デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
28節 貿易
8款 蚕種製造組合条例並蚕種製造組合会議局
■綱文

第14巻 p.596-607(DK140066k) ページ画像

明治8年10月13日(1875年)

是ヨリ先、明治四年頃ヨリ欧洲ニ於テ養蚕術ノ改良ニ伴ヒ、蚕病衰退、漸次良好ノ蚕種ヲ出スニイタレリ。コレニ反シテ本邦ノ製種ハ逐年粗製濫造ニ流レ、シカモ高価ナルヲ以テ、前年秋欧洲商人ノ持帰リシ蚕種ノ売捌ハ頗ル不成績ナリキ。カクテ是年秋、欧洲商人ノ来朝スルモノ甚ダ少ク、蚕種製造組合会議局ノ決議高ヲ以テナホ過剰トシ、品質良好ナリシモ価格低調ヲ示ス。依ツテ十月中旬ヨリ十一月上旬ニワタリ横浜売込問屋総代及ビ滞在中ノ荷主屡々会同シ、之ガ対策ヲ協議、伊太利ヘ直輸出スルコトニ決シテ、ソノ費用ノ官給ヲ蚕種製造組合会議局規則ニヨル全国蚕種取扱所一同ヨリ勧業寮ニ出願ス。官許サズ。ココニ於テ市価更ニ惨落、徒ラニ外商ニ利ヲ得セシメ、弊前年ヨリ更ニ甚シカリシコトアリ。

是日売込問屋総代ノ内代表数名、栄一ヲ訪ヒ、ソノ考案ヲ求ム。


■資料

全国蚕種取扱所通知状 渋沢栄一宛明治八年九月五日(DK140066k-0001)
第14巻 p.596-597 ページ画像

全国蚕種取扱所通知状 渋沢栄一宛明治八年九月五日(渋沢子爵家所蔵)
 - 第14巻 p.597 -ページ画像 
今般東京府下浜町弐丁目壱番地ニ於て本年蚕種検出之分調査仕候間此段申上候也
  八年九月五日
                    全国蚕種取扱所
                          (印)
(表記宛名)
     第一国立銀行
      渋沢栄一郎様《(マヽ)》


(尾高惇忠)書翰 渋沢栄一宛(明治八年)九月三〇日(DK140066k-0002)
第14巻 p.597 ページ画像

(尾高惇忠)書翰 渋沢栄一宛(明治八年)九月三〇日
                    (渋沢子爵家所蔵)
○上略
扨輸出蚕種之景況何分不印之由、附而愚考有之、只今草稿中ニ候得共不取敢備御参考度言上仕候
○中略
  九月卅日               尾高惇忠(印)
                       謹言
    青淵公閣下


(野本太吉)書翰 渋沢栄一宛明治八年一〇月一三日(DK140066k-0003)
第14巻 p.597-598 ページ画像

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(原善三郎)書翰 渋沢栄一宛(明治八年カ)一〇月一六日(DK140066k-0004)
第14巻 p.598 ページ画像

(原善三郎)書翰 渋沢栄一宛(明治八年カ)一〇月一六日
                    (渋沢子爵家所蔵)
御枝店鈴木氏江之御伝言之趣承知致候処、兎角売人之気込ハ減収ニ付輸出七拾万ニ止リ、廿日後ニ者弐弗先之取引相始リ可申抔之見込者十ニ八九、外国商人之模様者是ニ反して案外下価之見込も有之、尤伊達島村等之一等品者高価《(崎カ)》もの有之哉、今日迄之処売買双方共確乎与見込も有之間敷、先一両日者白眼合与相見へ申候、当分之処説諭致し候共中々相場者出合申間敷候、陳ル処昨日抔者会議局連中之内ニ何て不都合之次第可有之抔与
熊ケ谷県下之製造人打寄不隠風聞《(穏カ)》も有之候、御聞込も御座候哉、御内意申上置候也
  十月十六日                   原善三郎
    渋沢栄一様


