デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
22節 電気
2款 広島水力電気株式会社
■綱文

第13巻 p.20-29(DK130004k) ページ画像

明治30年5月13日(1897年)

是ヨリ先、広島市ノ有力者松本清助・同万兵衛・野村保等同地方ニ電気事業ヲ起サントシ、栄一ニ其援助ヲ請フ。仍テ栄一梅浦精一・浅野総一郎・大倉喜八郎・大川平三郎等ト共ニ発起人トナリ、是日東京銀行集会所ニ於テ創立総会ヲ開ク。栄一取締役ニ選バレ更ニ取締役会長ニ就任ス。同三十二年五月十一日ニ至リテ営業ヲ開始ス。


■資料

青淵先生六十年史 (再版) 第二巻・第一〇七―一〇八頁 〔明治三三年六月〕(DK130004k-0001)
第13巻 p.20 ページ画像

青淵先生六十年史(再版)第二巻・第一〇七―一〇八頁〔明治三三年六月〕
 ○第二十九章 電気業
    第四節 広島水力電気会社
広島水力電気株式会社ハ明治二十八年ノ交青淵先生・大倉喜八郎・浅野総一郎・梅浦精一・松本清助外五名ノ発起ニ係リ資本金二十五万円ヲ以テ創立シタルモノニシテ、其設立免許トナリシハ明治三十年七月十七日ニアリ
同社ノ目的ハ同県賀茂郡黒瀬川ノ水力ヲ引用シ、同郡広村ニ発電所ヲ設置シ、広島市及呉港其他近傍各地ニ向テ電力並電灯ノ需用ニ応スルノ業ヲ営ムニアリ
同社ハ本店ヲ広島市ニ設ケ、其出張所ヲ同県安芸郡呉港和庄町ニ置ケリ
青淵発生ハ同社ノ取締役会長ニシテ、其創立ノ当時ヨリ今日ニ至ルマテ同社事業ノ為メ熱心尽力セリ
本史ノ編纂者タル余○男爵阪谷芳郎ハ明治二十七八年戦役ノ際大纛ニ従テ広島ニアリ、同市豪商松本清助氏ノ宅ニ投宿ス、清助氏弟アリ万兵衛ト云フ、又其親戚ニ野村某ト云フモノアリ、此ノ三人広島市商工業ノ不振ヲ慨シ事業ヲ起スノ志アリ、公務ノ余暇来テ余ノ意見ヲ叩ク、余為メニ経済運用ノ原理ヲ論シ、戦争ノタメ広島ニ落ル所ノ資金ヲ利用シテ工業ヲ起スノ方法ヲ授ク、三氏大ニ奮発シ、貯蓄銀行ヲ創立シ、及水力電気供給業ヲ起スニ決セリ、而シテ遠距里ノ水力電気供給業ハ我邦ニ於テ最モ新奇ニ属スルヲ以テ前途経画ノ方針ヲ誤マルコトナカラシムル為メ、余ハ青淵先生及工学博士田辺朔郎氏ヲ三氏ニ紹介セリ、爾後事業ハ明治三十年末ヨリ三十一年ニ亘リ一般金融逼迫ノ為メ多少ノ困難ニ遭遇セルニモ拘ハラス挫折スルコトナクシテ着々進歩シ、明治三十二年四月余ノ公用ヲ以テ広島ニ至リシトキ呉方面ノ工事ハ既ニ竣工シ、広島方面モ将ニ落成ヲ告ケントセリ、余ハ此ノ事業ノ将来必ス有望タルコトヲ信スルナリ


青淵先生公私履歴台帳(DK130004k-0002)
第13巻 p.20-21 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳             (渋沢子爵家所蔵)
 - 第13巻 p.21 -ページ画像 
    民間略歴(明治二十五年以後)
明治二十八年
○上略
一広島水力電気株式会社ノ創立委員トナリ尋イテ取締役会長ニ選ハレ現ニ其職ニアリ
  本会社ハ広島県賀茂郡黒瀬川ノ水力ヲ引用シテ同郡広村ニ発電所ヲ置キ、広島及呉ニ電灯及電力ヲ供給スルヲ以テ目的トスルモノニシテ、地方発起人ノ請ニ依リテ創立委員トナリ専ラ其創立ニ力メ、三十年会社成立ノ際推サレテ取締役会長トナリ現ニ其職ニアリ、同社ハ三十二年其工事ヲ完成シテ営業ヲ開始セリ
○中略
  以上明治三十三年五月十日調


