デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
22節 電気
6款 日英水力電気株式会社
■綱文

第13巻 p.43-65(DK130009k) ページ画像

明治41年6月5日(1908年)

是ヨリ先三十九年二月、園田孝吉・伯爵副島道正等、英国ホワイト商会外二三ノ資本家ヨリ成ルシンジケートト共ニ日英両国人共同ニテ日本ニ於テ水力電気事業ヲ起サントシ、調査ノ結果大井川ヲ有望ト認メ其水利権ヲ得。進ンデ右日英共同会社ノ水利権ノ譲渡ヲ受ケ、更ニ発起人ヲ加ヘテ日英水力電気株式会社ヲ創立セントシ、是日三井集会所ニ於テ京浜実業家ヲ招キ会社設立協議会ヲ開ク。栄一、松方・井上両侯ノ勧誘ニヨリ此席ニ列シ、創立発起人トナル。其後栄一明治四十二年六月ニ至ル迄創立委員トシテ其準備ニ参与シ、尽力スル所多カリシモ、資金ノ調達、工事ノ引受方法等ニ問題起リテ成立ニ到ラズ、解散セリ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四一年(DK130009k-0001)
第13巻 p.43-44 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四一年
五月二十二日 晴 暖
○上略 食○午食 後松方侯爵ヲ訪フ、英国人共同ノ水力電気ノ事業ニ付種々ノ談話アリ○下略
五月二十六日 晴 暖
○上略 ○早朝 朝吹英二氏ノ来訪ニ接ス、日英合同ニテ設立スヘキ大井川水力電気会社ノコトニ関シ種々ノ談話アリ○下略
五月二十九日 雨 軽寒
○上略 午後二時三井集会所ニ抵リ、日英水力電気会社ノコトニ関シ種々ノ談話アリ○下略
六月一日 曇 暖
○上略 午後一時水力電気事務所ニ抵リ、書類ヲ一覧シ、工事ニ関スル要件ヲ外国人ト協議ス○下略
六月三日 晴 暖
○上略 十時日英水力電気会社事務所ニ抵リ、定款草案ヲ議定シ、契約案ヲ協議ス、園田・朝吹・副島・樺山・岸等ノ諸氏来会ス○下略
六月五日 晴 暖
○上略 二時三井集会所ニ抵リ、日英水力電気会社ノコトニ開シ株式勧募ノコトヲ談ス○下略
六月八日 雷雨 暑
○上略 午後一時第一銀行ニ抵リ、後事務所ニテ園田・朝吹・副島三氏ニ会見シ、水力電気会社ノコトヲ談ス○下略
六月十二日 曇 暑
 - 第13巻 p.44 -ページ画像 
○上略 十時兜町事務所ニ抵リ、書類ヲ調査ス、英国人シルツ氏・副島伯ト共ニ来訪シ、日英水力電気事業ニ関シ種々ノ談話アリ○下略
六月十三日 雨 冷
○上略 三時事務所ニ抵リ、副島伯爵来リ水力電気会社ノコトヲ談ス○下略
六月十四日 曇 暑
○上略 九時麻布井上侯爵ヲ訪ヒ、日英水力電気会社ノコトヲ談ス、副島伯同席ス○下略
六月十七日 曇夕雨 暑
〇上略 午飧畢テ商業会議所ニ抵リ、園田孝吉氏ト共ニ水力電気会社ノコトニ関シ、全国商業会議所ノ人々ニ株式引受ノコトヲ勧募ス○下略
六月十九日 晴 暑
○上略 一時過日英水力電気会社事務所ニ抵リ、園田・朝吹・副島諸氏ト事務ヲ談ス○下略
六月二十四日 晴 暑
○上略 正午第一銀行ニ於テ午飧シ後水力電気会社事務所ニ抵ル、園田・副島・田中諸氏ト談話ス○下略
七月八日 曇 冷
○上略 正午銀行倶楽部ニ抵リ、日英水力電気会社ノコトニ関シ、園田・朝吹二氏ト共ニ各取引銀行者ニ依頼シ、且相共ニ午飧ス○下略
七月九日 晴 冷
○上略 華族会館ニ抵徳川公爵《(リ脱)》ヲ訪ヒ、水力電気会社ノコトヲ談話ス○下略
七月十八日 曇 冷
○上略 午後五時滝村小太郎氏来リ、日英水力電気会社ノコトヲ談ス
七月二十七日 晴 大暑
○上略 午飧後日英水力電気会社ニ抵リ、発起人会ニ列席ス○下略
九月二十二日 曇 涼
○上略 午後三時日英水力電気会社ニ抵リ、爾後ノ景況ニ関シテ園田氏ヨリ詳細ノ報告アリ、依テ近々英国技師ノ来着シテ更ニ起業予算ノ修正ヲ為シテ提出セラルヽヲ待テ其真想ヲ知悉シ、設立ノ見込確乎タルヲ得ハ其際ニ決意スヘキモノトスヘキ意見ヲ述ヘテ退散ス○下略
十一月二日 晴 冷
○上略
午前本郷弓町ニ古市公威氏ヲ訪ヘ、日英水力事業ニ関シテ種々ノ談話ヲ為ス
十二月一日 晴 寒
○上略 午前十時日英水力電気会社発起人会ニ出席シ、要件ヲ議決ス○下略
十二月九日 晴 寒
○上略 十二時半銀行倶楽部ニ抵リテ午飧ス○中略園田・副島氏等ト日英水力会社ノコトヲ談ス○下略


