デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
3款 耕牧舎
■綱文

第15巻 p.498-506(DK150063k) ページ画像

明治14年5月1日(1881年)

是ヨリ先、勧農局ヘ緬羊貸下ヲ出願シテ許可セラレシモ、是日栄一、波多野尹政ニ書ヲ送ツテ暫時ソノ延期ヲ請フ。爾後本舎ハ良馬ノ繁殖ト乳牛ノ飼育ニ従ヒ、牛乳ヲ販売シテソノ販路ヲ拡張ス。


■資料

郵便報知新聞 第二三二二号 明治一三年一〇月二七日 【第一銀行頭取の渋沢…】(DK150063k-0001)
第15巻 p.498 ページ画像

郵便報知新聞 第二三二二号 明治一三年一〇月二七日
○第一銀行頭取の渋沢栄一氏・三井物産会社の益田孝氏其他、小松彰氏所持の静岡県下箱根山中仙石原の牧場に於て、盛んに緬羊を牧養する為め、無利足にて勧農局より緬羊百頭拝借なし度旨を東京府を経て其筋へ願ひ出し由


郵便報知新聞 第二三三八号 明治一三年一一月一六日 【神奈川(県)下豆州仙…】(DK150063k-0002)
第15巻 p.498 ページ画像

郵便報知新聞 第二三三八号 明治一三年一一月一六日
○神奈川(県)下豆州仙石原村の内七百四十三町二反二畝一歩の原野を渋沢・大倉・小松の三氏が買入れ緬羊を牧養する為め、種緬羊牡五頭牝九十五頭拝借の義を其筋へ出願せし趣ハ、既に前号の紙上へ掲置しが此程許可を得たるに付、早速着手し追々蕃殖せし上ハ一歳以上の牝仔羊を以て拝借の積年に替ヘ返納する見込なりと云


渋沢栄一 書翰 波多野尹政宛 明治一四年五月一日(DK150063k-0003)
第15巻 p.498-499 ページ画像

渋沢栄一 書翰 波多野尹政宛 明治一四年五月一日 (帝国図書館所蔵)
陪御清暢御勤務可被成奉恭賀候、頃日ハ新原参上、兼而願置候種牛拝借仕難有奉存候、一昨日東京へ無事着、明日直ニ仙石原へ牽付候都合ニ御座候、御省念可被下候、高庇ニよりて漸㝡良之種牛を得、将来良種蕃殖之目途も相立、別而拝謝之至ニ候
緬羊拝借も当年新草発芽より百頭丈ケ試養之積り兼而心掛候ニ付、右種牛と共ニ拝借之見込ニ候処、貴場御都合ニより暫時延引いたし、来月ニも相成候ハヽ更ニ御都合可被下旨御示之趣、新原より逐一拝承仕候然処此間中須永仙石原帰場之後来報ニて、右拝借ハ願くハ今一年延期相願度旨申出候、右様今日ニ至り再三考案変更之義、申上候も恐悚之至ニ候得共、右情実一応左ニ開陳仕候
元来緬羊試養方ハ得失上より相考候時ハ充分之見込無之ニ付、折角先年拝借願ハ許可を得候も、其着手如何可致哉との衆説も有之候程ニ候得共、到底目前之得失のミ申居候而ハ真実之試験出来兼候ニ付、聊敢為之気象を以、本年より百頭之試養相始候事ニ談決いたし、就而ハ曾而御聞知も被下候野州伊佐野原之義も、昨年御貸下之義ハ相済候ニ付本年より着手いたし、明年ハ右緬羊を同地へ移し可申と胸算仕居候処
 - 第15巻 p.499 -ページ画像 
此間中栃木県令出京ニ付、時々伊佐野御引渡之都合承合候得共、何分地方村々ニ苦情有之、即今引渡兼候旨被申聞候
右様之都合ニてハ所詮当年着手ハ仕兼候ニ付、もし緬羊試養相始め、来年新草ニ際し、同場へ移転之事出来兼候ハヽ、仙石原ハ牛馬羊各種と相成、追々蕃殖候程牧場も不足いたし、其上仙石ハ穀類買入人夫雇付等も不便之地ニ候間、却而各種共ニ成効を誤り候哉と心配仕候ニ付不得已前陳延期相願候義ニ御坐候、実ハ客月下旬須永仙石へ帰場之節ニ種々相談いたし、本年仙石原新草之摸様も能々視察を加へ、更ニ申越候様可致、其中伊佐野之方も多くハ行届可申歟との胸算ニ候処、須永よりハもし伊佐野引渡方延引候ハヽ、緬羊拝借も見合申度と昨日ニ至申来り、又伊佐野原引渡も到底本年中ハ出来兼候旨、県令より内示有之夫是無拠都合ニ付俄ニ右様変更之義申上候次第ニ候、何卒右之情実御諒察被下、延期御聴容可被下候、併もし此延期之都合更ニ御本局へ願書上呈不仕候而ハ御不都合ニ候ハヽ、早々進達も可仕候得共、実ハ既ニ拝借之順序ハ相済、其場限御手心を以是迄延引仕候義ニて、此上とても是非場処さへ都合出来候ハヽ必ス相願申度義ニ付、是迄之如く其場限り御聞置被下候様仕度奉存候、右之段拝願如此ニ御坐候 謹言
  明治十四年五月一日
                    渋沢栄一
    波多野尹政様
  尚々書面御本局へ差出方可然候ハヽ、其段御来示可被下、新原よりも前陳之事情申上候様申付候ニ付、是又御聴容可被下候


