デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
26節 倉庫業
2款 北越商会
■綱文

第14巻 p.289-294(DK140028k) ページ画像

明治12年6月(1879年)

是月栄一、八木朋直等ト組合ヲ組織シ、北越商会ト称シ、沼垂町ニ倉庫業兼金融業ヲ経営ス。


■資料

新潟市史 下巻・第四三七―四三九頁〔昭和九年一二月〕(DK140028k-0001)
第14巻 p.289-290 ページ画像

新潟市史 下巻・第四三七―四三九頁〔昭和九年一二月〕
 ○第七編 第三章 第一節 商業
  七 倉庫業
    北越商会
 明治十二年六月渋沢栄一・八木朋直外八人にて組合を組織し、資本金一万弐千円を募り、旧新発田藩有の沼垂鏡が岡の倉稟通俗いろは蔵といへり敷地・建物共廃藩後払下を受け、北越商会と号し、倉庫業兼保管の貨物を担保として金融をなし、又は預り券を発行して売買或は質入の信票となせり。されど倉庫の所在が信濃河口を遡ること一里余、多くの艀瀬取賃を要し、且つ海上の静穏を見計ひ、急遽船出等なす場合に不便なるがため、保管を託するもの少く、事業不振の間に五箇年を経過し終に明治十七年七月を以て解散の止むなきに至り、敷地は沼垂校建築用地校舎建築は三十七年なりとして売却せり。八木朋直談
 こゝに北越商会が寄託品に対し金融を図り、特に預り証券を発行し流通せしむることを企てたるが如きは、本邦にては当時尚稀有のことに属せり。藩政時代に於て大阪・大津の如き大名の蔵所を置きし地には、蔵所より売払ひたる米穀に対し、米切手預証券を交附する慣習ありて、其切手の効力は今日の預証券と毫も異らざりしが、これは只大名のみの事にして一般商人よりは絶えて米切手に類する預証券を出すものなかりき。兵庫は北国より輸送し来る米穀肥料の集散地にて、問屋業者は海浜に多くの倉庫を建てゝ所有し、其中空庫となりたる分を他人に貸与する慣習なりしが、貨物の陸揚を掌る内浜組・外浜組十二組の仲仕頭にて倉庫貸渡の事を支配し、仲仕頭より預証券をいだすことゝなり、其預証券によりて金融を図るの慣習なりきといふ。この他物貨集散の港には多少貸庫をなすものありしかど、兵庫の如く預証文を出すものなかりき。横井時冬著日本商業史
 明治十五年十一月東京深川佐賀町に倉庫会社資本金六万五千円並に均融会社資本金二拾万円の二会社設立せられ、預証券を流通せしむることを企てたるを以て、維新後に於ける最も完全なる倉庫会社濫觴となせども、本市の北越商会が之に先立つこと四年、規模の大小と事業の振不振の差こそあれ、正にこの種会社の先鞭を附したるは偉なりといふべく、その組織の如きも最も進歩的の合資会社たりしは次の申合規則趣意を一読せば明瞭なるを得ん。
    北越商会設置申合規則
 当商会の業務は、国内の米穀は勿論製茶其他凡そ物産の流通上に於て、農商の便宜を開かんことを旨とし、而して米穀の如きは其依頼
 - 第14巻 p.290 -ページ画像 
により之を預り、預り券を交附し、売買或は質入等の信票となさしめ、又当商会に於て右米穀其他の抵当物に就き貸附金の融通を図り且農商の望により、委託物を引受け、之が運搬販売のことを取扱ひ世上の信憑を実際に得て、以て逐次殖産の隆盛を興起せんことを企望し、爰に営業上の便法を商議し規則を設く云々。規則略す



〔参考〕銀行雑誌 第七号・第五―一二頁〔明治一一年六月〕 銀行検査官報告書撮要(検査官四等属外山脩造 同 八等属前野真太郎)(DK140028k-0002)
第14巻 p.290-292 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕新潟市史 下巻・第四三四―四三六頁〔昭和九年一二月〕(DK140028k-0003)
第14巻 p.292-293 ページ画像