青淵先生公私履歴台帳(DK130009k-0002)
第13巻 p.44-45 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳              (渋沢子爵家所蔵)
    民間略歴(明治二十五年以後)
○上略
一日英水力電気株式会社創立委員 四十一年六月就任 四十二年六月六日辞任
 - 第13巻 p.45 -ページ画像 
○中略
  以上明治四十二年六月七日迄ノ分調


竜門雑誌 第二四一号・第三九頁〔明治四一年六月二五日〕 ○日英水力電気株式会社準備会(DK130009k-0003)
第13巻 p.45 ページ画像

竜門雑誌 第二四一号・第三九頁〔明治四一年六月二五日〕
○日英水力電気株式会社準備会 青淵先生が井上・松方両侯の勧誘に依り五月二十九日発起人に加入を承諾せられたる日英水力電気会社は去る五日三井集会所に京浜実業家を招き同社設立に関し賛助を求めたり、来会者は主客合せて三十余名にして、計画の要旨及事業の目論見を説明したるに何れも賛成の意を表し、互に意見の交換を為して、五時散会せり、当日参会の重なる諸氏左の如し
 青淵先生・園田孝吉・朝吹英二・原六郎・団琢磨・松方巌・村井吉兵衛・佐竹作太郎・小川䤡吉・田中銀之助・岩永省一・益田太郎・今村繁三
尚同社の創立準備は順次進行したれば、先づ本月中に発起人其他の引受株を確定する筈にて、多分一般より募集することなくして満株に至るべしと云ふ


東京経済雑誌 第五七巻第一四四三号・第三四頁〔明治四一年六月一三日〕 日英水力電気会社の創立準備(DK130009k-0004)
第13巻 p.45 ページ画像

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竜門雑誌 第二四三号・第三八頁〔明治四一年八月二五日〕 ○日英水力電気会社の創立(DK130009k-0005)
第13巻 p.46 ページ画像

