デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
15節 造船・船渠業
3款 横浜船渠株式会社
■綱文

第12巻 p.32-41(DK120003k) ページ画像

明治26年12月16日(1893年)

是ヨリ先、明治二十三年ノ恐慌以来明治二十六年ニ至ルマデ経済界ハ不況ニ沈滞セリ。従テ当会社ノ株式払込ニ支障ヲ来シ、明治二十五年三月二十一日内海神奈川県知事ニ船渠築造並ニ海面埋立起工延期ヲ願出デタリ。然ルニ又船渠ノ設計ニ変更ノ必要ヲ生ジ、且ツ工師エツチ・スペンサー・パーマー病死シタルニ因リ、同二十六年三月二十一日右起工延期ノ再願ヲ為セリ。是日発起人臨時総会ヲ日本郵船株式会社横浜支店ニ開キ、資本金ヲ五十万円ニ減額シ、定款ノ改正・役員ノ選挙其他数項ヲ議決セリ。栄一之ニ関与ス。尋イデ同三十二年五月一日工事漸ク竣功ヲ遂ゲ、第一・第二船渠開渠式ヲ挙ゲタリ。


■資料

青淵先生六十年史 (再版) 第二巻・第六三―六四頁 〔明治三三年六月〕(DK120003k-0001)
第12巻 p.32-33 ページ画像

青淵先生六十年史(再版) 第二巻・第六三―六四頁〔明治三三年六月〕
 ○第二十七章 造船業
    第三節 横浜船渠会社
○上略
同社ハ創立以来着々工事進行ノ準備ヲナセリト雖トモ、二十五六年ノ交、頓ニ経済社会ノ不景気ニ際シ金融閉塞セルト、工師パルマル死去セルトニヨリ工事継続シ難キヲ以テ二十五年三月並二十六年三月再度起工延期ヲ出願シ許可ヲ得タリ、其後孜々トシテ工事ニ従事シ、明治三十年七八月稍ヤ落成シ営業ヲ開始セリ、今同社第七回報告書(自明治三十年七月至同年十二月)ヲ見ルニ、船渠築造工事ハ其総面積参万六千余坪ノ内第一・第二船渠地掘鑿工事、突堤築造工事、海底浚渫工事等ヲ終ヘ其他諸般ノ工事モ殆ント成ラントス、又営業上ノ景況ニ付テ之ヲ見ルモ、船渠工場ハ益々盛ニシテ該報告書ノ期間、内外船舶ノ入渠シタルモノ実ニ弐拾五艘ニシテ、此等船舶ノ工事ハ概ネ船体外部ノ塗替及船舶定期又
 - 第12巻 p.33 -ページ画像 
ハ臨時検査ノ為メ船渠内ニ於テ施行スベキ普通工事多キニ居ル、殊ニ「エトリツクテール」号ノ弐拾四時間内ニ塗替工事ヲ終リ出渠シタルト、「ビヂラント」号真鍮板張替工事ノ創業以来初発ノ工事ナルニ拘ハラス好都合ニ完成シタルノ二事ハ、同社事業上声価ヲ博シタル所ナリ
明治三十二年五月一日同社ハ第一・第二両船渠ノ開渠式ヲ同社構内ニ於テ挙行セリ、当日来会シタルモノ内外紳士、紳商七百余名、先ツ最初ニ郵船会社管理ニ属スル汽船博愛丸第二船渠ニ入渠ノ実況ヲ衆覧ニ供シ、畢テ社長ノ式辞及ヒ神奈川県知事・横浜港務局長・横浜市長・横浜商業会議所会頭・「イースタン・ウオールド」新聞社長等ノ祝辞演説アリ、余興ノ音楽烟火復タ一入ノ花ヲ添ヘ頗ル盛大ヲ極メタリ


