デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
22節 電気
4款 東京電力株式会社
■綱文

第13巻 p.38-41(DK130007k) ページ画像

明治38年4月29日(1905年)

栄一ヲ始メ安田善次郎・大倉喜八郎・浅野総一郎等ハ、東京ニ低廉且ツ豊富ナル電力供給ノ目的ヲ以テ東京水力電気株式会社ト武相電力株式会社ヲ合併シ、資本金六百万円ノ東京電力株式会社ヲ設立スルコトヲ計画シ、是日帝国ホテルニ於テ発起人会ヲ開キ創立事務ヲ協議ス。栄一外七名創立委員ニ選バレ、互選ノ結果浅田徳則委員長トナル。翌年九月十三日ニ至リ東京銀行集会所ニ於テ創立総会ヲ開ク。栄一取締役ニ選バル。明治四十年七月一日当会社ハ東京電灯株式会社ニ合併サレ、解散セリ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三八年(DK130007k-0001)
第13巻 p.38 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三八年
四月八日 晴 風強シ
○上略
午後帝国ホテルニ抵リ、水力電気会社設立ノコトヲ協議ス、安田・大倉・浅野其他諸氏来会ス
○下略
四月二十九日 曇 風ナシ
○上略午後五時帝国ホテルニ抵リ、水力電気会社創立事務ヲ協議ス、浅田徳則・大倉喜八郎・立川勇次郎・中根某来会ス、夜七時過王子別荘ニ帰宿ス


渋沢栄一 書翰 皆川四郎・立川勇次郎宛(明治三九年)六月一二日(DK130007k-0002)
第13巻 p.38-39 ページ画像

渋沢栄一 書翰 皆川四郎・立川勇次郎宛(明治三九年)六月一二日
                     (皆川巌氏所蔵)
奉啓益御清穆御坐可被成拝賀仕候、然者過日御来議有之候水力電気事業ニ付東京水力電気会社と協議之一案ハ早速同会社創立委員之会同ニ於て内相談相試候得共、御示之如き条件を付し候事ニてハ御同意難仕候ニ付、無条件合併と申事なれハ御協議仕度と申居候、尤も此事ニ付而ハ既ニ其前大倉氏○喜八郎より安田氏○初代善次郎へ御話合もいたし候ニ付、事之違却を予防し先以安田氏之御考伺定候方との評決ニ相成、其後大倉氏ハ安田氏を訪問し万事委員会之内相談を逐一陳述いたし候趣ニ御坐候
右様之次第ニ付幸ニ両台ニ於ても無条件合併之御考ニ候ハヽ安田氏を御勧誘被下、直ニ大倉氏へ回答相成候様御心配被下度候、然る上ニて貴方及当方とも若干之委員相会し尚其細目を御評議いたし、円滑之結局を得候様仕度奉存候
右乍延引書中一応奉得貴意候 匆々謹言
 - 第13巻 p.39 -ページ画像 
  六月十二日
                      渋沢栄一
    皆川四郎様
    立川勇次郎様
副啓本文合併談ニ付当方委員連中之無条件と主張いたし候も、其実情御聴了相成候ハヽ強而無理ニも無之候と被相考候ニ付、将来之為是非貴方ニ於て御協同被下候様只管御願申上候、何卒御熟案之程奉願候、為念添書を以此段申上候也
  六月十二日                  栄一


渋沢栄一 書翰 皆川四郎宛(明治三九年)六月二一日(DK130007k-0003)
第13巻 p.39 ページ画像

渋沢栄一 書翰 皆川四郎宛(明治三九年)六月二一日(皆川巌氏所蔵)
○上略
偖乍序申上候義者過日深川宅へ尊来ニて御話有之候水力電気会社合併之義者其後安田氏より大倉氏へ向ケ相断候趣ニ候得共、小生ニ於てハ頗る残念千万ニ被存候ニ付、尚何とか御再案相願度候、詰リ将来を想察せハ同じ水源ニ依リて両様之電気器械を構造し同じく一都府へ遠送候ハ余程愚策とも可申次第ニて、終ニハ合併可致ものと被存候、就而ハ双方とも少々之退歩意念さへ有之候ハヽ協議を得へき筈と存候ニ付貴方ニ於ても今一応御再思有之度候、小生ハ過日も申上候如く瑣少之調査費位ハいつれニても決而抵抗説主持せさる様と委員連中へ精々穏和論申談し候得共、藤岡・田辺之両技師場処之優劣を主張せし為、過日之会同ニてハ無条件ならてハ合併難仕と申事ニ相成候、貴方とても其費消之金額ニ拘泥せし事ニハ有之間敷、或ハ一之感情ニ制せられ候事共と存候間、賢台杯《(抔)》ニて勉而御緩和之御工夫被下度候
右之段其中拝眉ニても申上度候得共、愚案一応得貴意度如此御坐候
                          匆々不一
  六月廿一日
                      渋沢栄一
    皆川四郎様


