デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
25節 取引所
3款 横浜洋銀取引所
■綱文

第14巻 p.111-123(DK140011k) ページ画像

明治12年2月15日(1879年)

是月十三日、太政官布告第八号発セラル。仍テ栄一、渋沢喜作・大倉喜八郎・茂木惣兵衛・吉田幸兵衛・中村惣兵衛・西村喜三郎・田中平八・松野和邦・益田孝・原善三郎ト、明治十一年太政官布告第八号株式取引所条例ニ準拠シ、資本金十二万円ヲ以テ横浜ニ洋銀取引所ヲ設立センコトヲ、是日大蔵省ニ出願シ、同十七日大蔵卿大隈重信ノ允許ヲ得タリ。


■資料

法令全書 明治一二年 太政官 布告 第八号(二月十三日輸廓附)(DK140011k-0001)
第14巻 p.111 ページ画像

法令全書 明治一二年
太政官 布告 第八号(二月十三日輸廓附)
従来神奈川県下横浜港ニ於テ洋銀相場取引致シ候者有之候処、右ハ一切禁止候条、自今洋銀取引所設立営業致シ度者ハ昨十一年五月第八号布告株式取引所条例ニ照準シ、大蔵卿へ可願出、此旨布告候事
 但資本金ハ拾万円以上、売買証拠金ハ百分ノ三以上タルヘシ


横浜毎日新聞 第二四六一号 〔明治一二年二月一六日〕 【渋沢栄一・同喜作・大倉…】(DK140011k-0002)
第14巻 p.111 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六一号〔明治一二年二月一六日〕
○渋沢栄一・同喜作・大倉喜八郎・茂木惣兵衛・吉田幸兵衛・中村惣兵衛・西村喜三郎・田中平八・松野和邦・益田孝・原善三郎の諸氏ハ此度株式取引所条例を遵奉し資本金十万円を以て本港へ洋銀取引所を設立いたし度と昨日大蔵省へ出願したりと聞けり


横浜毎日新聞 第二四六二号 〔明治一二年二月一八日〕 【又過日差出せし同相場…】(DK140011k-0003)
第14巻 p.111 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六二号〔明治一二年二月一八日〕
○又過日差出せし同相場会所設立願ひハ許可相成□《(不明)》次第本町三丁目第二国立銀行の側らなる元金穀相場会所跡に開業する由


銀行課第一次報告 自明治六年七月 至明治十二年六月 第二〇七―二〇八頁(DK140011k-0004)
第14巻 p.111-112 ページ画像

銀行課第一次報告 自明治六年七月 至明治十二年六月 第二〇七―二〇八頁
    第十八款 横浜洋銀取引所ノ事
横浜其他各開港場ニ於テ従来売買ノ間ニ慣用セル洋銀ナルモノハ其相庭常ニ輸出入ノ多寡ニ従テ昂低シ嘗テ一定ノ価格無ク、之レカ為メ多少障碍ヲ内外ノ貿易ニ来スハ今更ニ論スルヲ要セス、然ルニ十一年ノ末ヨリ其相庭漸ク騰貴ノ一方ニ傾キ十二年一・二月ノ交ニ至リテハ七拾五匁以上トナリ其勢駸々殆ト禦クヘカラサルノ状況アリ、是レ畢竟
 - 第14巻 p.112 -ページ画像 
輸出入ノ不平均ヨリ発現スル結果ナリト云フト雖、其騰貴斯ノ如キ甚シキヲ致ス所以ノモノハ職トシテ空相場ノ盛ナルニ此レ由ルナリ、之レカ為メ各港貿易ノ商估直接ノ損害ヲ蒙ムルハ勿論内地ノ商況モ亦間接ノ影響無キ能ハス、今ニシテ之ヲ救済スルノ方法ヲ設ケサレバ遂ニ欧米ニ所謂「パニツク」ヲ我国ノ貿易上ニ現出スルモ計ルヘカラス、実ニ寒心スヘキノ極ナリ、是レ蓋シ公許設立ノ取引所無ク人民随意ニ之レカ取引ヲナシテ一モ法制ノ覊約ヲ受ケサルノ致ス所タリ、是ニ於テ乎我大蔵卿閣下ハ洋銀取引所設立ノ考案ヲ具シ之ヲ太政官ニ上申セラル、太政大臣閣下ハ同年二月十二日《(三)》ヲ以テ、従来横浜港ニ於テ私ニ営ミタル洋銀相場ノ取引ハ自今一切之ヲ禁止ス、若シ該取引所ヲ設ケ営業センコトヲ欲スルモノハ株式取引所条例ニ照準シ大蔵卿ヘ出願スヘシ、且其資本金ハ拾万円以上売買証拠金ハ百分ノ三以上タルヘシト布告セラル、尋テ大蔵卿閣下ハ該取引所ノ設立当分横浜港ニ於テ一ケ所ニ限ルヘキ旨ヲ布達セラレタリ
是ヨリ先キ明治十一年七月十一日渋沢栄一外十一名《(マヽ)》ハ米商会所ノ条例ニ準拠シ洋銀取引所ヲ横浜ニ創立センコトヲ請願スト雖モ未ダ其許否ヲ指令セラレズ、然ルニ此布告アルニ迨ンテ更ニ資本金拾弐万円ヲ以テ之ヲ創立セント追請シ其許可ヲ得タリ○下略


