デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
28節 貿易
2款 匿名組合堀越商会
■綱文

第14巻 p.421-430(DK140047k) ページ画像

明治29年12月(1896年)

堀越商会経営困難ニ陥ル。栄一資金ヲ融通シ営業ヲ監督シテ其維持ニ努ム。


■資料

青淵先生六十年史 第二巻・第三〇六―三一二頁 〔明治三三年二月〕(DK140047k-0001)
第14巻 p.421-424 ページ画像

青淵先生六十年史 第二巻・第三〇六―三一二頁〔明治三三年二月〕
    第四十九章 直輸出入業
○上略
是ヨリ先キ米国ハ彼ノ「シヤーマン購銀条例実施ノ結果トシテ金貨
 - 第14巻 p.422 -ページ画像 
海外ニ流出シ、財政紊乱シテ商況沈滞、千八百九十三年即チ我カ明治二十六年ニ至リテ、其荼毒漸ク甚シキヲ加ヘ、為メニ米国内地ノ工業ハ其産ヲ減シ、輸入亦従ツテ少キヲ加フルニ至レリ、同商会○堀越商会カ紐育ニ支店ヲ開設セシハ実ニ其翌年ニシテ、米国ノ財政ノ病根未タ癒エス、民皆其余弊ニ窮セルノ際ナリシヲ以テ、人多ク其営業ノ結果如何ニ就テ憂慮スル所アリシモ、前年来ノ不景気ハ偶々以テ物品ノ欠乏ヲ来タシ、需用増加シテ供給足ラサルノ状況ヲ呈スルニ至リシカハ、同商会開店ノ当日ヨリ顧客踵ヲ接シテ至リ、初ノ杞憂ニ比スレハ聊カ好果ヲ収ムルヲ得タリ、依テ創業年度ハ其営業ノ時日僅ニ九箇月ナリシモ、玆ニ一割五分ノ配当ヲナシ、尚ホ且ツ規定ノ積立ヲ了セリ
前年ノ結果其功ヲ奏セシコト此ノ如クナリシト、米国ノ財政整理モ稍稍其緒ニ就キ、将来ノ望亦タ空シカラサルヘキヲ予想スルヤ、廿八年三月資本ヲ倍加シ、漸ク其拡張ヲ図レリ、而シテ同年亦タ応分ノ利アリシト雖モ、市場ノ浮沈、需用供給ノ其権衡ヲ逸シテ上下スル、猶波濤ノ高低アルカ如ク、前廿七年度ニ於テ日本絹布ノ需用増加セルト其利ノ多カリシハ、会々以テ本邦在留外人ノ競売トナリ、為メニ市価ノ騰貴ヲ促カシ、機業家ノ其利ニ浴セシモノ多カリシカハ、産額頓ニ増加シ、商品市場ニ溢レ、漸ク再ヒ其価ヲ減シ、将来ノ損失予メ期スヘキモノアルヲ認ムルニ至レリ、故ヲ以テ同年度ハ利益ノ配当ヲ廃シテ在品ノ価ヲ削減シ、以テ将ニ来ラントスルノ恐慌ニ備ヘタリ
果セル哉、廿九年度ニ至リテハ、本邦ト米国ノ両市場ニ日本絹布ノ堆積スルアルヲ見ルニ至レリ、而シテ甲斐絹ニ於テ最モ多カリキ、為メニ其市価暴落、殆ント購入原価ノ半タニ及ハサルノ惨境ニ沈淪シ、加フルニ米国ノ財政ハ依然混乱未タ整理ヲ視ルニ至ラス、而モ此ノ年大統領ノ改選アリ、国民皆政事ニ狂奔シテ、商工ノ業ハ殆ント遺レテ顧ミサルモノヽ如ク、為メニ同商会ノ営業日々ニ非ニシテ、損失ノ重ヌル愈々多ク、非常ノ困難ヲ見ルニ至レリ、青淵先生森村ト共ニ同商会ニ監査タリ、此ノ状ヲ視ルヤ、事大小トナク細大漏サス之ヲ聴キ、策ヲ社員ニ授ケテ前後ヲ講シ、勉メテ社員ヲ奨励シテ其心ヲ沮喪セサラシメ、且ツ屡々書ヲ在米ノ堀越ニ送リ、将来ヲ誡メ、一ニハ事業当初ノ経営急進ニ失セシヲ責メ、具サニ其弊ヲ叙シ、極メテ経費ヲ節シ、其欠損セル資本ヲ以テ之カ維持ヲ講スヘキ旨ヲ諭サル、今其数回ノ書信中其一ヲ左ニ掲載ス
 爾来御清適遥賀之至に候、偖貴商会営業困難之実況は先般来尊書御申越も有之、又御本店への来状も矢野氏若くは井上○金治郎抔より其時時被申越、殊に此の程森村翁への尊書も被相廻一覧仕候、就而先日も矢野○二郎・井上二氏に森村氏と共に一日相会し、種々相談を尽し候得共、先般正金銀行に対する金融の余裕を計るの一案も、到底当方にては工夫も相立かね候間、此の儘営業維持被成候御都合なれは詰り今日現存の資本額に信用貸依頼有之候ものを以て、運転の外無之と御覚悟被成、右にて何様にも繰廻はし、細々にも業務を継続し景気挽回の場合に幾分の利益を得、以て是迄の損耗を償却致候御見込相立候はゝ、之を目途に御辛抱被成候外無之と存候、右様申上候も小生等は凡て貴台に対する嘱望を抛棄し、只其成行に委すると云
