デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
23節 土木・築港
4款 印旛沼開鑿事業
■綱文

第13巻 p.182-192(DK130020k) ページ画像

明治23年4月13日(1890年)

是日栄一、蠣殻町ノ友楽館ニ於テ織田ソノ他ニ会シ、本事業ニツキ議ス。尋イデ同年五月二十八日、織田ハ本事業関係仕払報告書及ビ印旛沼測量残業整理入費予算書ヲ栄一等ニ送ル。是ニヨリ栄一ハ金円ヲ東里為替店ニ交付ス。


■資料

印旛沼経緯記内編 (織田完之著) 第二六三―二八四頁〔明治二六年七月〕(DK130020k-0001)
第13巻 p.182-192 ページ画像

印旛沼経緯記内編(織田完之著)  第二六三―二八四頁〔明治二六年七月〕
同○明治二三年四月十三日織田完之蠣殻町友楽館ニ到リ渋沢栄一・尾高惇忠・前田正名・林友幸ノ諸氏ニ逢フ、是ヨリ先キ渋沢氏ハ奈良原氏ニ面会シ印旛沼経費取纏等ノ事ヲ談ス、奈良原氏曰ハク先ツ金原氏ヲ駿州ヨリ招キ費額取纏ノ予算ヲ定メ然ル後一会ヲ催ス可シト、是日渋沢氏之ヲ織田ニ語ル
同十四日鈴木安武下総ヨリ入京、織田ニ語テ曰ハク、予磯長ニ市川ニ逢フ、聞ク同氏曩ニ奈良原氏ニ面会セシニ奈良原氏ハ云ヘラク測量費用ハ当方ヨリ弁スベシ充分取纏方ヲ急クベシ、金原ト談合出来上ル迄維持法ヲ立ツベシ云々
同二十六日織田経費金ヲ携ヘ下総ニ行キ鈴木安武ニ交付セントス、是日船橋ニ到リ石井新吾ノ家ニ泊ル
同二十七日織田船橋ヲ発シ佐倉ヲ経テ中川木村屋ニ到リ鈴木安武ニ面会経費ヲ交付ス、此ノ夜石田・宇都宮・久保川・立田・岩井等ト談話一酌ス
同二十八日織田岩井勝太郎氏ト同車佐倉ノ米屋ニ到リ、其ノ隠居某ト談話時ヲ移シ夫ヨリ大和田ニ来リ花島ヲ廻リ馬加ニ出テ海岸ヲ帰リ来テ船橋蔦屋ニ泊ル、翌日帰京
同二十九日曩ニ岩井勝太郎等ノ懇親会ヲ企図スルヤ賛成者已ニ二百七十余名ニ上ル、是ニ至テ左ノ招待書ヲ大明会員ニ贈ル
    御招待書
今度貴会ニ於テ印旛沼開鑿ノ御計画将来沼緑ノ幸福ハ勿論実ニ洪大無量ノ世益ニ付、別紙ノ如ク印旛沼事業賛成懇親会ヲ開クノ趣意書ヲ以テ沼縁各村其他賛成者ヲ要セシニ続々此挙ヲ好シ別冊名簿ノ通地方重立タル人員多数ノ同意ヲ得タリ、就テハ各位ノ尊臨ヲ請ヒ佐倉ノ地ニ於テ会同ヲ催シ御計画ノ盛業ヲ賀シ併テ当地方将来ノ福祉増進ノ業ヲ協力スル懇親相結置申度候条、方今翕合ノ人心御照察ノ上御来臨ノ当日予メ御指示相成度一意ニ懇望仕候、此段謹テ御招待ニ及候也
  明治二十三年四月廿九日
               千葉県印旛郡内郷村住
                   岩井勝太郎(印)
               同県同郡佐倉町住
                   桜井義勇(印)
 - 第13巻 p.183 -ページ画像 
               同県同郡同町住
                   吉田伝左衛門
    大明会
      奈良原繁殿
      渋沢栄一殿
      高島嘉右衛門殿
      金原明善殿
      織田完之殿
      磯長得三殿
      小野義真殿
      林賢徳殿
      池田栄亮殿
      色川三郎兵衛殿
      鈴木安武殿

五月一日奈良原氏書ヲ織田ニ寄セ、印旛懇親会ノ臨席ヲ辞ス
 印旛地方集会ノ義ハ先般来申上置候通未タ測量中ニテ確乎タル答弁出来兼候折柄故、地方人民丈ノ企ナレバ更ニ差支モ無之筈ナレトモ拙者等出会致候様ニテハ此節柄ノ事直ニ新聞紙上ニモ相顕レ多少之世評ヲ受ケ候儀甚不面白、初ヨリ外見ニ不抱実着ヲ宗ト致シ度旨趣ニ基キ候事故、折角ノ企ニ幾分之不都合モ可有之筈ナレト出会之儀御断申上度、本日会社ヘ御出之段御申遣候得共昨今非常ニ取紛レ殊ニ今日ハ旧知事実弟着京ノ筈ニテ出社モ不仕候間此段以書中御答申上候也 以上
  五月                  奈良原繁
    織田完之殿

