デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
25節 取引所
3款 横浜洋銀取引所
■綱文

第14巻 p.123-141(DK140012k) ページ画像

明治12年2月20日(1879年)

是ヨリ先、栄一等ノ出願ヲ知リ周章セル横浜ノ洋銀仲買等百余名団結シ紛議生ズ。或ハ別個ニ取引所ヲ設ケントイヒ、或ハ株式ノ公開ヲ求メントイフ。両派ノ折衝紆余アリシモ、是日栄一、渋沢喜作・益田孝・田中平八ト共ニ横浜ニ来リ、馬越恭平ノ仲裁ヲ以テ富貴楼ニ早矢仕有的・木村利右衛門・中山安二郎等ト会シ、増株並ニ株式公開ニ関シ協議、両派ノ意見一致ス。


■資料

銀行課第一次報告 自明治六年七月 至明治十二年六月 第二〇八―二〇九頁(DK140012k-0001)
第14巻 p.123 ページ画像

銀行課第一次報告 自明治六年七月 至明治十二年六月 第二〇八―二〇九頁
    第十八款 横浜洋銀取引所ノ事
○上略渋沢栄一外十一名ハ○中略其○洋銀取引所資本金八万円ヲ増加シ総高弐拾万円トナサンコトヲ出願シテ其許可ヲ得、十二年三月七日開業免状ヲ受領シ同月十日ヲ以テ開業セリ、但此布告○十二年第八号発スルノ日岩橋轍輔外一名モ亦其創立ヲ出願シタレトモ先願アルヲ以テ許サレス
○下略


横浜毎日新聞 第二四六二号 〔明治一二年二月一八日〕 【また同会所設立願ひ…】(DK140012k-0002)
第14巻 p.123 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六二号〔明治一二年二月一八日〕
○また同会所設立願ひに付該業仲間に何にか紛議を生せしより聞く所に拠れば、去十五日設立願を出せし十一名の人々は禁令布告を見るや該業者に相談もなく即日上京出願したるより、数多の該業者は大に望を失ひ且つ其株金とても願者十一名にて既に五万円を占め残り五万円は容易に他人に譲らざるとの《(かカ)》或は之を譲るも買手多くして株数少きとかにて(百円の株は百六七拾円に騰貴したりと聞く)旧業者は大に困却し、既に一昨夜抔は旧業者中歴々の某々氏外十七八名は或る処に会議し別に資本金拾万円を以て該会所設立願出つると聞けり、又昨夜は該一条に付東京より沼間守一・嶋田三郎の諸君来港し町会所楼上に於て演説会を開かれたり

 - 第14巻 p.124 -ページ画像 

横浜毎日新聞 第二四六二号 〔明治一二年二月一八日〕 【又た一説に洋銀相場…】(DK140012k-0003)
第14巻 p.124 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六二号〔明治一二年二月一八日〕
○又た一説に洋銀相場の株主ハ莫大の利ある者なれバ(一千円の資本にて大凡ソ一ケ年二千円位の利を得ると云へり)人々の之れを冀望するは固よりなるに、斯く東京及び横浜一二の富豪に占められては旧業者は飯の食ひ上げなりとて、新取引所に於ては一切取引きせざるべしと一同申合せ□るとか、左すれば株式取引条例第七条但書にもある如く開業免状を得たる後満五ケ月に至り開業せざる時は其免状は取消しと成るべしとの目算なりと、又今度の願人中松野和邦てふ人は何処の豪富ならんと人々に尋ぬるに誰ありて知る人なく、然るにこの頃官員録を閲すれば大蔵三等属に同姓同名の人見えたり、然らば洋銀相場会所設立願人の一人なる松野和邦氏は大蔵三等属常平局勤務松野和邦君のことにや


横浜毎日新聞 第二四六三号 〔明治一二年二月一九日〕 洋銀取引所創立ノ紛議(DK140012k-0004)
第14巻 p.124-125 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六三号〔明治一二年二月一九日〕
    ○洋銀取引所創立ノ紛議
両渋沢・大倉・茂木・吉田・中村・西村・田中・松野・益田・原、十一名ノ諸氏ハ去十五日ヲ以テ洋銀取引所創立ヲ願出テシヨリ港内ノ旧業家ハ俄然沸論ヲ生ジ呶々嗷々或は怨ミヲ政府ニ帰スル者アリ、或ハ怒リヲ十一氏ニ属スル者アリ、其影響延テ港内一般ニ及ビ両三日以来我カ全港ヲ挙テ幾ント罵詈世界トハ為リタリキ、余儕局外ノ身固ヨリ其ノ何故タルヲ知ラズト雖トモ窃カニ世論ノ嗷々ヲ聞ケバ亦玆ニ怪マズンバアラズ、豈ニ十一氏ノ出願ニ於テ法律ニ違戻スル者アルカ、余儕太政官第八号布告ヲ見ルニ其中ニ曰ク自今洋銀取引所設立営業致シ度者ハ昨十一年(五月)第八号布告株式取引ノ条例ニ照準シ大蔵卿ヘ可願出但シ資本金拾万円以上タルベシ云々、今十一氏ノ出願果シテコノ布告ニ違戻スルカ、又株式取引所条例第二条ニ曰ク此条例ヲ遵奉シテ株式取引所ヲ創立スルニハ其発起人少クトモ拾名以上ニシテ其資本金額ハ○○○○以上タル可シ、而シテ其資本金総高ノ半数以上ニ当ル金額ヲ右発起人総員ニテ出スベシ云々、今十一氏ノ出願又果シテコノ条例ニ違戻スルカ、余儕ガ聞ク所ニ拠レバ其発起人ハ実ニ拾一人即チ拾名以上ニシテ資本金拾万円ヲ積ミ且ツ其半数ハ発起人総員ニテ之ヲ出セリト、果シテ然ラバカノ十一氏ガ出願ニ於テ豈ニ少モ《(脱アルカ)》然ラバ則チ我カ港民ノ斯ク嗷々スル者ハ何ゾヤ、豈ニ十一氏ノ出願或ハ徳義上ニ吝ナル者アルカ、是レ余儕ハ其然ラザルヲ保スル能ハサルナリ、夫レ利ニ真利アリ偽利アリ、己ヲ利シテ人ヲ利シ又社会公同ト共ニ利スル者ヲ真利ト曰フ、人ヲ害シテ己ヲ利シ又社会公同ヲ損シテ己ヲ益スル者之ヲ偽利ト曰フ、真利ハ正人君子ノ尊フ所ナリ、偽利ハ中庸ノ士猶ホ潔シトセザル所ナリ、今洋銀取引ハ何時ヨリスルヤ其来ルヤ蓋シ一日ニアラザル可シ、又其資本者ト為リテ利益ニ食ム者幾人アルヤ蓋シ数十百人ニ降ラサル可シ、然ラバ則チ其数十百人ハ皆ナ洋銀取引ヲ以テ生活ヲ為ス者ナリ、然ルニ今突然其業上ニ変動ヲ生ジ更ニ其規ヲ改メテ業ヲ営ム可シト為サバ、之ガ社外ニ居リ嘗テ其業ヲ営マザル者将タ其機ニ乗ジ其業ヲ横取セン乎、抑々旧業者ノ再ビ其ノ業ヲ営ムニ任
 - 第14巻 p.125 -ページ画像 
セン乎、争利社会ハイザ知ラズ、苟モ徳義ヲ重ジ真利ニ着目スル人ヲシテ之ニ居ラシメバ余儕ハ決シテ其業ヲ横取リセザルヲ知ルナリ
且ツカノ願書中渋沢氏ト云ヒ益田氏ト云ヒ、我国屈指ノ商家ニアラズヤ、又原氏ト云ヒ中村氏ト云ヒ我港一二ノ豪富ニアラズヤ、凡ソ是ノ数氏ナル者其財ハ多ク其力ハ大、一融一転京浜ノ商民之ニ依頼スルノミナラズ、コノ数氏モ亦社会公同ノ利ヲ謀ルヲ以テ自ラ任シ、嘗テ其余仁ヲ外国飢民ニ迄及シタルニアラズヤ、是レ数氏ノ世ニ泰斗視セラルヽ□《(所カ)》以ナリ、夫レ数氏ノ素願彼ガ如ク其人望又斯ノ如キヲ以テシテ其ノ今回ノ挙ニ出ツル者ハ果シテ亦社会公同ノ利ヲ謀ラントスル者カ余儕ハ知ラズ此ノ如クニシテ能ク社会公同利ヲ謀ル可キヲ、余儕ガ聞ク所ヲ以テスレバ今回ノ事利ヲ得ル者甚タ寡クシテ利ヲ失フ者甚ダ多ク、喜フ者甚ダ稀レニシテ怒ル者皆ナ是レナリト、豈ニ横浜市民ノ生活ヲ失フハ清国人民ノ飢死ヨリ哀シカラザランヤ、嗚呼彼ニ在リテハ之ヲ与ヘ此ニ在リテハ之ヲ奪フ、苟モ社会公同ヲ利スルヲ以テ自任スルノ士豈ニ此ノ如クナル可ケンヤ、果シテ此ノ如クナラバ則チ将タ何ヲ以テ社会公同ヲ利スル者ト為スニ足ラン、又何ヲ以テ之ヲ泰斗視スルニ足ランヤ
以上ハ数氏ノ徳義上ニ就テ論スル者ナリ、猶ホ一歩ヲ進ンテ之ヲ観察セバ独リ疑ヒヲ玆ニ属ス可カラザル如キ者アリ、世ノ論者妄リニ臆測シテ曰ク、政府ノコノ布告ヲ出スハ必ラズ深意アラン、又曰ク政府ノ是ノ布告ヲ出スハ甲者ノ利ヲ奪テ乙者ニ与フルナリ、何ントナレバ其成績ニ於テ然リト、而シテ遂ニ又之ヲ臆測シテ曰、政府ノ是布告ヲ出サントスルヤ二三ノ官吏或ハ富豪ト通牒シ早クモカノ資本ヲ集メテ願ヒ出テタルナラント、論者ノ臆測スル所此ノ如シト雖トモ余儕ハ敢テ然リト云ハザルナリ、夫レ政府ノ是ノ布告ヲ出セル或ハ深意アルカ無キカハ知ラズト雖トモ之ヲ発令スル既ニ十三日ニ在リ、而シテ渋沢氏以下拾氏ノ出願ハ十五日ニ在リ、其間既ニ両日ヲ経過《(シ脱カ)》タリ、若シ二三ノ官吏ニシテ之レト通牒セバ豈ニ両日ヲ経過ス可キ理アランヤ、又コノ布告ヲ出セル成績ニ於テ縦令甲者ノ利ヲ奪フテ乙者ニ与ヘタルニセヨ、政府ニシテ既ニ已ニ是意ナクバ又何ンゾ始メニ反リ本ニ溯リテ罪ヲ無意ノ政府ニ帰ス可ケンヤ、是レ余儕ガ敢テ然リトセザル所以ナリ夫唯願主十一氏ガ其徳義上ニ於テ果シテ能ク吝ナラザルヤ否ヤニ至リテハ余儕ガ自ラ断スル能ハザル所ナリ、嗚呼法律ヲ犯ス者ハ罪ヲ政府ニ得ル、徳義ニ吝ナル者ハ譏リヲ正人君子ニ取ル、政府ノ罪ハ一時ニ行ハレテ正人君子ノ譏リハ之ヲ文章ニ載セ之ヲ口碑ニ伝へテ千歳洗フ可カラズ、余儕ハ知ラズ彼ノ十一氏ガ果シテ譏リヲ正人君子ニ取ルナキヤ否(未完)