金銀貨幣ノ取引公許ノ沿革概略(中橋和之 広津直人編)明治一五年三月(DK140011k-0005)
第14巻 p.112 ページ画像

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〔参考〕中外物価新報 第一二号〔明治一〇年二月一七日〕 ○横浜洋銀取引相場二月十六日発(DK140011k-0006)
第14巻 p.112 ページ画像

中外物価新報 第一二号〔明治一〇年二月一七日〕
○横浜洋銀取引相場二月十六日発
午前言合 六十二匁六分
午後言合 六十二匁五分 限月売買当分休


〔参考〕中外物価新報 第五三号〔明治一〇年一二月一日〕 横浜商況 洋銀相場(DK140011k-0007)
第14巻 p.112-113 ページ画像

中外物価新報 第五三号〔明治一〇年一二月一日〕
  横浜商況
    洋銀相場
洋銀ハ生糸の景況に連れて昂低するハ普通なれど、昨今生糸の気配よきに拘らず洋銀の高価なるハ支那人及日本商人の中にて見込買を為す
 - 第14巻 p.113 -ページ画像 
ものあるゆへにて、生糸の売込み引き続き昨今の如くなれバ此上の騰貴ハあるまじと思わる


〔参考〕横浜毎日新聞 第二一六七号 〔明治一一年二月二〇日〕 日本紙幣漸ク下落ノ徴ヲ見ハシタリ(DK140011k-0008)
第14巻 p.113-114 ページ画像

