デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
25節 取引所
1款 東京株式取引所
■綱文

第13巻 p.243-262(DK130027k) ページ画像

明治6年7月7日(1873年)

是日紙幣頭芳川顕正ハ書ヲ栄一ニ致シテ、ストツクエキスチエンジ之方法書類訳書脱稿ニツキ一読ヲ乞ヒ更ニ取調方ヲ依頼ス。栄一、福地源一郎ヲシテ之ガ調査ニ当ラシメ、当局ニ接衝シテ取引所設置実現ニ尽力ス。翌七年十月十三日株式取引条例発布サル。


■資料

(芳川顕正) 書翰 渋沢栄一宛(明治六年)七月七日(DK130027k-0001)
第13巻 p.243 ページ画像

(芳川顕正) 書翰 渋沢栄一宛(明治六年)七月七日 (渋沢子爵家所蔵)
益御清適奉拝賀候、過日以来取掛居候ストツクエキスチエンジ之方法書類訳書稍々脱稿ニ付不取敢拙弟一読も不致其儘差上候間、御落手之上可然様御取調被下度右得貴意度如此 頓首
  七月七日
                     芳川顕正
    渋沢老兄


渋沢栄一 書翰 井上馨宛(明治六年)九月二日(DK130027k-0002)
第13巻 p.243 ページ画像

渋沢栄一 書翰 井上馨宛(明治六年)九月二日 (井上侯爵家所蔵)
○上略
右御起居拝伺旁近況申上席匆々頓首
  九月二日
                        渋沢栄一
    世外老台下
  福地吉田二郎抔追々帰京ニ付、ストツクイキスチインヂも福地担当取調近々脱稿可致哉、吉田ハバンク之事務も修練之様子大ニ力を得申候
○下略


(福地源一郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治六年)一〇月六日(DK130027k-0003)
第13巻 p.243-244 ページ画像

(福地源一郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治六年)一〇月六日
                       (渋沢子爵家所蔵)
一両日已来久振にての快晴御起居如何、過日ハ西村勝三書替一条再ひ御周旋を奉煩深ク恐縮之次第
本日株式売買所規則考案持参拝趨之積ニ奉申上候処、二日以来毎日大使事務跡調ニ被使役、かの順礼之礼拝畢りて帰村之上炉辺夜話ニ比しく思ひも出し兼ぬる位之反古調ニこまり切申候、勿論使節と申条山口少輔この事務局の首長となりて書記官を使役す、唯々奉命既ニ昨日も早朝より被呼出大厄難、右ニ付緊切の調ものも遅くなり昨夜も十一時頃迄はたらき候得共、何分本日之御間ニハ合ひ不申御違約ニ当リ奉恐
 - 第13巻 p.244 -ページ画像 
入候得共右之次第ニ付不悪御諒察可被下候
今朝より全家之もの仏参ニ出掛ケ憑机採筆なから留守居被命候旁拝趨仕兼候間御詫之為寸楮拝呈仕候也 頓首再拝
  十月六日


(福地源一郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治六年)一二月二〇日(DK130027k-0004)
第13巻 p.244 ページ画像

(福地源一郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治六年)一二月二〇日
                       (渋沢子爵家所蔵)
過刻申上候株式取引所条例之考案草稿ハ本日より紙幣寮にて謄写ニ取掛候間、右大急ニて相畢り直様芳川より先生へ御廻し申上候積ニ相談し置申候
  十二月廿日
                        福地源一郎
    渋沢栄一 様


(福地源一郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治七年)二月一四日(DK130027k-0005)
第13巻 p.244 ページ画像

(福地源一郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治七年)二月一四日
                    (渋沢子爵家所蔵)
昨今ハ又々寒冱を相催候処、老先生御起居如何扠例之株式取引所条例考案両三日前吉田少輔へ持参大抵同人之意見ニ適候、尤も三四ケ条程異存之廉も有之候得共結局多少之利害なき条也、猶同氏篤と読過之上再応野拙へ相談を遂け其上ニて政府へ建議可致積ニ候趣、其成効ハ是非引受可申と余程之任し方ニ候間暮々も依頼仕置候、自然隈卿へ御面会も有之候ハヽ其御含にて猶御周旋之程奉祈望候
過日ハ500御手数之段深く奉感佩候、目今営繕ニ取掛り毎日工夫之見廻り随分煩忙ニ耐兼申候、其中拝眉万々可申上候 草々頓首百拝
  七年二月十四日
                       源一郎拝具
    青淵老先生
        侍史


渋沢栄一 書翰 吉田清成宛(明治七年)二月二〇日(DK130027k-0006)
第13巻 p.244-245 ページ画像

渋沢栄一 書翰 吉田清成宛(明治七年)二月二〇日
              (京都帝国大学文学部国史研究室所蔵)
○上略
株式取引所之義今日熊谷大丞に面会色々申聞有之小生之愚案ハ申述置候、何卒早く御取究被下度候、自然尚御顧問之義も候ハヽ何時にても拝趨可仕候
○中略
  二月廿日
                      渋沢栄一
    吉田少輔閣下
  尚々時下九国之動揺頗懸念之至定而一層御苦配と奉察候、生等官事ニ繋累無之身も偏ニ迅速御鎮静而已懇祈此事ニ御坐候、何か其辺ニ付内情探索とか御用向も候ハヽ御指令ニ従ひ奔走可仕微衷唯閣下まて申上置候也
   ○熊谷武五郎、明治七年一月十四日大蔵大丞ヲ兼任シ、同八年六月廿八日依
 - 第13巻 p.245 -ページ画像 
願免本官並兼官、コト同人履歴ニ見ユ。
    吉田清成、明治四年十月十八日大蔵少輔ニ任ゼラレシモ五年二月十二日ヨリ六年八月八日迄理事官トシテ米国ニアリ、又七年九月十日特命全権公使ニ任ゼラレ再ビ渡米セルコト、「百官履歴」並ビニ「顕要職務補任録」ニ見ユ。
    依ツテ本書翰ハ明治七年二月廿日付ノモノナルベシ。而シテ尚々書中、時下九国動揺云々トアルハ明治七年二月ノ佐賀ノ乱ヲサスモノナルベシ。


渋沢栄一 書翰 吉田清成宛(明治七年)五月四日(DK130027k-0007)
第13巻 p.245 ページ画像

渋沢栄一 書翰 吉田清成宛(明治七年)五月四日
           (京都帝国大学文学部国史研究室所蔵)
○上略
  五月四日
                      渋沢栄一
    吉田少輔閣下
  尚々先頃国債権頭へ申上候公債証書利足渡方銀行へ御委任之義ハ何卒御允裁被下度候、是ハ公私之御便益と相成候事にて何も銀行之所得より申上候義にハ無之候
  株式取扱所条例御許可之義ハ如何御坐候哉、是又正院之御都合御高配之程奉懇祈候


渋沢栄一 書翰 大隈重信宛(明治七年)七月二三日(DK130027k-0008)
第13巻 p.245 ページ画像

渋沢栄一 書翰 大隈重信宛(明治七年)七月二三日 (大隅侯爵家所蔵)
○上略
ストツクエキスチンヂ御創立之義ハ偏ニ急速御発令御坐候様御配算奉祈候
○中略
右等数件拝趨申上度之処、御繁務中細事にて奉妨候も却て恐悚之至ニ付、失敬も不顧書中拝願仕候、何卒御海涵之程奉祈候 頓首敬白
  七月廿三日
                      渋沢栄一
    大隈大蔵卿閣下
○下略


(原善三郎) 書翰残欠 渋沢栄一宛(明治七年カ)六月二三日(DK130027k-0009)
第13巻 p.245-246 ページ画像

(原善三郎) 書翰残欠 渋沢栄一宛(明治七年カ)六月二三日
                    (渋沢子爵家所蔵)
□□□□□□《(前文不明)》手続等之儀実地取扱振書抜可相達之趣逸々承知奉畏候不遅様取計可申候
一為替会社拝借金歎願之儀無事御厚配被成下、不遠御沙汰ニも可相成御見込御達被下安心仕候、何卒当会社之儀連々規則確定候様御指揮被成下御引立之程奉願上候、逸々御出港被遊候砌歎願申上度一同御出港御待申居候
右御受迄如斯ニ御座候 草々
  六月廿三日
                     原善三郎
    渋沢栄一様
        尊下
 - 第13巻 p.246 -ページ画像 
   ○本書翰ハ前文切断シテ不明ナルモ或ハ横浜金穀相場会所規則等ヲ云フカ。