青淵先生六十年史 (竜門社編) 第二巻・第一六二―一六三頁 明治三三年二月刊(DK150063k-0004)
第15巻 p.499-500 ページ画像

青淵先生六十年史(竜門社編)第二巻・第一六二―一六三頁 明治三三年二月刊
    ○第三十四章 牧畜業
○上略
明治十三年須永先生ノ命ヲ受ケテ仙石原ニ到ルヤ、野ニ臥シ山ニ寝ネ専ラ開拓ニ勉励従事セシカ、牧場ハ一面ニ大ナル萱繁茂シテ到底牧羊場トナスヲ得ス、故ニ先ツ乳牛ヲ牧シテ草質ヲ改良シ、而シテ後チ当初ノ目的ヲ達スヘシト、同年三月洋牛牝犢三十頭ヲ米国ヨリ、和牛三十頭ヲ南部地方ヨリ購入シ、種牡牛ハ勧農局ヨリ良種貸下ヲ乞ヒテ之ヲ畜ヒ、宮ノ下・函根等ニ支店ヲ設ケ、牛乳ヲ販売シタリ、十五年ニ至リ犢分娩シタルヲ以テ東京下谷区中根岸町ニ支店ヲ設ケ、尋テ築地芝・四谷ニ之ヲ増設シ、大ニ販路ヲ拡張シタリ
牧羊ノ挙ハ後チ発起人中不同意者ヲ生シタレハ之ヲ止メ、綿羊拝借願ノ取消ヲ出願シテ許可ヲ得タリ
又明治十四年下総三里塚牧羊場ニ於テ孕馬糶売ノ挙アリ、先生須永ノ勧ニヨリ牧馬十四頭ヲ購入シ、牧牛ノ傍ラ良馬ノ繁殖ヲ図レリ、後チ更ニ布哇国ヨリ種牡馬ヲ買入レ、之ヲ成育繁殖セシメテ京浜紳士及ヒ在留外国人ノ需要ニ応セリ
「バタ」ノ製造所ハ仙石原牧場ニアリ、生乳ノ余剰ヲ以テ製ス、其新鮮ニシテ滋養ニ富ムヲ以テ、毎夏宮ノ下・函根来遊ノ内外紳士ノ趣好ニ適シ、大ニ好評ヲ博シ居レリ
仙石原牧場ハ相模国足柄下郡仙石原村ヨリ同郡元函根村ニ亘リ山間ノ
 - 第15巻 p.500 -ページ画像 
原野ニアリテ、南方蘆湖ニ面シ、北方本村耕地ニ接シ、東西二方ハ連山屹立シテ真ニ牧場ニ最モ適切ナル天然ノ境ナリ、其面積総計七百三十七町三反一畝五歩、内現今開拓セシモノ水田二町五反歩、畑一町歩杉雑木林二十町歩アリ、気候ハ夏季華氏九十度、冬十九度内外ニ昇降シ、風雨四時共ニ多ク、暴風雨亦頗ル頻繁ナリ、結霜降雪共ニ早ク、又積雪ノ際ニハ一尺乃至二尺ニシテ、三月ニ至ラサレハ解消セスト云フ、土質ハ黒壚ニシテ薄瘠ナリ、牧草ノ種類ハ萱・芝ノ類ニテ蓬・薊等ヲ混生ス、四月中旬発芽シ十一月上旬枯化ス、発生極テ密ニシテ能ク繁茂ス、近年西洋牧草「ヲチヤルト」「レートツプ」「チモヂー」「クロバ」「アルハルハ」ノ類ヲ播種セシニ、「クロバ」「アルハルハ」ハ暴風ノ為メ好果ヲ得サリシカ、他ノ三種ハ盛ニ蕃殖セリ、樹木ハ皆無ニシテ牧獣風雨ヲ避クルモノナシ、故ニ殖樹ニ尽力シ、年々若干ヲ植ヘ付クルモ、風力大ナルヲ以テ成績悪ク、殊ニ松杉ハ虫害モアリテ枯死ニ至ルコトアリ
○下略


