デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
25節 取引所
2款 東京米商会所
■綱文

第14巻 p.97-109(DK140009k) ページ画像

明治24年6月24日(1891年)

是日、東京米商会所頭取中村道太ノ公金私消事件ノ善後策ヲ講ズル同所仲買人総会ニ於テ、栄一、益田孝・今村清之助・森岡昌純・阿部彦太郎ト共ニ整理委員ニ選バル。栄一等、ソノ嘱ニ応ジテ尽力シ、翌七月上旬遂ニ解決セシムルニ至ル。


■資料

中外商業新報 第二七八〇号〔明治二四年六月二五日〕 ○善後策茲に一歩を進む(DK140009k-0001)
第14巻 p.97-98 ページ画像

中外商業新報  第二七八〇号〔明治二四年六月二五日〕
    ○善後策玆に一歩を進む
東京米商会所善後策に就ては過日来米倉・亀田・石崎・松沢・島田の五氏か大に心配し自ら進て仲裁・整理の労を取りしも一昨夜に至り到底纏り難く見えたるにより、今は手を引くの外なしと決心したるを以て、昨日午前一時過各仲買人を米商会所の楼上に呼び集めて是迄中村氏へ対し談判したる始末及び中村氏より差出したる株券・家屋等の評価を報道し、是迄は斯く色々と骨を折たれど我々にては到底其目的を達し難きに付手を引くとの言を残し島田氏の外一同帰り来りたれど島田氏独り踏み止り、此儘にして置く訳には行かされば此際局外にありて公平なる意見を有する有力家を選び之に整理を托すべしとの説を唱
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へ、孰れも之に同意したるに由り去らば五名の整理委員を選挙し之に一切整理の事を托すべしとて之を投票せしに、渋沢栄一・森岡昌純・益田孝・今村清之助・阿部彦太郎の五氏に札が落ちたるに依り、昨日仲買談判委員十五名は昨日それそれ手分けして右五氏に尽力の事を依頼したるに、整理委員とか仲裁委員とか云ふ如き名目を付けられては真平御免なれど、実に一大事件なれば及ぶ丈け傍らより整理の事に尽力し及はず乍ら意見をも申し述ふべしとて大抵承諾したる由、尤も渋沢氏一人のみには面会するを得ざりしかは諾否の返答を聞かされと此の場合ゆへ多分同氏にも承引さるゝならんとのことなり、又昨朝に至り整理委員中には前五名の相談員をも加へ之に依頼したるに孰れも異議なく引受けたる由


中外商業新報 第二七八一号〔明治二四年六月二六日〕 ○善後策更に一歩を進む(DK140009k-0002)
第14巻 p.98 ページ画像

中外商業新報  第二七八一号〔明治二四年六月二六日〕
    ○善後策更に一歩を進む
東京米商会所善後の策を講し円滑に之を整理することの依頼を受けたる十名の内、阿部・森岡・今村・益田・渋沢諸氏の一派は亀田政吉氏の宅に、米倉・石崎・松沢・島田・亀田等諸氏の一派は幸亭に昨日何れも集会してそれそれ善後策を相談し、整理の方針は兎も角も三井銀行始め其他に抵当として入れある米商株を貰ひ受け仲買人及客筋が何れも債権者となりて其株券を分配し其代に銀行の方へは年々利益の幾分を配当することに粗ほ一決したるに由り、それそれ手分けして銀行に到り相談を遂げたる所、銀行の方にては毎年純益金の二割五分を申受けたしと云ひ仲買客筋方なる亀田・石崎・松沢氏等の方にては一割に負けて貰ひたしと申出で、昨夜まての処にては何とも纏り付かさりしが、兎に角相談の此処まて運ひたる上からは双方尚ほ歩み合ひて愈よ纏まりの付くも今明日の中にあるべしなど噂さするものもありたり


中外商業新報 第二七八二号〔明治二四年六月二七日〕 〇米商会所の善後策粗ぼ纏まる(DK140009k-0003)
第14巻 p.98 ページ画像

中外商業新報  第二七八二号〔明治二四年六月二七日〕
    〇米商会所の善後策粗ぼ纏まる
一時商業社会を驚かしたる東京米商会所不始末事件も是迄毎日の紙上に報道したるが如く整理の任に当りたる諸氏の心配尽力に依りて諸事追々好都合に運び、三井・川崎・第百五十・正金等の各銀行へ這入居る米商株も愈よ貰へるまての相談になり、唯米商会所開業の後報酬として此等の銀行へ配当すへき純益金の割合に付きて双方折合兼ね、為めに時日も遷延すへきの恐れありたるにより、其割合等の事は一切森岡・今村・阿部・益田・渋沢の五氏に一任することになりしかは、此等の人々は昨日それぞれ手分けして各銀行に赴き熟談を遂げたる由、去れば右諸氏の方寸には已に成竹の在るありて其割合の如きも粗ほ一定し居るには相違なからんも未た表立ちて確定の場合に至らされは、遺憾乍ら読者に報道することを得されとも、兎に角善後策は粗ほ纏りたりといふことを得べし


