デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
16節 製綱業
1款 東京製綱株式会社
■綱文

第12巻 p.120-123(DK120016k) ページ画像

明治42年6月6日(1909年)

是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社取締役会長ヲ辞ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四二年(DK120016k-0001)
第12巻 p.120-121 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四二年
六月六日 雨 冷
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ、諸関係会社ノ業務担当者ヲ会シテ、都テ其職務辞退ノコトヲ懇話ス、来会中種々《(者脱カ)》ノ論説アリシモ、切ニ之ヲ慰諭シ、一同ト共ニ午飧シ、後更ニ談話ヲ継続セシモ、一同ハ尚各
 - 第12巻 p.121 -ページ画像 
会社将来ノコトヲ懸念シテ止マサリキ ○下略


竜門雑誌 第二五三号・第四七―四八頁 〔明治四二年六月二五日〕 青淵先生の各種関係事業引退(DK120016k-0002)
第12巻 p.121 ページ画像

竜門雑誌 第二五三号・第四七―四八頁 〔明治四二年六月二五日〕
    青淵先生の各種関係事業引退
我青淵先生○中略 本月六日従来関係の深かりし左の諸会社の諸氏を兜町の事務所に招き其旨○辞任 を発表して懇ろに趣意の在る所を説明せられ尋いで同日附を以て左記の如き辞任書及書状を発送せられたり
○中略
             東京製綱株式会社
               専務取締役 山田昌邦君
    辞任書
拙者儀頽齢に及び事務節約致度と存候間貴社「何何役」辞任仕候此段申上候也
  明治四十二年六月六日         渋沢栄一
    書状
拝啓、時下向暑の候益々御清泰奉賀候、陳ば小生儀追々老年に及ひ候に付ては関係事務を減省致度と存し、今回愈々第一銀行及東京貯蓄銀行を除くの外一切の職任を辞退致候事に取極候に付、別紙辞任書差出候間事情御了察の上可然御取計被下度候、尤も右様役名は相辞し候へ共、向後とて従来の御交誼上必要に臨み御相談に与り候事は敢て辞する処に無之候間、其辺御承知置被下度候、此段申添候 敬具
  明治四十二年六月六日         渋沢栄一
辞任せられたる各種事業の名称及職任は左の如し
○中略
  東京製綱株式会社同上 ○取締役会長
○下略


(東京製綱株式会社)報告書 第四五回 明治四二年一二月(DK120016k-0003)
第12巻 p.121-122 ページ画像

(東京製綱株式会社)報告書 第四五回 明治四二年一二月
    株主総会
明治四十二年六月十四日第四十四回定時株主総会ヲ京橋区西紺屋町十九番地東京地学協会ニ於テ開ク、出席株主参拾参名(委任状加算)、此株数五千八百弐拾参株ニシテ、前期間ニ於ケル営業報告及諸計算ノ認定並ニ利益金ノ分配ニ関スル議案ヲ可決セリ
明治四十二年七月十日臨時株主総会ヲ麻布本社ニ於テ開キ、左記議案ノ通リ全会一致ヲ以テ可決セリ
 取締役会長渋沢栄一氏辞任セラレ候ニ付、在任中ノ功労ニ酬ユル為メ花瓶料トシテ金壱万円ヲ贈呈スベキ事
 右決議相成候上ハ別途積立金ノ内ヨリ支出スベキ事
右決議ニ依リ、左記感謝状ヲ添ヘ贈呈セリ
 閣下当社創業以来親シク社務ヲ統督セラレ、以テ今日ノ盛況ヲ見ルニ至リタルハ株主一同ノ感謝措ク能ハザル所、今其任ヲ辞セラル、真ニ愛惜ニ堪ヘズ、聊謝意ヲ表センガ為メ、花瓶料金壱万円ヲ贈呈ス、冀クハ采蘩ノ微意ヲ察納アランコトヲ
  明治四十二年七月十日
 - 第12巻 p.122 -ページ画像 
                東京製綱株式会社
                専務取締役 山田昌邦
    男爵 渋沢栄一殿
右ニ対シ渋沢男爵ヨリ左記ノ礼状ヲ交付セラレタリ
 拝啓、時下益御清栄奉賀候、然ハ小生儀今般老齢事務減省ノ為メ貴社取締役辞任致候ニ付テハ、特ニ株主総会ノ御決議ヲ以テ、小生ニ対スル御慰労トシテ鄭重ナル御書面ト共ニ花瓶料金壱封御贈与被成下忝ク拝受仕候、右ハ小生ノ微功ニ対シ全ク望外ノ御待遇ニ有之、頗ル恐縮ノ至深ク感謝ノ外無之候、此段以書中御厚礼申上度如此ニ御座候 敬具
  明治四十二年七月十三日        渋沢栄一
  東京製綱株式会社
    専務取締役 山田昌邦殿
    登記事項
六月二十一日    取締役渋沢栄一氏辞任 東京区裁判所


実業之世界 第六巻・第七号〔明治四二年七月一日〕 余が今回辞任したる六十会社の運命観(男爵渋沢栄一)(DK120016k-0004)
第12巻 p.122 ページ画像