五月十日是ヨリ先キ金原明善氏帰京ス、是日鈴木安武ト同伴奈良原氏ヲ訪ヒ経費等ノ事ヲ談ス
同十一日金原明善氏ハ奈良原氏ヨリノ来信ニヨリ、左ノ書ヲ織田ニ贈ル
 拝啓益御清適賀上候、陳ハ別紙之通奈良原君ヨリ申来候間早速御取調慥成処ヲ以出金高右先生迄御差出可被成候、勿論鈴木氏ヘモ早々従尊君右之通御申入可被下候、是迄之会計ハ勿論明細一覧表ニ御調置可被成下候、品ニ寄リ何時入用モ難計候也、右申上度 匆々謹言
  五月十一日               金原明善
    織田完之様
    鈴木安武様

同二十二日織田完之金原明善氏ヲ訪ヒ、奈良原氏ヨリ送ル所ノ書ヲ領収ス

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    北鞘丁五番地東里為替店      金原明善様      奈良原繁          要用 



 - 第13巻 p.184 -ページ画像 
  尚々経費上之儀ハ宜敷御調置奉願度、処置済ノ上者一同之参考ニモ相備度存候間此段添テ奉申上候
 益御清昌奉拝賀候、扨兼テ御高配被遣候印旛沼測量費金之儀尚幾分カ出金モ致度候得共、昨今色々入用相嵩ミ出金致兼候、然ルニ余之儀ト違ヒ当今測量中之事ニテ多少ノ金員モ入用之儀ハ相分タル事ニテ、本々測量之儀ハ古市氏相頼候節発起者同意之上ニ取懸リ候事故何レ測量ノ結果ヲ見ルハ皆様御同意之事ト奉存候、最先日是迄ノ出金高等御取調御遣被下候書類取纏メ渋沢氏ヘ相談之心得ニテ其段ハ同氏ヘ打合置候処、初発ヨリ五百円金ハ出シ候約束之事故御談シ相伺出金可致ト迄ハ約置候得共、其後御同氏ニモ至極ノ多用ト見得会社ノ会議ニモ両三度出席無之、拙者ニモ爾後屡同氏ヲ訪候事モ出来兼候都合故別紙書類取束子御手元迄差上候間、渋沢氏ハ無論其地共出金相成候様御心配相願度、測量済マテハ幾度集会致候事モ無益ノ事故昨今ノ急務ハ測量費金相集候事ニ止マリ候儀ニ存候間、此段可然御願申上候也
  五月二十一日               奈良原繁
    金原明善様

是ニ於テ完之ハ金原氏ノ家ヲ辞シテ渋沢栄一氏ヲ兜町ノ家ニ訪ヒ、奈良原氏ノ書及ヒ金原氏ノ言ヲ伝ヘ、且磯長残業予算調書等ヲ示ス、渋沢氏曰ハク、是迄ノ仕払日ヲ立テ之ニ将来入用ノ意見書ヲ添ヘ以テ照会アランコトヲ要スト、談了テ完之帰宅シ、直ニ東京ヲ発シテ下総臼井ニ赴ク、是日市川ニ到レハ点灯乃チ船橋ノ蔦屋ニ泊リ石井新吾ヲ招話ス
同二十三日完之早起船橋ヲ発シ、臼井ノ太田屋ニ到ル、是ヨリ先キ鈴木安武一時郷里ニ帰ル、因テ完之ハ此ニ泊テ其来ルヲ待ツ、此ノ夜立田久保川等来会シ小酌ス、測量ハ柏井川筋略了リ近日石田三吾ハ臼井ニ転宿ノ積リ、今朝宇都宮新ハ平戸ニ移リ植草兵左衛門従フ、久保川ハ本月半ニ掛ケ吉田辺迄ヲ了リ平戸ニ移ルノ心算ナリト云フ
同二十四日鈴木安武臼井ニ来着ス、完之面話スル数時安武ハ佐倉ニ往キ完之ハ直ニ帰京ス、既ニシテ鈴木モ帰京セリ
同二十五日織田鈴木ト創業以来ノ経費調ヲナス
同二十八日織田完之ハ鈴木安武ト仕払報告書ヲ作リ、連署シテ印旛沼経費ノ支出残額ヲ受取ヘキ照会書ヲ発ス、尋テ各員ノ検印ヲ受ク、其ノ照会ハ左ノ如シ
  明治廿三年五月廿八日          鈴木安武
                      織田完之
                      金原明善
    渋沢栄一殿
    林賢徳殿
    小野義真殿
    色川三郎兵衛殿
    印旛沼経費之義ニ付御照会
 印旛沼測量ノ義ハ奈良原殿各位御談合ノ上客年十二月古市公威氏ノ
 - 第13巻 p.185 -ページ画像 
巡見ヲ要シ、測量ノ件々十二条ヲ仮定シ磯長得三専ラ担当取調段々相運、今ヤ残業整理ノ急務ニ尽力罷在候、依之各位ヨリ金員ノ御支出ヲ要シ整理予算書ノ如ク相運申度、尤測量成功ノ結果ヲ見テ後ハ会社法ニテ挙業致候モ適宜ノ事ト被存候、奈良原殿手柬相添此段及御照会候也
    印旛沼測量残業入費予算調書
 一金百五拾円     高低測量費一式
 一金弐百三拾円    印旛沼周囲水害地等同断
 一金五拾円      柏井高台横断面同断
 一金壱百円      検見川江戸川運河線同断
 一金百弐拾円     右諸費製図費一式
  合計金六百五拾円
  明治廿三年五月           磯長得三(印)
    印旛沼測量ノ要点凡十一条本年二月八日ノ条ニ出スヲ以テ此ニ略ス
      記
 一金四百円       渋沢栄一殿
 一金四百円       林賢徳殿
 一金三百円       小野義真殿
 一金弐百五拾円     色川三郎兵衛殿
  合計金千三百円也
  右御支出ヲ要ス、御了諾ノ上ハ日本橋区北鞘町五番地東里為替店金原明善ノ代人為受取罷出候様可仕候也
    印旛沼測量残業整理入費予算書
 一金千三百円也
      内訳
  金六百五拾円        測量残業整理費
  金三百八拾七円九拾七銭八厘 時借支出ノ分
  金四拾円          書記給料四月ヨリ七月迄
  金六拾四円         量水番給料本年一月ヨリ八月迄見込
   但シ安食村外五ケ所
  金百円           会員出張諸費
  金五拾八円弐銭弐厘     予備費