(原善三郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治七年カ)六月二三日(DK130027k-0010)
第13巻 p.246 ページ画像

(原善三郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治七年カ)六月二三日
                    (渋沢子爵家所蔵)
御達し之就金穀相場会社規則書別帋ニ相認メ奉御覧ニ入候、尤諸国蔵米銘柄場所附等之儀者東京商社も同断之格ニ御座候故認込不申若哉御入用ニ御座候ハヽ商社ヘ御申聞被下度候 頓首
  六月廿三日                   原
    渋沢君
      尊下
   ○別紙ヲ欠ク。


(原善三郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治七年カ)七月一日(DK130027k-0011)
第13巻 p.246 ページ画像

(原善三郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治七年カ)七月一日
                    (渋沢子爵家所蔵)
過日被仰越候金穀相場会所頭取人銘《(々カ)》ニ定し《(候カ)》此備金五万円之書上ニ御座候、壱人ニ付五千両別帋之通ニ御座候御承引乍外六千五百円之義ハ表規則ニ無御座社中内之取極メニ御座候、益金割方之儀者五万六千五百円之高ニ公平割合申候、最早当六月卅日迄之清算近日出来候間不遠出府之上可申上候、備金之義ニ付而者種々申出候者も有之夫々之手続キ以内願致候者も有之趣ニ付御出金之義ハ御内分ニ相成居申候、御含置被下度奉願上候
右申上度如斯ニ御座候 恐々
  七月朔日
                          原善三郎
    渋沢栄一様
        尊下


横浜金穀相場会所覚書(DK130027k-0012)
第13巻 p.246-247 ページ画像

横浜金穀相場会所覚書 (渋沢子爵家所蔵)
    記
一金五千両也       原善三郎
一金五千両也       増田嘉兵衛
一金五千両也       金子平兵衛
一金五千両也       茂木惣兵衛
一金五千両也       吉田孝兵衛
一金五千両也       田中平八
一金五千両也       金森平三郎
一金五千両也       大倉喜八郎
一金五千両也       伊藤八郎
一金五千両也       津田達蔵
〆金五万両也  元備金
外ニ元備金之内江組込ミ
一金五千両也       原善三郎取扱分
一金千両也        大嶋正吉
一金五百両也       島田源次郎
 - 第13巻 p.247 -ページ画像 
〆金六千五百両也
一金弐百両也       仲買加入身元金壱人分
     当時仲買人員  八拾七人
   ○「横浜、金穀相場会所」ト印刷セル罫紙ヲ用フ。


(福地源一郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治七年)八月一七日(DK130027k-0013)
第13巻 p.247 ページ画像

(福地源一郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治七年)八月一七日
                        (渋沢子爵家所蔵)
昨夜御暇奉申上候株式取引所申合規則《(節脱カ)》の草稿を尊邸の楼上ニ取落し置候
 是ハ東京第一国立銀行申合規則増補ニ加筆いたし候もの也
右御取調乍御手数このものへ御交付奉願度神奈川金穀相場会所之規則書ハ誤りて野生持帰り申候、二重之疎忽深く奉恐入候 頓首
  八月十七日                  源一郎
    青淵先生


(福地源一郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治七年)八月二一日(DK130027k-0014)
第13巻 p.247 ページ画像

(福地源一郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治七年)八月二一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
只今相伺候処王子辺へ御越之趣ニ付申残置候株式一件之書類合六冊奉入御覧候間、御一読之上無御遠慮御添削被下度、米一件ハ都て商社之規則を採用いたし置候間御照し合せ被下度
この分ハ
 帳面之凡取極
 人数之凡積
 給金之見合せ
これ等ハ株主集会及ひ支配人申付候上ならてハ相定めかたき義に可有之候、就而者何日頃相伺ひ可然歟御報知被下度候、幸ひ明朝ハ大蔵省へ参り条例発行之催促いたし候積ニ御座候 早々頓首
  八月廿一日                 福地拝
   〆
    渋沢先生
      御直披


(福地源一郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治七年)九月一日(DK130027k-0015)
第13巻 p.247-248 ページ画像

(福地源一郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治七年)九月一日 (渋沢子爵家所蔵)
御近況如何被為在候哉、野生義も先日以来鬼之鶴乱ニ類し風邪にて打臥漸く本日押て出掛候也
御依頼之印税一条諸書捜索之処どふも十分之的例無候、但英国銀行ニハ切手発行之特例ニハ右之免税条例も有之候間抜萃反訳さし上申候、この外ハ野生手許には書籍も少なく候間取調兼候、是にても御見合せニ相成候ハヽ幸甚草稿返上仕候
右病中故大蔵省之動静も承知不仕候、彼米相場合併一件ハ如何可有之候哉、其後隈熊之諸氏ニ御面会相成候哉、野生も明日ハ押てなりとも出省仕心得ニ御座候、猶其内相伺ひ可申候 草々頓首
  九月朔                    源一郎
    栄一様
 - 第13巻 p.248 -ページ画像 
   ○右九書翰中「彼米相場」云々ハ当初ノ構想ヲ示スカ。即チ米商会所(明治九年八月同条例制定)ト株式取引所ト合併セルモノヲ予想セル如シ。且ツ後掲資料ニ依レバ栄一ハ取引所ノ組織ヲ会員組織ニ依ラントセシモノノ如シ。


(熊谷武五郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治七年月未詳)二三日(DK130027k-0016)
第13巻 p.248 ページ画像

(熊谷武五郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治七年月未詳)二三日
                    (渋沢子爵家所蔵)
○上略
一米相場之件実ニ一笑之事ナリ、併し是も今日加入之事ニ省議相決し即チ福地へも申談示置キ候、実ハ今日同人より御聞上候事と奉存候、尤当分之二字相加へ候積り此儀之意味も福地へ委細談示置申候、是又御安神可被下候、イツレ此ノ行違ひハ不日御面前一笑話ニ相譲り申候
一印紙事未タ僕手許へ廻り不申も是又承知仕候
一結構之品御恵み奉多謝上候、右一報まて来客中匆々 以上
  廿三日                    熊谷
    渋沢老兄
       侍


(福地源一郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治七年カ)一二月三一日(DK130027k-0017)
第13巻 p.248 ページ画像

(福地源一郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治七年カ)一二月三一日
                    (渋沢子爵家所蔵)
別紙之御建議案高作謹て拝読仕如例百煉之利剣を以て却て個の純然たる一団温和之文を截し来る何等の妙手(新聞ニ記者に雇ひ度もの)拙生例之あつかましき風なれハ無御遠慮字句助詞の間に於て聊か妄批朱を下し候、失敬之程奉恐入此節ハ人の文筆ニ朱を付ケる事を投書を直すより覚へ来可自憎
米相場ハとふとふ株式と別ものニ相成候趣何なる訳ニ候哉、来陽拝眉早々可相伺候 草々頓首
  除夜第十時半                 星泓生
    青淵先生侍史
(欄外別記)
只今新聞之草稿を書し了りて一吟を得たり
  人の孔さがして取りし黄金にて
   おのが明けたる孔埋んとは(この孔が大キイニ困ル其くせ孔ホリの器ハ小ナルニ)


(福地源一郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治八年カ)一月二〇日(DK130027k-0018)
第13巻 p.248-249 ページ画像

(福地源一郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治八年カ)一月二〇日
                    (渋沢子爵家所蔵)
昨夕奉申上候草稿差出候間御落手浄書御命し被下度
一御一稿之方を差出し身元金。組合。証拠金。限月。之四難条ハ知らぬ振にて相致置候方どふも可なる様ニ奉存候
一若し万一このずるみを御役人様に見顕ハされたらは仕方がないから第二稿を用ひ候様
一両様に致せ手数料口銭之割合表はかならす巻尾ニ附録せさる可からすと奉存候、是は商社規則之尾ニ記し有候
一例之猪肉毒ハ其翌日筒井へ申付け置ドコ迄も解毒為致可申尤も老公
 - 第13巻 p.249 -ページ画像 
も僕も両人とも知らぬ振りを要とす
  一月廿日朝                源一郎拝
    青淵先生



