デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
28節 貿易
5款 其他ノ商社 2. 先収会社
■綱文

第14巻 p.465-471(DK140055k) ページ画像

明治7年(1874年)

是ヨリ先六年五月、栄一、井上馨・益田孝ト共ニ退官セル後、井上・益田ハ同年十二月先収会社ヲ設立セルガ、ソノ前後栄一、同社ノタメ融資其他寄与スル所アリシモノノ如シ。明治九年七月三井物産会社創立後モ亦同ジ。


■資料

(益田孝)書翰 渋沢栄一宛(明治七年カ)二月二〇日(DK140055k-0001)
第14巻 p.465-466 ページ画像

(益田孝)書翰  渋沢栄一宛(明治七年カ)二月二〇日
                     (渋沢子爵家所蔵)
 - 第14巻 p.466 -ページ画像 
今朝は久々拝顔不相換失敬奉恐縮候、陳ハ今朝段々御話申上候内大阪之一段は従元盟台まて申上候而と極而申上候まては願候へ共プライヴエートに奉願置候、迂生不申上とも御承知可相成又他も必ス知る処ニは可有之候へ共、諸大家如何なるポリシー之在ル事歟とも奉存候ニ付何卒盟台限り御秘置奉願候、いつれ井上出京も致候ハヽ万情可申上候、右奉願上度 早々噸首
  二月廿日                    孝拝
    渋沢賢台
        侍史


(某)書翰 渋沢栄一宛(年月未詳)一八日(DK140055k-0002)
第14巻 p.466 ページ画像

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(鈴木利平)書翰 渋沢栄一宛(年未詳)二月九日(DK140055k-0003)
第14巻 p.466 ページ画像

(鈴木利平)書翰  渋沢栄一宛(年未詳)二月九日 (渋沢子爵家所蔵)
昨日ハ本山出浜候段付難有奉存候、則藤井より諸帳面引渡方手続相立候に付、兼而御指揮之通り、明日にも藤井義ハ一ト先貴店江出府為致、其上改而
先収社へ御引渡之御取計相願度同人江申聞候処、甚自由之義には御坐候得共、当方御暇相願候上ハ何分にも身体養生仕度候間当港病院江止宿致療養相届候上貴店へも御礼旁々罷出度、此段貴君迄相願呉候様申し候間如何可仕候哉、先収社へ御引合之御都合も可有之候間、一旦貴店江罷出改而病院江止宿之方可然と存候得共、病気之義に付本人願之通り御許容可被下哉、小子より御都合相伺申候、否哉御返答ニより猶又本人江可申聞候間、御報告奉希上候、右は彼是御厚配被成下候段難有拝顔御礼可申上候、其外ハ□□□より可得御意御承知可被下候也
  二月九日                鈴木利平
    渋沢大君


(益田孝)書翰 渋沢栄一宛(年未詳)五月二日(DK140055k-0004)
第14巻 p.466-467 ページ画像

(益田孝)書翰  渋沢栄一宛(年未詳)五月二日  (渋沢子爵家所蔵)
拝啓仕候、陳ハ此程中より度々御書被成下候処、横浜滞在御返事も不申上何とも恐縮之至ニ御座候、何卒不悪御承引奉願候、コーブ江は御断之趣昨日以書面申遣置、且六日洋三十万弗御返済之事アルウイン江も御手紙拝見直々申遣し置候間差支ヘハ無之、然し少くも六月中旬と相心得居且ツは右様御話ニも有之候事故、七分ニ而ハ、一歩之損為替の事も御引受ト申候処、豈計哉直々御返金漸く為替丈ケ為相済、三十万之内二十万丈ケ受取ル処ニ而甚困難千万ニ御座候、全く一歩当社々損御察可被下候、且ツ又右為替も可相成取急キ候事故少々之所等に而甚愚痴ニ似たれとも損分御座候能々計算之上尚御相談奉願候、然し御
 - 第14巻 p.467 -ページ画像 
約条外之義ハ不相願心得ニは御座候へ共、御推察可被下候
一当社預ケ金之義も先頃より段々所願分何卒御評考相願御許容被下心得ニ付是まて通り取扱仕申候、右何分奉願候 匆々頓首
  五月二日
                           孝拝
    渋沢様


