デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
25節 取引所
1款 東京株式取引所
■綱文

第13巻 p.624-627(DK130064k) ページ画像

明治23年10月7日(1890年)

是日栄一他東京取引所創立委員数名、創立仮事務所ニ会シ、海外取引所ヲ視察帰朝セル委員小川為次郎ノ報告ニ接ス。


■資料

東京株式取引所史(東京株式取引所編)第二六―二七頁〔大正五年一二月〕(DK130064k-0001)
第13巻 p.624 ページ画像

東京株式取引所史(東京株式取引所編)第二六―二七頁〔大正五年一二月〕
 ○第一章 総説
    第二節 第二期(自明治十五年至同二十六年)
○上略二十一年七月井上伯農商務大臣トナルヤ取引所改善問題ハ更ニ講究ヲ要スルモノトシ同年十月三日更ニ本所ニ向テ二十四年六月三十日迄営業延期ヲ許可シタリ、而シテ政府ハ欧米取引所ノ実情調査ノ為メ二十二年六月官吏ヲ海外ニ派遣スルト共ニ東京ノ新旧取引所ニ対シテモ亦調査員ヲ派出ス可キ旨ヲ諭達シタルヲ以テ、新取引所ハ発起人中ヨリ小川為次郎氏ヲ、本所ハ同年七月十七日肝煎相良剛造・株主総代小野友次郎両氏ヲ派遣シ両氏ハ英・米・独・仏等重ナル取引所ノ実況ヲ視察シ翌二十三年七八月ノ交前後シテ帰朝シタリ、既ニシテ政府ハ視察員ノ帰朝復命ニ依リ取引所条例ノ改正調査ニ著手シタルモ其功容易ニ挙ラス、一方ニハ本所ノ営業期限尽キントスルヲ以テ二十三年九月十日ヲ以テ更ニ二十七年六月三十日迄延期ノ許可ヲ得タリ、但シ延期ノ条件トシテ(一)仲裁機関ヲ設クルコト(二)仲買人身元金ヲ二千四百円ト為スコト(三)通常積立金ノ外ニ利益金十分ノ二ヲ別途積立金ト為スコト(四)取引所株式ヲ市場ニ於テ売買セサルコト(五)平均相場決定ノ方法ヲ改ムルコト等ノ実行ヲ命セラレタリ○下略


東京日日新聞 第五六四七号〔明治二三年八月一九日〕 ○ブールス取調委員帰朝(DK130064k-0002)
第13巻 p.624 ページ画像

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中外商業新報 第二五六六号〔明治二三年一〇月八日〕 ○取引所創立委員相談会(DK130064k-0003)
第13巻 p.624 ページ画像

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中外商業新報 第二五六七号〔明治二三年一〇月九日〕 ○取引所創立委員相談会(DK130064k-0004)
第13巻 p.624-625 ページ画像

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〔参考〕大江天也伝記 (雑賀鹿野著) 第五八四―五八九頁〔大正一五年一月〕(DK130064k-0005)
第13巻 p.625-626 ページ画像