〔参考〕法令全書 明治七年・第一三八―一五三頁 太政官 布告 第百七号(十月十三日輪廓附)(DK130027k-0019)
第13巻 p.249-257 ページ画像

法令全書 明治七年・第一三八―一五三頁
太政官 布告 第百七号(十月十三日輪廓附)
従前民間ニ於テ諸株式等売買ニ付一定ノ方法無之候処、此度諸株式取引所ノ方法ヲ制定シ普ク令頒布候、尤取引所創立ノ場所ハ東京大阪ニ於テ一ケ所ツヽ取設候筈、右取引商売致シ度者共ハ別冊株式条例ニ照準シ管轄庁ヲ経テ大蔵省ヘ可願出、此旨布告候事
(別冊)

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 表紙 株式取引条例 



株式取引条例目次
一株式取引所創立ノ規則    第一条ヨリ第七条ニ至ル
一肝煎ノ規則         第八条ヨリ第十二条ニ至ル
一株主並ニ株手形譲渡ノ規則  第十三条
一社員ノ規則         第十四条ヨリ第十七条ニ至ル
一社員組合ノ規則       第十八条
一社員手代ノ規則       第十九条ヨリ第廿条ニ至ル
一取引所一般ノ規則      第廿一条ヨリ第廿三条ニ至ル
一取引所売買ノ規則      第廿四条ヨリ第廿八条ニ至ル
一新公債新株式等売買ノ規則  第廿九条ヨリ第卅一条ニ至ル
一利益金積立金並俸給ノ規則  第卅二条ヨリ第卅三条ニ至ル
一税金並ニ報告ノ規則     第卅四条ヨリ第卅六条ニ至ル
一条例改正ノ規則       第卅七条
  株式取引条例(第一節ノ文字原書欄外ニアリ第二節以下傚之)
    ○株式取引所創立ノ規則
第一条第一節 凡ソ商業ノ為ニ緊要ナリトスル地ニ於テ株式取引所ヲ創立スルコトヲ許可シ、其事務ハ都テ大蔵卿ニ属シタル国債頭ノ管轄タルヘシ○但シ営業ノ年限ハ創立ノ際ニ臨ミ之ヲ取極ムベシ
 第二節 日本政府ヨリ発行シタル或ハ将来発行スヘキ公債証書其他借金ノ証券ニテ譲渡ヲ公認シタル手形、官許ヲ得テ創立シタル商業工業ノ株式又ハ証券、売買ヲ許シタル抵当証書、鉄道郵船電信瓦斯水道鉱山等ノ如キ諸会社ノ株式類等ハ皆此条例ヲ遵奉シ、株式取引所ニ於テ公ニ之ヲ売買スルコトヲ得ヘシ
第二条第一節 此条例ヲ遵奉シテ取引所ヲ創立スルニハ、少ナクトモ五人以上連名ニテ、其地方官庁ノ奥印ヲ以テ創立願書ヲ東京大蔵省ニ寮ヲ設ケタル国債頭ニ差出スヘシ○此願書ニハ右発起人等ノ姓名宿所資本金額入金スヘキ株数等ヲ詳細ニ記載スヘシ
 第二節 国債頭ハ此願書ヲ落手シ、右発起人等ノ身許商業行状等ヲ探索シタル上ニテ創立許可ヲ交付スヘシ
第三条第一節 発起人等ハ国債頭ノ創立許可ヲ得ハ官許ノ新聞紙或ハ
 - 第13巻 p.250 -ページ画像 
他ノ方法ヲ以テ直ニ之ヲ公ニシ、資本金額ヲ募ル為ニ株式書込ノ案内ヲナスヘシ○此案内ニハ取引所定款ノ考案資本金ノ総株数並ニ発起人等ヨリ入金スヘキ株高ヲ明細ニ記載スヘシ
 第二節 取引所ノ資本金ハ毎株百円宛ニ取極メ、発起人等ヨリ少ナクトモ其総高ノ三分一ヲ入金シ、残高三分二ヲ世上ニ案内シテ書込ノ株主ヲ需ムヘシ
第四条第一節 発起人等ハ新聞紙ヲ以テ公達シ、右ノ案内ニ応シタル株主等ノ集会ヲナシ、投名法ヲ以テ三十株以上ヲ所持シタル株主中ヨリ差向キ五人以上ヲ選ミテ肝煎トナスヘシ○但シ発起人株主ノ別ナク一株ニ付一説ヲ吐クノ理アルヘシ
 第二節 此撰挙ニ応シタル肝煎等ハ同寮中ヨリ又二人ヲ選ヒテ之ヲ頭取・副頭取トナシ、共ニ取引所ノ事務ヲ管轄シ創立ノ上追テ定式集会ノ選挙迄在職スヘシ
 第三節 肝煎ハ支配人書記勘定方簿記方其余必用ノ手代等ヲ命シ、取引所ノ要件録日記簿記ノ法ヲ定メ取引所建築ノ事務ニ取掛ルヘシ○但支配人以下ノ者ハ株主社員ノ内ヨリ選任スルト限ニ及ハス、其職務ニ耐ヘキ人物ヲ択ミテ命スヘシ、尤支配人ニ属スヘキ者共ノ進退ハ支配人ヨリ肝煎ニ申立ルノ権アルヘシ
第五条第一節 肝煎ハ此条例ノ趣意ニ違背セサル株式取引ノ成規、社員申合規則等ニテ商業ノ為ニ緊要ナリトスヘキ箇条ヲ取定メ国債頭ヘ其正写ヲ差出スヘシ
 第二節 頭取ハ支配人ト共ニ株主等ノ入金ヲ交収シ、資本金総高ノ三分二ヲ以テ日本政府ノ公債証書ニ引替ヘ、其証書ノ種類利息番号枚数等ヲ詳細ニ書タル別冊ヲ添ヘ、取引所ノ確実ナルコトヲ保証スル為ニ之ヲ公立ノ銀行ニ預ケ公印ヲ鈐シタル請取書ヲ乞受ヘシ
 第三節 頭取支配人ハ銀行請取書ヲ国債頭ニ持参シ資本金三分二ノ実額ハ之ヲ銀行ニ預ケ置タルニ相違ナキコトヲ証シ、其書面ニ請取書ノ正写ヲ添フヘシ○但シ此正写ニハ銀行ノ公印ヲ具フヘシ
第六条第一節 国債頭ハ頭取支配人ヨリ取引所ノ名ヲ以テ銀行ニ預ケタル公債証書ノ実額資本金ノ三分二ニ相違ナキ実証ヲ得ハ、其残高三分一ヲ以テ事実ノ入費ニ供シ開業ニ取掛リ差支ナキ哉否ヲ思考シテ後ニ開業免状ヲ交付スヘシ○但シ国債頭ハ開業ノ上ニテ追テ其商業ノ模様ヲ撿査シ売主買主ヨリ差入タル証拠金ノ合高ヲ見合セ凡其四分一ニ応スル丈ノ高ニ資本金ヲ増加セシムルノ権アルヘシ
 第二節 頭取支配人ハ開業免状ノ写ヲ添ヘ、何月何日ヨリ取引所ヲ開キ商業ヲ始ムヘキ旨ヲ新聞紙ヲ以テ公布スヘシ
第七条第一節 頭取副頭取肝煎支配人書記勘定方簿記方等都テ取引所ノ事務ヲ取扱フ者ハ、取引所ニ於テ株式ノ売買本人或ハ仲買人タルコトヲ許サス
    ○肝煎ノ規則
第八条第一節 毎年二月一日ニハ株主並ニ社員ノ定式集会ヲ催シ、投名法ヲ以テ十人ニ下ラス二十人ニ過サル肝煎ヲ選挙シテ旧肝煎ト交代セシムヘシ○但シ此選挙ハ株主並ニ社員ヨリ凡ソ同数ニナスヘシ
 第二節 肝煎ハ一ケ年在職タリト雖モ選挙ニテ重年スルノ理アルヘ
 - 第13巻 p.251 -ページ画像 
シ、又事故アリテ欠員トナル時ハ十日前ヨリ通達シテ集会ヲナシ新員ヲ補フヘシ