横浜船渠株式会社創立関係書類(DK120003k-0002)
第12巻 p.33-34 ページ画像

横浜船渠株式会社創立関係書類
            (三菱重工業株式会社横浜船渠所蔵)
    船渠築造並海面埋立起工延期之儀願書
本会社創立ニ付船渠築造並ニ海面埋立之儀、去明治二十二年六月中出願仕リ、昨二十四年六月創立御許可ヲ蒙リ且特ニ命令書御下附相成候ニ付、爾来発起人協議之上起工之準備相整ヘ、先以株金募集ニ着手候処、創立出願以来既ニ二ケ年ノ星霜ヲ経、市況一変致シ折悪敷金融閉塞ノ時機ニ際シ候為曩ニ株式引請ノ申込ヲ為シ候者、並ニ株式応募者ニ於テモ続々延期若クハ猶予ヲ申出候ニ付、発人《(起脱)》ニ於テモ不得止追テ市況恢復ノ時機ヲ待チ候見込ニテ一時延期罷在候処、命令書第二十四条ニ於テ起工期限ヲ満十ケ月ニ限ラレ、又第二十九条ニ天災事変ヲ除キ右期限内ニ起工セサル時ハ免許ノ効ヲ失フヘシト定メラレ、来ル四月五日満期日限ニ相成候得共、実際前陳ノ如キ市況ニ候間、出格之御詮議ヲ以テ、命令書起工期限更ニ満一ケ年間御猶予被成下度、此段奉懇願候 以上
                 横浜船渠会社
                   創立委員
  明治二十五年三月二十一日      渋沢栄一(印)
                      ○外九名氏名略ス
    神奈川県知事 内海忠勝殿

神奈川県指令官第二八号
書面願之趣特ニ聞届ク
  明治二十五年四月五日
           神奈川県知事 内海忠勝

    船渠築造並海面埋立起工延期再願書
本社築造ノ船渠並海面埋立延期ノ儀、昨廿五年三月中出願御許可ヲ蒙リ、本年四月四日満期ニ相成候処、築港工事モ追々捗取其成蹟ニ依リ本社船渠ノ設計ニモ多少変更ノ必要ヲ生シ前年来調査中ニ有之、加フル本年二月中、工師パーマー氏病死仕リ、旁以期限内着手ノ運ニ相成兼候間、出格ノ御詮議ヲ以テ満壱ケ年間起工御猶予被成下度此段奉願
 - 第12巻 p.34 -ページ画像 
候也
                 横浜船渠会社
  明治廿六年三月廿一日       創立委員
                    渋沢栄一(印)
                      ○外九名氏名略ス
    神奈川県知事 中野健明殿

神奈川県指令官第二三号
書面願之趣特ニ聞届ク
  明治廿六年三月廿九日
           神奈川県知事 中野健明


中外商業新報 第三三〇七号〔明治二六年三月一六日〕 横浜船渠会社創立委員会(DK120003k-0003)
第12巻 p.34 ページ画像

中外商業新報 第三三〇七号〔明治二六年三月一六日〕
    横浜船渠会社創立委員会
横浜船渠会社創立委員中、吉川泰次郎・渡辺温・朝田又七・茂木惣兵衛・原六郎・小野光景・来栖壮兵衛諸氏は一昨十四日午後二時、横浜日本郵船会社支店楼上に於て創立委員会を開き、愈よ船渠工事に着手すべきや否を議したるに、横浜築港工事落成するに非ざれば風浪の加減一定せずして突堤を築造するに不便なると、且同社工事の設計者たるパーマー氏の死去に就き差向き起業に差支るとに依り、向一年間起業延期を出願することに決したるが、其認可を得る時は再び集会して技師の選択等を協議する筈なりと云ふ


東京経済雑誌 第二七巻第六六九号・第五〇一頁〔明治二六年四月八日〕 横浜船渠会社工事延期の許可(DK120003k-0004)
第12巻 p.34 ページ画像

東京経済雑誌 第二七巻第六六九号・第五〇一頁〔明治二六年四月八日〕
    ○横浜船渠会社工事延期の許可
横浜船渠会社は資本金三百万円を以て横浜湾築港脇に建設するの設計にて、本年三月を以て起工する筈なりしが、未だ横浜築港工事も竣工に至らざるに付、創立委員なる吉川泰次郎・渡辺温・渋沢栄一・原善三郎・浅田文七・平沼専蔵・小野光景・来栖壮兵衛等の諸氏は協議の上、更に向ふ壱ケ年右工事着手延期の義を議決し、内務大臣へ請願したるに来年三月迄延期の義許可せられたり


