デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
23節 土木・築港
4款 印旛沼開鑿事業
■綱文

第13巻 p.164-182(DK130019k) ページ画像

明治22年10月29日(1889年)

是日栄一、書ヲ織田ニ送リ、加盟者募集ノ件ハ古市公威ノ実地巡見後ニアラザレバ運バザル旨ヲ通牒ス。ソノ後古市公威ハ奈良原ノ照会ニヨリ印旛沼ノ実地調査ヲ承諾シ、十二月二十九日ヨリ翌年一月一日ニ至ル期間該地方ヲ巡見ス。


■資料

印旛沼経緯記内編 (織田完之著) 第二三〇―二六三頁〔明治二六年七月〕(DK130019k-0001)
第13巻 p.164-182 ページ画像

印旛沼経緯記内編(織田完之著)  第二三〇―二六三頁〔明治二六年七月〕
同○明治二二年一〇月二十九日渋沢栄一氏ヨリ、同盟者募集ノ事ハ尚古市公威氏ノ実地巡見ヲ要シ、然ル後ニアラサレバ運ハザル旨ヲ、織田完之ニ通牒ス
同三十日下総萩山ノ岩井勝太郎氏ヨリ、地方人民印旛沼開鑿ノ挙ヲ熱望シ居ルヲ以テ、此ノ際賛成者ノ人名簿ヲ作リ、各村ニ就テ調印ヲ要
 - 第13巻 p.165 -ページ画像 
スルコト急務ナルヘキヲ織田完之ニ申告ス、又横浜高島ノ家来池田誠ヨリ下総佐倉町長吉田伝左衛門ノ事ヲ織田ニ通知シ、印旛ノ開鑿ヲ謀ラハ同人ノ加入ヲ要スル方将来事業上ニ便宜ナルヘキヲ勧告ス
十一月一日前田農務局長織田完之ニ面会シ、来ル十六日後ヲ期シ印旛沼ヘ同行センコトヲ約ス
同八日是ヨリ先キ奈良原繁氏青森地方ニ行ク、是日織田完之ハ磯長得三氏ヲ訪ヒ、奈良原氏ノ帰京ヲ俟テ、古市公威氏ト同伴印旛沼ヲ巡見アランコトヲ要ス
同十七日織田完之支那種ノ蓮根ヲ田中議官ヨリ得テ、下総佐倉ノ米屋宛萩山村ノ岩井勝太郎ニ送ル、印旛沼ニ移植センガ為ナリ
同二十一日織田完之松陰神社祭日ヲ以テ芝公園ノ紅葉館ニ到ル、品川弥二郎・中村孝禧・金原明善等ノ諸氏ニ面会シ、印旛ノ事ヲ話ス
鈴木安武ハ奈良原繁氏ヲ鉄道会社ニ訪ヒ、金円ヲ川崎八右衛門ヨリ受取ルベキ添書ヲ領収ス、尋テ之ヲ金原明善氏ニ交付ス、是ヨリ先キ奈良原氏ハ磯長得三ニ面シ、印旛沼ノ巡見ヲ要スルガ為メ古市公威氏ノ宅ニ到ルノ添書ヲ交付ス、是日奈良原氏此ノ事ヲ鈴木ニ語ル
十二月二日古市公威氏ハ奈良原繁氏等ノ照会ニヨリ印旛沼ヲ点査セントス、是日奈良原氏ハ鈴木安武ヲ鉄道会社ニ招テ曰ハク、古市氏ハ来ル二十日頃ヲ以テ印旛沼ニ出張セントス、因テ磯長ハ早ク該地ニ出張シテ下調ニ従事スルヲ肝要トス、其ノ費額支出方ノ如キハ予之ヲ計ルヘシ、古市氏ハ水利技師ナレバ印旛沼ノ事業国家ノ急務ナル事ヲ悟ルヘシ、況ヤ蘭人モ已ニ成功ヲ期スルニ於テヲヤ、君帰路渋沢氏ヲ訪ヒ以上ノ事ヲ通スベシト
同七日曩ニ織田完之ノ品川子爵等ト紅葉館ニ会スルヤ、子爵ハ何レノ日カ印旛沼ヲ一見センコトヲ望ム、完之ハ金原明善氏ヲ同道セラレ更ニ妙ト語レリ、是ニ至テ品川子爵ハ書ヲ織田ニ贈リ、今回福島行ノ帰路来ル十五六日ヲ以テ印旛地方ヲ巡見センコトヲ報ス
 明後九日東京ヲ発シ福島県岩瀬御料地ニ二日滞在、十二日ハ水戸大洗ニ行、十三日ハ同所滞在、十四日ハ下総三里塚ノ主馬寮ノ種畜場ニ一泊、翌十五日ハ滞在ノ積リ、十六日帰途ニ兼テ御話ノ印旛沼地方ヲ巡視致シタシ、何処ニテ待合スルトノ事三里塚マデ御申越シ置可被下候、金原氏ハ節季ニテ行ク事叶ハズヤ、行カレヽバ妙ナリ
  十二月七日                 やじ
    織田老台下
  明後九日十一時過キノ四ツ谷ステーシヨンヨリ乗車ノ積リ、御含ミ迄ニ申上置候

此ノ夜完之ハ品川子爵ニ回答スル左ノ如シ
 尊書被下御出張之先々迄御詳示相蒙感荷不啻、十五日迄相届候様三里塚ヘ充テ可申上候間宜敷願上候、金原ハ多分今日起程一寸帰国致候、十五日ノ間ニ合不申哉ニ存候間、小生御案内申上候、或ハ東京測量会社磯長得三モ其比ハ印旛沼浅深測量ニ出張致候見込、是ハ古市公威氏ニ一見ヲ要スル準備等モ有之、総代人鈴木安武モ大和田升屋重兵衛方ニ止宿御出迎候事ニ可相成トモ予想仕候、小生ハ十五日
 - 第13巻 p.166 -ページ画像 
朝八時両国ヨリ佐倉行ノ馬車ニテ罷出候心組ニ御座候、扨又印旛沼ニ関系図書類差出置候間、乍恐御携帯被下御道中間ニ間ニ御熟覧被成下候様奉願上候、御出迎ノ事ハ十五日迄ニ必三里塚ヘ可申上候、先ハ御受迄 草々頓首
  明治廿二年十二月七日夜即答       織田完之
    品川殿閣下

同十三日印旛沼開鑿総代人ヨリ浅深測量ノ事ヲ上申ス、左ノ如シ
    印旛沼浅深測量之義ニ付上申
先般蘭工師派出之際其指示ニ寄リ一等技手ヲ出シ、安食村長門川筋沼口迄壱里拾二町余ハ浅深測量相遂ケ、精図出来ノ上工師手元ヘ差出置候得共、尚連帯スル箇処沼中実測ノ為メ今度同技手差出候間、右御聞置被下度、此段上申候也
                印旛沼開鑿願人総代
  明治廿二年十二月十三日
                    鈴木安武(印)
    千葉県知事 石田英吉殿