竜門雑誌 第二四三号・第三八頁〔明治四一年八月二五日〕
○日英水力電気会社の創立 日英水力電気会社は日英両国民の共同に因り日本に於ける水力事業其他土地の開拓殖林鉱山等を経営し、以て日本工業の発展に資せんとし、其一着として発起せられしものにして明治三十九年英国より水力事業に老練なる技師の派遣を請ひ日本技師と共に東京を中心とせる諸川の踏査に従事し、数回実測の結果大井川の最も有望なるを認め其水利権を得、是に本事業を会社組織とすることゝなりしが、英国資本家は同国の慣例により社債・優先株・後取株の三種に分ち募集せんとの希望なりしも、日本の法律に依れば種々差支あるより、客年十月英国資本家ハイン氏来朝の際、氏と交渉を遂げ終に日英共同・日英水力電気両会社を組織し、共同会社は水利権を日英水力に譲渡し、同時に一面には特に日英水力の株主に其持株に対し按分比例を以て共同会社発起人中の日本人側の株式を全部分配する事とし、以て出資及収益の公平を保たしめ且つ英国資本家の希望を充たす事とし、又大井川水力権利に関して英国資本家と共に支出したる三計画の予測費全部を会社の負担に帰せしめざるのみならず、其獲得したる権利を会社に提供するに付て会社より受くへき対価は、発起人に於て之を取得せず其儘会社に交付し、一般株主が支払ふべき株金の代位弁済金に充つべきを以て、会社の株主は第一回払込金一株に付二十五円を納付せば五十円金額払込となるものとし、会社の資本総額を百万円とし、其一半は英国に於て其一半は日本に於て募集し、英国側発起人ハウルス氏は九千六百株を引受け、日本人側発起人は園田孝吉・樺山愛輔・副島道正伯にして、岩崎男・三井男・島津公・毛利公・鍋島侯・松尾臣善・高橋是清・近藤廉平・大倉喜八郎・益田孝・今村繁三・早川千吉郎・朝吹英二・添田寿一氏等は賛成人として加入し、青淵先生も亦賛成人として同社の株式を引受けられたり


中外商業新報 第八〇〇五号〔明治四一年七月一一日〕 日英水力株式募集(DK130009k-0006)
第13巻 p.46-48 ページ画像

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中外商業新報 第八〇八〇号〔明治四一年一〇月四日〕 日英水電と英人(上)(岸清一氏談)(DK130009k-0007)
第13巻 p.48-49 ページ画像

中外商業新報 第八〇八〇号〔明治四一年一〇月四日〕
    日英水電と英人(上)(岸清一氏談)
 日英水力電気会社の用務を帯び倫敦に渡航し此程帰朝せる同社法律顧問岸清一氏の談話如左
余は六月末倫敦に着せしが、会社の用務を弁じ直に帰朝の予定なりしに、恰も暑中にて資本家其他知名の士は避暑旅行に出掛けしより、已むなく遂に九月迄滞在し、幸ひ有力なる銀行家資本家の深き同情に依好都合に進行し今回帰朝せり
△英国技師の賞讃 日英水電会社の外人技師は英人の選定に係るも悉く米人にして英人一人もなし、元々英国はスコツトランドに僅に七百尺の落差及五百尺の落差なる水力電気あり、アルミニユームの製造に使用せる外イングランドは地勢平坦なる故水電事業なく、之に反し米国は水電事業頗る発達し従つて立派なる技術者多きより日英水電の技
 - 第13巻 p.49 -ページ画像 
師も米人其任に当りしもの也(今春来朝実地踏査せるスカイラーの如き米国第一流の技師なり)然るに英人をして出資せしむる上には英人技師の証明即ち裏書あらば会社計画を信認せしむるに非常の便宜あらんとの忠告もありしより銀行家資本家に選任を依頼し、遂にアレキサンダー・ビンニー、ジー・ヱフ・デーコン二大技師(有名なる倫敦市の技師長たりし人也)に事業の鑑定判断を請ひしに両技師の報告は何れも設計完全にして、工費予算も余程優に見積りあり従つて収支計算に至つても予想より好成績を呈すべしとのことにて、非常に安全有利の事業なるを確認せり、元と英国技師の風は稍々一こくの所あつて自国の事は褒むるも他国の事は賞讃せざるに此事業に対しては右の如き証言を与へたるより、一層倫敦に於ける声価を高めたり
△資本家の意気込 英国側資本家の本事業に対する気込盛なりしは余が彼の地に赴かざる時より承知せるも、今回親しく面談其意向を探りしに一層意気込の盛にして成立を熱心に希望し居れり、而して株式引受は折半の予定なるも、随分時宜に依ば夫以上を引受けんとの希望もあり、彼等の意見は此事業に投資するや否やが問題にして、苟も有利なるを認め投資すと決心したる上は金額の増大することは実に易々たるものなりと云ふに在り