(横浜船渠株式会社)第壱回報告 自明治廿六年十二月至同廿七年十二月(DK120003k-0005)
第12巻 p.34-38 ページ画像

(横浜船渠株式会社)第壱回報告 自明治廿六年十二月至同廿七年十二月
             (三菱重工業株式会社横浜船渠所蔵)
    ○創立事務ノ要領
○上略
発起人臨時総会 明治廿六年十二月十六日日本郵船株式会社横浜支店ニ於テ本会ヲ開ク、発起人三十三名中出席者十九名、他ノ発起人ニ委任状ヲ与ヘ代理セシメタル者八名、病気其他ノ事故アリテ欠席シタル者六名ニシテ、出席員ノ互撰ヲ以、原六郎氏ヲ会長トシ、左記ノ各項ヲ議定ス
第一 創立委員総代来栖壮兵衛氏ヨリ創立庶務及顛末ヲ報告ス
第二 創立費収支現計書収入金六千六百七拾六円余(発起人卅三名出金六千六百円及当座預ケ金利子七拾六円余)、支出金六千五百八拾壱円(パーマー氏報酬金内渡金五千七百六拾七円其他ハ測量費外四項
 - 第12巻 p.35 -ページ画像 
ニテ金八百拾四円ナリ)、残金九拾五円ヲ認定ス
第三 創立費不足補充金五百七拾三円余(パーマー氏報酬金残額五百三拾三円創立事務所費金四拾円余)ヲ認定ス
第四 創立委員総代ヨリ従来設計ノ乾燥船渠《ドライドツク》ノ外新ニ跌船架《スリツプ》ヲ加ヘ、先ツ之ヲ試設シ、漸次乾燥船渠及鉄工場等《ドライドツク》ヲ増築スルモノトシ、差向資本金三拾万円ヲ募集スルコトトナス意見ノ報告アリ、衆議ノ末跌船架工事《スリツプ》ハ容易ナルモ船主ニ於テ兎角上架ヲ嫌フ傾向アリ、且ツ船舶ノ構造モ次第ニ大船ヲ造ル趨勢ナレバ、寧ロ堅固ニシテ安全ナル乾燥船渠《ドライドツク》ヲ築造スベシト決議
第五 本社資本金即チ株金ハ、旧定款ニハ三百万円ト定メタレトモ目下金融ノ現況ニテハ募集ニ困難ノ事情モアリ、且ツ明年一月一日ヨリ商法ヲ実施セラレ、其期日モ切迫シ居ルヲ以テ公衆ヨリ株金ヲ募集スル猶予ナキニ依リ、発起人一同ニ於テ分担スベキ必要アリ、因テ百万円ニ減ズベシ五拾万円ニ改ムベシト二説ニ岐レシガ、審議ノ末多数ヲ以テ五拾万円トナスコトニ決議ス
  附言 茂木保平・川田竜吉二氏ハ本日ヲ以発起人ニ加盟シ、尚ホ希望者ハ加盟ヲ許スコトトシ、又従来ノ発起人中ニ退社ヲ望ム者アレバ之ヲ許シ、且ツ創立費トシテ出金シタル金弐百円ハ追テ募集スル株金ノ内ヨリ返却スルコトトシ、又従来株式引受ノ申込アルモノハ此際一旦謝絶シ、新ニ引受ノ申込アルトキハ発起人引受株ノ中ヨリ分配スルコトニ決議ス
第六 定款改正案五章四十七条ニ就キ逐条審議ノ末、或ハ削除或ハ修正ヲナシ、凡テ五章四十六条ニ決議ス
第七 役員報酬金議案ハ審議ノ末「当会社取締役及監査役ノ報酬金ハ当分ノ内年額金弐千円ヲ支給ス、但各自支給金額ハ取締役会ノ決議ニ任ス」ト決議ス
第八 創業費不足補充金其他創立ニ係ル経費ニ充ツル為メ「本社創業費ニ必要アル場合ニ於テハ金五千円迄ハ取締役会ノ決議ヲ以テ他ヲリ借用スルコトヲ得」ト決議ス
