デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
21節 瓦斯
3款 東京瓦斯株式会社
■綱文

第12巻 p.705-707(DK120094k) ページ画像

明治40年3月20日(1907年)

是日ヨリ東京勧業博覧会上野ニ開会サル。当会社第二会場ニ瓦斯館ヲ特設シ、瓦斯器械及ビ諸製作器ヲ出品ス。七月二日天皇・皇后両陛下台臨ノ栄ニ浴シ、又瓦斯製菓器ノ天覧ヲ賜フ。尚東宮殿下(大正天皇)東宮妃殿下ヲ首メ、皇族ノ台臨並ニ貴紳顕官ノ来館ヲ仰ゲリ。当会社此ノ記念トシテ「美与能飛可利」ヲ編纂シ、栄一跋文ヲ草ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK120094k-0001)
第12巻 p.705 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年
三月二十日 晴 寒               起床七時就蓐十一時三十分
○上略 午前八時朝飧ヲ畢リ直ニ家ヲ出テ上野博覧会場ニ抵リ、午前十一時頃開会式挙行、出品人総代トシテ式場ニ於テ祝辞ヲ朗読ス、畢テ場内ヲ一覧シ園遊会場ニ抵リ、午後一時頃第一銀行ニ於テ午飧ス○下略


東京瓦斯七十年史 第五八頁〔昭和三一年三月一日〕(DK120094k-0002)
第12巻 p.705 ページ画像

東京瓦斯七十年史  第五八頁〔昭和三一年三月一日〕
 ○第二部第一編明治時代
    第六章 渋沢会長の辞任
勧業博とガスの宣伝 日露戦争後、ガス業は大阪・福岡・門司・名古屋の各都市に興つて近代的企業として認識されるようになり、当社の業績もまた躍進を続けて明治四十年前後には明治期における黄金時代を現出した。しかし、それでもガスに対する一般の認識はまだ低かつたのでガス事業を宣伝して一般を啓蒙する必要があつた。
 たまたま、明治四十年春から夏にかけて東京勧業博覧会が上野公園で開催された。当社はこれを好機としてガスの普及宣伝のため、多額の費用を投じて第二会場内に瓦斯館を建設し、全館にガスイルミネーシヨンを飾りつけ、館内には当社製作のガス器具類をはじめ、当社業績の趨勢を語る諸統計、事業成績書などを展示し、また参考品として英・米・独諸国のガス器具を陳列し、別の一区劃には各種のガス器具を陳列し、ガスの応用を実演して公衆の縦覧に供した。これは実に創業以来初めての試みで、一般の注目を引き非常な好評を博して、ガス利用の宣伝に大いに役立つた。
 天覧の光栄 その七月、明治天皇ならびに皇后陛下の博覧会に行幸啓の際、当社の出品は玉覧の光栄に浴したが、これを長く伝えるためガス文化を讃美した歌六十一首を収めた歌集「みよの光」を明治四十三年に上梓した。これに載せられた渋沢栄一の跋文はよく当時の模様を伝えている。○下略