竜門雑誌 第二〇四号・第三四頁〔明治三八年五月二五日〕 ○水力電気の合同及発起人会(DK130007k-0004)
第13巻 p.39 ページ画像

竜門雑誌 第二〇四号・第三四頁〔明治三八年五月二五日〕
○水力電気の合同及発起人会 青淵先生を始め安田・大倉・浅野等の諸氏は東京に低廉にして且つ豊富なる電力供給の目的を以て水力電気の大会社の設立を企て、東京水力電気会社と武相電力会社とを合併し資本金六百万円にて東京電力会社を設立することとなり、四月二十六日午後五時《(マヽ)》より帝国ホテルに発起人会を開き協議の末、発企人中より青淵先生・浅田徳則・大倉喜八郎・浅野総一郎・立川勇次郎・中根虎四郎・大河内輝剛の七氏を創立委員に挙げ、互選の上浅田徳則氏を委員長とし、創立事務に関する一切の諸件を一任することとし、右了て(一)元武相東京の両水力電気会社の株主は新設の東京電力会社の株式に対し先取権を有す(二)証拠金一株に付二円五十銭を払込ましむこと、以上二件を議決し、夫れより立川勇次郎・藤岡市助両氏より水力火力電気の比較及利益の如何に関して詳細の報告あり、同十時散会せりと云ふ

 - 第13巻 p.40 -ページ画像 

竜門雑誌 第二一二号・第三四頁〔明治三九年一月二五日〕 ○電力会社の成立(DK130007k-0005)
第13巻 p.40 ページ画像

竜門雑誌 第二一二号・第三四頁〔明治三九年一月二五日〕
○電力会社の成立 東京水力及武総水力《(相電)》の二水力電気合同し資本金六百万円にて東京電力会社を設立し、浅田徳則氏委員長に、青淵先生・大倉・浅野・立川・中根・大河内等の諸氏を委員に推挙したるが、爾来委員諸氏は熱心に運動を為したる結果、此程に至り水力使用及電気事業共に山梨・静岡・神奈川等の関係官庁の認可を得、尚工事計画に関する調査も大概終了したるに付き、愈々本月二十一日より三十日迄の間に一株に付申込証拠金二円五十銭(合計三十万円)を徴収し、引続き一株に対し第一回払込として証拠金併算十二円五十銭宛の払込を為さしめ、直に会社を成立せしむる運なりといふ


竜門雑誌 第二二〇号・第三九頁〔明治三九年九月二五日〕 東京電力株式会社創立総会(DK130007k-0006)
第13巻 p.40 ページ画像

竜門雑誌 第二二〇号・第三九頁〔明治三九年九月二五日〕
○東京電力株式会社創立総会 同社に於ては本月十三日午前八時銀行集会所に於て創立総会を開き、出席者は委任状とも六百十八人「株数六万五千八百四」にして、会長に浅田徳則氏を推し、左の議案を附議し、何れも原案通り決定したり
 一、定款議定の件
 一、取締役及監査役の報酬を八千円以内に定むる件
 一、本社事業成立の為め発起人の為したる契約承認の件
 一、中央電力株式会社発起人と締結したる契約承認の件
 一、商法百三十四条の規定による調査報告に対し議決の件
尚ほ取締役及監査役選任の件は委員長浅田徳則氏の指名にて取締役に青淵先生・大倉喜八郎・浅野総一郎・立川勇次郎・中根虎四郎・大河内輝剛・浅田徳則の七氏を、監査役に梅浦精一・柿沼谷蔵・村野常右衛門の三氏を推し其れより重役互選の結果社長に浅田徳則氏当選せり


銀行通信録 第四二巻第二五二号・第五二八頁〔明治三九年一〇月一五日〕 東京電力会社創立総会(DK130007k-0007)
第13巻 p.40 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

青淵先生公私履歴台帳(DK130007k-0008)
第13巻 p.40 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳           (渋沢子爵家所蔵)
    民間略歴(明治二十五年以後)
○上略
一東京電力株式会社創立委員 三十八年四月
○中略
一東京電力株式会社相談役《(マヽ)》 三十九年十月《(マヽ)》 四十年夏合併解散
○中略
  以上明治四十二年六月七日迄ノ分調


東京電灯株式会社開業五十年史 第一〇二―一〇三頁〔昭和一一年八月〕(DK130007k-0009)
第13巻 p.40-41 ページ画像

東京電灯株式会社開業五十年史 第一〇二―一〇三頁〔昭和一一年八月〕
 - 第13巻 p.41 -ページ画像 
 ○第二期 成長時代
    九 東京電力会社の合併と八ツ沢発電所の開発
東京電力会社の合併 東京電力会社は資本金六百万円、払込金百五十万円を以て当社の駒橋発電所下流に水利権を獲得し、上野原に発電所を設置する計画を樹てたが、両社間に合併の議進み、四十年五月十五日開催の臨時株主総会に於てこれが合併仮契約を可決し、次いで同年七月一日合併を完了した。同社の合併に依り当社資本金は二千四百万円に上り、供給区域も東京市附近より一躍して横浜・静岡・沼津方面(電力区域)迄拡大された。
○下略