デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
17節 汽車・自動車製造業
1款 平岡工場
■綱文

第12巻 p.124-126(DK120017k) ページ画像

明治23年6月23日(1890年)

是ヨリ先、元鉄道局技師平岡熙、製工所ヲ設ケ汽車製造業ヲ興サントスルヤ、栄一、平岡及ビ益田孝等ト謀リ匿名組合ヲ組織シ、是日開業ス。後二十七年十月三十一日同組合ヲ解散シ、平岡熙ノ単独経営ニ任スニ至レリ。


■資料

青淵先生六十年史 (再版) 第二巻・第二九七頁 〔明治三三年六月〕(DK120017k-0001)
第12巻 p.124 ページ画像

青淵先生六十年史(再版)  第二巻・第二九七頁〔明治三三年六月〕
 ○第四十七章 汽車製造業
    第一節 平岡工場
青淵先生汽車製造業ノ我邦ニ起ラサルヲ慨シ、明治二十三年六月二十三日益田孝・平岡熙等謀《(ト脱カ)》リ、小石川陸車砲兵本廠内工場ノ一部ヲ借用シ此ノ業ヲ創始ス、平岡ハ久ク鉄道作業局ニアリ汽車製造ニ熟スルモノナリ、又砲兵本廠ノ工場一部ハ当時不用ニ属スルモ万一事アルノ日ニ当リ必要アリ、職工ヲ離散セシメサルカ為メ陸軍省ヨリ特約ヲ結ヒテ貸下タルモノナリ、此ニ於テ一ノ匿名組合ヲ組織シ、平岡工場ノ名ヲ以テ事業ヲ経営セリ、先生亦其組合員タリ
平岡工場開業後、数多ノ車輛等ヲ製造シタルモ、明治二十七年ニ至リ陸軍省ニ於テ工場ノ入用アル等ノ為メ、工場ヲ本所錦糸堀ニ移シ、同時ニ組合ヲ解散シ、平岡一名ノ所有ニ帰セリ、時ニ同年十月三十一日ナリ、爾来平岡ハ単独ニ其営業ヲ継続シ漸次盛況ニ赴キツヽアリト云フ