横浜毎日新聞 第二一六七号〔明治一一年二月二〇日〕
    日本紙幣漸ク下落ノ徴ヲ見ハシタリ
余儕ハ世人ト共ニ痛心シタル日本政府ガ発行セシ紙幣モ日ヲ逐フテ漸ク下落ノ徴ヲ見ハシタリ、世人ハ我カ毎日掲載スル横浜洋銀相場ヲ見タリシヤ、客年ノ末ヨリ日々騰貴シ分厘ノ積遂ニ六十四匁七八分ニ至リシニアラズヤ、世人ハ洋銀相場ノ日々騰貴スルヲ見テ偏ニ貿易上ヨリ来ルト為ス可シ、余儕ハ世人ト其思想ヲ異ニシ其騰貴ヲ聞ク毎ニ未ダ嘗テ驚歎ノ声ヲ発セズンバアラザルナリ、夫レ洋銀相場ノ大ニ騰貴スルハ彼洋銀ト我カ貨幣ノ間ニ於テ等格ヲ生ズルニ似タリト雖モ全ク然ラズ、何ントナレハ我正貨ト紙幣トノ間ニ於テモ亦幾分ノ等格ヲ生ズル者アレバナリ、余儕ガ日々聞ク所ニシテ記載スルニ憚ル者ハ我ガ紙幣ト正貨トノ等格ナリ、世人モ既ニ諒知スル如ク我ガ正貨ハ洋銀ト一般ニ騰貴ノ色ヲ見ハシ、現ニ金貨相場ハ百円ニ付紙幣百十一円乃至十二円、銀貨ハ百六円乃至六円五十銭ナリト、余儕ガ聞ク所ヲシテ信ナラシメバ豈ニ甚タ恐懼ス可キ者ニアラズヤ
夫レ洋銀ハ六十四匁七八分ノ騰貴ヲ致スト雖モ、之ヲ金銀貨ニ比較セバ未ダ以テ少シモ騰貴シタリト為スニ足ラサルナリ、現ニ之ヲ見ヨ、金貨ハ百十一円五十銭銀貨ハ百六円ニシテ、洋銀ハ百七円九十一銭余六十四匁七分五厘ノ比例ニアラズヤ、之ヲ銀貨ニ比較セバ一円七八十銭ノ高価ヲ有スト雖トモ之ヲ金貨ニ比較セハ幾ント四円ノ低価ヲ成セリ、然ラバ則チ洋銀ハ騰貴シタリト云フト雖トモ其実ハ洋銀ノ騰貴シタルニ非ラズ我ガ紙幣ノ下落シタルナリ、然レトモ論者或ハ曰ク、目今洋銀ノ騰貴セルハ紙幣ノ下落シタルヨリ生スルニアラズ全ク貿易上ヨリ来ルナリ、貿易上ヨリシテ洋銀ハ騰貴シ洋銀ハ騰貴セシヨリ我正貨ト紙幣ニ等格ヲ生セリト、此割合ハ何レヨリ来ルニセヨ洋銀ト正貨ノ間ハ左程差違ヲ生セスシテ独リ紙幣ニ於テ等格ヲ生スル時ハ我紙幣ハ下落シタリト為サヽルヲ得ザルナリ
夫レ十円ノ金貨一枚ハ一円ノ銀貨□《(十)》枚ニ当リ、一円ノ銀貨一枚ハ一銭ノ銅貨百枚ニ当ルハ我ガ政府ノ定ムル所ナリ、然レトモ金貨ト云ヒ銀貨ト云ヒ皆ナ本質ノ通価ニ因リテ其定位ヲ立ツル者ナレハ其ノ勢時ニ因リテ差違ヲ生セザルヲ得ズ、何ントナレハ金銅ノ産出ハ平生ニ変ラサルモ独リ銀ノ産出遽ニ多キヲ加ヘ昔日ニ倍蓰スル者アラハ銀ト金銅トノ間ニ於テ必ズ五ト十トノ差格ヲ生スル者アレハナリ、一国内ニ於テ且ツ然リ、況ンヤ博ク外国ト交易スルニ於テヲヤ、故ニ今日我ガ金銀貨ノ間ニ於テ十ト九、六三(金貨百十一円ト銀貨百〇六円ノ比例ナリ)ノ差違ヲ生スル者ハ則チ我ガ金貨漸ク減少シテ我銀貨漸ク増加スルノ徴ナリ、夫レ然リ金貨減少シテ銀貨増加スルノ徴ナレハ縦令向後金貨ノ割合ハ銀貨ニ一倍スト雖トモ未タ以テ大患ト為スニ足ラス、只紙幣ノ価格一タビ下落セハ終ニ防遏ス可カラサル大害ヲ来サントス
夫レ紙幣ハ固ヨリ無価ノ紙切レノミ、無価ノ紙切ニシテ有価ノ物品ト交換シ得ル者ハ何ソヤ、其随フ所ノ者有価物(正貨ヲ云フ)ナレハナ
 - 第14巻 p.114 -ページ画像 
リ、故ニ金貨ヲ本位トスル国ニ於テハ紙幣モ亦金貨ニ随テ上下ス可ク銀貨ヲ本位トスル国ニ於テハ紙幣モ亦銀貨ニ随テ上下ス可クシテ、紙幣ハ始メヨリ独立独歩スル者ニ非ス、我国ノ如キハ金貨ヲ以テ本位トスルトキハ紙幣モ亦金貨ニ随テ上下セズンバアル可ラズ、然リ而シテ今日ノ形状将ニ金貨ニ随テ上下スル能ハザルノミナラズ、之ヲ銀貨ニ比較スルモ猶ホ一ト一、〇六ノ差違アリトセバ紙幣ナル者将タ何ニ随テ上下スル者ナルヤ、紙幣ニシテ随フ所ナケレバ其下落モ亦防遏ス可ラサルナリ
世ノ論者曰ク、方今紙幣ノ増発スル通貨ト物品トノ間ニ於テ多少ノ影響ヲ及ス者アリト、誠ニ然リ、夫レ通貨多キ時ハ物品貴クシテ通貨賤キハ理ノ常ナリ、然リト雖通貨ト物品トノ昂低アルハ未タ甚キ患ヲ為スニ足ラス、何ントナレバ其昂低モ限極アリテ測知ル可ケレハナリ、若シ夫紙幣ニシテ正貨ヲ離ルヽ者アラハ其下落豈ニ窮極アランヤ、目今我カ横浜洋銀ノ相場ハ六十四匁七八分ニシテ、民間売買スル正貨ト紙幣トノ割合ハ金ハ百ト百十一二、銀ハ百ト百〇六七ナリト聞ケリ、若シ是説ヲシテ果シテ信ナラシメハ余儕ガ所謂ユル日本紙幣漸ク下落ノ徴ヲ見ハシタリトノ論題豈ニ妄言ナランヤ


〔参考〕東京日日新聞 第一八七四号〔明治一一年三月六日〕 雑報(DK140011k-0009)
第14巻 p.114 ページ画像

東京日日新聞 第一八七四号〔明治一一年三月六日〕
    雑報
○横浜の洋銀相場ハますます騰貴して一昨日は六十六匁四分八厘までになりたり、夫に付き或る商人の咄しに、御一新の翌年にも恰ど今年の如く洋銀の高くなりて六十八匁三分二厘にまで持ち行しとき、猿相場師が又た其上に一厘の歩をうちて三分三厘にて買ひに掛り若干の利潤をせしことあり、案ふに此時は太政官札の下落して百円に付き卅五六円前後の引換なるより斯る洋銀の狂ひをなせしと見ゆ、されば昨今の高価も発行紙幣の余りに多過る影響《さしひゞ》きにはあらざる《(か)》が、兎に角この景気にて押往かば日本の売込屋は引取り商館に肉も膏も皆な吸ひ取られて仕舞ふべしと歎息して語りしよし、と書終る時また同港より報知あり、曰く、昨五日の寄附は六十七匁五分午後は六十八匁なりと