横浜毎日新聞 第二四六三号 〔明治一二年二月一九日〕 【洋銀取引所創立願…】(DK140012k-0005)
第14巻 p.125-126 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六三号〔明治一二年二月一九日〕
○洋銀取引所創立願一件に付一昨夜該業家を始め其他の人々迄町会所楼上に会合する者(幾んと期せすして会する者の如し)凡そ百余名にて、午後八時過より会議を開らき(会議は翌朝五時迄掛れりと)衆議決定の上委員十二名を定めたり、その人々には中山安次郎・桜井恒二郎・渡辺福三郎・杉村甚三郎・木村利右衛門・平沼専蔵・堀越茂三
 - 第14巻 p.126 -ページ画像 
郎・大浜忠三郎・菊地幸兵衛・田部井芳兵衛・伏嶋近蔵・飯島勇蔵の十二名にて其内中山・桜井・渡辺の三名は前発起人渋沢氏以下十名の許可差留願ひを担任して昨朝七時発の滊車にて東京に赴き、残り九名は「無相談にて出願したる」云々尋問して手を別け各家を訪ひしが、中村氏の外孰れも出京の趣きにて空しく帰れりと


横浜毎日新聞 第二四六三号 〔明治一二年二月一九日〕 【また後報に拠れバ右…】(DK140012k-0006)
第14巻 p.126 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六三号〔明治一二年二月一九日〕
○また後報に拠れバ右中山氏外二名出願ノ趣きは未だ何等の御沙汰なき由なれども前発起人には既に昨日御指令相済みたるとか、右に付拾二名の委員は猶ほも昨夜町会所に集合しいよいよ創立出願の事に決せりと聞けり、然るに前発起人の人々も一昨夜第二銀行に集会し又昨日も東京に集会したる由、また昨日記載せし松野和邦氏は果して旧大蔵三等属にして出願の前日辞職したる趣き且つ今度の株主には○○官多しと云へり、猶ほ是の一条に付ては詳報を得たれば委細次号に掲載すべし


横浜毎日新聞 第二四六四号 〔明治一二年二月二〇日〕 【洋銀取引所創立願の…】(DK140012k-0007)
第14巻 p.126 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六四号〔明治一二年二月二〇日〕
○洋銀取引所創立願の一件に付世上種々の沙汰あれ共姑く緊要の部分を掲ぐれば、去十七日の夜とか発起人の人々は第二銀行に集会したる時旧業者雨宮某氏は其場に至り辞を尽して依頼したれば、発起人の人人も之を承諾し株数二百の内廿株は(西村)又廿株は(松野屋)残り百六十株ヲ仲買六十人に分配する事に成り弗屋仲間は其れで治るべしと思ひの外、他の人々は前議を主張し一昨夜の集会に於て衆議既に一決し発起人三十余名資本金二拾万円を以て出願せんとせし処、昨日に至り発起人原氏より使ひを以て「今度洋銀取引所創立出願に付き旧業者中に不満の人多き由聞及びしが他に差向置きたる株金今少々残りある故右を旧業者へ分配すべし」と申越したるより是方より「お申越の株数にては迚も一体に引足り申さゞるべし」と答へし処再ひ原氏より「然らば株数を増加すべし其金額お申越ありたし」と申越されたるに付昨夜議定して返答する積りなりと、併し旧業者の見込みには三万五万はイザ知らず、迚も十万二十万の増額を承諾さるべしとも思はれざれば、先方の挨拶次第大蔵卿の布達あるに拘はらずいよいよ出願する積りなりと


横浜毎日新聞 第二四六四号 〔明治一二年二月二〇日〕 洋銀取引所創立願ノ紛議(第二稿)(DK140012k-0008)
第14巻 p.126-128 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六四号〔明治一二年二月二〇日〕
    ○洋銀取引所創立願ノ紛議(第二稿)
洋銀取引所創立云々ニ付カノ十一氏ガ徳義ニ優ナラザルト横浜市民ノ嗷々ヲ招キタル所以ハ、余儕既ニ之ヲ昨日ノ紙上ニ掲載シタレバ読者ハ其紙上ニ於テ一読セシナル可シ、今ヤ筆ヲ転シテ将来方法ノ如何ヲ論スルニ当リ先ヅ横浜市民ガカノ十一氏ニ向テ何等ノ不満ヲ懐クカヲ観察セズンバアル可カラズ、蓋シ横浜市民ノ不満ヲ懐ク者三アリ(第一)渋沢氏以下東京商估ノ其業ニ関入シタルナリ(第二)該発起人ノ旧業者ニ謀ラサルナリ(第三)旧業者ノ入資ヲ請フモ十分ノ許諾ヲ得サルナリ、以上ノ三箇条ハ横浜市民ガカノ十一氏ニ向テ不満ヲ懐ク所
 - 第14巻 p.127 -ページ画像 
以ナリト聞ケリ、余儕局外ノ身固ヨリ痛痒相関セスト雖トモ試ニ身ヲ其地位ニ置テ之ヲ思考セバ横浜市民ノ不満ヲ懐クモ強チ無理ナラザル者ノ如シ、然レトモ是般ノ事ハ本論ノ主要ニアラサレハ姑ク之ヲ舎キ筆ヲ還ヘシテ将来方法ノ如何ヲ論ス可シ
抑々洋銀取引所ノ濫觴タル余儕其詳カナルヲ知ル能ハズト雖トモ姑ク聞ク所ニ拠レバ其ノ起因既ニ八九年前ニ在ル者ノ如シ、蓋シ明治三四年ニ当リテ我港内ニ金穀相場会所ナル者アリ、専ラ洋銀ノ売買ヲ為セリ、然ルニ当時政府一定ノ条例ナキノミナラズ又会社規則ノ堅カラザルヨリ同五年終ニ瓦解ニ帰セリ、然レトモ洋銀ノ売買タル我横浜ニ在リテハ一日モ欠ク可カラザルヲ以テ該仲間(所謂弗屋ナルヤ)申合セ私約規則ヲ立テ売買取引ヲ為ス事トハナリタリ、即チ今ノ南仲通リ是レナリ、爾来同所ニ於テ洋銀取引ヲ為シタルニ物換リ星移ルニ従テ日ニ盛大ニ赴キタレバ、同八九年ノ頃仲間ノ発議ニテ会社条例ニ従テ其業ヲ営マント協議シタレトモ因循其議ヲ果サヾル間既ニ三四年ヲ経過シテ本年ニ至レリト聞ケリ、是レ洋銀取引所来歴ノ概略ナリ、夫レ然リ洋銀取引所ノ来歴斯ノ如シトセバ洋銀取引所ナル者将タ天然ニ出テタル者カ抑々人為ニ出テタル者カ、苟モ洋銀取引所ナル者人為ニアラズシテ天然ニ出テタリト為サバ洋銀取引所ナル者将タ将来ニ欠ク可カラザル者カ、抑々将来ニ欠ク可キ者カ、苟モ将来ニ欠ク可カラザル者ト為サバ其取引所ニ生スル利益ハ将タ十数商家ノ専領ニ属ス可キカ、抑々其壟断ヲ禁ジ其区域ヲ拡メテ一般商家ノ共利ニ属ス可キカ、将又之ヲ創立スルニ於テ一箇所ニ限ル可キカ数箇所ヲ許ス可キカ、是ノ四者既ニ詳カナラバコノ問題ヲ決了スルニ於テ蓋シ甚ダ容易ナル可シ
夫レ洋銀ノ我ガ貿易媒貨タルハ読者ノ既ニ熟知スル所ナリ、而シテ洋銀ノ貿易上ニ於ケル売込商ハ内産ヲ売込ンテ之ヲ得ルモ引取商ハ之ヲ以テ外品ヲ引取ルマタ読者ノ既ニ熟知スル所ナリ、夫レ然リ甲者(売込商)ニ在リテハ内産ヲ売込ンテ洋銀ヲ得ルモ乙者(引取商)ニ於テハ洋銀ヲ以テ外品ヲ引取ラザルヲ得ザレバ其勢乙者ハ甲者ニ向テ洋銀ヲ買求セザルヲ得ズ、苟モ乙者ハ甲者ニ向テ洋銀ヲ買求セザルヲ得ザルトキハ洋銀ノ輸贏増減ニ因テハ売買ノ間高低ナキ能ハズ、苟モ売買ノ間高低ナキ能ハザレバ亦其相場ヲ一定スル会所ナキ能ハズ、是レ洋銀取引会所ノ創立已ム可カラザル所以ナリ、斯ノ如ク観来レバ特ニ洋銀取引会所ノ天然ニ出テタルヲ知ル可キノミナラズ、又全ク其ノ将来ニ欠ク可カラザルヲ知ルベシ、然ラバ則チ其会所ヲ創立シ広ク売込引取商ノ両便ヲ謀ルニ於テハ、将タ十数商家ヲ限リテ其利ヲ専領セシム可キカ、抑々其ノ壟断ヲ禁ジ其ノ区域ヲ拡メ以テ一般ノ共利ニ帰ス可キカ、是般ノ問題ニ至リテハ最モ思考ヲ要セズンバアル可カラズ
夫レ商家ヲ限リテ其利ヲ専領セシムルハ固ヨリ自由政府ノ為サザル所ナルノミナラズ其商家ト雖トモ徳義上心ニ快シトセザルハ勿論ノ事ナリ、然レトモ事ニハ其ノ数ヲ限ル可キ者アリ其数ヲ限ル可カラザル者アリ、例ヘバ百貨雑商ノ如キ其数ヲ限ル可カラズト雖トモ銀行諸会社ニ至リテハ時トシテ其数ヲ限ル者アリ、何ントナレバ其数ヲ限ルノ利其数ヲ限ラサルノ害ニ勝テバナリ、今我ガ洋銀取引会所ノ如キ其数ヲ限ル可キ者カ或ハ其数ヲ限ル可カラザル者カ、若シ政府ニシテ其数ヲ
 - 第14巻 p.128 -ページ画像 
限ラバ是レ一会所ニ許シテ壟断ヲ私セシムル者ナリ、若シ又会所発起人ニシテ其株数ヲ限ラバ是レ自ラ壟断ヲ私シテ人ニ利ヲ分タザル者ナリ、故ニ会所ニシテ其株数ヲ限ラバ政府ハ他ノ創立ヲ許サヾルヲ得ズ政府ハ他ノ創立ヲ許サヾレバ会所ハ其株数ヲ増サヾルヲ得ズ、然レトモ会所ハ私有物ナリ、其株数ヲ増スト否ト皆ナ所員ノ意ニ在リ、夫レ唯政府ノ任ハ人民ノ営業ヲ保護シ一般ノ共利ヲ謀ルニ在レバ、縦令一二商家ノ利ヲ失フ者アリト雖トモ遂ニ之ガ為メニ一般ノ営業ヲ妨害ス可ケンヤ、余儕故ニ曰ク政府ハ其数ヲ限ル可カラズト(未完)
 編者曰ク是稿草シ終リテ適々大蔵卿ノ布達ヲ得タリ、猶ホコノ布達ニ付キ余儕ガ意見アレバ当ニ明日ノ紙上ニ於テ之ヲ開陳ス可シ