同十四日磯長得三印旛沼深浅測量ノ為メ該地ニ到ル、鈴木安武モ之ニ赴ク
同十五日織田完之安食村ニ到ラントス、是日午前八時車ヲ命シ、市川ニ到リ、車ヲ替ヘ中山寺ヲ過キ鎌谷道ニ到レハ深泥行クベカラズ、因テ駄馬ニ賃シ、白井ヲ過キ亀成ニ到テ日暮、歩シテ木下ニ到リ、車ニ賃シ安食竹村ニ到ル、七時半鈴木安武来リ待ツ、曰ハク、昨夜磯長ト大和田升重ニ泊リ、磯長ハ臼井ニ行キ我此ニ来ルト、萩山ノ岩井勝太郎モ通知ニヨリ船ヲ準備シ来ル、已ニシテ一盃ヲ傾ケ、明日品川子爵ヲ迎ヘ巡見ヲナスノ計画ナリ
此ノ夜鈴木安武ヨリ左ノ書ヲ千葉県土木課長ニ贈ル
 拝啓陳ハ印旛沼之義ニ就テハ奈良原氏非常ノ熱心ニテ、追々同志相加、依之過般取調タル長門川連帯ノ箇所詳明取調専要ト申事ニテ、東京測量会社磯長得三ヘ被申談、同人出張致シ、昨日小生モ検見川ニ会シ、柏井迄ノ間取調、大和田ニ一泊致候
 扨又品川御料局長明日印旛巡見被成度トノ事ニテ、三里塚ヨリ安食村ニ御来臨相成候御出迎トシテ安食竹村ニ来泊致居候、印旛沼ヨリ内洋御巡見ノ御都合ニ付検見川迄御案内申上候上ハ、小生一応参県仕、先般来出願致置候沼地拝借ノ件等御摸様相伺、何分ノ御指授相蒙リ度奉存候、為邦家万々宜敷願上候、余ハ拝眉ニ譲リ 早々頓首
                 竹村ニテ認
  十二月十五日
                     鈴木安武
    宮田土木課長殿

同十六日織田完之等安食竹村ニ在リ、早起席ヲ払テ品川御料局長ヲ待ツ、又酒直村ニ出迎フ、已ニシテ梶谷某腕車ニ乗テ馳セ来リ報シテ曰ハク、品川氏帰京セリトノ電報アリト、衆皆失望、織田因テ鈴木・岩井等ト船ニ乗リ長門川ヲ発シ卜杭新田ヲ過ル、時ニ磯長得三ハ吉高村
 - 第13巻 p.167 -ページ画像 
ヨリ船ニテ来ルニ逢フ、乃チ同船シテ小酌シ、印旛沼ヲ渡ル、此ノ日美日喧晴水波起ラズ、枯蘆幾洲ヲ経テ風景絶佳、岩井立テ水鳥ヲ銃射ス、平賀ノ岬ヲ廻リ夕刻臼井ノ太田屋ニ投ス、寒甚シ、磯長・鈴木・岩井・織田ト対酌大ニ酔フ、是ヨリ先キ磯長ハ社員金田正躬・宇都宮新ノ二名ヲ督シ測量ニ着手ス、是日両人ヲシテ標旗ヲ立テシメ、古市公威氏ノ来観ニ備フ
同十七日織田ハ磯長ト帰京シ鈴木ハ測量ヲ処理シテ千葉ニ赴カントス
同十八日鈴木安武千葉ヨリ左ノ書ヲ織田完之ニ送ル
 昨日正午ヨリ出県可致ノ処、測量上ノ都合モ有之本日早朝出立千葉ニ着、直ニ出県宮田土木課長ニ面会致候処、測量ノ儀ハ堀江ヨリ検見川夫ヨリ安食迄高低測量第一着ニ可致トノ事ナリ、右ニ付テハ収用法モ有之候間県庁ニ於テ測量致候様村々ヘ相達候間、測量師二名ヘ県庁雇名義ヲ附可申候ニ付名前可申出旨申聞候間、金田・宇都宮ノ両氏差支無之バ名前書差出可申積リニ付小生直ニ臼井ヘ帰村致候石田知事ニモ面会致候、四五日以前知事検見川ヨリ平戸夫ヨリ臼井ヘ巡回帰県ノ趣被申候、色々御相談致候儀モ有之候間、明日一寸帰京可致、先ツ当用ノミ得貴意候也
                  梅松楼ニテ
  十二月十八日              鈴木安武

同十九日織田完之鈴木ノ来信ヲ磯長得三氏ニ示シ、金田・宇都宮両人県雇名義ノ事ヲ決ス
同二十日鈴木安武千葉ヨリ帰京シ出県ノ景況ヲ織田完之ニ報ス、織田ハ測量士県庁雇願ノ上申書及ヒ保証状ヲ草シ鈴木ニ交付ス、又標旗ヲ作ランカ為メ紅白綿布四段ヲ購ヒ家族等ヲシテ之ヲ裁縫セシム、測量士県庁雇ノ上申書等左ノ如シ
    測量士御雇願ノ義上申
今般御県下東葛飾郡堀江村ヨリ千葉郡検見川ヲ経テ印旛沼中安食迄、及船尾手賀沼間等測量ノ為メ、左ノ二名於御県当分御雇名義ヲ以テ御採用被下度、尤費用之義ハ願人ニテ負担可仕候、身元保証書相添此段奉願候也
                印旛沼開鑿願人総代
  明治廿二年十二月廿日          鈴木安武
    石田千葉県知事殿

    保証書
                  東京府士族
              東京測量会社員 金田正躬
                  鹿児島県士族
              東京測量会社員 宇都宮新
右身元ノ儀於拙者保証仕候也
                印旛沼開鑿願人総代
                  茨木県士族
  明治二十二年十二月二十日        鈴木安武
 - 第13巻 p.168 -ページ画像 
又鈴木ハ奈良原繁氏ニ面会シ測量ノ順序費額等ノ事ヲ述ブ、奈良原大ニ事ノ此ニ至ルヲ悦テ曰ク、測量成ルノ上ハ其ノ筋ニ上申スルノ考案モアリト
同二十一日鈴木安武臼井ニ赴ク、翌日左ノ書ヲ織田完之ニ致ス
 拝啓陳ハ千葉県ヘ申立ノ儀金田宇都宮両氏承諾致候間本日県庁ヘ書面差出候、尤本月廿六日ヨリ高低測量ニ着手致候間其前各村ヘ御達ニ相成度旨土木課長ヘ申遣候、扨金田氏ノ申聞ケニハ高低測量ニ取掛リ候前磯長氏ト色々相談モ有之、且器械等モ取調致候ニ付、本月廿六日ニ帰京致度申聞候間、磯長氏ノ帰京何日頃ニ候哉御問合被仰越度候
一当所測量ハ三手ニ別レ、東ハ佐倉下迄、西ハ松虫辺迄相済、本日ヨリ金田氏ハ浅深ノ方ニ取掛可申積リナリ、乍併本月中当地引払ハ六ケ敷ト被考候、尤一手丈ケハ平戸村ニ引揚ケ候様可致積リ、高低測量ノ儀ハ磯長氏ヘ打合セ等モ有之候事ニ付、廿八九日頃ニ無之テハ着手六ケ敷ト存候、本月中ニ磯長氏帰京無之ハ金田氏静岡ヘ参リ候テハ如何ニ候哉、磯長氏ヨリ高低測量士別人差出呉候事ナレハ、好都合ト存候、早速御問合可被下候、右得貴意度余ハ後便ニ譲リ候也
  十二月廿二日             鈴木安武