美与能飛可利(跋)(DK120094k-0003)
第12巻 p.705-707 ページ画像

美与能飛可利(跋)
稲葉にそよく秋風を見て取りし昨日の早苗を思ひ、馴れたる絺綌の衣を澣きて鳴きし谷間の黄鳥を偲ふは人情の常なり、抑も我か東京瓦斯株式会社か今日の如き旺盛を見るに至り、しかも本年開かれし東京勧
 - 第12巻 p.706 -ページ画像 
業博覧会に行幸啓の時特に上なき光栄を辱ふしたることを思ひ《(へ)》はそゝろに今昔の感に堪へさるものあり、さるは博覧会の開かるゝに当り我社は瓦斯のひとり灯火の用のミならす炊烹をはしめ総ての燃料に将た万の機械の原動力ともなりて其利用極めて広きものなる事を此機会によりて之を実際に示し、洽く世に知らしめむか為に巨額の費用を顧ミす第二会場中に瓦斯館を建設し都ての器具製品を陳列して観覧に供したるは人のしるところなれと、場中に軒を並へたる店舗の珍味佳肴昼をも欺ける電灯の光さては様々の技巧に人の眼を驚したる諸製造機械皆瓦斯をもて燃料とし瓦斯をもて原動力としたる事に至りては思ひかけさりし人もありつへし、猶又瓦斯館のイルミネーシヨンは満場の電灯飾に対して異彩を放ちたることなりけり、されは畏きあたりにも予て之等の事とも聞し召されけるにや七月二日博覧会行幸のみきり貴賓館に憩はせ給へる御時、瓦斯館にて製すといふ果子奉るへき旨仰言ありとて疾く疾くと会社に伝へらる、此日はさるよしありてかねて館をとさしおかれしことなれはいと思ひの外にはあれと曾て臨機の手配りもさハいへ設けおきつるにより、即ち館を開き時をも移さす風月堂して製せしめたるを奉るに、恰も外国館におはします程にて深く愛て喜はせ給ひ更に製りたつる機械御覧せさすへき仰言あり、高松専務取締役大御前に進ミ瓦斯館に備へたる機械につきて使用法をも聞えまつるにさまさま問はしめらるゝ御旨ありて、瓦斯の応用より瓦斯館建設のゆゑよし委しく聞え上けしかは殊に御気色うるはしく御満足のさまに伺ひ奉りしこそいと辱くも面たゝしき限なりけれ、かゝりしかは同しき十日皇后陛下いてましの御時及ひ東宮殿下行啓のたひたひには予てより其の準備にいそしミ瓦斯製果子を奉り機械の使用法を聞えまつることすへて行幸の折の如くなりき、あはれ我社の此博覧会に瓦斯館をしつらへるは瓦斯応用の広く世に知られむことをこそ望みたれいかて久方の雲井に高く聞えあけむとまては思ふへき、況して両陛下両殿下のかしこき大前に其製果を献り使用法をさへ親しく奏し啓しまつらむとはかけても思ひ及はむや、世には昔の眠猶未た覚めす瓦斯を厭ふへき臭気あるものと思ひ或は薪炭石油よりも危険なるものと誤れる者なきにあらさる今日にありて、さる遥けき九重の雲の上にましまして夙く其の効用に御耳を留めさせ給ひしこと聡明睿智の聖徳は申すも更なり尚常に深く殖産興業に大御心を注かせ給へるよりの御事とこそ伺ひ奉れ、かゝる光栄を負ひて益々広く瓦斯の効用を世に知られ且深く信を社会に固くする我社の幸福は言ふまてもなく延きては此博覧会の為に将た世の開明の為に歓ひても猶歓はしき限なりけり、顧るに我社の東京府より瓦斯局を払ひ受けて本社を芝浜崎町に開きしは明治十八年十月にして当時の資本金は弐拾七万円瓦斯一日の産出高平均七一、〇五五立方呎なりき、其後漸次資本金と共に瓦斯竈附属機械を増し或は本社を移し又は工場製作所器具陳列館各出張所の類を新設又は増築し鉄管を延長し水性瓦斯の製造を開くか如き年を逐ひて事業を進め遂に今日資本金壱千七百万円瓦斯一日の産出高平均二、四二〇、八一〇立方呎の多に達りしこと事業沿革概略に示すか如し、嗚乎十八年十月より本年まて年を積むこと僅に二十二年にして忽ち此盛況を見るを得、回
 - 第12巻 p.707 -ページ画像 
想の感遠く秋風絺綌に軼くるものあり、是実に内にありては本社の職員其人をえたると外にありては科学応用の知識進歩して江湖の人士広く瓦斯を愛用するに至れるとに由るものにして誠に明治聖代の賜なりといふへし、しかも今又この例なき光栄に浴す、我社いかてか益々勉めて瓦斯応用の普及を謀り御代の光に更に幾分の光をそへ以て聖恩に対へ奉らむことを期せさるへけむや、今この紀念帖なるにおよひ聊か所感をかきつゝりて跋に代ふ
  明治四十一年一月十一日
                    渋沢栄一しるす