デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
15節 造船・船渠業
5款 浦賀船渠株式会社
■綱文

第12巻 p.93-101(DK120011k) ページ画像

明治36年6月(1903年)

是月、栄一当会社相談役ニ就任ス。四十年再選、四十二年ニ至ツテ辞任ス。コノ間当会社ノ為メ尽力スル所少ナカラズ。


■資料

(浦賀船渠株式会社)事業報告 第一四回明治三七年二月(DK120011k-0001)
第12巻 p.93 ページ画像

(浦賀船渠株式会社)事業報告 第一四回明治三七年二月
    相談役嘱托ノ件
一取締役会ノ決議ニ依リ、株主男爵渋沢栄一、同男爵前島密、同渡辺治右衛門ノ三氏ニ相談役ヲ嘱托シタリ


青淵先生公私履歴台帳(DK120011k-0002)
第12巻 p.93 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳 (渋沢子爵家所蔵)
  民間略歴(明治二十五年以後)
○中略
一浦賀船渠株式会社相談役 明治三十六年六月同四十年二月二十七日重任 四十二年六月六日辞任
○中略
  以上明治四十二年六月七日迄ノ分調


渋沢栄一 日記 明治三六年(DK120011k-0003)
第12巻 p.93-95 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三六年
二月二十日 晴
○上略午後一時海軍省ニ抵リ斎藤総務長官ニ面会シテ浦賀船渠会社ニ関スル談話ヲ為シ○下略
二月二十三日 晴
○上略二時兜町事務所ニ抵リ渡辺子爵・前島男爵ト浦賀船渠会社々務改良ノコトヲ談ス○下略
二月二十五日 晴
○上略午後四時海軍省ニ抵リ斎藤総務長官ニ面会シテ浦賀船渠会社ノコトニ関シ依頼スル所アリ○下略
 - 第12巻 p.94 -ページ画像 
三月十一日 晴
○上略十時海軍省ニ抵リ山本大臣ニ面会シテ浦賀船渠会社ノコトヲ依頼ス○下略
四月五日 曇
○上略九時兜町事務所ニ抵リ浦賀船渠会社ニ関スル改良策ヲ協議ス、渡辺治右衛門・佐々木慎思郎・富岡信次郎・早崎源吾ノ諸氏来会ス○下略
五月一日 曇
○上略午後一時佐々木慎思郎来リ話ス、二時前島・渡辺治右衛門二氏来リテ浦賀船渠会社ノコトヲ談ス○下略
五月十三日 雨
○上略午後二時過海軍省ニ抵リ山本大臣・斎藤次官ニ面会シテ浦賀船渠会社ノコトヲ談ス○下略
五月十六日 晴
○上略十一時兜町事務所ニ抵ル、佐々木慎思郎来リ浦賀船渠会社ノコトヲ談ス○下略
五月二十三日 曇
○上略富岡俊次郎来リ浦賀船渠会社ノコトヲ談ス○下略
六月五日 晴
○上略午後二時浦賀船渠会社株主総会ニ出席ス○下略
六月十六日 晴
○上略七時兜町事務所ニ抵リ、七時四十五分新橋発ノ汽車ニテ浦賀ニ抵リ、船渠会社工場ヲ一覧ス、渡辺治右衛門・臼井儀兵衛・佐々木慎思郎・早崎・富岡其他ノ諸氏来会ス、工場一覧後倶楽部ニ抵リ午飧シ且要務ヲ協議シ、更ニ分工場ヲ一覧シテ、三時浦賀ヲ発シ、七時過王子別荘ニ帰宿ス○下略
六月廿二日 雨
○上略午後二時兜町事務所ニ抵リ渡辺治右衛門・臼井儀兵衛・早崎源吾三氏ト浦賀船渠ノ金融ヲ談ス○下略
六月廿六日 雨
○上略午後二時前島密氏来リ、浦賀船渠会社ノ要務其他種々ノ要談ヲ為ス○下略
六月廿九日 晴
○上略清澄町臼井氏宅ニ抵リ浦賀船渠会社重役会ニ参列ス○下略
六月三十日 晴
○上略午後二時前島・塚原・富岡ノ三氏来リテ、浦賀船渠会社ニテ製造シタルヒリツピン政府ヨリ注文ノ船舶ニ関シテ将来ノ処分方法ヲ協議ス○下略
七月四日 晴
○上略九時兜町事務所ニ抵リ浦賀船渠会社重役会ニ出席ス○下略
七月十日 晴
○上略十時兜町事務所ニ抵リ来人ニ接ス、此日浦賀船渠会社重役会ヲ事務所ニ開ク○下略
八月四日 晴
○上略九時兜町事務所ニ抵リ浦賀船渠会社重役会ヲ開キ、マニラ政庁ヨ
 - 第12巻 p.95 -ページ画像 
リ注文アリシ砲艦ノ処分ノコトヲ協議ス○下略
八月廿九日 晴
○上略四時東京湾滊船会社内ニ於テ催フセル浦賀船渠会社重役会ニ出席ス○下略
十月三十一日 雨
○上略十時浦賀船渠会社重役会ヲ事務所内ニ開ク○下略
   ○右ノ事業報告ハ明治三十六年七月一日ヨリ同年十二月三十一日迄ノ報告書ナレドモ、相談役依嘱ノ月日ヲ明ラカニセズ、重役会決議録亦当会社ニ保存セズ、仮ニ栄一民間略歴ニ拠リ六月ト為ス。
   ○栄一日記モ亦相談役依嘱ノ事ヲ詳細セズト雖モ、種々会社ノ要務ニ与レルコト右ノ日記ニ見ユル如シ。而シテ相談役依嘱ハ六月五日ノ株主総会ニ於ケルモノト思考ス。
   ○明治四十年二月二十七日当会社定款ヲ改正シ、第二十五条ニ相談役ニ関スル項目ヲ新ニ加フ。栄一及ビ渡辺治右衛門ハ相談役ニ重ネテ撰任サル。
   ○右日記中ニ見ユル海軍省トノ交渉ハ、マニラ政庁ヨリ注文ヲ受ケタル税関用監視船ノ五隻中三隻ノ買入謝絶ニ遭ヒタル為メ、該件ニ就キ当局ヲ訪レタルモノカ。
   ○東京石川島造船所浦賀分工場買収後ニ於ケル当会社ノ営業成績其ダ不振ニシテ、種々重役間ニ協議ヲナセル事情ハ右日記中ニ見ル如シ。社長塚原周造ハ明治三十六年四月職ヲ辞シ、之ニ代リテ、海軍少将早崎源吾社長トナル。


