デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
16節 製綱業
1款 東京製綱株式会社
■綱文

第12巻 p.117-120(DK120015k) ページ画像

明治39年12月28日(1906年)

是日当会社、月島製綱株式会社ノ合併ヲ決シ、尋イデ同四十二年五月日本製綱株式会社ヲ合併シテ資本金百十五万円ニ増額ス。栄一会長トシテ之ニ与ル。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三六年(DK120015k-0001)
第12巻 p.117 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三六年
五月十八日 曇 夕方ヨリ雨
午前八時朝飧ヲ畢リ、九時深川ニ抵リ製綱会社分工場ヲ一覧シ、重役会ヲ開キテ月島工場買収ノコトヲ協議ス ○下略


(東京製綱株式会社)報告書 第四〇回 明治四〇年六月(DK120015k-0002)
第12巻 p.117-118 ページ画像

(東京製綱株式会社)報告書 第四〇回 明治四〇年六月
    ○株主総会
 - 第12巻 p.118 -ページ画像 
明治三十九年十二月二十八日臨時株主総会ヲ麻布本社ニ開ク、出席株主百六名(委任状加算)此株数壱万弐千六百九拾壱株ニシテ、月島製綱株式会社合併ニ関スル左記議案ヲ可決セリ
      議案
第一項 月島製綱株式会社ヲ左記条件ヲ以テ東京製綱株式会社ニ合併スルコト
  但左記仮契約書ヲ承認スルヲ以テ此決議ヲ為シタルモノトス
 説明 製綱事業現下ノ状態ニ鑑ミ、双互ノ競争ヲ避ケ更ニ事業ノ発展ヲ計ル為メ、此合併ヲ必要トスルニ依ル
    仮契約書
 第一条 東京製綱株式会社ヲ甲トシ、月島製綱株式会社ヲ乙トシ、甲乙両会社ハ左ノ条件ヲ以テ合併ヲ為スコト
  一、乙会社ヲ解散シテ甲会社ニ合併シ、甲会社ハ合併ニ依リ資本ヲ変更シテ存続スルコト
  二、合併後ノ甲会社資本金額ハ百万円トシ、甲ノ株主ハ合併ニ依リ其株式ニ影響ヲ受ケス、乙ノ株主ニ対シテハ乙ノ五拾円払込株式弐株ニ対シテ甲ノ五拾円払込株式壱株、乙ノ拾弐円五拾銭払込株式弐株ニ対シ甲ノ拾弐円五拾銭払込株式壱株ヲ配付スルモノトス
   ○三、四略ス。
   ○第二条―第十一条略ス。
第二項 東京製綱株式会社及月島製綱株式会社ノ合併ニ付必要ナル法律上ノ手続ハ一切取締役ニ一任スルコト


(東京製綱株式会社)報告書 第四四回 明治四二年六月(DK120015k-0003)
第12巻 p.118-119 ページ画像

(東京製綱株式会社)報告書 第四四回 明治四二年六月
    ○株主総会
明治四十二年五月二十八日臨時株主総会ヲ麻布本社ニ於テ開ク、出席株主百五十八名(委任状加算)、此株数壱万参千四百八十七株ニシテ、日本製綱株式会社合併ニ関スル左記議案ヲ可決セリ
      議案
第一項 日本製綱株式会社ヲ左記条件ヲ以テ東京製綱株式会社ニ合併スルコト
  但左記仮契約ヲ承認スルヲ以テ此決議ヲ為シタルモノトス
 説明 製綱事業現今ノ状態ニ鑑ミ、双互ノ競争ヲ避ケ更ニ事業ノ発展ヲ計ル為メ、此合併ヲ必要トスルニ依ル
    仮契約書
 第一条 東京製綱株式会社ヲ甲トシ、日本製綱株式会社ヲ乙トシ、甲乙両会社ハ左ノ条件ヲ以テ合併ヲ為スコト
  一、乙ヲ解散シテ甲ニ合併シ、甲ハ合併ニ依リテ資本ヲ変更シテ存続スルコト
  二、合併後甲会社資本金額ハ百拾五万円トシ、甲ノ株主ハ合併ニ依リ其株式ニ影響ヲ受ケス、乙ノ株主ニ対シテハ乙ノ五拾円払込株式弐株ニ対シテ甲ノ五拾円払込株式壱株ヲ配付シ、乙ノ新株式ニ対シテハ其払込金(明治四十一年十一月三十日ノ事業報
 - 第12巻 p.119 -ページ画像 
告書ニ拠ル)ヲ甲ヨリ現金ヲ以テ払戻スモノトス
   ○三、四略ス。
   ○第二条―第十条略ス。
第二項 東京製綱株式会社及日本製綱株式会社ノ合併ニ付必要ナル法律上ノ手続ハ一切取締役ニ一任スルコト


竜門雑誌 第二一六号・第二八頁〔明治三九年五月二五日〕 ○東京製綱株式会社の創業二十周年園遊会(DK120015k-0004)
第12巻 p.119-120 ページ画像