第九 本社船渠設計技師パーマー氏曩ニ死去シタルヲ以テ後任技師ハ役員諸氏ノ撰択ニ任スト雖トモ、外国人ニテハ報酬モ高額ニシテ且ツ使用材料ノ購入等ニ就キ種々ノ弊害モアルニ依リ、可成的日本人ニシテ船渠ノ築造に経験アル技師ヲ撰定セラレタシト本会ノ希望ヲ表明スルコトニ決ス
第十 改正定款ニ依リ投票ヲ以テ役員ヲ公撰スルコトニ決シ、直ニ撰挙ナシタルニ吉川泰二郎・原六郎・朝田又七・川田竜吉・来栖壮兵衛五氏取締役ニ、渡部温・樋口登久次郎二氏監査役ニ当撰シ、諸氏モ就任ヲ承諾セラレタリ
右畢テ近藤廉平氏ヨリ創立委員諸氏ニ対シ従来ノ尽力ヲ謝スベシト発議アリ、満場一致之ヲ可決シ、直ニ会長原六郎氏此決議ヲ代表シ謝辞ヲ述ベ、創立委員総代来栖壮兵衛氏ヨリ丁寧ナル挨拶アリテ会長散会ヲ告ゲ、于時午後八時三十分ナリ
役員ノ登任 明治廿六年十二月十九日取締役会ヲ開キ、其互撰ヲ以テ川田竜吉氏ヲ専務取締役ニ撰挙シ、来栖壮兵衛氏ニ支配人ヲ兼務セ
 - 第12巻 p.36 -ページ画像 
シムルコトニ決シ、二氏共ニ承諾シタルニ依リ即日之ヲ株主ニ報告シ、且関係諸官庁ニ届出タリ
改正定款 明治廿六年十二月二十日横浜市役所・神奈川県庁等ヲ経由シ、前日決議ノ改正定款並ニ認可申請書ヲ農商務大臣ニ捧呈セリ
仮事務所設置 明治廿六年十二月廿七日横浜市海岸通四丁目十八番地海員掖済会事務所ノ一隅二室ヲ借入レ、当分ノ内一ケ月家賃金拾五円トシ、追テ工事ニ着手スルトキハ金五円ヲ増加シ弐拾円ヲ支払フベキ約束ニテ同所ニ事務所ヲ設置シ、廿七年一月一日ヲ以テ之ヲ株主ニ報告シ且新聞紙ニ広告セリ
電話機献納○略ス
定款第九条ノ改正○略ス
株式引受申込株ノ処分 明治廿七年二月廿三日ノ株主総会ニ於テ、旧発起人ハ本社株式一万株ヲ各自平等ニ分担スルコト、前年十二月発起人総会ノ議決第五項ノ如クナレトモ、本年一月以来発起人ノ外人員七十三名ヨリ総計三千二百三十六株引受所望ノ申込アリ、尚続々申込人アリテ際限ナキニ依リ、此際為念旧発起人ニ平等ノ分担株数ヲ示シ、増額ヲ許サズシテ減少数ノミヲ随意ニ回報セシメ、其有余株ヲ申込株三千二百三十六株ニ割合適宜ニ減少ヲ加フルコトトシ、其方法ハ取締役会ニ一任スルコトニ議決ス
証拠金払込○略ス
技師ノ撰択○略ス
仮株券発行○略ス
本社ノ登記 現行商法第百六十八条ニ基キ明治廿七年八月三十一日横浜区裁判所ノ登記ヲ請ケ、直ニ農商務省ニ報告セリ
社印及役員印鑑○略ス
事務所移転 海岸通四丁目十八番地海員掖済会内ニ設置シタル本社仮事務所ハ、起工後愈ヨ狭隘ヲ覚ユルノミナラズ起工場所ニモ遠隔シ不便尠カラズ、幸ヒ桜木町一丁目一番地字内田町海岸ニ明家二棟アリテ恰モ起工場所ニ接近シ、工事監督見張所ヲ特置スルノ必要モナク諸事好都合ナルヲ以テ、一ケ月家賃弐拾八円ノ約束ニテ明治廿七年十二月八日同所ニ移転シタリ
○下略