已ニシテ渋沢栄一氏金円ヲ東里為替店ニ交付ス
六月三日鈴木安武下総臼井ニ行ク
同二十日鈴木下総ヨリ入京測量事務大ニ進捗スル状ヲ織田ニ語ル
七月末又資金欠乏ニ苦ム、金原氏奮テ維持ノ法ヲ立ツ、為メニ測量ノ終結ヲ得タリ
八月十四日午鈴木安武ハ織田完之ヨリ交付スル所ノ振出切手ヲ以テ測量会社等ノ仕払ニ従事シ、終ニ下総ニ行ク
織田完之直ニ去テ富士山ニ登ル、是レ東海ヲ眼下ニ眺臨シ大ニ英気ヲ養フ所アラントスルナリ、是日固瀬ノ角屋ニ泊ル、家人待遇特ニ厚シ
同十五日完之固瀬ヲ発シ、午前七時三十分藤沢一番滊車ニ乗シ御殿場ニ到テ下車シ、大黒屋ニ午餐シテ合力ヲ雇ヒ、其価七拾銭、芒鞋五足
 - 第13巻 p.186 -ページ画像 
ト握飯梅干ヲ携ヘ裔野ニ行ク、浩々タル秋郊花草尤モ多シ、行ク二里許太郎坊ニ到テ金剛杖ヲ買ヒ下駄ヲ預ケテ山ニ登ル、一合目已ニ樹ナシ満山虎杖花ヲ綴リ淡紅愛スヘシ、暮雨凄涼夜ニ入リ益甚シク四合目ニ投ス、石室隘湿夜十一時富士講片桐仁平等ト風雨ヲ衝キ出発ス、同行七人許リ険阻ヲ攀ツルニ、砂石跣足ヲ噛ミ痛苦甚シク、又暗黒ニシテ疾風猛雨衣袖皆沽湿フノミナラズ寒冷殊ニ甚ク凍死ノ恐レナシト云フ可カラス、艱苦極マル先導者完之ノ帯ニ紐ヲ付シテ引上ル、幾分ノ力ヲ添ヘ得タリ、五合室ナクシテ六合室ニ至リ火ヲ焚キ湯ヲ喫シ困臥シテ平明ヲ待ツ、風雨益烈山岳鳴動セリ
同十六日完之六合室ニ在リ、風雨益狂一歩モ出ル能ハス、同宿七八人皆富士講連読呪囂々ノ外俗談ヲナシ俗談尽キ終日昏々只眠ルノミ、又寒気ノ烈ナルニ苦ミ薪材ノ乏キヲ患フ、薪材ノ価東京ニテ一把三銭位ノモノ二十五銭ナリ、石室ノ上ニ雪ヲ積ミ貯ヘ其ノ滴溜ヲ室内ノ桶ニ引キ飯ヲ炊キ茶ヲ煎ル、其ノ飯粗糙ニシテ豉汁ノ味ヒナキ驚クベシ、只携フル所ノ梅干ノ功尤多キヲ覚ユ、室主ハ渡辺某ト称ス、茱茰沢辺ノモノナリト云フ
同十七日山上風雨晦冥、完之片桐ト早朝ヨリ合力ヲ率キ険ヲ冒シテ上リ、八合ニ至リ一食休息ス、風雨休ムコトナシ、終ニ出テ九合ハ石室ナキヲ以テ直ニ天上ニ至ル、銀水ノ傍ニ出テ峨々タル巌石ニ梯子ヲ攀ル二級漸ク木華開耶姫命ノ神祠ニ至ル、此ノ祠、石ヲ畳テ塁ノ如シ、華表アリ、一揖、北ヲ望メハ八稜廻リノ道ナリ、時ニ風雨甚キカ為メニ石室ニ入リ、醴五椀酒壱合ヲ喫シ一食シテ臥ス、此ノ夜夜具稍厚キヲ以テ少シク寒威ヲ防クヲ得タリ
同十八日山上風雨休マズ、完之等終ニ発ス、風雨甚ク衣袂ヲ吹キ翻ヘシ殆ト此ノ身ヲ顛仆セントス、金剛杖ニヨリ辛ウシテ下リ来ル、七合ヨリ一蹶シテ走ル四時間ニ草鞋三足ヲ破リ漸ク太郎坊ニ来リ、茱茰沢ヲ経テ御殿場ニ来ル、此処ヨリ午後三時三十八分ノ滊車ニ乗リ藤沢ニ来リ固瀬ノ角屋ニ泊ル
  東海無双大壮観。尚成白扇倒懸看。石交五色連天府。麓跨二州堅地盤。宝永年間徴噴火。孝霊御宇現洪瀾。八稜昨夜已飛雪。雲物奔騰捲雨寒。四律之一