同二十三日鈴木安武臼井ヨリ書ヲ織田完之ニ致シ費用金ヲ要求ス、因テ之ヲ準備ス
品川弥二郎氏ヨリ左ノ書ヲ織田完之ニ贈ル
 印旛沼行御違約何トモ申上様ナシ不悪御海怒可被下候《(恕)》、水戸大洗ニテ電信ヲ請取直ニ御断リ申上候筈ナレトモ、行違モ有之誠ニ御気ノ毒ニ堪ヘズ、地方有志家モ定メシ待チ合セラレシ人々モ有之シコトト存候、何分時節柄ノ御用ニテ御違約ノ事不悪御推恕可被下、何レ其中東京ヨリ御同行仕度奉存候、為其匆々頓首
  十二月廿二日                 やじ
    織田老台下

同二十五日是ヨリ先キ奈良原繁氏ノ二女病歿ス、是日織田完之、金原明善氏等ト協議シ、大明会ノ代人トシテ品川海晏寺ノ葬場ニ会ス
鈴木安武、測量士俸給ノ件ニ付書ヲ織田ニ致シ、添フルニ宮田土木課長ノ照会書ヲ以テス、即チ左ノ如シ
 拝啓別紙写之通リ土木課長ヨリ申越候、然ルニ金田・宇都宮ノ両氏松崎ノ方ヘ浅深測量ノ為メ出張致候間、小生直ニ同処ヘ罷出、俸給等相談ノ上千葉ヘ出頭可致候也
  十二月廿五日正午            鈴木安武
    織田完之殿
 印旛開鑿ニ関シ測量士雇入ハ本県ニ於テ俸給ヲ支給シ雇入可相成筈ニ付一人俸給ハ幾千ナルヤ御申越相成度、右ハ御面議致候ハヽ好都合ト存候間、御繁忙ニ可有之候得共御差繰一寸御来庁相成間敷哉、右得貴意度如此ニ御座候 早々
 - 第13巻 p.169 -ページ画像 
  廿二年十二月廿三日         宮田土木課長
    鈴木安武殿
同二十六日鈴木安武千葉ヨリ書ヲ織田完之ニ贈ル、其ノ略ニ曰ハク
 土木課長宮田氏ヨリ申越候俸給ノ件ニ付本日出県致候処、宮田氏出京不在ニ付井上ト申ス仁ニ引合候処、彼是六ケ敷事被申聞、無余儀一泊宮田氏ノ帰リヲ待受居候、本日ハ多分帰庁ニ可相成ト申事ニ付明日用済次第臼井ヘ罷越可申候、金田氏廿九日ニハ暫時帰京ト申事ナリ、小生モ三十日ニハ帰京可致心算ニ御座候、本年ハ最早余日モ無之候間高低測量ノ儀ハ来ル一月二日ヨリ着手可致方ト存候 云々
  十二月廿六日              鈴木安武

同二十八日曩ニ鈴木安武ノ測量士俸給ノ事ヲ以テ宮田土木課長ノ帰県ヲ千葉ニ待ツヤ、宮田課長ニ面会シ測量士二名ノ内一ハ日当金一円五十銭、一ハ金一円ヲ給セラレンコトヲ要ス、既ニシテ県庁前議ヲ改メ高低測量ハ現在ノ県員ヲ以テ之ヲ為ス事トス、是ニ至テ鈴木ハ此ノ事ヲ織田完之ニ報ス
古市公威氏印旛沼巡見ノ為メ明廿九日ヲ以テ安食ニ到ラントス、是日織田ハ磯長得三氏ヨリ其ノ通信ヲ得、直ニ電報ヲ千葉ニ発シテ鈴木安武ヲ臼井ニ帰ラシメ、奈良原・渋沢・金原諸氏ニ此ノ事ヲ報シ、夕景ヨリ東京ヲ発シ、車ヲ馳セテ船橋ニ至リ、川奈部佐十郎ヲ訪フ、石井新吾偶来居ス、相話スル少時、去テ大和田ニ至リ、深夜ニ及テ麹屋某ニ泊ル
同二十九日織田完之早起食セスシテ大和田ヲ発シ、臼井太田屋ニ到リ鈴木安武・立田貫一郎ニ面会ス、一食シテ鈴木ハ舟ヲ雇ヒ萩山村ニ赴ク、立田ハ結束シテ平戸ニ赴ケリ、織田等萩山岩井勝太郎氏ノ家ニ到リ午食シ、直ニ船ニ乗テ安食ニ赴ク、船人二名力ヲ尽シテ安食ニ到レハ日漸ク暮ル、磯長得三氏先ニ来リ待ツ、已ニシテ古市公威氏来ル、近藤仙太郎氏随フ、浴後一酌談話時ヲ移シテ臥ス
同三十日古市公威、近藤仙太郎両氏、随行福島某鈴木織田等午前七時安食ヨリ船ニ乗リ酒飯ヲ載セテ湖辺ニ赴ク、古市氏ハ洪水ヲ観ンカ為メ佐倉ト中川トニ量水標ヲ設クル然ルヘシト云フ、薄暮漸ク平戸ニ到ル、是ヨリ先キ鈴木ハ萩山ヨリ上陸シテ岩井ト臼井ヲ経テ絵図等ヲ携帯シ車ヲ馳セ大和田ニ来リ、車夫六名ヲ雇ヒ古市氏等ヲ平戸ニ迎ヘシム、是ニ於テ各員直ニ車ニ乗リ馳セテ大和田ニ来リ升重ニ投ス、浴後酒ヲ挙ク、雨宮敬次郎及ヒ岩田某来会ス、是奈良原繁氏ノ勧告ニヨリ来リ観ルナリト、談笑時ヲ移シ深更ニ臥ス
同三十一日古市公威氏ノ一行升重ヲ発シ、横戸柏井ヲ巡見シ、花島ニ到リ泥炭地等ヲ点査ス、午前十一時頃車ニ乗リ検見川上総屋ニ到リ、花見川橋ヨリ海浜ヲ巡歴シテ帰リ、上総屋ニ午食シ談論少時、午後車ニ乗テ千葉ニ赴キ、終ニ梅松屋ニ投ス、磯長得三氏ハ懇親会ヲ開カント欲ス、因テ織田完之ハ宮田土木課長ヲ誘引センカ為メ該家ニ到レハ同人帰省中ナリト聞ク、乃チ石田知事ヲ訪テ今回巡見ノ事ヲ語リ且将来ノ事ヲ頼談ス
 - 第13巻 p.170 -ページ画像 
是月各村ノ田地売買相場記出様式ヲ作ル、左ノ如シ
    記
 本村田地
 一上田反別        売買代価何程
 一中田反別        同
 一下田反別        同
 右ハ本村田地目下ノ売買相場ニ御座候
 本村
 一水害田反別       何程
  此石数         同
   但水害平均石数 何程ノ見込
 右ハ御尋ニ付取調候処願書ノ通相違無御座候
                    沼縁郡村
                      惣代
  明治廿二年十二月
                        姓名
    大明会宛