(浦賀船渠株式会社)株主総会決議録(DK120011k-0004)
第12巻 p.95-97 ページ画像

(浦賀船渠株式会社)株主総会決議録
                 (浦賀船渠株式会社所蔵)
    明治四十年二月廿七日株主臨時総会決議録
明治四十年二月二十七日東京市日本橋区坂本町四十番地東京銀行集会所ニ於テ、当会社株主臨時総会ヲ開ク、出席株主三百十九名此権利株数二万三千五百七十一(委任状共)ニシテ、左記事項ヲ決議シタリ
一第一号議案当会社資本金増加ノ件ハ別紙取締役提案ノ通リ○中略
 評議員ハ議長ノ指名ニ依リ左ノ十氏ヲ選挙セリ
  伊藤幹一君  石川甚作君  大沢朝吉君
  岡本善七君  田中永昌君  土屋大次郎君
  福島浪蔵君  小池国三君  佐藤秀顕君
 株式会社東京石川島造船所専務取締役
  平沢道次君
一第二号議案定款改正ノ件ハ、左記修正ヲ為シタル外取締役提出案ノ通リ○修正事項略ス
一改正定款第二十五条ノ相談役ヲ男爵渋沢栄一君・渡辺治右衛門君ノ二氏ニ嘱托スル事
右決議候也
  明治四十年二月二十七日
              浦賀船渠株式会社
               専務取締役 早崎源吾
                       ○外七名連署印略