東京日日新聞 第一一七二号〔明治八年一一月九日〕 【蚕卵紙ノ価格ハ今年モ…】(DK140066k-0005)
第14巻 p.598-600 ページ画像

東京日日新聞 第一一七二号〔明治八年一一月九日〕
蚕卵紙ノ価格ハ今年モ亦横浜ノ市場ニ於テ頗ル逡巡ノ状アリト云フ、吾曹コレヲ聞テ太ダ嘆息ニ堪ヘザルナリ、憶フニ去年ハ卵紙製造ノ過度ニシテ需求ノ低度ナルガ為ニ、冬間ニ押移ル迄モ売買ノ立合ニ到ラズ、遂ニ数十万ノ商品ヲ将テ焔々タル火中ニ投シタリ、当時或ハ此ノ果断ヲ評シテ粗暴ト非議セシ輩モアリツレトモ、吾曹ハ此ノ一挙ヲ以テ濫製ヲ戒メ今年ノ市場ヲ盛ナラシムルニ足ルベシト信ジタルニ、量ラザリキ今日ニ於テ更ニ其ノ実効ヲ得ザルニ至ルトハ、豈ニ嘆息セザル可ケンヤ
吾曹コレヲ伝聞ス、蚕卵紙製造人等ハ去年ノ敗躓ニ懲リ再ビ限額ヲ蚕紙ニ設ケンコトヲ希ヒ、当春ニ際シテ之ヲ勧業寮ニ上請シタレトモ、勧業寮ハ官法ヲ建テ限額ヲ命ズルコトヲ肯セザリキ、蓋シ政府ノ権威ハ其界ヲ越テ人民ノ商業ニ及ボス可カラザルノ正理ニ拠リテナリ、然ルニ製造人総代等ハ確乎タル見識ヲ立テ、互ノ申合セニテ私的ヲ結ビ今年ノ蚕紙ハ製造高ヲ百五十万ニ限リ、即ハチ折半シテ一ヲ内国用ニ備ヘ、一ヲ外国輸出ノ分ト成シ、以テ濫悪ノ製造ヲ防ギ、以テ市場ノ過度ヲ節シ、其ノ価額ヲ適宜ノ地位ニ保タンコトヲ希望セシナリ
 - 第14巻 p.599 -ページ画像 
斯ノ如キ都合ヲ以テ市場ニ臨ミタレトモ、卵紙ノ価ハ甚ダ低下ニシテ僅ニ二十万枚ノ高ヲ外国人ニ売込タルノミ、其余ハ依然トシテ荷主ノ手ニ留マリ、先ヅ瞰ミ合ヒノ姿ヲ現セリ、又他ノ一方ヲ聞クニ、去年ハ此ノ卵紙買入レノ為ニ来リタル以太利商人ハ凡ソ六十名程モアリシガ、今年ハ稍ク二十名ニ過ギズ、而シテ其ノ商人等ハ皆本国ノ通信ノ甚ダ不景気ナルガ為ニ、仮令ヒ非常ノ廉価ニ低下スルトモ容易ニハ買入レニ著手スルコト能ハザルノ有様ナリト云ヘリ
我邦ノ卵紙一タビ輸出ヲ初メシヨリ其価格ハ一旦ニ騰貴シ、其ノ製造ハ一旦ニ増加シ、遂ニ我ガ物産中ニテ緊要ノ一分ヲ占ムルニ至リタレトモ、原来コノ輸出ハ以太利国ノ蚕卵ニ病アルニ起リシ事ナレバ、若シ彼ノ蚕卵病ヲシテ恢復スルニ至ラシムレバ、其時ヲ以テ我邦ノ輸出ハ衰微スルニ相違ナキコトナリ、現ニ欧洲ノ報知ニ拠レバ以太利ノ蚕卵製造家ハ深ク此ノ病根ヲ究ムルコトニ尽力シ、既ニ一両年前ヨリ竜抜地《ロンバルチー》ニ於テ再ビ卵紙ノ製造ヲ復シ既ニ本年ノ如キハ日本種ヨリ発生ノ再生印紙ヲ製シ、喋々其ノ養蚕ニ適当ナルヲ主唱シ以テ日本卵紙ノ勢力ヲ挫カント欲シタリ、此時ニ当リ以国ニ輸入スル日本卵紙ハ年ヲ逐テ濫悪ニ陥リシガ為ニ、以国ノ養蚕家モ亦漸ク信疑相半スルニ至レリ且ツ以国ノ奸商中ニハ、或ハ日本ノ故紙ニ以卵ヲ粘シテ贋品ヲ製スル等ノ企アルニ付キ、益々我ガ卵紙ノ声価ヲ落シタリ
日本卵紙ノ盛ニ行ハルヽニ当リテヤ上等ノ品ハ一枚ニ付キ廿「フランク」ヨリ廿五「フランク」迄ノ高価ニ売レタルニ、今日ノ価格ハ漸ク四「フランク」ヨリ六「フランク」ニ過ズト云ヘリ、畢竟先年ノ価ハ貴ニ過ギタル者ナレバ、以国ノ製糸家ハ何程ニ勉強スルトモ此ノ高価ノ種ヲ以テ養蚕ノ用ニ供スルヲ得ザルニ付キ、必ラズヤ自国ノ種ヲ以テ目下ノ用ニ充ルハ当然ノ勢ニ非ズヤ、尤モ昨年以国ニテ卵紙上出来ノ後ナレバ若シ自国ノ種ニテ差支ナクバ、何故ニ本年ニ至リ買込ノ為ニ遠洋ヲ冒シテ来ル者アルベキカ、而シテ十人ニセヨ廿人ニセヨ、猶依然トシテ来リ依然トシ注文アルハ他ナシ、即ハチ経験ノ上ニ於テ日本種ノ自カラ良純ナル所アルニ必セリ、若シ我ガ卵紙ノ価ヲ適当ノ地位ニ置キテ売出サバ、以国ニテ年々五十万位ヲ売捌クハ難ニアラザルベキ也
本月ノ如キ初メ横浜ニ於テ上等ノ卵紙ニテ一枚ニ付一円五十銭余ノ価格ナリシガ、売買ノ上ニテ葛藤ヲ起スノ過度ナルヨリ、却テ市価ヲ落シ、現ニ昨今ニ至リテハ上等ハ三十銭ニ出ズ、下等ハ十銭ニ出ザルモ猶買手ナキノ姿ナリ、而シテ此価ニテ売捌カバ其ノ損耗ハ昨年ノ投火ト甚ダ逕庭セザル可シ、吾曹コレヲ伝聞ス、我邦ノ卵紙商ハ密カニ会議ヲ開キ此ノ低価ニテ売捌ク事ヲ止メ、六十万許ノ卵紙ヲ一纏ニシテ以国ニ齎シ同所ニ於テ之ヲ発売セントノ企アリトゾ、思フニ此企ハ決シテ下策ニハ非ザルベシト雖トモ、若シ今年一度ニ止マリ来年ヲ続クノ見込ナキ時ハ、仮令ヒ本年ハ幸ニ以国ニテ利アルモ以テ来年ノ益ヲ保シ難キナリ
吾曹ハ切ニ冀フ、此ノ卵紙商ガ会議シテ今年ノ卵紙ヲ以国ニ齎スコトニ決セバ之ヲ行ヒ、以后ハ毎年之ヲ続ギ以国人ヲシテ毎年何程ノ日本種ハ必ラズ引当ト成スニ足ルコトヲ信ゼシム可シ、果シテ然ラバ此挙
 - 第14巻 p.600 -ページ画像 
ヲ以テ日本輸出品ノ一分ヲ他日ニ維持スルコトヲ得ベキナリ


