ヲ費スカ如キ、為メニ約束先ノ督責矢ノ如ク、之ト同時ニ東京ヨリ引取ル燃料石炭途中ニ停滞シテ、工場ノ焼窯将サニ火ヲ止メントスル等、容易ナラサル混雑ヲ醸セリ、爰ニ於テ運輸機関ノ改良ハ焦眉ノ大問題トナリ、大ニ調査スル所アリシニ、曩ニ中山道鉄道ノ開通セシ以来、利根水運俄然衰頽シテ、船舶老廃、運輸力非常ニ減退セシコト、実ニ其主因ナルカ如シ、試ニ利根全体ノ川舟貨物ヲ統計セシニ、其全数ヲ以テスルモ、吾社カ運送セントスル貨物全数ニ対スル六七分ニ過キス、故ニ今此ノ大輸送ヲ為サントスルニハ、其原動力タルヘキ船舶ヲ大ニ増設セサル可カラス、而シテ利根ノ川舟貨物タル、東京ヨリ上武地方ヘ輸出スルモノ其大部分ニ居リ、吾社ノ貨物ハ概シテ其ノ帰リ船ニ積載セラルヽコトナルヲ以テ、此ノ輸出入貨物ヲ一手ニ引受ケ、経営宜シキヲ得ルニ於テハ、相当ノ収益ヲ得ルコト難カラスト雖モ、奈何セン当時ノ川舟問屋タル、積年ノ疲弊僅カニ余喘ヲ保ツニ過キス、大ニ運輸業ヲ拡張シテ船舶ヲ新造スルカ如キハ力ラ能ハサル所ナリ、之レヲ以テ勧誘甚タ勉メタルモ遂ニ其ノ甲斐ナカリキ、爰ニ於テ吾社ハ自カラ進ンテ輸送業ヲ営ムノ外策ナシト信シ、乃チ明治二十二年六月吾社ノ回漕部ハ社品輸送ノ外、一般川舟業ヲ営ムノ目的ヲ以テ、府下小網町ニ其開店ヲ見ルニ至レリ、然ルニ此ノ回漕部ノ設立ニ就テハ青淵先生深ク其ノ前途ヲ危マレ、川舟ノ如キハ到底文明ノ利器ニアラス、寧ロ百尺竿頭一歩ヲ進メテ上敷免深谷間ニ鉄道ヲ布設シテハ如何トノ意見ヲ持セラレタルモ、奈何セン当時中山道鉄道線ノ終点ハ上野ニ止マリ、今ノ隅田川線ハ勿論秋葉原線モ未タ成ラスシテ、水運トノ運賃比較倍額以上ヲ要スルカ為メ、遂ニ其ノ実行ヲ見ル能ハサリシハ、誠ニ遺憾千万ナリキ、而カモ此ノ回漕部ノ末路コソ、吾社運ヲ悲況ニ陥ラシメタル大原因ナリシトハ、後ニソ思ヒ合ハサレケル
却説愈々回漕部ヲ設置スルト共ニ、船舶新造ハ不可離要件ナルヲ以テ該原資金壱万円ノ社債案ハ二十三年五月ノ株主総会ニ於テ直チニ可決セラレ、其後数月ヲ出スシテ吾社ノ回漕部ハ大小ノ船舶無慮弐百隻ヲ有シ、其ノ盛時ニ在ツテハ一箇月百万個以上ノ煉瓦ヲ輸送シテ、殆ト利根水運ノ全権ヲ握ルニ至リタリ○下略


諸井恒平氏談話(DK110076k-0004)
第11巻 p.540-542 ページ画像

諸井恒平氏談話
○上略
 支配人の隅山氏がやめたのには、甚だ面白くないことがあつた。もうとうに歿せられたので、今秘して置くこともないが、実は会社の金を使込みをしたので、そのため身をひかねばならなくなり、同時にまたその親分である池田氏も理事長をやめて、青淵先生が理事長になられた。両氏の持株は蜂須賀家で引受けられたのです。この社金流用に
 - 第11巻 p.541 -ページ画像 
は亦事情があつたので、と云ふのは前にも云うた通り池田氏は千葉銀行頭取である一方、改進党の領袖として、県下の政治界に於ても勢力者、ところが反対党である自由党が県会に於て勢力を占めるやうになると、その党争から池田氏の心臓を衝いたのです。といふのは千葉銀行は当時県金庫となつてゐたので、池田氏の勢力のもともこゝから来た、それを県会の決議でとり上げたのでこれは大打撃、千葉銀行は忽ち取附けに会ふ始末、この池田氏の危機を防戦すべく隅山が会社の金を流用したのです。私のために費消したのではなかつたが、結果は当然刑事問題となるへき性質のものであつたが、それは青淵先生の例の主義から、罪人としても会社が償はれるでもなしと、退職で穏便にすまされた。尤も隅山氏のその時の態度もよろしかつた。全私財と実印を私の前に出して、如何とも処分して貰ひたいとわびられた。
