デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
22節 電気
2款 広島水力電気株式会社
■綱文

第13巻 p.29-33(DK130005k) ページ画像

明治38年1月(1905年)

是月栄一、当会社取締役会長ヲ辞任ス。引続キ相談役ニ就任シタレドモ、明治四十二年六月六日辞任ス。ソノ間当会社ノタメ尽力スル所多シ。


■資料

青淵先生公私履歴台帳(DK130005k-0001)
第13巻 p.29 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳         (渋沢子爵家所蔵)
    民間略歴(明治二十五年以後)
○上略
一広島水力電気株式会社取締役会長
         (後筆)
           三十八年一月辞任
               七月承認
○中略
一広島水力電気株式会社相談役 卅八年七月廿三日 四十二年六月六日辞任
○中略
  以上明治四十二年六月七日迄ノ分調


渋沢栄一 書翰 松本清助外四名宛 (明治三八年)一月三〇日(DK130005k-0002)
第13巻 p.29-30 ページ画像

渋沢栄一 書翰 松本清助外四名宛 (明治三八年)一月三〇日
                    (松本清助氏所蔵)
御書翰拝読各位益御清適御座被成候条奉拝賀候、然バ小生貴会社取締
 - 第13巻 p.30 -ページ画像 
役辞任の義に付、過日の株主総会に於て出席の方々へ御披露被下候処御一同に於ても是非留任の様との御企望にて、更に株主中の総代三名の各位より留任勧告の御書状御遣し被下現重役各位にも同様御懇書御恵投相成毎々御厚志感謝の涯に御座候、乍去先般再三御懇諭に対し強而辞任申上候は一身の健康維持の為不得已義にて已に松本君尊来の際にも再三再四申上その後拙書を以て詳細陳上候義に付、更に株主方より勧誘せられても只々恐悚千万と申上候外無之、依而総代の諸君へも別紙にて拝答陳謝仕候に付各位より尚宜敷御申進被下是非辞任御承認被下度候、右之段拝答旁一書申上度如此御座候 敬具
  一月三十一日
                      渋沢栄一
    松本清助様
    海塚新八様
    松本万兵衛様
    小島範一良様《(小島範一郎)》
    宇都宮密之助様
          各榻下


渋沢栄一 書翰 松本清助外四名宛(明治三八年)三月三日(DK130005k-0003)
第13巻 p.30 ページ画像

渋沢栄一 書翰 松本清助外四名宛(明治三八年)三月三日(松本清助氏所蔵)
過日は尊書御恵投被下候処取込中御答延引仕候、然者小生も会社取締役辞任の事に就ては昨年来再三事情陳述いたし且最後之一書を以て松本君へ特に御依頼いたし置候に就而、定めし御諒知被下候事と存居候処、尚又貴方株主総代の方々よりも一書を以て留任の儀被申越同時に各位の尊書も落手仕候次第にて何共困却此事に御座候、畢竟各位株主も会社の将来を御心配被成下候御深切より再三再四御申越《(衍)》の御申越とは御察申上候得共、小生とて出来得る儀に候はゞ斯まで強而申上様之手数は不仕疾く来示に随ひ可申候得共、何分健康上事務減省の外無之故是迄数回申上候次第に就而只々迷惑いたし候至に御座候
就而各位に於ても前陳之情状御諒察被下、貴方株主総代之方々へも可然御相談被下可成強請と申姿に不相成様可然御措置被下度候、依而株主総代之方々より御遣しの御状は此際回答を略し不取敢此段各位まで拝復仕候、呉々も微衷御諒察被下候様奉願候 匆々敬具
  三月三日
                      渋沢栄一
    松本清助様
    海塚新八様
    松本万兵衛様
    小島範一郎様
    宇都宮寧之助様《(宇都宮密之助)》
          各榻下


竜門雑誌 第二一七号・第三九頁〔明治三九年六月二五日〕 青淵先生に対する広島水力電気会社の紀念品贈呈(DK130005k-0004)
第13巻 p.30-31 ページ画像