 - 第14巻 p.423 -ページ画像 
ふか如き念慮には無之候得とも、如何にせん今日の儘にて資本に余地を生し候工夫は別段方法無之と申す事に候
 元来貴商会の営業は今日より回想すれは、聊か急進の嫌有之、其功を急きしより全体の資力に超過せる経営に相成候様被存候間、小生は是非此の際一段落を付けされは、其改正も如何と懸念仕候、乍去貴台徒手にて御帰国被成候とて、前陳の改正案とて容易に成立候とも難申に付、寧ろ幾分の命脈候様なれは、或は此の儘に魯戈虞淵の日を回すの御決意も不得已場合とも相考申候
 自然右様の御決意相成候上は、第一に貴店の経費節減を御勉被成候外無之候、而して営業に就ても此の上正金銀行より取引上種々の小言不相生様、精々信用の程度を守り候御工夫専一に御座候、又此の程も井上より貴方の将来営業に属する予算承合候処、利益の予想は…………にて、費用は…………の由、但別に特別の利益も可相生御予想なれとも、是は確と申答は難致との由に候、然る時は目前其予算上既に不足相現はれ候姿にて、決して確定の見込と申兼候間、此の上今一段の省費御心配被成候外無之と、矢野・井上へも申述候儀に候、実に今日資本減殺の上営業困難の日に於て其融通の途を講する事もせすして、只々経費節減のみ相論し候は、難きを責るの憾有之候へとも、維持を勉ると申上には、是非右等の見込無之ては、単に万一に僥倖と申姿に相成候間、終に右様申上候儀に御座候、小生は貴台及原田○貞之助氏迄是迄の御勉励の御精神は充分想得申候、又矢野も井上も頗精励の様子にて是又満足仕候、不幸にして当初の処置聊急進に過候と、第二は米国の不景気より、今日に相成候は真に残念の次第に候、併海外輸出業の今日に必要なるを思へは、貴商会の為小生等の資本幾分減少候抔は毫も遺憾には無之、偏に此の損耗と困難とをして相当の経験とし得る丈けの価値を生せしめ申度と存候、而して其点に就ては殊に貴台の将来の御丹精に依り可申と存候御自重可被下候、右取込中一書申上候 匆々不一
  二十九年十二月廿二日
                       渋沢栄一
    堀越善重郎殿
而シテ資金ノ欠乏ハ到底営業ノ円滑ヲ欠ク而已ナラス、空シク時機ヲ失スルノ虞アルヲ認メラルヽヤ、先生森村ト共ニ其私財ヲ投シテ一時之レカ救済ノ道ヲ講セリ、偶々米国ハ大統領ノ改選ヲ終ヘ、金貨党ノ首領マツキンレー当選セルヲ以テ、信用頓ニ恢復シ、商工ノ業亦タ勃興シテ人心大ニ安ヲ加ヘタルヲ以テ、同商会ノ如キ曩日失ヒタル幾分ノ資本ヲ塡充シテ、漸ク其欠損ヲ小ナラシメタリ
越ヘテ三十年大統領マツキンレー就職、海関税則ノ改正アリ、同商会ノ商品タル絹布・段通・花莚ノ三種ハ悉ク皆前代未聞ノ苛税ヲ課セラルヽノ不幸アリシヲ以テ、営業結果亦タ前途杞憂ニ堪ヘサルモノアリシモ、一ハ米国財政ノ基礎確立シ、天産ノ収獲豊富ニシテ農民ノ嚢裡頓ニ温キヲ加ヘ、多年萎靡沈滞ノ商況再ヒ英気ヲ呈スルニ至リシト、又一ニハ先生並ニ森村ノ保護ヲ得テ重税実施ニ先タチ多額ノ物品ヲ購入シテ之ヲ米国ニ輸出セシ結果トシテ、同年度ノ利益望外ノ多キヲ加
 - 第14巻 p.424 -ページ画像 
ヘタリシヲ以テ、玆ニ全ク前年度ノ損失ヲ塡充シ、尚ホ且ツ六朱ノ配当ヲ為スニ至レリ○下略