    横浜船渠株式会社第一回報告
      貸借対照表

借方
 株金          五〇〇、〇〇〇、〇〇〇
 契約保証金         八、八七七、三四四
 雑収入             四六四、一一五
   合計        五〇九、三四一、四五九
貸方
 払込未済株金      四五〇、〇〇〇、〇〇〇
 預ケ金 第一銀行外四行  三六、〇四五、一六二
 工事保証金         三、〇〇〇、〇〇〇
 - 第12巻 p.37 -ページ画像 
 受取手形 壱通       八、八〇〇、〇〇〇
 備付品             四六〇、一〇二
 創業仮出金         二、八二二、〇七七
 工業仮出金         八、二一四、一一八
   合計        五〇九、三四一、四五九

      財産目録

 払込未済株金      四五〇、〇〇〇、〇〇〇
 預ケ金 第一銀行外四行  三六、〇四五、一六二
 工事保証金         三、〇〇〇、〇〇〇
 受取手形 壱通       八、八〇〇、〇〇〇
 備付品             四六〇、一〇二
 創業仮出金         二、八二二、〇七七
 工業仮出金         八、二一四、一一八
   合計        五〇九、三四一、四五九

  以上
               横浜船渠株式会社
                専務取締役   川田竜吉
  明治廿八年一月       取締役     吉川泰二郎
                取締役     原六郎
                取締役     朝田又七
                取締役兼支配人 来栖壮兵衛
右監査ヲ遂ケ候処相違無之候 以上
                監査役     渡部温
                監査役     樋口登久次郎

    横浜船渠株式会社株主姓名録(明治廿七年十二月三十一日現在)

株数   株金全額  第一回払込済 第二回以下未払株金   住所             姓名
  株      円     円      円
二八五 一四、二五〇 一、四二五  一二、八二五  横浜市野毛町四丁目百六番地      原六郎
二八五 一四、二五〇 一、四二五  一二、八二五  東京市牛込区白銀町二十九番地     渡部温
二八五 一四、二五〇 一、四二五  一二、八二五  横浜市元浜町一丁目一番地       渡辺福三郎
二八五 一四、二五〇 一、四二五  一二、八二五  同市野毛町三丁目百十六番地      川田竜吉
二八五 一四、二五〇 一、四二五  一二、八二五  東京市本所区向島須崎町二百七十七番地 吉川泰二郎
二八五 一四、二五〇 一、四二五  一二、八二五  同市同区東両国尾上河岸二十三号地   高雄琢磨
二八五 一四、二五〇 一、四二五  一二、八二五  同市本所区向島小梅町七十四番地    小室信夫
二八五 一四、二五〇 一、四二五  一二、八二五  同市深川区福住町一番地        浅野総一郎
二八五 一四、二五〇 一、四二五  一二、八二五  横浜市本町二丁目二十七番地      平沼専蔵
二八五 一四、二五〇 一、四二五  一二、八二五  同市弁天通二丁目三十番地       茂木惣兵衛
二五〇 一二、五〇〇 一、二五〇  一一、二五〇  同市元浜町二丁目十五番地       大谷嘉兵衛
二五〇 一二、五〇〇 一、二五〇  一一、二五〇  同市元浜町一丁目一番地        朝田又七
二五〇 一二、五〇〇 一、二五〇  一一、二五〇  同市本町一丁目一四番地        箕田長三郎
二四〇 一二、〇〇〇 一、二〇〇  一〇、八〇〇  同市本町六丁目八十二番地       吉田新六
二三五 一一、七五〇 一、一七五  一〇、五七五  同市弁天通二丁目三十番地       茂木保平
二二〇 一一、〇〇〇 一、一〇〇   九、九〇〇  東京市牛込区新小川町二丁目十番地   川田小一郎
二〇〇 一〇、〇〇〇 一、〇〇〇   九、〇〇〇  横浜市弁天通二丁目三十二番地     田中平八
二〇〇 一〇、〇〇〇 一、〇〇〇   九、〇〇〇  同市同通六丁目百五番地        来栖壮兵衛
 - 第12巻 p.38 -ページ画像 
二〇〇 一〇、〇〇〇 一、〇〇〇   九、〇〇〇  東京市麹町区永田町二丁目一番地    深川亮蔵
二〇〇 一〇、〇〇〇 一、〇〇〇   九、〇〇〇  同市小石川区原町百二十五番地     近藤廉平
二〇〇 一〇、〇〇〇 一、〇〇〇   九、〇〇〇  同市深川区福住町四番地        渋沢栄一
                               ○外百二十七名氏名略ス