 第三節 新肝煎ハ定式集会ノ手初ニ同僚中ヨリ頭取並ニ副頭取ヲ撰挙シ、翌年迄在職セシムヘシ○但シ選挙ニテ重年スルノ理アルヘシ又欠員ノ節ハ速ニ再選シテ之ヲ補フヘシ
第九条第一節 肝煎ノ会議ハ衆説ヲ採ル、若シ可否ノ発言同数ノ時ハ頭取ノ発言ニテ之ヲ決スヘシ○但シ会議ハ出席ノ肝煎半数ニ下ル時ハ之ヲ初ム可ラスト雖モ差向タル事務ハ其限ニアラス
 第二節 肝煎ハ金銀ノ出納家屋ノ営繕ヲ除クノ外ハ何事ニ眼ラス一般ノ事務ヲ評議シ、時々相当ノ規則ヲ設ケ又ハ之ヲ更正スルノ権アルヘシ
第十条第一節 肝煎ハ毎月二ノ日七ノ日ヲ以テ集会定日トナシ、毎月六回午前第十時ヨリ会議ヲ初ムヘシ、其会議スヘキ事務ハ之ヲ二類ニ分ツ如左
  定式事務 会議要件録ノ読上ケ取引ノ報告社員並ニ手代ノ進退等ナリ
  臨時事務 売買ノ差縺或ハ社員ノ間又ハ社外ノ人トノ間ニ起リタル事件ノ詮議等ナリ
 肝煎集会ノ案内ニハ定式事務ト臨時事務トヲ区別シテ取引所ニ掲示スヘシ
 第二節 肝煎ヘノ報告其他ノ書面ニモ皆姓名ヲ具フヘシ、無名ノ書面ヲ出ス可カラス
第十一条第一節 取引所ノ売買差縺ニ付社員ニ対シ社外ノ者ヨリ肝煎ノ取扱ヲ乞フト雖モ格別ノ情実ニ非レハ之ヲ取上ヘカラス、但シ相手人社員ニ願人社外ノ為ニ仲買ヲ勤メタル時ハ此限ニ非ス
 第二節 此場合ニ臨マハ社外ノ願人ハ肝煎ノ取扱ヲ乞フ廉ヲ以テ、社員同様ニ肝煎ノ取捌ヲ相守リ決シテ違背致ス間敷旨ノ誓詞ヲナスヘシ
第十二条第一節 肝煎ハ同僚中不行状ノ者アリテ職掌ヲ尽サヽル時ハ事宜ニヨリテ其者ヲ免職スヘシ、但シ肝煎中ヨリ商議掛ヲ命シテ其是非ヲ議シ、次回集会ノ節肝煎ノ無名投書ノ法ヲ以テ三分二以上ノ説ニ従ヒ其可否ヲ決スヘシ
 第二節 肝煎又ハ社員中ニ不正ノ所業ヲナシ規則ヲ犯シ肝煎ノ取捌ニ従ハサル者アラハ、衆議ニヨリテ之ヲ除名スヘシ
 第三節 肝煎ハ株主社員ノ手ニテ設ケタル私則慣習法ヲ廃止スル権アリト雖モ、此権ヲ施スニハ先ツ集会ニテ之ヲ評議シ次回ノ集会ニテ決議スヘシ
    ○株主並ニ株手形譲渡ノ規則
第十三条第一節 株主ハ何時ニテモ取引所ノ社員トナリテ諸公債株式書証券等ノ売買ヲナシ或ハ中買ヲナスコトヲ得ヘシ○但シ五株以下ノ株主ハ常例ノ手数ヲ経サレハ社員タルコトヲ許サス、且ツ株主タリトモ取引上ニ於テハ都テ之ヲ社員ト唱フヘシ
 第二節 株主ハ肝煎ノ許可ヲ得ルニ非レハ取引所ノ株手形ヲ売ヘカラス、質入ス可ラス、又其株ヲ質入トナシタル人ハ一切発言ノ権ナカルヘシ、肝煎ニ選挙セラルヽコトヲ得サルヘシ
 第三節 質入ノ株手形債主ノ方ヘ流込トナル節ハ旧株主ヨリ書面ヲ
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以テ肝煎ニ報告シ、新株主ヘ譲渡ノ手数ヲナスヘシ
    ○社員ノ規則
第十四条第一節 取引所ノ社員ニ新入シ或ハ復社セント欲スル者ハ毎年二月二日ヨリ三月一日迄並ニ八月二日ヨリ九月一日迄ニ書面ヲ以テ肝煎ニ申出ヘシ、此書面ニハ姓名宿所年齢商業等ヲ記シテ調印シ証人ノ連印ヲ要スヘシ
 第二節 肝煎ハ毎年四月一日十月一日ニハ取引所ノ社員トナシテ相当ナリト思考スヘキ人物ヲ社員ニ新任シ或ハ復社セシムヘシ○但シ入社ノ期限ハ一ケ年限ト定メ毎年新任重任ト心得ヘシ、尤身元金ハ金五百円ト取極メ当日之ヲ支配人ニ差出スヘシ
 第三節 社員望ミ人ハ取引所ノ株主或ハ社員ノ内ニテ二ケ年以上入社シタル三名ヲ以テ証人トナスヘシ、此証人ハ望人新任ノ月ヨリ二年内ニ違約人トナル時ハ銘々金五百円宛ヲ債主ニ弁フヘキ旨ヲ肝煎ニ約スヘシ○但シ創立ヨリ二年間ニ社員タル者ハ社外ノ人ヲ以テ証人トナスコトヲ得ヘシ
 第四節 望人既ニ四年ノ間取引所ニ於テ社員ノ手代ヲ勤メタル時ハ其証人ハ二名ヲ以テ足レリトスヘシ
第十五条第一節 新任又ハ復社望人ノ姓名ハ証人ノ姓名ト共ニ選任前少ナクトモ八日ノ内ニ之ヲ取引所ニ張出スヘシ○但シ望人入社ニ付故障ノ筋アリト思考スル者ハ其趣ヲ封書ニテ肝煎ニ報知スヘシ
 第二節 証人ハ望人ト従来ノ知己タル可キヲ以テ其身代向行状等ニ付尋子アラハ逐一肝煎ニ報知スヘシ
 第三節 取引所トハ更ニ関係ナキ諸会社ノ役人或者他ノ株式売買所ニ加ハル者ハ社員タルヲ許サス、若シ之ヲ隠シ他日露顕ノ節ハ違約人ト見傚シ直ニ其者ヲ除名シ身許金ヲ返サヽルヘシ
第十六条第一節 一度破産ヲナシ或ハ借財滞ニテ公裁ヲ受クル者ハ其借財返済ノ仕法聢ト相立タル実証ヲ見ルニ非レハ社員トナスヲ許サス、若又分散両度ニ至ル者ハ借財皆済ニ非レハ入社ヲ許サヽルヘシ
 第二節 二ケ年以上社員トナリテ此条例ニ違背セス申合規則ヲ破ラス又破産シタルコトモナク只自己ノ都合ニテ除名シタル者、再ヒ復社ヲ望ムトキハ臨時ニ身許金ヲ納ムル丈ニテ別ニ証人ヲ要セス○但シ二ケ年以上ノ除名ナラハ新入同様ニ条例ノ手続ヲナスヘシ
 第三節 申合規則ニ違背シタル者、或ハ破産シタル者、臨時ノ復社ヲ望マハ之ヲ取引所ニ張出シ、肝煎ヨリ商議掛ヲ命シ其借財向仕法相立タル実証ヲ表スル為ニ社員中ノ債主等ヨリ満足ノ趣ヲ記シタル連印ノ書面ヲ出サシムヘシ、尤此書面ニ詐偽アラハ規則通リノ取扱ヲ受ケ異存ナキ旨ノ証書ヲ当人ヨリ出サシムヘシ○但シ此望人一ケ年以上ノ除名ナラハ臨時ノ復社ヲ許サス条例ノ手続ヲナサシムヘシ
第十七条第一節 社員タル者自己ノ都合ニテ除名セント欲スル者ハ三月一日又ハ九月一日迄ニ肝煎ニ申立身許金ヲ取戻スコトヲ得ヘシ
    ○社員組合規則
第十八条第一節 毎年社員ノ選任相済タル上ハ速ニ社員組合目録ヲ刊行スヘシ○但シ社員ハ互ノ申合ヲ以テ五人一ト組トナリ、之ヲ肝煎ニ報知シ身許組合ト心得ヘシ