竜門雑誌 第二一七号・第三九頁〔明治三九年六月二五日〕
   ○青淵先生に対する広島水力電気会社の紀念品贈呈
 広島水力電気株式会社にては青淵先生が同社の創立発起人代表者と
 - 第13巻 p.31 -ページ画像 
なり、尋て取締役会長と為りて尽力せられたるも先年病の為め之を辞せられたるを以て、其功労に酬ひん為め紀念品を贈呈せられたり、依て先生は深く其厚意を謝して受領せられたり
同社より先生に贈呈せられたる書翰の写しを得たれば左に之を録す
 明治二十九年本社の創立に当り閣下発起人の請に応し其代表者となり、創業の事務を指揮せられ尋て取締役会長の任に膺り事務を総轄せらるゝこと多年一日の如し、其間未だ時勢に適せざるものありて事業予期の如くならざるのみならず災害玆に至り本社の基本をして危殆ならしめんとするもの一再ならさりしが、毎に閣下懇到の周慮不抜の忍耐を以て救護督励せられ危を転して安となし漸次順運に導き前途有望の境に達したるもの実に閣下の賜にして株主一同深く感銘する所なり、然るに曩に閣下大患に罹られ善後衛養の為め其任務を辞せられたるは閣下の為め已むべからざるを以て枉て牽止の情を抑へ閣下の意に随ひたる所なり、然るに衷情黙止し難きを以て玆に総会を開き満場一致の決議を以て別紙目録の品を晋呈し謹て感謝忘れさるの微意を表す、閣下其誠意を納れて不腆の贈を斥けられざれば何の幸か之に加かむ 謹具
               広島水力電気株式会社
                  取締役 松本清助
                      梅浦精一
  明治三十九年六月            海塚新八
                      松本万兵衛
                  監査役 瀬川岩造
                      宇都宮寧之助《(宇都宮密之助)》
    男爵 渋沢栄一殿
      目録
  一 湯沸     壱個
  一 水注     壱個
  一 急須     弐個
  一 湯冷     壱個
  一 湯翻     壱個
  一 茶卓     弐拾個
  一 茶壷     壱個
  一 茶盆     壱個
     以上


(八十島親徳)日録 明治三七年(DK130005k-0005)
第13巻 p.31 ページ画像

(八十島親徳)日録 明治三七年(八十島親義氏所蔵)
十一月二日 晴 今日ハ稍暖
今日昼松本清助氏上京ニ際シ同氏ト梅浦氏夫妻トヲ王子ヘ被招ニ付予モ陪席被命、十時半同邸ニ至ル、御茶会席ニテ茶室ニテ饗応アリ、予ハ初メテニテ甚当惑セリ、本日ハ水力電気ニ対シ男爵辞表提出ニ付其思止マリヲ乞フコトニ付種々懇談アリ、男爵ハ容易ニ納得ナク何レ再会ヲ期スルコトトセリ
○下略
 - 第13巻 p.32 -ページ画像 

(八十島親徳)日録 明治三八年(DK130005k-0006)
第13巻 p.32 ページ画像

(八十島親徳)日録 明治三八年 (八十島親義氏所蔵)
一月廿五日 晴 北ノ強風
○上略 午後一寸銀行集会処ニ男爵ヲ訪ヒ、又梅浦精一氏宅ニ至リテ広島水力電気会社取締役タル男爵ガ辞任セラレタル後任トシテ男及氏ヨリ予ヲ推薦サレシコトニ対シテ謝意ヲ陳ヘ、且愈当撰ノ上ハ其後ノ尽任上ニ付打合ヲ為ス○下略
七月十四日 快晴
朝梅浦氏ヘ立寄リ広島水電総会渋沢男辞任後任者ニ予ヲ推サルヽノ件等ニ関シ協議ヲ為シ、夫ヨリ出勤ス○下略