同十九日完之固瀬ヲ発シ神奈川ニ来リ高島嘉右衛門氏ヲ訪フ、不在、蓋シ横浜ニ行クナラント云フヲ以テ尾上町ニ到ルモ居ラス、終ニ十時二十五分ノ滊車ニ乗リ帰京ス、此ノ夜鈴木安武ニ面シ、金原明善氏ニ一書ヲ発シ工事仕上ノ景況及ヒ今月末経費ノ事ヲ報ス
同二十一日織田完之奈良原氏ヲ鉄道会社ニ訪フ、時ニ東北鉄道破損ノ事ヲ以テ繁忙面会ヲ得ス、但測量費ノ事ハ本月末迄ニ都合スヘキ旨ヲ聞キ去ル
同二十四日利根川大水手賀沼ニ侵入スルノ報アリ
同二十八日織田完之鈴木安武ト金原明善氏ノ書ヲ携ヘテ奈良原繁氏ヲ訪フ、奈良原氏多忙ヲ以テ面セズ、但測量費ノ事ハ引受ケタリ云々ヲ答フ」尋テ金二百円ヲ東里為替店ニ送付ス
下総出帳員立田貫一郎報シテ曰ハク、平戸ヨリ花見橋間高低七尺五寸
 - 第13巻 p.187 -ページ画像 
余勢子杭界迄ニハ九尺余ナリト、又技士ノ言ニ満潮ナルモ上潮ノ恐レナシ多年ノ計画充分ナルベシト、是レ悦フベキナリ云々
同廿九日印旛沼洪水高サ一丈六尺、水標之カ為メニ流失ス、是日安食村ノ近藤某之ヲ織田ニ報ス
九月二日鈴木安武測量事務整理ノ為メ下総ニ行ク
同九日岩井勝太郎印旛地方洪水ノ状ヲ織田ニ報ス
 陳ハ去月ハ日々降雨実ニ困難罷在候、随テ測量上モ延引可相成ト存候、本年ノ出水ハ近年稀ナル洪水ニテ非常ノ損害ヲ被リ候、八月上旬ヨリ少々増水シ、中旬ニ至リ印旛沼ハ殆ト五合水位ニ候処、廿二日ノ朝ハ少々引水ヲ覚ユルモ、廿三日夜ニ入リ一時ノ大風雨ノ為メ又々増水ト相成リ、翌廿四五日ノ両日間ニ六七八余ノ増水ト相成リ既ニ市川及ヒ利根川印旛沼等ニ至ル迄何レモ壱升二三合余ニ上ル、故ニ大森村六軒其外十四ケ安西新川大竹等ノ如キ何レモ堤防破損致シ、家屋水冠リハ勿論流失セシモノアリ、故ニ人死多ク又印旛沼縁リニ於テモ処々人死多ク家屋水腐セシハ野原村・酒直村・上岩橋村中川村・大佐倉村・土浮村・瀬戸村・佐倉田町・角来村・神野村・神崎村等ノ如キハ実ニ困離其状況筆紙ニ尽シ難ク候得共、去ル廿九日ヨリ引水ニ相成候ニ付先以テ人民少シク安心ノ姿ナリ、右ニ付只今ノ処ハ人心相集リ此上ハ堀割事業ヲ以テ該水害ヲ免レタシト四方八方ヨリ云々ノ次第モ有之候ニ付、該事業ノ為メニハ却テ至極好都合ト存候、可成ハ此水引去リタル上来月頃ニ至リ懇親会ヲ開キ然ル上水害村々ヘ対シ云々ノ協議モ致度積リニ候得共、如何思召ニ候哉
 水害ノ概況御報知旁此段申進候、何分ニモ御配意ヲ蒙リ度此度奉願候、書外拝顔ノ節万々可申述候 頓首
             印旛郡内郷村萩山新田
  廿三年九月三日
                      岩井勝太郎
    織田完之様

同六日印旛沼測量了リ、明七日ヲ以テ各員帰京セントス、是日鈴木安武之ヲ織田ニ報ス
同七日織田鈴木ト磯長得三ニ面会シ設計ノ事ヲ頼談、磯長之ヲ諾ス
岩井勝太郎書ヲ織田ニ贈リ、今後益々指揮ニ随ヒ力ヲ印旛ノ事ニ尽スノ意ヲ致ス
同十一日是ヨリ先キ織田測量ノ概況等ヲ徳島県知事桜井勉氏ニ報ス
十月三十日岩井勝太郎本年水害表ヲ織田ニ贈ル