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 第二節 若此組合ノ一人破産スル歟、違約人トナリテ破産ニ及ヒ尚オ返金ノ仕法ニ十分ノ実額ナキトキハ肝煎自余ノ四人ヲシテ若干ノ金ヲ出サシムヘシ○右ニ付組合ノ者ハ互ニ忠告シ此条例並ニ申合規則ニ違背セサル様ニ心付ヘシ、若シ組合中ニ不正ノ事アルヲ見当ラハ速ニ其趣ヲ肝煎ニ通達スヘシ
    ○社員手代ノ規則
第十九条第一節 社員タル者其名代トシテ手代ヲ取引所ニ出サント欲スル時ハ書面ニテ其趣ヲ肝煎ニ申出ヘシ○此書面ニハ当人ノ宿所姓名年齢廿歳未満ヲ許サス勤年限取扱フヘキ事務金銀取引ノ権ノ有無ヲ細記スヘシ
 第二節 肝煎ハ此書面ヲ八日ノ間張出シ置、異存ノ人ナキ時ハ会議ニ出シテ之ヲ承諾スヘシ、此承諾ナキ前ハ決テ手代ヲ取引所ニ出ス可カラス
第二十条第一節 手代ノ姓名ハ其主任ノ姓名ト共ニ取引所ニ掲示シ、其主人ヨリ別ニ報知ナキ間ハ手代ナリト心得ヘシ○右ニ付手代タル者其主人ニ代リテ取結タル約定ハ都テ其主人ノ引受タルヘシ
 第二節 手代ニ暇ヲ遣ハス歟、或ハ其主任ノ権ヲ解ク時ハ主人ヨリ直ニ肝煎ニ報知シ、肝煎ハ其報知ヲ取引所ニ掲示シ其姓名ヲ取消スヘシ
 第三節 主人除名セラルヽトキハ其手代モ同様ニ出入ヲ禁セラルヘシ○但手代違約人トナルトモ主人ヨリ其損耗ヲ債主ニ償フ時ハ、手代ノ出入ヲ禁スル迄ニテ主人ハ尚ホ社員タルコトヲ得ヘシ
    ○取引所一般ノ規則
第廿一条第一節 取引所ニ於テナスヘキ株式等ノ売買ハ固ヨリ社員ニ限ルコトナレハ、諸事申合規則ヲ遵奉スヘシ
 第二節 取引所ニ於テ私ニ取引ノ約定ヲ結ヒ、之ヲ公ニセサル社員ハ双方トモ違約人トナスヘシ
 第三節 他ノ社員ト約定ヲナシ、之ヲ破リタル社員ハ違約人トナスヘシ
 第四節 此違約人ノ姓名ハ頭取或ハ肝煎二名ノ差図ニテ之ヲ取引所ニ張出シ、其当日ヨリ出入ヲ禁スヘシ
 第五節 違約人ヨリ内済示談ヲ申来ラハ債主ハ之ヲ肝煎ニ申出協議ノ上ニテ其示談ヲ聞届クヘシ
 第六節 取引所ニ於テ公私ノ場所ヲ論セス手代タル者其主人ノ耳目ヲ忍テ不正ノ取引ヲナスコトアラハ、肝煎ハ事情ヲ探偵シテ其主人タル社員ニ忠告スヘシ、若シ此忠告ヲ納レサル社員アラハ肝煎ノ衆議ニヨリ相当ノ処分ヲナス可シ
 第七節 取引所一般ノ取締ニ関係ナキ差縺社員ノ間ニ起ラハ肝煎ハ仲人ヲ命シテ之ヲ和解セシムヘシ、若シ仲人ニテ処置シ難キ時ハ肝煎ノ一人之ヲ承リテ和解スヘシ
第二十二条第一節 取引所ニ於テ取結タル売買約定ノ取消ハ、其約定ニ詐偽アル確証ナキ以上ハ肝煎ハ其申出ヲ取上ケサルヘシ
 第二節 取引所ノ証拠金並代金ハ都テ銀行ノ切手ヲ以テ仕払フヘシ若シ正金或ハ紙幣ヲ望ム時ハ前以テ其約定ヲナシ置、銀行切手ト引
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替ニテ之ヲ払渡スヘシ
第二十三条第一節 取引所ノ営業時間ハ毎日午前十時ヨリ午後三時迄ト定メ、歳首国祭等一般ノ祝日ハ休業タルヘシ
   ○取引所売買ノ規則
第二十四条第一節 都テ時日ヲ期セサル売買ノ約定ハ現場勘定ト見做スヘシ、此現場勘定ニ付差縺起ラハ必ス三日ノ内ニ肝煎ニ申出ヘシ
 第二節 売買ノ約定ハ十五日並ニ月末ノ日ヲ以テ仕切日ト定メ四仕切ヲ踰ユ可カラス、若シ差縺起ラハ其期日ヨリ七日ノ内ニ肝煎ニ申出ヘシ
 第三節 肝煎ハ右ノ申出ヲ承リ其相手方ニ迫リ従前ノ約定ヲ履マシムルコトニ尽力スヘシ
 第四節 約定ノ高ハ取引品ノ原価ヲ問ハス其日ノ相場実価ニ見合セ凡ソ百円以上タルヘシ
第二十五条第一節 約定日限ニ至ラハ買主ハ午後三時迄ニ代価ヲ持参シ売主ヨリ取引品ヲ買取ヘシ、若シ之ヲ怠ル時ハ、売主ハ右約定高ノ品ヲ他ニ売捌キ其損耗ヲ前約ノ買主ヨリ払ハシムヘシ、尤モ約定相場ト当日相場トヲ見合セ其間金ヲ出ス時ハ此約定ヲ解クコトヲ得ヘシ
 第二節 約定日限午後三時迄ニ売主ヨリ取引品ヲ売渡サヽル時ハ、買主ハ前同様ニ之ヲ他ヨリ買求メ其損耗ヲ前約ノ売主ヨリ払ハシムヘシ、尤モ間金ヲ出シテ約定ヲ解クコトヲ得ヘシ
第二十六条第一節 売買ノ相談ヲナシタル上ニテ之ヲ取引所ノ支配人ニ申出テ簿記ニ書載セ約定ヲナスヘシ、此時双方ヨリ証拠金ノ半高ヲ支配人ニ差入レ残半高ハ翌日午後三時迄ニ差入ヘシ○若此残証拠金ヲ差入サル時ハ其日ノ相場ニ見合セ前証拠金ヲ以テ間金ヲ仕払ヒ且ツ償トシテ約定高千分ノ五ヲ違約人ヨリ相手方ニ払ハシムヘシ
 第二節 証拠金ハ約定高ヲ当日相場ニ見合実額ノ二割五分宛四分ノ一ヲ売主買主ト双方ヨリ差入ルヘシ、尤モ相場ノ高低ニ応シ数度ニテモ増証拠金ノ追差ヲ支配人ヨリ相達シ、常ニ二割五分宛ノ高ヲ減損セシメサルヘシ
  譬ハ
   某路鉄道株手形  百株一株百円
      此原価   壱万円
   約定相場一株ニ付九十六円
      此実価   百株ニ付九千六百円
  此証拠金
      売主差入高 弐千四百円
      買主差入高 弐千四百円
 第三節 取引所ニ納ムヘキ手数料ハ左之通タルヘシ
  定期取引手数料  実価百円ニ付  弐拾銭
  現場取引手数料  同       拾銭
 ○但シ仲買口銭ハ頼人トノ示談ニ任スヘシ
第二十七条第一節 取引品ハ売主ヨリ買主ニ対シテ其確実ナルコトヲ保証シ、利息割賦金元金ヲ請取ヘキモノハ其手続ヲツケ一切難儀ヲ
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懸サルヘシ
 第二節 買主ハ又記名ノ証券等ハ其手続ヲ歴テ之ヲ領収スヘシ、若シコノ取引ニ付何様ノ難事差起ルトモ此手続ヲ歴サレハ肝煎ハ一切之ヲ取扱ハス、都テ公裁ヲ仰テ其理非ヲ決セシムヘシ