中外商業新報 第八〇八二号〔明治四一年一〇月七日〕 日英水電と英人(下)(岸清一氏談)(DK130009k-0008)
第13巻 p.49-50 ページ画像

中外商業新報 第八〇八二号〔明治四一年一〇月七日)
    日英水電と英人(下)(岸清一氏談)
 日英水力電気会社の用務を帯び倫敦に渡航し此程帰朝せる同社法律顧問岸清一氏の談話如左
△法律の誤解 日本商法に依れば会社の説立《(設)》は株式引受済となり四分の一の払込を為したる後登記を受け玆に始めて会社なる法人成立す、然るに英国にては先づ発起人が十分の一位の株式を引受け〈法律上は幾何の引受にても差支なし)直に重役を選任し登録税其他の附随諸税を納付し登記を受け玆に法人を成立せしめ然る後プロスペクタスを発表し公衆より株式募集を為すなり、日英水電会社は日本に於て設立する会社なれば無論日本の国法に従ひ日本流の株式募集を為さずんば法律上有効ならず、此事は英人側も承知せることゝ思ひしに、彼等は矢張英国流の募集法に依るものと信じ、既に右の準備を為し居たるが如し、従つて英人側は株式は全部引受済とはなり居らざりし也、されど右は法律の異なるより誤解し居たる行違にして先方も日本より法律家の来たるを希望し居たり、余の訪問にて右等の誤解も全く判明し総て好都合に進行した次第なり
△水電は人気株 倫敦市場の金利は御承知の如く低落し財界回復の兆あれど株式は比較的上進せず、然るに独り水力電気、特にメキシコ水力電気株の如き昂騰一方にて非常の好景気也、是れ其事業成績頗る良好にて水力電気は事業完成したる暁は別に資金を要せず営業費の如き至つて少なく需要者さへあれば非常の利益ある事業なるがため也、兎も角倫敦にて電気物は人気株となりつゝあるは日英水電のため非常に好都合なりし
△英人側と株式 日英水電株内地の募集は殆ど満株にて余す所少なき
 - 第13巻 p.50 -ページ画像 
も英人側は、尚之をも引受けんとする意向あり、且英人の見込にては「一割の配当を為すとせば実に非常の好利廻として希望者蝟集すべく将来日本人側所有株の倫敦に買取らるゝ時機必ず到来せん、決して株式募集に懸念するに及ばず」との意を漏せり、或は然らんか、されど内地に於ても二年後には予定の配当も為すに相違なく従つて相当の高価を維持さる可ければ何も倫敦に売放つの要なき也、何れにしても最早募集も困難なく終了すべければ多分来月中には一切の締切完了を見るに至るならん(完)


渋沢栄一 日記 明治四二年(DK130009k-0009)
第13巻 p.50 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四二年
二月二十一日 曇 寒
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ樺山愛輔氏ノ来訪ニ接シテ日英水力電気会社ノコトニ関シ在英国中ノ経過談ヲ聞ク○下略
三月五日 曇 寒
○上略 午後○中略 副島道正氏来リ日英水力会社ノコトヲ談ス○下略
三月六日 曇 軽寒
○上略 午飧後桂総理大臣ヲ貴族院ニ訪ヒ、日英水力電気会社ノコトヲ談ス○下略
五月十一日 曇 暖
○上略 十時半日英水力電気会社事務所ニ抵リ委員会ヲ開キ要件ヲ協議ス大倉喜八郎氏来話ス、十一時井上侯爵ヲ訪ヒ○中略 水力電気ノ件其他ノ要務ヲ談話ス○下略
六月二十四日 曇 冷
○上略 日英水力電気会社事務所ニ抵リ園田孝吉氏ト会シテ英国ニ於テ談話セシ顛末ヲ聞ク○下略
七月七日 雨 冷
○上略 午前九時三田桂侯爵邸ニ抵リ、日英水力電気会社ノコトニ関シテ園田氏ヨリ報告アリ、松方・井上其他諸氏来会ス○下略