〔参考〕横浜毎日新聞 第二二一五号 〔明治一一年四月一八日〕 【本港南仲通二丁目…】(DK140011k-0010)
第14巻 p.114 ページ画像

横浜毎日新聞 第二二一五号〔明治一一年四月一八日〕
○本港南仲通二丁目の洋銀取引所ハ、先頃洋銀騰貴の折同町一丁目両替渡世谷川屋某が四十万円の玉を買ひ差金一万円程なしたるも、即今俄かに下落に趣き早や差金に差支へ、右勘定の立たざるより同氏は一時戸を閉る場合に至りしかば、仲買人等気を揉み、若し同氏の勘定立ざる時は銘々の損益にもかゝわるとて一昨夜より夜明しに種々相談最中の趣きにて、昨日は取引も休みたり、併し内々相場は午前四匁一分午後四匁位なりと聞く


〔参考〕銀行雑誌 第八号・第一―一二頁〔明治一一年七月三〇日〕 洋銀ノ事(DK140011k-0011)
第14巻 p.114-117 ページ画像

銀行雑誌 第八号・第一―一二頁〔明治一一年七月三〇日〕
    洋銀ノ事
貨幣ニ貴フ所ノモノハ浮沈ノ甚シカラザルニ在リ、貨幣ニシテ浮沈セバ何ヲ以テ他物ノ動揺ヲ点示スルヲ得ン、然リト雖トモ金銀モ亦タ一
 - 第14巻 p.115 -ページ画像 
箇ノ商品ナルヲ以テ全ク動揺ナキ能ハズ、故ニ至良ノ法制ヲ設ケテ成ルベキ丈ケ確然不動ノ点ニ近邇セシメント欲スルハ豈ニ其レ経済学士ガ当今ニ講究尋思スルノ一項ニシテ、彼ノ両本位単本位ノ二論ノ如キモ実ニ之ニ基ヒスルモノニアラズヤ
熟々我国五港ノ通貨タル洋銀ノ景況ヲ察スルニ余輩ハ其貨幣ノ真性ヲ欠クニ驚カズンバアラザルナリ、余輩ハ其通商ノ利ヲ妨害スルヲ嘆ゼズンバアラザルナリ、今洋銀相庭ノ沿革ヲ略記シ次ニ其浮沈ノ景況ヲ述ベン、読者請フ左ノ一表ニ就テ洋銀相庭ノ概勢ヲ熟視シ余輩カ解説ヲ聴クニ便ナラシメヨ
    文久二年以後ノ洋銀相庭年表

図表を画像で表示文久二年以後ノ洋銀相庭年表

         匁 文久二年一月 35,82   三年一月 34,49 元治元年一月 35,20 慶応元年一月 34,66   二年一月 39,50   三年一月 37,63 明治元年一月 44,19   二年一月 52,44   三年一月 63,10   四年一月 60,47   五年一月 61,17   六年一月 62,63   七年一月 61,92   八年一月 62,19   九年一月 60,00   十年一月 60,92  十一年一月 62,83 