東京日日新聞 第一一七五号〔明治八年一一月一三日〕 蚕種新策(DK140066k-0006)
第14巻 p.600-601 ページ画像

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東京日日新聞 第一一七八号〔明治八年一一月一六日〕 【○昨年ハ蚕卵紙の出来…】(DK140066k-0007)
第14巻 p.601-602 ページ画像

東京日日新聞 第一一七八号〔明治八年一一月一六日]
○昨年ハ蚕卵紙の出来高が多すぎて、イタリヤの種買ひ商人も却て屈宅し互ひに白眼合《にらみ》ひて暫らくハ買ひても無かりしが、国々より持ち来りたる荷主ハ雑用にも差し支へ大に困り果て直段に抱ハらず売り出しけるに、実に手間賃にも当らぬ程の下直にて、格外の損耗と成りしかバ、東京横浜の大商人たちが是を見るに忍びず奮発して数万枚の蚕種紙を買ひ取り焼き捨しより漸やく直段を持ち直したり、右の次第に付き今年ハ政府より厚くお世話が有て規則を立られしかば、各府県下にても無暗と製し出すことを止たるに依り、毎年《いつも》も横浜へ運び出す蚕種紙が二百万枚もある処へ、今年ハ僅か八十万枚ほど持ち出したれども
 - 第14巻 p.602 -ページ画像 
何云《どう》ふ訳かイタリヤ蚕種商人が漸やく廿人ばかりしか来らず、直段やすく売れ口も甚だ悪しけれども、今年ハ大商人もミな潰れて仕舞ひたれバ買て焼き捨る人も無きゆへ、今月初旬より蚕種紙取扱所の評議にて此方よりイタリヤへ持ち行き売り捌く事に相談を始めけるに、荷主も夫が宜ろう然《そう》したらバ年々此方から持ち行く様に成り、追ひ追ひハ彼の国に得意先も多く出来て約定する様に成るだらうから、却て永久の大商法を開く手始にも成るだろうと同意ハしたれども、荷主は有り丈の金を掛て漸やく是だけの蚕紙《たねがみ》を製したる者どもなれバ、イタリヤまでの運賃を始め諸入用の出る所が無く、いろいろと衆議を尽したるに、此うへハ政府の保護を仰ぐより外に仕方ハない、今年も蚕紙印税や原紙代でハ十八万円ばかりも政府へ納めてあるから、大切な国産の事でハ有《ある》し政府でも何とかして下さるだろう一つ哀訴歎願と出かけて見やうとて蚕紙取扱所一同から勧業寮へ出たるに、願の趣ハ御沙汰に及ばれ難くとて書付を差し戻されたるよしを聞や否や、首を長くして横浜に待ち居たりし国々の荷主ハ愕然としてアヽ是ハモウ溜らぬ幾らにでも早く売て仕舞て下されと問屋へ頼めば、問屋ハ爰だと売り出し牙郎《さいとり》ハ押へた跋陀《ばつた》と翻ね廻りて延引ならぬ口銭を貪ぼり、朝ハ五十銭にて八万枚の手を拍ち、午後ハ二十五銭にて十万枚を売り飛し、二十銭ハ忽まち十五銭と成り、十銭と下り、五銭でも売る、三銭でも売ると僅か五六日の内に六十五六万枚の極上蚕紙をばたばたと売り捌きたること、朝の深霧ゆふべの御霧を朝かぜ夕風に吹き払ふことの如く、イタリヤ商人どもハ兼て期したる通り上代物《しろもの》を十分に買ひ〆め、去ル九日の郵船に飛び乗り太平海《あをうなばら》に押し出し去りしかバ、残れる者ハ僅か五六人なれども余れる蚕種紙ハまだ二十万枚ほどもあるよし、取扱所の手合ハ是だけでも宜《よい》からイタリヤへ持ち渡りたらバ、後来の商法を開き国産を維持するの基に成ろうとて種々心を砕き居るよしなれども空しく新聞の種紙と成るべき有様なるハ残念なりけることどもなり


東京日日新聞 第一一八四号〔明治八年一一月二四日〕 【○横浜の評判を聞に、…】(DK140066k-0008)
第14巻 p.602 ページ画像

東京日日新聞 第一一八四号〔明治八年一一月二四日〕
○横浜の評判を聞に、此ごろハ蚕種紙の直段一枚に付き凡ソ三銭ぐらゐに下りたるよし、其わけハイタリヤ蚕種商人ハ大抵ミな帰国して僅かに残りたる四五人の山師どもが、捨るならバ拾ツて行うと待ち構へ居たる図星に当りたるなり、夫にまた山師が付て其一枚三銭も金でハ払ハず横浜にて久しく売れ残りに成り、持ち草臥れて困り居る品物を出して蚕種紙と交易にするに依り、其品ハ迚も引取り直段にハ売り捌けず、夫ゆゑ名前ハ一枚三銭なれども一銭か一銭五厘に当る者も多きよし、当年ハ政府より厳重なる規則をお立になり蚕種取扱所を設けられ種々お世話も行届きたれバ、製し方の悪き蚕種紙ハ少なきゆゑ、出荷高八十万枚の内にて極上の品七十万枚ばかりハ既にミな売リ捌きたれども、残り十万枚ハ謂ゆる場ちがい物にて甲州と越後の蚕種なれバ何時でも対陣するとも誰も買ハ無か島だろうと嘲弄《しやれ》つける才鳥《さいとり》もあり横浜本町の真中で蚕種紙千枚《たねがみ》たヾ捨たと斜気《やけ》を起す荷主も多し、何れにしても原紙代印税ハ勿論その外とも多くの資金を掛けて拵らへたる品を、斯く無茶九茶にして仕舞ふとハ残念なる次第なり
 - 第14巻 p.603 -ページ画像 


