デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
28節 貿易
8款 蚕種製造組合条例並蚕種製造組合会議局
■綱文

第14巻 p.546-548(DK140062k) ページ画像

明治7年11月2日(1874年)

有力蚕種商人等、横浜港滞在中ノ地方蚕種製造業者一同ノ依頼ヲ受ケ、勧業寮ニ出願、次年度蚕種製造高制限設定方乃至各府県蚕種製造業者代表会議制度ノ確立方ヲ要望ス。

是ヨリ先、全国ノ蚕種横浜ニ殺到シ、価格暴落、拾収スベカラザルモノアリ。栄一等、コレヲ救済シ、兼ネテ爾後ノ教誡ニ資セントシテ蚕種ノ買入焼却ヲ行ヒシモ、ナホ次年度モ惨状反覆ノ惧ナシトセズ。同港滞在中ノ地方蚕種製造業者コレヲ憂ヘ、製造高制限設定ニヨリ混乱ヲ未然ニ防ガントシ、栄一ノ配慮ヲ悃願ス。栄一、原善三郎等ト協力、業者ヲ統合シテ請願ニ及バシメシガ如ク、ソノ願書モ栄一ノ起草ニカカル。


■資料

渋沢子爵家所蔵文書 【蚕種製造之義ニ付願書】(DK140062k-0001)
第14巻 p.546-547 ページ画像

渋沢子爵家所蔵文書
    蚕種製造之義ニ付願書
蚕種製造高制限之義ニ付、国々製造人中差向横浜港滞在之者一同申合之上、別紙之通り私共へ依頼いたし度段被申聞候間、差越候事とハ奉存候得共、不取敢上申候、就而私共愚案を以て一応奉建言候ハ、畢竟此度製造人一同申合之上、明年之製造高を御制限被下度と奉申上候も実ニ本年当港貿易之景況ニ於て、各困苦を究候より発悟いたし候衷情と被存候、尤も右様各自一同之覚悟有之候上ハ敢而官府之御制限を御依頼申上候訳ハ無之哉ニ相聞候得共、是又不得已情状にして、先今日之有様にてハ所詮何様実事上ニて懲艾候とも、其者ハ廃業いたし候ハハ、之ニ代りて新製之者有之候ニ付、詰り甲仆乙起之姿と相成、終ニ相共ニ破産凋〓して、此製造相歇候迄ハ此弊害も相存可申義にて中々下方之見込打合抔を以て、此製造高ニ適度之分量を得候義ハ、万々無覚束事と奉存候、就而ハ右情状御汲量被成下置而然従前之通り官府より御制限被成下兼候御趣意ニ候ハヽ、譬ハ各地之製造人より公撰を以毎県下ニ於て壱両人を択出し、詰り会社之社長之如く、其組内製造高之分量より輸出国用等一切之義を都而製造人之委托を受、其専決之権を有し、毎年東京ニ会同いたし、内外之事情斟酌之上、夫々処分いたし候様、其方法を御示諭被下、速ニ設立之運ニ御仕向無之而ハ、何分前書之弊害匡救之術無之、乍恐御寮ニ於て是迄御保護被下候御趣意も相貫き兼、御国損ハ不及申、御義務上之御欠典と奉存候、元来蚕種之義ニ付而ハ去ル明治三午年中之民部御省並大蔵御省ニ於て取締御規則御発令相成候より、爾後近々御改定も有之、既ニ原紙御売捌方及印紙
 - 第14巻 p.547 -ページ画像 
貼用之手続等まて厳粛ニ御成規も相備り、加之各地方ニ於てハ大惣代世話役等も公撰いたし、官府之御趣意ハ常ニ一同へ通知いたし、毎年之製造高及外国輸出之分量をも、官府より御制限被下候義ニ付其間自己之都合を以或ハ苦情申唱候者も有之候得共、詰り全国之総計より御按算被下候公案ニ間《(候脱カ)》、其分量も相当いたし、現ニ一昨年昨年之如きハ、内国用外国輸出共各其適度を得、随而貿易場之価格も、保存いたし候得共、本年ニ至り頓ニ輸出之制限を御解放被成候より、各自相奔競して終ニ無価之極ニ立至り候も、官府より御洞見被下候ハヽ、浅短無制之涯ニ候得共、倩推察いたし候得は亦不得已情状も有之候、其訳ハ右蚕種之義ハ其名ハ商業に属し、之ニ従事之者共ハ先商估之面目ニ有之候得共、実ハ農民中瑣少之桑畑を所持いたし、従来養蚕を業とせしより、近年其贏利之夥多なるより、相競ふて蚕種を製造候迄にて、素より別ニ資産を有し候義にも無之、殊更聞識抔有之候者ハ尤以稀有之事にて、其人員を概算いたし候ハヽ、今日之処にても全国ニ凡五六万人ニ相及可申、然るニ右製造人共年々輸出之時節ニ際し、毎員或ハ拾枚弐拾枚之蚕種を持参し、横浜へ出港して各自由之権利を主張し、銘々其都合を以て区々之考案を起し候ニ付、到底約束も按算も難相立義ハ必然之勢にて、此上何年を経候とも同轍ニ陥り候ハ、私共之卑見を以て相考候とも確言可仕事と奉存候、然時ハ此際ニ於て前条ニ申上候御制限御設立被下候哉、又ハ立会之方法にても御施設無之して、只従前之取締御規則而已存在いたし候ハヽ、独り其徒法ニ属する而已ならす、印紙原紙之御処置等ニ於てハ、只一種之収税法を御施行被成候迄ニ相成、物産御保護之義ハ全く消滅いたし、一同御措置を怨嗟候様相成可申と奉存候、斯く申上候而ハ即今製造人一同之苦情ニ頼り、私共ニ於て御寮之御規則を批議仕候様相当り、更ニ恐悚之至ニ候得共、敢而右様之心裏より具陳候訳ニハ無之、只々前件相当之御処置奉願度ニ付、既往将来之景状迄存附候儘申上候義ニ候間、何卒厚く御諒察被成下、願意御採用之程奉懇願候也
   ○右資料ハ栄一自筆ノ草案ナリ。「一昨年昨年之如きハ内国用外国輸出共各其適度を得、随而貿易場之価格も、保存いたし候得共、本年ニ至り頓ニ輸出之制限を御解放被成候より各自相奔競して終ニ無価之極ニ立至り云々」トアルヲ以テ、本草案ハ明治七年ノ執筆ニカカルモノナルベシ。


