デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
25節 取引所
1款 東京株式取引所
■綱文

第13巻 p.537-544(DK130049k) ページ画像

明治20年8月4日(1887年)

是ヨリ先七月二十八日、東京株式取引所頭取河野敏鎌ハ株主総代ヨリノ農商務大臣宛営業延期請願書ノ進達方ヲ東京府知事高崎五六ニ出願セリ。是日東京取引所、栄一他十四名ヲ創立委員トシテ東京府知事高崎五六ニ届出ヅ。


■資料

添申録 農商課・東京株式取引所明治二〇年(DK130049k-0001)
第13巻 p.537-540 ページ画像

添申録 農商課・東京株式取引所明治二〇年 (東京府文庫所蔵)
  明治廿年七月廿八日    農商課主任属 関口良礼(印)
        農商課長           課僚(印)
 知事代理書記官
      第一部長(印)
    東京株式取引所ニ係ル願書進達按
    農商務大臣殿 知事
東京株式取引所頭取ヨリ別紙願出差出候間、則任情願及進達候也

第百八拾四号
    請願書差出願
当取引所株主総代平松甚四郎外九名ヨリ、別冊請願書農商務大臣ヘ進達方ノ義申出候ニ付、御庁ヲ経テ差出度、此段奉願候也
                東京株式取引所頭取
  明治二十年七月廿八日
                     河野敏鎌(印)
    東京府知事 男爵 高崎五六殿

第百八拾五号
    副申
当取引所営業延期之儀ニ付テハ本年五月九日各株式取引所頭取連署ヲ以テ上願仕置候、其後六月三日当取引所仲買人一同ヨリモ更ニ営業延
 - 第13巻 p.538 -ページ画像 
期請願書上呈ノ儀申出候ニ付其際進達仕置候儀ニ候処、本月三日株主臨時総会ニ於テ株主一同ノ希望ニ依リ総代人拾名ヲ撰挙シ株主一同ヨリモ猶営業延期請願書上呈可仕儀ニ決議相成、依テ今般右総代人共ヨリ別紙請願書進達ノ義申出候ニ付即チ進達仕候間、株主共哀願ノ情態深ク御諒察宜敷御詮議被成下度、此段副テ上申仕候 以上
                東京株式取引所頭取
  明治二十年七月廿八日
                     河野敏鎌(印)
    農商務大臣 子爵 土方久元殿