東京日日新聞 第一一九三号〔明治八年一二月四日〕 【蚕卵紙□《(ノカ)》…】(DK140066k-0009)
第14巻 p.603-604 ページ画像

東京日日新聞 第一一九三号〔明治八年一二月四日〕
蚕卵紙□《(ノカ)》商売ハ本年モ亦再ビ敗衂ヲ得テ其□荷主等ハ横浜ニ於テ名状ス可カラザルノ損耗ヲ招キタリ、去月□初メニ際シ荷主等ハ此ノ窮迫ヲ忍ビテ、市場ノ価格ヲ挽回セント企タレトモ、其策□固ヨリ行ハレズ、此ニ於テ数十万ノ卵紙ヲ齎シテ直ニ以太利ニ渡航セン事ヲ企テタレトモ是モ亦行ハレズ、委靡ヲ極メテ遂ニ以太利人ニ許スニ充分ノ勝利ヲ以テセリ、去年ノ一火ト相距ル果シテ幾許モ無キ有様ナリ、吾曹ハ今ソノ顛末ヲ伝聞シタルニ付キ、其ノ概略ヲ玆ニ登録シテ蚕卵紙ノ為ニ本年ノ論局ヲ結バント欲ス
吾曹コレヲ聞ク、凡ソ卵紙ニ係リテ資本ヲ出ス者ハ概子山師ノ徒ニテアリシガ、連年ノ損耗ニテ疲弊ヲ極メ、去年ニ至リテ窮マリ、大抵其産ヲ破リ、最早今年ノ為ニスベキ余力ナカリシニ、製造売買ノ方法ハ太ダ厳密ニ渉リ是ナラバ依信スルニ足ルベシト思ヒ込ミタルニ付キ、田舎ノ豪農富商等ハ製造買込ノ資本ヲ出シタル也、故ニ今年ノ卵紙ニ敗ヲ取リタル資本家ト、去年ノ資本家トハ頗ル其ノ種類ヲ別ニシタル人々ナリト思ハザルヲ得ズ
吾曹ガ探訪シ得タル報知ニ拠レバ、今年横浜ニ持込タル卵紙ノ員数ハ七十四万五千九百四十枚ナリ、此外ニ凡ソ五万枚許ノ密造卵紙アリ、其ノ卵紙タルヤ固ヨリ適当ノ印紙ニ非ズシテ尋常ノ白紙ヲ用ヒ、一目シテ其ノ密造タルヲ徴スベキ品ナリ、横浜ノ商人等ハ此ノ法律ニ背キタル卵紙ヲ洋人ニ買込シタル奸商アルコトヲ探知シ、交々税関ニ訴ヘ之ヲ差押ヘンコトヲ乞フト雖トモ、卵紙ノ名目ニテ卵紙ヲ輸出スル以上ハ、其ノ密造タルノ故ヲ以テ之ヲ障礙スベキ権理ナキヲ諭テ差押フルコトヲ肯セズ、然レトモ商人ノ乞ニ任セテ輸出卵紙ヲ改メシニ現ニ八百九十枚ノ密造紙ヲ見出シタリキ、而シテ又奸商ガ其ノ洋人ニ百三十八枚ヲ買込マシタル事ヲモ同ジク探知セラレタリト云ヘリ
右ノ密造紙ト前文ノ卵紙トヲ合計スレバ七十九万余ノ員数ハ日本ノ各地ヨリ横浜ニ持込タルニ相違ナシ、此内ニテ凡ソ十万枚□売レ残リ高ニシテ今以テ横浜問屋ノ庫中ニアリ、其品ハ大抵甲斐・常陸・越後・加賀・下総・和泉・安芸ノ諸国ヨリ出テ、俗間コレヲ名ケテ場違ヒト唱フル者ナリ、之ヲ奥羽・上信ノ本場ニ比スレバ下等ノ品位ナリト雖トモ、今年ハ一般ニ蚕卵ノ養生ハ上出来ナルニヨリ特ニ場違ノ下等ナルヲ顕ハセリ、若シ此ノ場違ヲシテ三四年前ニアラシメバ必ラズ相当ノ価格ヲ以テ売買セラルベキ品柄ニテアリシナルベシ