横浜毎日新聞 第二四六五号 〔明治一二年二月二一日〕 洋銀取引所創立願ノ紛議(第三稿)(DK140012k-0009)
第14巻 p.128-129 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六五号〔明治一二年二月二一日〕
    ○洋銀取引所創立願ノ紛議(第三稿)
余儕ハ今前号ニ続テ其稿ヲ終ヘントスルニ当テ先ツ政府ガ各商估ヲ限リ専領権ヲ与フルノ最不可ヲ論セズンバアル可カラズ、先哲言ヘルアリ曰ク、凡ソ天下ノ事妄リニ制限ヲ立ツ可カラズ妄リニ制限ヲ立ツレバ其平均ヲ得ル能ハズト、是言誠ニ然リ何ントナレバ天下ハ猶ホ流動物ノ如シ之ヲ自然ニ任セバ一高一低其平均ヲ得ルト雖トモ若シ或ハ強テ之レガ区域ヲ立テント欲セバ其勢一方ニ偏シテ之レガ平均ヲ得ル能ハズ、今生糸ノ如キ茶ノ如キ我国ノ名産ナリ、之レヲ輸出スル年々数百万ニ下ラズ、然ルニ今政府厳令ヲ下シ日本生糸ノ輸出ハ某社ノ一手ニ限リ日本茶ノ輸出ハ某商ノ専売ニ限ルト為サバ将タ如何ゾヤ、某社某商ニ在リテハ専領専売ノ権ヲ占メ独リ莫大ノ利益ヲ収ルト雖トモ他ノ各商估ニ於テハ一モ其余滴ヲ嘗ムル能ハザルベシ、今洋銀ノ我ガ横浜ニ於ケル何ヲ以テ之レニ異ナラン、前号既ニ論明セシ如ク、洋銀ノ貿易媒貨タル我カ横浜ニ在リテ一日欠ク可ラザレバ則チ之ガ売買取引モマタ一日欠ク可カラザラン、之ガ売買取引一日欠ク可カラサレバ則チ必ズ其売買取引ニ生スル許多ノ利益アラン、然リ而シテコノ利益ナル者ハ何等ノ性質ニシテ何等ノ元素ニ成レル者カ将タ十数商家ノ掌中ニ成レル者カ、余儕ガ見ル所ヲ以テスレバ我ガ開港場アリテ然後チ洋銀取引アリ、洋銀取引アリテ然ル後チコノ利益アル者ナレバ、コノ利益ヤ我ガ開港場ニ生スル無主ノ利益ト為サズシテ何ト云ハンヤ
斯ク無主ノ利益ニシテ我カ横浜ニ在ラバ、其利益タルヤ必ズ若干ノ価値ヲ有ス可シ、而シテ其価値ヲ払フ者ハ何人ト雖トモ其利益ヲ収ムルヲ得可シ、例ヘバ洋銀取引毎日五拾万即チ一ケ年無慮一億八千万ニシテ、之ガ利益ヲ収ムル歳々拾八万弗(即チ現場取引千分ノ一ヲ手数料トスルトキハ)ト為サバ之レヲ年一割ト見積ルモ百八拾万弗ノ価値ヲ有スル者ナリ、苟モ洋銀取引所ノ利益ニシテ斯クノ大価ヲ有スル者ト見積ランニハ、其株数ノ多寡其資本ノ増減一ニ需用者ノ願望ニ任セテ其平均ヲ謀ル可キニアラズヤ、然ルニ今ヤ僅々拾万円ノ資本者ニ限リコノ百八拾万ノ有価物ヲ買得セシメバ、則チ是レ百八拾万ノ有価物ヲ以テ拾万円ニ鬻キ、拾万円ノ資本者ニ許シテ百八十万ノ利益ヲ専領セシムルモノナリ、余儕ハ知ラズカノ新業者ハ何等ノ幸福アリテ是ノ低価物ヲ買占メタルヤ、又知ラズカノ旧業者ハ何等ノ不幸ニシテ其利ニ
 - 第14巻 p.129 -ページ画像 
与ルヲ得ザルヤ
彼ノ封建時代ニ在リテハ諸侯ハ其国ヲ専領シ大夫ハ其家ヲ専領シ士ハ其禄ヲ専領シタルノミナラズ各商估ニ至ルモ或ハ其業ヲ専領シ他人ノ営業ヲ許サヾル者アリ、現ニ旧幕府ノ下ニ在リテ浅草ノ蔵宿ヲ始メ百貨ノ諸問屋ニ至ル迄其業ヲ専領シタル者枚挙ニ暇アラズ、是レ豈自由政府ノ為ス可キ者ナランヤ、今洋銀取引所ノ如キハ或ハ然ラザル者アリト雖トモ若シ其数ヲ限リテ其他ノ営業ヲ許サヾルトキハ亦何ヲ以テ之レト異ナランヤ、果シテ洋銀取引所ニシテ封建時代ノ専領商業ト一般ナルヲ悪マバ請フ他人ノ創業ヲ禁ズル勿レ、若シ又数箇ノ取引所ハ貿易上ニ不都合ナリト云ハヾ請フ数人ノ専領ヲ破リテ一般ニ及スノ方法ヲ立テヨ、是ノ二者数箇ノ創立ヲ許サヾレバ則チ数人ノ専領ヲ破ラザルヲ得ズ、数人ノ専領ヲ破ラザレバ則チ数箇ノ創立ヲ許サヾルヲ得ズ、然レトモ余儕之ヲ思フ、我ガ横浜ニ於テ数箇ノ創立ヲ許サンヨリハ寧ロ数人ノ専領ヲ破ルニ如カズ、何ントナレバ数箇ノ創立、相場上自ラ差違ヲ生ジ大ニ取引上ノ不都合ヲ覚ユレバナリ、夫レ唯相場ノ定マル所一ニ在リ是ヲ以テ売買取引ノ間自ラ惑ヒナカル可シ、然ラバ則チ数人ノ専領ヲ破ル将タ如何セン、只需要者ノ望ミニ応シ飽迄其株数ヲ増加シ遂ニ其平均ヲ求ムルニ在ルノミ
論者或ハ曰ク、子ノ言ハ則チ然リ洋銀相場ノ利益多キハ固ヨリナリ然レトモ商人ノ出願ニ後レタルヲ如何セント、余儕乃チ之レヲ駁シテ曰ク、政府ハ何有翁ノ如ク然ル者ニアラズ、昔者何有翁三児アリ一日黍団子ヲ捧ケ児ヲ呼ンテ曰ク、早ク来ル者之ヲ与ヘント、一児先ツ走リテ之ヲ取レリ、今論者ノ言何ヲ以テ之ニ異ナラン、且ツ縦令カノ十一氏ガ出願ニ先タチシニセヨ何ゾ其後チヲ禁ジ独リ前者ヲシテ其利ヲ専領セシム可ケンヤ
論者又曰ク、創業人各家ノ洋銀取引所ヲ創立スルハ猶ホ茶商ノ茶会社ヲ立テ糸商ノ糸会社ヲ立ツル如シト、余儕又之ヲ駁シテ曰ク、其言誠ニ然リ然レトモ茶糸会社ノ他商ニ於ケル必ズ其入社ヲ許サヾル可キカ或ハ其入社ヲ許サヾル可キモ必ズ其営業ヲ許サヾル可キカ、是レ決シテ得可カラザルナリ、余儕故ニ曰ク、数人ノ専領ヲ破ラザレバ則チ数箇ノ創立ヲ許サヾルヲ得ス、数箇ノ創立ヲ許サヾレバ則チ数人ノ専領ヲ破ラサルヲ得ズ、而シテ数人ノ専領ヲ破ラント欲セハ只需要者ノ望ミニ応シ飽迄其株数ヲ増加スルノミト、以テ是稿ヲ終フト云爾


横浜毎日新聞 第二四六五号 〔明治一二年二月二一日〕 【洋銀取引所創立の紛…】(DK140012k-0010)
第14巻 p.129 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六五号〔明治一二年二月二一日〕
○洋銀取引所創立の紛議ハいよいよ増株の方に半決し、昨日ハ創立出願を止めて増株掛合中なり


横浜毎日新聞 第二四六六号 〔明治一二年二月二二日〕 【逐号掲載せし洋銀取引…】(DK140012k-0011)
第14巻 p.129-130 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六六号〔明治一二年二月二二日〕
○逐号掲載せし洋銀取引所の一件ハ去十九日以来百三名の委員より段段発起人原氏等へ照会したれども到底増株数の争そひにて早俄早俄敷熟議《はかばか》に至らず、既に一昨日に及び議論再び破壊せんとするの際局外なる馬越恭平氏は其中に入り早くも是事東京に電報せしかば、東京より渋沢栄一・同喜作・益田孝・田中平八の四氏俄かに出港し、此方より
 - 第14巻 p.130 -ページ画像 
は百三名の委員総代として早矢仕有的・木村利右衛門・中山安二郎の三氏が馬越氏を伴ひ共に富貴楼に会せし処、渋沢・益田・田中の諸氏口を揃ひて「今度の一件は某輩十一名の出願とは云ふものゝ全く某輩一個に其利益を占めんとにはあらず、もともと諸君と其利益を共にせんと欲したれど只惜むらくは諸君と相隔絶するを以てこの紛論を致したるなり、依て某輩には永く諸君とこの利益を共にせんとの冀望なるにより諸君に於て充分の増額お言込あれ」と事鄭重に述べられたれば此方も頓に其議を改め「さらば某輩と雖も決して不満を懐く事なし、併し充分の望と云へば拾万拾五万猶ほ限りなけれど諸君の御厚意に対し斯く大額を望むべうもあらざれば僅か五万円丈けにて事足るべし、但し増額の儀は諸君の御随意に成されたし」との答へに因り其議早速相調ひ、其れより早矢仕・木村・中山・馬越の四氏は町会所に帰り会同の百余名に向て右の趣きを演説せしかは百余名の人々一同拍手して喜悦を表し、あれ程の町会所も崩るゝ計りと思はれたり、時に廿一日午前一時なりき


横浜毎日新聞 第二四六七号 〔明治一二年二月二三日〕 洋銀取引会所創立の好結果(DK140012k-0012)
第14巻 p.130-131 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六七号〔明治一二年二月二三日〕
    ○洋銀取引会所創立の好結果
人生五十年豈ニ久シカランヤ、之ヲ一身ニ観レバ一年猶ホ永シト雖トモ之ヲ天地ノ窮リナキニ比セバ五十年只一日ノ如シ、故ニ人生レテ百体堅強耳目聡明ニシテ心聖智ナル、士ノ願フ所ナリ、富貴顕栄万物ヲ成理シ各ヲシテ其所ヲ得セシメ天下懐楽敬愛シテ之ヲ尊慕シ名実純粋沢千里ニ流レ世々之ヲ称シテ絶ヱルナキハ亦士ノ願フ所ナリ、若夫レ心暗ク智狭ク其行フ所一ニ利ニ放《ヨ》ラバ則チ天下之ヲ怨ミ之ヲ怒リ為メニ其身ヲ殺スモ将ニ辞セザラントス、将タ何ヲ以テ懐楽敬愛シテ之ヲ尊慕スル者アランヤ、又何ヲ以テ名実純粋沢千里ニ流レ世々之ヲ称シテ絶ヘザル者アランヤ、曩者渋沢氏以下十一氏ノ洋銀取引創立願ヲ出セルヤ余儕喋々其徳義ニ優ナラザルヲ責ム、既ニシテ之ヲ聞ケバ渋沢氏以下数名既ニ早矢仕氏等ト協議シ其利益ヲ共同スルヲ許スト、豈ニ嚮キノ単立利ヲ分タザル者利ニ放リテ行フ者ニアラズヤ、後チノ協議シテ利益ヲ共同スル者皆ナ其所ヲ得セシメント欲スルニアラズヤ、又早矢仕氏等ノ其初メニ強キハ豈ニ剛ニ任シテ其志ヲ達セントスルニアラズヤ、後チノ共和ヲ主トスルハ亦永利ニ謀ラント欲スルニアラズヤ夫レ初メ利ニ放ルモ後チ之ヲ同フセバ休《ヨ》ク復《カヘ》ルト云フ可シ、初メ強キモ忽チ和カバ亦遠カラズシテ復ルト云フ可シ、復ノ六二ニ曰ク、休ク復ル吉ナリ、渋沢氏等有焉其初九ニ曰ク、遠カラズシテ復ル悔ニ祇《イタ》ルナシ元吉ナリ、早矢仕氏等有焉夫レ六二ハ柔順中正初九ニ近クシテ能ク之ニ下ル則チ渋沢氏等能ク柔順中正ノ徳ヲ以テ早矢仕等ニ下ルノ象ナリ、上ニ居テ能ク下ニクタル則チ復ノ休美吉ノ道ナリ、故ニ象伝ニ曰ク、休ク復ルノ吉ナル仁ニ下ルヲ以テナリト、将タ卦変ヲ論セバ、則チ復ハ変シテ臨ト為リ震ハ化シテ兌ト為ル、復ハ反ルナリ臨ハ臨ムナリ震ハ動クナリ兌ハ悦ブナリ、蓋ダシ渋沢氏等ノ早矢仕氏等ト其ノ初メ相剥《ヲト》スノ象アリ(即チ剥ノ卦)坤変シテ震ト為リ震《ウゴ》ヒテ乃チ復ル復リテ又臨ム吉孰レカ焉ヨリ大ナラン、震ハ雷ノ象ナリ兌ハ沢ノ象ナ
 - 第14巻 p.131 -ページ画像 
リ、雷ハ能ク物ヲ起ス者ナリ沢ハ能ク物ヲ潤ス者ナリ、則チ渋沢氏等ノ震力能ク会所ヲ起シテ旧業者ヲ潤シ又延テ横浜全民ニ及ホスハ猶ホ沢水ノ徧ク田邑ヲ潤ス如シ、物ヲ潤ス者ハ上ニ居テ下ニ臨ムノ象ナリ故ニ曰ク、沢上ニ地アルハ臨ナリ君子以テ教ヘ思フコト窮マリ无ク民ヲ容保スルコト疆リナシト、嗚呼渋沢氏等ニシテ能ク地沢臨ノ徳ヲ体シ以テ能ク横浜市民ヲ教思スルコト窮リナク以テ能ク横浜市民ヲ容保スルコト疆リナクバ、横浜市民ノ幸福何ヲ以テ之レニ加ヘン
若シ夫レ初交ノ如キ重剛ニシテ事ノ初メニ居ラバ則チ早矢仕氏等ガ剛強不屈ノ徳ヲ以テ事ヲ決行セント欲スルノ象也、重剛ニシテ事ノ初メニ居ル豈ニ失ヒナカランヤ、夫唯初九ハ仁徳(陽ハ仁徳ナリ故ニ六二ノ象伝ニモ仁ニ下ルヲ以テナリト云ヘリ)ヲ以テ下ニ位ス故ニ失フモ能ク改ム則チ早矢仕氏等ガ能ク渋沢氏ノ言ヲ容レ寡欲(仁)ヲ以テ之ニ要ムルノ象ナリ、故ニ曰ク遠カラズシテ復ル悔ニ祇ルナシ元吉ナリ象伝又曰ク遠カラズシテ復ルハ以テ身ヲ修ルナリト、若シ早矢仕氏等ニシテ既ニ身ヲ修ムルヲ知ラズ飽迄剛強事ヲ決セント欲セバ則チ其悔忽チ祇ラントス故ニ復ノ来卦ヲ坤ト為ス、其初六ニ曰ク霜ヲ履ミテ堅氷至ルト、蓋シ早矢仕氏等ノ初メ渋沢氏等ヲ好視セザルハ履霜ノ象ナリ、若シ其微ヲ謹マズシテ其道ニ馴致セバ堅氷必ズ至ラン、故ニ其ノ上六ニ曰ク竜ハ野ニ戦フ其血ハ玄黄ナリト、是レ彼此両個相仇視スルノ道窮レバ必ラズ互ニ闘戦シテ血ヲ流スニ至ルヲ言フナリ、嗚呼其道チ誠ニ危イカナ、幸ニ上ニハ渋沢氏等ノ柔順中正能ク仁ニ下ルノ人アリ下ニハ早矢仕氏等ノ能ク遠カラスシテ復ルノ仁アリ、是ヲ以テ能ク其悔ニ祇ルナシ、豈ニ啻其ノ悔ニ祇ラザルノミナランヤ、誠ニ是道ヲ推行セバ将来必ズ元吉ヲ得ル者アラン、嗚呼横浜市民ニシテ能ク陽剛善ク復ルノ徳ヲ修メ以テ能ク渋沢氏等ト協心戮力セバ横浜将来ノ幸福又何ヲ以テ之ニ加ヘン
余儕初メ渋沢氏等ノ人ト為リヲ知ラズ、喋々其徳義ニ優ナラサルヲ責ム、既ニシテ其ノ利益ヲ共同スルノ議ヲ聞ケバ慚然トシテ自ラ恥ル者アリ、豈ニ渋沢氏其人コソ能ク万物ヲ成理シ各ヲシテ某所ヲ得セシメ天下懐楽敬愛シテ之ヲ尊慕シ名実純粋沢千里ニ流レ世々之ヲ称シテ絶ユルナキ者ニアラズヤ、果シテ然ラバ余儕ガ失言モ亦豈ニ陰裏ニ之ヲ裨補スル者ナシトセンヤ


横浜毎日新聞 第二四六七号 〔明治一二年二月二三日〕 【又同会所増株一件ハ…】(DK140012k-0013)
第14巻 p.131 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六七号〔明治一二年二月二三日〕
○又同会所増株一件ハ最初の十二万円を増加して十五万円と為し其内五万円ハ旧業者へ分譲したれバ、旧業者の人々ハ誰れ彼れの差別なく公平に割当する積もりなりと