(芝崎確次郎)日記簿 明治一四年(DK150063k-0005)
第15巻 p.500-501 ページ画像

(芝崎確次郎)日記簿 明治一四年(芝崎猪根吉氏所蔵)
五月廿七日 曇
例刻出頭、社中無事主君十二時御出頭被遊、今朝武部ナルモノ青馬引来邸、主君御直段ニテ従前之馬と引替被遊候旨御口達相成○下略
   ○中略。
七月九日 晴
○上略 武部兵次殿より青毛六歳馬壱疋買入但し代金百四十円、直ニ東京府(御頼ニ付御買入に成ル)江差出百四十円代金受取○下略
   ○中略。
七月十四日 雲
○上略
牧夫中村祐之殿ヘ引合方被命但し銀行ニテ面語、月給其他共主君御面語ニテ取極リ添状被下、且小生よりも委曲可申越旨被命、今夜ハ深川邸ヘ一泊明日出立仙石原行ノ筈ニテ御屋しきヘ参宿ス
○下略
   ○中略。
八月廿三日 大暑
○上略
本夕主君より御下ケ金請払左ニ
  一金八百三拾円也
    内
    六百三拾円 耕牧舎第十三回資本出金大沢氏ヘ渡
○下略
   ○中略。
九月三十日
例刻出頭、午前十一時耕牧舎集合金ニ付主君より左之金員請取仕払内訳ケ左ニ
  一金三百円   第十四回耕牧舎ヘ御出金分大沢正道ヘ相渡ス証書受取候
 - 第15巻 p.501 -ページ画像 
  一金三百円   御勝手入用
   〆金六百円也
○中略
須永氏帰場ニ付集合金八百円御渡申上候
○下略
   ○中略。
第十一月十五日 雨降
例刻出頭午後主君ヨリ御下ケ金請払左ニ
  一金百五拾円  耕牧舎出金第十五回
○下略
   ○中略。
第十一月十九日 夜ニ入大雨降
○上略
本日金銀受払左ニ
  一金三百円   耕牧舎出金第十六回分
○中略
    〆
   耕牧舎受取証ハ第十五回十六回之弐通
   奥方御手許ヘ差上申候
○下略


中外物価新報 第五二一号 明治一五年七月二〇日 広告(DK150063k-0006)
第15巻 p.501 ページ画像

中外物価新報 第五二一号 明治一五年七月二〇日
    広告
避暑入浴の御方牛乳御入用の節は、左の処へは日々当牧場より御届申上候間、多少に不拘当社へ御申越被下度候
   箱根七湯
   箱根駅             箱根仙石原村
  明治十五年七月             耕牧舎


渋沢栄一 書翰 芝崎確次郎・尾高勝五郎宛 (明治一五年)八月四日(DK150063k-0007)
第15巻 p.501 ページ画像

渋沢栄一 書翰 芝崎確次郎・尾高勝五郎宛 (明治一五年)八月四日
                    (芝崎猪根吉氏所蔵)
○上略
一昨日木賀着引続キ同所滞留罷在候、伊達従五位・西園寺抔も同しく亀屋ニ入浴被致候
仙石原ヘハ未タ参リ不申候、今日一覧之考ニ候処雨天ニ付見合申候、明日晴候ハヽ罷越可申存候、新原ハ時々参リ呉世話ニ成申候、須永ヘ宜御伝可被下候
○中略
  八月四日               渋沢栄一
    柴崎角次郎様
    尾高勝五郎様
○下略