    請願書
東京株式取引所株主一同謹テ悃願仕候、本年勅令第十一号ヲ以テ取引所条例御発布相成其附則末項ニ於テ旧条例ハ営業満期ヲ待テ廃止スト御定メ相成候ニ付、旧条例ヲ奉シテ組織セル東京株式取引所ハ其営業期限即チ明治廿一年五月三十一日限リ解散スヘキ筈ニ可有之、為メニ株主一同容易ナラサル損害ヲ蒙リ候間、更ニ右営業期限ノ御延期ヲ請ヒ株主カ蒙ルヘキ損害ノ幾部ヲ減軽仕度、爰ニ請願ノ手続ニ及ヒ候次第ニ御坐候
当取引所設立ノ当初ハ其利益極メテ少ナク株券ニ対スル利益配当額ノ如キ通常貸借ノ利子ニタモ相当セサル実況ニ之レアリシモ、爾后年ヲ逐テ営業繁盛ニ赴キ著シク利益配当額ノ増加ヲ見ルニ及ヒ、人皆当取引所株券ヲ目シテ財産増殖ノ目的ヲ達スヘキ最良物ト做シ争ツテ之ヲ購求セルカ故ニ株券ノ価格弥ヨ騰貴シ、昨明治十九年九月頃ハ壱株ノ価四百九拾円ニ昇リ、未タ其底止スル所ヲ知ラサル程ノ市況ニテ有之候、左レハ現株主ノ如キ多クハ右株券騰貴ノ時ニ際シ競フテ之ヲ購求シタルモノニシテ、其目的トスル所素ヨリ一二ニ止マラサレトモ、或ハ之ヲ以テ養老院児ノ資ニ供シ或ハ他ノ動不動産ヲ典売シテ株券ニ換ヘ以テ家計ヲ支フルモノモ亦尠ナカラス、之ヲ要スルニ投機上ヨリ株券ヲ購求シタルモノヨリハ寧ロ利益アリ且安固ナル財産ナリト信シテ之ヲ購入シタルモノ多キニ居ル実況ニ御座候
現株主カ世人ト均シク斯ク当取引所株券ヲ信用シタル所以ノモノヲ按スルニ、株式取引所ハ特定ノ条例ヲ奉シテ成立ツ所ノ会社ニシテ且其役員仲買等ノ経営宜シキヲ得テ日ヲ逐ヒ月ヲ重ネテ益々繁盛ニ赴キタルモノナレハ、其現況ニヨリ将来ヲ推ストキハ爾後歳月ヲ経ルト共ニ繁盛ノ商況益々増進スヘキヲ予期セルニ外ナラス、而シテ株式取引所条例ニハ営業年期アリト雖モ、個ハ取引所ヲシテ一歩ハ一歩ヨリ進ミ一期ハ一期ヨリ新タナラシムル所ノ改良及ヒ継続期限ナリト固信シ、何人ト雖モ、之ヲ以テ営業廃止ノ期限ナリトハ夢想セサリシ所ニ御座候、蓋シ鉱山借区ノ如キ代言免許ノ如キ各其期限アリト雖モ之ヲ以テ廃止期限ナリト示サレタル例シモ聞及ハス、又各地米商会社・株式取引所営業満期ニ当リ之カ継続ヲ許サレタル適例モ有之、旁現株主カ世人ト同シク当取引所ニ対シ斯カル信用ヲ措キタルモ亦自然ノ情勢ト信シ申候
然ルニ昨年十月頃ニ至リ、一種ノ風説忽然世間ニ流伝シ、政府ニ於テ「ブールス」設立ノ御評議アリト喋々セルヨリ俄然株券ノ価額ニ激変
 - 第13巻 p.539 -ページ画像 
ヲ生シ壱株殆ント五百円ノ価値ヲ有セシモノ日ナラスシテ弐百九十二三円ニ降リ又「ブールス」説ハ無根ナリトノ風説アレハ直チニ昇騰シテ四百三四十円ニ挽回セシコトアリ、実ニ「ブールス」説ノ隠顕ハ直チニ株券ノ昇降ヲ来シタリト雖「ブールス」説流伝以後ノ価ヲ以テ其以前ニ比較スレハ少ナクモ弐百円内外ノ低落ヲ免カルヽ能ハサリシ、当時株主共ハ概ネ思ヘラク「ブールス」説ノ如キハ斉東野人ノ言ニハアラサル歟、此恐慌ニヨツテ莫大ノ損害ヲ受クルヨリハ寧ロ早晩其風説ノ消滅スルト同時ニ価額復昂ノ時アルヲ俟ツニ若カスト各自忍ンテ株券ヲ持続罷在候処、本年五月十四日ニ至リ勅令第十一号ヲ以テ取引所条例ノ御発布アルニ会シ始メテ昨年来隠顕セル「ブールス」説ハ無根ノ流言ニアラサリシヲ知リ驚駭ノ余殆ント為ス所ヲ弁知セサルニ至レリ、抑モ昨年九月ノ相場四百八九十円ノモノヲ仮ニ四百八十円ト定メ現今ノ相場二百十五円ノ者ヲ仮ニ二百二十円トシ比較スレハ正サニ半減余ヲ亡失スル訳ナレハ、其惨状実ニ筆紙ノ能ク形容シ得ヘキ所ニ無之候
現株主ハ右ノ境遇ニ在リナカラ此儘黙過仕候ハヽ到底此損害ヲ減軽スヘキ途ナキハ勿論営業期限ノ近クニ随ヒ益々損害ヲ増加スルコトハ言ヲ俟タサル所ニ有之、此上ハ政府ニ向ツテ此現況ヲ具陳シ御救護ノ御処分ヲ仰キ候外如何トモ致方無之、即チ当取引所営業延期ノ御許可ヲ蒙リ其間収ムル所ノ利益ニヨリ此損害ノ幾部ヲ減軽仕度奉存候、幸ニ株主一同ハ当営業年限後更ニ一期間継続ノ義御許可被成下候ヘハ殆ント損害ノ過半ヲ減却仕候義ニ付素ヨリ希望ノ至リニ堪ヘス、乍去既ニ勅令第十一号御発布ノ今日ニ在テ左様ノ義御詮議成下サレカタキ御義ニモ候ハヽ、セメテハ三ケ年ノ延期ヲ御許可被成下度、左候ヘハ損害ノ殆ント半額ヲ軽減仕候、案スルニ旧条例ハ営業満期ヲ待ツテ廃止セラルヽコトニ御定メ相成候義ニ付、各地取引所ノ内営業満期ノ最モ遅キ名古屋取引所ノ期限ハ明治廿四年月六日《(七脱カ)》ナレハ同年月マテハ旧条例カ廃止ト相成ラサルハ勿論ノ義ト存候、然レハ今マ当取引所ニ当営業満期後更ニ三ケ年ノ延期ヲ給ハリ、名古屋取引所ト同時ニ営業年期ノ尽クル様相成候ハヽ敢テ勅令ノ表ニ差響候筋合モ有之間敷哉恐察セラレ、株主ニ於テハ其間収ムル所ノ利益ニヨリ損害減軽ノ方法相立可申候間、何卒両様ノ内御許可ヲ蒙リ度、悃願ノ至ニ御座候
当取引所営業期限ハ明年五月ナレハ今マヨリ余マス所僅カニ十一ケ月ニ過キス、而シテ目下株主等受クル所ノ損害髙壱株弐百五拾円余ノ多キニ居リ尚ホ此上営業期限ニ近クニ随ヒ益々損害ヲ増加セントスルノ場合ニ迫レリ、之ヲ減軽スルノ策ハ只前陳営業延期ノ一途アルノミ、要スルニ当取引所株主等ノ惨状ヲ救護セラルヽハ偏ニ営業延期ヲ許可セラルヽノ一途ニ帰シ可申、蓋シ財産ハ即チ生命ナリトノ諺ノ如ク当取引所株主一同ノ困難ニ陥ル状況深ク御洞察ノ上、至急何分ノ御詮議被成下度、此段奉悃願候也
                 東京株式取引所株主総代
  明治二十年七月廿八日          諸葛小弥太
                         ○外九名氏名略
    農商務大臣 子爵 土方久元殿
 - 第13巻 p.540 -ページ画像 

