デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.14

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

4章 鉱業
1節 銅
1款 足尾鉱山組合
■綱文

第15巻 p.365-366(DK150038k) ページ画像

明治8年3月6日(1875年)

是日栄一、大蔵卿大隈重信ニ書翰ヲ送リ、古河市兵衛ノ鉱山事業ニ関シテ依頼スル所アリ。


■資料

渋沢栄一 書翰 大隈重信宛(明治八年)三月六日(DK150038k-0001)
第15巻 p.365 ページ画像

渋沢栄一 書翰 大隈重信宛(明治八年)三月六日 (大隈侯爵家所蔵)
○上略
小野御処分も追々御整頓と奉存候、其模様ニより銀行も兼而申上候通純然改革仕度、尤古河鉱山之事ハ何卒早く御下知奉願度候
○中略
  三月六日                渋沢栄一
    大隈大蔵卿閣下


渋沢栄一 書翰 吉田清成宛(明治七年)四月二一日(DK150038k-0002)
第15巻 p.365 ページ画像

渋沢栄一 書翰 吉田清成宛(明治七年)四月二一日
              (京都帝国大学文学部国史研究室所蔵)
愈御清迪奉賀候、先日ハ特別之御寛宥を蒙り御蔭にて洋銀一条も聊ハ銀行之所得とも相成候訳ニ相成感謝無涯、偖度々御厚情にあまへ申上候様相成恐入候得共、古河市兵衛融通差迫り候義ニ付、今日同人罷越色々老閣へ拝願之次第も申聞有之、且銀行ニ於ても何と歟工夫いたし遣度候得共、何分即今之処ハ手詰りニ相成居候旁、窮局ハ拝借を奉願候外無之ニ付、不得已今日吉田二郎君へ一書を呈し古河所持之酒田港有米抵当拝借之義懇願いたし置候、就而ハ明日にも吉田君より老閣へ御稟議可相成と奉存候間、何卒遠方之抵当品にても銀行引受之処を御信し被下御聞届被成下度奉祈候、実ハ同人も此米買入ニ付而ハ相応之利益も有之候処、郵船会社之引合違も余程其融通を妨候筋ニ相成、彼是事情尤之事にて何と歟いたし此際之都合相付させ度義ニ候間、其辺も御憐察奉祈候
小生も一昨日より風邪気にて平臥いたし居、何分拝趨も仕兼候間、乍失敬古河之口頭ニ附し并而此書状にて奉願候、偏ニ御諒察之御沙汰御坐候様奉祈候 頓首
  四月廿一日
                      渋沢栄一
    吉田少輔閣下


渋沢栄一 書翰 吉田清成宛(明治七年)五月四日(DK150038k-0003)
第15巻 p.365-366 ページ画像

渋沢栄一 書翰 吉田清成宛(明治七年)五月四日
              (京都帝国大学文学部国史研究室所蔵)
爾来愈御清穆奉拝賀候、偖銀行拝借金一条ニ付先日来古河市兵衛等よ
 - 第15巻 p.366 -ページ画像 
り度々相願資本金上納残金四拾五万円之分、抵当品を以切替拝借之義御許可被下難有奉存候、実ニ銀行繰廻し之義ハ兼而高諭も被為在候ニ付可成丈手を詰、寧ロ素朴ニ過候も決而狡獪之所為無之様と覚悟いたし、精々目的不相違処を以て融通いたし居候得共、此度之義ハ小野組古河抔も頻ニ融通あしき様子にて、其上古河之義ハ北陸筋米穀之商業廻漕船手筈不都合ニ相成候より相生候事ハ事実相違無之、其上右商業当年之処ハ頗勝算有之事ニ付、此際右運搬不便にて融通ニ苦候義ハ銀行ニ於ても相助申度事ニ付再三拝願仕、則御允裁を蒙り銀行も安堵いたし、古河も真ニ御高配を感戴仕候、右等拝謝旁尚申上度義も有之昇堂仕度之処、小生も先月廿日頃より風邪気にて再三押而奔走いたし却而感冒甚敷と相見ひ、廿九日より全平臥今以褥中ニ苦配いたし居候、併引受之事務ハ枕上にて頻ニ取扱、先銀行ニ差支ハ無之候得共何分快方手間取殆難渋仕候、何れ不日拝趨御礼可申上候得共不取敢拝謝まて
                          匆々頓首
  五月四日
                      渋沢栄一
    吉田少輔閣下
  尚々先頃国債権頭へ申上候公債証書利足渡方銀行へ御委任之義ハ何卒御允裁被下度候、是ハ公私之御便益と相成候事にて何も銀行之所得より申上候義にハ無之候
  株式取扱所条例御許可之義ハ如何御坐候哉、是又正院之御都合御高配之程奉懇祈候
   ○上掲栄一書翰ハ小野組破綻以前、古河市兵衛ニツキ吉田清成ニ援助ヲ請願セルモノニシテ栄一ト古河トノ関係ヲ示ス資料トシテココニ掲グ。小野組破綻ニ就イテハ本資料「第一国立銀行」明治七年十一月二十日ノ条(第四巻第八三頁以下)参照。