大江天也伝記(雑賀鹿野著)第五八四―五八九頁〔大正一五年一月〕
    取引所頭取時代
 大江が東京株式取引所に在つたのは、明治二十五年一月から同三十一年七月まで凡そ七ケ年に亘つてゐるが、此の間において、我が国の取引所事業の発達の為に尽したことは、決して少なくはなかつた。大江が就任匆々、第一に著手したのは取引所法の改正で、取引所法の制定によつて、主として会員組織を執ることになつたので、為めに株式組織の取引所は、一時非常なる困頓に陥いらざるを得なかつた。それは取引所そのものゝ本質的使命からいつても、取引所の完全なる発達の上からいつても頗る不合理なもので、之れを改正して、株式組織の健全なる発達を期せなければならぬといふので、主として之れが改正を絶叫したのは大江卓であつた。各地の取引所でも之に呼応したので大江は改革運動の中心となつて、取引所法改正法案を議会に提出し、遂に彼れの努力によつて、之れが通過を見るに至つた。
 此の改正は何といつても、我が取引所発達の根源を成すものであつて、今日の盛大を見るに至つたのも、一にその源をこの改正にありとしなければならぬ。独り大江の力とのみは固より云ふことは出来ないが、少なくとも彼れの国家的見地よりする政治的手腕及び経歴がなかつたならば、かく速かに成功することは出来なかつたのである。
 大江は首相伊藤博文、逓相後藤象二郎とも、固より旧知僚友の関係があり、閣員中の陸奥(外相)井上(大蔵)とも充分の僚誼を持つてゐるので、之れが改正の為めには少なからぬ便宜を得たのであつた。
 又た多数政党員の間にも奔走し、之れが為めには少なからぬ私財をも擲つてその通過に力を効した。神戸・佐賀の取引所の如きは、固と会員組織の取引所であつたが、改正法案の発布施行と共に、株式組織に変じたが、却つて従前よりは繁栄を見るに至つた。当時全国の取引所は大江に対して左の感謝状を贈つてゐる。
    全国取引員の感謝状
曩に取引条例制定せられ、株式組織の取引所は殆んど廃絶に帰せんとす。此に於て当業の同志者憂慮措く能はず着実穏当の改正条例発布あらんことを求むるに際し、貴下同志の中に在りて率先尽力せらるゝにより、明治廿五年七月同志者の推選を以て委員の劇務を担当し、爾来拮据黽勉せられたるは、同志者の最感激に堪へざる所なり。今や□定
 - 第13巻 p.626 -ページ画像 
の法律其施行の命令公布せられ、定款の協議も亦妥当を得るに至る。是偏に貴下の周旋尽力に由るに非ざれば、安ぞ能此に至らんや、依て紅白縮緬二疋を呈し聊か謝意を表す。
  明治二十六年八月二十三日 博多米商会所
                  頭取 森信夫
               赤間関米商会所
                  頭取 豊永長吉
               徳島米商会所
                  頭取 岡島武三郎
               京都七条米商会所
                  頭取 平松武兵衛
               近江米商会所
                  頭取 逸見嘉平治
               桑名米商会所
                  頭取 平野美絶
               金沢米商会所
                  頭取 今村勇次郎
               高岡米商会所
                  頭取 八坂金平
               新潟米商会所
                  頭取 本間新作
               酒田米商会所
                  頭取 加藤景重
    東京株式取引所
       頭取 大江卓殿
 大江の在任中における事蹟は二三にして止まらないが、その重なるものを挙ぐれば、
 一、取引法令の改正。
 一、取引所税率の軽減。
 一、資本金の増額。
 一、在任中百四十余万円の純益を挙げしこと。
 一、定款条規の改正を施して委托者を保護せしこと。
 一、全国取引所の勃興を促し創設に勗めたること。
 一、全国取引所聯合会の創立。
 一、機関銀行の設定。
等実に枚挙するに遑がない。当時株主の利益について、大江の就任当時に二百二十余円の利益を得たと称せられたのを見ても、大江の施設が、如何に株主の利益を計るものであつたかゞ察せられる。三十一年八月、大江に与へた感謝状には、実に左の如く記されてあつた。取引所理事長としての、大江の業績は大略之れに述べられてゐる通りであるが、大江の抱負、及びその所員に如何に崇敬されてゐたかも、文中の叙述によりて知ることが出来るのである。


〔参考〕渋沢栄一 書翰 斎藤峰三郎宛(明治二七年)一〇月三日(DK130064k-0006)
第13巻 p.626-627 ページ画像

渋沢栄一 書翰 斎藤峰三郎宛(明治二七年)一〇月三日
               (斎藤峰三郎氏所蔵)
 - 第13巻 p.627 -ページ画像 
○上略
取引所一条ニ付三井銀行へ返却之金四百円ハ立替として此際出金可致ニ付是又尾高へ此書状を以申入今日受取大倉氏之分と共ニ三井へ返入証書取戻し候様御取計可被下候
○中略
  十月三日
                     渋沢栄一
    斎藤峯三郎様
○下略


〔参考〕渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛(明治二八年)一月八日(DK130064k-0007)
第13巻 p.627 ページ画像

渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛(明治二八年)一月八日
               (八十島親義氏所蔵)
○上略
取引所之分ハ別ニ口上を添候程之用事ハ無之候右御答迄如此御坐候
                             不一
  一月八日
                         栄一
    八十島殿
   ○封書ニ「大磯ニテ渋沢栄一」ト記セリ。