中外商業新報 第二七八三号〔明治二四年六月二八日〕 ○仲裁委員二割と判決す(DK140009k-0004)
第14巻 p.98-99 ページ画像

中外商業新報  第二七八三号〔明治二四年六月二八日〕
    ○仲裁委員二割と判決す
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三井・川崎・第百五十・正金の四銀行へ抵当として差入ある米商株を丸る丸る貰受けるに付其報酬として右株券に対し年々配当すべき利益の割合に就ては、仲買方と銀行方と少しく意見の異なる所ありて双方折合兼たるより、前号にも記せし如く双方より其仲裁を渋沢・森岡・益田・今村・阿部の五氏に依頼したるに由り、右五氏は昨日北島町なる三井物産会社外国品係の楼上に集会し協議の上、年年米商会所より銀行へ配当すべき割合を純益金の百分の二十即ち二割と判定し、其判決書を其時同所に会合せし米倉・石崎・亀田・島田・松沢の諸氏及仲買相談委員十余名の前に於て朗読したる由


中外商業新報 第二七八四号〔明治二四年六月三〇日〕 ○米商仲買の身元金(DK140009k-0005)
第14巻 p.99 ページ画像

中外商業新報  第二七八四号〔明治二四年六月三〇日〕
○米商仲買の身元金 は二千四百円なるも今回整理のため千株を残らず仲買にて引受くることとなる上は、農商務省にても特典を以て千二百円宛に減少するを差許す旨内命ありしといふ


中外商業新報 第二七八四号〔明治二四年六月三〇日〕 ○米商会所整理委員斎藤局長に面会す(DK140009k-0006)
第14巻 p.99 ページ画像

中外商業新報  第二七八四号〔明治二四年六月三〇日〕
○米商会所整理委員斎藤局長に面会す 米商会所整理委員なる米倉一平氏外四名は昨二十九日午前十時農商務省へ出頭し、斎藤商工局長に面会し、将来の事に付種々上申せりといふ


中外商業新報 第二七八四号〔明治二四年六月三〇日〕 【斎藤商工局長 は昨日…】(DK140009k-0007)
第14巻 p.99 ページ画像

中外商業新報  第二七八四号〔明治二四年六月三〇日〕
○斎藤商工局長 は昨日午後米商会所に臨み整理の摸様等を聞取りたりと


中外商業新報 第二七八五号〔明治二四年七月一日〕 ○関根氏非職に関する一風説に付て(DK140009k-0008)
第14巻 p.99-100 ページ画像

中外商業新報  第二七八五号〔明治二四年七月一日〕
    ○関根氏非職に関する一風説に付て
関根農商務属か会所の重役となるため非職を命せられたるに付ては世間種々の風説を伝へ、甚しきに至りては同氏は井上伯の乾児なれは是そ同伯が同会所を乗取らんとするかためなりといふに至れり、社員昨日斎藤商工局長を訪ひ談此風説に及ひたる処、同局長は曰く、抑々米商会所の不始末に対する農商務省の処置に付ては世間種々の批評をなすものもあらんかなれど、同会所を解散せしめん乎二十四万円の身元金十七八万円の証拠金四銀行に対する負債二十五六万円合計六十余万円といふ大金が無に帰して其経済社会に及ぼすべき影響決して尠少ならざれば如何にもして之か整理を附けしめんと最初より其方針を取り居たること故、中村頭取を告訴する事実の如きも早く証拠を認めたれど会所の整理が大事とおもひ今日迄見合せ居たる訳なり、然るに幸いに渋沢・益田・森岡・阿部・今村の五氏を始め米倉・石崎・亀田・島田・松沢各整理委員、十五名の仲買委員諸氏が非常に尽力したる甲斐ありて終に善後策の方法も纏まるに至りたるが、渋沢氏外四名の仲裁委員は折角に斯くまで善後策の纏りたる上は何とかして米商会所の信用を回復し充分営業を為すに至る様なることを望むに就ては、米商会所重役中に法律を弁へ且つ此業務に就て経験を積める人をも一名加へて充分に同会所の監督を為さしむる事を望み、米倉氏等五名の整理委
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員にも其事に注意して相当の人物を得んことを望み居りたれども、米倉氏等は従来此営業に関係を有し居ること浅からざる故充分に履み入りて自ら此衝に当り兼ぬるの事情もあるに、他に相当の人を得ることに奔走したるに、渋沢氏等五名の仲裁委員は関根農商務属は従来職務に老練なりと聞あるのみならず、是れまで屡々米商会所に臨みて会計帳簿抔の撿査を行ひ米商会所の事に就ては充分に経験あり、且つ同会所仲買人一同関根氏を見ること厳父に接するか如く大に畏敬し居るに就き、可成は同氏の米商会所に関係せられんことを望む旨米倉氏等整理委員及ひ十五名の委員の諸氏に協議したるに、何れも渋沢氏等の意見に同意し切に関根氏の同会所に入らんことを望みたるにより渋沢氏等仲裁委員より之を余に計りたるに、余は関根は元来農商務省に必要なる人なるのみか本人は如此民間の事業に従事することを欲せざるに付き自分は何とも確答し兼ぬれども、仲裁委員諸氏並に仲買一同是非とも同氏を要するとあらば一応是を本人にも協議すへく、又本人に於て望まされは命令しても米商会所に入るゝ事に尽力は致すべしとて余は是を大臣に具申したるに、大臣は別に異議とてはなき様子なりし故本人に通したるに、同属は自分は米商会所に入りても到底寸益を得るの望もなく且つ自分は是迄余り此の如き事業に関係したる事なき故之に身を寄するを欲せすとて固く辞退せられたれども、渋沢氏等其他の委員諸氏は孰も非常に熱心に同属の米商会所に入らんことを懇請して止まさるに依り、関根氏も遂に事情黙止しかたく米商会所副頭取に撰挙せらるべしとの約束を以て同会所に関係するの決心を為すに至りたる次第にて、決して諸新聞の記載するか如き深き事情のあるにはあらすと答へられたり