中外物価新報 第一七二号〔明治一二年二月二二日〕 東京商況 横浜洋銀取引所の創立(DK140012k-0014)
第14巻 p.131-134 ページ画像

中外物価新報 第一七二号〔明治一二年二月二二日〕
  東京商況
    横浜洋銀取引所の創立
我が政府ハ本月十三日第八号を以て従来神奈川県下横浜港に於て洋銀相場取引致し候者有之候処右ハ一切禁止候条自今洋銀取引所設立営業致し度者ハ昨十一年(五月)第八号布告株式取引所条例に照準し大蔵
 - 第14巻 p.132 -ページ画像 
卿へ可願出旨公布せられしを以て、発起人某等十余名ハ該条例に準拠し資本金十二万円を以洋銀取引所の創立を出願し已に許可を得たれバ創立証書定款申合規則の批準を得バ直ちに開業に至るべし、而して其書類も最早大約草稿を了せりと、聞く所に拠れバ取引所の売買ハ洋銀千弗を以て切手一枚と定め、現場定期の二様に分ち、定期ハ三仕切即ち三ケ月目迄と定め、第一本証拠金ハ切手一枚に付三十五円、第二半証拠金(連日の売買差引五千弗以上に至るとき)ハ本証拠金の半数、第三追証拠金ハ(相場の昂低あるとき)同断の割を以幾度にても差入させ、第四増証拠金ハ(期日前十日に至り)本証拠金と同額、又売買の手数料ハ定期取引切手一枚ニ付五十銭現場取引同断廿五銭なりと
又取引所に於て受渡しに用ふる洋銀ハ必ず墨斯哥ドルラル及日本政府にて許可されたる銀行手形に限るへしと雖も、売主の都合に由り総高三割に超へざる迄ハ貿易銀又ハ一円銀を取交ぜ受け渡しを為すを得べしと
此ハ是れ吾輩伝聞する所の概略にして未だ政府の批准なきを以て多少の増損なきを保し難しと雖も、此規則申合を以て政府の許可を得て開業するに至らバ名ハ単に洋銀取引所なれども其実を推せバ即ち金銀相場所なり、我が国今日の形状に於てハ寔に必要の具にして吾輩ハ飽までも此の設立を賛賞せずんバあらざるなり
抑洋銀取引所の今日に必要有益なるハ固より世人の知る所にして敢て喋々を要せずと雖も、誠に其一端を挙んに洋銀相場近日の変動ハ実に未曾有の事にして内外商人とも其昂低の迅速なるに危懼し為めに売買を停止するに至れり、其故如何となれバ内外商人の取引ハ総て洋銀を以てするに付其相場如斯変動せバ更に物品の価格を算定すること能ハず、恰も孤舟の大洋に方針を失ひ暴風激浪に漂蕩せらるゝ如き思を為し、遂に売買を停止し風浪の静定するを待つの外なきに至るハ寔に已むを得ざるに出ることにして、眼前の取引にても尚且然り、況や海外に売買を取組み其代価の授受ハ数月の後ちを期するものに於てをや、焉ぞ確実の計算を立るを得んや、加之洋銀相場の昂貴なるハ偶々輸出を増加するの媒酌ともなるべきに其変動斯く甚しきに至り却て輸出を妨抗するの機関となる、其弊害大なりと謂ふべし
吾輩已に本月八日の紙上に論ぜし如く洋銀相場の騰貴するハ輸出入の不権衡に原因すと雖も、斯く昂低倐忽の変動あるハ皆冒険者の空相場に影響せらるゝものにして、現に取引所の設立を開《(聞カ)》き且大坂商賈の結合して引取りを為さる等の事を聞き僅五六日間にして四匁以上六歩強の下落を為せしも、其間輸出物の著しき売込ありしと云ふを聞かず、是に由て之を観れバ此昂低の全く人々の空想に起るや明矣、如此弊害の由て起るものハ畢竟確乎たる相場所なきゆへにて、今や此取引所創立に至れバ其売買する仲買ハ身元金百円以上を挿入れ、本証拠金を入れ相場の昂低に由て追証拠金を入れざるを得ざるを以て、仮令此以後も投機者流の影響を受ることハ全く免るゝ能ハざるべしと雖も之を今日迄の不規則なるものに比較せバ天淵月鼈日を同ふして語るべからず其空相場の勢力を殺滅すること決して浅少にあらざるべし、是れ眼前利益の第一なり
 - 第14巻 p.133 -ページ画像 
加之売主の都合に由り総高の三割迄ハ貿易銀或ハ一円銀を取交せ受渡を為すを得るに於てハ実に我貿易市場最大の幸福と謂ふべし、如何となれバ洋銀ハ固と外国政府の鋳造にして横浜市場に流通するもの僅々の数なり又其流通も纔かに横浜市場に限れり、是を以て少しく要するときハ忽ち騰貴し少しく剰りあれバ直ちに下落し其浮沈只一市場の景況に在り、故に空相場師の其機に投じて売買を為すも遽かに洋銀を輸入すること能ハず、又他の市場へ牽き出す能ハざるゆへ看す々々其影響を蒙りしと雖も縦令三割(此割合にハ別に説あり他日論ずべし)にても我が政府の鋳造なる銀貨を以て受渡しを為すとせバ其貨幣ハ即ち我が国本位通貨の一なれハ横浜の市場相場昂れバ他の市場より輻輳し相場低れバ他へ散布し若しくハ租税其他の上納に供するを得、且地銀を政府に出せバ何程の高にても直ちに銀貨の下附を得るを以て空相場の変動を鎮圧するに於て必ず重大の力あり、是れ利益の第二なり
従前ハ此相場所なきを以て海外への注文物及び依托売品等眼前代価の授受を得ざるものハ此洋銀相場の為め甚だ困難を極めしと雖も、今より輸入物の買注文を為すものハ其物品到着の時を計り其月限りの洋銀を買ひ、又物品直輸出を為すものハ直ちに其代り洋銀を先きものへ売掛け置くを以て売買の初より確としたる計算を為し目的を立るを得、是れ利益の第三なり
今や斯く有益なる洋銀取引所の開業近きに在るを聞き吾輩商人の大に慶すべき時機に会するを以て聊か其大要を摘み諸君と共に其挙を賛賞せんと欲するのみ
吾輩玆に筆を閣くに当り横浜毎日新聞記者に一言を呈せんと欲するものあり、記者ハ其二千四百六十三号以下の新聞紙上に於て洋銀相場取引所創立の紛議と題せる論文を掲げ苛酷にも発起者諸氏の心事を揣摩憶測し喋々之を鳴らし頗る得色あるものゝ如し、是等ハ敢て吾輩相場新聞の関係なきを以て黙して止むべしと雖も、衆の望みに応じ株金を増加する事及昨日の紙上即ち第三稿中利益の計算に至てハ吾輩其何等の旨趣より斯る架空の妄測を出せるやを疑ハさるを得ず、其言に拠れハ(前略)例へバ洋銀取引毎日五十万即ち一ケ年無慮一億八千万にして之が利益を収むる歳々十八万弗(即ち現場取引千分一を手数料とするときハ)と為さバ(下略)と、是れ何の因拠する所あるや、吾輩の記臆する所に拠り先前限月売買の相場所ありし節を以て考ふるに、五十万の売買ハ非常の時にして平常ハ二三十万の間に居り少きときハ十万に上らず而して此高ハ定期と現場とを合せしものなり、吾輩ハ今記者に一歩を譲り定期と現場と合して一日五十万円の取引ありと仮定せんに、其手数料ハ定期一万分の五現場一万分の二五を平均し即ち千円に付卅七銭五厘を以て計算すれバ一ケ年の収むる所五万六千余円なり其中より納税一割、役員の給料、家屋其他諸般の入費をも弁せざるを得ず、況や一日の売買高を平均卅万円とするときハ三万三千余円に過ぎず、焉ぞ記者の云ふ如き非常の巨利あるものならんや、もし記者の云ふ如く公衆の望みに応じ際限もなく株高を増加せバ其株主たるものハ無利息の金を貸すと等しく結句廃滅の外無るべし、吾輩の聞く所に拠れバ此創立に付てハ横浜の商賈等其株主たらんことを欲し百三名の
 - 第14巻 p.134 -ページ画像 
人々町会所に集会し別に一ケ所の創立を請願せんとの説もありたれど遂に株数の幾分を譲与せんことを発起人に乞ふべしと決し総代十二名を撰んて是に委任し去る十九日を以て初て其旨を発起人に通じたり、然るに発起人ハ当初より株高の半数ハ洋銀取引に関係あるものへ割与と定めたれども其分割の方法に困しむ折柄なれバ、直ちに翌廿日を以て一同横浜に会し更に株金を増加して廿万円とし、右の百三名のみに拘らず売込引取問屋等へ対し相当に株高を譲与し一同満足して其事を了せりと、然るに記者ハ昨日の紙上に於て尚ほ如此く探訪に迀濶にして実際に齟齬せる論弁を見るハ或ハ世人をして教唆の意に出るなきやを疑ハしむるに至らん、是れ吾輩平常貴重するの所の調査の周密なる探訪の迅速なる記者の為めに深く惜む所なり、噫