明治二十三年一月一日古市公威氏ノ一行千葉町ノ旅店梅松屋ニ越年、祝酒ヲ傾ケ了リ発程ス、則チ古市氏ハ近藤仙太郎氏等ヲ率ヰテ銚子ニ赴キ、織田・磯長共ニ東京ニ帰ル
同二日織田ハ金原明善氏ヲ訪ヒ下総行ノ始末ヲ詳話ス、又鈴木安武ニ面話シ測量ニ付関係村々ニ達シ方ヲ県庁ニ請フノ願書ヲ草シテ交付ス
    測量之儀ニ付願
印旛沼測量ノ儀ニ付テハ客歳十二月十三日付兼テ上申モ仕置候通デレーケ氏ノ指揮モ有之、印旛手賀両沼及検見川ヘ量水標ヲ置キ、安食長門川筋ハ測量済ノ処、尚之ニ連帯スル場所沼中ヨリ平戸検見川ヲ経テ内洋、西ハ堀江村地先迄詳細実測為致度候間、右関係ノ郡村ヘ夫々御通達被下置度、尤測量上土地人民ト渾テ熟話取計不都合無之様可仕候間、至急御允許被下度、此段奉願上候也
                印旛沼開鑿願人総代
  明治二十三年一月
                      鈴木安武
    千葉県知事 石田英吉殿

同六日鈴木安武下総ニ赴カントス、是日大明会ヨリ臨時調トシテ岩井勝太郎・植草兵左衛門両人ニ委嘱書ヲ付ス、左ノ如シ
 印旛沼開鑿事業上必要ノ件々臨時取調方委嘱候也
  明治二十三年一月六日            大明会
    岩井勝太郎殿
 前同文
    植草兵左衛門殿

同七日織田完之雨宮敬二郎氏ヨリ旧千葉県六等属市村惟孝氏ノ主査ニ係ル明治十年以降手賀印旛両沼疏鑿計画ノ書類ヲ借覧ス、尋テ之ヲ転写ス現本ハ外篇ニ収ム
 - 第13巻 p.171 -ページ画像 
同十一日去ル三日ヲ以テ出願セル測量ノ件認可ヲ得タリ、其ノ指令左ノ如シ
土収第一〇号
割印
                  茨城県士族
                      鈴木安武
本年一月三日付願印旛沼開鑿線路中、千葉郡津田沼村・幕張村・検見川村・犢橋村・大和田村・睦村・東葛飾郡浦安村・南行徳村・行徳町・船橋町・印旛郡阿蘇村・志津村・臼井町・佐倉町・内郷村・酒々井町・公津村・船穂村・宗像村・六合村・埜原村・本郷村・下埴生郡境村地内測量ノ件認可ス
  明治廿三年一月十一日 千葉県知事 石田英吉

同十三日鈴木安武下総ヨリ帰京シ、測量事務ノ景況ヲ織田ニ報ス、此ノ夜完之内洋拝借願書ヲ作ル
同十六日織田完之、古市公威氏ヲ根岸金杉村笹ノ雪ノ奥ニ訪フ、古市氏印旛沼ノ事ヲ語テ曰ク、印旛ノ件タル幾許ノ測量費ヲ要シ之ヲ調査シ見ルヘキノ価値アル事ハ吾常ニ人ニ明言スル所ナリ、而シテ土木工事ハ其ノ収入凡弐百万円ヲ得ルノ計算ナラハ壱百万円ヲ費シテ従事スル位ガ相当ナリトス、又曰ハク、吾一回ノ巡歴ヲ以テ軽々的ニ発言スヘカラス、但、印旛沼開鑿工事ハ必成ト云フベシ、成レハ国家ノ鴻益ナラン、只営利的ノ計算ニ於テ吾未タ其ノ材料ノ詳カナルモノヲ得ス故ニ当分黙々タルノ外ナシ云々
同十九日鈴木安武下総中川ノ旅店ヨリ左ノ書ヲ織田ニ贈ル
 拝啓昨日午後五時中川ニ着致候、宇都宮氏内業、久保川氏ハ外業、立田氏ハ安食村ヘ罷出夜八時過ニ帰宿致候、測量ハ存外捗取、明日ハ公津吉高両村ノ内ヘ引移リ、夫々買物等ヲ手配、小生ハ明後廿一日ニハ測量線路ニ係ル各村役場ニ立寄リ、大和田村カ早クハ検見川村迄モ参リ可申積リ、廿二日ニハ船橋佐渡屋ニ一泊、同所ニテ石井ニモ面会ノ積リニ付、内洋拝借ノ願書調印済相成候ヘバ、右日割ヲ計リ大和田ヨリ船橋石井方ニ御郵送可被下候、左スレハ小生直ニ千葉ヘ罷出願書差出可申候
 高低測量ニ差向ケ候技士如何ニ御座候哉、可成迅速着手為致度義ニ有之候間、金田氏ニモ御問合精々御尽力可被下候、金円ハ船橋為換局ヘ願度御含迄申上候、明日引移リ宿所ハ跡ヨリ可申上候、余ハ後便ニ譲リ候也
  一月十九日               鈴木安武

同二十一日金原明善氏ハ奈良原繁氏ヨリ金弐百五拾円受取リ、正ニ預リ置ク旨ヲ織田完之ニ報知ス
同二十二日織田完之船橋ニ到リ、鈴木安武・石井新吾等ニ面会ス
是ヨリ先キ測量ノ事ヲ追願ス、是ニ至テ認可ヲ得タリ、左ノ如シ
    測量之義ニ付追願
                    印旛郡
                        大杜村《モリ》
 - 第13巻 p.172 -ページ画像 
                        永治村
                    下埴生郡
                        八生村
                    南相馬郡
                        布佐町
本月三日附ヲ以テ出願仕候印旛沼測量之義御認可ノ処、願書ノ村々調洩ニ相成候間、今般追願仕候ニ付至急御許可ノ程奉願候也
                 印旛沼開鑿願総代《(人脱カ)》
  明治廿三年一月十九日
                      鈴木安武
    千葉県知事 石田英吉殿

土収第五〇号
割印
                  茨城県士族
                      鈴木安武
本年一月廿日付追願印旛沼開鑿線路中、印旛郡大杜村・永沼村《(永治村)》・下埴生郡八生村・南相馬郡布佐町地内測量之件認可ス
  明治廿三年一月廿二日     千葉県知事 石田英吉