中外商業新報 第三四〇六号〔明治二六年七月一二日〕 ○米商会所整理委員集会の模様(DK140009k-0009)
第14巻 p.100 ページ画像

中外商業新報  第三四〇六号〔明治二六年七月一二日〕
○米商会所整理委員集会の模様 前号に記せし如く東京米商会所整理委員(一昨年中村破綻事件の為め)十五名は会所よりの招きに応じて会所の楼上に集会したる処、今度会所の定款を改正し資本金を増加するの議あるに付ては、先年会所再開業の際三井銀行との約定に依り会所利益金の二割を三井銀行へ配当するの約束あれは、先方へ断りなく今度資本を増加するに於ては矢張り此増株金より生じたる利益の二割を犠牲に供する事となり株主の不利となる事少からされは、先つ同行へ掛合い今度増株金を為すに於ては配当の割合を減ぜんことを請求せしも未だ承諾なしとの報道あり、夫に種々整理委員の説も出でし由なるが、兎に角定款改正一件は明日の定式総会に引続き臨時会を開きて之を議することとし、猶ほ夕場立会の事に付きて協議もありしが、是は昨日《(明カ)》を以て組願会《(頭カ)》を開き決する事になり散会せし由


中外商業新報 第三五五八号〔明治二七年一月一二日〕 ○東京米穀取引所定式及臨時総会(DK140009k-0010)
第14巻 p.100-101 ページ画像

中外商業新報  第三五五八号〔明治二七年一月一二日〕
    ○東京米穀取引所定式及臨時総会
予記の如く東京米穀取引所に於ては昨十一日午後二時半同所楼上に於て先づ定式総会を開き議了の後、直に臨時総会を開きて夫々議決せり今其議事の概要を挙けんに、米倉理事長・理事関根・林・森本の諸氏
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及松沢・石崎・永山の三監査役を始め株主一同席に就き一礼あり、米倉氏は議長席に就きて議事を開きて先つ書記をして原案を朗読せしめ一二の質問ありて孰れも原案の通り可決せり、夫れより臨時会に移り前頭取中村道太氏の不始末に関する諸件の整理に就きて報告あり是又原案に可決せり、渡辺氏起立し曰く、斯好結果を得たるは畢竟整理委員諸氏の尽力の効にあれば須らく相当の報酬を為して微意を致さゞるべからすと説きしに、笠原氏は之を賛し、又谷崎氏は一個二百円の金盃を製し之れに感謝状を添し、即ち渋沢栄一・益田孝・森岡昌純・今村清之助・阿部泰蔵《(マヽ)》・米倉一平・松沢与七・島田慶助・関根親光・石崎政蔵・亀田介次郎の十一氏に贈進せんとの意見は満場一致にて可決し、又松沢氏の提出せし仲買十五人の諸氏にも同様報酬として銀盃一個ツヽを贈らんとの発議は一個四十円即六百円を支出する事も異議なく可決し、次で金盃の製作より招待会の事迄一切を委員五名に附託するの発議も直ちに可決し、之れより関根氏は其製作費及招待費を引去りたる残余一万三千百二円五十八銭(中村不始末整理の結果により特に配当すべき金)を如何すべき乎を議場に問ひしに、松沢氏は同会所の新築費に充用せんと発議せしも種々協議の上取消し更に配当する事に決定し、一株に付十三円十銭ツヽ配分する事となれり、是に次で定款の改正に移り仲買人たらん事を申出るに仲買人及株主とあるを単に仲買人二名となすに可決し、又定款七十条仲買を十組に分ちとあるを改め都て組を部となし部長部員と呼ぶに改むることに決定せり、之より定款百二十条中改正の件は島田氏の改むるに及ばすと云ふ説に賛成多くして否決せり、杉山氏の提出せし定款に規定しある無記名公債は過般来仲買は自己の計算を以て売買を許されたる今日なれは、本人の記名のものなれば毫も差支なければ之れも改正ありたしとの発議は一同の賛成にて可決せり、又予て本紙に記したる百円株券を五十円券に為す事を織田氏より発議ありしが孰れも異議なく可決し、又受渡区域に付報告あり、之れは営業細則に係るを以て役員会に於て決議の上取計ふ事とし、夫より議事は進んで愈々結尾に至り、関根氏は特約倉庫に就き農商務省よりの照会に対し照覆したる始末を述べ、米倉庫会社の外尚ほ他の確実なる倉庫会社と特約する事に付討議を始めたる処、是れは別所・島田・谷崎・石崎・笠原の諸氏之れに付種々討議の末、次会に於て更に可否を決することに議了し午後六時頃散会を告けたり


