デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.14

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
22節 電気
1款 東京電灯株式会社
■綱文

第13巻 p.5-11(DK130001k) ページ画像

明治15年3月18日(1882年)

是ヨリ先、工部大学学生藤岡市助ノ勧説ニヨリ、矢嶋作郎・原六郎・大倉喜八郎外三名ハ我ガ国ニ於テ初メテ電灯供給事業ヲ経営セントス。栄一懇請サレテ発起人トナリ創立ニ助力ス。是日会社創立願ヲ東京府知事松田道之並ニ内務卿山田顕義ニ提出セリ。然ルニ大倉喜八郎・横山孫一郎等他ニ弧光灯ノ計画ヲ進メ居タレバ、之ト合同協約シテ同年十二月十四日再ビ資本金二十万円ナル東京電灯会社設立ヲ出願ス。翌年二月十六日認許ヲ得、同十九年七月五日ニ至リテ開業ス。


■資料

青淵回顧録 (子爵渋沢栄一述) 上巻・第五五五―五五六頁〔昭和二年八月〕(DK130001k-0001)
第13巻 p.5-6 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

渋沢栄一翁 (白石喜太郎著) 第三六八―三六九頁〔昭和八年一二月〕(DK130001k-0002)
第13巻 p.6 ページ画像

渋沢栄一翁 (白石喜太郎著) 第三六八―三六九頁〔昭和八年一二月〕
 ○第二篇「春」その十五、パブリツク・ユーチリチー
    東京電灯会社と電話民営
子爵の関係したパブリツク・ユーチリチーとしては、瓦斯事業の外電灯事業があり電話の事業がある。電灯に就ては嘗て西欧に遊びし際、巴里市役所其他有名なホテル等の前に、電灯のかゞやいてゐるのを見て、驚異の目を見張つた経験がある。当時巴里でも電灯は新たな試みで、仏蘭西人にも珍らしかつたのである。爾来次第に普及し、東洋にも行はれ、上海などでは用ゐらるゝ様になつたので、常に尖端を行く子爵は之を我国にも採り入れんとした。斯くて明治十八年の頃、大倉喜八郎と謀り、銀座の大倉組の前へ電灯一基を点じ、始めて之を東京市民に紹介した。之を見ん為め、群集が毎夜殺到したことを「六十年史」に記してある。稍誇張して聞えるかも知れないが、事実である。当時紙幣寮吏員であつた矢島作郎は、藤岡市助と謀り電灯会社を設立せんとしたが、有力者の援助を受けなければ、到底目的を達し得ざるを暁り、子爵及び大倉喜八郎等に援助を懇請したので、子爵は其請を容れ、大倉等と共に明治十九年七月創立委員となつて東京電灯会社を起し、成立の後は委員として経営の任に就いたが、幾もなく之を辞した。○下略


東京電灯株式会社開業五十年史 第四―五頁〔昭和一一年八月〕(DK130001k-0003)
第13巻 p.6-7 ページ画像

東京電灯株式会社開業五十年史 第四―五頁〔昭和一一年八月〕
 ○第一期 創業時代
    一、創立許可
○上略
創立の経緯 当時工部大学校のエルトン氏を初め電信科学生は海外の諸雑誌に依つて電灯が広く実用に供し得ることを知つて、藤岡市助等は我国にも電灯会社を設立せんことを提唱し、百方実業家に勧説する所があつた。然るに事業の将来に対して危惧の念を抱く者多く、此等先覚者の主張を机上の空論視して容易に耳を傾けなかつたが、矢嶋作郎氏は其の所説を聴取して早くも電灯事業の有望なることを看破し、
 - 第13巻 p.7 -ページ画像 
大倉喜八郎・原六郎・三野村利助・柏村信・蜂須賀茂韶の五氏と相謀り、先づ英・米二国の電灯会社に照会を発すると共に、当時英国留学中の工学士石黒五十二氏に対し詳細の取調を委託した。明治十五年初め此等の回答が到着したので、愈々東京に電灯会社を設立せんとする具体的計画を樹て、前記六氏は挙つて発起人と成り、同年三月十八日連署して東京府庁を通じ時の内務卿山田顕義氏に対し資本金弐拾万円より成る東京電灯会社の設立を出願するに至つた。
○下略