図表を画像で表示千葉県印旛沼縁水害一覧表

 千葉県印旛沼縁水害一覧表      町村名  田段別       畑段別       宅地段別         計     流失戸数  浸水戸数  計 印旛郡  佐倉町   三五・六二〇五    一・七二〇〇   二・三六一二    三九・七〇一七       七五   七五      内郷村  一三三・一三〇五   二九・七八二〇   五・〇三〇〇   一六四・九四二五        三    三      酒々井町  五一・三六一三   二一・六九一三   四・〇四二六    七七・一〇二二       三五   三五      公津村   七〇・八〇一六   七八・五六〇八   一・一五二九   一五〇・五二二三       二五   二五      野原村  二二七・〇〇八二  二〇二・六四二八  一一・三五〇〇   四四〇・九七二六  七   二八三      本郷村  一〇五・八六一〇   六七・四七二〇            一七三・三四〇〇      六合村   九九・三三〇〇  一三五・一一〇八   五・三〇二一   二三六・七四二九       四〇   四〇  以下p.188 ページ画像       宗像村   三四・一六一八   一九・七六一二     一六一八    五四・〇九一八        九    九      船穂村   八八・二四〇九    五・九七一五      七二七    九四・二九二一        三    三      谷清村   一〇・一五〇〇                       一〇・一五〇〇      阿蘇村   八六・八〇〇〇   二九・〇〇〇〇   三・二一〇〇   一一九・〇一〇〇        八    八      志津村   五五・一四一七   一二・八六二三      八一二    六八・〇九二二        二    二      臼井村   二九・〇二〇〇   一四・七八〇〇   三・六〇〇〇    四七・四〇〇〇        九    九      千代田村  九九・六六〇〇    一・五二〇〇            一〇一・一八〇〇      旭村     三・九六一五                        三・九六一五      根郷村  一八五・〇〇〇〇                      一八五・〇〇〇〇 下埴生郡 八生村  一五二・一五〇二   二七・〇九二五      八一二   一七九・三三〇九        九    九      境村   二三〇・九四一〇   七九・六五一三     四一二四   三〇一・〇一一七       三九   三九 千葉郡  睦村   一七五・〇〇〇〇    四・五〇〇〇     五〇〇〇   一八〇・〇〇〇〇        八    八      大和田村   三・〇〇〇〇                七一七     三・〇七一七        四    四 合計       一八六六・三六二八  七三二・一六〇五  三一・四四一八  二六二九・九七二一  七   五五二  五五九 



  右ハ当廿三年八月中水害各町村役場ニ就キ取調該表ヲ調製スルモノ也
             印旛郡内郷村ノ内萩山新田
  明治廿三年十月廿八日
                      岩井勝太郎

十一月四日高島嘉右衛門氏東京測量会社ニ到リ印旛沼測量全体図ヲ製スルヲ観ル、次テ織田ノ家ニ来訪シ、該図成ルノ上ハ古市氏ニ示スノ急務ナルヲ談ス
同二十三日織田印旛事業ノ概況ヲ田中芳男氏ニ報シ、併テ地民ヨリ大明会ニ出セル開鑿請願書ヲ示ス、是日回答アリ曰ハク、各村ノ気勢果シテ此ノ如ナレハ則チ是レ人情ニ適シタル事業ト謂ツ可シ、実測成テ目論見定ラハ広ク江湖ノ諸氏ニ示スモ亦可ナルヘシト云々
同二十八日織田完之印旛沼縁人民ヨリ出セル願書ノ写ヲ奈良原繁氏ニ送ル
是月又印旛沼縁人民ヨリ願書ヲ大明会ニ出シ、開鑿ノ起工ヲ切望スルモノ陸続タリ
十二月二日織田測量図略成ルヲ以テ書ヲ奈良原氏ニ送リ運動ノ指揮ヲ要ス、又現況ヲ林賢徳氏ニ報シ曩ニ回送スル所ノ経費照会書返戻ノ事及ヒ経費支出ノ事ヲ促ス
同十日金原明善氏ハ奈良原繁氏ニ面話シ其ノ要旨ヲ織田ニ報セリ
 過刻ハ失礼漸ク面会就テハ四五日間ニ御用金都合可致相談迄御座候此段不取敢申上候、以上猶以一時前ヨリ只今迄待ツ  十二月十日
 午後三時半