この使込みの後始末を私にさせられたのですが、何しろ東京へ出て来たばかり、外へ出ても道も訊ね訊ね歩く様な田舎者が、一番初めぶつかつた仕事がこれで弱りましたよ。
 隅山氏の借金は――私財を整理して幾分かを会社に返へしたのですが――結局会社でまけて片をつけました。
一体隅山といふ人は漢学も相当出来、人物もしつかりした人、池田氏の様な政治家でなく、始めから青淵先生にでもついてゐれば、立派に一事業出来た人でした。
 それ迄の日本に行はれた煉瓦の乾燥は原始的なやり方で、露天で瓦を干す様に並べたもの、雨が降つて来ると筵を掛ける、これは時間的にも甚だ不経済、独逸では乾燥室に於て、操作するといふことを聞いて、是がよからうと採用した。大きな建物の中に棚を作り、一メートル半位の幅の棚板に生煉瓦を並べてさし込む、これに空気抜きが所々にあつて、煉瓦から発散する湿気を帯びた空気は空気抜けから排除される、といふ理窟はよかつたが、実際は旨くいかないので悩んでゐる最中、雇つた独逸人は契約任期満了で帰国する、もう他の操作は一通り他の連中に判つたし、高い給金で、頼んで置くこともないと云ふので、帰へさうと云ふことになつたのです。その後は神谷○十松君などがその衝に当つて、色々苦心されたが、結局成功するに至りました。始めの失敗の根原は気候の相違にあつたので、独逸などの大陸の乾燥した空気では自然的に湿気を吸収して乾燥室と云ふてもたゞ雨よけの上屋だけのもので足りるので、そのかはり冬になると休む。それを湿気の多い日本の関東地方にそのまゝ移したのだから、後から考へれば巧くゆかぬがあたりまへ、信州あたりの繭の乾燥が他国と違ひ、ずつと簡単な装置でうまく行くのと同じです。
 で、室内乾燥で失敗したあとは、一時はありきたりの露天干をやる又室内乾燥が成功した後でも、室の収容量の関係から露天干を併用しました。
 成功した遣り方といふのは、窯の上に上屋を作りその熱を利用して乾燥する、又床を二重にして上は隙間のある簀ノ子の様にして空気ぬけをよくし、湿気を含んだ空気はこの下へ行き、空気抜けから排除される、その下に普通の床がある、又部屋を密閉してやる。今日もこの
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建物は働いてゐます。
 煉瓦の値上げのために、先生を担ぎ出して官庁との交渉をやつて戴いた事がある。今ではとても出来ない。その頃は若かつたから、何も知らず無鉄砲だつた。どうしても、先生に一言口を聞いて戴なければと、無理な願でも、よしよしと聞届けられて、馬車へ一処に乗つて内務省の臨時建築局の部長の処へ行つた。条約改正のために諸官衙を改築しようといふ時です。向ふが地位のあまり高くない役人でも、先生のこと故決して高飛車に出るやうなことはしない。淳々懇々と会社の窮状を述べて、公私もとより御願すへき筋ではないけれどもと、丁寧懇切なる陳述、向ふで恐縮してしまつて、あとで渋沢さんを担ぎ出して来る奴があるかと、私達が叱られたことがありました。
○下略