渋沢栄一 書翰 井上金治郎宛(明治二九年一〇月二五日)(DK140047k-0002)
第14巻 p.424 ページ画像

渋沢栄一 書翰  井上金治郎宛(明治二九年)一〇月二五日
                   (井上金治郎氏所蔵)
堀越君より之来状相添御申越之御細書拝見仕候、同君ニも海外万里之地ニ於て商業百事予想ニ齟齬いたし、嘸々苦心被致候事と察上候、乍去正金銀行ニ関する取引ニ付而ハ、今日別ニ小生より如何とも致方無之と存候、森村君ニもしも妙案有之候ハヽ御相談も可致候得共、今日之処組合一同之協議をも経すして、両人個人之取計を以、融通之途相謀候義も差支可申と存候間、縦令正金銀行より窮窟之取引せられ候為此際商会之営業弥増萎縮いたし、不利益相重候も、救済之工夫無之上ハ、矢張致方なきものとあきらめ候外無之と存候、もしも森村君ニ於て何か妙案有之、其為面会を要せられ候ハヽ何時も御接見可仕候ニ付尚御申越可被下候
同君ニして小生と同案ニ候ハヽ、不得已次第ニ付、堀越君へハ余り落胆せさる様、組合協議を尽し、更ニ方法相立候為、一ト先帰国候方と申様なる意味ニて電報いたし候而ハ如何哉と存候、但同氏帰京を促し候ニハ、同時ニハ在米国支店之費用節減方及此際取続き之営業方法等ハ、夫々枉りなりニも相立不申候而ハ原田も困却と存候間、其辺も御申遣之方と存候、兎ニ角此事ハ矢野君ニも能々御相談有之度と存候、右不取敢御答如此御坐候 匆々不一
  十月廿五日               渋沢栄一
    井上金治郎様


竜門雑誌 第六〇〇号・第三七―三八頁〔昭和一三年九月二五日〕 青淵先生の追憶(井上金治郎)(DK140047k-0003)
第14巻 p.424-425 ページ画像

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渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛(明治三一年)一月九日(DK140047k-0004)
第14巻 p.425 ページ画像