(別紙)
    株主臨時総会議案
 - 第12巻 p.96 -ページ画像 
第壱号議案
 一当会社現資本金百九拾万円ノ処、更ニ資本金弐百参拾万円ヲ増シテ金四百弐拾万円トナスコト
 理由 当会社ノ営業ハ創立以来主トシテ艦船ノ修理工事ヲ目的トセシモ、工場ノ位置自ラ横浜・神戸等ニ及ハサルモノアルノミナラス、元来修理工事ノミヲ以テ大工場ノ経済ヲ維持センハ頗ル至難ノ事ニ属スルヲ以テ、更ニ進テ造船事業ヲ開クノ方針ヲ取リ、去ル明治三十八年中先ツ艦載水雷艇三隻ヲ建造シテ海軍当局ノ賞賛ヲ博シ、其後引続キ駆遂艦二隻新造ノ命ヲ受クル等、幸ニモ予想以上ノ好成績ヲ得ルニ至レリ、然ルニ今ヤ戦後海運業発達ノ大勢ハ更ニ大ニ造船業ノ拡張ヲ促スモノアルヲ認ムルヲ以テ、此機ニ於テ時運ノ需ニ応セントスル所以ナリ
 二増資ノ方法
  第一、新株式壱株ノ金額ハ金五捨円トシ、其総株数ヲ四万六千株トス
  第二、新株式ノ内参万八千株ハ明治四拾年五月拾日現在株主ニ対シ、壱株ニ付壱株ノ優先権ヲ与ヘ、応募セシムルコト
  第三、新株式ノ内八千株ノ募集及第五項ノ棄権株式ノ処分ハ取締役会ニ一任スルコト○第四項第五項略ス
第弐号議案 定款改正ノ件
 一本社定款ノ全部ヲ左ノ如ク改正スルコト
    浦賀船渠株式会社定款改正案
○上略
  (新条)
  第廿五条 本会社ハ株主総会ノ決議ニ依リ、本会社株主中ヨリ一名又ハ数名ノ相談役ヲ嘱託スルコトヲ得
  定款改正理由
○上略
  一第二十五条ハ相談役ヲ置クノ必要アルヘキヲ予想シ、之ガ規定ヲ作ルノ必要ヲ認ムルニ因ル
○下略

