デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
21節 瓦斯
3款 東京瓦斯株式会社
■綱文

第12巻 p.694-696(DK120090k) ページ画像

明治39年1月18日(1906年)

是日栄一、東京商業会議所ニ開キタル当会社定時及ビ臨時総会ニ出席シ議長トナリテ議事ヲ主宰ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三九年(DK120090k-0001)
第12巻 p.694 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三九年
一月十八日 曇 風ナシ            起床七時就蓐十一時
○上略 十二時商業会議所ニ抵リ、東京瓦斯会社重役会ヲ開ク、畢テ午飧後株主総会ヲ開ク○下略


(東京瓦斯株式会社)事業報告書 第四二回 明治三九年七月(DK120090k-0002)
第12巻 p.694 ページ画像

(東京瓦斯株式会社)事業報告書  第四二回 明治三九年七月
一定時総会 一月十八日第四十一回株主定時総会ヲ東京商業会議所ニ於テ開会ス、出席株主(委任状共)五百六十二人、此株数十二万八千九百二十三株ニシテ、取締役ヨリ提出ノ明治三十八年下半期間ニ於ケル事業報告書・財産目録・貸借対照表・損益計算書ヲ承認シ、次テ利益分配案ヲ決議セリ
一臨時総会 同日定時総会閉会後引続キ臨時総会ヲ開キ、取締役渋沢栄一・浅野総一郎・袴田喜四郎、監査役渡部朔・小林右衛門・伊藤幹一ノ六氏任期満了ニ付改選セシニ、投票ヲ用ヒス重任スルコトニ決セリ


竜門雑誌 第二一二号・第三三頁〔明治三九年一月二五日〕 △東京瓦斯会社(DK120090k-0003)
第12巻 p.694-695 ページ画像

竜門雑誌  第二一二号・第三三頁〔明治三九年一月二五日〕
△東京瓦斯会社 同社に於ては本月十八日午後一時商業会議所に於て定時総会を開きたり、出席者は委任状共四百八十九名、此の株数八万五千六百五十九株、青淵先生議長席に著き、高松専務取締役より当期営業成績は石炭価格の暴騰せしに拘らず近来稀有の好良なりしこと、今後使用の石炭は格安買入の契約を締結せしこと、其他本枝鉄管の延長等に関する報告あり、諸計算書は原案通り、利益金五十六万四千円は左の如く分配せられたり
    ○利益金分配計算
 - 第12巻 p.695 -ページ画像 
                        円
 一当期利益金          四八八、二三八・一五九
 一前期繰越金           七五、八六四・二九八
  合計金            五六四、一〇二・四五七
 一賞与金             二四、四一一・九〇〇
 一退職手当基金           四、八八二・三八〇
 一準備積立金           二五、〇〇〇・〇〇〇
 一別途積立金           三三、〇一八・九三〇
 一株主配当金(年一割五分の割) 三九三、七〇八・〇〇〇
 一後期繰越金           八三、〇八一・二四七
  合計金            五六四、一〇二・四五七


竜門雑誌 第二一八号・第三三頁〔明治三九年七月二五日〕 △東京瓦斯会社(同上○取締役会長)(DK120090k-0004)
第12巻 p.695 ページ画像

竜門雑誌  第二一八号・第三三頁〔明治三九年七月二五日〕
△東京瓦斯会社(同上○取締役会長)同社にては本月十八日午後一時より商業会議所に於て株主総会を開き左の利益分配案を可決したり
                        円
 当期純益金           四八七、一五九・四四六
 前期繰越金            八三、〇八一・二四三
  合計             五七〇、二四〇・六九三
    内
  賞与金             二四、三五七・九七〇
  退職手当基金           四、八七一・五九〇
  準備積立金           二五、〇〇〇・〇〇〇
  別途積立金           二一、〇〇〇・〇〇〇
  株主配当金(年一割五分)   四二〇、〇〇〇・〇〇〇
  後期繰越金           七四、九九四・九七一
尚ほ引続き臨時総会を開き取締役高松豊吉氏の満期改選を行ひたるに再選就任に決して散会したり
○此日栄一日記ヲ欠ク。