横浜毎日新聞 第二四六八号 〔明治一二年二月二五日〕 駁中外物価新報(DK140012k-0015)
第14巻 p.134-136 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六八号〔明治一二年二月二五日〕
    ○駁中外物価新報
中外物価新報記者ハ去ル廿二日ノ紙上ニ於テ我ガ二千四百六十三号以下ニ掲載シタル洋銀取引所創立ノ紛議ト題スル論文ヲ駁シテ曰ク、横浜毎日新聞記者ハ苛酷ニモ発起者諸氏ノ心事ヲ揣摩臆測シ喋々之ヲ鳴ラシ頗ル得色アル者ノ如シ(中略)且ツ衆ノ望ミニ応ジ株金ヲ増加スルコト及ヒ昨日ノ紙上(去ル廿一日ノ我ガ社説)即チ第三稿中ノ利益ノ計算ニ至リテハ吾輩其何等ノ旨趣ヨリ斯ル架空ノ妄測ヲ出セルヤヲ疑ハサルヲ得ズ(中略)吾輩ハ今記者ニ一歩ヲ譲リ定期ト現場トヲ合シテ一日五十万円ノ取引アリト仮定センニ、其手数料ハ定期一万分ノ五現場一万分ノ二五ヲ平均シ即チ千円ニ付三十七銭五厘ヲ以テ計算スレバ一ケ年ノ収ムル所五万六千余円ナリ、其中ヨリ納税一割、役員ノ給料、家屋其他諸般ノ入費ヲモ弁ゼザルヲ得ズ、況ヤ一日ノ売買高ヲ平均三十万円トスルトキハ三万三千余円ニ過キズ、焉ゾ記者ノ云フ如キ非常ノ巨利アル者ナランヤ、若シ記者ノ云フ如ク公衆ノ望ミニ応ジ際限モ無ク株高ヲ増加セバ其株主タル者ハ無利息ノ金ヲ貸スト等シク結句廃滅ノ外無カル可シ(下略)
物価新報言フ所此ノ如シ、余儕今之ヲ弁明セントスルニ当テ先ヅ同記者ノ甚ダ余儕ガ文ヲ読ムニ疎漏ナルヲ惜マズンバアラズ、余儕ガ去ル十九日ノ紙上ニ於テ発起者諸氏ガ能ク法律ニ違背セザルモ其徳義ニ優ナラザルヲ責ムルノミ、決シテ其心事ヲ揣摩臆測シ彼レハ是ノ意ナラン、此ハ是ノ意ナラント云フニアラズ、然ルニ記者ハ如何ニ之ヲ読下セシヤ苛酷ニモ余儕ニ向テ云々ノ言ヲ蒙ラセタリ、又記者ハ我ガ二十一日ノ論文ヲ如何ニ読下セルカ、彼ノ洋銀取引会所ハ未ダ創立セザルニアラズヤ、又カノ洋銀取引規則モ未ダ制定ナラザルニアラズヤ、故ニ余儕ハ之ヲ概算スルニ於テ故ラニ「例ヘバ」ノ三字ヲ掲クルノミ、然リト雖トモ余儕ガコノ概算ヲ立ツル決シテ憑拠ナキニアラズ、嘗テ之ヲ該業者ニ聞ケリ、洋銀取引所ノ我横浜ニ在ル明治四年ノ取引高定期現場共毎日平均七十万以上、同五六年ニハ平均四十万前後ニシテ、而シテ近年又五十万ニ上下スルコトアリト、且ツ去八日以来四日間ノ平均ニ拠ルモ(八日)五十万二千枚(九日休)(十日)四十五万九千枚(十一日休)(十二日)五十万八千枚(十三日)四十三万四千枚ニ
 - 第14巻 p.135 -ページ画像 
シテ其平均実ニ四十九万八千二百五十枚ナレバ、余儕ハ之ニ例シテ五十万枚ト為スモ豈ニ過当ナランヤ、又売買取引手数料ノ如キ先年金穀相場会所ノ時ニ在リテハ定期万分ノ五(但シ売買双方共)現場万分ノ三・三三余(同上)ト聞クモ今日株式取引所条例ニ準拠シテ創立スル新洋銀取引所ノ規則如何ヲ知ル可カラザルノミ、故ニ余儕ハ其概算ヲ立ツルニ当リテ彼ノ新洋銀取引会所ガ遵奉ス可キ株式取引所条例第七章第四十一条ニ掲載シタル「取引所ニ於テ収領ス可キ手数料ハ(売買双方ヨリ)其ノ売買金高、現場取引ハ千分ノ一、定期取引ハ千分ノ二宛ニ超ユ可カラズ」ト云フ明文ニ準拠シ、且ツ条中「超ユ可カラズ」云々ノ文アルヲ以テ特ニ注意ヲ加ヘ、乃チ定期千分ノ二トアルヲ去リテ現場千分ノ一ヲ以テ定期現場ヲ平均シタル者ナリ、又何ンゾ発起者諸氏ガ密々取調べ居ル新規則ヲ知ルヲ得ンヤ
且ツ物価記者ハ務メテ其利益ヲ少ク見センガ為メ毎日売買ノ平均ヲ三拾万枚ト積リ之ニ新議定ノ手数料ヲ乗ジ、一ケ年ノ収ムル所僅ニ三万三千余円ナリト明言シタレトモ実際ノ甚タ然ラザルヲ如何セン、前条既ニ論明セシ如ク洋銀取引ノ明治四年ニ於ケル七十万以上ヲ平均トシ其ノ五六年ニ於ケル四拾万前後ヲ平均トシ、而シテ昨今ノ取引ニ於ケル四十九万ヲ平均トセバ、其ノ五拾万ヲ平均トス可キハ固ヨリ論ヲ待タズ、良シヤ毎日ノ平均五拾万ニ及バサルモ四拾万ニ降ラサルハ必然ナリ、然レトモ余儕ハ今一歩ヲ譲リ毎日ノ平均四十万トスルモ一ケ年ノ収ムル所ハ四万五千円ナリ、若又五拾万トスルトキハ則チ五万六千二百五拾円ナリ、然レトモ是ハ之レ売買ノ手数料ノミ、若シ取引所ノ総利益ヲ挙クレバ蓋シ亦之ニ止マラザル者アラン、夫レ株式取引所条例ニ於テ資本金額ノ三分二以上ハ之ヲ大蔵省ニ預置クニアラスヤ、而シテ其大蔵省ニ預置ク者我ガ通例ニ於テ大率ネ公債証書ニアラズヤ、然ラバ則チ其公債証書ニ於テ必ズ幾分ノ利子ヲ収ム可シ、例ヘバ資本金二拾万円ナレバコノ三分ノ二即チ十三万三千三百三拾三円余ハ大蔵省ニ預カル者ナリ、而シテコノ金額ヲ以テ金禄公債証書(七分利附)ヲ買入ルトキハコノ証書券面拾七万三千百六拾円余ナリ(即チ大蔵省御定ノ価格七拾七円ヲ以テ算ス)其ノ十七万三千百六拾円ノ利子ハ幾許ナルヤ即チ一ケ年一万二千百二拾一円拾二銭ナラスヤ、是レ五万六千二百五拾円ノ手数料ト併セテ取引所ノ利益タル者ナリ、若シ手数料ノ中一割ノ税金ヲ納メ且ツ百般ノ入費ヲ払フモ両口併セテ必ラズ六万円ノ純益ヲ余ス可シ、之ヲ資本金額二拾万円ニ割賦スレバ則チ年三割ノ利益ナリ、天下豈ニ是ノ好利益アランヤ、若シ又之ヲ資本十二万円トスルトキハ大蔵省預リ証書券面拾〇万三千八百九拾六円余即チ其利子七千二百七拾二円余ニシテ手数料ヲ併セテ六万三千五百二拾二円余ナリ、若シ其中税金及ビ諸雑費ヲ引去ルモ猶ホ五万五千円ヲ余ス可シ五万五千円ノ純益之ヲ資本拾二万円ニ割賦セバ果シテ幾許ゾヤ四割六分ニ当ルニアラスヤ、則チ取リモ直サズ最初四割六分ノ目算タルモ資本増加ノ為メ三割ニ減セラレタル者ナリ、斯ク論下シ来ラバ記者ハ公債証書買入レノ一条ニ向テ論難ヲ容レ金禄七分利付ハ七拾七円ニ買入ル可カラス、若シ現今ノ相場八拾円ニテ買入ルトキハ代金十三万八千五百二十八円ナリ、是ノ内二拾万円ノ三分ノ二即チ拾三万三千三百三
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十三円ノ金額ヲ引キ去レバ残リ五千百九十四円余ノ不足ヲ生ズト言フ可ケレトモ、是レ理論上ノ言ニシテ固ヨリ実際ヲ知リタル者ノ論ニアラス、且ツ現ニコノ不足ヲ生ズルニセヨ是レ当初一時ノ事ニシテ行業五ケ年間皆ナ然リト云フニアラザルナリ(未完)


横浜毎日新聞 第二四六八号 〔明治一二年二月二五日〕 【今度創立許可を得た…】(DK140012k-0016)
第14巻 p.136 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六八号〔明治一二年二月二五日〕
○今度創立許可を得たる洋銀取引所新足規則草稿《(マヽ)》の概略なりとて中外物価新報に載する所を見るに、取引所の売買は洋銀千弗を以て切手一枚と定め現場定期の二様に分ち定期は三仕切即ち三ケ月目迄と定め、第一本証拠金は切手一枚に付三十五円、第二半証拠金(連日の売買差引五千弗以上に至るとき)は本証拠金の半数、第三追証拠金は(相場の昂低あるとき)同断の割を以幾度にても差入させ、第四増証拠金は(期日前十日に至り)本証拠金と同額、又売買の手数料は定期取引切手一枚に付五十銭、現場取引同断廿五銭なりと、又取引所に於て受渡しに用ふる洋銀は必ず墨斯哥ドルラル及び日本政府にて許可されたる銀行手形に限るべしと雖も、売主の都合に由り総高三割に超へざる迄は貿易銀又は一円銀を取交ぜ受け渡しを為すを得べし云々