広島電気沿革史 第五九―六三頁〔昭和九年一一月〕(DK130004k-0003)
第13巻 p.21-24 ページ画像

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渋沢栄一 日記 明治三二年(DK130004k-0004)
第13巻 p.24 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三二年
六月廿六日 曇
午前松本清助・梅浦精一両氏来リテ、広島水力電気会社ノコトヲ談ス
○下略
   ○松本清助ハ取締役(明治三〇年六月就任大正一〇年八月辞任、明治三八年七月取締役会長就任大正一〇年八月辞任)、梅浦精一モ取締役(明治三〇年六月就任同四五年三月死亡)ニシテ右両氏創立発起者タリ。
   ○栄一、明治二十八年一月ヨリ当会社創設ニ関係ヲ有スレドモソノ当時ノ日記ヲ欠ク。


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK130004k-0005)
第13巻 p.24 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三三年
一月十七日 晴
○上略
梅浦精一氏来ル、広島水力電気会社ノコト及石川島造船所重役増員ノコトヲ協議ス
○下略
三月二十日 晴
○上略 広島水力電気会社ヨリノ来状ヲ一覧シテ梅浦氏ヘ廻付ス
十二月四日 晴
午前八時半広島発宇品ニテ小蒸気船ニ搭シ十時頃呉港ニ達ス、同港上陸ノ後市街ヲ通過シテ吉川旅館ニ抵リ、腕車ヲ雇ヒ広村水力電気器械及用水取入口一覧ノ為メ出発ス、一行略十余人行程三里ニシテ広村発電所ニ抵リ午餐ス、午後二時頃発電所ヨリ山ニ登リテ有名ノ広村瀑布ヲ一覧シ、山上ニ達シテ行クコト半里許ニテ用水取入口ニ抵ル、更ニ伏樋及墜道等ヲ一覧シテ午後六時過呉港ニ帰リ吉川旅館ニ一泊ス、此夜松本・海塚氏等ヨリ同旅館ニ於テ招宴セラル
   ○栄一韓国視察ヨリ帰京ノ途次広島ニ下着セルハ前日ナリ。
   ○海塚新八(先代)ハ取締役(明治三一年一二月就任同三九年一〇月辞位、明治四〇年一月就任大正二年一二月死亡)ナリ。
十二月五日 曇
○上略 午前十時過吉川旅館ヲ発シ小蒸気船ニテ午餐シ、一時過宇品ニ達ス、宇品ヨリ人車ニテ広島ニ抵リ水力電気会社ノ本店ヲ一覧シ、午後二時半広島発ノ汽車ニ搭シ午後九時過岡山ニ抵リ ○下略
 - 第13巻 p.25 -ページ画像 

渋沢栄一 日記 明治三四年(DK130004k-0006)
第13巻 p.25 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三四年
三月廿四日 雨
○上略 児玉春房来ル、広島水力電気会社ノコトヲ談ス ○下略


渋沢栄一 日記 明治三六年(DK130004k-0007)
第13巻 p.25 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三六年
四月廿三日 曇
○上略 広島水力電気会社松本・海塚・小島ノ三氏来訪、会社ノ要務ヲ協議ス ○下略
   ○小島範一郎ハ監査役(明治三五年七月就任同三八年一二月辞任、明治四一年七月就任同四三年一月死亡)ナリ。


渋沢栄一 日記 明治三九年(DK130004k-0008)
第13巻 p.25 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三九年
六月九日 雨 薄暑
○上略 広島ニ抵リ松本清助・同万兵衛及人力電気会社技師長来《(水)》リ迎フ、社員多ク来リ候ス、松本氏等ハ同車シ車中種々ノ談話アリ、且水力電気会社ノ要務ヲ諮詢セラル、宮島ニ抵リテ辞シ帰ル ○下略
   ○松本万兵衛ハ取締役(明治三七年八月就任同四二年二月辞任)監査役(明治三〇年六月就任同三七年八月辞任)ニシテ創立発起者タリ。


