デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
17節 汽車・自動車製造業
3款 日本自働車株式会社
■綱文

第12巻 p.147-149(DK120023k) ページ画像

明治40年1月18日(1907年)

是日栄一自働車株式会社創立発起人会ニ出席シ創立委員ヲ指名ス。後チ創立委員長ニ推サレ尽力スル所多カリシモ成立ニ至ラズシテ解散ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK120023k-0001)
第12巻 p.147-148 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年
一月五日 曇 軽暖              起床七時就蓐十一時三十分
○上略
午後六時加藤政之助・横山一平・森秀次・皆川四郎四氏来リ自働車事業ニ関シテ会社設立ノコトヲ談シ、且其会社ニ加入ノコトヲ切望セラル
一月八日 晴 軽暖              起床七時三十分就蓐十一時三十分
○上略 午後一時過日比谷公園ニ抵リ自動車試運転ヲ見ル、自分モ乗試シノ為メ霞ケ関辺ヲ通過ス、運転自在頗ル快ヲ覚フ○下略
一月十八日 曇 風寒             起床七時三十分就蓐十二時
○上略 午後二時鉄道協会ニ抵リ自働車株式会社創立ニ関スル発起人《(会脱)》ニ出席ス、創立委員ヲ指命決定ス○下略
一月三十一日 曇 寒             起床八時就蓐十二時
○上略 皆川四郎・岡本善七二氏来リ自働車株式会社ノコトヲ談ス○下略
二月四日 晴 寒               起床八時就蓐十一時三十分
○上略
皆川四郎来リ自働車会社ノコトヲ談ス
○下略
二月十三日 晴 軽暖             起床七時三十分就蓐十二時三十分
○上略 十一時自働車会社創立委員会ニ出席シ○下略
四月十三日 晴風アリ 暖           起床七時就蓐十二時
○上略
自働車会社創立委員会ヲ事務所ニ開キ多人数来会ス、男爵カータース氏モ来会ス○下略
五月五日 晴 暖               起床七時就蓐十二時
○上略 岡本善七氏来リ自働車会社ノコトヲ談ス
○下略
八月一日 晴 暑               起床七時就蓐十一時三十分
○上略 午前八時朝飧ヲ畢ル、九時加藤政之助・岡本善七・横山一平・皆川四郎諸氏来リ自働車会社ノコトヲ談ス○下略
八月三日
○上略
此日帝国劇場会社ノ重役会、自働車会社創立委員会アリシモ病ノ為メ之ヲ謝絶ス
 - 第12巻 p.148 -ページ画像 
九月六日 晴 暑               起床六時三十分就蓐十二時
○上略 午後三時兜町事務所ニ抵リ、自働車会社創立委員数名ノ来訪ニ接ス○下略
十月五日 曇 冷               起床七時三十分就蓐十一時三十分
○上略
自働車株式会社ノコトニ関シ梅浦精一氏ト兜町事務所ニ於テ協議ス
十一月二十日 晴 寒             起床七時
○上略 午前十時半兜町事務所ニ抵リ加藤・皆川・岡本氏等ト自働車会社ノコトヲ談ス○下略


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK120023k-0002)
第12巻 p.148 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年
一月二十五日 晴 寒
○上略 加藤政之助・皆川四郎二氏来リ自働車会社設立廃止ノ顛末ヲ述ヘ謝物ヲ贈ラル
○下略


銀行通信録 第四三巻第二五五号・第九七頁〔明治四〇年一月一五日〕(DK120023k-0003)
第12巻 p.148 ページ画像

銀行通信録  第四三巻第二五五号・第九七頁〔明治四〇年一月一五日〕
△日本自動車会社 東京市内に自動車運転を計画せるものは既に六派に及びしが、各派発起人は十二月十五日一同合併の上会社の名称を日本自動車株式会社とし、資本金を一千万円とすることに決し、創立常務委員として加藤政之助・村松山寿・関幸太郎・横山一平・皆川四郎外数氏を選挙せり

銀行通信録 第四三巻第二五六号・第九五頁〔明治四〇年二月一五日〕(DK120023k-0004)
第12巻 p.148 ページ画像

銀行通信録  第四三巻第二五六号・第九五頁〔明治四〇年二月一五日〕
△日本自動車会社 日本自動車会社設立のことは前号(九七頁)に記せしが、右は愈々渋沢男爵を創立委員長に推し、総資本金一千万円、此株数二十万株の内十八万株は発起人及賛成人に於て引受け、残り二万株を一般より募集することゝし、一月二十五日より二月四日迄を限りて之を募集せり


青淵先生公私履歴台帳(DK120023k-0005)
第12巻 p.148 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳
  民間略歴(明治二十五年以後)
○上略
日本自働車株式会社創立委員長  同○四十年一月  解散
○下略


(八十島親徳) 日録 明治四〇年(DK120023k-0006)
第12巻 p.148-149 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治四〇年  (八十島親義氏所蔵)
一月八日 晴 暖
午後男爵ニ従ヒ日比谷公園ニ至リ、自動車会社発起人ノ招ニカヽル試乗会ニ臨ム、乗合自働車ノ見本ニシテ車中二十人乗、屋上二十人〆四十人乗ノモノ也、進退動止左右転動自由自在ニシテ、松本楼前ヨリ公園ヲ出テ霞ケ関ヲ上リ、蔵相官邸前ヨリ青山行街鉄線ヲ三宅坂ニ下リ順路公園ニ帰ル、二十五分間乗リ心地ヨク且緩急自在故危険モ少キコトト信シタリ
 - 第12巻 p.149 -ページ画像 
十二月卅一日
○上略 株界ノ有様○株価ノ急反落、二月ヨリ持続的下落此ノ如クナリシヲ以テ新事業ハ何レモヒツコミテ仕舞ヒ、未完全ニ成立ノ手続ヲ終ヘサリシモノハ不得已設立廃止ノ取扱ヲ為スニ至リ、先ツ東洋亜鉛錬工・日本滊船・日清火災保険・日本自働車ノ如キ、何レモ之ヲ廃止シテ証拠金ノ払戻ヲナセリ、甚シキハ既成立ノ満洲興業会社ノ如キサヘ解散ヲ決議スルニ至レリ、此間ニ於テ機敏巧猾《(狡)》ノ徒ハ発起ノ際権利株ニテ儲ケ、又解散前低価ノ証拠金領収証ヲ買集メ置キ大ニ運動シテ解散払戻ヲ得、大ナル金モーケヲナスモノヲサヘ生スルニ至レリ、要スルニ年初ハ日本ノ金利ハ三分カ四分マテニモ低落スルナラント思ヒ、権モ八モ買進ミタル諸株式ハ、年末ニハ八朱一割一割二分ノ利回リニテモ買人無キ人気トナレリ、至大ノ変化ナラズヤ、今トナリテ考フレハ一月頃ノ高価ハ誠ニ一場ノ夢ニ過キス○下略


日本自動車発達史(明治篇) 第一一七―一一九頁〔昭和一二年一〇月〕(DK120023k-0007)
第12巻 p.149 ページ画像

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