同十一日是ヨリ先キ佐渡雑太郡千種ノ人茅原鉄蔵印旛地方ヲ巡回シ本年水害ノ惨状ヲ観察シ、兼テ該地民ノ開鑿ヲ切望スルノ状況ヲ憫諒シテ帰ル、是日織田ヲ訪ヒ其ノ状況ヲ語ル、尋テ所見ヲ記シテ印行シ以テ四方ニ報ス
    印旛沼古堀浚渫ノ時至ル   佐渡 茅原鉄蔵
千葉県下印旛沼今年ノ水害ハ無慮二千五百余町歩ニ上リ其悲哀惨憺実ニ名状スヘカラス、之ニ加フルニ手賀沼長沼ノ横溢ハ相馬千葉印旛下埴生ノ四郡ニ亘リ総計五千余町歩ノ災害ハ是全ク利根川洪水ノ致ス所
 - 第13巻 p.189 -ページ画像 
ナリ、此洪水ノ害ヲ救フ術ヲ求ムルニ印旛沼ノ西南ナル平戸村以南ノ古堀筋ヲ検見川海ニ浚渫スルノ外復良策アルナシ、既ニ旧幕府時代両度ノ工事ニ七八分開掘シタル成蹟ヲ継ヘキノミ、夫レ印旛沼ノ周囲ハ二十二里余ニテ百十ケ村アリ、已ニ去年モ水害ヲ受ケ又今年ノ悲惨ニ逢フ、窮民ハ兄弟妻子離散シ老者ハ溝壑ニ顛スルノ外ナク、仮令ヘ一時ノ救助ヲ仰クモ三ツ堀ノ逆流平水ヲ高メ何レノ時カ安堵ノ地ニ達スルヲ得ンヤト旻天ニ号泣スルモ詮ナキカ故ニ、近来沿沼ノ村落ハ斉ク大明会ニ出願シ、片時モ早ク開鑿ノ着手アリテ水害ヲ免カル様ニ希望スト、或ハ数千ノ人夫ヲ助手セント、或ハ一村ヲ挙テ応分ノ助手ヲナサント、皆故老相謀リ懇誠ヲ竭シテ起工ヲ要請スルナリ、大明会ハ東京ニ設置スル所ニシテ志士仁人遠大ノ良謀ヲ立テ数年前ヨリ規画シ兼テ印旛沼古川筋浚渫ノ官准ヲ得、東京測量会社ノ技士数人ヲ派遣シ幾度モ測量ノ末、尚又昨年十二月ヨリ印旛沼ノ全体面積周囲水害地等ヲ精査シ、平戸検見川間ノ開鑿線路ハ勿論海面五千余町歩ヲ横断シテ検見川ヨリ堀江村地先迄五里余ノ間高低測量ヲナシ、本年九月迄ニ成功ヲ告ケ爾来数人ノ技士ハ日日製図ニ従事シ、刻苦勉励四ケ月ノ日子ヲ費ヤシ昨今漸ク工ヲ畢ルト云フ、試ニ看ヨ印旛沼ノ平水ハ凡一尺五寸ヨリ二尺ナリ、之ヲ検見川海ニ決導スルノ容易ナルハ其地ヲ踏ム人自ラ之ヲ知ル、花島ノ深泥ニ悩ミタルハ昔ノ事ニテ今ハ容易ナリ、之ガ浚渫工ヲ竣レバ沼中ニ於テ忽チ幾千町歩ノ良田ヲ現出シ、併セテ利根川沿岸ノ水害ヲ免カレシムルモノ年々二十余万石ニ上ルヘシ、且沿沼人民ノ瘧疾ヲ救フテ農業ニ補益スルコト幾千人ナリヤモ亦知ルベカラズ、内洋ニ於テハ一直線ニ竹木ノ柵《シガラミ》ヲ作テ沙止《スナトメ》ヲナシ、堤塘ハ沙ヲ盛ルコト山ノ如クニシテ深澪ヲ浚ヘテ可ナリ、西ハ湊村押切村ノ辺ヨリ堀鑿シ下今井ヨリ新川口ニ接シ東京ニ捷達スル安全ノ運河ヲ開クニ及テハ内洋ノ墾田数千町歩ヲ得、且防務ノ寛急ニ供スヘシ、鳴呼志士仁人ハ此ニ観ルアリ已ニ規画ノ宏遠ナル尤挙業ノ雄偉ナル其成功ヲ遂クルヤ企テ竣ツヘキナリ、凡ソ各地開鑿墾田利益ノ業ヲ起スモノアレバ大抵土地人民ノ苦情アリテ成功ヲ碍クルモノナリ、然ルニ此印旛沼古堀筋浚渫ノ業ハ然ラス、居民相競テ此開鑿ヲ賛成シ印旛沼ノ古堀浚ヲナサヾレハ終年救済ノ道ナキヲ信シ、助手ヲ請願シテ起業ヲ促スモノ現ニ若干万人ニ上ルト云フハ是レ天ノ時地ノ利人ノ和共ニ応合シテ印旛沼古堀浚渫ノ時至ルト謂ヘシ、予曾テ大明会ノ挙アルヲ聞ク、頃日成田ノ不動ニ詣リ印旛沼ヲ廻リ中川ヨリ萩山新田ニ宿シ臼井ヨリ大和田ニ至リ古堀筋ヲ巡見シ、横戸村柏井花島天戸長作等ノ諸村ヲ経テ数日間故老ニ聞見スル所アリ、又海浜ヲ一覧シテ東京ニ帰ル、玆ニ於テ益々印旛沼ノ開鑿運河ノ規摸並ニ内洋墾田ノ盛業ニ感アリ、故ニ其要ヲ記シ普ク世間ニ報告スト云フ
  明治二十三年十二月

同十七日小野義真氏曩ニ金原明善等ヨリ出ス所ノ経費照会書ニ捺印シ織田完之ニ返送シ添フルニ左ノ書ヲ以テス
 貴状拝見別紙御返シ申上候、将亦出金ハ来一月下旬ニ被成下度右耳
                         早々拝復
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  十二月十七日                 義真
    織田様