実業之世界 第六巻・第七号〔明治四二年七月一日〕
  余が今回辞任したる六十会社の運命観(男爵 渋沢栄一)
    ◎東京製綱株式会社
           (明治二十年四月設立払込資本八十八万円配当年一割八分渋沢男は当会社の取締役会長)
是は頗堅固な会社で頻りに資本の償却をやつて居る。専務は山田昌邦と云ふ人で学識能力の備はつて居ると云ふ方ではないが、此の道に就ては、長年の経験もあり至極真面目で、仕事も地味にやつて居る。是を助くるに取締役深山正と云ふ人があるが、此の人も頗る堅固な遣口の人であるから、私が重役を辞した所で、大抵やつて行けるだろうと思ふ。



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正四年(DK120016k-0005)
第12巻 p.122 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年
六月十九日 晴
○上略 午前十一時事務所ニ抵リ赤松範一・渡部朔二氏ト製綱会社ノコトヲ内談ス ○下略
六月二十九日 晴
○上略 午飧後 ○中略 山田昌邦氏来リ製綱会社ノコトヲ談ス ○下略


〔参考〕渋沢栄一 日記 大正八年(DK120016k-0006)
第12巻 p.122-123 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正八年
四月二十八日
○上略
又同氏○浅野総一郎 ハ東京製綱会社ト契約セル小倉鉄工場ノコトニ関シテ種種ノ頼談アルニ依リ、山田昌邦氏ニ会見シテ再三其次第ヲ聴聞シ、目下一ノ調停案ヲ以テ浅野氏ニ示シ同時ニ山田邸ニ紹介中ナリ
   ○当会社年表
    明治二十年三月  資本金七万円ヲ以テ東京市麻布区本村町ニ当会社ヲ設立シ、麻綱及マニラ綱製造ヲ開始ス。
 - 第12巻 p.123 -ページ画像 
    明治二十一年三月 資本金ヲ十万円ニ増額ス。
    明治二十二年八月 資本金ヲ二十万円ニ増額ス。
    明治二十六年十月 資本金ヲ十二万円ニ減額ス。
    明治二十八年三月 資本金ヲ二十万円ニ増額シ、兵庫ニマニラ綱製造工場ヲ建設ス。
    明治三十年四月  資本金ヲ三十六万円ニ増額シ、東京市深川区東大工町ニワイヤロープ製造工場ヲ設置ス。
    明治三十二年四月 資本金ヲ五十五万円ニ増額ス。
    明治三十九年二月 資本金ヲ八十万円ニ増額シ、小倉ニワイヤロープ製造工揚ヲ建設ス。
    明治四十年三月  資本金ヲ百万円ニ増額シ、月島製綱株式会社(資本金五十万円、麻綱製造業)ヲ合併シテ同工場ヲ月島工場ト称ス。
    明治四十二年五月 日本製綱株式会社(資本金百万円、麻綱製造業)ヲ合併シテ同社工場ヲ洲崎工場ト称ス。
    明治四十二年八月 資本金ヲ百十五万円ニ増額ス。
    明治四十二年九月 資本金ヲ百五十万円ニ増額シ、本社ヲ京橋区三十間堀ニ移ス。
    明治四十三年八月 麻布工場ヲ月島工場ニ合併ス。
    大正二年二月   資本金ヲ三百万円ニ増額ス。
    大正三年三月   英国ロイド協会ハ本社製造ワイヤロープノ信用ヲ認メテ認定工場トナス。
    大正四年二月   洲崎工場ニ於ケル麻綱製造業ヲ月島工場ニ合併シ、洲崎工場ニ於テハ、ワイヤロープヲ製造スルコトトス。
    大正六年一月   資本金ヲ六百万円ニ増額ス。
    大正六年十二月  資本金ヲ一千万円ニ増額ス。
    大正八年四月   海軍中将伏見宮博恭王殿下当社深川工場及月島工場ニ台臨、親シク工場ノ設備及作業ノ実況ヲ御視察アラセラル。
    大正九年十二月  洲崎工場ヲ閉鎖ス。
    大正十年六月   本社ヲ深川区東大工町ニ移ス。
    大正十二年二月  京橋区南鍋町ニ出張所ヲ設置シ営業事務ヲ取扱フ。
    大正十二年九月  大震災ノ為メ本社・出張所・深川工場・月島工場及洲崎工場全部焼失ス。営業事務所ヲ常務取締役戸村理順方ニ設ケ、鋼索製造ハ深川工場及川崎工場ニ於テ、麻綱製造ハ全部川崎工場ニ於テ復興ノ方針ヲ採ル。
    大正十二年十月  営業所ヲ災前ノ場所ニ新築セル仮建物ニ復ス。
    大正十二年十二月 深川工場ハワイヤノ製造ヲ開始シ、川崎工場ハ同月中ワイヤロープ及麻綱製造ニ着手シ得ルニ至レリ。
    大正十三年十二月 横浜製綱株式会社(資本金二百万円鋼索及麻綱製造業)ヲ合併シテ同社工場ヲ横浜工場ト称ス。資本金ヲ一千五十万円ニ増額シ、本社ヲ現在ノ京橋区南紺屋町二十六番地ニ移ス。
    大正十五年八月  深川工場ノ設備全部ヲ川崎工場ニ移転シ深川工場ヲ廃止ス。
    昭和二年一月   横浜工場鋼索部ヲ川崎工場ニ移転ス。
    昭和二年十月   横浜工場麻綱部ヲ川崎工場ニ移シ、横浜工場ヲ廃止ス。