副島伯爵家所蔵文書(DK130009k-0010)
第13巻 p.50-55 ページ画像

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副島伯爵家所蔵文書(DK130009k-0011)
第13巻 p.55-60 ページ画像

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東京経済雑誌 第六〇巻第一五〇三号・第一〇―一一頁〔明治四二年八月一四日〕 日英水力電気事業に就て(十五銀行頭取園田孝吉君談)(DK130009k-0012)
第13巻 p.60-61 ページ画像

東京経済雑誌 第六〇巻第一五〇三号・第一〇―一一頁〔明治四二年八月一四日〕
    日英水力電気事業に就て (十五銀行頭取 園田孝吉君談)
吾人は日英水力電気会社の如き有益なる事業は、我が産業界の為め、切に其創立を望まざるを得ざるなり、従来英国に於て、我が外債を発行するに当りて、之が周旋を為したる者は其銀行なり、然るに英国資本家が外国に於ける事業に放資を為すに当りてや、之が周旋を為すは銀行に非ずして別に一種の周旋あり、故に吾人は之に由りて其資本を輸入せざるべからざるなり、随ひて日英水力電気会社の如きも其適当なる周旋屋を見出すことを得べくんば、会社の設立を見ること敢て難しと云ふべからず
此水力電気事業は固より巨万の資本を要するのみならず、之が経営を為すには卓絶せる学識経験を要することは云ふ迄もなし、故に我が邦に於ては巨額の資本を得ること頗る困難なると同様に適当なる経験ある者を得ること亦困難なりと思惟せらるゝなり、我が邦に於て学識才能或は外国人を凌駕する者之なしと断言すること能はざるべしと雖も其経験に於ては彼国人に一歩を譲らざるを得ざるべしと信ずるなり、故に日英水力電気事業の如き、我が邦に於て未経験にして而も未曾有の大事業を経営せんとするに当りては、資本を輸入するの必要あると同様に経験ある技術者の輸入をも必要なりと認めざるを得ず、人或は斯くの如く資本及び技術者を輸入して之を経営するが如くんば、徒に此事業を外人の為めに独占せられ、我が邦人が他に小資本を以て水力電気を経営せんとするも、到底之と競争の余地なく、其弊測るべからざるものありと為せども、吾人は単に斯くの如き杞憂を理由として有益なる事業計画を断念するは甚だ不可なりと信ずるなり
結局吾人が此事業に対して取るべき道は、速に外資を輸入して之を創むるか、将又、外資の輸入を見合せて、内地に於て資本を得るの時期到来を俟つかの二あるのみ、思ふに我が邦は地勢狭長なれば、大河巨沼尠しと雖も、山岳起伏し、渓流多く、且つ雨量も大なるが故に、水力電気事業を起すには却て便利の国情なりと云はざるを得ず、而して欧米にては何れも水力電気事業盛ならざるはなし、是れ蓋し水力電気は低廉なる動力光力を供給し得ればなり、此時に当り我が邦が奮然此事業を起す無からんには、我が産業界の十分なる発展は決して望み得べきに非ずと思惟せらるゝなり、又日英水力電気会社の如き模範的大事業を起して、以て企業界を誘導するの必要なくんばあらず、何となれば企業熱起らざれば、国家の隆盛は得て期すべからざればなり、国民が只安全をのみ図るに汲々として、公債に放資して生活費を得んとし、株式に放資する者之なきが如きは、国家の為め憂ふべきことなりと云はざるべからず、固より新に事業を企つるは、容易の業に非ずして、往々経験なき為め、或は違算ありし為め失敗することあれども、正確なる基礎の下に成立せる事業は有利たるは言ふ迄もなし、是れ新
 - 第13巻 p.61 -ページ画像 
事業が、最も其興味を有する所なり、今日和蘭・仏蘭西等が企業熟衰頽し、国力振はざるを以て見るも、企業心の熾盛なると否とは、国運の盛衰に至大の関繋あり、吾人は此点より日英水力電気事業の如きは一日も早く之が創立を望んで止まざるなり