渋沢子爵家所蔵文書(DK140062k-0002)
第14巻 p.547 ページ画像

渋沢子爵家所蔵文書
蚕種製造高限制之義ニ付国々之製造人中差向当港滞在之者一同申合之上別紙之通り私共へ依頼いたし度段被申聞候間、差掛り候義ニ付不取敢別紙書面相添此段申上候間、何分之御処分被成下候様奉願候也
   ○別紙欠ク。右資料ハ前掲願書ノ冒頭ト文意殆ド同一ナリ。栄一自筆ノモノニテ、別ニ一案ヲ草セルモノカ。


(河瀬秀治)書翰 渋沢栄一宛(年未詳)一〇月二八日(DK140062k-0003)
第14巻 p.547-548 ページ画像

(河瀬秀治)書翰 渋沢栄一宛(年未詳)一〇月二八日
                    (渋沢子爵家所蔵)
昨夕は尊翰被成下其砌御請可申上筈之処、昨今所労押而出勤、退省後勝レ兼平臥療養罷在不任心底失敬仕候事ニ御座候、昨朝ハ本寮江も亀
 - 第14巻 p.548 -ページ画像 
善出頭地方製造人共尚又御厄介相願候趣申聞候次第、実ニ御当務外之事件ニ而千万御迷惑奉存候得共、御腎翰之事情此上可相成丈ケ之御丹誠奉懇願候次第、万一当期纏リ方之目途不相立節ハ、到底幾万之製造人亡家之域ニ陥ル外有之間敷、真ニ愍然之至 上ニ大蔵卿之議論も有之、深当惑罷在候、仰冀クハ 御配意ニ依リ下情より纏リ方之端緒も相開ケ候得者、聊尽微力申度心底御洞察被下度、委細は譲拝眉、昨夕之御請之ミ 草々頓首
  十月廿八日               河瀬秀治
    渋沢様
       坐下


(原善三郎)書翰 渋沢栄一宛(年未詳)一〇月三〇日(DK140062k-0004)
第14巻 p.548 ページ画像

(原善三郎)書翰 渋沢栄一宛(年未詳)一〇月三〇日
                    (渋沢子爵家所蔵)
過日は推参御伺之趣意重立候者へ御諭示之趣ニ付、昨今尽力連印談判最中ニ御座候処、粗行届き可申見込ニ今朝承り候、然ル処今朝御発書御支店より唯今相達し候ニ付而者惣代之衆へ御下命之趣為相含可申候、御安意可被下候
一先頃借用之金貨五万円之内半高一昨廿八日御支店へ返納仕候、跡半高之儀者近日御入用ニも候哉、当方ニも手都合之次第も御座候ニ付、御序ニ御申越置被下度候
一洋銀券抵当之儀も近日上納之積リニ手配致候間、尊君御手許より御回し被下候公債証書追而出京之節御渡し相成候様仕度、尤御預り証書下案明日ニも御回し被下候ハヽ其節持参為致度候、抵当ハ元為替会社取持之地券其他者下名取持之地券而已ニ而間ニ合可申候事ニ付、搆主集儀等者見合申候、右御回答如斯ニ御座候也
  十月卅日                原善三郎
    渋沢君


(河瀬秀治)書翰 渋沢栄一宛(明治七年)一一月二日(DK140062k-0005)
第14巻 p.548 ページ画像

(河瀬秀治)書翰 渋沢栄一宛(明治七年)一一月二日
                    (渋沢子爵家所蔵)
横浜蚕種之近況遂一御報知被下委細拝誦仕候《(逐)》、尚明年之義ニ付重立候者共彼是尽力、今日ハ本寮江書面可差出聊順序ニ不拘入手之上精々取調、此上乍御面倒御相談相願候様可仕、右者不取敢拝酬迄 草々頓首
  十一月二日 河瀬秀治拝
    渋沢様