東京経済雑誌 第二三巻第五七八号・第八八五―八八七頁〔明治二四年六月二七日〕 ○米商会所事件(DK140009k-0011)
第14巻 p.101-104 ページ画像

東京経済雑誌  第二三巻第五七八号・第八八五―八八七頁〔明治二四年六月二七日〕
    ○米商会所事件
東京米商会所が此回其会所に属する資本金・仲買身元金並に売買証拠金等を使用したるの事件は、実に世人をして一驚を喫せしめたり、其源因如何、其結果如何、是れ世人の最も聞かんと欲する所なるべし
余輩は該所頭取中村道太氏に於て、直接の交際なしと雖も、間接に於ては詳に其人と為りを知る、蓋し氏は任侠の性質に富み、且つ剛勇の胆に富める人なり、熟ら其の友人旧故の不幸若くは窮扼に際して力を致すを見るに、実に人をして敬服せしむる者少なからざるなり、譬へは故小松彰氏の遺孤に対し尽したるか如き、慶応義塾の為に義捐した
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るか如き、又た民間にありて政事に熱心せし人々をして其志を遂けしめんと欲し尽したるか如き、決して尋常人士の為すべからざる義侠心を有せり、蓋し一諾を重んじ信義を貴ひ褒貶利害の為に屈せさるの剛気は余輩今日此人に於て見るなり、去れば今日此人此の如き大損を蒙むるに到るも、決して驕傲奢侈の結果にあらず、亦た拝金者流の失敗したるに比すべからざることは余輩の十分に保証する所なり、蓋し氏の今日の地位は失敗したる豪傑に比すべし、一点私慾の心なく唯々大事是れ為さんと欲するの希望に激せられて勇往前進したるものなり、故に仮令ひ敗ふると雖も其情恕すべきなり、然り而して氏の情況亦た非なるものありしか如し、余輩之を聞く、氏の最初正金銀行に頭取となりて失敗したるもの、多くは友人等を助けんか為に貸与したる貨幣の滞貸となりたるに因ると、然り而して氏は其損失を以て凡て自己の負担となしたり、其総高殆んと三十万円に近くして、氏の此時の情況たる天下最貧の一人たりしなり、然るに原六郎氏正金銀行の頭取となり、盛んに官金を預り非常の割賦を為して、正金銀行の株券相場九十円より飛ひて、二百八十円に至るに及びて、氏は此の三十万円の負債を償弁したるの余三十余万円の利益を得、一挙手一投足の労なくして天下の富人となれり」此暴貧と暴富とは氏をして一箇の大投機者とならしめたり、氏は其友人と共に奥羽地方の諸鉱山に於て失敗したるか如し、然り而して小真木銀山を得るに及ひて一朝にして非常の利を得たり、其収入したる利益と之を売却したる価額とを合算すれは、蓋し五十万円に超ゆるなるべし、去れは米商会所を一手に買占めたる挙動の如き、世人は之に驚くと雖も、氏に於ては朝食前の仕事なるべし
然しながら米商会所一手買占の事は此回の如き不正事件を発したるの重なる源因にして、余輩は玆に至りて当局有司並に在野の政事家に向ひ益々仲買組織の止むを得ざることを注意せざるべからざるなり、此事に関しては我経済雑誌は嘗て数々之を論弁したりき、然るに当時ブールス反対の意見朝野に盛んにして、我社の議論の如きは全く聾耳を以て遇せられたり、是れ則ち此回の大災を発したる所以なり、夫れ米商会所を以て一手に買占むるときは是れ名は会社たりと雖も実は一己人なり、之を買入るゝに当り資本を銀行より借入れ、其余に仲買人の身元保証金及ひ売買証拠金を之に預托する時は、全く無一物の人と雖能く買占むるを得るなり、斯く買占めたる以上は自己の意見を以て如何なる銀行にも預托するを得べし、仲買人等は之に関して一言の不同意を唱ふる能はざることなり、思ふに最初政府が此法を設けられたる所以のもの、会社を以て之を創立するときは役員互に相ひ監制し、不正の所業を為す能はざるに至るべしと信したるならん、且つ其資本の三分二を以て公債証書を買はしめ、地方庁若くは国立銀行に預け置くときは会社は常に確実なりと信したるならん、然れとも公債証書を買ふも其預証書を利用するを得べくは之を自家に保存すると毫も異なる所なし、去れは嚢中一銭の資金なきも米商若くは株式会社を買ひ潰したる後は能く巨万の融通を為すを得るなり、何となれば仲買の身元金及ひ売買証拠金は銀行より借入れたる抵当に対し余剰を存ずれはなり元来斯の如き計策の実際に行ひ得べき事は、世人の全く注意せざりし
