デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
15節 造船・船渠業
2款 浦賀船渠会社
■綱文

第12巻 p.5-9(DK120001k) ページ画像

明治18年7月10日(1885年)

是ヨリ先、十七年六月十四日、栄一他十二名連署シテ神奈川県浦賀ニ船渠会社ヲ設立セントシテ農商務卿ニ出願セシモ許サレズ。是日再度、栄一他益田孝・渡部温等十二名連署ヲ以テ農商務卿西郷従道ニ、相州長浦内務省衛生局伝染病消毒所ニ船渠設立ヲ出願ス。同所ハ内務・海軍両省ニテ必要ノ場所ナリトノ故ヲ以テ許サレズ。


■資料

東京府日誌 巻之七一 明治一八年九月(DK120001k-0001)
第12巻 p.5-6 ページ画像

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廻議録 第二類会社 明治一七年二(DK120001k-0002)
第12巻 p.6-8 ページ画像

廻議録 第二類会社 明治一七年二 (東京府庁所蔵)
明治一七年六月四日出
             (印)  (印)
知事 代理 書記官 勧業課
府下平民渋沢栄一外十二名浦賀船渠会社創立ニ付別帋ノ通リ奥書願出候ニ付取調候所、別冊会社定款第三条中本社ヲ相州浦賀ニ置キ、出張所ヲ東京ニ設クト有之候ニ付而ハ、即本社所在ノ地方神奈川県庁ヲ経
 - 第12巻 p.7 -ページ画像 
テ可申立筋与被存候、而シテ又条例成規外ノ会社ヲ設立スルトキハ、総テ地方庁限適宜所分可相成筈ニ而農商務省ヘ稟議不致ノ成例ニ有之候所、本書ニ限リ同省卿江宛直願候ハ、浦賀地所払下願ニ連帯シ、特別ノ詮議ヲ請願スルノ主意ナル歟、願人召喚一応取調候上、何分ノ御所分有之可然哉相伺候也
(別紙)
    奥書願
                   東京府平民
              発起人    渋沢栄一
                   同
              同      益田孝
                   同士族
              同      渡部温
                   札幌県平民
              同      堀基
                   大阪府士族
              同      小室信夫
                   東京府平民
              同      渋沢喜作
                   同
              同      大倉喜八郎
                   同
              同      藤本精一
                   同 士族
              同      山田昌邦
                   札幌県士族
              同      稲田邦植
                   東京府平民
              岡      高雄琢磨
                   同
              同      小原勝五郎
                   神奈川県平民
              同      浅野宗一郎
 右者別紙之通農商務省江浦賀船渠会社創立出願候ニ付、奥書被成下度此段奉願候也
                右惣代人
  明治十七年六月三日        渡部温(印)
    東京府知事 芳川顕正殿
 右渡部温儀当区在籍ニ相違無之候也
               牛込区長 久住秋策
   ○別紙願書ヲ欠ク。

明治一七年六月七日出
知事 書記官 勧業課
府下平民渋沢栄一等浦賀船渠会社設立願ニ付、別帋御判決ノ趣ヲ以、昨六日発起人総代渡部温江相尋候所、今般右書面上取調直シ度旨ヲ以地所払下願トモ併テ下戻有之度段願出候間、例ニ依リ左ノ符箋ヲ以却下取計度相伺候也
 申出ニ依リ書類下戻候事
 - 第12巻 p.8 -ページ画像 
    願書御下ケ願
一相州浦賀海軍省御用地御払下願
一右奥書願
一浦賀船渠会社創立願
一右奥書願
右本月三日付ヲ以テ差出置候処、取調落之廉有之候間、御下ケ戻シ被下度此段奉願候也
  明治十七年六月七日
                渋沢栄一外拾壱人惣代兼
                    渡部温(印)
                      牛込白銀町廿九番地
    東京府知事 芳川顕正殿
   ○右願書本文ヲ得ザレド、六月七日一旦下戻ヲウケ、訂正ノ上、六月十四日改メテ農商務省ニ提出セシナラン。前掲明治十八年七月十日付再願書冒頭ニ言ヘルモノコレナルベシ。
   ○右願書下戻トハ、先ニ小室派・渡部派ノ二派請願書ヲ提出シ、互ニ競争アリシニ因リ双方ヨリ栄一ノ下ニ合併請願スルコトトナリ、前請願書ヲ下戻シ、更メテ請願書ヲ提出スル意ナリ。


