デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
21節 瓦斯
3款 東京瓦斯株式会社
■綱文

第12巻 p.700-704(DK120093k) ページ画像

明治40年2月14日(1907年)

是ヨリ先、千代田瓦斯株式会社設立ノ計画アリテ是年一月二十二日東京市長ニ市内道路使用ノ許可ヲ申請シ、二月十三日其許可ヲ得タリ。栄一是日以後東京府知事・東京市長ヲ訪ヒ当会社ノタメ尽力スル所アリ。


■資料

東京瓦斯五十年史 第二四―二五頁〔昭和一〇年一〇月〕(DK120093k-0001)
第12巻 p.700-701 ページ画像

東京瓦斯五十年史  第二四―二五頁〔昭和一〇年一〇月〕
    第一 千代田瓦斯の設立
 当社は、創立以来東京に於ける唯一の瓦斯供給者として、明治四十
 - 第12巻 p.701 -ページ画像 
四年まで二十五年を経過したが、千代田瓦斯株式会社が設立されて、端なくも同社と競争を見るに至つた。
 惟ふに、日露戦争時の戦費『インフレ』に因る好景気は、戦後にまで及んで、各種産業の興隆を促進したが、瓦斯事業も亦其の趨勢に乗つて、空前の発達を告げたのである。即ち、日露戦争時の明治三十八年に大阪瓦斯株式会社が設立され、次いで明治三十九年福岡・門司両市に設立され、翌四十年名古屋市に起り、是等を先駆として四十二年に八社、四十三年に二十三社、四十四年に二十社、四十五年に十一社の瓦斯事業が設立され、此の四年間で合計六十二社に達し、四十二年初頭には八社に過ぎなかつたが、四十五年末には七十社を算するに至つた。千代田瓦斯は、此の瓦斯事業勃興の潮流に乗じて、当社の競争者として出現したものである。
 同社は資本金一千万円を以て設立され、安楽兼道氏を社長に、利光鶴松・岡烈・磯部保次・林謙吉郎の諸氏を役員として陣容を固め、芝浦(今の芝製造所所在地)に製造所建設地を決定し、東京市に向つて瓦斯管を埋設する為め、市内の道路使用の許可を申請した(明治四十年一月二十二日)。東京市は之に対し、市費負担の道路に工事を施行するときは市の許可を受くる事、及報償契約を締結する事を条件として、其の使用を許可したので(明治四十年二月十三日)、同社は市と報償契約を締結し(明治四十三年七月一日)、明治四十四年七月七日から営業を開始した。
 千代田瓦斯の東京進出が漸次具体化するや、当社は瓦斯製造能力を充実し、円満なる供給を以て之に応ずる為め、明治四十三年六月、府下南葛飾郡砂村に所在した古河鉱業会社所有の深川骸炭所を買収した之が今日の砂町製造所である。