渋沢栄一 書翰  八十島親徳宛(明治三一年)一月九日
                    (八十島親義氏所蔵)
○上略
堀越商会ニてハ十三日ニ組合員総会相開候由書状及電報ニて申来候処老生ハ十一日ニハ帰宅可致ニ付其段電報ニシテ申遣候得共、尚貴方より御申通し可被下候
○中略
  一月九日                  栄一
    八十島殿
○下略
  ○封筒ニ「三十一年一月九日熱海より」ト朱書セリ。


渋沢栄一 書翰 船坂八郎宛(明治三一年カ)二月二六日(DK140047k-0005)
第14巻 p.425 ページ画像

渋沢栄一 書翰  船坂八郎宛(明治三一年カ)二月二六日
                    (舟阪渡氏所蔵)
其後ハ打絶御起居も不相伺候得共貴兄益御清適御修学被成候事と拝賀之至ニ候、本社へ対し毎々御細書御送致被成、仏国ニ於て御修行之景況御申越之処、小生ハ其実務ニ熟練無之為只其要領を辻川・門多両氏より承及候迄ニ御坐候、併御報告ニよりて追々本社工業ニ改良を加へ候事も有之大ニ利益之様子ニ候、此上ハ貴兄御帰国ニて御習熟之技倆を以充分改善致候様御担任被下度御待申上候
堀越商会主人堀越善重郎氏とハ欧洲ニて御懇意被成候よし、同氏ハ小生別ニ親密ニ致居、其商会之事も小生ハ重なる資本主ニ付、此程同氏帰国中ニも色々営業上之打合有之、終ニ織物会社とも相談致し薄地琥珀之類織立米国へ輸出之引合仕候、右ニ付而ハ辻川氏も態々出京にて拙生宅ニて堀越氏と相会し篤と将来之事迄評議仕候義ニ御坐候、夫是ニ付而も他日貴兄帰国之際ニハ今一段織物之進歩相勉申度と、折角御待申上候義ニ御坐候
堀越氏も本月廿五日出立米国へ被参其上ニて欧洲へも罷越候由、然時ハ仏国ニて貴兄とも御会合と存候間、能々将来之織物営業ニ付而ハ御評議被成、実施之手順も向後之方針も御研究有之度と存候
本社之業務も繻子之売行少々不景気之為、此半季ハ心配ニ候得共、辻川・門多両氏協力精励せられ、工場も一同専一担任ニ候間先以別段ニ不都合等ハ無之、幾分か利益も可有之と存候、御安心可被下候
小生ハ兎角書状等も不差上、御疎情のミニ御坐候、併御研業之摸様ハ時々承及、頻ニ御帰国之上社運今一層発達候様之御尽力を企望罷在候右一書申上度 匆々不一
  二月廿六日               渋沢栄一
    船坂八郎様

 - 第14巻 p.426 -ページ画像 

渋沢栄一 日記 明治三三年(DK140047k-0006)
第14巻 p.426 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年
一月十一日 曇又雨
午前堀越善重郎来ル、本年度計算報告ノコトヲ協議ス○下略
  ○中略。
一月廿五日 晴
○上略此夜ハ大阪紡績会社山辺丈夫・滝村竹男・三重紡績斎藤恒三・大塚基・堀越善重郎等米国ニ渡航スルヲ送別スル為メホテルニ於テ小宴ヲ設ケ、佐々木・市原・堀越商会員郷・赤羽等来会シ、商工業ニ関スル談話頗ル盛ナリ、賓主歓ヲ尽シ夜十時散会ス○下略