横浜毎日新聞 第二四六九号 〔明治一二年二月二六日〕 【其次物価記者ハ商売…】(DK140012k-0017)
第14巻 p.136-138 ページ画像

横浜毎日新聞 第二四六九号〔明治一二年二月二六日〕
其次物価記者ハ商売柄ニ対シテ恥シクモナク云々ノ言ヲ吐キタリ、其言ニ云ク「若シ記者ノ云フ如ク公衆ノ望ミニ応ジ際限モナク株高ヲ増加セバ其株主タル者ハ無利息ノ金ヲ貸スト等シク結句廃滅ノ外ナカル可シ」ト、嗚呼是レ何等ノ妄言ゾヤ、此ノ如キノ言青年書生ハイザ知ラズ苟モ新聞記者ト為リテ喙ヲ政論上ニ容ルヽ者皆ナ為サズ、況ンヤ相場新聞記者ヲヤ、又況シヤ実際老練ヲ以テ自ラ任スル中外物価新報記者ヲヤ、夫レ利アレハ人之ニ就キ利アラサレバ人之ヲ去リ、去就相調停シテ利益ノ平均ヲ得ルハ天下ノ通規ナリ、例ヘバ繁華ノ都府ニ市場ヲ開ク如キ政府之ニ令シテ資本拾万以上ヲ積立ル者皆ナ以テ其場ヲ総括シ其口銭ヲ収ム可シト云ハヽ其見込アル者必ズ資本拾万ヲ集メテ市場ヲ開設セン、是時ニ当リテ市場ノ取引毎月一千万以上ニ昇リ毎月ノ口銭無慮五千円即チ千分ノ五ト為サバ世ノ有財家ハ皆ナ之ガ資本者タルヲ願ハザルハナシ、何ントナレバ資本拾万円ニ付五千円ノ月利ハ天下何等ノ商業ニ於テモ容易ニ得可カラザレバナリ、是ニ於テ其株数ヲ増加シテ二拾万円ト為サバ有財家ノ冀望スル者之ヲ前ニ比セバ少ク減ス可シ、何ントナレバ二拾万円ニ付五千円ノ月利ハ世間亦得難カラザレバナリ、是ニ於テ又其株数ヲ増加シテ五拾万円ト為サバ有財家ノ之レヲ冀望スル者幾ント絶エナントス、何ントナレバ五拾万円ニ付五千円ノ月利ハ容易ニ得可ケレバナリ、此ノ如ク資本ヲ増加スル毎ニ其冀望者ハ漸ク減ジ其利益ノ世間ト水平ヲ得ルニ至リテ其冀望者ノ全ク絶ユルハ天下免ル可カラサル通規ナリ、然ルヲ又其冀望者ノ絶ユルト否ラサルトニ拘ハラズ際限モナク資本ヲ増加シ百万二百万ト為サバ誰カ之ガ株主タル者アランヤ、今洋銀取引所ノ如キハ亦之レト同キノミカノ横浜市民ガ之レガ株主タラント冀望スル者ハ其利益ノ巨多ナルヲ知レバナリ、若シ最初ニ於テ五拾万或ハ百万ノ株高ト為サバ亦誰カコ
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ノ薄利ノ株主タルヲ冀望スル者アランヤ、余儕故ニ曰ク衆庶ノ望ミニ応ジ飽迄株数ヲ増加ス可シ、衆庶ノ望ミニ応ジ飽迄株数ヲ増加スルモ決シテ無利息ノ金ヲ貸スト等シク廃滅ニ至ラザルナリト、且ツ記者ハ必ラズ記臆セシナル可シ余儕ガ三篇中数々「平均」ノ二字ヲ説出セルヲ、又必ラズ記臆セシナル可シ同三篇中数々「冀望」ノ二字ヲ説出セルヲ、夫レ平均トハ世間通例ノ水平ヲ謂フナリ、冀望トハ有財家ノ冀望ヲ指スナリ、夫レ天下一個ノ利竇アリテ有財家ハ皆ナ冀望スル者ハ其利竇ハ世間ノ水平ニ於テ其利益多ケレバナリ、之ヲ開テ有財家ノ冀望ニ応スル者ハ世間ノ水平ヲ謀ル者ナリ、然ルヲ若シ記者ノ如ク株数増加ヲ以テ非ト為サバ是レ数人ヲ保護シテ利竇ヲ専領セシムル者ナリ焉ンゾ社会ノ公利ヲ諜ル可キ新聞記者ニシテ区々数人ヲ保護シテ利竇ヲ専領セシム可キ者アランヤ、是レ余儕ガ中外物価新報記者ノ為メニ甚ダ取ラザル所ナリ
其次記者ハ末段ニ於テ余儕ガ探訪ニ迀濶ナルヲ責メテ曰ク(前略)此創立ニ付テハ横浜ノ商賈等其株主タランコトヲ欲シ、百三名ノ人々町会所ニ集合シ別ニ一ケ所ノ創立ヲ請願セントノ説アレド、遂ニ株数ノ譲与ヲ発起人ニ乞フ可キニ決シ総代十二名ヲ撰ビ去ル十九日ヲ以テ始メテ其旨ヲ発起人ニ通ジタリ、然ルニ発起人ハ当初ヨリ株高ノ半数ハ洋銀取引ニ関係アル者ヘ割与ト定メタレドモ其分割ノ方法ニ困シム折柄ナレバ、直チニ翌廿日ヲ以テ一同横浜ニ会シ更ニ株金ヲ増加シテ廿万円トシ右ノ百三名ノミニ拘ハラズ売込引取問屋等ヘ対シ相当ニ株高ヲ譲与シ一同満足シテ其事ヲ了セリ云々、嗚呼余儕ガ探訪ニ迀濶ナルカ記者ガ聞ク所ハ誤謬ナルカ、試ニ左ノ日録ヲ見ル可シ
 (十五日)渋沢氏以下十一氏創立願書ヲ出セリ
 (十七日)是夜百三名町会所ニ会シテ委員ヲ選ビ、更ニ別立ヲ願フカ、或ハ増株ヲ乞フカニ議決セリ
 (十八日)委員ノ内三名出京其他四五名ハ本港発起者諸氏ニ掛合ヒタルニ孰レモ出京ニテ独リ中村氏ノミ在宅ナレド、同氏ハ一己ニテハ返答ニ及ビ難ク只其旨ヲ外発起者諸氏ニ通達ス可シト答ヘタリ
 (十九日)昨日ノ掛合何等ノ返答ナキニ因リ愈々別立ノ事ニ決シ若シ許可ヲ得ザレバ事情ヲ上申シテ増株スルカニ再決スルノ際、委員木村利右衛門氏適々別用ヲ以テ第二銀行ニ至リシカバ原・茂木両氏ヨリ「昨今諸君ニテ別立ノ御催シアル趣キナレトモ詰リ何程カノ増株ニテ示談シテハ如何ヤ」トノ相談ヲ得タリ、是ニ於テ再ビ増株ヲ掛合フコトトハ成リタリ
 (二十日)昨日ヨリノ掛合ハ二万五千円或ハ三万円ト五万円トノ間ニ争論ヲ開キ迚モ熟議ニ至ラザル際、渋沢氏等来港ニテ其事ヲ了セリ
右日録ハ委員中ノ一人ヨリ得ル所ナレバ余儕ハ決シテ誤謬ナカル可シト信スルナリ、嗚呼記者ヲシテ此日録ヲ見セシメバ豈ニ心ニ愧ツル所ナカランヤ、然トモ余儕ハ猶ホ記者ヲシテ赧然タラシム可キ者アリ、記者ハ「当初ヨリ株高ノ半数ハ洋銀取引ニ関係アル者ヘ割与ト定メタ
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リ」ト云ヘルガ、果シテ其言ノ如クナラバ是レ最初十二万円ノ株高中六万円ハ洋銀取引関係ノ者ヘ分与スルコトニ定メシ者ナリ、誠ニ十二万円ノ中六万円ヲ分与ス可キ予算ナラバ豈ニ五万円ヲ分与シタル為メ俄カニ其株数ヲ増加シテ二十万円ト為スノ理アランヤ、是レ笑フ可キノ甚シキ者ナリ
又記者ハ「右ノ百三名ニ拘ハラズ売込引取問屋等ヘ対シ相当ニ株高ヲ譲与シタリ」ト云ヘドモコノ売込引取屋ニ株数ヲ分配シタル者ハ所謂ユル百三名ノ人々ニシテ其株高ハシカモ五万円ノ内ヲ以テシタルナリ何ンゾ記者ノ言フ如ク別ニ発起者ヨリ割与スル者アランヤ、之ヲ駁尽シテ此ニ至レバ余儕ハ却テ探訪ノ迀濶実際ノ齟齬ト云フヲ以テ中外物価新報記者ニ被ラセザルヲ得ザルナリ(完)


東京経済雑誌 第二号・第五五―五六頁〔明治一二年二月二七日〕 横浜洋銀取引所ノ創立(DK140012k-0018)
第14巻 p.138-139 ページ画像

東京経済雑誌 第二号・第五五―五六頁〔明治一二年二月二七日〕
    横浜洋銀取引所ノ創立
此度政府ガ横浜ニ於テ洋銀取引所ヲ設置スルヲ許サルヽコトハ実ニ我国経済上ノ一大論題ナリ、余輩ハ曩日ニ洋銀排除論ヲ著シ悉サニ洋銀ノ弊害ヲ述ベ一日モ速ニ此宿弊ヲ洗除シテ以テ我外国貿易ヲ清メンコトヲ江湖ニ望メリ、然ルニ今ヤ此洋銀ノ浮沈ハ我国有名ノ紳士ガ拠テ以テ利ヲ得ルノ基トナル、余輩ハ私ニ此宿弊ノ更ニ深根ヲ添ヘタルコトヲ哀マザルヲ得ズ、然レトモ聞ク処ニ依レバ此議ノ発セシコト今日ニ始マルニアラズ、初メ発起人等ガ此事ヲ政府ニ出願シタリシハ実ニ明治十年七月十一日ノ事ニシテ、当時未ダ株式取引所条例モナカリシカバ米商会所ノ規則ニ依テ営業セントノ意ナリシトゾ、此願書神奈川県庁ヲ経テ内務ニ至リシニ内務省ハ之ヲ許スベシトノ見込ニテ既ニ太政官ヘモ上申ナリシニ、太政官ニ於テハ其証拠金ノ割金ニ付テ内務省ノ意ヲ善トセズ彼是評議アリシ内右洋銀ノ事件ハ大蔵省ニ引継ニナリ大蔵卿ハ洋銀ハ米穀公債証書ノ類ニアラズ決シテ相場所ヲ置クベカラストノ事ニテ願書久シク下ラザリシニ、終ニ本月十三日ノ布告アリテ発起人ノ願意ヲ許可セラルヽコトトハナレリト、果シテ然ラバ大蔵卿ノ之ヲ許可セラルヽヤ蓋シ深計熟慮ノ後之ヲ置クノ便益ヲ発見セラレシニ出ツルナラン、且発起人諸君ノ如キ実ニ我国商家ノ巨擘ニシテ商法会議所ニアリテ頻リニ洋銀ノ弊害ヲ論弁セラルヽノ紳士ナレバ是レ亦深キ籌策ナクンバアラズ、唯余輩ノ其意ヲ解セザルノミ
蓋シ洋銀ヲシテ長ク我国ニ流通セシメ特ニ其浮沈ノ甚シキヲ制シテ止マント欲セバ洋銀取引所ヲ創立スルコト至当ノ策ナルベシ、然レトモ洋銀ハ決シテ長ク我国ニ流通セシムベカラザルコトヲ知ラバ巨大ナル会社ノ存スルト存セザルト有名ナル商家ノ之ニ因テ利ヲ得ルト得ザルト之ヲ排除スルニ当テ其難易如何ゾヤ、況ンヤ近頃居留地ノ商人亦タ頻リニ洋銀ノ弊ヲ説キ之ヲ排除センコトヲ望ミ香港上海地方ニ於テモ我円銀ノ流通漸ク多シト聞クヲヤ、然ルニ我政略ノ之ニ反スルヲ見ル寔ニ之ヲ惜ム、然レトモ世或ヒハ洋銀取引所ノ利益多キヲ知リ其株式ハ翌日既ニ百五十円ニ登リタルヲ知リ彼ノ発起人等ノ許可ヲ得ルノ急ナルヲ外見シテ大蔵省ノ挙措ニ於テ悪ク邪推ヲ廻ラスモノナキニアラズ、然レトモ是全ク皮相ノ見ニシテ彼ノ願書ハ二ケ年以前ニ在リテ公
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然神奈川県ヨリ差出シ其願意ノ今日ニ至リテ始メテ許可ニナリシコト前陳ノ如クナルコトヲ聞カバ彼ノ邪推ハ消散スベキナリ、近日諸種ノ新聞上ニ記スル処往々此邪推ノ跡アルヲ見ル故ニ併セテ其実事ヲ詳記シ以テ其誤謬ヲ正スト云フ