右ノ表ヲ一見スルトキハ読者ノ洋銀ノ昔日ニ廉ニシテ今日ニ貴キニ驚カザルヲ得ザルベシ、抑モ此ニハ一箇ノ事情アリ、明治以前ノ有様ハ決シテ明治以後ノ理ヲ以テ推スベカラザルナリ、蓋シ之ヲ聞ク・往時我国ノ未タ外交セサルヤ金ノ価格ハ非常ニ廉ニシテ殆ント金一銀四ノ割合ナリト、是レ我国金ノ産出世界ノ諸国ニ比シテ多量ナルカ為メカ其レ将タ往時ノ政府此工業ヲ特管シテ利不利ニ関セス之ヲ鑿出シタルニ基クカ、余輩ハ今日之ヲ定断シテ読者ニ報道スルノ識ナシト雖トモ彼ノ李舜水ガ日本金価廉也中国百倍之ト云フヲ見レハ我国金価ノ廉ナル一日ニアラサルヲ知ルナリ、サレバ開港ノ始メ外人ノ我国ニ来ルモノ駭然トシテ金銀ノ割合ノ懸隔セルニ驚ケリ、当時世界ノ諸国ニ於テハ金一銀十五乃至十六ノ割合ナルヲ以テ、外人ハ他国ヨリ四弗ノ銀貨ヲ齎シ来テ之ヲ我国ニ交換セハ十五弗乃至十六弗ノ価格アル金貨ヲ得ヘキナリ、是ニ於テ同量同価ノ条約ヲ定メ、洋銀一弗ハ我三分ノ銀ト同量ナリトノ事ニテ之ヲ四十五匁ノ銀貨ト交換シ、之ヲ以テ我金貨ヲ購買シ去リ、且ツ開港ノ初年ニハ日本政府ヲシテ支庁ヲ置テ交換ヲ弁セシメタリ、蓋シ何レノ国ノ通商ニ於ケルモ開港初年ノ景況我国ノ如ク奇異ナルモノ多クアラサルベシ、其目的トスル所ハ貨物ノ交易ニアラスシテ寧ロ貨幣ノ交換ヲ主トセルガ如シ、是ヨリ我カ国ノ金貨去リテ海外ニ赴クモノ其高幾巨万ナルヲ知ラズ、サレバ当時四十五匁ノ量目アリシ洋銀ヲ三十五匁程ニ交換スルモ彼ニ於テ大利アリシヲ以テ実際ニ於テハ三十一匁以下ニ下落セシコトアリト云ヘリ
明治以前ノ景況ハ右ノ如クナルニ付キ其下落ハ交易ノ差高ヨリ発スルモノニアラスシテ、我金銀ノ割合世界ノ相庭ト異ナルニ基クモノナレハ、之ヲ以テ明治以後ノ浮沈ヲ支配スヘキノ理ヲ講究スルノ資トナス能ハザルナリ、明治ノ始メニ至リテハ我国金貨既ニ流出シテ銀ニ対スルノ割合世界ノ諸国ト平均シ、加フルニ交易亦旺盛ノ地位ニ進ミ漸ク将ニ平均相庭ナル四十五匁ニテ流通セントシタリシニ、此時紙幣初テ
 - 第14巻 p.116 -ページ画像 
流通上ニ突出シ、之カ為メ其相庭直ニ五十匁ヨリ六十匁ニ進ミ、其後新貨幣行ハルヽニ及ンデ一円ノ銀貨ハ殆ント洋銀一枚ト分量ヲ同フセシカバ、其平均相庭ハ六十匁トナリテ今日ニ至ルマデ連綿トシテ五港ニ流通シ因習ノ久シキ終ニ通商必需ノ通貨ト認視セラルヽニ至レリ、サレハ明治以前ニアリテハ其昇降ハ四十五匁ヨリ算セサルベカラス、新貨ノ行ハレシ後ニハ六十匁ヨリ算セザルヘカラス、是レ洋銀相庭ヲ講究スルニ於テ最モ注意スヘキノ要件ナリ
以上ニ於テ余輩ハ既ニ洋銀ノ履歴ヲ略記シタルニ付キ、更ニ一歩ヲ進メテ現今ノ景況ヲ説カン、蓋シ洋銀相庭ノ浮沈ハ一般通貨ノ理ヲ以テ推測スベカラザルモノアリ、夫レ通貨ノ浮沈ハ商売取引ノ縮張ニ感シ他ノ貨物ニ対スルノ浮沈ナリ、而シテ所謂洋銀相庭ナルモノハ我円金即チ通貨下傚之ニ対スルノ浮沈ニシテ、商売取引ノ縮張ニ感シ他ノ物貨ニ対スルヨリハ寧ロ彼我貸借ノ差額ヨリ発スルモノト云ハザルベカラサルナリ、抑モ国々貨物ノ製産時ニ於テ大異アリ故ニ輸出入ノ増減月々一様ナル能ハス、我国外国交易ノ如キハ輸入ノ総額ハ月々格別ノ変異ナシト雖トモ、輸出ノ総額ニ至リテハ一歳ノ中非常ノ懸隔アリ、概スルニ上半年ハ極メテ少ク下半年ハ極メテ多シ、其多キ時ニハ輸出常ニ輸入ニ超ヘ其少キ時ニハ輸入常ニ輸出ニ超ユ、今特ニ横浜一港ヲ以テスルニ其平均点ニ昇降スル或ハ三百万円ヨリ多量ナリトハ概算スル能ハザルナリ、是ヲ以テ輸出ノ多キトキハ洋銀ヲ以テ円金ヲ買フモノ多ク円金ヲ以テ洋銀ヲ買フモノ少シ、其勢洋銀下落セザルヲ得ス、之ニ反シ輸入ノ多キ時ハ円金ヲ以テ洋銀ヲ買フモノ多ク洋銀ヲ以テ円金ヲ買フモノ少シ、其勢洋銀騰貴セザルヲ得ス、如此現像ハ一歳ノ内ニ必ス二回アリ、左ノ表○略スニ就テ其実跡ヲ見ルベシ