 第三節 記名ノ証券等ノ書替手続ハ至当ナル延引アラハ格別ナリト雖モ約定日限後十五日ノ内ニ売主ニテ手続ヲナシ買主ヘ渡スヘシ、但シ拙籤或ハ他ノ方法ヲ以テ時日ヲ定メ受取ヘキ元金利息割賦金等ハ仮令証券類ノ書替前タリトモ約定日限ノ後ハ都テ買主ニ属スヘシ
第二十八条第一節 取引所ノ書記ハ当日前三ケ日間ノ平均相場ヲ執リ之ヲ当日ノ建相場トシ、毎朝取引所ノ塗板ニ書出スヘシ
 第二節 相場ハ高直低直平均直取引直ノ四類ニ分チ、官許ノ新聞紙或ハ他ノ方法ヲ以テ毎日之ヲ世上ニ公ニスヘシ
    ○新公債新株式等売買ノ規則
第二十九条第一節 取引所ニ於テ新公債並ニ新株式ノ売買ヲ承諾スルコトハ臨時ノ事務タルヲ以テ、肝煎ハ臨時集会ヲ以テ之ヲ議決スヘシ
 第二節 日本政府ヨリ発行スヘキ新公債或ハ地方官庁ヨリ発行スヘキ新債ハ、大蔵卿或ハ地方長官ヨリ其公債ノ全額年限約定利息名称種類実価等ニ至ル迄明細ノ布達ヲ得ハ、肝煎ハ直ニ臨時集会ヲ以テ其売買ヲ公ニ承諾スヘシ
 第三節 右ノ布達ヲ得ルト雖モ猶其計算ヲ明瞭ニ解シ難キ時ハ頭取或ハ肝煎ヨリ幾度ニテモ大蔵卿或ハ地方長官ニ対シ細密ニ報告ヲ求ルノ理アルヘシ
 第四節 此新債若シ社員或ハ他ノ銀行ノ類ニテ之ヲ引受ケ売捌ヘキ約定ヲ政府ト結ヒテ之ヲ発行スル時ハ、政府ノ布達ト約定書ノ正写ヲ添テ肝煎ニ申出スヘシ
 第五節 此新債ヲ発行スルコト若シ政府ノ急務ニ当テハ、公債案内書込証書又ハ月賦入金請取書タリトモ本紙ノ証書同様ニ心得、公ニ之ヲ売買スルコトヲ承諾スヘシ
第三十条第一節 新設会社ノ株式ヲ売買セント欲スル社員ハ其趣ヲ書面ニ認メ肝煎ニ差出スヘシ
 第二節 右ノ書面ニハ左ノ証書類ヲ添テ差出スヘシ
  一新設会社ノ要件略記 会社創立ノ目的発起人入金株数資本金総額入金月賦割募金見込ノ高ニ達セサル時之処分等ヲ記載スヘシ
  一政府ノ条例或ハ開業免状ノ写
  一会社定款或ハ申合規則ノ写
  一株手形或ハ抵当証書発行免状ノ写
  一頭取支配人調印ノ株式帳
  一書込済株数ト書込未済株数トヲ明細ニ記タル書面
  一得意ノ銀行ニ預ケタル金額
 右ノ書類ハ確実ナルコトヲ証スル為ニ其会社ノ頭取支配人一々之ニ調印スヘシ
 第三節 肝煎ハ右之書面ヲ会議ニ出シテ可否ヲ決シ、愈々公ニ売買スルコトヲ承諾スヘシト決定セハ、右株式引受ノ者ヲシテ書面ノ通ニ詐偽ナキ誓詞ヲナサシメテ後ニ何月何日ヨリ公ニ相場ヲ立テ、官
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許新聞紙ニ之ヲ書載スルコトヲ許ス可シ
第三十一条第一節 新設会社ノ目的創立ノ方法ヲ論セス猥リニ其株式ヲ売買セン為ニ社員ヨリ其株式ヲ取引所ニ新入セシメント謀ルコトアリ、肝煎ハ是等ノ事ヲ兼テ厳禁ト為シ若シ之ヲ謀ル社員アラハ相当ノ処分ヲナスヘシ
 第二節 前文ノ弊害ヲ予防セン為ニ肝煎ハ新設会社ノ株式売買ヲ許ス前ニ、事宜ニヨリテハ見分ノ者ヲ遣ハシ其工業或ハ商業ヲ撿査セシムヘシ、尤モ其入費ハ肝煎ノ差図ニ従ヒ望人ヨリ之ヲ弁フヘシ
 第三節 新設会社ニ限ラス従前ヨリ株式ヲ公売スル会社ト雖モ、肝煎ノ衆議ニヨリテハ右ノ撿査ヲ遣ハシ実際ヲ目撃セシムルノ権アルヘシ
    ○利益金積立金並ニ俸給ノ規則
第三十二条第一節 銀行ニ預ケタル公債証書ノ利息ハ之ヲ取引所ノ利益金ニ加フヘシ○此公債証書ハ必シモ同種ノ証書ヲ限ルニアラス、若シ抽籤ニ当リ元金ヲ請取ヘキ時或ハ他ノ事情アル時ハ実額ニテ同高ノ証書ヲ出シテ預ケ替ヲナスコトヲ得ヘシ
 第二節 毎年六月十二月ノ両度ニハ半ケ年間取立タル手数料ノ合高公債証書ノ利息並ニ其余ノ利益ヲ合算シ、其内ヨリ営繕修理商業ノ入費税金俸給等ニ至ル迄取引所ニ関係シタル一切ノ費用ヲ引去リテ後金ノ残高ヲ以テ純益トナスヘシ
 第三節 毎年二月一日八月一日ノ両度ニハ株主等ノ総集会ヲナシ、頭取支配人ヨリ半季商業ノ報告ヲ明細ニナシ、其節純益ヲ株数ニ割合セ夫々ニ配当スヘシ
 第四節 若シ此純益一ケ年一割百分ノ十以上ノ利息ニ当ル時ハ、肝煎ノ集会ヲ以テ割賦高ノ内何分歟ヲ引去リ取引所ノ積立金ト為シ置ヘシ
第三十三条第一節 頭取副頭取肝煎ノ給料ハ株主ノ総集会ニテ之ヲ取定ムヘシ
 第二節 支配人書記勘定方簿記方手代番人其外ノ給料ハ肝煎ノ衆議ニテ之ヲ取定ムヘシ
    ○税金並ニ報告ノ規則
第三十四条第一節 取引所ヨリ納ムヘキ税額ハ開業後六ケ月間ノ実際報告ニ拠テ之ヲ取極ムヘシ
第三十五条第一節 取引所ノ頭取支配人ハ国債頭ニ左ノ報告ヲ出スヘシ
 第一 取引所実際毎月報告  一ケ月間公債証書株手形抵当証書地券等都テ取引所ニ於テ売買シタル品ノ合高ト平均相場トヲ記載シテ差出スヘシ
 第二 取引所実際半ケ年報告 同上ノ趣ヲ記載シ二月一日八月一日迄ニ差出スヘシ
 第三 同上一ケ年報告    同上ノ趣ヲ記載シ三月一日迄ニ差出スヘシ
 第四 利益金割賦報告    利益金一株ニ付何程ニ当リ積立金並ニ純益割賦高ヲ現ハシ配当ノ日ヨリ十日ノ内ニ差出スヘシ
 第五 役人株主社員姓名表  姓名宿所商業株数等ヲ記シ四月一日ヨリ十五日ノ内ニ差出スヘシ
 第六 頭取副頭取肝煎支配人上任報告 新任ノ度コトニ其印鑑ヲ添テ差出スヘシ
第三十六条第一節 取引所毎日出納ノ金額証拠金ノ出納取引ノ金高取引品ノ種類並ニ約定高ヲ明瞭ニ簿記シ日報ノ用ニ備フヘシ
 第二節 凡ソ簿記ハ都テ口分ヲナシ極メテ明瞭ニ記シ置其筋ノ官員並ニ株主等ヨリ望ム時ハ何時ニテモ差支ナク之ヲ示シ、明細ニ計算
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ヲ知ラシムヘシ、頭取支配人尤モ其責ニ任スヘシ
    ○条例改正ノ規則
第三十七条第一節 日本政府ハ此条例ヲ実践セシメ若シ妨碍ノ廉アラハ便宜之ヲ改正スヘシ
右之通相定候事