横浜毎日新聞 第二五五〇号 〔明治一二年六月四日〕 横浜洋銀取引所(DK140012k-0019)
第14巻 p.139-140 ページ画像

横浜毎日新聞 第二五五〇号〔明治一二年六月四日〕
    ○横浜洋銀取引所
横浜洋銀取引所一件ニ付テハ余儕嘗テ某記者ト其利益ノ如何ヲ論ジ、某記者ハ毎日出来高ノ平均ヲ三十万枚ト為シテ余儕ハ五十万枚ト為セシガ、其後去ル四五両月ノ実験ニ於テ之ヲ観レバ去四月中ノ出来高総計一千五百九十九万三千枚ニシテ、毎日平均六十三万九千七百二十枚同五月中ノ出来高総計一千九百六十八万三千枚ニシテ毎日平均七十二万九千枚ナラバ則チ其平均ノ常ニ七十万前後ニ在ルハ知ル可キナリ、果シテ然ラバ其利益ノ多キ特ニ某記者ガ計算セシ如キノミナラズ将ニ大ニ余儕ガ計算ノ上ニ出テナントス、宜ナルカナ開業以来其株券ノ日ニ騰揚シテ幾ント四百円前後ニ昇リシコト
然レトモ余儕ハ敢テ勝利ヲ某記者ニ得タルヲ以テ揚々自負スルニアラズ、余儕ハ却テ其取引高ノ逐月増加スルト洋銀相場ノ高低甚ダ急激ナルヲ怪マスンバアラザルナリ、抑々横浜洋銀取引所ハ則チ実物洋銀ノ取引所ニシテ取モ直サズ内品売込商ハ外商ニ得タル所ノ洋銀ヲ以テ之ヲ外品引取商ニ売与ヘ外品引取商ハ之ヲ外商ニ払ハンガ為メニ内品売込商ヨリ買取ル者ナリ、故ニ我カ横浜ノ内外貿易ニシテ毎月一百万弗ニ過ギザレバ則チ洋銀取引モ亦一百万弗ニ過キザル可ク毎月二百万弗ニ過ギザレハ則チ洋銀取引モ亦二百万弗ニ過ギザルハ自然ノ道理ナリ然ルニ今一月以来我横浜一港ニ於テ其貿易毎月二百万乃至三百万弗ニ過ギザルニ独リ洋銀取引ノミ一千五百万乃至二千万ニ上ラバ則チ其十ノ八九ハ焉クニ行険者流ノ空弗売買ニアラザルヲ知ランヤ、夫レ東京大坂ノ米商会所ト云ヒ株式取引所ト云ヒ横浜ノ洋銀取引所ト云ヒ皆ナ其類ヲ同クスル者ナリ、然リ而シテ是三会所ノ社会ニ有益ナル所以ノ者ハ皆ナ実際ニ従事シテ実物ノ取引ヲ為スヲ以テナリ、然ルヲ若シ是ノ三会所ニシテ実物ノ取引ヲ為サズ只々行険者流ノ淵藪ト為リ恰モ賭博者ト一般空相場ノ掛引ヲ為サバ則チ其社会人民ノ徳義ヲ敗リ経済ヲ誤ラス豈ニ焉レヨリ大ナル者アランヤ、特ニ此ノ如キノミナラズ是ノ行険者流ノ為メニ相場ノ高低ヲ急激ナラシメ内外貿易上ニ弊害ヲ与フル実ニ焉ヨリ甚キ者ナカラントス、且ツ現ニ余儕ガ聞ク所ニ拠ルモ新洋銀取引所創立以来東京滊車ノ乗客著シク増加ヲ覚ヱタリト言ヘバ則チ行険者流ノ相集リテ空弗ヲ売買スル者ノ多キハ果シテ知ル可キナリ又凡数年間ノ実険《(験)》ニ於テ洋銀相場ノ大高低ヲ為ス者アリ小高低ヲ為ス者アリ、大高低トハ数年間ニ渉リテ自然ノ高低ヲ為ス者是レナリ、小高低トハ数月数旬ノ間ニ於テ時々ノ高低ヲ為ス者是レナリ、例ヘバ明治九年ノ相場ハ平均六十匁ナルモ同十年ニハ平均六十一二匁トナリ又十一年ニハ平均六十五六匁トナリ而シテ今十二年ニハ平均七十匁トナル如キハ所謂ユル相場ノ自然ニ高低スル者ナリ、本年四月ニハ七十四五匁ナルモ翌五月ニハ六十八九匁トナル如キハ所謂ユル相場ノ時々高
 - 第14巻 p.140 -ページ画像 
低スル者ナリ、相場ノ自然ニ高低スルハ猶ホ海潮ノ常ニ干満アルガ如ク、其時々高低スルハ猶ホ海波ノ常ニ上下スル者ノ如シ、海波能ク時時上下スレトモ自然ノ干満ヲ為ス能ハズ、海潮能ク自然ノ干満ヲ為スモ亦時々上下スル能ハズ、然リ而シテ洋銀自然ノ高低ハ通幣ノ高低ニ影響セラレ、其時々ノ高低ハ貿易ノ約合《(釣カ)》ニ影響セラルヽハ数年来ノ実験ニ於テ確乎動ス可カラサル道理ナリ、斯ノ如ク洋銀二種ノ高低ヲ為ス所以ノ者判然其レ明カナリト雖トモ、新取引所創立以来其高低殊ニ急激ヲ極メ幾ント常律ヲ以テ推ス可カラザル者ノ如シ、読者須ク四五両月間ノ相場表ニ就テ之ヲ観ヨ、僅カ両月ノ間ニシテ最高七十七匁〇五(四月十八日)ヨリ最低六十八匁四三(五月五日)ニ至リ幾ント八匁六二ノ差違ヲ生セシニアラズヤ、是レ固ヨリ自然ノ高低ニアラズ又固ヨリ貿易上ノ影響ニアラザレバ則チ焉クニ行険者流ガ相集リテ是ノ非常急激ナル高低ヲ致ス者ニアラザルヲ知ランヤ、果シテ是ノ急激ナル高低ハ行険者流ノ勢力ニ動サレタリト為サバ洋銀相場師ノ之ガ為メニ家ヲ敗リ産ヲ傾クルハ勿論内外商家ニ大妨害ヲ与ヘ且ツ大ニ内外貿易ヲ沮滞セシム者アラントスルナリ
或曰ク、近来洋銀ノ俄ニ下落シタルハ其因ナキニアラズ嘗テ我政府ニハ洋銀ノ大ニ騰貴シタルヲ憂慮セラレ去某月金貨三百万円ヲ出シテ洋銀若干万ヲ買込ミ以テ洋銀騰貴ノ弊害ヲ救ハレタリト、余儕其説ノ真否如何ハ姑ク之ヲ舎キ仮リニ我ガ政府ガ洋銀若干万ヲ買込マルヽヨリ斯ク低落ヲ致シタリトスルモ是レヨリ以前去年ノ冬及ビ本年ノ春ニ於テ其高低ノ甚ダ急激ナリシハ将タ何等ニ原因シタル乎、彼ノ原因ニシテ行険者流ノ勢力ニ動サレタリト為サバ此ノ原因モ或ハ行険者流ノ勢力ニ動サレタリト為サヾルヲ得ズ、此ノ原因ニシテ別ニ由来スル所アリト為サバ彼ノ原因モ或ハマタ由来スル所アリト為サヾルヲ得ズ、是レ余儕ガ大ニ恐ルヽ所以ナリ、且ツ政府ガ金貨ヲ出シテ洋銀相場ヲ下落セシムル云々ニ関シテハ余儕別ニ論アリ当ニ異日ニ於テ之ヲ開陳スヘシ


団々珍聞 〔明治一二年三月一五日〕 【「羊の金玉え濁りを…】(DK140012k-0020)
第14巻 p.140 ページ画像

団々珍聞 〔明治一二年三月一五日〕
「羊の金玉え濁りを打たのをごまかし早く錠を下さしてしまつたとサ夫だから是まで関係て居た者がオヽたまらねへ五万ゑんぱうから鼻毛を抜れたと言て居ますト
 The new Exchange Office started under good omen.
 Lucky constellation. The position of "Ursus major"
 particularly favorable.


(辻純市)書翰 渋沢栄一宛(明治一二年カ)三月三日(DK140012k-0021)
第14巻 p.140-141 ページ画像

(辻純市)書翰 渋沢栄一宛(明治一二年カ)三月三日
                  (渋沢子爵家所蔵)
渋沢様 辻純市 閣下 拝
愈御揃被遊御安静奉恐賀候、然ハ毎々不残御懇命ヲ蒙難有御礼言語ニ
 - 第14巻 p.141 -ページ画像 
難尽就中此程ハ横湾洋銀取引所株五株御配当《(浜)》ヲ請右御礼トシテ銀行両三度昇殿候所折柄御外出跡ノミ江罷出厚ク御礼奉申上候、其砌永田氏迄江実際ヲ陳述シ即今同性《(姓)》ヲ唱候悴分七名有之外ニ金五郎是非共尊君様相願加入致度旨申上候得共御尽力被下候事仄ニ承知罷在候趣何分申上兼差扣罷有尤相当ノ金銀ハ差出シ候間何卒御操合ヲ以五株程御譲ヲ奉希上度、西村勝三・竹中邦香等何れも拾株候間此序ニ同様致度志願前条御聞済被下置候得共譲人御心当リ御指揮ニ従ヒ奔走ハ掛命ニ可仕候間此段上簡奉願上 頓首
  三月三日                 純市拝
    渋沢様
      御取次衆中様
   ○横浜洋銀取引所創立証書(明治十二年三月五日、神奈川県令奥印、同三月七日大蔵卿允許)ノ株主姓名表ニ、辻純市五株、竹中邦香・西村勝三各十株トアリ。按ズルニ本書翰ハ明治十二年三月カ。


(田中光儀)書翰 渋沢栄一宛(明治一二年カ)四月一六日(DK140012k-0022)
第14巻 p.141 ページ画像

(田中光儀)書翰 渋沢栄一宛(明治一二年カ)四月一六日
                   (渋沢子爵家所蔵)
此鶏血石は向山黄村翁の世話にて服部常純より買取置候後ある華族より弐百円にて買受度旨申込候へ共、是者商法ニ買入候品ニ無之趣を以相断り東京への印材なりと愛玩いたし居候処
老閣より先般洋銀株券御分ちを蒙り御好意之段不堪感謝何をもつて可奉酬と存候へ共、御不自由の不被為有御方ニ付是そと申考付も無之折柄、風と此印の割愛を以謝意を表し申度相成持参献呈仕候間何卒御笑納可被下候、しかし人の好むところ同しからす如斯古骨董あまり君の御顧みも不被為在訳に候へハ、後日外品と交易可奉願候、乍延引今日御礼昇堂意衷真卒ニ申上置候
    ○
明後十八日は藤堂家先祖祭の定日ニ付甚残念仍而同日は私へ其御間隙を賜ひ午後四時頃柳橋の升田屋迄御枉車被下度、同所にて御遊ひ被下候共他江御動座被成下候とも是愈是随ひ可申積にて其前より出張御待受可仕、茅場町の御同姓様・益田氏とも御誘引被下候へハ猶妙ニ候へ共御両所御差支ニ候へハ
賢閣御一人にて成共又者銀行之永田氏等御引出し閑静ニ御高話伺ひ候も亦よし何れにも十八日ニ者楊梁御出張企望其節其後之御閑日を伺ひ直に藤堂家へ問合ニ遣し御遊ひ中ニ御会話日限相分候様取計可申候
                          草略頓首
  四月十六日
    申上置
    渋沢様               田中光儀
   ○横浜洋銀取引所創立証書ノ株主姓名表ニ、五株静岡県士族東京京橋区弓町二拾一番地田中光儀トアリ。
    本書翰ハ渋沢子爵家所蔵「府内知己往復書翰」ト記セル帙ニ挿入セラレタレド歳次ヲ明ラカニセズ。永田甚七ノ葬儀ハ明治十四年十一月廿三日ニ行ハレタルヲ以テ明治十二年十三年十四年ノウチノ四月ナルベケレド、按ズルニ明治十二年ナランカ。十三年四月ハ洋銀相場停止サレ、十四年四月ニハ衰微ノ一途ヲ辿レリ。