   ○栄一、会社創立後単ナル株主トシテ当会社ニ関係アリシガ、左ノ如ク次第ニ株式ヲ売却シ、明治三十五年ニハ全部売却シ去レリ。
   ○栄一ノ持株左ノ如シ。(横浜船渠株式会社考課状ニ拠ル)


                株数       株金全額    払込済  未払込株金
   二七年一二月三一日現在 二〇〇(甲種)  一〇、〇〇〇  一、〇〇〇 九、〇〇〇
   二八年 六月三〇日〃  二〇〇(〃)   一〇、〇〇〇  三、〇〇〇 七、〇〇〇
   二八年一二月三一日〃  二〇〇(〃)   一〇、〇〇〇  五、〇〇〇 五、〇〇〇
   二九年 六月三〇日〃  六〇〇(甲種乙種)
   三〇年 六月三〇日〃  四〇〇(乙種)  一〇、〇〇〇 一〇、〇〇〇
   三〇年一二月三一日〃  四〇〇(乙種丙種)
   三二年 六月三〇日〃  二〇〇(丙種)
   三四年 六月三〇日〃   二〇(一株三三円払込)

   註  甲種 一株金五十円 乙種 一株金二十五円 丙種 一株金十二円五十銭
   ○当会社ハ明治三十二年五月一日ニ至ツテ開業セリ。左ニソレニ至ルマデノ資料ヲ掲グ。


(横浜船渠株式会社)第三回報告 自明治廿八年七月至同年十二月(DK120003k-0006)
第12巻 p.38 ページ画像

(横浜船渠株式会社)第三回報告 自明治廿八年七月至同年十二月
    ○創立事務ノ要領
工事ノ景況 前回報告後ニ於ケル海運業ノ趨勢ヲ観察スルニ著シキ進歩ニシテ、船舶頓ニ増加シ従テ船渠ノ需要夥多ナリト雖モ、民間既成ノ船渠ハ僅ニ数個ニ過キズ、加ルニ横須賀船渠ノ如キ戦後官有艦船ノ修理ニ忙シク民間ノ需用ニ応ズルヲ得ザル状況ナルヲ以テ、船主ハ不得止上海香港等ノ船渠ニ依頼スルニ至レリ、是ヲ以テ本社工事ハ愈々速成ノ必要ヲ覚ヘ、潮留工事ニ就テ日夜奮テ工ヲ督セシモ物価ノ騰貴、職工人夫ノ欠乏等種々ノ故障湧起シ何分意ノ如クナラザリシヲ以テ、特ニ懸賞シテ請負人ヲ促セシニ依リ予期ニ先ツ二ケ月以前ニ竣功セリ、且ツ幸ニ其成蹟良好ナルヲ以テ潮留内部地盤ノ堀鑿ニ着手シ目下施工中ニ属セリ、元来船渠築造事業中潮留工ハ最モ至難ノモノナレバ、該工事ニシテ蹉跌ナケレバ他ノ工事ハ比較的容易ナルモノトス、而シテ堀鑿中ノ地盤岩質モ亦良好ナルニ依リ、本社ハ喞筒機械及扉船ノ製造等モ既ニ夫々製造人ニ注文シ、其他諸般ノ準備ヲ急ギ以テ開業ノ一日モ速ナランコトヲ努メツヽアリ、以下条ヲ逐ヒ項ヲ分チ詳細ニ報告セントス
○下略


(横浜船渠株式会社)第四回報告 自明治廿九年一月至同年六月(DK120003k-0007)
第12巻 p.38-39 ページ画像

(横浜船渠株式会社)第四回報告 自明治廿九年一月至同年六月
    ○創立事務ノ要領
工事ノ景況 目下船渠欠乏シテ需要甚タ急劇ナリ、加フルニ戦後ノ経営ハ海運業ノ進歩ヲ促シ、政府ハ特ニ航海・造船二業ノ奨励法ヲ設ケ其実施期モ近ク数旬ノ後ニ逼リ、民間亦之ニ応シ企業拡張ヲ競フ状況ナレバ本社当局者ニ於テモ刻苦励精竣功ヲ急キツヽアリ、幸ニ
 - 第12巻 p.39 -ページ画像 
本年前半季中工事ハ次第ニ捗取リ意外ノ障害ニ遭遇セルコトナシ、唯工夫稍欠乏セルノ憾アリキ
 営業開始ノ期ハ未タ断言シ難シト雖トモ第弐号船渠築造工事ヲ本年内ニ竣功シ、諸般ノ準備ヲ整ヘ来年二三月頃ニ開業スルハ当局者ニ於テ最モ希望スル所ナリ
 第壱号船渠築造並ニ鉄工所設立ノ設計ハ既ニ大略決定セリ、依テ近日該工事ニ着手スル胸算ナリ
 ○下略