園田孝吉伝 (荻野仲三郎著) 第二六三―二六五頁〔大正一五年四月〕(DK130009k-0013)
第13巻 p.61 ページ画像

園田孝吉伝 (荻野仲三郎著)第二六三―二六五頁〔大正一五年四月〕
 日英水力電気株式会社創立の用件を帯びて渡英す 尋で四十二年三月、氏は日英水力電気株式会社創立の用件を帯びて五度目の渡英の途に上つた。日英水力電気株式会社は、明治三十九年二月、日英両同盟国に於ける経済的連鎖を固くし、兼ねて戦後益々有望な水電事業に貢献するために創立されたもので、発起者は英国ホワイト商会外二三の資本家より成るシンジケートと園田孝吉・副島道正等数氏の共同計画に係り、米国の水力専門の大家ハウルス氏を主任として、大井川の水利を使用する目的で四十一年初頭に株式会社設立の計画を立て初めたのであつた。総資本額は一千万円、そのうち六百万円を株主から醵出し四百万円は社債によつて支弁する筈で、日本側の引受額十二万五千株の中八万五千株を一般市場に公募した。ところが折柄財界の不況と世人の水力電気に対する理解がまだ貧弱であつたためとで満株にならなかつた上に、設計に疑を挿むものが現はれて一時は解散不成立とさへ噂されたのである。
 こゝに於いて創立委員長であつた園田氏は、急遽渡英して英国資本家の意向を探るのが今回渡航の目的であつた。同年七月帰朝するや、その結果を報告すると共に資金の調達者たるスペリアリング商会の代表者ストラソセー氏を急電で招き再三調査を重ねたがその完成前に英人は本国から召還されてしまつた。その上動力供給を契約した東京鉄道会社は会社の設立が遷延したために解約して来るし、一時後援の保証を与へた大蔵省も手を引いたので、日英水力電気株式会社は遂に破綻の憂目を見たのである。園田氏はこの失敗の原因として外人の相手にその人を得なかつたことゝ、国情言語風俗等総てに於いて両者間の意志の疏通を欠いたことを挙げてゐるが、この事業こそ園田氏が財界二十五年の生涯中たゞ一つの失敗であつたといふことができる。


古市公威 第一八〇―一八六頁 〔昭和一二年七月〕(DK130009k-0014)
第13巻 p.61-64 ページ画像

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中外商業新報 第八四一六号 〔明治四二年一〇月二日〕 水電実査の報告(DK130009k-0015)
第13巻 p.64-65 ページ画像

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東京電灯株式会社開業五十年史 第一六九頁〔昭和一一年八月〕(DK130009k-0016)
第13巻 p.65 ページ画像

東京電灯株式会社開業五十年史 第一六九頁〔昭和一一年八月〕
 ○第四期 統制時代 二 電力競争
    イ 東京電力会社との競争及び合併
 東京電力会社の成立 明治四十一年七月に設立された日英水力電気会社は東京市及び隣接五ケ町村(当時の東京市及び荏原郡品川町・目黒村・豊多摩郡内藤新宿町・淀橋町・中野町)に対し五十馬力以上の電力供給権を有し、大井川筋に約六万馬力の水利権を獲得したが、開業に至らずして大正十年六月早川電力会社に買収された。元来早川電力会社は欧洲大戦の好況に乗じて創立されたもので、其の電力消化地として大正九年三月日英水電会社を合併して静岡県下の供給区域を手中に収め、今又日英水力電気会社を併合して東京方面の電力供給権を獲得するに至つた、然るに大戦後財界の不況に捲き込まれて金融逼迫せるを見、東邦電力会社は其の関係者に依つて設立した早川興業会社を同社に合併して早川電力会社を自家薬籠中のものとした。
○下略