渋沢栄一 書翰 松本清助宛 (年未詳)一一月六日(DK130004k-0009)
第13巻 p.25 ページ画像

渋沢栄一 書翰 松本清助宛 (年未詳)一一月六日
               (松本清助氏所蔵)
其後は御疎情に打過候得共愈御清適御座可被成奉賀候、然ば貴地水力電気会社設立許可の義も此程に至り漸く相運候摸様と相成、偖々待遠き事にて候、就ては弥其許可を得候上は早々創業総会相開く都合に相成居候に付、一書を以て夫々御打合可申上候間野村その外の方々とも御協議被下願くば児玉御同行御出京被下度候、且又兼而御内談仕候電灯会社合併の一案も此際夫々相運候方可然と存候に付、御出京に臨み桐原氏と御熟議被下其手続は可成は覚書にても作り御持参被下度候、又電気其他の器械注文の事も御出京の序御取扱の事と存候に付其取調は技師に御命にて御携帯有之度候、右は表状にも申上候得共久々御無沙汰の謝詞旁一書得芳意候 不宣
  十一月六日
                      渋沢栄一
    松本清助様
  追而過日は松茸沢山に被下忝く奉存候乍序玆に御礼申上候 匆々


渋沢栄一 書翰 松本清助・海塚新八宛 (年未詳)一二月二九日(DK130004k-0010)
第13巻 p.25-26 ページ画像

渋沢栄一 書翰 松本清助・海塚新八宛 (年未詳)一二月二九日
                (松本清助氏所蔵)
其後御疎情に打過候へ共各位益御清適御座なさるべく奉賀候、然らば貴方水力電気会社計算及向後の営業予算に付ては別紙梅浦氏との連名を以て当方の愚考詳細申上候間何卒篤と御審案被下至急何分の御回答被下度候、社債募集の際取調候予算に誤謬有之今日に至り不足相立候も今更致方無之候へ共、向後会社営業向に於て収支計算如何の御見込
 - 第13巻 p.26 -ページ画像 
相立候や、最早営業時季と相成候儀に付是非とも通常経費と社債其他借入金の利息位は働出し候様に無之ては会社は自滅の外無之次第に付能く能く御計算被下完全の予算御取調相成度候
右営業上の収益を勉め候事は第一に社務取扱方注意行届き独り経費節約候のみならず一方には得意相増候過日も内々書中申上候如く現支配人児玉氏にて案凡百の事務充分に行届き候や頗る痛心仕候、若しも右支配人不充分の為他の事務員も精勤を欠き一方には貴台方御重役に於ても余りに常の事物に御注意無之様に候はゞ、会社は詰り主人なき古寺同様と相成可申候に付、到底利益などは思ひもよらぬ事と存じ候、依而会社の為には情実等に拘泥致しがたき次第に付、向来会社事務整理し相応之営業出来候方法に付両君の御意見充分に御示し被下度候、其高案によりて児玉氏は如何様とも可致と存じ候、もしも技師岡本等にて兼任候て此まゝ社務相運ひ候はゞ夫にても可然、若し又他に御心附の人有之候はゞ之又御遠慮なく御示し被下度候、要するに此会社をして自営の途相立ち社債其他償却の方法を講じ株主にも安心の場合に至らしむるは御同様今日の責任と存じ候間、既往に遡り愚痴申合致候事無之専心に会社事務進捗に尽力仕度と存じ候
右は先頃も内書にて支配人の事申上候へ共回示も無之候に付更に一書御意を得度く如斯御座候 匆々不一
  十二月二十九日             渋沢栄一
    松本清助様
    海塚新八様


渋沢栄一 書翰 松本清助・海塚新八宛(明治三五年)一一月一四日(DK130004k-0011)
第13巻 p.26 ページ画像

渋沢栄一 書翰 松本清助・海塚新八宛(明治三五年)一一月一四日
                 (松本清助氏所蔵)
其後打絶へ御起居も不相伺候得共両台益々御清適御座可被成奉賀候、然者小生義先頃欧米渡遊の途に上り候処、旅中無事十月三十日帰朝仕候ニ付御省念被下度候、貴地水力電気会社事業も爾来御丹精によりて追々点灯数及動力使用も相増し目下は稍々得失相償候程に相進候様子にて此度も客月の計算報告書拝見致し大に安心仕候、御書中に呉海軍へも送電開始となるとの事有之候は先般来御同様心配せし義相届候次第と別而相満足の事に候、尚今一段之御尽力こそ相応しく利益高と相成り社債之義務償却候様致度きものに御座候、欧米諸国水力電気の工業は実に非常の進歩にて中にも米国ナイヤガラ大瀑布にて水力電気工場創設之挙は真に広大のものにて只々欽羨之外無之候、尚其中拝眉の期も有之候はゞ目撃之有様申上候得共御遣之尊書拝答旁一翰申上度候
                          匆々不一
  十一月十四日
                      渋沢栄一
    松本清助様
    海塚新八様
        拝復