竜門雑誌 第二一六号・第二八頁〔明治三九年五月二五日〕
○東京製綱株式会社の創業二十周年園遊会 東京製綱会社に於ては去四月二十二日午後三時、朝野の名士数百名を、芝公園紅葉館に招請して、創業二十周年祝賀園遊会を開催せられたるが非常の盛会なりしと云ふ、当日は同社取締役会長たる青淵先生は微恙の為め出席せられざりしを以て、専務取締役たる山田昌邦氏代りて挨拶の辞を述べられたり、今同社の沿革を得たれば之を左に録す
 抑も製綱の事業たる、各艦船は勿論鉱山・土木・石油・鑿井用等に於ける必要は論を俟たず、然して其之れを製作するもの往年は只横須賀造船所内に於て僅かに一の製綱所ありしのみ、他は皆其需要を舶来品に仰ぐにあらざれば、旧来の拙劣なる手工に依りて粗雑なる綱具を製作するに過ぎざりき、是当社が発起設立せられし所以にして、其創立は実に明治二十年に在り、蒸滊製綱機械数十台を英米両国より取寄せ、製綱技師として英国人を雇入れ、玆に始めて製綱事業改良の規模を挙げ爾来年を歴ること二十周年、其間経験の結果は能く精良なる綱具を製出し殆んど外国品の輸入を防遏することを得るに至れり
 当社現在の資本金は八拾万円にして積立金の現在高は参拾五万余円なり、創業当時の資本金は七万円なりしが、二十一年に拾万円となり、二十二年に弐拾万円となり、二十六年に拾弐万円に減額し、二十八年に又弐拾万円に増額し、三十年に参拾六万円となり、三十三年に五拾万円となり、本年更に増資して八拾万円となり今日に及べり
 二十八年に至り関西地方営業上の便宜を図り神戸市兵庫に分工場を設置し、同年八月六日に起工し二十九年三月二日に開業せり、本社及兵庫分工場に於て麻綱のみの製造に従事し居りし所、二十八九年の頃より鋼索の需要漸く多きを加ふるの形勢ありしを以て、更に当市深川区東大工町に分工場を設け鋼索製造に着手せり
 右工場建築は三十一年八月九日に竣工し、同年十月二十日開業せしが、全く東洋唯一の新事業にして他に模範とすべきものなく総ての経営皆創始に属するが為め、製造方意の如くならず随て経費の損失不少、其当時の社中の苦心一と方ならざりし、爾来九年間の経験は能く精巧なる鋼索を製作し、舶来の精良品に比し更に遜色なき旨先年各海軍造船廠に於て証明せられ、其後英国ロイド組合の証明書をも得るに至れり
 明治三十六年第五回内国勧業博覧《(会脱)》へ出品し、名誉銀牌を受領せり
 明治三十七八年征露の役興るや我陸海軍の緊急なる需要に応じ、終始内国の製品を以て供給することを得たるは本社の最も栄とする所
 - 第12巻 p.120 -ページ画像 
なり
 戦後国運の発展に伴ひ当社も亦大に業務を拡張し益々奮励して以て斯業の改善発達に勗めんことを期し、更に福岡県小倉へ分工場を設け鋼索を製造し、専ら海外へ輸出するの計画中なり
 創立の際には横須賀造船所の製綱機械を引受け、専ら軍艦用の綱具を供給し居りしも、漸次民業に関する需要増加し、製造高の十分の七以上を、海外輸出及鉱山用・土木用・商船用等の需用に応じ居れり
 二十七八年征清の役及三十七八年討露の役の際には製造高の十分の五以上を軍需品に供給せり
 製品売捌高比較
  創業の際即ち明治二十年には
   数量  拾七万五千九百八拾四斤半
   此代金 参万四千八百五拾五円六銭弐厘
 にして、漸次増加し、明治二十八年まで(兵庫分工場設置の前年まで)九箇年間の平均一箇年の売捌高は
   数量  七拾弐万七千参百四拾八斤
   此代金 拾参万六千四百参拾参円五拾五銭壱厘
 創業より明治三十一年前期まで(深川分工場設置の前年まで)十一け《(ケ)》年半の間の平均一箇年の売捌高は
   数量  九拾九万七千六百七拾弐斤
   此代金 拾七万弐千八百七拾弐円五拾銭弐厘
 然して
  昨三十八年の売捌高は
   数量  五百七拾七万参千九百四拾五斤半
   此代金 百七拾壱万弐千九百壱円八拾六銭
 以上の如き増額を見るに至りしは、製品原料の価格逐年騰貴せる関係ありと雖ども、八年前の平均価額に比し殆んど十倍に達せり
 創業より昨三十八年まで十九箇年間の平均一箇年の売捌高は
   数量  弐拾弐万千参百四拾五斤半
   此代金 四拾六万千参百拾六円参拾五銭九厘
 なり