〔参考〕青淵回顧録 上巻・第四七三―四七六頁〔昭和二年八月〕(DK130027k-0020)
第13巻 p.257 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕伊藤博文秘録 (平塚篤編) 第一七〇―一七三頁〔昭和四年三月〕(DK130027k-0021)
第13巻 p.258-260 ページ画像

伊藤博文秘録 (平塚篤編) 第一七〇―一七三頁〔昭和四年三月〕
    四八 我国取引所の創設問題
爾来御清祥不相変御繁忙之段奉拝察候、去説此度大阪ヘ立寄候処、彼ノブールス始末一件ニ付而ハ、実業家之面々万一モ従前ノ勅令水泡ニ帰候様ニ而ハ、将来之影響不容易ト甚心配之趣、い細事情ハ、藤田ヨリ御聞取ノ事ト存、不敢贅、愚意ニ而ハ、万一ブールス設立相止候事ニ相決候ヘバ、勿論商法抔ノ日本ニ可被行ハ夢ニモ難見、商法ニハ仲買ノ資格頗ヤカマシク、然ルニブールス設立不相成シテ仲買ノ資格抔ヲ厳重ニ可取極要用ハ無之歟ト奉存候、是等之事、不申上共、万々御詳知之議ニ而、頗ル贅言ニ候ヘ共、後日噬臍之悔為無之、篤ト御取調処祷候 匆々
  九月四日                   博文
    世外老台
  尚、今晩乗船馬関ヘ向ケ発航、廿日過ニハ帰京可仕、万譲拝晤
                          匆々不尽
      ×
 此の書はいつ頃書かれたものであらうか、日本に取引所の出来たのは明治十二年の事であるから、其の前後のものに相違ない。私は明治六年に大蔵省をやめて、銀行の組織に著手すると共に、一方に取引所の設立がどうしても必要だと考へたので、機会ある毎に主張した。私が松平昭武公の御伴をして仏国に往つたのは、慶応三年の事であつたが、当時仏国はナポレオン三世の治下で、パリには世界大博覧会が開設されて居た。私は此時に銀行と取引所が、いづれも一国の経済界を調節する為め、どうしても無ければならぬものであると云ふ事を、痛切に感じたのであつた。
 其後大蔵省の役人になつてからも私の此の主張に変りはなかつたが何を云ふにもアヽした際であつたから別に専門の学者があるのでは無し、調査をすると云つても並一と通りの事では出来ない。明治三年伊藤公に随伴して洋行した福地源一郎が一と通りの組織は調査して来たが、元来が其の畑の人でないから、極めて大ザツパなものであつた。又あの人に専門的な緻密な調査は望む方が無理だつたかも知れない。
 所で明治六年に官を辞して、銀行組織に著手すると、是非とも取引所を設置せねばならぬと云ふ念が一層強く響いて来た。それから有らゆる方法を尽して、英仏米各国に於ける取引所に就いて研究し調査した結果が、有価証券を以て金融上の最も便利な位置に置かしめる事、即ち簡便に金融調達の用途を充さしむる為めには、取引所は是非とも無ければならぬものであると判つたので、私は一層熱心な主張を繰返した。
      ×
 所で此の私の主張に対して、最も有力な異説を挟んだのは玉乃世履であつた。玉乃は元来裁判官であつたから、其の得意の法律上から解釈して、先約取引は立派に投機であり、同時に賭博である。之を売買して、双方共に利益を得ると云ふのならば宜しいが、一方の損は他方
 - 第13巻 p.259 -ページ画像 
の利であり、常に損益が相反すると云ふ如きは、仮令事柄は如何に緊要なものでも、斯る賭博的な事を法律で許可する事は出来ぬ。かう云つて強硬に反対した。
 私は玉乃とは一緒に大蔵省に居た関係もあり、極めて懇意の間柄であつたから、此の事に就いては随分劇しく論じ合つた。けれども私が幾ら詳しく説明しても、玉乃は頑として聴かない。友人としての渋沢財政家としての渋沢は尊重するが、何も彼も便宜のみに従ふ如き説は断じて承服する事が出来ぬ。かう云つてしまひには喧嘩腰にまでなつた事などもあつた。
      ×
 其の後、明治八年であつたが、突然玉乃が私の家を訪ねて来た。一寸近所へ外出して居たら、大急ぎで呼び戻してくれ、との事だと云つて、家人が私を迎へに来た。それで帰つて全体何がそんな急用なのだ訊くと、渋沢君申訳がない、取引所の事でボアソナード(仏人)に逢つて色々論じた所が、イヤもう散々にやられてしまつた。そしてボアソナードは口を極めて我輩の説を根底から覆し、お前は法理々々と云ふが、法理上さう云ふ事は往々にして有り得る行為である。仮令直接でなくて、間接であつても、結果に於ては同一だ。故にお前の議論は決して正鵠を得て居るとは云はれぬ。先約取引に於て、一方の損益は到底免れ難いもので、それを不可とするのは、人間の活動を無視するものである。事理を解せぬも甚しい。かう云つて我輩の見解が正当でない事を縷々説明してくれた。もう一言もない迄やられてしまつた。段々説明されてみると、我輩の議論が間違つて居たのがよく解つた。かうなつて見ると、どうも君に黙つて居る訳に行かぬからやつて来たのだ、もう降参したと云ふ事であつた。それから私が、それ御覧なさい、私は決して今威張らうとは云はぬが、もう反対はせぬだらうなと云ふと、反対はせぬと云ふ。それから大隈大蔵卿に逢つて、もう玉乃も喧しく云はぬさうだから、どうか法令を制定して貰ひたいと云つたが、調査やら何やら手間どつて、愈よ許可になつたのは明治十一年の事であつた。伊藤公や井上侯達は初めから許可の意見であつた。これがブールス問題の概略である。
 我邦の所謂取引所なるものは斯うした経緯があつて生れ出たものであつたが、如何に小さな事でも、一つの纏つた事を創始すると云ふ事は思ひ寄らぬ骨折の伴ふものである。今日日本経済界の中枢機関となつてゐる銀行と云ひ、取引所と云ひ、其の源を尋ねれば、一として公の努力に成らぬものはない。つまり公の如き偉大なる人物があつて、指導してくれたればこそ、不肖渋沢の如きも、どうやら其目的を達成する事が出来たのである。
               ――子爵 渋沢栄一氏談
   ○本資料中、伊藤博文書翰ハ所謂ブールス問題ニ関スルモノナレドモ、所謂ブールス問題トハ明治二十年代ニ論議セラレシモノニシテ東京株式取引所設立問題ノ謂ニアラズ、且ツ東京株式取引所ノ創立ハ明治十一年ニシテ十二年ニアラズ。本書翰ハ農商務大臣在任中ノ井上馨ニ宛テラレタルモノニシテ明治二十一年七月ヨリ二十二年十月ニ至ル間ノコトナルベシ。而シテ明治二十一年九月伊藤博文等日本海ノ形勢視察ノ為メ、馬関ヲ解纜スルノ
 - 第13巻 p.260 -ページ画像 
コトアルニヨリ思フニ明治二十一年九月四日付ノモノナラン。然レドモ此処ニ述ベラレタル株式取引所設立ニ関スル事情ハ甚ダ注目スベキモノアルモノノ如シ。尚本資料ハ国民新聞昭和三年十二月七日号ニ「春畝公秘録」第六十七回分トシテ掲載セラレシモノナリ。