 - 第14巻 p.103 -ページ画像 
所なりしが、今まや中村道太氏の失敗に因り始めて世に暴露せり、思ふに中村氏は株式取引所の株式三百枚をも買入れたりと云へは、或ひは此方策を更に株式取引所にも試みんとしたるやも知るべからず、然れども此方法一たひ暴露せし以上は、中村氏にして之を為さゝるも、今後此の如き方法を試みんと欲するものなしとすべからず、去れば資本金三分二を以て公債証書を買はしむるの制限も一箇人にして之を買占むる以上は有名無実となり、役員等をして互に相監制せしむるの主意も一箇人にして之を買占むる以上は有名無実となる事に注意せざるべからず、要するに現今の制にして此儘に存在する以上は、此の如き事件は今後各地に続出すべし、仲買組織となして此弊を一洗せざるべからざるなり
中村道太氏が世人の未だ注意せざるに当り、早く之に着眼し之を実際に試みたるは、決して賛賞すべき事にはあらずと雖も、兎に角に敏捷なりと云はざるべからず、然り而して農商務省の寛裕なるは氏をして此技倆を逞うするを得せしめしものありしなるべし、余輩は農商務省か監督の任にありて、米商会所をして三十余万円の金額を第六国立銀行に預くるを得せしめたるに驚かざるべからず、抑も第六国立銀行とは如何なる銀行なるや、三拾余万円の預金を為すに適当なる銀行なるや、今日民間にあるもの誰れか之を知らさらんや、若し農商務省にして銀行社会の事情は知る所にあらずと云はゝ、余輩は復た何をか云はん、然れども米商会所の資金は仲買の損益に関すること大なる以上は余輩は此点に於て当局有司の其責任を免かれざることを知るなり
    ○善後策如何
商業社会一日も米穀の限月売買なかるべからず、若し一朝之を欠かは必ず密売買を発するに至らん、此事や明治以後米商会所の歴史に於ても歴々之を証するを得べく、又た横浜なる洋銀取引に於て之を証するを得べし、故に此回の事件の如きも銀行仲買等の損失は素とより免かれざる所なると同時に、速に之を結了せされば更に損失を免かれざるべし、何となれば他の場所に於て限月の密売買を発すること必然の勢なればなり
然しなから之を調停して彼是損害なからしむることは事の最も至難なるものなり、若し単に仲買の利益を計り、其身元金二十四万と売買証拠金十六七万円との償《かた》に米商会所を以て直に仲買組織となさんと欲するも、然るときは米商会所の株券を抵当に取りたる銀行は承引せざるべし、然り而して此等の銀行相寄りて米商会所を引受け、仲買等に対して一銭の損失をも掛けず之を弁償すべきか、思ふに此米商会所にして永遠に継続し得べきものならんには、斯くの如き出金を諾するなるべしと雖も、明治二十七年六月にして満期となるべき米商に向ひて誰れか之を諾せんや、去れば結局の問題は株券を握れる銀行は幾何を損失すべき乎、米商仲買は幾何を損失すべきかの問題なり
此問題は実に至難なり、各人皆な成るべく自己の損失を寡うせんと欲するは人情の常なり、是れ割合を定むるの至難なる一なり、米商会所の満期は二十七年六月より遅延すべからざる否や其遅速に因りて変換を生すべし、是れ割合を定むるの至難なる二なり、余輩は此二事の至
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難なるを以て此談判の容易に結了せざる事を思ふなり
然しながら速に此談判を結了せざるときは米商株を所持するものは全く空物となるの懼あり、何となれば他に密売買の市場を発出するに至るときは、此株券は全く空権に属すれはなり、去れば拙速を貴ふとは此際の駈引にあることなり