東京市会史 第三巻・第八二六―八二八頁〔昭和八年三月〕(DK120093k-0002)
第12巻 p.701-702 ページ画像

東京市会史  第三巻・第八二六―八二八頁〔昭和八年三月〕
    契約書
東京市(単ニ市ト称ス)ト千代田瓦斯株式会社(単ニ会社ト称ス)ハ、明治四拾年弐月拾参日付庶発第一四九号ニ依リ、市カ会社発起人ニ許可シタル条件ニ基キ左ノ事項ヲ契約ス
第一条 会社ハ市ノ請求ニ依リ市有財産及営造物ニ供給スル瓦斯料ハ普通料金ヨリ二割ヲ減スヘシ
第二条 会社ハ各決算期毎ニ純益金ノ内ヨリ法定積立金及準備積立金各百分ノ五ニ相当スル金額ヲ控除シ、且其払込株金ニ対シ年率七分ノ配当ヲナシ、尚剰余アルトキハ其剰余額ノ六分ノ一ニ相当スル金額ヲ市ニ納付スヘシ、但東京市ニ於ケル金利年率ニ著シキ変更ヲ来シタルトキハ市ハ本条ノ年率ヲ変更スルコトアルヘシ
 賞与金及之ニ類スル支出ハ前項純益金ノ内ニ算入ス
 本条ノ納付金ハ決算認定後十五日内ニ納付スヘシ
第三条 会社ハ市ノ要求アルトキハ前条ノ損益計算ヲ証明スルノ責アルモノトス
第四条 市ハ前二条ノ場合ニ於テ其計算ノ当否ヲ調査スル必要アルトキハ会社ニ対シ営業ノ報告ヲ求メ、又ハ会社ノ帳簿・財産・営業ノ
 - 第12巻 p.702 -ページ画像 
状況ヲ検査スルコトヲ得
第五条 会社ハ市ノ承認ヲ受クルニアラサレハ営業ノ種目ヲ増減変更シ、営業物件ヲ義務履行ノ担保ニ供シ、又ハ株金払込額ノ半額以上ノ社債ヲ募集スルコトヲ得ス
第六条 会社ハ本契約ノ全部ヲ合併後ノ会社ニ承継セシムルニアラサレハ他ノ会社ト合併スルコトヲ得ス
 会社カ合併シタルトキハ第七条ノ承諾ハ合併後ノ埋管其他ノ装置ニ及ハス
第七条 市ハ其所有又ハ管理スル道路橋梁堤塘公園其他ノ土地工作物ニ対シ、会社ニ於テ営業上必要ナル埋管其他ノ装置ヲ為スコトヲ承諾ス
第八条 会社ハ前条ノ土地・工作物ヲ使用セントスルトキハ、予メ設計書ヲ提出シ市ノ許可ヲ受ケ其命令ニ遵フヘシ、若シ使用ニ因リテ市ニ損害ヲ及ホシタルトキハ会社ハ之ヲ賠償スヘシ
第九条 市ハ一般ノ市税及瓦斯管税ヲ除クノ外、第七条ノ使用ニ対シ何等ノ料金若クハ市税ヲ賦課徴収セス
第十条 市ハ本契約有効期間内ハ自ラ新ナル瓦斯事業ヲ経営セス、又新ニ生スル営業者ニ第七条ノ承認ヲ与ヘス、但会社カ合併其他ノ原由ニテ他ニ同業者ナキニ至レル場合ハ此限ニ在ラス
第十一条 本契約有効期間内ニ於テ、第六条ノ場合ヲ除クノ外、会社カ廃業シ又ハ其営業物件ノ全部若クハ一部ヲ譲渡サントスルトキハ市ハ他ニ優先シテ之ヲ譲受クルノ権利アルモノトス
第十二条 前条ノ場合ニ於テ其譲受価格一致セサルトキハ、市・会社双方ヨリ評価人名弐名ヲ選定シ其多数ノ決定スル所ニ依ル、若シ評価人ノ評価額決セサルトキハ該評価人ノ互選シタル一人ノ評価額ニ依ル
第十三条 本契約ノ期限終了後市ニ於テ会社ノ営業上必要ナル物件ノ全部ヲ買収セントスルトキハ、最近ノ財産目録ニ記載シタル物件ノ価格ヲ以テ市ニ売渡スヘシ
 前項財産目録記載ノ価格ニ対シ市ニ於テ異議アルトキハ第十二条ノ例ニ依ル
第十四条 本契約有効期間ハ締結ノ日ヨリ四十ケ年トス
第十五条 左ノ場合ニ於テハ市ハ本契約ヲ解除スルコトヲ得
 一、会社カ本契約ノ義務ヲ履行セサルトキ
 二、会社設立登記ノ日ヨリ弐ケ年以内ニ営業ヲ開始セサルトキ
 三、一ケ月以上休業シタルトキ
 前項契約解除ノ場合ニ於テハ会社ハ市指定ノ期間内ニ第七条ノ埋管其他ノ装置ヲ撤却シ原形ニ復スヘシ、若シ之ヲ履行セサルトキハ其物件ハ当然市ノ所有ニ帰シ尚損害アルトキハ会社ハ之ヲ賠償スヘシ
第十六条 法令ノ結果本契約消滅ニ帰シ又ハ其条項ニ変更ヲ及ホスコトアルモ、会社ハ市ニ対シ何等ノ要求ヲ為ササルモノトス


