デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
21節 瓦斯
5款 名古屋瓦斯株式会社
■綱文

第12巻 p.733-735(DK120101k) ページ画像

明治39年11月(1906年)

是ヨリ先栄一、奥田正香・服部小十郎・伊藤伝七・小栗富次郎・渡辺甚吉・浅野総一郎・大橋新太郎等ト名古屋瓦斯株式会社ヲ発起設立セシガ、是月相談役ニ就任ス。明治四十二年六月六日辞任ス。


■資料

竜門雑誌 第二一九号・第三四頁〔明治三九年八月二五日〕 ○名古屋瓦斯会社設立(DK120101k-0001)
第12巻 p.733 ページ画像

竜門雑誌 第二一九号・第三四頁〔明治三九年八月二五日〕
○名古屋瓦斯会社設立 青淵先生・奥田正香・服部小十郎・伊藤伝七・小栗富次郎・渡辺甚吉・浅野総一郎・大橋新太郎等の諸氏は今回資本金二百万円を以て名古屋瓦斯会社を設立し、此程愛知県庁より瓦斯管埋没道路使用の許可を得たるに付不日該工事に着手する筈なり


竜門雑誌 第二二〇号・第四〇頁〔明治三九年九月二五日〕 名古屋瓦斯株式会社の進捗(DK120101k-0002)
第12巻 p.733 ページ画像

竜門雑誌 第二二〇号・第四〇頁〔明治三九年九月二五日〕
○名古屋瓦斯株式会社の進捗 青淵先生・浅野総一郎・大橋新太郎・奥田正香・小栗富治郎・渡辺甚吉・神野金之助氏等の発起に係る名古屋瓦斯会社(資本金二百万円四万株)は五千百四十株は創立に関し功労ありたる者、残部三万四千八百六十株を発起人四十二人に於て引受け、発起人より更に希望者に分配し、已に証拠金の払込を了りたるが事業の設計及び技術に関する事項は挙げて東京瓦斯会社に委託し来りたるを以て、同会社専務取締役高松博士一切之を担任し、技師長として工学士岡本桜氏を推薦し、目下敷地事務所等の選定中にて十月早々第一回払込の上直に事業に着手する都合なりと云ふ


名古屋市史 産業編・第一三五―一三六頁〔大正四年八月〕(DK120101k-0003)
第12巻 p.733-734 ページ画像

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青淵先生公私履歴台帳(DK120101k-0004)
第12巻 p.734 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳 (渋沢子爵家所蔵)
    民間略歴(明治二十五年以後)
○上略
名古屋瓦斯株式会社相談役 三十九年十一月 同 ○四十二年六月六日辞任
○中略
 以上明治四十二年六月七日迄ノ分調


工学博士高松豊吉伝(鴨居武編) 第三二九―三三〇頁〔昭和七年三月〕(DK120101k-0005)
第12巻 p.734 ページ画像

工学博士高松豊吉伝(鴨居武編) 第三二九―三三〇頁〔昭和七年三月〕
 ○第十五章 会社
    名古屋瓦斯株式会社(東邦瓦斯株式会社社長岡本桜)
 確か明治三十九年だと思ふ、其頃名古屋地方で久しい間問題となつて居た瓦斯事業の話が大体纏り、東京の渋沢子爵を中心として大橋氏等が参加し、其外梅浦・伊藤・奥田・鈴木・服部・山田・井上などと言ふ名古屋地方の実業家が発起人となつて、愈々同年十一月に名古屋瓦斯株式会社が創立された。
 私は当時恰も大阪瓦斯会社の技師を辞した後でもあつたし、名古屋で有志の連中から同工事に関して相談に与るの機を得、其新設会社の創立委員長であつた奥田正香氏と共に、工事を引受ける事になつて、工事を開始したのが明治四十年三月であつたと記憶する。その後約一ケ年間足らずで引受けた工事が全部竣工した。
 元来私は高松博士の推薦に依つて東京瓦斯会社の技師として入社したのであるが、名古屋瓦斯会社の創立に当つても当時東京瓦斯会社の社長であられた高松博士には技術方面万般の御指導を仰ぎ、最初は東京瓦斯会社の設計を模して工場の建設を開始したのである。斯様な理で或は東京瓦斯会社千住工場で不用になつて居た瓦斯機械を購入して名古屋に運び、或は当時東京瓦斯会社の技師長であつた平松末吉氏の応援を乞ふて名古屋に出張して貰ふとか高松博士には一方ならぬ御尽力を蒙つた次第である、お蔭で会社の事業も著しく進捗し明治四十年十月には開業の運びとなつた。
 名古屋瓦斯会社当時の設備は、一日に五万立方呎位のものであつたが、大正十一年六月現在の東邦瓦斯会社となり、其設備の如きも実に百倍の五百万立方呎に達するの盛況を呈して居る。其発達の顕著なること実に驚嘆に値するものがあるが、其基礎を築くに当つては、高松博士に負ふ所甚大で、今日に於ても猶ほ関係者一同深く感謝措かざる所である。


竜門雑誌 第二五三号・第四七―四九頁〔明治四二年六月二五日〕 青淵先生の各種関係事業引退(DK120101k-0006)
第12巻 p.734-735 ページ画像

竜門雑誌 第二五三号・第四七―四九頁〔明治四二年六月二五日〕
    青淵先生の各種関係事業引退
 - 第12巻 p.735 -ページ画像 
我青淵先生○中略本月六日○中略同日附を以て左記の如き辞任書及書状を発送せられたり
    辞任書
拙者儀頽齢に及び事務節約致度と存候間、貴社「何々役」辞任仕候、此段申上候也
  明治四十二年六月六日 渋沢栄一
    書状
拝啓時下向暑の候益々御清泰奉賀候、陳は小生儀追々老年に及び候に付ては関係事務を減省致度と存し、今回愈々第一銀行及東京貯蓄銀行を除くの外一切の職任を辞退致候事に取極候に付、別紙辞任書差出候間事情御了察の上可然御取計被下度候、尤も右様役名は相辞し候へ共向後とて従来の御交誼上必要に臨み御相談に与り候事は敢て辞する処に無之候間、其辺御承知置被下度候、此段申添候 敬具
  明治四十二年六月六日 渋沢栄一
辞任せられたる各種事業の名称及職任左の如し
○中略
  名古屋瓦斯株式会社同上○相談役
○下略


実業之世界 第六巻・第七号〔明治四二年七月一日〕 ◎名古屋瓦斯株式会社(DK120101k-0007)
第12巻 p.735 ページ画像

実業之世界 第六巻・第七号〔明治四二年七月一日〕
    ◎名古屋瓦斯株式会社
              (明治三十九年十一月設立払込資本七十万円配当年八分渋沢男爵は当会社の相談役)
是は奥田正香が社長でやつて居るが、事業の前途は有望である。名古屋が繁昌すればする程瓦斯の需用が多くなつて来る訳である。聊かの利益に目が眩んで不都合を働くやうな事をせずに地味にさへやつて行けば世の進歩と共に発展して行けると思ふ。