(八十島親徳) 目録 明治三三年(DK140047k-0007)
第14巻 p.426 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三三年  (八十島親義氏所蔵)
一月廿五日 曇大ニ寒シ
○上略
堀越善重郎氏、大坂紡績ノ山辺丈夫氏、三重紡績ノ斎藤恒三氏・大塚氏等明日ノエムプレス号ニテ渡米ニ付今夜帝国ホテルニテ送別会ヲ被催、予モ御招伴ヲ被仰付、他ニハ赤羽克己・郷隆三郎・佐々木勇之助及市原盛宏等也、四方山ノ話ノ内ニモ青淵先生ノ日本紡績業ノ始メ即大坂紡績ノ起リ、山辺氏洋行中ニ紡績技師タルノ約束ヲナセシコト、引続キ三重ヲ起シ一時両又ナリトテ大坂方ノ誹謗ヲ受ケラレシコト、斎藤恒三氏ヲ大坂造幣局ヨリ貰受ケシコト等ノ談話、又食後堀越氏ノ米国ノ隆盛ヨリ引テ例ノ日本商工業亡国論乃至外国移住論ハ就中談話ノ中心トナレリ、一同尽歓十時散会
○下略


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK140047k-0008)
第14巻 p.426 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年
六月十五日 曇
○上略 此夜原田貞之助来リ越堀商会《(堀越)》ニ関スル種々ノ意見及一身ノ企望ヲ縷述セラル、依テ他日越堀氏面会《(堀越)》ノ際ニ恰好ノ調和ヲ為スヘキコトヲ答フ
  ○中略。
七月八日 雨
午前郷隆三郎来ル、堀越商会ノ業務ヲ話ス○下略


渋沢栄一 日記 明治三四年(DK140047k-0009)
第14巻 p.426-427 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三四年
四月二十三日 曇
午前書類ヲ調査シ、堀越善重郎米国出張先へ一書ヲ裁シ○下略
  ○中略。
五月九日 曇
○上略
十二時過日本銀行ニ抵リ山本総裁ニ面話ス、森村市左衛門氏ニ面会シテ堀越商会ノコトヲ談ス○下略
  ○中略。
六月廿六日 曇 夕雨
 - 第14巻 p.427 -ページ画像 
○上略 六時帝国ホテルニ抵リ、堀越商会ノコトニ関シテ森村・浅野・馬越ノ諸氏ト会談ス、郷隆三郎・斉藤艮八来会ス○下略
  ○中略。
十二月三十一日
○上略 米国堀越商会上海白岩竜平氏ヘモ発状ス、第一銀行各支店支配人ヘ悉ク歳晩ノ一書ヲ送ル


渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛(明治三五年)一月一二日(DK140047k-0010)
第14巻 p.427 ページ画像

渋沢栄一 書翰  八十島親徳宛(明治三五年)一月一二日
                    (八十島親義氏所蔵)
○上略
別紙郷氏へ之書状ハ堀越商会之番地不分明ニ付封入さし上候、早々御届可被下候
○中略
  一月十二日               渋沢栄一
    八十島親徳殿
○下略
  ○封筒ニ「大磯ヨリ」ト記セリ。