同二十三日織田完之船橋ヲ発シ、高谷村清沢半右衛門氏ヲ訪ヒ、葦植ノ談ヲナシテ帰京ス
同二十四日鈴木安武内洋拝借ノ願書ヲ千葉県知事ニ呈出センカ為メ船橋ヨリ千葉ニ至ル、知事不在ナルヲ以テ宮田土木課長ニ面会ス、又内洋ノ事ハ農商課長ニ面悉シ、終ニ願書ハ農商課長ノ預ル所トナル、是日帰京シ其ノ状況ヲ織田完之ニ語ル
同二十七日宮原直尭氏ヨリ左ノ書ヲ織田完之ニ贈ル
 拝啓陳ハ過日御申越之趣ハ工師デレーケ氏ヘ申通候、然ル処工師ハ目下手透ヲ幸トシ印旛沼口及ヒ平戸等昨年ノ水位比較ヲ相始メ申度儀ニ付、兼テ観測者ヨリ御取寄相成居候水位表而已ニテモ早速御差廻方相叶申間敷哉、其段差急候訳ハ若シ其内他ノ繁務出来候場合ニ於テハ御会ノ御企望ニ係ル行画ニ幾分ノ延滞ヲ惹起サヽルヤヲ懸念致候次第ニテ、今若シ図類ハ鈴木君実地ヘ御携帯中ナレハ其分ハ後日ニ御廻シ相成モ差支ナシ、何分右水位表ヲ先ツ御廻附相成候様致度ト工師再応ノ申聞ニ付申進候、余ハ面晤ニ付ス 匆々不備
  一月廿七日               宮原直尭
    織田完之殿

二月一日織田完之奈良原繁氏ニ書ヲ贈ル、其ノ略ニ曰ク
 測量上費用ノ事、御蔭ヲ以テ目下支払仕候得共、引続内洋ヲモ認可ヲ得候場所夫々測量致候ニハ、尚五百円モ相懸可申、旁其御配慮願度云々

同八日鈴木安武境村大字安食ヨリ金原・織田両名宛左ノ書ヲ致ス
 拝啓本月一日松崎村ヲ引払ヒ、宇都宮・立田ノ両氏ハ安食村ニ引移リ、久保川氏ハ吉高ヘ移リ、専ラ外業ニ従事致居候、宇都宮ノ方ハ
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今一日外業致シ夫ヨリ図面ニ取掛リ可申積リ、久保川氏ハ今両三日モ外業ニ掛リ可申候、右之次第ニ付来ル廿日迄ニハ浅深実測丈ケハ出来致候得共、磯長氏ヨリ申越ノ件々モ有之、別紙之通取調候積リニ付、今両三ケ月掛リ可申ト存候、就而ハ測量費見込ヨリハ莫大ニ掛リ可申、測量中差支有之候テハ不都合ニ付充分御手配可被下候、当地ハ多分来ル二十日頃引払ヒ候、又松崎村ノ方ヘ移リ可申積リニ御坐候、小生ハ当所ニ今両三日滞在、水害ノ反別、利根川通船等取調候積リニ候、右現況及御報知候也
  二月八日               鈴木安武
    金原明善殿
    織田完之殿
 印旛沼測量要点凡十一条
 一長門川ヘ仮水位標設置洪水ヲ検スルコト
 一佐倉湾並ニ中川ヘ同断
 一堀江検見川水位標ヨリ平戸其他ノ水位標ヲ経テ安食水位標ニ結付ルコト
 一長門川横断面図ヲ補測スルコト
 一印旛沼周囲ニアル水害地水腐地荒蕪地ノ区域ヲ三段ニ測定スルコト
 一柏井村高台ノ部分地形ニ因リ凡ソ六拾間毎ニ横断面図ヲ造ルコト
 一平戸川ヨリ沼ヘノ出口並ニ検見川海岸ノ地形ヲ別図ニ作ルコト、但最大ノ部、通常多数ノ内大ナルモノ
 一地質化土ノ部区域厚斜傾等ヲ調ヘル事
 一利根川通船ノ印旛運河ニ係ルヘキ数並ニ荷物調ノコト、但荷物ノ種類船ノ類種ヲ別ツコト
 一印旛沼段別 水害地 流作地 荒蕪地 沼地
 右古市氏ノ注文
 一海岸運河線路測量
 是ハ比較上必用トスルカ故磯長氏注文

同十五日織田完之品川子爵ヲ訪ヒ印旛沼測量ノ順序ヲ語ル
同十九日鈴木安武内洋拝借願書ヲ進達センガ為メ千葉県ニ到ル、其ノ願書左ノ如シ
    内洋拝借願
御県下東葛飾郡堀江村地先ヨリ千葉郡検見川村地先ニ到ル内洋干潟凡五千百六拾町歩ノ儀ハ、印旛沼開鑿事業ニ連帯シ東京間ノ運河ヲ疏通シ開鑿ノ目的有之必用之場所ニ付、私共一同ヘ向二十ケ年拝借被仰付開鑿成功ノ上新田ノ成就スル部分ヨリ逐次無代価御下渡被下度、尤今度御認可ヲ蒙リ候検見川堀江間実測ノ上尚規画ノ順序取調可申上候、右海面拝借御允許被成下度、此段奉願候也
  明治二十三年一月
             東京市湯島切通坂町拾五番地
                  平民
                     織田完之(印)
             同南鍋町二丁目八番地
                  鹿児島県士族
                     磯長得三(印)
 - 第13巻 p.174 -ページ画像 
             同根岸金杉村四百五拾番地
                  静岡県平民
                     金原明善(印)
             茨城県常陸国土浦町
                  平民
                     色川三郎兵衛(印)
             東京市浜町三丁目壱番地
                  千葉県平民
                     池田栄亮(印)
             神奈川県尾上町五丁目八拾壱番地
                  士族
                     高島嘉右衛門(印)
             東京市麻布東町廿八番地
                     林賢徳(印)
             同浅草橋場町千三百八拾番地
                  高知県士族
                     小野義真(印)
             同飯田町三丁目拾三番地
                  鹿児島県士族
                     奈良原繁(印)
             同兜町壱番地
                  東京府平民
                     渋沢栄一(印)
             茨城県常陸国信太郡阿見村大字鈴木
                  士族
                     願人総代 鈴木安武(印)
    千葉県知事 石田英吉殿
前書之通願出候ニ付奥書調印仕候也
                茨城県常陸国信太郡
  明治二十三年二月十二日
               阿見村長 湯原九兵衛(印)