(横浜船渠株式会社)第五回報告 自明治廿九年七月至同年十二月(DK120003k-0008)
第12巻 p.39 ページ画像

(横浜船渠株式会社)第五回報告 自明治廿九年七月至同年十二月
    ○創業事務ノ要領
工事ノ景況 海運業ノ拡張ト共ニ船舶増加シ従テ船渠ノ需要甚急ナルコトハ毎々報告スル所ノ如シ、是ヲ以テ当事者ハ頗ル工事ノ進捗ヲ希望スト雖モ、本季間ニ於テ材料ハ非常ニ昂騰シ、職工人夫ハ頓ニ欠乏ヲ告ゲ、殊ニ石工ハ同盟罷工ヲ計リテ石材彫刻ニ蹉跌ヲ生ジ、為メニ全体ノ工事ニ遷延ヲ致サントスルノ困難ニ遭遇セルモ、当事者ハ非常ノ刻苦ト非常ノ励精トヲ以テ此等困難ヲ冒シ熱心ニ工事ヲ督励シ、遂ニ明治廿九年十二月三十日ヲ以テ第二号船渠ノ完成ヲ見ルニ至レリ、今ヤ渠口部潮留及防波堤ヲ除去シ前面航路ノ浚渫ニ従事スルヲ以テ、意外ノ障害アラズンバ明年四五月ノ頃開渠ノ盛式ヲ挙グルコトヲ得ルノ予定ナリ
 第一号船渠築造工事ノ基礎タル周囲潮留工事ハ、目下過半ヲ終リタルヲ以テ、予期ノ如ク、来ル明治三十年二月ニ竣功スベキ見込ナリ
 ○下略


(横浜船渠株式会社)第六回報告 自明三十年一月至同年六月(DK120003k-0009)
第12巻 p.39 ページ画像

(横浜船渠株式会社)第六回報告 自明三十年一月至同年六月
    処務ノ部
○上略
増資 当社ハ明治廿六年十二月金五拾万円ヲ以テ起業シ、明治廿九年一月更ニ壱百万円ヲ増資シ、合計金百五拾万円トナシ、其半額金七拾五万円(株数三万株一株廿五円)ハ既ニ払込済ニシテ、其残額ノ内金三拾万円(株数三万株一株金拾円)ハ本年五月ヨリ九月迄ニ払込ムベキハ定款ノ定ムル所ナリト雖モ、当時金融緊縮ノ時ニ際シ一時ニ壱株金拾円ヲ募集スルハ穏当ヲ欠クモノヽ如ク覚ユ、然レトモ工事ノ進捗ハ資本ノ需用ニ急ヲ告クルノミナラズ、鉄工所譲受後ハ一層運転資本ヲ要スル事情アリテ、本年五月臨時借入金ヲナシ纔カニ融通ノ便ヲ得タル実況ニシテ、本年七月以後ハ第壱号船渠築造ノ為メ巨額ノ資金ヲ要スル場合ナルヲ以テ、寧ロ従来ノ甲乙二種株式ノ払込ヲ中止シ新ニ丙種株式三万株ヲ増募シ、初メニ壱株金五円ノ証拠金ヲ払込ミ、本年十一月迄ニ一株金七円五拾銭ヲ払込ミ、合計金拾弐円五拾銭ヲ分割シテ募集スルノ見込ヲ立テ、本年六月廿八日株主臨時総会ノ決議ヲ以テ定款ヲ変更シ、資本金百五拾万円ヲ金三百万円トナス
 ○下略

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中外商業新報 第四五四七号〔明治三〇年四月一六日〕 横浜船渠会社の資本金増加(DK120003k-0010)
第12巻 p.40 ページ画像

中外商業新報 第四五四七号〔明治三〇年四月一六日〕
    横浜船渠会社の資本金増加
横浜船渠会社の資本金額は最初三百万円にて、後百万円に減額し、其後百五十万円に増加せしか、今回日本郵船会社の鉄工場を引継たるに依り更に三百万円に増加する筈なりといふ