渋沢栄一 書翰 芝崎確次郎宛 (明治一五年)八月七日(DK150063k-0008)
第15巻 p.501-502 ページ画像

渋沢栄一 書翰 芝崎確次郎宛 (明治一五年)八月七日
                    (芝崎猪根吉氏所蔵)
 - 第15巻 p.502 -ページ画像 
○上略
耕牧舎之義ハ集金之高決定ニ候ハヽ早々須永ヨリ申越次第手形相廻シ可申ニ付御申伝可被下候
○中略
当方ハ一同無事明日ハ仙石原一覧之積ニ候、此間中雨天続漸今日より天気ニ相成申候
○中略
  八月七日                渋沢栄一
    柴崎確次郎様
○下略


渋沢栄一 書翰 芝崎確次郎宛 (明治一五年)八月九日(DK150063k-0009)
第15巻 p.502 ページ画像

渋沢栄一 書翰 芝崎確次郎宛 (明治一五年)八月九日
                    (芝崎猪根吉氏所蔵)
○上略
品ニよりてハ当方も諸入用少々不足と存候間小田原三井銀行ヘ之為替ニて金百円程御届金被成下度候、是ハ須永氏ニ御頼被成候ハヽ委細心得居候ニ付取扱呉可申と存候
昨日ハ一同ニて仙石原ヘ罷越、夫より箱根ヘ廻り蘆之湯を通行夜ニ入木賀ヘ帰宿仕候、久々ニて大ニ運動し愉快之至ニ候、且天気朗晴牧場之牛馬一覧後湖水を渡りて船中富岳眺望抔中々之壮観ニ御坐候
○中略
  八月九日朝            渋沢栄一
    柴崎殿
○下略
   ○封筒ニ「従木賀」ト記セリ。


渋沢栄一 書翰 芝崎確次郎宛 (明治一五年)八月一一日(DK150063k-0010)
第15巻 p.502 ページ画像

渋沢栄一 書翰 芝崎確次郎宛 (明治一五年)八月一一日
                    (芝崎猪根吉氏所蔵)
○上略
耕牧舎出金ハ銀行ヘ相頼当坐口ニテ仕払候よし承知仕候、外立替物之事ハ帰京次第清算可致候
昨日一書さし上金百円を送方申上候、是ハ耕牧舎ヘ為替相頼候ハヽ可然、而して須永より新原又ハ松村ヘ書通致呉、同方より亀屋迄届方御取斗可被下候、但拙生出立後ニても穂積を残し可申ニ付同人ニても受取可申候、尤も拙生も十五日迄ハ滞留之筈ニ付其積ニ御取斗可被下候
○中略
  八月十一日                渋沢栄一
    柴崎確次郎殿
深川福住町留守宅 柴崎確次郎殿 御答 渋沢栄一
八月十一日裁
 - 第15巻 p.503 -ページ画像 

渋沢栄一 書翰 芝崎確次郎宛 (明治一五年)八月一二日(DK150063k-0011)
第15巻 p.503 ページ画像

渋沢栄一 書翰 芝崎確次郎宛 (明治一五年)八月一二日
                   (芝崎猪根吉氏所蔵)
○上略
 昨日書中申上候金子送方ハ十五日頃着之都合ニ相願度、尤其跡ニても穂積ハ残し置可申ニ付同人渡之積須永より牧場ヘ御申越可被下候
右等之要件為念申上度匆々再拝
  八月十二日
                      渋沢栄一
    柴崎殿


渋沢栄一受取証文 新原敏三宛 明治一五年八月一三日(DK150063k-0012)
第15巻 p.503 ページ画像

渋沢栄一受取証文 新原敏三宛 明治一五年八月一三日 (芝崎猪根吉氏所蔵)
    証
一金百円也
右正ニ受取申候此証書引換東京ニて相渡可申候也
  十五年八月十三日
                      渋沢栄一
    耕牧舎
     新原敏三殿


公事提要(DK150063k-0013)
第15巻 p.503 ページ画像

公事提要 (芝崎猪根吉氏所蔵)
  明治十五年第十月三十日
○上略
  外ニ
 未ダ株券ニ不相成出金分左ニ
金八千円 仙石原村耕牧社
○下略


(芝崎確次郎) 日記簿 明治一五年(DK150063k-0014)
第15巻 p.503 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿 明治一五年(芝崎猪根吉氏所蔵)
    十二月七日 晴
○上略
本日耕牧舎出金三百円也手形振出し出金仕候也