回議録 明治十五年自一月至三月第二類会社(DK130001k-0004)
第13巻 p.7-9 ページ画像

回議録 明治十五年自一月至三月第二類会社 (東京府文庫所蔵)
    願書
今般私共東京電灯会社創立仕度候ニ付、別紙之通出願仕候間可然御執成被成下度、此段奉願候也
            東京電灯会社発起人
  明治十五年三月十八日  麻布区三河台町廿八番地
               創立委員 矢嶋作郎
              京橋区築地三丁目八番地
               創立委員 原六郎(印)
              同区銀座三丁目《(二)》
                    大倉喜八郎(印)
              深川区西大工町十番地
                    三野村利助(印)
              芝区高縄《(輪)》南町廿五番地
                    柏村信
              日本橋区浜町壱丁目一番地
                    蜂須賀茂韶(印)
    東京府知事 松田道之殿

    電灯会社創立願
灯火ハ人間社会ノ必要品ニシテ一日モ不可欠物ニ御座候処、其元質タル植物油動物油石油瓦斯ノ如キ皆之ヲ製造スルニ巨大ノ資本ト夥多ノ労力トヲ費サヾルヲ得ズ、従テ其代価不廉ニ相成リ為メニ未ダ社会光線ノ需望ヲ満足セシムル能ハズ、加之其光線ヤ火ヲ以テ発輝致スモノニ候ヘバ災害ヲ醸生スルノ憂ヲ免レザル儀ハ年来ノ慨嘆痛恨ニ御座候処、近年米国機械学士某氏ノ発明ニ依リ電気灯ヲ容易ク日用ニ供シ候様相成リ、日ヲ逐テ市街公園工場停車場ハ勿論滊車鉱山船舶ニ至ル迄点灯致シ候趣誠ニ公衆ノ幸福此事ニ御座候、因テ昨年英米両国ヘ右実況取調之儀頼ミ遣シ置候処、此程其装置ノ軽便ニシテ費用ノ僅少ナル其光線ノ透明ニシテ火災ノ憂無キ其効用ノ果シテ瓦斯灯ニ倍蓰仕候段明細ナル確報有之、今其工事ノ難易資金ノ多寡及ヒ営業ノ予算等略ホ目的ヲ定メ得候、就テハ皇国ニ於テモ此電気灯ヲ利用仕候ハヽ自然盗賊ノ数ヲ減シ火災ノ憂ヲ免レテ警察ノ煩務ヲ省キ、罹災ノ人命ト財産ヲ救ヒ、凡テ社会一般灯火ノ需望ヲ満タシ、其冗費ヲ減シテ其資産ヲ相増シ、彼ノ石油ノ如キ亦其輸入ヲ減シ聊カ貿易ノ平均ヲモ補ヒ可申
 - 第13巻 p.8 -ページ画像 
候旁タ御国益ノ一助トモ勘考仕、今般私共先ツ資本金弐拾万円ヲ募リ有限責任合本会社ノ主義ニ従ヒ東京電灯会社創立仕度候間、何卒御許可被成下度、此段奉願上候也
  明治十五年三月十八日
           発起人
              麻布区三河台町廿八番地
                    矢嶋作郎
              京橋区築地三丁目八番地
                    原六郎(印)
              京橋区銀座三《(二)》丁目
                    大倉喜八郎(印)
              深川区西大工町十番地
                    三野村利助(印)
              芝区高縄《(輪)》南町廿五番地
                    柏村信
              日本橋区浜町一丁目一番地
                    蜂須賀茂韶(印)
    内務卿 山田顕義殿