渋沢子爵家所蔵文書 白一ノ四五 【平岡製工所組合規約】(DK120017k-0002)
第12巻 p.124-126 ページ画像

渋沢子爵家所蔵文書  白一ノ四五
    平岡製工所組合規約
鉄道局非職技師平岡熙自ラ製工所ヲ設ケ、鉄道其他ニ要スル諸種ノ車等ヲ製作セントノ発起ヲ賛成シ、左記ノ人々資本金ヲ醵出シ、斯業ノ損益ヲ分担セント玆ニ組合ヲ結ヒ、左ノ規約ヲ締結ス
   第一条
組合員ノ姓名ハ左ノ如シ
          拾名
   第二条
此製工所ハ平岡熙ノ発起ニ係ルヲ以テ其名称ヲ平岡製工所ト為スヘシ
   第三条
此製工所ノ営業ハ諸方ノ注文ニ応シ、鉄道其他ニ要スル諸種ノ車及総テ之レカ附属物ヲ製造スルヲ以テ目的トス
   第四条
 - 第12巻 p.125 -ページ画像 
此製工所ノ営業年限ハ本規約調印ノ日ヨリ起算シ向フ 《(マヽ)》ケ年間ト定ム
但組合員ノ協議ニ由リ尚ホ継続スルコトヲ得
   第五条
製工所ノ位置及工事ノ都合ニ由リ他ニ支所ヲ設ル等ノ事ハ組合員一同ノ協議ヲ以テ定ムルモノトス
   第六条
平岡熙ハ製工所一切ノ業務ヲ掌リ所員ノ進退黜陟ヲ為スヘシ
   第七条
此製工所ノ業務ハ前条ノ如ク一切平岡熙ノ掌ル所タリト雖モ、事業ノ規模ヲ定メ、或ハ変更シ、又ハ営業規則ヲ設ル等ノ如キハ組合員ノ総会ニ於テ決定スルモノトス
   第八条
組合員中二名ノ委員ヲ互撰シ、組合ニ代リテ平岡熙ノ商議員トナリ、製工所ノ業務ヲ監督スヘシ
   第九条
委員ノ任期ハ二ケ年ト定メ、毎期之レカ改撰ヲ行フモノトス、但シ再撰重任スルモ妨ケナシ
   第十条
此組合ノ資本金ハ各自金壱万円ヲ負担スルモノトス、而シテ平岡熙ハ此事業ノ発起者タリ且担当者タルノ故ヲ以テ、其受持ツヘキ壱万円ハ報酬トシテ別ニ出金ヲ為サシメス、損益共ニ此資本額ニ割合担保セシムヘシ
   第十一条
組合員ハ損益共ニ各自ノ資本金ニ割合担保スルモノトス
   第十二条
組合員受持ノ資本金ニ附従スル権利義務ヲ他組合員ヘ譲渡スハ勝手タリト雖モ、組合員外ヘ譲渡ス時ハ組合員三分ノ二以上ノ承諾ヲ得ルヲ要ス
 但シ受持ノ資本金ニ附従スル権利義務ヲ組合員若クハ他人ヘ譲渡スヲ得ルト雖モ、営業年限中ハ資本金ヲ取リ戻スヲ許サス
   第十三条
組合員中死亡スルカ若クハ退隠スルトキハ、其適法相続人ヲシテ組合員トナシ、先人分担ノ資本金ニ対スル権利義務ヲ継続セシムルコトヲ得
   第十四条
平岡熙ハ如何ナル場合アリトモ組合資金ノ外委員ノ許諾ナクシテ他ヨリ借用金ヲ為スヲ許サス
   第十五条
此組合ノ総勘定ハ毎年二回一月七月ニ之ヲ為シ、収入金ノ内ヨリ一切ノ経費諸損失及諸器械其他ノ減価ヲ引去リ、其残額ヲ以テ純益トシ、第十六条及第十七八条ノ積立金賞与金ヲ引去リ、残余ヲ組合員醵出ノ資本金ニ割合配当スルモノトス
   第十六条
本組合ハ営業上ノ利益ヲ以テ必ス若干ノ積立金及器械其他ノ減価積立
 - 第12巻 p.126 -ページ画像 
ヲ為スヘシ、但其割合ハ組合員一同ノ協議ヲ以テ定ムルモノトス
   第十七条
平岡熙ハ斯事業ノ担当中、組合営業ノ純益中ヨリ左ノ割合ニ由リ組合員ノ決議ヲ以テ賞与金ヲ請クルモノトス
 一組合員支出ノ資本金ニ対シ年壱割以上ノ配当ヲ為シ得ル場合ニ於テハ
  純益金高百分ノ十ヨリ少ナカラス百分ノ二十ヨリ多カラサル高
 一組合員支出ノ資本金ニ対シ年壱割以下ノ配当ヲ為ス場合ニ於テハ純益金高百分ノ五ヨリ少ナカラス百分ノ十ヨリ多カラサル高
   第十八条
所員ヘノ賞与金ハ組合員ノ決議ニ由ルト雖モ、予メ純益金高百分ノ五ト定ム
   第十九条
本組合ノ営業利益ナクシテ其目的ヲ失スルトキハ、営業年限内ト雖モ組合員三分ノ二以上ノ多数説ニ拠リ営業ヲ停止シ、組合ヲ解散スルコトヲ得ヘシ
   第二十条
本組合ノ会議ハ平岡及委員ノ請求又ハ通常組合員三名以上ノ請求ニ由リ、何時モ之レヲ開クヲ得
   第二十一条
組合員ハ製工所ノ営業時間中ハ、何時タリトモ帳簿ノ検閲ヲ為スヲ得ヘシ



〔参考〕朝野新聞 〔明治二三年五月二六日〕 【砲兵工廠の一部分を…】(DK120017k-0003)
第12巻 p.126 ページ画像

朝野新聞〔明治二三年五月二六日〕
砲兵工廠の一部分を平岡某等数人に貸下ぐるの噂あるや、世評紛々たりき。然れども既に払下げの議決したりとの報に接するや、新聞紙上格別の評判を載するものなし、左りながら其向の人々の中には貸下に際して競争に付せざりしは奇怪なり、機械を使用するには程度あり、然るに之を貸下げて意の如く使用せしむるは非なりなど論ずるものあり、然るに当局者は毫も之を意に介せず、今回貸下げたる工場は箱を作るが如き些細たる事業を為す場所たるに過ぎず、従来政府に於て此等の事業に従事したるは、民間と競争せしものにして頗る不都合なりしも時勢已むを得ざりしなり、されば今回之れを貸下ぐるに至りしは一大進歩に接したるものにて、彼是れ云ふより寧ろ賛成の意を表すべき筈なりと主張せる由。さるにても競争上貸下げせざりしは手落なりなど云ふものあり、尚ほ右の貸下げは大山陸軍大臣の言に出でたるには相違なきも、之に賛同したるは砲兵監大築少将、東京砲兵工廠提理黒田大佐の諸氏なりと聞けり。
  ○当工場ハ明治三十四年七月汽車製造合資会社ニ合併、同会社東京支店ト改称ス。本巻所収「汽車製造合資会社」明治三十四年六月二十八日ノ条(第一三六頁)参照。