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK120093k-0003)
第12巻 p.702-703 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年
二月十四日 晴 軽暖            起床七時三十分就蓐十一時三十分
 - 第12巻 p.703 -ページ画像 
○上略 畢テ東京府ニ抵リ、府知事ニ面話シ瓦斯会社ノコトヲ依頼ス○下略
二月十九日 曇 寒             起床七時三十分就蓐十二時三十分
○上略 午前十一時萩原源太郎氏来リ、瓦斯会社ノコトヲ談ス○下略
二月二十六日 晴 寒            起床七時就蓐十二時
○上略 十時東京府知事ヲ訪ヒ瓦斯会社ノコトヲ話シ、又尾崎市長ヲ訪ヒ同シク瓦斯会社ノコトヲ談ス○下略
三月十一日 曇 暖             起床七時三十分就蓐十一時三十分
○上略 此夜高根岸二氏及東京瓦斯会社ノ諸氏来リ会ス、会社関係ノ要務ヲ談話ス、夜十時散会ス○下略
四月三十日 半晴 暖            起床七時就蓐十二時
○上略 午前十一時東京市役所ニ抵リ尾崎市長ニ面会シ瓦斯会社ノコトヲ談ス○中略瓦斯会社高松豊吉氏ノ来訪ニ接シ市長トノ談判ヲ報知ス○下略
八月九日 曇 暑              起床七時就蓐十二時
○上略 高松豊吉・伊藤幹一・久米良作三氏来リ、瓦斯会社ノコトヲ談ス○下略


竜門雑誌 第二七〇号・第四二―四四頁〔明治四三年一一月二五日〕 ○東京瓦斯と千代田瓦斯(青淵先生)(DK120093k-0004)
第12巻 p.703-704 ページ画像