去レバ今年横浜ニ於テ洋人ニ売渡タル卵紙ノ員数ハ凡ソ七□万許ナリ今コレヲ甲乙丙ノ三等ニ分テ売買ノ景況ヲ説クニ便ナラシムベシ
 (甲)卵紙凡十万枚 此価凡十万円 一枚ニ付キ平均凡ソ一円
     此□卵紙□島村柳川米沢ノ如キ奥羽・上信ノ産ニテ上等ナル品柄タルヲ以テ、或ハ一枚ニ付キ一弗六十銭ニ至リタルモアリキ、尤モ其□荷主等ハ卵紙ノ市場ニ於テ早ク其ノ売込ヲ畢リテ帰国セシトゾ
 (乙)卵紙凡三十五万枚
     此価凡八万七千五百円 一枚ニ付キ平均廿五銭
 - 第14巻 p.604 -ページ画像 
 (丙)同 凡二十五万枚
     同三万七千五百円 同 十五銭
      計二拾二万五千円 同一枚平均三十二銭余
之ニ由テ観察スレバ本年ノ蚕卵商売ハ実ニ甚シキ衰運ト云ハザルヲ得ザルナリ、吾曹コレヲ聞ク、今年ノ初メ卵紙買入ノ為ニ横浜ニ渡来セシ以太利商某ハ密カニ邦人ニ向ヒ、我輩ハ今年ノ蚕卵ヲ買入ルヽタメ僅ニ三□万ドルノ資本ヲ準備セシニ付キ相当ノ価格ナラバ此ノ金額ダケヲ買入ルベシ、若シ分外ノ高価ナラバ再ビ金ヲ懐ニシテ帰国センノミ、高価ノ卵紙ノ為ニ大損ヲ蒙ルコト能ハズト云ヘリ、横浜ノ商人ハ此語ヲ以テ例ノ虚喝ト認メ更ニ意トセザリシガ、今彼ノ買入代金ニ加算スルニ輸運費ヲ以テスレバ其語モ稍々荒唐ナラザルニ似タリ(輸運費ハ横浜ヨリ以太利マデ卵紙一枚ニ付キ凡ソ十五銭ヲ要スルトゾ、尤モ輸出入税保険料口銭船賃等ヲモ尽ク算シタル高ナリ)夫レ貿易物品ハ一成一敗ノ数ナキ能ハズト雖トモ、其ノ盛衰ヲ転更スルノ速ナル蚕卵紙ノ如キハ実ニ吾曹ガ罕ニ見ル所ナリ、斯ノ如キモ猶正業ノ貿易ト云フベキ乎、抑モ賭博ノ相場ニ類スト云フベキ乎
吾曹マタ之ヲ聞ク、横浜ニ於テ卵紙問屋ト唱フル商人五十二戸アリ、而シテ各地ヨリ今年ノ卵紙ヲ持込タル家ハ其内ニテ四十三戸ナリ、此ノ四十三戸ノ問屋ハ二万枚以上ノ荷物ヲ引受ケタル人ニテ千円以上ノ損ヲ蒙ラザル者ナシ、然レトモ此損トハ売買上ノ損ヲ謂フニ非ズ、只ソノ荷主ナル卵紙商人ニ日用雑費ノ金ヲ貸タル丈ケノ事ナリ
各地ヨリ横浜ニ出張セシ荷主等ハ売残ノ十万枚ヲ夫々ニ横浜ノ問屋ニ委托シテ空シク帰国シタリ、吾曹ハ親シク其□委托証書ヲ見ルニ
  蚕種○百○拾○枚
  右ハ我等持参仕候蚕種貴殿へ御預ケ申置候処、もはや売込にも相成り難しとハ存じ候得ども、万一買人も候ハヾ何程にても御売払ひ代金ハ我等方へ御送り可被下候、此段御依頼仕候也云々
トアリ、万一及ビ何程にてもノ数語ヲ以テ其ノ市場ニ正鵠ヲ失フテ進退維谷ニ際スルノ実況ヲトスルニ余リアリ、豈ニ憫然ナリト云ハザルヲ得ンヤ、吾曹イマ此□顛末ヲ略記スル此ノ如シ、世上□読者ハ此ノ一事ニ於テ如何ナル思考ヲ下スベキ乎、吾曹コレヲ識ランコトヲ冀フナリ