渋沢栄一 日記 明治三五年(DK140047k-0011)
第14巻 p.427-428 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三五年
一月廿七日 晴
○上略
十一時帝国ホテルニ抵ル、堀越商会ノ決算ニ関シ森村・浅野・木村・村井保因《(固)》ノ諸氏来会ス○下略
  ○中略。
三月十九日 曇
○上略 十二時帝国ホテルニ抵リ、清韓協会設立ノコトヲ協議ス、来スル者十人余、畢テ堀越商会郷隆三郎氏・商業会議所萩原源太郎氏ニ会話シ○下略
  ○中略。
九月八日 晴
午前八時朝飧ヲ畢リ九時半井上金治郎氏来ル、相伴フテ同氏ノ寓居ニ抵リ、堀越商会営業ニ関スル要務ヲ談シ、紐克堀越氏ヨリノ来状数通ヲ一読シ、将来ノ方針ニ付井上氏ヘ説示スル所アリタリ、畢テ兼子ノ来会スルアリテ共ニ午飧ヲ畢リ、午後三時井上氏夫妻同伴ニテループル街ノ一商店即マガザンデループルニ抵リ、其支配人ニ面会シテ従来堀越商会即井上氏ト種々商品ノ取引アルコトヲ悦フ旨ノ謝詞ヲ述ヘ、夫ヨリ旅宿ニ抵リテ一行ト共ニ馬車ニテ市街ヲ通過シ、プラスドラ・コンコルド・シヤンゼリゼーヲ経テ凱旋門ノ傍ナル本邦公使館ニ抵リ安達書記官ニ面会シテ公使ニ来意ヲ告ケ、去テボワデブロンギユニ抵リ、大瀑布ニテ馬車ヲ下リ、一小茶店ニ休憩シ、更ニ馬車ニテ公園内ヲ巡遊シ、午後七時半再ヒ井上氏寓居ニ抵リ、一同日本食ノ夜飧ヲ饗セラル○下略
  ○栄一、是年五月欧米巡遊ノ途ニ上リ、九月七日ロンドンヨリパリニ到着、十五日リヨンニ向フマデ滞在ス。
 - 第14巻 p.428 -ページ画像 
  ○中略。
九月十七日 晴
○上略 十一時半井上金治郎氏ト共ニ正金銀行支店ニ抵リ、小野支店長ニ面会シ、相伴フテ里昂ノ倶楽部ニ於テ午飧シ、堀越商会営業見込及金融ノコトヲ談話ス、午後二時小野氏ニ分レ、井上氏ト共ニ里昂商業会議所ニ抵リ書記ニ面会シテ来意ヲ告ケ、更ニ其楼上ニ設置セル織物沿革ヲ一覧スル為メ設ケタル博物館ヲ見ル○下略
  ○中略。
十一月二十日 曇
○上略 三時兜町事務所ニ抵リ、森村氏・郷・赤羽氏ト共ニ堀越商会ノ営業ニ関スル協議ヲ為ス○下略


渋沢栄一 日記 明治三六年(DK140047k-0012)
第14巻 p.428 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年
一月十六日 晴
○上略 午後堀越商会郷隆三郎氏来話ス○下略
  ○中略。
六月廿六日 雨
○上略 十時小宮三保松・井上夫人来リ、堀越家ノコトニ関スル依頼アリ○下略
六月廿八日 雨
○上略 十時小宮三保松氏・堀越角次郎氏姉弟二人来ル、家事ニ関シテ余ノ添心ヲ依頼スルタメナリ、姉ニ配スル婿ノ人撰ノコトニ付談話アリ午飧ヲ共ニシテ帰リ去ル○下略


(八十島親徳)日録 明治三六年(DK140047k-0013)
第14巻 p.428-429 ページ画像

(八十島親徳)日録  明治三六年   (八十島親義氏所蔵)
七月二十六日
○上略
朝堀越善重郎氏来リ積年ノ損失ノ為此程ノ惣会ニテ兎モ《(角脱)》向フ十ケ月間位ニ持品ヲ売却シテ組合員保証ニテ正金銀行ヨリ借入金十万円ヲ返済スルコトニ力メ以テ早ク保証ヲ免レル方針トシ、又出資全部ノ損失ハ一同モ堪忍スヘキニ付無資本ニテ経続《(継)》スルナレハ後ノ商売ハ堀越ノ勝手次第ト云フコトニ一決セリ、而シテ持品処分ニ付テモ入費省略ト且ツ監督ノ為メ一切三井支店ニ取扱ヲ頼ムコトニ一同ノ意見ナルモ却テ甚敷不利益ナルベシト思ヒ居ル中、浅野氏ハ寧ロ組合員側ヨリ監督者ヲ派出セハ三井ヘ依頼スル必要モナカルヘシトノ意見ニテ昨夜渋男ニモ相談セシニ、可然監督者ヲ推薦シテ後ナレハ一考スヘシト云ハレシ趣今朝浅の氏ヨリ電話ニテ承リタリ、依テ堀越ノ意見ニテハ貴下(即拙者)ハ其候補者ニナリ呉レズヤトノ来談也、依テ予ハ渋沢家担任事務ノ関係上到底手ヲヌクコト差支フベキニ付無論無駄ナルガ浅の配下トシテ目下横浜ノユニオン・ストーン・コンパニー在勤ノ樹次郎ヲ浅の氏カ推薦スルニ於テハ相当ニ適任ナルヘク且男爵モ同意スルナラント思フトノ意見ヲ陳ヘシニ、堀越氏ハ渡リニ舟ト大ニ喜ヒ、浅の氏ハ今朝関西ヘ出立セシモ先書状ニテ同氏ヘ申通セント云ヘリ、如此会話ノ後同氏退去セラル
 - 第14巻 p.429 -ページ画像 
○下略