公事提要(DK150063k-0015)
第15巻 p.503 ページ画像

公事提要 (芝崎猪根吉氏所蔵)
  明治十五年第十二月
主人方資産調取扱候ニ付写置候事
  資産      貸方
○上略
金七千弐百三拾円 耕牧社出金
○下略


(須永伝蔵) 書翰 渋沢栄一宛 (明治一六年)一月一九日(DK150063k-0016)
第15巻 p.503-504 ページ画像

(須永伝蔵) 書翰 渋沢栄一宛 (明治一六年)一月一九日
                    (渋沢子爵家所蔵)
厳寒之候益御清雅被為入候条奉大賀候、当方一同無異消光罷在候間御
 - 第15巻 p.504 -ページ画像 
安慮可被下候、陳者血洗嶋およね殿御死去之由鈴木氏より御報知被下承知仕誠ニ残念千万之事ニ奉存候、右御見舞遣候且都三郎儀鳥渡御見舞ニ差出申度鈴木氏ヘ申上置候間、御許容被下度奉存候
当時井上勝之助様湯本ヘ御入浴ニ付日々牛乳相送り居申候
牛馬は今に放牧致置候得共、殊ニ馬は景況宜敷御坐候
右御見舞申上度如此ニ御坐候 匆々敬白
  一月十九日               須永伝蔵
    渋沢正五位殿閣下


渋沢栄一 書翰 川上鎮石宛 (明治一六年)五月三〇日(DK150063k-0017)
第15巻 p.504 ページ画像

渋沢栄一 書翰 川上鎮石宛 (明治一六年)五月三〇日
                   (西条峰三郎氏所蔵)
再度之御念書忝拝読仕候、来諭ニ従ひ内々拝見之為メ組合中之壱人益田孝氏今日御省ヘ参上仕候間何卒一覧被仰付候様奉願候、貴翰中御省より種馬御下付ニ付而貴兄御持論之件々ハ小生等ニ取りてハ別而難有次第ニて、願くハ御省之御下付種馬を以追々馬匹改良之楷梯ニも相成候様仕度事ニ御坐候、斯く申上候も、我田ニ水を引候説ニハ有之候得共、今日牧場を所持し牛馬飼養ニ従事候ものも数多有之候得共、真実ニ其馬牛之性質改良ニ注目いたし候義ハ、薄資之ものニハ不企及義ニ付、せめてハ間接之御保護を得、幾分其業を稗補仕候様相成度奉存候尤も農商務省之如き主務之官衙も有之候得共、今日之有様ニてハ決而右等之御保護ハ被成兼候ニ付、幸ニ御省ニ於て其辺御注目被下候ハヽ実ニ無此上事と奉存候、此上とも御含御論説奉願候
昨日御省之御者石原と申人ニ噂話ニ承リ候ニハ、米国より御取寄之御馬中ニも品ニ寄種馬として御下ケ相成可申ものも有之哉之由、実ハ当牧場ニも一頭洋種之牡馬買入候得共、不幸ニして今年足を痛即今交尾之時ニ際し充分之使用を得す困却仕候、もしも右噂之如き御模様御坐候ハヽ偏ニ御心配願上度奉存候、貴兄ニ於て強而小生輩之牧場ニ御保庇相願候義ニハ無之候得共、自然右等内願候ハヽ行届候御模様も御坐候ハヽ何卒御内示被下度候、右ハ壱人参上仕候旁以尊書拝答旁更ニ御願申上候 敬白
  五月三十日               渋沢栄一
    川上賢台
川上鎮石様 御直展拝復 渋沢栄一


渋沢栄一 書翰 川上鎮石宛 明治一六年六月一〇日(DK150063k-0018)
第15巻 p.504-505 ページ画像

渋沢栄一 書翰 川上鎮石宛 明治一六年六月一〇日
                   (西条峰三郎氏所蔵)
過日ハ尊来之処乍例匆卒之御接遇申上候、偖御下ケ之馬五ノ戸之義ハ一昨日拝受之上早速牧場ヘ逓送仕候、少々彼地ニて相試当テ物ニさしたる懸念無之候ハヽ交尾ニ相用可申存候、色々と御厚配被下万謝之至ニ候
米田侍従ニハ御宿直無之由不日罷出篤と相願可申候、小生両三日来風邪気ニて平臥其為参上延引仕候、今日ハ先快方ニ付其中罷出候積ニ候
 - 第15巻 p.505 -ページ画像 
右拝謝旁申上候 不宣
  六月十日
                     渋沢栄一
    川上賢契
「市ケ谷佐内坂上町三拾六番地」 川上鎮石様 拝復 「深川福住町」 渋沢栄一
寿