旧勧業寮第壱回年報撮要(勧農局編) 第五〇―五二頁〔明治一〇年七月〕 蚕種紙(DK140066k-0010)
第14巻 p.604-605 ページ画像

旧勧業寮第壱回年報撮要(勧農局編) 第五〇―五二頁〔明治一〇年七月〕
    蚕種紙
○上略
昨八年ハ製種ヲ請フ者多ク、官之ヲ保護スルニ非サレハ復タ前日ノ覆轍ヲ践ムノ勢アリト雖トモ、既ニ内外用ノ区分ヲ廃セシニヨリ保護維持ノ良策ナキヲ以テ、更ニ従前ノ規則ヲ廃シ、製種人等ヲシテ各地方ノ便宜ニ依テ組合ヲ立テ、頭取及ヒ検査人等ノ役員ヲ撰擢セシメ、以テ専ラ営業上ノ便否得失等ヲ協議セシム、又一般ノ商議ヲ尽サンタメ各組合頭取及ヒ蚕種商人等集会ノ方法ヲ設ケリ、此衆議ニ因リ製種ノ額ヲ減少シテ復内外ノ区分ヲ立ツルト雖トモ、該年ハ各国ニ於テ前年
 - 第14巻 p.605 -ページ画像 
蚕種ノ販売寡キヨリ外商ノ来港稀少ニシテ販売スルトコロ亦多カラサルヲ以テ、輸出スヘキ蚕種ノ若干ヲ売リ剰シ、価格モ随テ低下セリ、之ヲ要スルニ当初内国蚕種商人ハ過当ノ価格ヲ唱ヘシヨリ終ニ彼カ術中ニ陥リコノ失敗ヲ招ケリ、本年ノ原紙売与ノ額ハ前年ノ産ニ増加スルモ一般ノ産額未タ完全セス、貿易ノ期ニ至ラサレハ其実額ト景況トハ予メ知ル事ヲ得スト雖トモ、本年ハ伊仏両国ノ蚕業不利ノ聞エアルヲ以テ製糸ノ価格騰貴セントスルノ勢アリ、是ニ由テ之ヲ推測スルトキハ、蚕種ノ価モ亦挽回スルニ至ランカ、抑本邦ノ蚕種各国ニ冠タルハ固ヨリ論ヲ俟タス、将来我カ人民勇進奮取シテ航海販売スルニ至ラハ本邦名産ノ実益期シテ待ツヘシ、今本周年ノ産額ニ就キ比較増減表ヲ製スル事左ノ如シ

図表を画像で表示蚕卵紙増減比較表

    年度        本周年                     前周年 種別 蚕卵紙       数量     枚  通価       円銭   数量      枚  通価     円銭    内国用        八三八、三四二                  八四二、五八五    海外輸出       七一六、二一四  四六五、一五四・一四七   一、三三五、四六五  七三一、五七八・一    販売剰余       一一七、五八六                  八四八、四一三    夏蚕種内国用     一六七、一五二                  一六八、四五六    合計       一、八三九、二九四  四六五、一五四・一四七   三、一九四、九一九  七三一、五七八・一    前年比較  増                           一、三五五、六二五  二六六、四二三・九五三          減  一、三五五、六二五  二六六、四二三・九五三 




維新以後蚕種製造取締沿革 (轟木長著) 第一三―一四頁〔明治二四年一月〕(DK140066k-0011)
第14巻 p.605 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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大久保利通文書 第九巻〔昭和四年六月〕(DK140066k-0012)
第14巻 p.606 ページ画像