    明治四十年十月二十八日株主臨時総会決議録
明治四十年十月二十八日東京市日本橋区阪本町四十番地東京銀行集会所ニ於テ当会社株主臨時総会ヲ開ク、出席株主参百七拾壱名此権利総数弐万千百六拾五個(委任状共)ニシテ、左記事項ヲ決議シタリ
一第壱号議案ハ別紙取締役提出案ノ通リ
一第弐号議案取締役ニ浅野総一郎・朝田又七・原六郎・来栖壮兵衛・中園慎吾・白石元治郎・斎藤鉄太郎ノ七氏当選シ、監査役ニ田中善助・青江政次郎ノ二氏当選ス
一相談役男爵渋沢栄一・同渡辺治右衛門二氏ハ辞任シタルヲ以テ、更ニ男爵渋沢栄一・近藤廉平ノ二氏ヘ嘱託セリ
右ノ通ニ有之候也
  明治四十年十月二十八日
 - 第12巻 p.97 -ページ画像 
                 取締役 早崎源吾
                       ○外六名連署印略
    株主臨時総会議案
第一号議案
第一項 明治四十年二月二十七日ノ臨時総会ニ於テ為シタル資本増加ノ決議ハ之ヲ取消シ、当会社ノ資本ヲ右増加以前ノ金額即チ金壱百九拾万円ニ復旧スルコト
第二項 左ノ方法ニ依リ当会社ノ資本ヲ減少スルコト
 一、株式二株ヲ併合シテ壱株トナシ、当会社ノ株式総数ヲ壱万九千株トスルコト
 二、併合シタル株式壱株ノ金額ヲ五拾円トシ、当会社ノ資本総額ヲ金九拾五万円トスルコト○外二項略ス
第三項 前項減資ノ上、更ニ左ノ方法ヲ以テ当会社ノ資本ヲ増加スルコト
 一、壱株五拾円ノ新株式壱万九千株ヲ募集シ、当会社ノ資本総額ヲ金壱百九拾万円トスルコト
 二、前号ノ新株式ハ之ヲ優先株式トシ、優先株主ハ利益配当ニ際シ前半期優先シテ年壱割ノ割合ノ配当ヲ受ケ、尚剰余アル場合ハ普通株主ニ対スル半期ノ配当率カ年壱割ニ満ツルマテハ之ヲ普通株主ニ配当シ、其以上剰余アルトキハ優先株主ト普通株主ト平等ノ割合ヲ以テ其配当ヲ受クルコト○以下第四、五、六項略ス
理由
 一当会社カ曩ニ為シタル増資ノ決議ハ、其後経済状態ノ劇変ニ依リ実行ヲ見ルニ至ラサリシニ依リ、此際断然右ノ決議ヲ取消シ、前記各項ノ方法ヲ採ルノ止ムヲ得サルニ至レリ、是レ議案第一項ノ取消決議ヲ為ス所以ナリ
 二今日ニ於テ当会社ノ資本増加ノ実ヲ挙クルハ、優先株式ニ依ルノ外ナシト信ス、而テ優先株式応募者ノ安心ヲ沽ヒ、同時ニ現在株主ノ地位ヲ堅実ナラシムルニハ、会社ノ基礎ヲ安固ニスルノ必要アルヲ以テ、先ツ現在ノ資本金百九拾万円ヲ半減シテ九拾五万円トナシ、其減資シタル資本金ハ営業上ノ損失金ヲ塡補シ、其残余ハ船渠船台建築物諸機械・器具・船舶等ノ減価資金ニ充テ、会社ノ経済基礎ヲ確固タラシメントス、是レ第二項ノ減資決議ヲ要スル所以ナリ○下略
   ○当時ノ当会社業績ヲ見ルニ、戦後暫ク好況ヲ呈シタル海運界ノ沈衰ト共ニ作業振ハズ、日露戦後海軍艦政本部ヨリ駆逐艦長月・菊月二隻ノ注文ヲ受ケタル外、取リ立テテ云フベキモノナク、四十二年上半期営業概況ヲ見レバ、本期ニ於ケル営業概況ニ就キテハ入渠船数ハ前期ニ比シ著シキ増加ヲ見ルモ僅カニ一、二隻ヲ除キ他ハ執レモ応急ノ修理工事ニ属シ、又船舶以外ノ工事ニ至テハ商工業一般不振ノ結果頓ニ減少シ、加フルニ同業者間ノ競争ハ日ニ倍々劇甚ヲ加ヘ、随テ予期ノ成績ヲ収ムルコトヲ得ザルハ当局者ノ頗ル遺憾トスルトコロ云々トアル。(「青淵先生関係会社調」ニ拠ル)