渋沢栄一 書翰 松本清助・海塚新八宛(年未詳)一一月三日(DK130004k-0012)
第13巻 p.26-27 ページ画像

渋沢栄一 書翰 松本清助・海塚新八宛(年未詳)一一月三日
 - 第13巻 p.27 -ページ画像 
                    (松本清助氏所蔵)
其後は御疎情に打絶へ候へ共、各位益御清適御座可被成抃賀の至りに候、偖水力電気会社営業の模様は引続き好都合にて毎期相応の利益も相生候様相成慶賀此事に御座候、畢竟各位に於て爾来容易ならざる御高配被成下候結果と拝謝の外無之候、此分に相進候はゞ其中には社債の義務も漸次減却致し、随而株主に対して相応の利益配当も出来る様可相成と奉存候、偖玆に申上候一事は岡本技師の身上に御座候、過日氏より八十島まで来書の趣にては広島電灯会社兼任の事も同人強て相望候には無之候得共便宜上とて同人の都合上にも相成候哉に申越候へ共、愚考にては何分相好不申義にて兎角技術上の不注意件は、多く多岐に渉候より相生候ものに御座候、殊に目下の処右電気会社は当会社とは利害を異に致候義に付、一人兼任と申は道理上に於ても如何やと存候次第に御座候、就ては岡本氏の待遇は此際相応に御引上被成候とも右兼務の事は先以て御見合相成候方可と存じ候、此事に就ては更に本人へも一書差出し且八十島よりも詳細書面為致候筈に候へ共、一応各位迄愚考陳上致し何卒御熟案下され候様懇願仕候、右申上度如此に御座候 拝具
  十一月三日
                      渋沢栄一
    松本清助様
    海塚新八様


渋沢栄一 書翰 松本清助・海塚新八宛 (年未詳)一二月七日(DK130004k-0013)
第13巻 p.27 ページ画像

渋沢栄一 書翰 松本清助・海塚新八宛 (年未詳)一二月七日
                    (松本清助氏所蔵)
貴翰拝読先頃一書差上候処早速之御回示且会社客月分の計算書類も一覧近況逐一了承仕候、爾来御丹精にて追々事業も進捗いたし御同慶此事に御座候、何卒水力之及ぶ丈け可成間断なく利用相成候様此上の御厄介深く懇望罷在候、米国流の水力電気を見ては真に憤慨のみに御座候、例のナイヤガラ之大瀑布に於て発電いたし動力は現に拾万余馬力にて更に弐拾万馬力を増設中に御座候、而して拾万馬力の発電所に使用之職工僅少なるは更に一驚を喫し申候、右様の景況にて同国工業の進歩は只々目を驚し候事に御座候、岡本技師の俸給に付来示の儀相承一応御尤には存候得共、色々本人に企望あるを以排斥と申様相成候も如何と存候に付、是迄とても随分勉強せし人に有之候間寧ろ専心に勤務為致候方会社の利益と存候に付、望み通り御聞届被成増給御申付の方可然やと存候、右之段不取敢拝答まで匆々如此御座候 拝具
  十二月七日
                      渋沢栄一
    松本清助様
    海塚新八様
        梧下
  追而梅浦氏も両三日前帰京致候、此一書は同氏へ打合前愚案其儘申上候儀に候、尚梅浦氏へは小生より可然申談候に付、幸両台にて愚見御採用の程早々御取計被下度候也
 - 第13巻 p.28 -ページ画像 