大久保利通文書 第九巻〔昭和四年六月〕
 佐々木長淳談話「故大久保公の蚕糸業奨励」明治四十三年三月
故大久保内務卿カ熱心ニ養蚕製糸ニ尽力ノコト宮中ニ達シ、十一年二月十四日皇太后陛下ニハ新宿試験場ニ行啓アラセラル、当日ハ試験ノ状況成績ヲ陛下ノ御覧ニ供シ、詳細御説明申上ケシニ、深ク御感遊ハサレ、辱クモ御奨励ノ懿旨ヲ賜ハリシコトハ微臣ノ光栄トシテ忘ルヽ能ハサルモノ、又其ノ当時卿ヨリ贈ラレシ手翰アリ、長淳ノ家宝トシテ毎歳卿ノ忌日ニ之ヲ掲ケ遺風ヲ拝シ居レリ、顧ルニ明治七年ノコトナリキ、某日卿カ訓示ニ曰ク「今後数年ヲ出テスシテ全国ノ蚕糸業者ヲ東京ニ召集シ養蚕製糸桑樹ノ栽培其他蚕児及ヒ蚕種ノ病毒検査ノ方法等ニ関シ一大会議ヲ開キ、必要ノ事項ヲ諮問研究シ大ニ改良奨励ノ策ヲ講スヘシ、其期ニ臨マハ足下ハ其衝ニ当ルヘケレハ、今ヨリ充分ノ取調ヲ遂ケ準備スル所アルヘシ」ト、是ニ於テ長淳ハ内命ノ重大ナルヲ考ヘ、内務省附属内藤新宿試験場中ノ養蚕掛事務所ニ休日ヲ廃シテ出勤シ、昼夜其調査ニ従事シタリ、先ツ養蚕中病蚕ト認メタルモノハ、一々其病徴ヲ検査解剖シ病原ノ探究ニ務メタリ、同年六月十四日偶々病蚕ヲ解剖スルニ当リ第五齢ノ蚕児ノ体内ニ蠁蛆ノ寄生セルヲ発見シ、直チニ説明書ヲ添ヘ内務卿ニ呈セシ時ノ如キ卿ハ非常ニ喜ハレタリキ、又長淳ニ諭サレシ言ニ曰ク、蚕糸業ヲ広ク民間ニ発達セシムルニハ大ニ指導保護奨励ノ途ヲ開カサルヘカラス、然ルニ若シ当業者ニ対スルニ妄リニ干渉ヲ以テセハ却テ当業者ヲ圧迫シ発達ヲ妨ケ往々奸商ヲ跋扈セシメ国帑ヲ浪費スルノ虞アリ、依テ保護奨励ト干渉トハ能ク区別シテ処理セサルヘカラス、過般已ニ蚕種製造ヲ制限スルト放任スルトノ両説出テ、遂ニ制限法ヲ採用スルコトヽナリシヲ以テ、政府ハ莫大ノ蚕種ヲ買上ケ、横浜港ニ於テ巨万ノ原蚕紙ヲ焼却スルノ已ムヲ得サルニ至リシコトアリト、是レ蓋シ暗ニ干渉ノ弊ヲ指摘セラレタルモノノ如シ、又当時卿ノ内命ニ曰ク、養蚕・製糸・栽桑ノ試験ニ就キ十県下ヨリ斯業ニ熟達老練ノ当業者ヲ召集シ随意ニ意見ヲ開陳セシメ大ニ改良ヲ図ラサル可ラス、特ニ我邦特有ノ手繰若クハ長髪座繰ノ製糸ヲ十分調査スヘク、同時ニ欧洲・清国等ノ製糸器械ヲモ比較試験シ、実地ト学理ノ両面ヨリ研究改良ヲ施スヘシ云々ト、長淳ハコノ内命ニ基ツキ明治七年以来試験ヲ重ネタリシモ、内務卿薨去後ハ不幸事業中止ノ悲運ニ接シ、長淳ハ青山御所内養蚕御用掛ニ転スルニ至レリ、又明治七年内務卿ハ清国ヨリ魯桑ヲ取寄セラレ、長淳ニ命シ試験場内ニ試植セシメラレシニヨリ「蚕桑輯要」中ニ載セタル一幹八枝ノ式ニ則リ其培養ニ着手シタリ、又同時ニ清国ヨリ拓樹ノ苗木ヲモ取寄スル筈ナリシニ、誤ツテ楮ノ苗木来着セシカハ遂ニ拓樹ノ栽培ヲ試ムル能ハス、明治十三年卿ノ遺志ヲ継キ、自費ヲ投シテ拓樹ノ苗木ヲ取寄セ、之ヲ蕃殖シ各地ノ有志者ニ頒チシコトアリキ


横浜沿革誌 (太田久好著) 第一八二―一八三頁〔明治二五年七月〕(DK140066k-0013)
第14巻 p.606-607 ページ画像

横浜沿革誌(太田久好著)第一八二―一八三頁〔明治二五年七月〕
○上略
此年○明治八年蚕種紙ハ前年ノ失敗ニ懲リタルト各地方トモニ製造ニ制限
 - 第14巻 p.607 -ページ画像 
ヲ置キタルトニ依リ、横浜輸入高ハ前年ノ半額ニ減シタリ、然レトモ需給未タ其宜ヲ得ス、尚拾弐万余枚ヲ減セシヲ以テ稍其商期ヲ全フスルニ至レリ、輸入高其外左ノ如シ
 蚕種紙七拾九万八千九百弐拾三枚    輸入高
    内
  九百四拾九枚            潰摺
  拾弐万八千五百弐拾枚        内国積戻
 差引                海外
  蚕種紙六拾六万九千四百五拾四枚   輸出高
   此代価洋銀六拾壱万四千九百五拾八弗八分
○下略