右ノ表ヲ一目スルニ、去ル明治八年以降輸入超越ノ針路ハ常ニ一月頃ヨリ次第ニ増進シ五月ノ間ニ至リ最頂ノ点ニ達シ、是ヨリ次第ニ下降シ七八月ヨリ其針路ハ輸出超越ノ部内ニ侵入シ九十十一ノ際ニ至リテ其勢最モ盛ナルコトヲ見ルヘシ、而シテ其洋銀相庭ノ針路ヲ較考スルニ、明治九年ノ上半年ノ一例ヲ除クノ外ハ全ク同一ノ方向ニ在テ輸入ノ多キトキハ其価円金ニ対シテ登リ、輸出ノ多キトキハ其価円金ニ対シテ下ルコト符節ヲ合スルガ如シト云ハザルヘカラス、是レ余輩カ固ク洋銀相庭ノ浮沈ハ彼我貸借ノ差高ニ伴フコトヲ信スル所以ニシテ、而シテ其浮沈ノ甚シキ高キハ一円五銭三厘ニ上リ、低ハ九十四銭八厘ニ下ル実際ニ於テハ更ニ甚シキモノアリ其間殆ント一割以上ノ差アリ豈ニ甚シカラスヤ今夫レ洋銀ノ浮沈ハ貿易場裏ニ向テ果シテ何等ノ状況ヲ現出スルヤヲ視察スルニ、其害実ニ言ニ忍ヒザルモノアリ、是レ五港ノ通貨内地ト同一ナラザルニ因ルモノナリ、夫レ洋銀ハ内地ニ通用セザルカ為メニ我商賈ハ之ヲ受クルモ郷里ニ齎帰シテ其負債ヲ償フ能ハズ、故ニ割引ノ過甚ナルヲ顧ミルニ遑アラズシテ是非トモ港中ニ於テ交換セザルヘカラズ、而シテ外人ニアリテハ此時多ク内人ニ払ヒテ之ヲ得ルノ道窮スルカ為メニ高料ノ打歩ヲ払フモ之ヲ買受ケザルベカラズ、若シ此時洋銀ノ価貴カラサレバ外人ハ更ニ多ク貨物ヲ購求スルヲ得ベク、内人モ亦能ク一層ノ利益ヲ占メ得ベシ、畢竟外人ハ我輸出品ヲ貴買シ内人ハ之ヲ廉売シ両者ヲシテ空シク交換ノ打歩ヲ払ハシム、其費幾巨万ナ
 - 第14巻 p.117 -ページ画像 
ルヲ知ラズ、是レ輸出超過ノ時ノ一例ナリ、輸入超過ノ時ハ之ニ反シ内人ハ高価ノ洋銀ヲ買テ洋品ヲ引取リ、外人ハ高価ノ為替ヲ以テ其代金ヲ本国ニ送致セザルヲ得ズ、要スルニ輸出入ノ内孰レカ超過スルモ内外商賈ハ斉シク其害ヲ蒙リ、一人モ其利益ヲ得ルモノアラズ、英人「マクレヲツド」氏ノ言ニ曰ク、貸幣交換ノ行ハルヽハ幣制ノ不整ナルニ由ル、万国一貨ノ制行ハルヽニ至ラバ豈ニ貨幣交換ノ如キ無用ノ業ヲ営ムモノアランヤト、今万国一貨ノ制ヲ行フノ難易ハ暫ラク論セス、要スルニ貨幣ノ一様ナラサルハ通商ニ害アリト言ハザルヘカラサルナリ
五港ノ通商此ノ如クナルガ為メニ我円金ハ直ニ外国貨幣ト為替ヲ取結フ能ハズシテ必ス洋銀ノ媒妁ヲ俟タザルベカラザルニ付、彼我ノ貸借ヲ決スルニハ必ス二回ノ交換ヲ経ザルベカラズ、余輩ハ表中ノ倫敦ニ対スル為替相場ノ針路ヲ掲載セリ、是レ特ニ倫敦ト横浜トノ貸借ニ関スルヲ以テ横浜為替相庭全体ノ形況ヲトシ難シト雖トモ、倫敦ハ世界貿易ノ中心ナルヲ以テ稍々其概勢ヲ表シ難キニアラズ、尤モ外国為替ノ事タル貸借計算ノ時ニ至リテ発スル所ノ差額ヨリ動揺スベキモノナレバ、必ズシモ同月ノ交易差高ト符合スベカラザルモノアリ、今此ノ一事ヲ外ニシテ右ノ表ヲ視察スルニ、余カ輩ハ其針路ノ同一ニシテ貿易真理ノ動カスベカラザルニ驚カザルヲ得ザルベシ、サレバ我輸出ノ超過スルニ当テヤ、英金ヲ以テ洋銀ヲ買フモノ多ク洋銀ヲ以テ円金ヲ買フモノ多シ、故ニ円金ハ洋銀ヲ制シ洋銀ハ英金ヲ制セリ、輸入ノ超過スルニ際シテハ其情況之ニ反シ英金ハ洋銀ヲ制シ洋銀ハ円金ヲ制セリ、仔細ニ表中ヲ視察セハ此事ノ虚ナラサルヲ詳知シ得ベキナリ、蓋シ各国通商ノ情タル未タ一方ノ利害ヲ以テ俄カニ旧慣ヲ改メ難キモノナキニアラズト雖トモ、洋銀ノ如キハ内外商賈斉シク其害ヲ蒙リ共ニ其弊ニ苦シムモノ日一日ニアラス、而シテ内外商賈未タ之ヲ排除センコトヲ謀ルモノアラザルハ抑亦何ゾヤ、余カ輩ハ玆ニ洋銀浮沈ノ実況ヲ挙ケ以テ内外商賈ハ果シテ何等ノ看ヲナスヤヲ観ントス