東京経済雑誌 第二三巻第五七八号・第九〇六―九〇七頁〔明治二四年六月二七日〕 ○東京米商会所に関する後報(DK140009k-0012)
第14巻 p.104-105 ページ画像

東京経済雑誌  第二三巻第五七八号・第九〇六―九〇七頁〔明治二四年六月二七日〕
    ○東京米商会所に関する後報
東京米商会所及び第六銀行臨時撿査の事は既に前号に記したるが、今其の詳報を掲げんに、元来東京米商会所にては仲買人の身元保証金一人に付き金二千四百円宛百人分金二拾四万円と外に売買証拠金凡そ十四万円、会社資本金十万円、会社積立金二三万円と合せて凡そ五十万円の金円を預かりあるが故に、此金円は米商会所に存在すべき筈なるに、近頃同会所頭取中村道太氏の評判宜しからず、且つ氏は正金銀行より二十八万円を借入れ、其返金の遅延したる為め昨今訴訟沙汰に迄及びたる程にて、氏は融通上彼の仲買身元保証金及び売買証拠金を第六銀行及び第三銀行・川崎銀行・三井銀行に預け金となし置きたる躰になり居れども、其の実三十万円は中村氏の手にて消費したりとの風説其筋へ聞へたるより、そは捨置くべきにあらずとて臨時撿査を行ひたるなりと、然るに右金五十万円の金は重もに第六銀行に預け置きたるものゝ如く、第三銀行への預け高は僅かに七千円に過ぎずとのことなれば、川崎銀行・三井銀行の預り高も勿論多額にあらざるべしと云ふ、果して中村氏三拾万円を消貸したるものとせば、中村氏は如何にして之を弁償せらるゝや知らされども、実に此の事は商業社会近来の一大珍事といふべし、然れども出来きたる事は致方なし、此の上は善後の策こそ緊要なれ
    ○第六銀行の営業停止
農商務省にて米商会所の撿査を行ふと同時に、大蔵省にては銀行局調査課長藤尾録郎氏を第六銀行東京支店へ、又同局属二名を福島の同本店へ派出して撿査を遂げしめたり、藤尾氏は支店に就きて一々其の帳簿を撿査せし処、種々不都合の点あるを発見せしを以て、銀行条例に違犯する者と認め、去十九日営業停止を命じたり
    ○東京米商会所臨時株主総会
同会所にては去二十日俄に休業して臨時株主総会を催ふせり、四十余名の株主中出席者僅に八名、重役は永井松右衛門氏一人のみにて其他は中村氏始め皆欠席せり、終に過半数に充たざるを以て正式の総会を開くを得ず、去れど此度の件は重大事件なれば一応協議せんとて永井氏述べて曰く、当会所の重なる取引先なる第六銀行の営業停止されしに付ては当会所も一時金融の道を杜絶され不得止臨時休業を為すの場合に至れり、然れども同銀行の営業を解かるゝは其何れの日なるや知るべからざれば、同行が解停となる迄当会所も休業する訳に行かざれば何とか此の際方法を設けざるべからず、又第六銀行への預金に付ては取戻請求委員を差向け取戻の事を談判せざるべからざれども、今日は株主も揃はぬ事故只今玆に取極むる事能はざれば、株主一同に此事
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を照会し回答を待て至急何とか取極め一日も早く営業を始むるの策を講すべし云々と、夫れより株主は各銀行への預け金高撿査の始末に付種々の質問ありたるが永井氏一々之に答へて、頓がて散会せり
    ○米商会所の善後策
米商会所善後の処分方に付ては過日来より種々周旋の労を執らるゝ向きも多きが、愈よ去る廿四日に至り、善後委員なるもの粗取極り承諾せられたりと云ふ、其の人々は渋沢栄一・益田孝・米倉一平・森岡昌純・阿部泰造《(マヽ)》・今村清之助の諸氏なるよし


東京経済雑誌 第二四巻第五八〇号・第五九―六〇頁〔明治二四年七月一一日〕 ○東京米商会所の開業期日定まる(DK140009k-0013)
第14巻 p.105 ページ画像