〔参考〕雨夜譚会談話筆記 下・第六三四―六四〇頁〔昭和二年一一月―五年七月〕(DK130027k-0022)
第13巻 p.260-261 ページ画像

雨夜譚会談話筆記 下・第六三四―六四〇頁〔昭和二年一一月―五年七月〕
    第二十三回雨夜譚会       ○昭和四年二月十六日於丸ノ内仲通渋沢事務所
○上略
先生「株式取引所に就ては詳しく御話すると其の歴史は実に長いのであります。でどうしても経済上金融を完全にしようと云ふには証券類の取引が出来ねばならぬ、金と物との直接交換を一層進める為にも、有価証券の取引の旺んになる必要がある、殊に合本法の事業としてはその証券の売買の多いことが事業の発展を促すことになると考へたので、外国にあるストツク・エキスチエンジの如きものを明治五・六年の頃、既に私は銀行者になつて居りましたので、我が国にも設置した方がよいとして、許可させるやうに主張した。然るに当時の輿論とは云へないであらうが、多くの人々は「限月の先商ひは現に大阪の商社で旧幕時代からの米売買をやつて居るが、それは全然投機否賭博で、天気のよしあし、雨風の模様で空相場を為すもの故、斯かるものと同様の取引を為すことは純然たる賭博であるから許可すべきでない」と証券の取引所の組立に対しては政治上同意しなかつた。のみならず寧ろ悪み見る程であつた。銀行の起つたのは明治六年であるが、当時大隈侯が大蔵省へは入つて居り、私は懇意であつたから、此の事情を申出でたけれども、中々反対の議論が強く、今少しく詮議しなければならぬとて、おいそれと許可されなかつた。就中玉乃世履と云ふ人が洋学ではなく漢学の方であつたが法律に詳しく筆もたち議論も立つ人で、反対論者として取引所の博打説を主張して少しも譲らなかつた。私は玉乃とは大蔵省に奉職して居た当時から、懇意であつて、彼が故郷の岩国で蚕を飼養せしめたいと云ふので其練習の世話をしたりしたこともあり、至極心安くして居たので、此の問題に就ては常に是非の議論を闘はし、玉乃が「お前は博打を奨励するのか」と云へば「いや君は産業の進展を阻げる」と云ひ、彼は法律上から、私は経済上から各々自分の信ずる点を主張したものである。従てそれが主でもなかつたらうが、大蔵省が米国の株式取引所の有様などを取調べ、合本法が行はれる以上株式の売買も必要であることが判つたけれども、反対論が強いので私等の云ふことは聞かれなかつたのである。私が小川町から兜町へ転居したのは明治六年であつたから、その年かその翌年かであつたと思ふが、突然玉乃が兜町へ訪ねて来て「今日は正直な話が、お前に平身低頭して悪かつたとお詫すると同時に未来のことも相談したいと思つて来た」と云ふので「どうしたのか」と聞くと「私交上のことではなく公のことだ」とて「株式取引所での延売買は博打であるとて貴公と議論して居たが、此間教へられて自分の誤つて居たことを覚つた。而もそれが外国人のボアソナードから聴いたのである
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が、種々議論の末例を挙げて論破せられた。彼から株式取引所を許可しないのは、人の智識の進みを抑へつけるやうなもので、それは国家を富ます所以でない、といろいろ説明され遂に屈服した。それに就ては渋沢に先づお詫びせねばならぬと考へて来たのだ」と申します。私は「それは御奇特なことで、それでは実際は行はれるやうにしなければならぬ」と此処に両者の意見も一致し、株式取引所が起し得られるやうになつて、明治十一年に成立したのが東京株式取引所であります。以上は株式取引所の出来た歴史であるが、成立したものに対しても少し改善せねばならぬ、第一に株式会社であるよりも会員組織の方がよい、英国のものがさうである、などゝ云ふ人も多く、ボアソナードも会員組織がよいと説明し、当時井上さんが農商務大臣となつて居り、色々外国の事情や実際の取引の有様を調査せしめた。然し制度の改正は遂に出来ず今日に及んで居る。扨て其の取引に就ては論理上ボアソナードも私も博打でないと主張したものゝ、実際の有様はどうしても投機になるので、第一銀行の経営者たる私が其の尻押をして投機的な株式取引を旺んならしめると、銀行としては面白くないので、敢て近よらぬがよからうとて、其の方針で進んだ。此間の事情は佐々木君○勇之助などよく承知して居られる筈である。兎に角として株式取引所の設立には色々心配したが、出来上つてからは、第一銀行の経営者である処から、経営其他の関係の地位には一切立たなかつた。
 併し株式取引所の投機に流れる弊は完全に取り去ることは出来難いので、先契約の取引をすると米の取引と同様になる、即ち株の相場が上るだらうとて買あふれば金ぜめにすることも出来、安くなるだらうと売つて品ぜめも可能となるなど、暴戻な取引が行はれる。すると此処での有価証券の取引は世人の経済関係でなくなる。私は其後実際には入つてやらぬから、どうかうと云へぬが、理論の上から取引所は株式組織よりも会員組織の方がよいと論じたが、其の通りにはならなかつた。又事実上私達が最初論じたやうに投機的でない取引は行はれなかつたのである。
現在に就ても懸念が多い。然しなくてはならぬものであるから、今日の取引の風習は、弊害あると共に利益もあると云はざるを得ません。」
○中略
 先生「仏国でブールスを見たが、売買が実に自由であつた。それはコンマンダン・バンサンと云ふ民部公子一行の世話役が案内して呉れたので、「銀行へ預けるよりは公債か鉄道株かを買つた方が割がよい」とすゝめたからで、仲買の処へ伴れられて行き、たしか公債と鉄道株を買つたと憶へて居るが、まるで普通の商売と同じであるのに感心した。そして急に帰国せねばならぬことになつた時売りに行くと、株式の方は高くなつて居て、五百円ばかりも儲かり、面白いものだと感じたことがある。」○下略


〔参考〕東京株式取引所第一期営業報告 第五―六頁明治一七年四月(DK130027k-0023)
第13巻 p.261-262 ページ画像

東京株式取引所第一期営業報告 第五―六頁明治一七年四月
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    第一款 総況
取引所ノ商業世界ニ発生スルハ商業進歩ノ結果ニシテ決テ偶然ニ非ラザルナリ、凡ソ貨物の給需多キ者ハ取引繁盛ニシテ其売買ノ数夥多ヲ要ス、取引繁盛ニシテ売買夥多ヲ要スルトキハ衆人相集リテ其価格ヲ均一平和ナラシムルノ道生ス、此道生テ売買始テ便利ニ取引始テ安全ナルヲ得ヘシ、我カ株式取引所ノ成立シタルモ亦公債証書ノ給需日ニ増加シ其商業漸ク進歩シタルカ為メナリ、蓋シ政府ハ維新後ニ於テ漸ク公債証書ヲ発行セラレ、民間之ヲ売買スル者其数ヲ加ルヲ察シ、七年十月始メテ株式取引所条例ヲ定メ、凡ソ商業ノ為メニ緊要ナル地ニ於テハ株式取引所ヲ創立スルコトヲ許シ、且政府ノ既発未発ノ公債証書借用証券ノ譲与ヲ公認シタル者及ヒ官准会社ノ株券等ヲ売買取引スルヲ許可スル趣ヲ公布セラレタリ、是時ニ当リ東京ノ豪商中取引所ノ必要ナルヲ思惟シ之カ設立ヲ計画シタル者一二之レアリシト雖モ時機未タ熟セス、殊ニ仲買人五百円ノ身元保証金ト売買約定実価四分一ノ証拠金トノ制限ノ如キ其設立ヲ躊躇セシメ終ニ其功ヲ奏セサリキ
○下略