同二十二日是ヨリ先キ医科大学教授医学博士緒方正規、医科大学助手医学士笠原光興「マラリア」病毒探究ノ為メ、其ノ流行地千葉県下印旛沼手賀沼近傍ニ出張シ、帰テ報告書ヲ帝国大学ニ呈出ス、是日官報ヨリ其ノ報告ヲ抄録ス、抑該地方ハ往昔ヨリ間歇熱病ニ罹ル者多シ、今此ノ報告ニ拠レハ近年之ニ罹ルモノ益多キヲ加ヘ、殊ニ印旛手賀ノ両沼ニ接近スルノ村落ハ悉皆流行地ニ属シ殆ト免病ノモノナシト云フ是土地ノ卑湿游泥ニ原因スルモノニシテ、其ノ予防法ハ一ニシテ足ラスト雖トモ、第一水路一条ヲ設ケ汚水ヲ排除シ深ク之ヲ浚渫シテ其泥土以テ土手ヲ築キ、其ノ水路ヲ除クノ外ハ田圃ト変スルヲ可ト為スト、之ニ由テ此ヲ観レハ、印旛沼ノ疏鑿ハ啻ニ運輸殖産上ニ無量ノ洪益アルノミナラズ、衛生上ニ於テモ務ムヘキノ事業ナリトス、故ニ此ノ報告ヲ抄録シテ他日ノ参考ニ備フ
同二十三日鈴木安武境村大字安食ヨリ測量ノ景況ヲ申報シ、併セテ各村水害調書ヲ送ル、其ノ書左ノ如シ
 拝啓印旛沼測量ノ摸様左ニ申上候
 一印旛沼実測ハ兼テ御報知申上候通リ宇都宮氏受持分最早出来、目下図面ニ取掛リ居リ候、同氏明日ヨリ長門川補測ニ取掛リ、同所ハ三日間位ニテ出来可致、夫ヨリ当村最寄水害地ノ高低測量ニ着手、本月中ニハ当所引払松崎村ヘ引移リ、水害地等ノ測量ニ着手可致積リ
 一久保川氏ハ沼縁ノ測量今三日間位ニテ相済可申、夫ヨリ図面ニ取
 - 第13巻 p.175 -ページ画像 
掛リ、是モ本月中当村引払ヒ印旛郡中川上岩橋ヘ引移リ可申積リ
 一沼縁百十ケ村水害反別取調ノ儀ハ役場ヘ夫々依頼致候処、野原村外廿ニケ村分調書申受候間、写本日御廻シ申上候、尚残村方ノ分ハ本月中ニ取調呉候趣ニ付、小生帰京ノ節持参可致候
 一磯長氏不日帰京ノ趣ニ付小生モ廿八日ニハ帰京、同氏ト工事上相談、又来月三日出張可致心算ニ有之候
右御報知申上候也
  二月廿三日               鈴木安武
    奈良原繁殿
    金原明善殿
    織田完之殿
尋テ溝口伝三其ノ水害段別ヲ製表スル左ノ如シ
        印旛沼縁水害段別及目下売買ノ価格

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 地目 水害段別        同平均段別     一段歩ニ付売買ノ価格                 郡村        人名                          上田      中田     下田   上中下平均 田  十町六反歩                 八十円     六十円    三十五円       千葉郡豊富村小野田 角瀬善之助 田  二十町歩        十七町歩      六十五円    五十円    三十円        同郡睦村桑納    鈴木市太郎 田  卅六町三反六畝十五歩  廿七町二反七畝十一 九十円     八十五円   八十三円       同郡同村麦丸    桜井平吉 田  二十町五反歩      十五町二反歩    六十二円五十銭 五十円    四十五円       同郡同村島田    信田藤平 田  二十五町歩       十七町歩      百円      八十円    四十円        同郡同村平戸    中台安平 田  廿八町一反歩      廿五町二反歩    七十円     五十五円   三十円        同郡同村小池    玉井亀吉 田  廿五町歩        十八町歩      六十五円    四十五円   廿五円        印旛郡船穂村船尾  横尾隼之助 田  二町一反三畝十一歩   一町歩       七十五円    六十円    五十円        同郡同村戸神    田久保紋右衛門 田  廿八町四反五畝歩    十七町七畝歩    七十円     六十円    三十五円       同郡船穂村武西   飯田好助 田  十三町一反八畝十九歩                                三十円   同郡同村松崎    鈴木藤助 田  三十五町歩       二十五町歩     六十五円    五十円    三十円        同郡阿蘇村保品   今井磯七  以下p.176 ページ画像  田  一町五反三畝歩               八十円     七十円    五十五円       印旛郡阿蘇村上村  江口長蔵 田  二十町歩                  八十円     七十五円   七十円        同郡同村米本    鈴木定右衛門 田畑 二十町歩                  六十円     四十三円   廿八円        同郡同村神野    安藤久松    四町六畝廿九歩 田畑 四十六町五反二畝十歩            五十円     四十円    三十円        同郡木下町平岡   深山団治    四町三反八歩 田畑 四十七町五反七畝二歩            六十円     五十五円   四十五円       同郡同町小林    川村輝    六十九町六反六歩 田畑 六町ニ畝廿一歩                              五十円        同郡本郷村中根   岩井三右衛門    二町八反六畝廿歩                             四十円 田畑 九十三町七反歩               六十五円    四十五円   二十五円       同郡同村笠神    石井米蔵    六十五町二反歩 田畑 六町九反六畝十三歩             六十円     五十円    四十五円       同郡同村物木    高橋嘉助    五町九反三畝十歩 田畑 二百廿七町廿八歩              四十円     三十円    二十円  畑十八円  同郡同村野原    石川米蔵    二百二町六反四畝廿八歩 田  二百七十七町歩     百十二町歩    百二十円     百円     八十円        同郡六合村     五十嵐新五郎 田畑 廿五町歩        二十町歩三町歩  六十八円     五十四円   三十二円 畑十五円  同郡志津村小竹   鈴木重郎兵衛    四町歩 田  九十町歩                  百二十円    九十円    五十円        同郡宗像村     篠田有則 田  一町二反五畝歩                                         同郡清谷村清戸   米井新兵衛                                                             五十嵐滝蔵 田  六十一町二段歩               七十五円    六十円    四十円        同郡臼井町     山上弁三郎 田  十三町五反廿三歩              七十五円    六十二円五十銭 四十円       同郡佐倉町ノ内鏑木 桜井義質 田  二町二反五畝歩               七十五円    五十五円   二十五円 田畑 七十町八反三畝一歩             百円      七十五円   三十円        同郡内郷村     簗瀬整常    廿一町五反一畝廿九歩 田  廿二町二反七畝廿歩   七町三反五畝歩   四十円     三十円    十五円        同郡下埴生郡八生村 湯浅佐右衛門 田  百三十二町五反歩              九十円     八十円    六十五円       同郡根郷村     秋葉春次郎 田  百十町歩                  七十五円    六十円    四十円        同郡千代田村    鈴木勝次郎  以下p.177 ページ画像  田  八町三畝歩       六町五反歩     六十五円    五十五円   四十五円       千葉郡睦村真木野  山崎弥兵衛 田  廿二町歩        九町歩       九十円     七十円    五十円        同郡同村佐山    市原喜七郎 田  廿四町四反七畝十二歩            八十円     七十五円   六十五円       同郡境村安喰    境村役場 畑  五十七町六反七畝十一歩           六十円     五十五円   四十五円       同         同 宅地 六町六反九畝十六歩             百五十円    五十円               同         同 田  十九町五反廿九歩              八十五円    六十五円   六十円        同村酒生      同 畑  一町一反二畝歩               六十五円    四十円               同         同 