竜門雑誌 第二二〇号・第一八―二〇頁〔明治三九年九月二五日〕 ○東京に於ける瓦斯事業(DK120090k-0005)
第12巻 p.695-696 ページ画像

竜門雑誌  第二二〇号・第一八―二〇頁〔明治三九年九月二五日〕
    ○東京に於ける瓦斯事業
 本編は東京瓦斯株式会社専務取締役高松工学博士の談話を筆記せるものなり
東京瓦斯会社は今を距る三十六年前明治四年二月時の東京府権知事由利公正氏(子爵)が市内に瓦斯灯を建設する手初めとしまして之を新吉原の廓内に試みやうとし、市の共有金を出して高島嘉右衛門氏に器械を倫敦から購はしめました、器械は其翌年七月に着きましたが、何分初めての事業ですから遽かに着手する事が出来ませんで、折角到着した器械類も空しく深川の仙台屋敷に三年間も堆積せられて居りました、其中に高島嘉右衛門氏は横浜で瓦斯会社を興して社長となられましたが、其便益に鑑みて折角東京府で購入した器械を空しく堆積して置くを惜しく思はれ、東京会議所の事業として其器械で新橋日本橋間の瓦斯街灯建設を出願して遂に知事の許可を得ました、そこで明治六年の十二月二十六日に芝浜崎町三番地の地所を工場敷地として借受けまして、翌年の一月から建設に着手し、十二月十八日から始めて京橋
 - 第12巻 p.696 -ページ画像 
以南に八十五基の瓦斯街灯を点火するやうになりました、是が東京に於ける瓦斯事業の起源でありますと共に本社の今日に至つた根本です明治八年には街灯が三百五十基に家内引用需用者の数が十九戸、灯数が六百三十七個でありましたが、十二年には需用者の数が八十八戸、灯数が千百九十二個に増し、十四年には街灯が三百九十四基に需用者の数が二百二十二戸に上りました、是より先き明治九年の一月に会議所は其工務科の事業を挙げて府庁へ引渡す事になつたので其の年の五月二十五日に原資金と工務とを府庁へ引渡した、それで此時から新たに府庁内に「瓦斯局」といふが設けられ、渋沢栄一氏が嘱託で其局長となり西村勝三氏が副長となつた、明治十八年に至り民間に払下の議が起つて二十六万九千円で売却する事を府会は決議した、そこで之を渋沢栄一・藤本精一氏等が譲り受ける事になり、授受の手続が了つたのは其年の十月一日であつたが、此時に始めて東京瓦斯会社なるものが創立されたのです、最初は本社を芝浜崎町に置きまして渋沢・藤本の両氏それに浅野総一郎・須藤時一郎・大倉喜八郎の三氏が委員に選ばれ、互選で渋沢氏が委員長に、藤本氏が検査掛となられました、其当時の需用数は三百四十三戸、灯数が六千六百七十八個、街灯の数が四百基、瓦斯管の延長が十一哩六十二鎖で一日の瓦斯需用高が平均七万千五十五立方呎でした、之を今日から観ますれば実に微々たるものですが、それでも瓦斯が創始された当時に比べますれば余程の増加と申さねばなりません
資本金は創立当時は僅かに二十七万円の少額でしたが、其後漸次増加して三十三年には四百二十万円となり、三十七年には倍加して現時の資本金額八百四十万円になりましたのですが、何れ近き将来には又増資をするか社債(外資)を募るかはせねばなりません、併し今日株式市場で風説されて居ます増資説は虚説でまだ会社の方では何とも確定して居ませんです、斯く資本金の増加すると共に事業の方も拡張して参りましたは申上るまでもありませんが、明治二十五年に神田川以北へも瓦斯製造所を設くる事になり、翌二十六年に南千住の橋場へ工場を新築致し、二十九年には深川猿江町へも工場を建てましたが、翌三十年に本社を芝浜崎町から現今の神田区錦町へ移し、三十二年に製作所をも錦町へ設け、三十四年には深川本村町へ副生物の精製所を設けまして「コールタール」蒸溜硫酸「アンモニヤ」等の製造事業を始めました
会社の現況は瓦斯産出高が三億四千五百七十九万二千五百立方呎で、「コークス」の産出高が四千五百九十四万斤余、「タール」の産出高が一万十六石、鉄管の延長が四百六哩余で、街灯の数が千八百九十七基灯火の口数が十二万六千五百個余、燃料の口数が一万七千二百個余、灯火の引用需用者数が三万二千二百軒余、燃料の需用者数が二千二百五十軒、機関の需用者数が六百八十軒余です