創立主意書
    日本電灯会社創立主意書
夫灯光ノ人間社会ニ必要ナルハ今更喋々スルヲ待タズ、然ルニ輓近我国日ニ進ミ月ニ開ケテ大ニ人生日常ノ便利ヲ増セシモ、独リ灯光ノミ依然トシテ種油魚油ノ類ヲ慣用シテ改メズ、此種ノ油其光線甚ダ微弱ナルヲ以テ彫刻其他ノ精工美術ヲ夜間ニ修ムル能ハズ、近来石油ノ用アリテ聊カ其不便ヲ償フガ如シト雖トモ其光線モ亦唯十分ノ効力ナキノミナラズ往々火災ヲ惹起スル危難アリ、又瓦斯灯ノ光線ハ逈ニ石油ノ右ニ出ルト雖トモ装置ノ規模極メテ大ニシテ価モ亦廉ナラザルガ故ニ現今僅ニ東京横浜ノ一区分ヲ照スノミニテ其用未ダ全国ニ普及スルニ至ラズ、加之其元質稍ヤ臭気ヲ含ミ健康ヲ害スルコト尠ナカラズ、且動モスレバ輙チ火災ヲ醸生スルコト石油ニ減ゼズ、故ニ是亦至便ノモノト為シ難シ、凡ソ是等ノ障碍ニ由テ千戸ノ職工徒ニ長夜ノ夢ヲ結ビ万街ノ商賈頻リニ闇路ニ彷徨スルハ誠ニ昭代ノ一大欠点ト謂フベシ然ルニ今ヤ電気ヲ利用シテ至善至便ノ光線ヲ作為シ以テ此暗夜ヲ白昼タラシムルノ運ニ達セルハ真ニ千歳ノ一時歓喜ニ堪ヘザル所ナリ、蓋シ此電気灯ヲ軽便廉価ニ使用スルノ方法ハ多年欧米学士ノ疑問ニシテ未ダ十分ノ成功ヲ致セシモノナカリシガ、近頃米国ノチヤーレス、フラッシユナル機械学士ノ発明ヲ以テ其充分ノ成功ヲ実施スルコトトハナレリ、其軽便ト効用ノ瓦斯ニ超過スル啻ダ宵壌《(霄)》ノ差アルノミナラズ其費用ノ僅少ナル光線ノ爽快ナル殆ンド人ノ思想外ニ出ルモノアリ、是ヲ以テ一昨年以来欧米ニ於テ電気灯ノ進歩ハ実ニ驚クベキモノニテ僅々二年ヲ出デザルニ、海港・公園・官省・市街・寺院・学校・博物館・旅館・集会堂・音楽堂・商店・鉄道停車場・演劇場・造船場・諸工場其他会社第宅ハ勿論、鉱山・船舶ノ如キモ争テ之ヲ便用スルニ至
 - 第13巻 p.9 -ページ画像 
レリ、因テ我輩有志者謀リ先ヅ資本金二拾万円ヲ以テ一ノ電灯会社ヲ設ケ試ニ東京府下ノ一部ヨリ着手シ漸次京坂其他ノ各地ニ及ボサント欲ス、果シテ其功ヲ奏スルニ至ラバ我国永ク不夜ノ楽土トナリ萑苻姦宄ノ迹絶ヘテ警察ノ務甚ダ簡ニ、百般ノ職業皆労費ヲ減ジテ営業資本ト生産ヲ増益シ、輸入物ノ巨擘タル石油ハ復タ給ヲ仰ガズシテ千百万金ヲ外ニ省キ、火災其数ヲ減ジテ許多ノ家屋ト人命ヲ内ニ救フ、富国ノ計豈ニ此ヨリ愈ルモノアランヤ、今乃チ電気灯調査報告摘要ヲ左ニ録出シ以テ江湖同志諸君ノ一覧ニ供スト云爾○下略