渋沢栄一 書翰 松本清助・海塚新八宛 (明治三七年)一〇月一五日(DK130004k-0014)
第13巻 p.28 ページ画像

渋沢栄一 書翰 松本清助・海塚新八宛 (明治三七年)一〇月一五日
                    (松本清助氏所蔵)
爾来各位益御清適御座被成候条奉抃賀候、小生昨年より大患に罹り一時は回復も無覚束と存候、然処幸に追々快方に相成客月末より外出も出来いたし事務も少々宛取扱候までに相成候、乍去大病後の為身体に抵抗力乏しく兎角に寒冒等いたし候間別而加養罷在候御省念被下度候偖一身の境涯前陳の通に付貴会社取締役も辞任仕度と存候、即別紙差出申候、可然御取扱被下度、尤も向後とて緊要の事柄に付き御来議被下候ハヾ資格の有無に不拘愚見可申上候に付御遠慮なく御申越被下度候、創業以来関係いたし居遠隔の地に罷在候へ共百事御協議参じ候次第に付、突然右様申上候は小生も実に不本意之至りに存候へ共不已得事情に付呉々も御察被下度、就而向後の事共に付ても一度各位の中に拝光いたし篤と御打合申上候はゞ或は貴方の実況も相分り小生の微衷も徹底可致哉と存候間、御繰合御叶候はゞ松本君には最初より御骨折も有之旁々一寸御出京被下夫是申上候様仕度存候、もし御両君御出京にも相成候はゞ尚更と存候、余り自由の申上方と相成候に付前段松本君へ御苦労を願候義に御座候、右辞表と共に一書申上度 匆々不備
  十月十五日
                      渋沢栄一
    松本清助様
    海塚新八様
  尚引続き御尽力にて会社の業務も次第に好都合に相成候段感謝之至りに候、乍序厚く御礼申上候 匆々


渋沢栄一 書翰 松本清助宛 (明治三七年)一一月二二日(DK130004k-0015)
第13巻 p.28 ページ画像

渋沢栄一 書翰 松本清助宛 (明治三七年)一一月二二日
                    (松本清助氏所蔵)
本月十八日附書翰拝読仕候、過日御出京中ハ匆卒たる接遇に打過欠敬之至に候、然者小生貴会社取締役辞任之事に付ては御滞京中再三再四の御申聞も有之候得共、其際も縷述仕候如く将来の健康を保持するには是非とも事務を減却いたす外無之旨其後も度々高木博士より忠告せられ、如何に貴台の御事情察上候とも何分貴命に応じ難く相成候間、呉々も御海容被下度候、就而海塚君其他之諸君にも宜敷御伝声被下御承認相成候様偏に相願ひ候、尤も年末に際し強而株主総会等御開之義は相願不申候に付来年の通常会には必ず御提出被成辞任聞届之義御高配被下度候、もし其場合に於て小生の名会社に相存候義諸君に必要と御認に候はゞ相談役等の名は不得已御引受可申上候、又東京に取締役一名にて差支との事に候はゞ先頃も内々申上候如く小生関係の人にても候補者に相立候都合も可仕候に付、其辺御遠慮なく御申越被下度候右之段拝答旁一書得貴意候 匆々不一
  十一月廿二日
                      渋沢栄一
    松本清助様
        梧下
 - 第13巻 p.29 -ページ画像 

渋沢栄一 書翰 松本清助宛 (明治三七年)一二月三〇日(DK130004k-0016)
第13巻 p.29 ページ画像

渋沢栄一 書翰 松本清助宛 (明治三七年)一二月三〇日
                    (松本清助氏所蔵)
益御清適奉賀候、然者拙生貴会社取締役辞任之儀に就ては先頃一書を以て余儀なき理由申上置候処、此程八十島まで御細書被成下更に梅浦氏とも御往復相成候末不得已御伺被下候趣拝承忝く奉存候、就而ハ将来之処相談役として名前会社に相存候様との御企望は此上強而御拒絶も申上兼候に付、自然其御評決に相成候上は御引受可申上と存候、又拙生の後任を篤二に被成度との御申越は一応御尤には候得共、同人は是迄貴会社の実地も相心得不申候儀に付今日重役の位地相受候も如何と存候間、寧ろ八十島を御撰挙之方順と存候依而同人に其資格相生候様取計ひ度候に付可然御配意願上候
右之段は海塚君其外の方々へも宜敷御伝声被下何卒前陳之通り決定之様相願候、右申上度匆々如斯御座候 不宣
  十二月三十日
                      渋沢栄一
    松本清助様
        梧下


(八十島親徳)日録 明治三六年(DK130004k-0017)
第13巻 p.29 ページ画像

(八十島親徳)日録 明治三六年 (八十島親義氏所蔵)
四月十三日 晴
○上略 朝梅浦氏宅ヲ訪ヒ、広島水力電気回答案ノコト等相談ノ上十一時出勤、同時頃男爵モ出勤○下略