    記
 一御封書     壱通
  但農商務省宛
右御下付相成正ニ受取申候也
               東京株式取引所
  明治二十年七月廿八日
                 書記 佐藤徳太郎(印)
    東京府
      農商課御中


中外物価新報 第一六〇二号〔明治二〇年八月四日〕 ○起草委員の協議会(DK130049k-0002)
第13巻 p.540 ページ画像

中外物価新報 第一六〇二号〔明治二〇年八月四日〕
    ○起草委員の協議会
東京取引所の設立特許となりしことは前号の紙上へ記載せしが右に付昨日午後五時より起草委員、渋沢喜作・朝吹英二・町野五八・中野武営・小川為次郎の五氏が創立仮事務所(銀行集会所)へ参集し、取引所条例施行細則第四条に依り創立委員の氏名を農商務省へ届出る事、取引所設立の特許を得たる旨を官報又は重なる新聞紙に広告する事、会員募集の事、規約編纂等の事に付協議を遂げられし由、又特許状と共に地方庁を経て下渡されたる願書指令の但書に拠れば売買物件中日本銀行株券は取引することを許さずとありたりと聞く


朝野新聞 第四一四六号 〔明治二〇年八月五日〕 創立委員の姓名(DK130049k-0003)
第13巻 p.540 ページ画像

朝野新聞 第四一四六号〔明治二〇年八月五日〕
○創立委員の姓名 東京取引所にては既に其の筋の特許を得たれば昨四日農商務省東京府庁等へ同取引所創立委員の姓名を届出でたるが、其の人名は河野敏鎌・渋沢栄一・早川勇・安田善次郎・三野村利助・西村虎四郎・大倉喜八郎・川崎八右衛門・中村道太・谷元道之・渋沢喜作・朝吹英二・中野武営・小川為三郎《(マヽ)》・町野五八の十五名なりと云へり