同二十五日評定官岡村為蔵氏名古屋控訴院ヨリ一書ヲ織田完之ニ贈リ印旛ノ事業ヲ奨励ス、其ノ略ニ曰ハク
 印旛事業何分大業ニ付舒々御着手忍耐ヲ以テ目的ヲ達セラレンコトヲ希望ス、今月廿八日上京尚可得拝眉候也

同二十八日岩井勝太郎水害地調査表ヲ織田ニ寄贈ス、云ク
 本年八月中洪水ノ為メ被害反別及ヒ地価等千葉県印旛下埴生南相馬郡役所ニ於テ実地ニ就キ取調候処、前表ノ如ク莫大ナル水害ナルヲ以テ猶参考ノ為メ之ヲ騰写《(謄)》シ差上候也
           下総国印旛郡内郷村萩山新田区
  明治二十三年十二月廿日         岩井勝太郎

    水害反別並地価表

図表を画像で表示水害反別並地価表

 郡名 村町名      田          畑         宅地           其他         計       地目      反 円        反 円         反 円         反 円 印旛郡   川上村           ―          ―           ―           ―            ―                 ―          ―           ―           ―            ―   弥富村           ―          ―           ―           ―            ―                 ―          ―           ―           ―            ―   旭村       四〇・一一五          ―           ―           ―       四〇・一五五           八八二・九三三          ―           ―           ―      八八二・九三三   千代田村  一、二九一・〇一七     二五・〇〇八           ―           ―     一三一六・〇二五        四〇、四六〇・四七五    二三五・七八五           ―           ―   四〇、六九六・二六〇   志津村     五九二・六一〇    一三四・一二三         八一二           ―      七二七・六一五        一八、九八七・五六八  一、四二四・〇〇七      一五・五四〇           ―   二〇、四二七・一一五   阿蘇村    一一八三・〇二一    一八八・四二五       二・三二〇           ―     一三七三・九〇六        三一、八五七・五三八  一、七〇一・一一〇      四四・二六六           ―   三三、六〇二・八七四   臼井町    一三〇五・七二三    一三六・八〇八      四二・二二一     一二三・七〇一     一六〇八・五二三        四二、二〇七・二二七  一、五一八・九八二     七三五・六五六      五二・八九三   四四、五一四・七五八   内郷村     九三二・四二六    二六三・〇一七      二一・八二九      七七・七二七     一二九五・二〇九        三一、〇二六・五七一  二、二〇四・八四五     四二四・二九四     一一五・六八三   三三、七七一・三九三   佐倉町     三三二・一二五     二〇・九〇七      一九・六一八      三八・〇〇二      四一〇・七二二         九、一〇三・四三六    二一九・九六七     八五〇・五一六       八・四二八   一〇、一八二・三四七   根郷村   一、五八二・八一一      三・〇〇〇         二一〇     三五四・六一三     一九四〇・七〇四        三七、七二三・四八九     一六・三七三       四・五五三     一〇六・四八六   三七、八五〇・九〇一   和田村           ―          ―           ―           ―            ―                 ―          ―           ―           ―            ―   酒々井町    四二八・一二二    二〇九・九〇五      二三・〇〇五     二四〇・〇〇一      九〇一・一〇三        一〇、七四二・五五六  二、一一四・五七〇     五四四・六八〇     二五一・七九一   一三、六五三・五九七   八街村           ―          ―           ―           ―            ―                 ―          ―           ―           ―            ―   富里村           ―          ―           ―           ―            ―                 ―          ―           ―           ―            ―  以下p.191 ページ画像    公津村     五五四・九〇四    四八八・四〇五      二四・四一一    一三七七・二〇七     二四四四・九二五        一八、一一二・九〇〇  五、〇七三・五九六     四四三、三九四     四一六・九九九   二四、〇四六・八八九   六合村     六二六・二一九   一〇三〇・二〇二      一〇・〇二五    二一八四・四〇九     三八五〇・九二五        二二、九七四・九八二  七、五〇六・三一九     一一一、四一二     八一二・三七五   三一、四〇五・〇八八   宗像村     三六五・八二〇    二九四・三〇八       二・五二〇      七六・五〇三      七三九・二二一         八、〇〇四・六五四  一、九二七・六八四      四七・八二四      二二・九五〇   一〇、〇〇三・一一六   船穂村     七二四・五一四     五一・四二五       二・一一七      三〇・二〇八      八〇八・四〇四        二〇、八六三・九二五    三八二・九〇二      四三・七五九       九・〇六八   二一、二九九・六五四   白井村     四七二・五〇四    一八〇・二一五      三八・一〇二      三八・七〇八      七二九・五二九         七、三一八・五三八  一、六九九・八四七     五一八・五二〇      一四・二九八    九、五五一・二〇三   谷清村     一五八・七一四          ―           ―           ―      一五八・七一四         四、八七二・一二五          ―           ―           ―    四、八七二・一二五   