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK120011k-0005)
第12巻 p.97-99 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四〇年
二月二十七日 晴 暖 起床七時二十分 就蓐十二時
○上略
 - 第12巻 p.98 -ページ画像 
午後二時銀行集会《(所脱)》ニ抵リ浦賀船渠会社株主総会ニ出席ス
三月四日 曇 寒 起床七時三十分就蓐十一時三十分
○上略午後○中略四時事務所ニ抵リ浦賀船渠会社ノ重役会ニ出席シ、要務ヲ協議ス○下略
四月四日 晴 暖 起床九時就蓐十一時三十分
○上略更ニ浦賀船渠会社ノ重役会ヲ事務所ニ開キ、畢テ夜九時過王子ニ帰宿ス
四月三十日 半晴 暖 起床七時就蓐十二時
○上略十二時第一銀行ニ抵リ浦賀船渠会社重役会ニ列シ要件ヲ談ス○中略午前八時浅野総一郎氏来話、沖電気事業及浦賀船渠会社ノコトヲ談ス
五月十一日 晴 軽寒 起床七時
○上略
午後三時兜町事務所ニ於テ浦賀船渠会社重役会ヲ開キ、同会社ノ将来ニ関シ種々ノ協議ヲ為ス
五月十三日 晴 軽暖 起床七時就蓐十二時
○上略午前九時浅野総一郎氏来リ浦賀船渠会社ノコトヲ談ス○下略
五月十四日 晴 暖 起床七時
○上略午後三時兜町事務所ニ於テ浅野総一郎氏ニ会話ス、又浦賀船渠会社重役会ニ列シテ要件ヲ談ス○下略
五月二十九日 曇大風 暑 起床七時就蓐十一時三十分
○上略午前十一時兜町事務所ニ抵リ浦賀船渠会社重役会ニ出席ス○下略
七月二十六日 晴 冷 起床七時就蓐十一時三十分
○上略午後四時浦賀船渠会社株主相談会ニ出席ス○下略
七月三十日 晴 暑 起床六時三十分就蓐十一時三十分
○上略午前佐々木慎思郎来リ浦賀船渠会社ノコトヲ談ス○下略
九月七日 晴風強シ 暑 起床六時就蓐十一時三十分
○上略午前十時兜町事務所ニ抵リ浦賀船渠会社ノ株主総会ニ於テ撰挙セラレタル委員ニ面会シ、会社将来ノ経営ニ関シ種々ノ協議ヲ為ス○下略
十月二日 曇 冷 起床七時就蓐十一時三十分
○上略午前十時兜町事務所ニ抵リ浦賀船渠会社ノ委員数名ト共ニ浅野総一郎氏ニ面会シテ会社整理ノコトヲ協議ス○下略
十月五日 曇 冷 起床七時三十分就蓐十一時三十分
○上略五時半浅野総一郎氏及浦賀船渠会社委員来会シ同会社維持方法ヲ協議ス、現重役佐々木慎思郎氏モ来会ス○下略
十月七日 曇 冷 起床六時三十分就蓐十一時三十分
○上略
午後三時頃ヨリ浦賀船渠会社委員浅野総一郎氏ト事務所ニ会合シ、同会社ノコトニ関シ種々ノ協議ヲ為シ覚書ヲ交換ス(文案ハ浅野ノ原案ヲ修正セシモノナリ)
十月八日 晴 冷 起床六時三十分就蓐十一時三十分
○上略浅野総一郎氏来リテ浦賀船渠会社ノコトヲ談ス○中略 十一時日本郵船会社ニ抵リ近藤氏ニ面会シ浦賀船渠会社相談役タランコトヲ依頼ス○下略
十月十一日 晴 冷 起床六時三十分就蓐十二時
 - 第12巻 p.99 -ページ画像 
○上略六時頃浦賀船渠会社ノコトニ関シ平沢其他ノ委員来話ス○下略
十月二十六日 晴 冷 起床七時就蓐十二時
○上略十一時海軍省ヲ訪ヒ斎藤大臣ニ面会シテ浦賀船渠会社ノコトヲ陳述ス○下略
十月二十八日 曇 冷 起床七時就蓐十二時
○上略十二時銀行集会所ニ抵リ浦賀船渠会社整理委員ト会談ス、午餐後同会社株主総会ヲ開キ議長席ニ就テ議事ヲ整理ス、午後四時閉会ス、後新重役諸氏ト種々ノ協議ヲ為ス、夜八時夜餐ヲ共ニシ○下略
   ○右ノ十月七日栄一日記ニ見ユル覚書ニ関スル事項未詳。
   ○早崎源吾ニ代ツテ浅野総一朗社長ト為リ(明治四十年十月就任、明治四十四年十二月二十七日辞任)、社業整理ニ勉メタレドモ、逆境ヲ脱スルヲ得ズ、優先株ノ発行ハ遂ニ見合セトナリ従テ資本額ハ九十五万ニ減資サレタルマヽ維持セラレタリ、而シテ大正二年四月資本金ヲ三十八万円ニ切下ゲ更ニ同年六月四十二万円ヲ増資シ資本金八十万円トナス。



〔参考〕日本近世造船史(造船協会編) 第八三〇―八三三頁〔明治四四年一月〕(DK120011k-0006)
第12巻 p.99-100 ページ画像

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〔参考〕日本近世造船史大正時代(造船協会編) 第二四九―二五〇頁〔昭和一〇年一二月〕(DK120011k-0007)
第12巻 p.100-101 ページ画像

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