(益田孝)書翰 渋沢栄一宛(年未詳)五月五日(DK140055k-0005)
第14巻 p.467 ページ画像

(益田孝)書翰  渋沢栄一宛(年未詳)五月五日  (渋沢子爵家所蔵)
渋沢栄一様 御直披 益田孝
拝啓仕候、爾来御起居如何被為渡候哉、御見舞参堂可仕之処彼是紛擾御無音申上恐縮之外無御坐候
御全快ニも至リ候ハヽ不急候事ニも無御坐候へ共、八百円公債証書十四番各前換へ之義御下命奉願候、御病中彼是御妨ケ恐縮千万右伺旁申上度 匆々頓首
  五月初五日                   孝拝
    渋沢老台
           侍史
  尚々此麁品軽微ニは御座候へ共御見舞書献呈仕候《(マヽ)》


(益田孝)書翰 渋沢栄一苑(年未詳)九月四日(DK140055k-0006)
第14巻 p.467 ページ画像

(益田孝)書翰  渋沢栄一苑(年未詳)九月四日  (渋沢子爵家所蔵)
渋沢栄一様 貴酬 益田孝
御書拝見、陳は井上近日下坂ニ付御送別旁来ル六日に御開筵有之候ニ付愚生まても御招キ被成下難有奉拝謝候、尚アルウイン江も可罷出様被仰遣難有早速同氏へも申聞同伴可罷出候、御末文之趣も承知仕候此段御答まて 匆々頓首
  九月初四                    孝拝
    渋沢栄一様
            侍史


(益田孝)書翰 渋沢栄一宛(年未詳)一月一一日(DK140055k-0007)
第14巻 p.467 ページ画像

(益田孝)書翰  渋沢栄一宛(年未詳)一月一一日  (渋沢子爵家所蔵)
拝啓此程は失敬仕候、御高免可被下候、陳ハ其節御約申上候ニ付参堂可仕之処今夕ハアルウイン出発ニ付横浜江出張致居、今朝帰宅仕候処感冒何分頭痛ニ難堪候間今夕ハ御違約申上候、何卒不悪御高許奉願候御都合宜く候は明後日夕なりとも参堂緩々御話相伺可申候、此段申上度 匆々頓首
  一月十一日              益田孝拝
    渋沢栄一様
            侍史


(芝崎確次郎)日記簿 明治一一年(DK140055k-0008)
第14巻 p.467-468 ページ画像

(芝崎確次郎)日記簿  明治一一年  (芝崎猪根吉氏所蔵)
 - 第14巻 p.468 -ページ画像 
八日○四月 晴
午前十時出頭主公ヨリ物産社長宛大沢・守田・竹添支配人江之廉書配達方被命候配賦致し候○下略


(三井物産会社仏国支店)書翰 三井物産会社本社宛(年月日未詳)(DK140055k-0009)
第14巻 p.468 ページ画像

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(金子弥一)書翰 渋沢栄一・益田孝宛明治一二年一一月二八日(DK140055k-0010)
第14巻 p.468-469 ページ画像

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(芝崎確次郎)日記簿 明治一二年(DK140055k-0011)
第14巻 p.469 ページ画像

(芝崎確次郎)日記簿  明治一二年  (芝崎猪根吉氏所蔵)
四月十六日 雲
○上略
御屋敷ニテ客来、外国人アルビン外井上卿・大倉組並横山弥一郎・物産益田〆六人、柳橋芸妓四人、田辺南竜召寄候コト
  ○中略。
九月二日 雲
○上略 六時ヨリきじ橋大隈邸へ益田氏と同行相成七時半帰社○下略
  ○中略。
九月八日 晴
○上略 頭取益田孝・大倉屋来会、頭取と右弐人十時迄御談話○下略


渋沢栄一 書翰 芝崎確次郎宛(明治一三年)五月五日(DK140055k-0012)
第14巻 p.469 ページ画像

渋沢栄一 書翰  芝崎確次郎宛(明治一三年)五月五日
                    (芝崎猪根吉氏所蔵)
○上略
河西より来状落手、同人も其中香港へ遣し候筈ニ候、もし物産会社之方さして至急ニ無之候ハ、小生帰京迄為待候而も宜敷、併夫ハ益田之都合佐々木より聞合取計候様河西へ御申聞可被下候、取急き出立之際面会せさるハ残念之至ニ候
○中略
  五月五日
                         栄一
    格次郎殿
○下略