回議録 綴洩・農工組合銀行米商市場 明治二〇年(DK130049k-0004)
第13巻 p.540-541 ページ画像

回議録 綴洩・農工組合銀行米商市場 明治二〇年(東京府庁所蔵)
    仮事務所設置御届
今般東京取引所設立之特許ヲ蒙候ニ付右創立仮事務所之義当分日本橋区阪本町四十番地銀行集会所内ニ取設候間此段御届申上候也
  明治二十年八月四日     東京取引所創立委員
                    町野五八(印)
                〃
                    小川為次郎(印)
                〃
                    中野武営(印)
                〃
                    朝吹英二(印)
                〃
                    渋沢喜作(印)
    東京府知事 男爵 高崎五六殿
 - 第13巻 p.541 -ページ画像 
    創立委員人名御届
今般東京取引所設立之義特許相成候ニ付、取引所条例細則第四条ニ拠リ左ノ人名之者創立委員ニ選定相成候
                      河野敏鎌
                      渋沢栄一
                      早川勇
                      安田善次郎
                      三野村利助
                      西邑虎四郎
                      大倉喜八郎
                      川崎八右衛門
                      中村道太
                      谷元道之
                      渋沢喜作
                      朝吹英二
                      中野武営
                      小川為次郎
                      町野五八
右御届申上候也
  明治二十年八月四日
                東京取引所創立委員
                    町野五八(印)
                〃
                    小川為次郎(印)
                〃
                    中野武営(印)
                〃
                    朝吹英二(印)
                〃
                    渋沢喜作(印)
    東京府知事 男爵 高崎五六殿
   ○ブールス問題ニ就キ農商務次官吉田清成失脚ス。左ニ参考トシテソノ資料ヲ掲グ。



〔参考〕農商務省沿革略志 第一四二―一四三頁〔明治二五年四月〕(DK130049k-0005)
第13巻 p.541 ページ画像

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〔参考〕再版増補 日本取引所論 (田中太七郎著) 第一四四頁〔明治四四年七月〕(DK130049k-0006)
第13巻 p.541-542 ページ画像

再版増補 日本取引所論 (田中太七郎著) 第一四四頁〔明治四四年七月〕
 ○第二章 沿革
 - 第13巻 p.542 -ページ画像 
    第四十節 取引所条例ノ発布ト新旧取引所ノ衝突
○上略
大阪ニ於ケル新取引所ノ状況カ前述ノ如ク着々歩ヲ進ムルニ従フテ旧取引所側ノ苦心ハ一方ナラス、東西各取引所聯合シテ益々激烈ナル反対運動ヲ試ミ、或ハ当局者ノ措置ヲ攻撃シ、或ハ新取引所ノ前途ヲ非難シ、有ラユル手段ヲ尽シテ反抗ヲ為シタル結果政府部内ニテモ稍々反対論ニ左袒スル者ヲ生スルニ至リ、吉田次官ハ遂ニ元老院議官ニ転職セシメラレ、新取引所ノ開業ニ一大頓挫ヲ来タシテ関係者ハ非常ノ迷惑ヲ被ムルニ至レリ


〔参考〕取引所研究 第一巻第四号・第五八〇頁〔大正一四年四月〕 雑録 限月問題所感(梅沢慎六)(DK130049k-0007)
第13巻 p.542 ページ画像

取引所研究 第一巻第四号・第五八〇頁〔大正一四年四月〕
 ○雑録
    限月問題所感(梅沢慎六)
      一
 古から取引所の改善問題は政府当局の鬼門と云はれ、癌と称せられて居る。苟も之に触るゝ者は傷き、非道い目に遇つたものである。遠い昔の明治二十年には、ブールス条例で吉田次官の失脚となり、明治三十五年の所謂限月短縮令では、平田大臣・木内局長の引責辞職となつた。○下略


〔参考〕中外商業新報 第二八一四号〔明治二四年八月四日〕 吉田子爵の逝去(DK130049k-0008)
第13巻 p.542 ページ画像

中外商業新報 第二八一四号〔明治二四年八月四日〕
    吉田子爵の逝去
枢密顧問官従二位勲一等子爵吉田清成氏は予て屡々報道せし如く病症次第に重く、一昨朝来追々衰弱一昨夜十二時頃よりは一層衰弱せしかば、子爵夫人を始め令嬢令息親族親友等の心配大方ならず、担当の実吉・松山両国手も始終詰切りにて看護怠る所なかりしも、天命如何ともなしかたく、昨三日午前三時四十分僅かの苦痛の様子もなく唯眠るが如くにして逝去せられたり、噫呼本年は如何なる悪年なるや、曩きに三条公・吉井伯・元田男等、国家の柱石とも謂ふべき元老を失ひたるに、今又忠君愛国の聞え髙き吉田子爵の凶報に接す、国家の為め歎せざるを得ざるなり