(芝崎確次郎) 日記簿 明治一七年(DK150063k-0019)
第15巻 p.505 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿 明治一七年 (芝崎猪根吉氏所蔵)
廿六日○三月 晴
○上略
 本日耕牧舎出金第廿三回分三百円小切手一枚尾高氏ヨリ受取掛リ大沢氏ヘ相渡申候、今夜御立寄相成候事


渋沢栄一 日記 明治一七年(DK150063k-0020)
第15巻 p.505 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治一七年 (渋沢子爵家所蔵)
    西遊日記
○上略
三十一日○五月曇 午前八時金泉楼ヲ発シ竹輿ヲ買テ仙石原ニ抵ル、須永松村原頭ニ来迎フ牧場ノ馬車ニテ十二時頃牧舎ニ抵ル、途上牛馬ノ緑野ニ遊嘶スルヲ見ル、意快然タリ
○下略


第一銀行京都支店所蔵文書 青淵翁名義書類五 【甲申京摂巡回日記】(DK150063k-0021)
第15巻 p.505 ページ画像

第一銀行京都支店所蔵文書 青淵翁名義書類五
    甲申京摂巡回日記
三十一日○明治一七年五月曇 午前八時湯本ヲ発シ竹輿ヲ買テ仙石原ニ抵ル、須永・松村来リ迎フ、牧場ノ馬車ニ駕シテ牛馬ノ緑野ニ遊嘶スルヲ見ル、意頗ル爽快ナリ、牧舎ニテ午餐シ、午後四時扁舟ヲ買テ湖水ヲ航シ、箱根宿ニ抵ル、更ニ竹輿ニ乗リ夜九時三島世古六太夫ニ投宿ス


渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治一七年)八月二八日(DK150063k-0022)
第15巻 p.505-506 ページ画像

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治一七年)八月二八日
                    (須永一郎氏所蔵)
拝啓、然者此間申上候如く新原義是非暫時帰省之義申出候ニ付而ハ貴兄至急ニ御出京御坐候様頼上候、新原も可成ハ来月早々出立いたし度と申居候間、貴兄出京ハ遅くも本月中ニ御繰合可被下候
別ニ一事申上候ハ此間品川大輔殿より益田ヘ被申候ニ、耕牧舎ニてハ台ケ岳官林之竹木自儘ニ伐採致し候事共無之哉、万一右等之義有之候ハヽ一般之法則ニ付不得已法律ニ照し候処置無之とも難申ニ付、内々注意いたし候との事ニ候、就而ハ是迄之如く等閑ニ相考、もしも厳法罰則等被申聞候様ニてハ不相成ニ付御承知被下、戯言ニも右等之義御話し無之且一同御申合御注意可被下候、右ハ即今敢而彼是と被申候ニハ無之候得共、山林局ニ於て右様厳令有之候上ハ軽率之取斗ハ他日困
 - 第15巻 p.506 -ページ画像 
難之種と存候間不取敢申上候、松村其外ヘも厚く御申合被成猥ニ手を入候様之事無之様御心掛可被下候
右出京御催促旁此段申上度 匆々
  八月廿八日
                       渋沢栄一
    須永伝蔵殿
神奈川県下相摸国足柄郡 仙石原村耕牧舎ニテ 須永伝蔵殿 平信要用 東京 渋沢栄一
封 十七年 八月廿八日


(芝崎確次郎) 日記簿 明治一八年(DK150063k-0023)
第15巻 p.506 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿 明治一八年 (芝崎猪根吉氏所蔵)
三十日○七月晴
 今朝銀行ヘ《(出頭脱カ)》いたし候処、須永氏より耕牧舎入用金送達方申越し候ニ付不取敢金弐百円也三井銀行為替券ニいたし差立、右案内状いたし、而しテ君公御出頭無之ニ付○中略帰宅○下略