〔参考〕横浜毎日新聞 第二三六六号 〔明治一一年一〇月一七日〕 【昨日本港の洋銀取引…】(DK140011k-0012)
第14巻 p.117 ページ画像

横浜毎日新聞 第二三六六号〔明治一一年一〇月一七日〕
○昨日本港の洋銀取引所ハ仲買人平松屋が空を買ひ其勘定の立ぬ処より一時沸騰を生し相場も立ぬ程の勢ひなりしが、漸く其勘定のおちつきしにや午前十一時より相場にかゝれり、然るに何となく人気穏かならず一場面毎に九分宛の差違を生じ売買とも余程六ケ敷景況に思はれたり、又斯く洋銀の騰貴するは開港以来始めてのことにて、既に先年太政官金札発行の折すら極頂上の騰貴に至りしも六十八匁なり、去ればこの騰貴は其原因の寄る処なく全く引取上の不景気より斯くは騰貴に至りしなるか


〔参考〕横浜毎日新聞 第二三六八号 〔明治一一年一〇月一九日〕 【本港洋銀取引ハ益益…】(DK140011k-0013)
第14巻 p.117-118 ページ画像

横浜毎日新聞 第二三六八号〔明治一一年一〇月一九日〕
○本港洋銀取引ハ益益騰貴に立至り夫が為め既に前号へ出せし如く空を買ふものありて去る十七日は取引所の場面も立ざりしが、昨日に相成り漸く人気落付き平日に変りなく取引せしがまたまた騰貴を極め昨日は太田町白木屋が空を買ひ差金勘定の立ぬより取引所の場面立□《(た)》
 - 第14巻 p.118 -ページ画像 
ず仲買人一同羽衣町の芝居茶屋にて相談を為せしよし、尤も内景気は七十一匁六分なり、又洋銀騰貴せしより誰人が利益ありしやと尋れば多くは清国人にて日本仲買人に損じ多し


〔参考〕中外物価新報 第一四一号〔明治一一年一〇月三〇日〕 ○東京商況(DK140011k-0014)
第14巻 p.118 ページ画像

中外物価新報 第一四一号〔明治一一年一〇月三〇日〕
    ○東京商況
洋銀近日の変動ハ実に古今未曾有のことにして最高七十二匁三・四分迄騰り底止する所を知らざる勢なりしを以て竟に相場所を閉じたり、此に於て洋銀の交換ハ全く相対取引と成りしを以て引取屋ハ休業同様の姿となり市上の景況殆と五里霧中に坐するが如く僅に一・二万弗の洋銀を交換せんとするも容易に為す能ハず、強て売らんとするハ内景気よりも一・二匁の下直を付け強て買ハんとすれバ一・二匁の高価を唱へ商估の困却浅少ならず、然るに廿七日に至り俄然気配を変じ内景気六十七匁迄に下落し最高に比し五匁以上の差を生ぜり、然りと雖も是亦内景気のみにして相場所開設せしにあらざる故此相場を以て障りなく売買なし得るにあらず、却て奸商の好機会となり或ハ政府にて此相場を抑制せん為め銀貨二百万円を市上に発出して紙幣を買収せらるると云ひ、生糸荷主等ハ七十匁以上の目算にて売込み受取りたる洋銀なれバ六十七・八匁位にて売払ふときハ大なる損失となるゆへ、到底此下落ハ一時のことと見据へ牢乎として保持し各銀行にてハ是迄洋銀を預りて紙幣を融通したるも此下落以来之を停止し、其間支那商人等の奸策を為すものありて到底相場所の開設相成らざる間ハ真の相場を喚起すること難からんか、偶々在横浜某より其筋へ通報せしものゝ写を得たれバ左に掲げて参観に供す
 本日(廿七日)洋銀午前九時六十八匁二・三分より始り午後五時六十七匁に至り一昨廿五日より僅三日の内に五匁七・八分の差を生じ開港以来の大変動に有之、尤も都て合対売買に付同時にして相場に大に不同あり、其原因ハ洋銀取引所過日来閑場《(閉カ)》したる為めに人気を纏ること能ハず連々下向此順なれバ又々引下げ可申、然れども元来輸入品代り銀不充分に付底意強く取引所開場候ハヽ又何様の変動を来たし候も難計き景況に御座候、右洋銀下落ハ廿五日前に比すれバ生糸百斤六百弗へハ我国の通貨にて五・六十円の低価を見るに当り荷主共ハ此際売込難く洋銀相場の落付を見合居候、外商共も自国の景況甚だ不捌けの由にて望取不申、此原因を彼より聞くに英国に於て銀行閉店以来金融不通に相成大に為換打等へ差を生じ生糸に不限商業全面へ差響き、随て仏国里昂府も不景気の趣、昨今倫敦よりの電信に前橋一二番物にて十四志八片と申来、是以相場のみにして取引上誠に寝入の姿に御座候由、就てハ明日英国船出帆後ハ生糸の売込みも暫時打絶へ候哉も難計奉存候云々