〔参考〕中外商業新報 第二八一四号〔明治二四年八月四日〕 故子爵吉田清成君の履歴(DK130049k-0009)
第13巻 p.542-543 ページ画像

中外商業新報 第二八一四号〔明治二四年八月四日〕
  ○故子爵吉田清成君の履歴
         東京府華族(旧鹿児島県士族)
                 吉田清成 旧名太郎
                   弘化二年乙巳三月
明治四年辛未二月十一日、大蔵省出仕被仰付候事(大蔵省)御用有之大阪出張被仰付候事同三月十八日各国条約改正御用掛被付候事○同月五日、任大蔵少丞、叙従六位○同五月十三日、御用有之大阪表へ出張被仰付候事(大蔵省)○同七月二十八日、任租税権頭○同九月七日、横浜出張被仰付候事(大蔵省)○同十月十八日、任大蔵少輔(太政官)○同十二月十二日、叙正五位○同五年壬申二月十二日、理事官として米国に被差遣候事(太政官)今般理事官として米国に被差遣候に付別
 - 第13巻 p.543 -ページ画像 
紙条款の事務全権令委任候条便宜処分可致候事(但委任の条款略す)○同六年八月八日、帰朝○同七年四月十七日、大蔵卿大隈重信長崎出張中代理被仰付候事○同七月二十日、御用有之造幣寮に出張被仰付(同上)○同九月九日、任特命全権公使(但三等官月俸下賜候事)○同九月十日、米国在勤被仰付候事(太政官)○同十月十八日、叙従四位○同十一月五日、米国費拉特費府博覧会御用掛被仰付候条出品場所其外諸事取調の上見込可申出候事(太政官)○同十一年二月六日、叙勲三等○同十二月廿六日、帰朝○同十二年二月十二日、条約改正取調御用掛被仰付候事(太政官)○同四月十四日、米国前大統領グラント氏滞在中接伴掛被仰付候事(同上)○同四月十五日、米国前大統領迎接として長崎出張被仰付事(同上)○同五月卅一日、御用有之滞京被仰付候事(同上)○同七月十四日、米国前大統領グラント氏日光辺巡覧に付同行被仰付候事(同上)○同八月十二日、同大統領箱根巡覧に付同行被仰付候事(同上)○同十三年一月廿八日、御用済に就き滞京被免候事(同上)○同二月十日、御用有之一先滞京可有之事(外務省)○同三月二十四日、自今一等年俸下賜候事(太政官)○同三月二十七日、叙勲二等○同四月一日、赴任○同十二月十七日、明治十四年一月一日米国華盛頓府に於て開設の万国衛生会に我政府の代議員被仰付候事(太政官)○同十五年一月二十八日、帰朝○同七月六日、任外務大輔○同八月二日、外務卿井上馨不在中代理被仰付候事(太政官)○同九月二十七日、外務卿井上馨不在中前同文(同上)○同十六年二月十九日、除服出仕(同上)○同五月二十一日、外務卿井上馨不在中代理被仰付候事(同上)○同七月十四日、兼任議定官○同十七年三月十八日、西班牙国皇帝陛下より贈与したるグランド・クロースヱサベラカトレーキ勲章を受領し及佩用するを允許す○四月二十一日、条約改正議会副委員被仰付候事(太政官)(未完)


〔参考〕中外商業新報 第二八一五号〔明治二四年八月五日〕 ○故子爵吉田清成君の在官履歴(前号の続)(DK130049k-0010)
第13巻 p.543-544 ページ画像