大杜村    二二四四・〇一一    八五二・七二三     二〇九・五一〇    一一四七・五〇四     四四五三・八一八        七二、五三一・〇二五 一〇、七二二・七〇六   六、一〇四・〇三五     三四〇・二〇八   八九、六九七・九七四   永治村     七五九・二一八    二五〇・五二四       七・七〇九     二四九・九一五     一一六七・五〇六        二〇、八七九・七七五  三、〇五八・〇八七     一五〇・七四六      九二・一二〇   二四、一八〇・七二八   木下町     二一七・五一五     六五・二〇六      二五・四〇二       一・二〇五      三〇九・三二八         九、六一〇・二九九    九一七・九七六     七一四・〇一四         一八六   一一、二四二・四七五   野原村    一九二九・四〇八   一九一一・七〇四     一二一・二〇五    二六一〇・一一三     六五七二・五〇〇        二七、〇〇一・六四六 一二、六六〇・五〇二   一、二一七・〇六七   一、一〇四・五六七   四一、九八三・七八二   本郷村    一〇六九・九二八    六三三・〇二三           ―           ―     一七〇三・〇二一        三〇、九四〇・六〇五  五、八七七・五八五           ―           ―   三六、八一八・一九〇   布鎌村    一一四五・八二三   一二五四・三〇七     一二五・二二九     四九二・八二四     三〇一八・三二三        一一、二八三・五五二  六、八〇八・二〇二   一、二四九・一九九     三七七・八九〇   一九、七一八・八四三  合計    一、七九五七・三一八   七九九三・七二三     六七六・八〇五    九〇四二・九二〇   三、五六七〇・九〇六       四七七、三八五・八二三 六六、〇七一・〇四五  一三、二一九・四三五   三、七二五・九四二  五六〇、四〇二・二四五 下埴生郡   境村     一二八六・三一六   一二五八・一二二      一三・七一〇    一五五二・六二四     四一一〇・九一二        二九、八九一・五〇〇 一一、二四二・四六八     二四二・五五六     四八四・四六〇   四一、八六〇・九八四   豊住村    一九九〇・四〇〇   一一七五・六二八     二三二・五二二     八八一・〇二三     四二七九・七一三        六三、六九一・四九四 一五、一一三・三六五   三、七三二・一二二     三二一・四〇二   八二、八五八・三八三   久住村    一四五〇・六二三    二三六・七一二      三二・二一五     二五六・七一六     一九七六・四〇六        四三、一五四・六五〇  一、五〇六・四〇二     五八三・二八四      七八・六一二   四五、三二三・九四八   八生村    一三九〇・四二八    一六七・七一六       三・四〇五     一五三・四二七     一七一五・一一六        四三、三九二・六〇〇  一、三三五・五四四      六九・〇三五      三七・六七九   四四、八三四・八五八   中郷村     八六一・〇一四          ―           ―     三一九・七〇四     一一八〇・七一八        一九、四一〇・六一五          ―           ―      二五・六八三   一九、四三六・二九八   成田町     一二二・二〇一          ―           ―           ―      一二二・二〇一         二、四二八・七三八          ―           ―           ―    二、四二八・七三八   遠山村           ―          ―           ―           ―            ―                 ―          ―           ―           ―            ―  合計      七一〇一・一二二   二八三八・三一八     二八一・九二二    三一六三・七〇四   一、三三八五・二〇六       二〇一・九六九・五九七 二九、一九七・七七九   四、六二六・九九七     九四八・八三六  二三六、七四三・二〇九 南相馬郡   布佐町    一五九七・九〇四   一一八一・三二六     二八二・二二三    一六二七・一〇〇      四六八八・六二三        三八、七四九・〇一三  八、二一七・二六〇   四、一二五・八五四     九五九・一〇三    五二、〇五一・二三〇   湖北村    一四二八・四一六    九八四・一二〇       七・三〇五    二三八四・五二八      四八〇四・五〇九        三七、六七五・二五八  六、六三九・一九三     一四四・八一四   一、二八一・八四六    四五、四七一・一一一   我孫子町   一八二五・四一四    八七一・二一二      八二・五二一    二三九九・五二七      五一七八・八一四        四九、六二八・六三九  五、一五八・一四三   一、四四九・二六八     八二五・五三九    五七、〇六一・五八九  以下p.192 ページ画像    富勢村    一四七四・八〇〇    六七一・八一二      一八・二二〇    三三三八・〇一六      五五〇二・九一八        三六、四七九・八四三  三、四六四・六〇五     三〇八・一五〇   一、四一四・九八二    四一、六六七・五八〇   風早村     六一八・四二一    一一四・五〇五         一〇三     一四二・八〇八       八七五・九〇七        一四、六二八・二五六  一、五一八・四一九       一・〇二三      七六・三六〇    一六、二二四・〇五八   手賀村    二五一九・四一一    三二九・七一〇      二二・五一〇    一二四五・四〇一      四一一七・一〇二        五七、八七四・六七八  四、〇八五・九八九     四二一・〇七七     五九〇・五五四    六二、九七二・二九八  合計      九四六四・五〇六   四一五二・八二五     四一三・〇二二   一、一三七・五二〇    二、五一六八・〇一三       二三五、〇三五・六八七 二八、八一三・六〇九   六、四五〇・一八六   五、一四八・三八四   二七五、四四七・八六六 総計     三、四五二三・〇一六 一、四九八五・〇〇六    一三七一・八一九  二、三三四四・二一四    七、四二二四・一二五       九一四、三九一・一〇七 一二四、〇八二・四三三 二四、二九六・六一八   九、八二三・一六二  一〇七二、五九三・三二〇