デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
25節 取引所
1款 東京株式取引所
■綱文

第13巻 p.502-503(DK130039k) ページ画像

明治20年5月17日(1887年)

是ヨリ先、東京株式取引所・東京米商会所ニ関係アル商賈等モマタ取引所ヲ創立セントシ、玆ニ栄
 - 第13巻 p.503 -ページ画像 
一等ト対立ノ形勢アルヲ以テ、農商務次官吉田清成協調ヲ勧告シタリ。是日、東京株式取引所相談役谷元道之・肝煎中野武営、渋沢邸ヲ訪ヒ、両派合同出願ニツキ協議略々整フ。


■資料

中外物価新報 第一五三四号〔明治二〇年五月一七日〕 ○取引所設立願者二派に分る(DK130039k-0001)
第13巻 p.503 ページ画像

中外物価新報 第一五三四号〔明治二〇年五月一七日〕
○取引所設立願者二派に分る 今度愈よ取引所条例が公布となりたるに付、府下の紳商重立たる商人にして会員となるべき資格ある人々凡百名計を今十七日銀行集会所へ招きて創立願の相談を遂けらるゝ由ハ既に前号の紙上へ記載せしが、右主唱者ハ渋沢栄一・大倉喜八郎・原六郎・安田善次郎・三野村利助・西村虎四郎・渋沢喜作・川崎八右衛門の八氏にて、先づ来会者中会員となることを望む者の中より投票を以て三十名の創立員を選挙し早々其筋へ設立を願出る由、然るに又一方に於てハ、朝吹英二・谷元道之・中村道太・三越得右衛門・大村和吉郎・小松彰・川崎八右衛門(両派に加り居らる)笠野吉次郎等の諸氏が主唱者となり、現今株式取引所並米商会所の仲買人を初め其他にて凡百四五十名の調印を取り其中にて創立員を撰み同しく設立を出願せらるゝ由、果して孰れへ団扇の揚るものにや


時事新報 第一五九一号〔明治二〇年五月一八日〕 取引所創立の協議(DK130039k-0002)
第13巻 p.503 ページ画像

時事新報 第一五九一号〔明治二〇年五月一八日〕
    取引所創立の協議
取引所条例発布ありしより株式米商両会所現在の株主仲買等の人々が申合せ取引所創立の願書を差出さんとなし、又渋沢・三野村・安田・大倉等の諸氏も一方に結合して創立の相談ある趣きなりとのことは前号の紙上に記載せしが、尚ほ聞く所に由れば吉田農商務次官は双方の重立ちたる人々を招きて、新条例を遵奉して取引所を設立するとならば双方協議して可成平和円滑に事を行ふべしと再三懇諭ありしに由り重立ちたる人々は色々と奔走して昨日も渋沢氏の宅に株式取引所の相談役谷元道之・同所肝煎中野武営の両氏会合して双方協議を遂げ、是迄双方に発起人となるべき人々の創立願書は一と先づ差控へ、更に河野敏鎌・渋沢栄一・早川勇の三氏が主唱者の総代たる資格にて夫々創立発起人たるべき人を指名し其人々と相談の上更に取引所創立願書を差出す事に略ほ治定せし由なれば、昨日午後七時より銀行集会所にて催ふしたる渋沢・川崎等諸氏の集会にては多分此等のことを協議したるならんと云へり