中外商業新報 第二八一五号〔明治二四年八月五日〕
  ○故子爵吉田清成君の在官履歴(前号の続)
○同五月十六日、葡萄牙国皇帝陛下より贈与したるロルド・ル・ミクテイルトコンセプシヨン・ド・ノートルダム・ド・ウイラウヰシオサ第一等勲章を受領し及佩用するを允許す○同七月廿八日、御用有之北海道へ出張被仰付候事(太政官)○同八月廿日、伊太利国皇帝陛下より贈与したるダランコルドー子デルオルチ子デラコロレナデイタリヤ勲章を受領し及佩用するを允許す○同九月廿四日、御用有之栃木福島両県へ差遣候事(同上)○同十月十六日、北海道出張被免候事(同上)○同十一月六日、外務卿井上馨不在中代理被仰付候事(同上)○同十二月二十二日、外務卿伯爵井上馨特派全権大使として朝鮮国へ被差遣候に就不在中外務卿代理被仰付候事(同上)○十八年四月十五日、布哇国皇帝陛下より贈与したるナイトグランドクロヲスヲフゼクラウンヲフハワイ勲章を受領し及佩用するを允許す○同五月七日、魯西亜国皇帝陛下より贈与したる神聖スタニスラス第一等勲章を受領し及佩用するを允許候事○同五月十一日、白耳義国皇帝陛下より贈与したるグランドフヰンヱドレヲポール勲章を受領し及佩用することを允許候事○同七月
 - 第13巻 p.544 -ページ画像 
廿七日、来る明治二十三年東京に於て亜細亜大博覧会開設に就き該会議所取調委員被仰付候事(太政官)○同九月廿六日、任農商務大輔兼議定官如故○同十月廿七日、佐賀県外七県聯合綿茶砂糖鯣繭生糸織物共進会褒賞授与として該県に出張被仰付候事(農商務省)○同十二月十一日、条約改正議会副委員被免候事(太政官)○同十九年一月八日千葉県下総国種畜場実況視察として出張被仰付候事(内閣)○同二月五日、波斯国皇帝陛下より贈与したる獅子大陽第一等勲章を受領し及佩用するを允許す○同二月二十七日、廃官○同三月四日、任農商務次官兼議定官如故○同三月二十六日、叙勅任官一等賜上給俸○同五月六日、一府六県聯合水産共進会褒賞授与の為め千葉県へ出張被仰付(内閣)○同五月十九日、徳島県に於て四国聯合砂糖茶葉烟草紙織物共進会褒賞授与式執行に就出張被仰付(愛媛広島岡山の三県を巡回すへし)○同六月廿五日、御佩用有之群馬県下《(マヽ)》へ被差遣(内閣)○同九月六日、山林其他所管の事業視察として静岡県下巡回被仰付(内閣)○同十月十六日、亜細亜大博覧会組織取調委員被免(同上)○同十月廿日、叙従三位○同十一月四日、広島県に於て京都府外七県聯合繭糸綿織物紙茶共進会褒賞授与式執行に就出張被仰付(同上)○同廿年五月九日、特旨を以て華族に被列候事(宮内省)依勲功特授子爵○同七月二十六日任元老院議官兼議定官如故叙勅任官一等○同二十一年五月十日任枢密院顧問官兼議定官如故○同十月二十日、叙正三位(宮内省)○同二十三年十一月二十五日、大日本帝国憲法発布紀念章授与○同廿三年十二月二十七日、叙勲一等(完)
   ○吉田清成、農商務大輔就任ニ関スル資料左ノ如シ。


〔参考〕中外物価新報 第一〇四三号〔明治一八年九月二九日〕 ○吉田清成君(DK130049k-0011)
第13巻 p.544 ページ画像

中外物価新報 第一〇四三号〔明治一八年九月二九日〕
○吉田清成君 外務大輔吉田清成君ハ本月廿六日農商務大輔に任ぜられたり


〔参考〕明治史料 顕要職務補任録 上巻・第一三六頁〔明治三五年九月二三日〕(DK130049k-0012)
第13巻 p.544 ページ画像

明治史料 顕要職務補任録 上巻・第一三六頁〔明治三五年九月二三日〕
    農商務大輔
十八年九月廿六日外務大輔ヨリ任 吉田清成 鹿児島士 十九年三月四日次官ニ任
    農商務次官
十九年三月四日任 吉田清成 鹿児島士 廿年七月廿六日元老院議官ニ任