東京経済雑誌 第二二三号・第九三―九四頁〔明治一七年七月一九日〕 浦賀船渠設置の企(DK120001k-0003)
第12巻 p.8-9 ページ画像

東京経済雑誌 第二二三号・第九三―九四頁〔明治一七年七月一九日〕
    ○浦賀船渠設置の企
海上の商業にして進まは商船増加せざるを得す、是れ猶ほ陸に鉄道電信郵便等貨物の運搬及び通信を便にするもの発するか如し、思ふに我国は四面皆海にして外国と交易を為さんと欲せば必ずや船舶に依らさるべからず、其商業にして盛ならんにハ商船の増加を促かさゞるべからず、商船増加せば之か建造修繕するの場所なかるべからず、方今我国の商業未た盛なるに至らす船舶の数未た多からずと雖も、稍々増進の景況ありて未た退歩の状あらず、然るに船渠の大なるに至りては横須賀の一あるのみ、左れは一船の修繕未た終らざるに、他船之れに入り、一時に数艘の修繕を請ふものあるか為め、空しく時日を費やし航海の不便少なきにあらざるか故に、識者以て遺憾とせり、聞く藤本精一・高雄卓馬・山田昌邦・稲田邦植・渡辺温・小原勝五郎の諸氏亦た之を憂へ、本年三月中海軍省の所轄なる浦賀の旧船渠は位置と云ひ地形と云ひ之を改修すれは良船渠たるに適するを見、年期を立てゝ拝借を請ふの願書を差出したりと、元来此船渠ハ旧幕の時修築したる者にして、富士山艦などハ此船渠にて修繕したることありしが、其後横須賀の船渠出来せしにより自然不用の姿となり、現今にてハ其外方をも囲ひ込みて海軍兵営となれる者なり、又右諸氏の請願書ハ商船に関するの故を以て東京府庁より農商務省へ回付になりしに、此際又小室信夫・益田孝・堀基・渋沢喜作・大倉喜八郎の諸氏より同様の願書を差出せしに、如何なる都合にや其書面直ちに海軍省に達したり、左れば前諸氏の書面は早く東京府へ出せしも農商務省に在りて未だ海軍省に達せず、是に於て何れか先、何れか後の議論ありしとか、然るに小室等諸氏の方にてハ、麑島県士族へ下附せらるべき金を以て此船渠改修の用に供せば十族授産《(士)》の一方にも相成るにより、吾々の方へ貸付せら
 - 第12巻 p.9 -ページ画像 
れ度旨をも併せて申出でしと云ふ(麑島県士族へ下附せらるべき金とは、原来同士族は土着にて、其田地は藩制の頃より売買を為し来りたる者にて、其人一種の財産なれバ他の家禄と同一ならざるに、廃禄の節一旦取上られしが其後理由の判然せしにより政府より下附金ありしも、県庁に在りて未だ各自に配分せざる中、西南の乱起りて何れへか散じたるにより、更に政府より下附せらるべきものなりと云ふ)斯く双方より請願書の出でしより鹿果して何れの手に落つべき乎と、互ひに其要請を争ひしが、遂に双方より渋沢栄一氏に加入を請ひ、同氏の力によりて双方の協議相調ひ、去月中一同連署し改めて一通の請願書を出すに至りしと、右請願にして許可を得バ、船渠改修等の為め三十万円の株金を募り、藤本氏等の方より十五万円、小室氏等の方より十五万円を募る筈にて、追々開設の手続きに運ぶと云ふ、蓋し我か国港湾少なきにあらずと雖ども、京府近傍にては浦賀に若くものあらざるなり、諸氏か今回の発起真に好機に投せり、黽勉其業を怠らされは我国有要の一船渠たること敢て疑を容れざるなり