    以上
水害地合段別
 二千二百十一町一段九畝三歩

是月印旛郡内郷村大字萩山新田岩井勝太郎等三十一名発起人トナリ印旛沼事業賛成懇親会ヲ開カントス、其ノ趣意書左ノ如シ
    印旛沼事業賛成懇親会ヲ開ク趣意
近来殖産事業愈盛大ニ赴クノ時運ニ向ヘリ、吾々国事ニ志アル者同心協力之カ増進ヲ謀リ国益ヲ勉ムルハ勿論此等ノ挙業アルニ際スレハ奮テ賛成セスンハアルヘカラス、今吾人ノ身家ヲ顧ミテモ一家ノ経済ニ便利ヲ得ルハ各自ノ一身ニトリテ皆大切ナリ、況ンヤ一家ノ経済ニ止ラス一村ノ経済ニ亘リ一村ノ経済ニ止ラス郡国ノ経済ニ亘リ尤モ万全ナル殖産興業ノ大本ヲ確立スルノ挙業アルニ於テハ吾人専ラ努力セサルヲ得ス、玆ニ一家一村ヨリ考フルモ一郡一国ヨリ考フルモ国土万民ノ為ニ考フルモ尤モ殖産興業ノ基本タル偉大ノ盛挙ト云フハ印旛沼開鑿ノ事即チ是ナリ、已ニ大明会員ハ県庁ヨリ旧河筋浚渫ノ許可ヲ得、且県庁ヨリ沼縁ノ村々ヘ測量認可ニナリタルヲ達セラレタリ、抑此事業タル旧幕府ノ時代天明天保幾度ノ着手殊ニ天保度ノ大工事ハ大ニ観ルヘキモノアリテ已ニ七八分竣工シ、現ニ旧鑿ノ古河筋ヲ存在シ僅ニ二三分ノ土坪ヲ残スノミ、今此業ヲシテ成果ヲ得セシメバ実ニ洪大無量ノ世益ニシテ先ツ常総三陸ノ運漕ヲ東京ニ直達スルノ捷路ヲ得、又印旛沼平水仮リニ二尺ヲ減スルモノトスルモ其開墾地ヲ得ル果シテ幾許ゾヤ、第一沼縁百拾村ノ水害ヲ免ルヽ事年々三千町歩ニ下ラス、剰サヘ下田ハ変シテ上田トナリ、年々歳々ノ収獲夥キヲ加ヘ幸福ヲ永遠ニ享交シ子孫ヲ長久ニ繁昌セシムルハ勿論、年々沼縁数千人ノ間歇熱ヲ救ヒ農業ヲ助クルモ亦衛生上ノ必要ニシテ、東海無彊ノ富源ヲ涵養スルニ足ル殖産ノ大基本万民ノ大幸福トナルモノニ非スヤ、吾人沼縁ニ住シ、年々ノ水害ニ逢ヒ名状スヘカラザルノ困厄ヲ受ルモノ、此事
 - 第13巻 p.178 -ページ画像 
業ノ成就ヲ希望スルノ念アルヘキハ固ヨリナリ、故ニ其挙業ノ日ニ至ラハ相互ニ協同シテ各一簣ノ労ヲ補助センコト是又吾人身家ノ経済ヲ顧ミテモ応分尽スヘキノ義務アルモノト思惟セリ、此ニ吉日ヲ卜シテ佐倉町米屋ニ於テ印旛沼事業賛成ノ同志ヲ集メ、大明会ノ諸氏ヲ招待シ、将来相互ニ殖産興業ヲ務ムルノ懇親会ヲ開カントス、尤モ実用ヲ貴ヒ倹素ヲ旨トスル会同ナルヲ以テ会費ハ一名三拾銭ト定ム、同意ノ諸君幸ニ貴名ヲ署シ加印ノ上廻付アランコトヲ祈ル、其ノ会日ハ治定次第尚報道スヘキナリ 頓首讙言《(謹)》
  明治二十三年二月
               印旛郡内郷村大字萩山新田
                  発起人 岩井勝太郎
               同郡六合村大字瀬戸
                  同   武田竹松
               同郡同村大字同
                  同   寺本卯之助
               同郡佐倉町
                  同   斎藤七郎兵衛
               同郡舟穂村大字松崎
                  同   鈴木伊助
               同郡酒々井町大字上岩橋
                  同   木村杢右左衛門
               千葉郡睦村大字平戸
                  同   植草兵左衛門
               下埴生郡境村大字安喰
                  同   梶谷与助
               同郡同村大字同
                  同   山田弥一
               印旛郡野原村酒直朴杭新田
                  同   近藤治郎右衛門
               同郡宗像村大字師戸
                  同   馬場良光
               同郡阿蘇村大字米本
                  同   加茂加藤治
               同郡同村大字神野
                  同   安藤久松
               同郡同村大字保品
                  同   清宮清五郎
               同郡舟穂村
                  同   横尾隼之輔
               印旛郡酒々井町大字上岩橋
                  同   小坂新兵衛
               同郡六合村大字松虫
                  同   岩井七之輔
               同郡富里村大字七栄
 - 第13巻 p.179 -ページ画像 
                  同   武田大八
               同郡公津村大字下方
                  同   多田忠助
               同郡同村大字北須賀
                  同   根本藤吉
               同郡千代田村大字亀崎
                  同   清宮常治
               同郡根郷村大字六ツ崎
                  同   桜井竹次郎
               同郡同村大字同
                  同   宍倉吉五郎
               同郡同村大字同
                  同   渡辺鶴吉
               同郡同村大字寺崎
                  同   井原源五兵衛
               同郡臼井町大字角来
                  同   兼坂総治
               東葛飾郡船橋町九日市
                  同   石井新吾
               千葉県大和田村大字高津
                  同   岩井左一郎
               印旛郡六合村大字萩原
                  同   久保田利三郎
               同郡本郷村大字笠神
                  同   石川米蔵
               下埴生郡八生村大村松崎《(字カ)》
                  同   湯浅市太郎
尋テ印旛沼開鑿懇親会賛成人名簿ヲ大明会ニ廻送ス、其ノ人員佐倉ノ吉田伝左衛門以下已ニ二百二十八人ナリ
三月四日織田完之、田中芳男氏ヨリ贈ル所ノ寒薄苗《スヽキ》ヲ検見川村藤代市左衛門氏ニ送リ海浜ニ植ル事ヲ託ス、又鬼薄ノ事ヲ船津伝次平氏ニ聞ク、鬼薄ハ備前児島郡三番湊及ヒ日向ノ高鍋ニ多シ、遠州掛川・相良ニモアリ、其ノ形状通常ノ薄ヨリ大ナルコト凡ソ三倍、隄防ノ為ニ栽植シテ能ク海風ヲ防クト云フ
同五日雨宮敬二郎氏織田ノ宅ニ来訪、織田告クルニ印旛沼ノ測量及ヒ内洋ノ景況ヲ以テス、雨宮大ニ悦フ、次テ高島嘉右衛門氏入来ス、同人亦測量其ノ他ノ景況ヲ聞テ大ニ悦フ、曰ハク事業ノ規画ハ石田知事ヘ懇々談シ置キタリ、尚整理ノ日ヲ待ツト云テ去
同八日立田貫一郎測量事務ニ関シ既ニ下総ニ在リ、是日行徳町ヨリ一書ヲ織田完之ニ致ス、左ノ如シ
 拝啓本日午前鈴木氏船橋ヨリ来ル、磯長氏ハ十二時過来リ三時安食ニ向ヒ鎌谷泊リ、鈴木氏ハ臼井泊リ、明日安食ニ到ル約ニテ明後九日両氏帰京スル筈ニ御座候也
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鈴木安武臼井ヨリ書ヲ発シ測量事務ノ現況ヲ報ス、左ノ如シ
  本文申上候通来十二日頃ニハ金円御持参相成候様致度候
 拝啓、一昨日船橋ニ着候得共石田技士測量致居候場所不相分、夫ヨリ高谷村ニ到リ清沢半右衛門相尋候処一向相分不申、無余義帰宿致候、昨朝行徳村信楽亭ニ到リ相尋候処、今朝猫実ノ方ヘ出張杭打居候趣ニ付同所ヘ参リ海岸相尋候処居リ不申、其内雨天ニ相成引返候処石田立田両人モ帰宿致居候、同所ニテ談話中磯長氏被参一盃相催シ、午後一時三十分小生同所出立船橋ヘ参リ同所ヨリ昨夜臼井泊、磯長ハ蒸滊ニテ三堀ニ到リ夫ヨリ本日安食ニ到リ可申、小生ハ往復ノ船ヲ雇ヒ安食村ヘ参リ可申積、明日ハ本日相雇候船ニテ磯長氏ハ臼井ヘ参ル積リナリ、小生ハ過日モ申上候事件ニ付安食村ヨリ帰村二泊致候テ安食ニ到リ夫ヨリ中川ヲ経テ船橋海岸測量ヲ見廻リ帰京致スヘキ積ニ候得共、猶其内ノ摸様御通知可致候
 一行徳町工夫雇入ノ賃ハ廿五銭ト申ス事ニテ如何様致候テモ日々壱円余ハ相掛リ可申トノ事、金拾円立田ヘ相渡候、宇都宮氏ノ方又久保川ノ方ハ日々工夫ノ雇入計リモ四五円相掛可申候間夫々御手配可被下候、来ル十二日頃ニハ船橋カ検見川ヘ参リ石田測量ノ方見分可致積、余ハ後信ニ譲候也
               臼井太田屋ニテ
  三月八日
                     鈴木安武
    織田完之殿