新潟市史 下巻・第四三四―四三六頁〔昭和九年一二月〕
 ○第七編 第三章 第一節 商業
  七 倉庫業
 本市の倉庫業の発達経路につきて案ずるに本地は初めより船着場として、商業を以て立都の基本となせしにより、積載貨物を一時保管する必要上、貸庫の設置が夙くより発達せしは察するを得べく、元和二年新潟諸役用捨の覚中「蔵役《くらやく》の事」の一項は、元和以前斯業の発達せしを証明すべき好資料なり。降りて延宝五年町方申渡に「新潟古来の法に背き、蔵敷・口銭を軽く仕り、他人の利を奪ふ輩これあるに於ては曲事たるべきこと」とあるは、倉庫料の規定を厳守せしめ兼て同業者の協調を保たしめんがためにして、当時の倉庫料は享保十一年十一月廻船大問屋掟中の蔵舗の条に明かなり。
    蔵舗
一、俵物蔵入いたし候はゞ百俵に付壱俵宛、蔵敷取可申候。但年を越候はゞ縦一日たりとも、百俵につき弐俵宛の事。
一、在々より下り候俵物、旅人其節不相払蔵入いたし候はゞ、百俵に付壱俵宛。年を越候はゞ百俵につき弐俵宛のこと。
一、旅人他所にて買候俵物、当所へ積下し、旅人依勝手致蔵入候はゞ百俵に付壱俵づゝ。年を越候はゞ弐俵宛の事。
一、茶・水油・たばこ・金引・白苧其外箇荷蔵入候はゞ、一箇につき銀四匁五厘宛取可申候《(分)》。縦他所より積来候箇荷、積移に仕候共銀四分五厘宛取可申候。但当所にて買候を、直に船積仕候分は蔵敷取申間敷候。当所買にても蔵又は他門へ入候はゞ右の蔵敷取可申候事。
一、運賃米致蔵入候はゞ、百俵に付壱俵づゝ取可申候。直に積申候は取申間敷事。
一、廻船積来候西塩、能登塩蔵入致候はゞ百俵に付壱俵宛取可申候。縦一日にても年を越候はゞ、右壱俵の外又壱俵づゝ年々取可申候。
一、鉄類壱束に付銀四分五厘宛取可申候。年を越え候はゞ年々銀四分五厘宛増にて取可申候。鍬箇も同前の事。
一、畳拾畳に付銀壱匁五分宛取可申候。茣蓙上は弐束結、中下は四束結壱箇に付銀弐分弐厘五毛宛。薄縁拾枚入壱箇に付銀弐分弐厘五毛宛。年を越候はゞ年々増候て取可申事。
一、囲船の積俵物蔵入いたし候はゞ百俵につき弐俵宛取可申候。並船道具蔵敷として船頭・水主共に拾人乗に付銀三拾目づゝ取可申候。
一、他所より積荷にて塩蔵揚の分は勿論、縦積移にて他所へ遣し候とも、百俵に付壱俵宛取可申事。
一、松前致蔵入候て当所にて不相払、旅人依勝手他所へ積参候はゞ、百束に付弐束宛取可申候。年を越候はゞ又壱束増にて取可申事。
一、洲崎干鰯蔵敷壱俵に付銀九厘宛取可申事。
一、繰綿拾弐貫目入銀六分、六貫目入銀三分宛の事。
一、春夏秋旅人買置候蔵物・町俵物共其宿々蔵へ請取候はゞ、縦一日
 - 第14巻 p.293 -ページ画像 
にても百俵に付壱俵宛取可申事。
一、木綿・古手・紙壱箇に付銀四分五厘宛、売口銭の外に取可申事。
以上の如き制約の下にて、城米・諸侯米の津出時まで保管する特定の貸庫業者ありて、白山神社境内地及舟入堀を隔てたる対岸横町に於て建設せられたる所謂島蔵・浜蔵の存在については第三編港湾後篇第二章第三節蔵宿と蔵番人の条に詳述せり。
   ○『第三編港湾後編第二章第三節』ノ記述ハ維新前ニ於ケル新潟倉庫業ノ歴史ナリ。