東京電灯株式会社開業五十年史 第一〇―一二頁〔昭和一一年八月〕(DK130001k-0005)
第13巻 p.9-10 ページ画像

東京電灯株式会社開業五十年史 第一〇―一二頁〔昭和一一年八月〕
 ○第一期 創業時代
    一、創立許可
○上略
二派の合同 当時恰も横山孫一郎及び大倉喜八郎両氏は米国ブラツシユ電気商会の勧めに依つて別に電灯会社を設立し東京市街に弧光灯を供給する計画を進めてゐたが、明治十五年七月二派は合同する運びとなり、創立仮事務所を京橋区銀座二丁目の大倉組内に設置した。
銀座街頭の弧光灯 同年十一月一日大倉組内の仮事務所前に米国ブラツシユ商会技師ポツター氏の持参した発電機に依つて二千燭光の弧光灯を点火し電灯の実物宣伝を行つた。瓦斯灯はおろか石油ランプすら全国に行き亘らない頃のことだから、東京市民は「文明の光」と謂はれる電灯の光芒に、全く肝を潰し、見物人が毎晩蝟集する有様であつた。僅か一基の電灯が時人の人気を完全に攫つて行つたことゝて、電気万能時代とも言ふべき今日から考へると全く隔世の感が深い。
 次に引用した青淵回顧録中の大倉喜八郎氏談を読めば、当時の様が眼前に彷彿として浮んで来る思ひがする。
 ――ランプ亡国論……之れは西洋人の文物が輸入されて、石油使用のランプが行はれ、瓦斯灯が灯されるに至つた明治十五年頃、佐田介石といふ男が盛んに唱へた国粋保存論である。丁度此の頃私が電灯事業を目論んだのサ。初めは大したものぢやなかつたんですよ。何でも百燭位(註二千燭光の誤)だつたと思ふが、アメリカのブラツシユといふ人の発明した電気でネ、エヂソンよりは早いんだ。それを大倉組の二階から棒の先にぶらさげたのさ、処が大した評判だ。世界で一番明るいのはお太陽様《てんとうさま》その次はお月様、三番目は此のアーク灯だといふので引きも切らずの人だかりだ。そこで京都でも見せてやらうと云ふので、ブラツシユの職工を連れて行つた。花盛り、都踊りも真盛り、その踊りの演舞場へ持ち込んだ。ところが、どういふ訳か電灯に照らされる顔色が蒼く見えるといふ噂が立つた。何でも顔を赤くして……といふので、祇園の美形悉くがいはゆる京都風の厚化粧といふやつで赤く塗り立てたからたまらない。まるで酔つ払ひがフラフラしてゐるやうな恰好さ……さて会社が出来たが、皆電気の事は知らない。だから分らなくなると、「藤岡の処へ行つて」といつた具合さアハヽヽヽ。
 この当時表面に現はれてはゐないが、大倉喜八郎氏と共に渋沢栄一
 - 第13巻 p.10 -ページ画像 
氏(青淵)が、当社の成立に対して大いに斡旋の労を取られた模様である。○下略