渋沢栄一 書翰 芝崎確次郎宛(明治一三年)五月一四日(DK140055k-0013)
第14巻 p.469-470 ページ画像

渋沢栄一 書翰  芝崎確次郎宛(明治一三年)五月一四日
                    (芝崎猪根吉氏所蔵)
十日附書状十四日一覧仕候
○中略
河西病気心配之至ニ候、精々療養いたし候様頼入候、全快候ハヽ香港へ遣し度候得共、先右様なれハ帰京之上と御心得可被下候
 - 第14巻 p.470 -ページ画像 
○中略
  十四日
                         栄一
    柴崎殿


(芝崎確次郎)日記簿 明治一三年(DK140055k-0014)
第14巻 p.470 ページ画像

(芝崎確次郎)日記簿  明治一三年  (芝崎猪根吉氏所蔵)
四月一日 晴
○上略 午後四時より主君品川益田氏へ御出ニ相成○下略
  ○中略。
第四月廿四日
○上略
明日御出立ニ付御来客、益田・福地・(キ)・大倉・三ノ村来


(芝崎確次郎)日記簿 明治一四年(DK140055k-0015)
第14巻 p.470 ページ画像

(芝崎確次郎)日記簿  明治一四年  (芝崎猪根吉武所蔵)
第四月廿一日 雲
例刻出頭、本日ハ午後二時より王子別荘へ御来客ニ付、主人早引相成、折悪敷小雨降
来客人名ハ、佐野大蔵卿・吉原大蔵少輔・郷純造・アルピン・益田孝・三野村・其外社会之者都合十人《(会社カ)》、料理方梅屋しき常盤や
○下略
  ○中略。
五月六日 雲小雨降
○上略
主君ハ物産会社へ寄、夫より東京府・内務・大蔵両省へ御立寄○下略


自叙益田孝翁伝(長井実著) 第二一三頁〔昭和一四年一一月〕(DK140055k-0016)
第14巻 p.470-471 ページ画像

自叙益田孝翁伝(長井実著)  第二一三頁〔昭和一四年一一月〕
    渋沢子爵
○上略
 私は先収会社の時分には、渋沢さんにお目に掛ることは余り頻繁でなかつたが、明治九年三井物産会社を創立した以後は、頻繁にお目に掛り、殆どお目に掛らぬ日はない位であつた。
 実に深切な人で、一旦世話をすれば何処までも世話をする。面会を求める者があれば誰でも面会し、綿密に意見を述べられた。実に綿密で、同じ事を三度位は繰返す。話が済んで玄関へ送つて来て、又たそこで今の話はと云ふて、もう一度繰返し、色々の注意を与へられた。
 渋沢さんは、零砕な資金を集めて、事業を起さうと云ふ主義であつた。私も若い時分から外国人に就き外国の事を学んだのであるから、此の主義には無論大賛成である。
 何か事業を起さうと考へた時には、先づ渋沢さんに相談した。○下略
  ○「自叙益田孝翁伝」ニハ、先収会社ニ就キテマタ左ノ如ク述ブ。
   「明治六年の冬、井上さんはいよいよ先収会社と云ふものを起された。井上さんが社長、私が副社長で、岡田平蔵・木村正幹・吉富簡一・藤田伝三郎なぞが関係したが、東京の仕事は主に私がやつて居つた。○中略先収会社は主に外国貿易をやつた。輸出は、米の輸出、後に生糸・茶の売込み、輸
 - 第14巻 p.471 -ページ画像 
入は、武器・羅紗・米・肥料・古銅なぞを取扱つた。」(第一六四―一六五頁)
   又、三井物産会社ニ関スル記述ハ左ノ如シ。
   「三野村は三井の内へ一商社を立てゝ先収会社の連中にやつて貰うやうにしたいと云ふことを井上さんに相談した。井上さんは同意して、私に社長になつて主宰して呉れと懇望され、三野村なぞも話に来て、とうとう引受けたが、之れは俸給から何から総て契約で、一切私が責任を負ふたのである。若しやり損ねても三井は免れることになつて居た。」(第一七三頁)
  ○本資料第四巻「第一国立銀行」明治十一年四月ノ条(第三六六頁以下)参照。