デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
25節 取引所
3款 横浜洋銀取引所
■綱文

第14巻 p.110-111(DK140010k) ページ画像

明治10年7月11日(1877年)

栄一外十一名、明治九年太政官布告第百五号米商会所条例ニ準拠シテ横浜ニ洋銀取引所ヲ設立センコトヲ計リ、是日、神奈川県庁ヲ経テ内務省ニ出願ス。


■資料

(永田甚七)書翰 渋沢栄一宛(明治十年)三月九日(DK140010k-0001)
第14巻 p.110 ページ画像

(永田甚七)書翰 渋沢栄一宛(明治十年)三月九日 (渋沢子爵家所蔵)
尊翰拝見仕候、種々御用御差続《(湊カ)》ニ付本日御出頭被遊兼候段敬承仕候、大坂廻金東北円差送リ候心得ニ而荷造リ致し掛ケ候処、三菱当座ロ東北円取付ニ被参是も大坂廻しニ付新札ニ而仕払有高大ニ減し候間、当店分者新札ニ北円発行紙幣カ北円都合ロ北円本日横浜迄差立候、明日者兵隊乗込候ニ付混雑之由ニ御座候、送リ高不足ニ候へ共次便ニも必現送可致旨ヲ委細添状ニ而申遣候
本日之仕払カ東北円ニ而入金ニ北タ南円ニ御座候、本日出入後仕払明日勘定之分仕払東タ北円有之準備大ニ相減候間、明日者横浜之有物不残取寄候而計算相立候積リニ御座候
古川之義承知仕候、未タ何共不申出候
御認物者夫々相渡申候、大川氏帰京之趣一ト先安心仕候、洋銀取引所之義ニ付御実印奉願度則書面封中仕候間、明朝芝崎へ御渡可被下候来状其外福岡氏へ相渡申候
右御請旁奉申上候 謹言
  三月九日                 (朱印)
                    永田甚七(印)
    渋沢大君
       御受
   ○栄一宛永田甚七ノ本書翰ハ三月九日トノミアリテ年ヲ記サズ。シカレドモ文中「明日者兵隊乗込候ニ付混雑之由ニ御座候」トアルハ西南役従軍ノ兵隊乗込ヲ意味スベク、左ノ横浜毎日新聞所載ノ東京鎮台云々ノ記事ニ該当スベシ。スナハチ本書翰ハ明治十年ト推考セラル。尚、前半暗号ヲ用イ意味不明ノ個所アレド暗号書翰ノ資料トシテココニ収ム。
     横浜毎日新聞第一八八三号〔明治一〇年三月一〇日〕
     ○昨九日午後六時出帆の瓊浦丸にハ陸軍士官並に軍医の面々都合二百六十余名乗組み其外弾薬医療器械等も積込みになりたり
     ○今十日午後四時出帆の東京丸にハ一昨日より砲兵弾薬四百九十函程積込み本日東京鎮台歩兵第一聯隊第一大隊同第二聯隊第一大隊其外今度編制されし第一後備軍も乗組たりといふ


銀行課第一次報告 自明治六年七月 至明治十二年六月 第二〇八頁(DK140010k-0002)
第14巻 p.110 ページ画像

銀行課第一次報告 自明治六年七月 至明治十二年六月 第二〇八頁
    第十八款 横浜洋銀取引所ノ事
○上略
是ヨリ先キ明治十一年七月十一日渋沢栄一外十一名《(マヽ)》ハ米商会所ノ条例ニ準拠シ洋銀取引所ヲ横浜ニ創立センコトヲ請願ス○下略

 - 第14巻 p.111 -ページ画像 

東京経済雑誌 第二号・第五五頁〔明治一二年二月二七日〕 横浜洋銀取引所ノ創立(DK140010k-0003)
第14巻 p.111 ページ画像

東京経済雑誌 第二号・第五五頁〔明治一二年二月二七日〕
    横浜洋銀取引所ノ創立
○上略聞ク処ニ依レバ此議ノ発セシコト今日ニ始マルニアラズ、初メ発起人等ガ此事ヲ政府ニ出願シタリシハ実ニ明治十年七月十一日ノ事ニシテ、当時未ダ株式取引所条例モナカリシカバ、米商会所ノ規則ニ依テ営業セントノ意ナリシトゾ、此願書神奈川県庁ヲ経テ内務ニ至リシニ○下略