東京電灯株式会社開業五十年史 写真版〔昭和一一年八月〕(DK130001k-0006)
第13巻 p.10 ページ画像

東京電灯株式会社開業五十年史 写真版〔昭和一一年八月〕
    電灯会社創立願
近年欧米学士ノ発明ニ依リ電気灯ヲ以テ瓦斯石油等ニ代用シ市街公園工場停車場ハ勿論滊車鉱山船舶ニ至ル迄之ヲ点灯致候ニ付、昨年来英米両国ヘ右実況取調ノ義依頼遣シ其装置ノ軽便及ヒ其功用ノ著明ナル等確報ヲ得候間、私共申合セ過般銀坐ニ於テ該灯試点ヲ遂候処果シテ予期ニ違ハス其効験ハ衆庶ノ実視スル所ニシテ、其装置ノ軽便ナル其光線ノ透明ナル其費用ノ僅少ト火災ノ憂ナキ、何レノ点ヨリ観察仕候モ至便ノモノト奉存候、皇国ニ於テモ此電灯ヲ利用仕候ハヽ社会一般灯火ノ需用ヲ満足致候ノミナラス、其冗費ヲ減シ自然盗賊火災ノ憂害ヲモ免レテ警察ノ煩務ヲ省キ或ハ罹災ノ人命ト財産益ノ一端ニモ相成可申候、因テ今般有限責任東京電灯会社ヲ創立仕度、其資本金ハ弐拾万円ト定メ内五万円ヲ左ノ連署スル発起人ニ於テ之ヲ引請ケ、其余額ハ之ヲ募集可仕見込ニ御坐候、仍テ別紙定款並規約書相副出願仕候条何卒至急御許可被成下度、此段奉願候也
 但当分ノ内仮事務所ヲ京橋区銀坐二丁目七番地大倉喜八郎方ヘ置候事 電灯会社発起人
  明治十五年十二月十四日 京橋区大鋸町六番地
                    喜谷市郎右衛門(印)
              麻布区三河台町廿八番地
                    矢嶋作郎
              京橋区築地壱丁目十八番地
                    横山孫一郎(印)
              京橋区銀坐弐丁目七番地
                    大倉喜八郎(印)
              京橋区築地三丁目八番地
                    原六郎(印)
              深川区西大工町十番地
                    三野村利助(印)
              荏原郡北品川宿百六十八番地
                    益田孝
              芝区高輪南町廿番地
                    柏村信
              日本橋区浜町一丁目一番地
                    蜂須賀茂韶(印)
    東京府知事 芳川顕正殿
前書出願ニ付奥印候也
           東京府京橋区長 池田徳潤
   ○右ハ第二回目ノ創立願書ナリ。


回議録 明治十六年自一月至三月諸会社(DK130001k-0007)
第13巻 p.10-11 ページ画像

回議録 明治十六年自一月至三月諸会社 (東京府文庫所蔵)
    有限東京電灯会社創立規約書
 - 第13巻 p.11 -ページ画像 
電灯会社発起人総会ニ於テ議定シタル処ノ規約書左ノ如シ
 第一項 当会社取締役ノ撰挙会ハ創立許可ノ上開会スヘキニ付、夫迄ノ間ハ発起人ノ撰挙ヲ以テ創立委員ヲ定メ、之レニ当会社創立ニ関スル総テノ事務ヲ担当セシムヘシ
 第二項 当会社ノ株主タラント欲スル者ハ其申込書ヘ記名調印シテ事務所ヘ差出スヘシ
 第三項 当社ノ資本金発起人ニテ引請ケタル株金五万円ナルニ付、其余額ハ之ヲ募集シ、猶営業ノ拡張スルニ随ツテハ更ニ増加スヘシ
 第四項 株金払込ノ者ヘハ本社ヨリ領収証ヲ渡シ置、株金全額払ヒ済ニ至リ本株券ト交換スヘシ
 第五項 株金ハ総テ三井銀行ヘ払込、該行請取証ヲ本社ヘ入レテ本社ノ領収証ヲ請取ヘシ
  明治十五年十二月十四日       蜂須賀茂韶(印)
                    柏村信
                    益田孝
                    三野村利助(印)
                    原六郎(印)
                    大倉喜八郎(印)
                    横山孫一郎
                    矢嶋作郎(印)
                    喜谷市郎右衛門(印)
第弐千五百三拾三号
書面会社設立願之趣ハ追而一般ノ条例制定相成候迄相対ニ任セ候事
 但会社定款第七条電灯建設ノ義ハ敷地官有地ニ係ルモノハ前以当庁ニ願出許可ヲ請ケ、其後起工候義ト可心得事
  明治十六年二月十五日
              東京府知事 芳川顕正
   ○右認許書ハ明治十五年十二月十四日出願ニ対スルモノナリ。


東京電灯株式会社開業五十年史 第二三頁〔昭和一一年八月〕(DK130001k-0008)
第13巻 p.11 ページ画像

東京電灯株式会社開業五十年史 第二三頁〔昭和一一年八月〕
 ○第一期 創業時代
    二、開業
○上略 明治十九年五月には株式の引受も全部完了するに至つた。これがため開業の機運は漸く熟して同年七月五日には従来の仮事務所を廃止し、改めて京橋区霊巌島富島町四番地に事務所を設置して華々しく一般電灯営業を開始することゝなつた。○下略