(横浜船渠株式会社)第十回報告 自明治三十二年一月至同年六月(DK120003k-0011)
第12巻 p.40 ページ画像

(横浜船渠株式会社)第十回報告 自明治三十二年一月至同年六月
    処務ノ部
○上略
本社開渠式
 本社第一船渠ハ前期十二月竣功ヲ告ケ、前面海底ノ堀鑿及浚渫等モ本期四月中其功ヲ竣ヘ最早入渠ニ差支ナキ程度ニ達シタルヲ以テ、本期五月一日ヲ卜シ第一第二両船渠ノ開渠式ヲ本社構内ニ於テ挙行セリ、当日来会シタルモノ内外紳士、紳商無慮七百名、先ツ最初ニ郵船会社管理ニ属スル滊船博愛丸第二船渠ニ入渠ノ実況ヲ衆覧ニ供シ、畢テ午前十一時来賓一同ヲ式場ニ按内シ、玆ニ於テ本社々長川田竜吉氏開渠ノ式辞ヲ朗読シ、次テ神奈川県知事浅田徳則、横浜港務局長森又七郎、横浜市長梅田義信、横浜商業会議所会頭大谷嘉兵衛、「イースタン・ウオールド」新聞社長シロード諸氏ノ祝辞演説アリ、最後ニ本社取締役来栖壮兵衛氏答詞ヲ演述シ、之ニテ式ヲ終リ来賓一同ニ立食ヲ饗シ、且ツ第一船渠入渠中ニ係ル滊船河内丸並ニ第二船渠ニ入渠ノ博愛丸ヲ縦覧ニ供シ、其間音楽・烟花・角乗戯等アリテ其興ヲ助ケ、又構内各所ニ喫茶店ヲ設ケ来賓任意ノ休憩ニ便ニシ、来賓一同歓ヲ尽シ午後四時全ク散会ヲ告ゲタリ
 ○下略
   ○明治三十二年五月一日栄一日記ニ「風邪尚未タ愈ヘサルヲ以テ出勤スルヲ得ズ」トアルヲ以テ開渠式ニ参列セザリシナリ。


東京経済雑誌 第三九巻第九七七号・第九二九―九三〇頁〔明治三二年五月六日〕 横浜船渠会社の開業式(DK120003k-0012)
第12巻 p.40-41 ページ画像

東京経済雑誌 第三九巻第九七七号・第九二九―九三〇頁〔明治三二年五月六日〕
    ○横浜船渠会社の開業式
横浜船渠会社にては去る一日京浜両地の紳士千余名を招待して開業式を挙げたり、来賓は午前九時前より参衆し、同十一時式場に案内して社長川田竜吉氏の挨拶、浅田神奈川県知事其他の祝詞あり、正午立食の饗応あり、之れより先き九時よりは同社前の突堤内に碇泊し居たる赤十字社滊船博愛丸を第二船渠に入渠せしめて来賓の観覧に供し、又午後には博愛丸及び第一船渠入渠中の郵船会社滊船河内丸の船内を縦覧せしめ、角乗・烟火等の余興ありて午後三四時の頃一同退散したり同社の船渠は大小二個にして、第二船渠は已に三十年中に竣工し、第一船渠は去る四月中竣成して、前記河内丸第一着に入渠したる者なりと、今其の構造の大要を挙ぐれば
              第一船渠       第二船渠
 盤木上に於ける長    四百八十六尺四寸   三百五十三尺一寸
 入渠し得べき船舶の長  五百六尺二寸     三百六十六尺三寸
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 渠口幅上部       九十四尺一寸     六十一尺
    下部       七十五尺九寸     四十六尺
 吃水(通常満潮の時)  弐拾八尺       弐拾六尺四寸
 排水時間        四時間        二時三十分
右の第一船渠は目下我邦の商船は如何なる大船にても入渠差支なき由にて、河内丸の如き六千噸以上の大船なるに拘らず尚余程余裕あるやに見受けられたり



〔参考〕横浜市史稿 産業篇・第五五〇―五五二頁〔昭和七年一一月〕(DK120003k-0013)
第12巻 p.41 ページ画像

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