同十四日船橋ノ石井新吾海面築隄ノ調書ヲ織田完之ニ送ル左ノ如シ
 下総国東葛飾郡船橋大字山谷地先海面開発ニ付、仕立様図面並ニ土寄積書西東登堤長四百間、表法三割七分五厘、裏法壱割五分、高八尺敷八間馬踏六尺立萱三尺ニシテ壱間ニ付五坪四合壱勺、壱坪ニ付人足三人掛リ壱人ニ付賃金三拾銭
  西東登堤立萱杭打手間共壱間ニ付人足三人三分限リ、但シ芝植付ノ手間表裏拾弐通壱間ニ付人足三人三分掛リ、筋芝壱坪ニ付金拾五銭立萱壱間ニ付九束壱束ニ付金三銭、縄壱間ニ付五分壱房ニ付代金八厘、立萱押竹壱間ニ付弐本目通リ三四寸壱本ニ付代金六銭柵杭末口三寸壱本ニ付代金六銭
 海面堤防長三百五拾間、高壱丈壱尺、表法三割四分三厘、裏法壱割五分、敷拾間馬踏六尺堤防壱間ニ付土坪拾坪八勺三才二毛八糸、壱坪ニ付人足三人掛リ賃金同断
  浪除杭木末口弐寸五分、長九尺壱間ニ付拾五本、羽口松葉三尺ノ束五束、浪除杭打手間壱間ニ付人足五分掛リ
  用悪水箱樋長拾間高壱尺幅弐尺 二ケ所
  此代金弐百円拾八銭、但蓋板壱枚ニ付折釘四本打、壱本ニ付代金壱銭、箱樋壱本ニ付尺〆拾三本六分四毛諸色松板ニテ金壱円ニ付尺〆壱分八厘弐毛立松羽口買

同十七日是ヨリ先キ鈴木安武千葉ニ到ル、是日左ノ書ヲ織田ニ贈リ、内洋拝借願書ハ地元ノ村長調印ノ上可差出トノコトニ付書面ヲ受取ル
 - 第13巻 p.181 -ページ画像 
コトヲ報ス
 拝啓昨夜船橋ヘ石田立田ノ両人参リ候間事業上夫々相談致シ本日参県候処、農商課長不在ニ付川瀬ト申仁ニ引合候処、内洋拝借ノ儀ハ地元村長ノ調印ヲ要スル儀ニ付各村長ノ調印ヲ申受ケ差出候得者其筋ヘ上申致候様被申候間、願書ハ下渡ヲ受ケ候、小生本日臼井町ニ一泊明十八日安食ニ一泊十九日中川歟臼井ニ泊スル積リ、廿日ニハ検見川ヘ参リ藤代戸長ノ調印ヲ申受ケ夫ヨリ馬加津田沼船橋町長ノ調印ヲ取リ、同日ハ一ト先ツ帰京可致積リニ御座候、其内集会ノ日限定リ候ヘハ御報知可被下候、明日安食ノ方支払方夫々取片付十九日ハ多分臼井ニ参リ可申積リニ付、其御積リニテ御書面御出シ可被下候
 一沼地拝借ノ事ハ是迄土木課ニテ取扱候得共該願書本日地理課ヘ廻シニ相成候ニ付、是ハ不日手続キヲ指揮致候様川瀬申聞候、多分両三日之内郵便ニテ達可有之ト存候、委敷ハ帰京御面語ニ譲リ候也
  三月十七日               鈴木安武
    織田完之殿

同二十五日曩ニ岩井勝太郎等発起者トナリ懇親会ヲ企図スルヤ安食佐倉近傍ノ有志者大ニ奮発賛成スト云フ、是日石井新吾其ノ状況ヲ織田完之ニ報ス
是月量水標設置ノ件ヲ千葉県ニ出願ス
    量水標設置ノ儀ニ付願
一印旛郡埜原村大字酒直卜杭字和田沼官有地
一同郡酒々井町大字上岩橋官有地
一同郡佐倉町大字田町字鹿島官有地
    〆
右者印旛沼開鑿ニ付水量取調ノ為メ頭書ノ地ヘ量水標設置致度候ニ付御認可之程奉願上候也
             東京市本郷区湯島新花町九拾七番地寓
                印旛開鑿願総代
  明治廿三年三月
                      鈴木安武
    石田千葉県知事殿

四月八日下総佐倉辺出水アリ、是日鈴木安武佐倉町米屋ヨリ左ノ書ヲ織田ニ送ル
 当所出水ノ為メ鹿島橋上測量ニ差支、久保川儀本日中川ヘ引移リ、石田氏モ本日正午ヨリ検見川引払中川ヘ移リ可申都合也、宇都宮モ一両日中ニハ中川ヘ引越可申ト存候、委回ハ跡ヨリ可申上候也

同九日磯長得三氏ハ奈良原繁氏ノ意ヲ承ケ予算書ヲ調製ス、是日左ノ書ヲ織田ニ送ル
 尊書拝見本日奈良原公ヘ逢ヒ同公指図ニ任セ残業予算書明朝迄ニ同公手元ヘ差出ス筈ニ御座候、夫ヲ以テ渋沢氏ヘ御相談之由承候、右御報迄早々以上
 - 第13巻 p.182 -ページ画像 
  四月九日             得三拝
  小生明朝六時一番滊車ニテ八王子ヘ参リ明後日帰京可仕候