竜門雑誌  第二七〇号・第四二―四四頁〔明治四三年一一月二五日〕
    ○東京瓦斯と千代田瓦斯(青淵先生)
  本篇は「実業之世界」記者の請ひに応じて青淵先生の語られたる要領なり
△千代田瓦斯の将来 明治四十年に東京市から設立を許可せられた千代田瓦斯会社は、其後暫く行悩みの姿であつたが、昨今に至り愈々実際の活動に掛る事となり、一方東京瓦斯会社と幾分競争の状態に立至つたので、之れに対し世間では兎角の風評が出てゐるが、予は千代田瓦斯の成立は決して世間の風評ほど大問題でなからうと思ふ、素より東京瓦斯は設立も古く、又既に営業の基礎も確実になつてゐるから、千代田瓦斯が今後営業を開始するには、勿論両社競争の状態に至るのは、素より必然の勢ひであると見なければならぬ、従つて今後千代田瓦斯が、東京瓦斯の地盤に勢力を争ふのは亦避け得られない結果である、然し東京の面積及人口の上から見れば、決して左程憂慮するの必要を認めない、寧ろ立派に存在して行くと見れば充分である。
現に欧米の都市に於ては一市に二十数個の会社が設立して互に競争した例もあるし、英京倫敦の如きは人口七百万会社の数七あり、米国紐育は四百万人に対して人に対して《(五字衍)》九つ会社がある位ゐであるから、吾東京市の二万人《(マヽ)》の人口に対して二会社の設立は決して夥多であるべき筈がないと云へる、即ち会社の競争は結局免れないとしても、東京瓦斯の地盤に左迄の動揺を生ずることがなくして、一方千代田瓦斯の開拓すべき余地は綽々として余地ありと見るのが至当であると思ふ。
△東京瓦斯の態度 併し千代田瓦斯が東京市から許可された当初に溯ると、予にも多少の意見があつた、当時予は東京瓦斯で責任者の地位にあつたが、明治四十年に千代田瓦斯が設立許可を受くるの条件として、東京市に対し報償契約を締結した為めに、東京市から東京瓦斯の方に向つて交渉を開始して来た、其要点は、千代田瓦斯が報償契約を締結したから、東京瓦斯の方でも夫を納付せなければならぬと云ふの
 - 第12巻 p.704 -ページ画像 
で、殆んど命令的であつた、予は此不条理なる交渉に対し、直ちに応ずることが出来ない、千代田瓦斯が設立許可の条件とて報償契約を締結したからと云うて、直ちに東京瓦斯に対して同様の契約を締結せよと云ふのは少し苛酷であらうと云ふことを市長尾崎君に談じた、如斯東京瓦斯の主張する理由は其の歴史的関係が重なる原因である、それは素と東京瓦斯は明治四年より東京府の経営に属して居たが、当時瓦斯の屋内引用は至つて希望少なく、街灯の点火費を徴収するさへ頗る困難であると云ふ所から、明治十八年予と藤本精一君が払受総代となり、瓦斯局全部の経営を引受けて成立せしめたもので、其後予は諸方に瓦斯の効用を説き、拮据黽勉、終始怠らずして遂に今日に至つたのである、されば東京府は東京瓦斯会社の生の親であり、又市は恰も親類筋だといつても宜い位に思ふ、斯の如き深い事情があるに拘らず、少しも東京瓦斯の事情を酙酌せないで、突然如斯報償問題を提供するのは頗る苛酷である、東京京《(市)》としても千代田瓦斯許可の以前に於て東京瓦斯に対して何とか相談でもすべき筈であるのに、此相談もせずに報償問題を持出すは頗る当を得ない、予は尾崎市長に前記の事情を縷述して、東京市に対し其不徳を責めた、東京市が是非報償金を取ると云ふならば、東京瓦斯は絶対に其要求を跳ね付けるまでの決心をして居つたのであつた。
 夫れに今一の東京市の報償契約の要求を拒んだ理由は、元来千代田瓦斯は設立はして居るものゝ未だ敷地も定まらず、将来の営業状態が如何に変更するか未定で、海とも山とも付かぬ中に更に現在に於て報償問題を契約したからと云つて、同様の条件を東京瓦斯に持ち出すと云ふのは、頗る不条理な事であると云ふのであつた、処が尾崎市長より若し千代田瓦問《(斯)》が将来敷地も定まり、営業の実際に当ることになつて、報償契約を履行すれば、東京瓦斯の方では其要求を容れるかとの事であつたから、予は其時になれば何とか相談に応ずべしと答へたのである。
△不真面目なる競争を避けよ 以上の様な訳で、最初千代田瓦斯が許可された当時には、予は職責上勢ひ競争の地位に立たなけれはならぬ状態であつたが、現在に於ては何の関係もないから、公平な見地より千代田瓦斯の設立発展は充分の余地あることを信じ、且つ発展を希望する、併し両社鼎立する以上は競争は到底免かれないものとしなければならぬが、仮りに競争するにしても男らしく堂々と君子の競争を為すが当然である、然るに現今両社対抗の状態を見れば、寔に寒心すべき事で、双方とも慎重の態度を欠いて居りませぬかと思ふ。
 千代田瓦斯は技師も設備も、最新式最新知識を持て居ると誇るが、こうなれば自然東京瓦斯は耄碌事に堪えない様に聞ゆるから、相当の研究も改善もして居る東京瓦斯は之れに対して相酬ゆると云ふ始末で云はゞ子供らしい喧嘩に終る、斯の如きは決して堂々たる男子の採るべき道でない、競争は宜いが、いま少しく双方に君子的の態度を以て競争せむことを希望する。
  ○本資料第三編所収「東京瓦斯株式会社」明治四十四年八月二十一日ノ条参照。