〔参考〕(新潟倉庫株式会社)書翰 日本倉庫協会宛(昭和一四年一二月三〇日)(DK140028k-0004)
第14巻 p.293 ページ画像

(新潟倉庫株式会社)書翰 日本倉庫協会宛(昭和一四年一二月三〇日)
    沿革
新潟倉庫株式会社ハ其ノ沿革古ク、明治二十年新潟市白勢春三・鈴木長八・近藤幸四郎・小沢七三郎ノ四氏相謀リ、各所有倉庫ヲ提供シテ之ガ統制ヲ企テ、有限責任新潟倉庫会社設立ノ免許ヲ得シガ、明治二十三年七月更ニ米商会社(新潟米穀株式取引所ノ前身)倉庫ヲ併セ資本金五万円ヲ以テ業務ヲ開始セリ、爾来専ラ堅実ヲ旨トシ基礎ノ確立ニ努メタルトコロ漸次社会ノ信用ヲ得、明治二十七年新潟倉庫株式会社ト改称シ、明治三十二年司法省供託倉庫、同四十三年新潟米穀株式取引所指定倉庫、大正四年四月日本銀行指定倉庫、同十五年一月農林省指定倉庫ノ指定ヲ受ケタリ、尚明治四十五年三月私設保税倉庫営業ヲ開始シタルモ大正四年九月都合ニヨリ之ヲ廃止セリ、大正七年十一月金五万円ヲ増資シテ金拾万円トス、同十四年二月当時水運鉄道ノ連絡至便ノ地位ヲ占メタル北越倉庫株式会社ト合併シ、資本金五万円ヲ増加シテ金拾五万円トナレリ
昭和十二年一月保税倉庫法ノ規定ニ拠リ私設保税倉庫業ヲ経営
古来新潟港ハ日本海沿岸ノ要津ニシテ信濃・阿賀ノ二大河ニヨリ広大ナル背後地ノ貨物ヲ呑吐セルモ港湾設備ニ於テ遺憾ノ点尠ナカラザリシガ、大正十四・五年ノ交県営埠頭及私設臨港埠頭竣工シ全ク旧来ノ面目ヲ一新シ出入貨物ノ激増ヲ見タリ、当社ハ港勢ノ将来ヲ想ヒ昭和五年六月資本金ヲ五拾万円ニ増加シ県営埠頭中水陸至便ノ地ニ鉄筋コンクリート造倉庫二棟鉄骨鉄網コンクリート造倉庫一棟ヲ新築シ以テ将来ノ発展ニ備フル所アリ、今ヤ満洲国ノ新興ニ依リ新潟ハ東京関東地方ト新京及ハルピン方面ヲ結ブ最短距離ニ当リ之ヲ利用スル貨客ノ増加著シキモノアリ、倉庫モ亦此ノ機ニ際シ万遺憾ナキヲ期スルモノナリ


〔参考〕新潟市史 下巻・第四三九―四四〇頁〔昭和九年一二月〕(DK140028k-0005)
第14巻 p.293-294 ページ画像

新潟市史 下巻・第四三九―四四〇頁〔昭和九年一二月〕
 ○第七編 第三章 第一節 商業
  七 倉庫業
    新潟倉庫会社及新社庫
 明治二十年の頃米商会社・鈴木・白勢・近藤の諸氏各所有の倉庫四あり。単独経営の不得策を覚り、自発的に合同の機運熟したるは同年九月に在り。しかれども各自持分に価値の高低あり、その議容易に纏らず。爰に於てか仲裁を局外者に求む。八木朋直之が評定に当り、事
 - 第14巻 p.294 -ページ画像 
容易に解するを得たり。明治二十三年七月認可を得て、資本金五万円なる新潟倉庫株式会社の設立を見るにいたれり。

会社の商標は四人の持主が円満に纏りたる意味を象徴して四つ輪となせり。爾来社運隆盛に赴き、数回の増資を行ひ、目下五拾万円払込額弐拾参万七千五百円の一大会社となれり。
今新潟倉庫会社所有建物中に俗称新社庫と呼べる倉庫あり、明治三年十二月諸株廃止規程布告せられ、一時船舶取扱に従事するもの二百五十有余名に達し、廻船問屋忽に秩序を失ひ、混乱の状を呈し寄港船舶は信頼すべき問屋の選択に苦しみ、自他の困惑一方ならざるものあり。楠木県令之を憂ひ、旧来の大問屋株を有せしものに限り、官有の白山倉庫及び白山浦にある倉廩数棟を無償にて譲与し将来有望の土地を選び、資金を集めて倉庫を建設すべきを以てす。是に於てか旧大問屋株を有せるものは一株につき金五百円宛を醵出し社団を結びて信任社と称し、新社庫を建設し、且つ必要なる器具及瀬取船等の一切を完備せり。然れども一旦の頓挫以来営業の不振を継続し、折角の計図も画餅に期《(帰)》し、終に新任社《(信カ)》は一資本家の掌中に収めらるゝに至れり。因に敷地は村松旧藩士中新潟区内に於ける官有地自由払下げの特権を有せる木村真吾・熊倉重利・松山緑外二名の名義にて一旦払下げ、相当の報酬を附して譲与を受けたるものなり。