〔参考〕横浜毎日新聞 第二四五三号 〔明治一二年二月六日〕 【昨日の洋銀相場ハ…】(DK140011k-0015)
第14巻 p.118-119 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四五三号〔明治一二年二月六日〕
○昨日の洋銀相場ハ午前十一時過より会所を開らき寄付七十八匁四分より八匁迄なりしが、午後に至り俄かに騰貴して九匁四分となり一時会所を閉さんとする有様なるが、又俄かに下落して六匁一分となり其
 - 第14巻 p.119 -ページ画像 
より漸く騰貴して夕方七匁二分となりしが、是日相場会所の雑沓云ハん方なく其影響南仲通一般に及んて恰も歳末の景況なりし、但し昨日の売買高ハ大凡四百万弗にして其中一人にて四十万弗を売りし者ありと云へり


〔参考〕横浜毎日新聞 第二四六一号 〔明治一二年二月一六日〕 【洋銀取引所ハ一昨日…】(DK140011k-0016)
第14巻 p.119 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六一号〔明治一二年二月一六日〕
○洋銀取引所ハ一昨日以来閉会し居れと、昨日ハ実物の内取引ありて其相場ハ午前七十五匁より四匁五分に下落し、午後にハ四匁迄下落せり


〔参考〕団々珍聞 第九〇号・第一四三五頁〔明治一二年一月一一日〕 当世見立(DK140011k-0017)
第14巻 p.119 ページ画像

団々珍聞 第九〇号・第一四三五頁〔明治一二年一月一一日〕
    当世見立
空定めなき花曇 ドル相場


〔参考〕団々珍聞 第九六号・第一五四六頁〔明治一二年二月二二日〕 【「ハ金貨ぢや金貨ぢや…】(DK140011k-0018)
第14巻 p.119 ページ画像

団々珍聞 第九六号・第一五四六頁〔明治一二年二月二二日〕
「ハ金貨ぢや金貨ぢや夫々ドルラル序手に銀貨も高く上つた段々上るぞ金貨ハ春野の雲雀の様だヨテンテコテン天まで上るぞハンヤハンヤと此様《こんな》に囀づツてハ太神楽《だい》の流儀でないが自己《おら》ハ恵比寿ぢやから格式にハ構ハぬしかし恵比須ハゑびすだか金鞠弗鞠銀鞠《きんまり》の曲揚をして見るとペラの恵比須だか赤髯の夷だか我身ながらも其堺が判然分らぬハテ何処を捕《つら》まえて宜らうなァ
「ペラの恵比須でも赤髯の夷でも構ふ事ァねへ上りせへすりやァ商売になるのだ思ひ入れ太鼓を扣け扣け
「一尺上ちやァ八寸にさげ一丈上げちやァ八尺に下げ段々上て貰たい狂ふ所に直打が有のだそれそれピイヒヤラおツたつたなァにが押立た相場がおツたツた
 How father Ebisu sends those silver and gold balls flying!
 Oh! if he wouldn't send them up so high!


〔参考〕団々珍聞 第九六号・第一五五〇頁〔明治一二年二月二二日〕 【横浜でドロが大造上…】(DK140011k-0019)
第14巻 p.119 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕開港と生糸貿易 (藤本実也著) 下巻・第二六八―二七四頁〔昭和一四年一二月〕(DK140011k-0020)
第14巻 p.119-123 ページ画像

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