東京経済雑誌  第二四巻第五八〇号・第五九―六〇頁〔明治二四年七月一一日〕
    ○東京米商会所の開業期日定まる
久しく休業中なりし東京米商会所は、愈よ明後十三日より再ひ開業する由なり、夫の営業保証金六万六千金円は新任重役等に於て塡補調達して第三国立銀行に預入れ、其の証書の写を農商務省に差出し、又た仲買身元金は一人に付き二千四百円の処、差当り其の半額を差入れ、他の半額は当分延期の儀を農商務省に出願したるに、頗ぶる好都合に運び、又た七八両月期米取組高合計二十四万三千六百七十石も仲買総会にて去月十九日の引直、即ち七月期七円八銭五厘、八月期七円十三銭五厘にて悉皆解合ふことに決し、右の売買証拠金に対する分は同所株券千株の内、凡そ五百株仲買頭取の身元金に割充て、一名五株宛引受させたる残り五百株を一株四百廿円の価格を以て割付する事として仲買人より客に対しては一株以上債権ある者へは株券を客に渡して名儀を書換へ、又其債権一株以上に満ざる客へは数名部乗にて株を持たしめ、其名儀は仲買の名に書換置と雖も、此部乗の株は会所が預り置き、仲買へ対し第何号株何分何厘乗りと云ふが如き工合にて客へ対する勘定金額夫々割付けたる預り証を仲買へ渡し、仲買は此預り証に委任状を添へて客へ渡し置き、利益の配当も歩割に応して客へ分配することに決したりと云ふ


東京経済雑誌 第二四巻第五八〇号・第六一頁〔明治二四年七月一一日〕 ○党派問題(DK140009k-0014)
第14巻 p.105 ページ画像

東京経済雑誌  第二四巻第五八〇号・第六一頁〔明治二四年七月一一日〕
    ○党派問題
当今の事件は凡て党派問題に引付けらるゝ也、米商会所を停止すれは是れ改進党を傷くる為なりと云ひ、渋沢・益田二氏か三井銀行の顧問となれば是れ自治党《(由カ)》か権力を伸ふるなりと云ひ、中野武営・牟田口氏等か会合すれば改進党防禦上の相談なりと云ふ、余輩は其内幕を知らず、然れども此等は党派上の事とは思はれず、之を党派上の事として論するは甚た不穏当にあらざる乎、斯の如くば今後党派に加入せる人は欠伸するも必ず批評の種となるべし、恐るべき世の中にこそ


東京経済雑誌 第二四巻第五八三号・第一七一―一七二頁〔明治二四年八月一日〕 ○東京米商会所証拠金代用公債証書の行衛発見す(DK140009k-0015)
第14巻 p.105-106 ページ画像

東京経済雑誌  第二四巻第五八三号・第一七一―一七二頁〔明治二四年八月一日〕
    ○東京米商会所証拠金代用公債証書の行衛発見す
東京米商会所に差入れ置ける売買証拠金代用公債証書十一万八千円の行衛は、中村道太氏が先きに拘引せらるゝ時迄知れざりしかば、同所の整理委員諸氏は終に会社の損失として一先づ整理を付け局を結びし
 - 第14巻 p.106 -ページ画像 
が、近日に至り其の行衛発見せしとのことなり、即ち横浜正金銀行と第十五銀行とに抵当として預け在り、既に十五銀行へは東京地方裁判所の係官、及び米商会所の役員等出張し取調を為し、且つ其の公債を差押へたりと云ふ、而して其の発見するに至りしは予審廷に於て帳簿の取調より露現したりと云ひ、又た中村氏が自白したりとも云へり、兎に角多少会所の損失の減することなれば祝すべきなり


今村清之助君事歴 (足立栗園著) 第二四二―二四七頁〔明治三九年九月〕(DK140009k-0016)
第14巻 p.106-107 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕開港と生糸貿易 (藤本実也著) 下巻・第五一六―五一七頁〔昭和一四年一二月〕(DK140009k-0017)
第14巻 p.107-108 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕東京名所鑑 (相沢求著[相沢朮著]) 巻之上・第八〇頁〔明治二五年九月〕(DK140009k-0018)
第14巻 p.108 ページ画像

東京名所鑑 (相沢求[相沢朮]著)  巻之上・第八〇頁〔明治二五年九月〕
                  (日本実業史博物館所蔵)
○東京米商会社《とうけいべいしやうぐわいしや》 同所○蠣殻町一丁目にあり会社ハ魏然たる煉化造にて諸米商其側面に列居す、抑東京米商会社ハ維新後東京商社と号し微々たりし兜町に米相場をひらき米商会社と号し相場売買を許さる、是米商会社の起原なり、蠣殻町米商会社ハ中行社《ちうかうしや》と唱へ米倉一平氏発起にて相場売買を始たり、是蠣殻町米商会社の起原なり明治九年政府米商会社条例を設けられ兜町と蠣殻町と対立して兜町ハ三井を始め故の商社の連中株主にて辻純市・後藤・荒尾氏役員たり、蠣殻町ハ林徳右衛門・有村・石原等役員たり、十六年の頃に至て両会社協議の上合併して、兜町の家屋を株式に売渡し蠣殻町に集りしより東京米商会社と改称せしなり
  世を渡る業ともなすか河舟の上り下りのあやふかりしを
                   サド
                     藤沢維宝