渋沢栄一 日記 明治三六年(DK140047k-0014)
第14巻 p.429 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年
八月十六日 晴
○上略 九時高木豊三・小宮三保松ニ氏来リテ堀越角次郎家縁談ノコトヲ協議ス○下略
  ○中略。
八月十八日 晴
○上略 九時兜町事務所ニ抵リ今日旅行ノコトヲ尾高・八十島其他ノ人ニ告知シ且留守中ノコトヲ指示ス、諸井恒平氏来リ六郎縁談ノコトヲ話ス、堀越善重郎氏来リ商会ノコトヲ談ス○下略
  ○中略
八月三十一日 晴
○上略 午後四時兜町事務所ニ抵ル○中略高木豊三・小宮三保松二氏来リ堀越家婚儀ノコトニ関シテ談話アリ○下略
九月一日 晴
○上略 十時兜町事務所ニ抵リ、諸井恒平・堀越善重郎・浦田治平・原林之助等之来訪ニ接ス○下略
  ○中略。
十月十一日 晴
午前六時起床朝飧ヲ畢リ八時三十分新橋発ノ汽車ニテ大磯ニ抵リ伊藤侯母堂ノ死去ヲ弔フ、車中高島嘉右衛門氏ト会話ス、午後二時品川ニ於テ下車シ堀越角次郎氏ヲ伊皿子ニ訪ヒ縁談ノコトヲ協議ス、午後八時過王子別荘ニ帰宿ス


渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛(明治三七年)三月一五日(DK140047k-0015)
第14巻 p.429 ページ画像

渋沢栄一 書翰  八十島親徳宛(明治三七年)三月一五日
                    (八十島親義氏所蔵)
○上略 堀越之営業も稍利益有之正金銀行へ之返金も二月迄ニて壱万九千弗相済候由好都合之事ニ候、尚三万千弗之残高も予期之如く相運候様為致度ものニ御坐候、堀越氏本月中帰国と申事ニ候ハヽ大概之見込ハ相分り可申歟、着早々御聞合之上もしも幾分期限相延候様見込候ハヽ其段前以相馬氏等ヘ頼願之工夫御申示可被下候
○中略
  三月十五日                   栄一
    八十島親徳殿
○下略
  ○封筒ニ「国府津より」ト記セリ。


渋沢栄一 日記 明治三七年(DK140047k-0016)
第14巻 p.429 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三七年
四月十日 晴
○上略 穂積夫妻ハ此夜当地ニ付夜種々ノ談話ニテ時ヲ移ス、陳重米国行ノ談アリ、又堀越角次郎ノ姉ヘ入夫ノ談ニ関シ三宅・高木二氏ヘノ内話ヲ托シ遣ス

 - 第14巻 p.430 -ページ画像 

(八十島親徳)日録 明治三七年(DK140047k-0017)
第14巻 p.430 ページ画像

(八十島親徳)日録  明治三七年   (八十島親義氏所蔵)
五月廿五日 雨
朝出勤午後雨中王子ニ至ル、引続キ御快方ニテ今日ハ初メテ戦況、蚕況、馬賊ノ動静、欧米ノ同情ノ如何等下問セラレ、引続キ堀越商会正金銀行ニ対スル借金完済ノコト、大坂紡績ノ大川待遇方等ニ付用談ヲ試ミラル○下略
  ○中略。
七月八日 曇夕雨夜暴風
朝九時上野発汽車ニテ王子ニ至ル、堀越商会前途ノコト等ニツキ御話ヲナス○下略