(八十島親徳)日録 明治三九年(DK130005k-0007)
第13巻 p.32 ページ画像

(八十島親徳)日録 明治三九年 (八十島親義氏所蔵)
三月十日 晴 暖
○上略 広島水電松本清助氏出京兜町ヘ来訪殆終日対談ス、男爵モ午後出勤会談セラル、同会社モ来廿八九年《(去)》ノ交、即日清戦役ノ後松本兄弟・藤田譲夫・野村保ノ諸氏上京ノ上男爵ニ賛助ヲ求メラレシ以来ノ仕事ニシテ、其後水力ハ予想外ニ少ク起業費ハ予算外ニカヽリ、又販路ハ意ノ如クナラヌ等ノ事情ニテ永ク無配当ニ陥リ、株券ノ市価モ殆半価ニ下落スル位ナリシガ、主トシテ男ノ指導ニ基ツキ其間永年ノ耐忍ト及ヒ時勢ノ進歩ニヨリ今ハ優ニ一割以上ノ配当ヲナシ得ルノミナラズ更ニ市ノ西方四里五日市在ニ一ノ新水力発電所ヲ設ケ七万五千円ノ増資ヲ為シテ之ヲ経費《(営)》セントスル場合ニ至レリ、即今日ニテハ安泰且隆昌ノ事業トナリシモ男爵ノ指導大キニ因ル、然ルニ一昨年ノ大患ニ依リ昨年来之ヲ辞任シ只相談役ノミ引受ケラルヽ場合トナリシニ付、松本氏ハ謝礼旁上京セラレシ也
○下略
九月二十八日 晴
○上略 午後 ○中略 永田町官邸ニ阪谷大蔵大臣ヲ訪フ、広島水電ノ現況ニ付下問アリ、同大臣過日西下ノ節早速整爾等ニ談セラレタル合併談ノコトナドアル故ナリ○下略
十一月二日 雨後晴 暖和
朝出勤、広島ノ松本清助氏上京、水力電気対電灯会社間電力料金値上ケ談判訴訟ノ件、両社合併交渉ノ件等ニ交渉アリ殆終日ヲ費セリ、男爵ハ自奉スルコト薄ク、人ヲ待ツコト厚クスル例ノ譲歩主義ナルニ付直上ゲト及合併ノ節ハ先方ヲ劣等扱ニスルコトトヲ併ベ行ハントスルハ所謂「胸ヲオサヘテ背中ヲ打ツ」主義ニテ予ハ甚ダ取ラズ、敵ヲ攻メルニハ一方ニ逃ゲ口ヲ与フルヲ可トス、孫子ノ兵法ニアル「胸ヲ扼シテ其背ヲ打ツ是レ古来ノ兵法云々」ハ甚野蛮主義ニシテダムダム弾ヲ用フルト同筆法也云々トテ、懇切丁寧ニ松本氏ニ忠告セラレシハ流石ハト敬服セリ○下略
十一月六日 曇後晴 大ニ寒シ
例刻出勤、広島ノ松本清助氏去二日上京来訪、例ノ水電対電灯、料金引上問題及両社合併問題協議ノ為也、今日モ梅浦氏ト共ニ来談半日ヲ費セリ○下略
 - 第13巻 p.33 -ページ画像 

竜門雑誌 第二五三号・第四七―四九頁 〔明治四二年六月二五日〕 青淵先生の各種関係事業引退(DK130005k-0008)
第13巻 p.33 ページ画像

竜門雑誌 第二五三号・第四七―四九頁 〔明治四二年六月二五日〕
    青淵先生の各種関係事業引退
我青淵先生 ○中略 本月六日 ○中略 同日附を以て左記の如き辞任書又書状を発送せられたり
    辞任書
抽者儀頽齢に及び事務節約致度と存候間、貴社「何々役」辞任仕候、此段申上候也
  明治四十二年六月六日         渋沢栄一
    書状
拝啓時下向暑の候益々御清泰奉賀候、陳は小生儀追々老年に及び候に付ては関係事務を減省致度と存し、今回愈々第一銀行及東京貯蓄銀行を除くの外一切の職任を辞退致候事に取極候に付、別紙辞任書差出候間事情御了察の上可然御取計被下度候、尤も右様役名は相辞し候へ共向後とて従来の御交誼上必要に臨み御相談に与り候事は敢て辞する処に無之候間其辺御承知置被下度候此段申添候 敬具
  明治四十二年六月六日
                      渋沢栄一
 辞任せられたる各種事業の名称及職任左の如し
○中略
 広島水力電気株式会社同上 ○相談役
○下略


実業之世界 第六巻・第七号〔明治四二年七月一日〕 広島水力電気株式会社(DK130005k-0009)
第13巻 p.33 ページ画像

実業之世界 第六巻・第七号〔明治四二年七月一日〕
    ○広島水力電気株式会社
            (明治三十年十二月設立払込資本三十二万五千円配当年二割渋沢男は当会社の相談役)
二十七年の戦争の時に親族の阪谷芳郎などが広島に行つて、広島人に勧告したのが動機となつて始まつた会社である。最初設計者《(書カ)》を持つて頼みに来たのを見ると、滝の工合と云ひ位置と云ひナカ々々いゝ都合に行つて居る。で、是は面白い世話しようと云ふので組織したものであるが、予想の如き好結果を得て年々二割位の配当をして居る。有望な会社である、処が今度電灯会社と合併の下相談が生じて居るさうであるが、広島水電は、広島から呉にかけての唯一の動力であるから、何も慌てゝ合併などをしなくとも相応な利益はある。合併してカスリを取らうなどは実にケチな考であると小言を云ふが、云ふ事を聴かない。で私の辞職後は、私利に走るやうな事はあるかも知れぬが、前途に危険などはなからうと思ふ。