〔参考〕明治商工史 (男爵渋沢栄一撰) 第一七一―一七二頁〔明治四四年三月〕(DK140009k-0019)
第14巻 p.108-109 ページ画像

明治商工史 (男爵渋沢栄一撰)  第一七一―一七二頁〔明治四四年三月〕
    第十三章 東京米穀商品取引所
           東京米穀商品取引所支配人 入江保之助
 米穀取引所の沿革 本邦に於ける米穀取引は古き歴史を有するものにして、徳川時代にありて既に東京日本橋区伊勢町に米市を創設したるを始めとして、尾張家の蠣殻町蔵屋敷、紀州家の浜屋敷、水戸家の本所一ツ目石置場、仙台家の深川仙台堀蔵屋敷等に於て時々市を開きて廻米を売出し、又日本橋小網町に諸家納米引受元なる者を創設し、一大市場を開きて盛に米取引をなしたり
 維新後明治政府は商業の振起を奨励するの意を以て、東京の商人を
 - 第14巻 p.109 -ページ画像 
して貿易商社なる一組合を起さしめ、三井八郎右衛門をして其の総頭取たらしめ以て貿易に関する一切の事務を営ましむ、而して当時尚ほ租税米納の制行はれたるがため、其年貢米を処理するを目的とし明治二年貿易商社に米・油の限月取引を許可せられ、明治四年貿易商社を東京商社と改称す、其後米取引は年を逐ふて発達したるため玆に政府は一定の規正を設けて之を監督するの必要を感じ、明治七年株式取引所条約《(例)》を発布し、従来各地方に於て米油限月売買をなせるを廃し、米穀売買相場取引をなさんとする者は会社の規則を設け政府の許可を受くべき旨を定めたり。
 東京米穀取引所 先是明治四年三井・三野村・辻純平・荒尾亀次郎岩塚利兵衛氏等、米商界の趨勢に顧み、資本金五万円を以て築地に東京商社を設け、政府の許可を得、辻氏を頭取に推し、油・米の定期売買市場を開始し、油米価格の標準を定め、逐年盛況の域に赴きつゝありしが明治七年兜町に移れり、同年川上助八郎・田中平八・米倉一平氏等資本金五万円を以て中外商行社を起し政府の許可を得、米の売買市場を開始したり、後ち中外商行社は東京蠣殻町米商会所と改称し、東京商社は東京兜町米商会所と改称し相対峙したりしが、明治十六年に至り其競争の不利なるを悟り、両者相合併して東京米商会所と改称し、資本金拾万円を以て営業を開始したり、是れ即ち東京米穀取引所なり。


〔参考〕青淵百話坤 (渋沢栄一著) 第一〇一四頁 〔明治四五年七月〕(DK140009k-0020)
第14巻 p.109 ページ画像

青淵百話坤 (渋沢栄一著)  第一〇一四頁 〔明治四五年七月〕
    附録 渋沢青淵先生小伝(大沢正道編)
○上略 先生の辞職するに当り、親善なる友人玉乃世履、松本暢相伴ひ先生が小川町の第を訪ひ、其有為の才識を以て官職を辞するを惜み大に忠告する所あり。先生云、官吏は凡庸を以て可なり。商人は賢才を要す。商人賢才なれば国家の繁栄を増加すべし。古来の風習として官吏たるを無上の光栄と為し商工業者を軽侮す。実に笑ふに堪へたり。我国今日の急務は人をして此の如き誤謬を去り、賢才を駆て商工業界に投ぜしめ、以て其品位を高くして社会の上流に居り、世人をして商工業者は即ち徳義の府なりと謂はしめざるべからず。余は従来商工業に於て経験に乏しといへども、胸中一部の論語を以てこれを経営し、以て両君の厚誼に酬いむと。二人は其斬新の識見に服せしと云ふ。後に松本暢は官を去り、先生の推薦に依て東京米穀取引所の理事と為る。是れ先生の説によりて豹変せし者と謂ふべき乎。○下略
  ○本文中ニ云ヘル松本暢、東京米穀取引所ノ理事ニ就任セルノ年月ヲ未ダ詳ラカニセザレドモ、姑ク参考資料トシテ掲グ。